1 :
MJの代理 :
2005/07/13(水) 05:15:22
┌──────────. ─────────┐
∧∧ │ったく、また
>>1 かよ.
>>1 なんて・・・・・ │ ∧_∧
(,,゚Д゚)<. もう糞スレ立て見飽きた 存在する価値も生きる>(・∀・ )
(. ) │ゴルァ、さっさと首吊れ 価値も無いからな! │ ( )
| |. └───────── ─────────┘ l l
し ヽj (_ |_ )
┌──────── ─────────┐
∧_∧ │10円やるから
>>1 なんかにお茶 │ ∧_∧
( ´∀`)<. さっさと消えるモナ やらねぇよ >(`・ω・´)
( ⊃I.└──────── ─────────┘ (つ旦~ サッ
│ / と_)_)
し´ヽっ ∧_∧
∧∧ (・⊆・ ) ・・・・? 糞キタ──(゚∀゚ )──!
(*゚ー゚)ギャクサツスレヨリ . (
>>1 つ
( ) クソスレネ ノ | (・A・ )
>>1 イクナイ!
ゝ ノ し つ ('A` )
>>1 マンドクセ
あ、新スレ立ってる。 >1 さんくす。
4 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/14(木) 12:08:39
即死しちゃうよ?
5 :
らと吉 :2005/07/15(金) 00:18:28
それでいいんだ、マカセ土気。
6 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 00:46:25
即死防止あげ
ここはさげなんだ、わかる? さげ もっと下がらないと誰もカキコしないよ
8 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 00:50:17
>>7 バカは20レスルールを知らないみたいだな。
さすがバカ。
9 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:38:38
つまりあれだ、アゲで、書き込むと、このスレの即死が防げて 誰かに感謝される訳だな 俺は馬鹿じゃないよね
10 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:39:51
純文学の将来を真剣に考えてみた うーーーーーん
11 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:41:51
純文学の未来を考えるために 20レスまでいかねば、と思いました 誰かぁぁ、御協力を
12 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:43:00
純文学の未来を考える未来は、いま君の手に握られている!
13 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:44:18
駄目だった。力つきた。 どうか俺を責めないでくれ ご め ん よ ー
今回の茶川賞と直本賞の結果について語る香具師はいないのか?
びくっ、 まず受賞した方に「おめでとう」と言っても良いでしょう ところで、いま西瓜を食いながら、2chを見ている同士は 全国に何万人いるであろう
16 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 09:56:13
なんでもいいから、20まで、ageでいこう、ageで
17 :
アウトロー祭幹事B ◆YuYey3lGeE :2005/07/15(金) 09:59:17
18 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 10:00:31
純文の将来に俺も危機感をおぼえる者である だが、文学を支える印刷所とインターネットがいきなり なくなることもないであろう つまり、俺は俺が小説を発表できる場所について ぜんぜん危機感を抱いていない 純文学、がんがってくれ、俺もがんばる
19 :
1 :2005/07/15(金) 10:02:17
その調子、その調子、おれはこのスレの即死を回避したい なぜならば つづきは 次のレスで--------
20 :
1のつづき :2005/07/15(金) 10:04:44
なぜならば、この板の下の方にあるスレを はよう倉庫おくりにしたいからだ 純文学のために! 20まできたね 短期的な目標があると モチベーションもあがるわ 我、勝利、君も勝利、うれピー
おめどとう。以下、sage進行で、よろぴく
ただの宣伝だろ。 私怨レスはやめれ。
24 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/15(金) 12:07:06
>>14 ネーちゃん達の身辺雑記の受賞が続くようではオシマイだろうが。
その意味で今回はまあまあだったんじゃないか。
ところで村上龍センセイはまだ審査員なのか?
パーン _, ,_ _, ,_パーン
パーン_, ,_ ( ・д・)(・д・ ) _, ,_パーン
( ・д・)☆ミ⊂ ⊃彡☆(・д・ )
⊂彡☆ ☆ミ⊃ パーン
))Д´)
>>22 , ,∩彡☆ ☆ミ∩, ,
( ) パーン ( )
パーン パーン
七誌☆ウザ
( ・∀・)⊃─[]ガッ
[ ] (´∀` )←
>>26
アトラって仕事してんの?
