【中高生も】テーマ別鍛錬スレ【大人も

このエントリーをはてなブックマークに追加
740華 ◆e9wiCcqafg
 私の父は、なつを愛していた。
 なつに実る野菜が好物だったし、蝉の鳴き声が聴こえると、どんなに遅く眠った日も眼を覚まし、リビングで新聞を読んでいた。
 そんな父が、今年の六月に逝ってしまった。あのなつを愛した父が、一体如何して六月等という月に人生最後のイベントを終えられたのだろうか。
 私はまったくおかしなことだと父が亡くなって初めてのお盆が来たにも関らず、未だに思っている。

「りっちゃん、玄関の扉、開けておいて」
 私を呼ぶ母の声がして、私は真新しい仏壇から立ち上がる。其処にいる父の写真は薄笑いの笑顔だ。しかし私はその写真が気に入っている。
 いつも家族のシャッター係で、たまにカメラを向けると、上手く笑顔を作れない父を思い出すからだ。
 うちの玄関の扉は今時珍しい引き戸式で、開けるたび、閉まるたびにじゃらじゃらと音を立てる。だから家の誰かが帰ってくると、すぐ分かるのだ。
 しかし、今ではその鳴る音がひとつ少ない。

 夕食は父の好物ばかりだ。ひとの座らない座椅子の前に、南瓜の煮つけや胡瓜の塩もみなどを置く。
「お父さん好物ばかりをおくと、質素な食卓ね」
 母はそう言って小さく笑った。
741華 ◆e9wiCcqafg :2005/08/17(水) 10:57:10
 そのとき、玄関の扉がじゃらじゃらと鳴った。酷く大きな音に感じ、私と母はなぜかびくっと互いに肩を震わせた。
「茜が帰ってきたんだよ」
 私は妹の名前を言い、母もそうね、と言った。そして妹のただいまーという声がした。
「玄関の扉閉めちゃったでしょう。きょうはお盆なんだから開けてきなさい」
「あ、ごめんって。開けてくる」
 妹の背中を見送って、私は席についた。
 夕食の間中、父の話しを女三人でした。まるでそこに父がいるように話は進み、私たちは昔話に笑いあった。
 そんな楽しい夕食も終わり、台所で洗い物をする母。部屋に戻った妹。そして私は食卓の手をつけていない夕食の前にいた。
「お母さん、お父さんのごはんどうするの?」
 私はそう母に尋ねたが、水仕事をしている母には聴こえていないようだった。
 そのとき、再び玄関の扉が鳴った。しかし私は驚かなかった。その音が優しく感じたからだ。
 私は、父の座椅子に座り、南瓜の煮物に手を付けた。その煮物はすかすかでぱさぱさで味が無くて、私が先ほど食べたものとはまるで違っていた。
 父はきっと、あの時いっしょに食卓を囲んだんだなと私は確信する。
 そして、扉を閉めて行ってしまったんだと思うと、目頭が熱くなり、南瓜がぼやけて、滲んできたのだった。