29 :
らと吉 :2005/07/15(金) 23:06:48
とどのつまりは金ナのだ、
なんだ、いたのか? といいつつ、20分経過。w フランツは良いな。 サミュエルはおれにはまだ判らんが フランツはほんとに好きだ。
31 :
らと吉 :2005/07/16(土) 01:47:58
ふ々ん。。 残り香を薫る愉しさか。 雨が降りぬき、誇り散る。。
32 :
らと吉 :2005/07/16(土) 23:09:07
ブン学は、みな、哀れダ。 しかしまだ足りない、あな、哀れさが。
33 :
らと吉 :2005/07/17(日) 10:19:12
もう猶予はないぞ。 次を、今後を語りたいのなら早いほうがいい。 最後の一歩手前を楽しむのはもう良いだろう。 あるのならばピエロを演じて見せてくれ。 しかしそれで猶予を請うことはできない。
だからまだその後があるんだよ
終わった終わった言われてて、その終わった廃墟の中から 先に進む何かが不死鳥のように出てくればええんじゃなかろうか、 というか、文学の歴史ってそんなんじゃないかしらん、と
>35 そんあ頓珍漢なことじゃない
>あとら プロローグだけか? 本文は晒さないのかい?
38 :
らと吉 :2005/07/17(日) 22:08:50
>34 その言葉は聞き飽きたよ。 あるのなら、君がやって見せるべきじゃない?
>38 先があるつう意味じゃない。その先はない。 戻ってからの後があるつう意味だ。
40 :
らと吉 :2005/07/17(日) 23:32:33
あねたの云うことはあと々効いてくるからノ〜。 どの地点に着地するのか? 不安の中蹴りださなければ跳ぶことさえもできない。 風で押し戻されて後ろに地点に着地するなら、 いつか無風でも別地点に飛び着地するということ。 それが前かアトかどの角度なのかは別問題ダ。 その人が着地する最良の場所がある。 求めるべきものがあるのなら、戻るべきでない。 それで落ちて、どこかへ着地するのなら、 それがあなたの地点だ。
>40 そんなロマンがあるなら苦労はしないさ、まあ逝けよ
42 :
らと吉 :2005/07/17(日) 23:49:54
>ええんじゃなかろうか、 showにしては弱気な発言ダナ。 おまいがやらねば、だれがやる。 オワルっちゃうんぞ。
43 :
らと吉 :2005/07/18(月) 07:29:21
時間や××は限りあると思ってあせる必要はないが躊躇せずニナ。 そりでは、またネ。
44 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/18(月) 13:02:44
川端康成と五木寛之は似ている、そのデラシネ風のところが。 角田光代はどうだ? 彼女もこの系統にあるような気がするのだが。
45 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/19(火) 15:46:00
純文学を、真剣に、ってところが笑える。
46 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/19(火) 16:42:22
というか、そもそも純文学の定義があやふやですね。 外国じゃ、そんな風に言わないし。 どういう作品をそう呼びますか?
47 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/19(火) 17:12:52
「蹴りたい背中」とかじゃないの?(苦笑) たしかに「なんだかなぁ」って感じだったけど、 実際比べるとうまいんだよね、俺より明らかに。 そんな俺に苦笑。 純文と聞くと芥川しか思いつかない。
literary fiction (文学的虚構)と呼ぶらしいけどねぇ 英語では。 「外国じゃ言わない」ってみんな言うが、 外国って広すぎるだろ。 ちゃんと確かめたのかよ。 あ、そっか「純文学」とは言わないよな、他の国では。 これ日本語だもんね。 なるほど。
誰かが言ってたが、ピンチョンとシドニィ・シェルダンはやっぱり違うし、 スティーブン・キングも「ずっと批評家には三文文士扱いだ」とぼやいてたので、 そういう差異はあるでしょう、やっぱり。 pureという表現はしないにしても。
芥川龍之介の作風では芥川賞はとれない、という笑い話があるが、 実に本質をついている。 久米正雄なんか、ドストエフスキーの作品は大衆小説という認識 らしい。つまり自分の作品みたいなのが純文学だと言いたかった のだろう。
単に文学でいいのに何でわざわざ純を付けるのかってことだよ。
五木寛之は純文学ではない。直木賞をとってるから。 舞城 王太郎は純文学である。芥川賞候補になったから。 こんな馬鹿げた区別をしてるのは日本だけだろう。
その「日本だけ」ってのが、 自虐にしろ、「日本特有だぜ」的なナショナリズムを匂わせてて いやんな感じ。 150以上も国あんのに比較もしないでよく言える。
>>53 だから「だろう」といってる。
ピンチョンとシドニィ・シェルダンを比べるような卑怯者よりましだw
読み比べても明らかにこれは純文学で、
こっちは大衆文学(エンタメ)だと区別が出来ないような作家に
区別を付けることのおかしさを指摘している。
55 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/19(火) 21:18:52
日本語をしゃべるのは日本人だけだが? いや、外国人にもしゃべる人はいる。
この話題になると必ず小が向きになるのが面白いw ついでながら、日本においても海外の作品を純文学と呼ぶことはあまり一般的ではない。 「アメリカ純文学」で検索しても、ほんの十数件しか引っかからない。 「アメリカ文学」だと六万件以上だから、その差はかなり大きい。 「海外に純文学はない」と言われるのはむしろ、 日本において海外作品を純文学と呼ばないところからきているのではないだろうか。
日本語は重いんだよ。だから純文学とか言いたくなる
58 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/20(水) 10:50:28
つまり誰もがよくわかっていない意味の無いものってことでいいんですかね?
たしかに純とエンタを分けてる日本では 両方に属性があるものの扱いはやっかいだな。 最近江国かおりを読んだが、おれには純に思えた。 でも直木賞なんだよな。 純と目されていて直木賞を獲った車谷はおれにはエンタに思える。 そういえばエイミーも直木賞だし、色川部大も田中小実昌もそうなんだよな。 彼らは純だと思う。 まー、どうでもいいけどさ。
60 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/20(水) 16:34:15
芥川賞作家と、直木賞作家がコラボしている昨今、エンタメと純文学を分けるのは既に無意味な行為だと思うが。
61 :
アト吉 :2005/07/20(水) 19:15:21
そう目クジラ立てるてることでもナイんでないン。 分類がうっと惜しく思うなら、ダイアモンド文学など自分で作ればいいダ〜。
でもエンタメと純文学を己の中で区別できない椰子がここにいるとは…
そういう意味じゃないんだけどなあw
厳然としてエンタメと純文の区別はあるのだから 中身の話をしようよ、な
区別があるから書くほうはのびのびできない ってのはあると思う。 エンタ寄りにしようとすると筋だけに重きをおいた軽いものになるだろうし その逆も。。。 公募という入り口からして純とエンタを分けてるんだから 「在る」とおもってりゃいいわな。 垣根を取っ払うような気概のあるやつは、まずはどっちに通らんとな。w
赤目四十八滝はエンタメでも、塩壷は純だぜ 車谷 ブルースやじんじんはエンタメでも、王国記は純だ 満月 吉行も美少女なんかはエンタメだ さて、三島だが、…
人によって基準が違うから。筒井康隆は綿矢りさをエンタメと看做している。
>67 たぶんそうだろう、空っぽのお嬢さんだろ w
文学的に優れている作品を純文学と呼ぶのなら、純文学に駄作はないってことになる。
逆に純文学が駄作かと考えるなら、駄作じゃないと答えるしかない よって純文学に駄作はないと言える。 w
作家じゃなくて作品で分けた方がいいんだろうな、やっぱ
72 :
アト吉 :2005/07/21(木) 20:08:17
>垣根を取っ払うような気概のあるやつは・・・ MJもその一人だから、やらねばなるまぃナ。 もうキは熟しているだろうに。 本気になれなぃかもしれないが モロイを読んだからには逃げれんゾな。 モロイになれないとしても もうすでにモランの域に入ってるダロウ〜。
本気になって何かをやるってのは あれはガキのころから習慣をつけてないと本気の成り方がいまいち解らん。w ガキにつまらん勉強を強制させ競わせるのも「本気」の成り方を学ばせるにはいいのかもな。 おれはガキのころはギター弾きになりたかったが 「人前に晒されて弾く」なんてことはとても無理だと思っていた。 だから無駄な努力と知りながらも部屋に篭って何時間も弾いていたなー。 だがこれは「本気」とはちがうんだろうな。 「本気」の成り方、おしえれ。。。
上げで堂々と恥ずかしい純文学論を延々と書き込み続ける、それが本気だ。
75 :
アト吉 :2005/07/21(木) 21:43:47
あ〜〜、 歯がゅ w
wってあんただったのか。なるほど。
恥ずかしくない純文学なんてないだろう? 要はそのテレをどう扱うかじゃないの?
ていうか、地味なんだよ。文学って。 もっとパフォーマンスしろよ。作家のおっさんたちは。
派手な文学って? あるの?
いや、だから文学は地味だって話をしているんだよ。 もっと弾けろよ。
中原や町田を俺は薦めてるのにここのおっさん方は一向に頷かない。
>80 弾けて散れとな?
いや、町田は好きだよ。 貴重な作家だと思う。 でも人前でパンクできるようなやつがなんで小説なんて書きたがるのかな? その点は中原の方が納得できる。
野坂なんてそうじゃない? 歌をうたい芝居をやり挙句の果てに殴るんだ w
野坂の歌は本気じゃないだろ。w 悪趣味と知りつつシャレかましてるんだろ。 町田の「犬」は聴く限り本気。
もともと文学なんて弾けるものを内に押し込めて発酵させ 徐々に外に出してくものだろう? 謂わば原子力の平和利用だ 爆弾にして爆発させたらそれでおしまいなんだろ? ちがう?
違う。 垂れ流しだよ。消化不良のものをだらだらと。
まー、言いたいことがあるけど言えないやつがやるものだな。w 基本的にはそういうものだよ。 あと生まれつき「言語」に秀でている者はいて そいつらも流れてくる。 幼少時から岩波文庫読んでるやつとかたまにいるじゃん? そういうやつ。
言葉に秀でる奴って、おしゃべりってことか? 読むのと書くのはやっぱ違うと最近思った。
ヒエログリフを解読したシャンポリオンが言語に優れていても 小説は書けないだろ? どもりを直すために落語家になったのもいるし…
>>89 いや、おしゃべりで「言語」に秀でているやつは少ない。
おれの経験からいえば。
おれの家にはおれがガキのころから文学の全集が揃っていたが おれはまるで読まなかったんだ。 文庫本なんて16歳くらいのときは初めて読んだ。>遠藤周作のエッセイ「グータラシリーズ」 「言語」センスのあるやつなら、自然とガキのうちから読むようになるんじゃないか?
ピカソもモーツァルトも、ガキだったからな。
まー、おれは作家は信用してなかったからな。 遠藤なんて、グータラシリーズで自分がいかに駄目で劣等生だったか、 を面白おかしく書いてあって、それなのにガッコの国語の教科書には「白い人」の抜粋が載っていて 経歴も陸の王者とおふらんすだし。w まー。人生の勝利者が余裕かましてそうでない大多数に「おもそろい話」を恵んでいるのだ思っていた。 僻みっぽかったのかもな。。。w
ピカソもモーツアルトもガキだったが 演奏も作品もガキらしくなかったんだよ
97 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/21(木) 23:04:14
恥ずかしいことは上げでやらないと
べつに上でもいいが人が来ないじゃん。w
あときちさんとやらについてのデータは?
でな、川端の「16歳の日記」を、つい最近までマジで16歳時に書いたものだと思ってたり。 作家は嘘つきだわな。。。
>100 まんまじゃ作品にならないだろ? 子供じゃないんだから…
アト吉は旧またり文庫で「第二の吼え声」を発表して おれが初マンセーを入れたやつだよ。 それ以外もあるようだが、本人に聞いてくれ。。。w
いや、あれは早熟の天才が書いたふうに纏まってるよ。 嘘つきめ! おれは20年以上ガセネタを信じていた。。。w
「羅生門」は本当に十八とかだよな。
芥川はを羅生門を18歳で書いたの? すげーな。早死にするわけだ。w でも最後の一行は若気の至りだったんだな。
芥川の旭将軍は本当に十六歳みたくだ…
ちなみに、羅生門は十八じゃないだろ? 鶴なよ
は? 羅生門18歳説はネタか。w
ごめん、二十三だった。丁度小と同い年くらいだ。
じゃあ俺も古典パクるかな
「虫愛ずる姫君」はいつか翻案したいなぁ。
更級日記の足柄山はいろんな処でパクられてるね…
をいをい、堤中納言よりポピュラーだぜ?
読んでないもの。 俺は堤中納言派なので。 古典の中で最高傑作は堤中納言だと断言できる。
>115 最高峰は今昔物語だろう…
小はおれのいう「言語センス」のあるやつかも。 ジョイスを言語で読むなんて、おれには「漢!」って感じ。
>>117 いや・・実は「読もうと思った」だけで
手は付けておりませぬ。
長いんだもの。
やろう、と思うだけでもかなりなものである。w おれは絶対思わないもの。 そういえば、むかしポーの「黒猫(抜粋)」を原語で暗記させられたことがある。 あれは苦痛であった。。。w
「ユリシーズ」は原語以前にギリシャ神話とか旧約聖書とかアイルランド民話とかに精通してないと訳解らんらしい。 今度体調のいい時に翻訳ものにもう一回チャレンジするつもりだが 旧翻訳と丸谷が絡んだ新翻訳とで迷うな。
いや・・フィネガンを翻訳で読んだときに、 「これは原語じゃねーとわからんな!」と諦めただけだから。 カーヴァーとかなら結構読めるよ。 試してみるといいかも。 平易な英語だし、味わいあったよ。 ・・って言っても、俺は翻訳で読むほうが圧倒的に多いからね、正直。
え? わたつみと聖書の件で争っていたあれは何?
わたこな。
原語じゃねーとわかんないもんがある、という問題と、 俺が実際に原語で読む、っちゅうのはまた全然違う話よ。
さて寝る。
>124 当たり前のことを声高に言うのは止めろよ 恥ずかしい…。
君は誰?
128 :
アト吉 :2005/07/22(金) 08:10:01
>データー・・・ か? 面白いこと言うナ。 自分のデーターとどう折り合いを付けるか。 データー変換だよナ。 オリにはもう何もないから、あねたのデーターを見せてくれ。 完成していないのならトコトン付き合うじぇ。 そんかわし、パクッぅぅッ 茶受うケンドw
129 :
アト吉 :2005/07/23(土) 21:30:13
別にマジになる必要はないヨ。 もういい年だし、それは無理サ 今で十分。 雑音を防いでノート用意すれば良いと。 何もする必要ない。 それだけサ。 これが全自動マジ落下装置サ。
マジになったほうがいいんじゃないかと思うが、 俺が若いからかな。
131 :
アト吉 :2005/07/24(日) 05:55:11
夏みかん、と、くん製。 どっちがうま味がある? 読者はくん製を選ぶ。 作者は咽から出てくる臭い塊りを潰す。
132 :
らと吉 :2005/07/25(月) 11:16:38
作:MJとして堕そう。 ウフフ
う`〜ん。。。 ついに愛想ツカされたか。 オリの「巣食い」とMJの「酒の大過」は対極に位置してる。 おそらく、砲声も壊れ逝く先生の姿に、そこにマンセーしたのだろう。 だとするとオリは復習しなくてはならない。 samaも最後で一体化、呑み込まれることで、折り合いを付けたとする。 中間点の幅の中での針の揺れだろう。 だからmjあんたは診せなければならない。
愛想ついてないが。。。そうせかすなや。。。w 書いたらちゃんと見せるよ。 おまいは書いたみたいだな。 ただ、おれの書くものが全人類的になるとは 全然思えないんだよな。 このスレじゃいろいろほざくんだが。。。浮かぶのは卑小なことばかりさ。
135 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/25(月) 23:50:35
らときちは首だ。
136 :
らと吉 :2005/07/26(火) 06:54:14
オリの念波もここまでか。 届かないものだナ〜。 世の中うまく逝かないものカナw 菌はオリの根を食らってるヨ。 除菌、頼みましたゾヨヨン。
137 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/26(火) 18:06:20
早い話があげ
早い話があとらって池沼?
あいつは思索者。 めったにいな本物っぽいやつ。 人類を救うことを本気で考えてるやつ。 広くスパンをとって考えたら それは「宗教」が受け持っていたのだが いまはダメっしょ。 その後の「宗教」に変る人類救いのツールを本気で探しているやつさ。 まー、その「本気」の部分は既に倉庫にあるこのスレの最初から紐解かないと分らんと思うよ。
本物かどうか今ひとつ納得できない べけとの思索が凄すぎて、囚われたまま逃れ得ないのじゃないかな… オリジナリティがなけりゃ本物にはなれまい?
141 :
らと吉 :2005/07/26(火) 21:22:57
オリは終わっちったから、もういいヨ、 MJをやる気にさせてやってくれ。 フェイク噛まさせるナ!!
フェイクかどうか噛んでみろよ!!
143 :
らと吉 :2005/07/26(火) 21:35:06
オリは歯槽ノーロー寸前だから、、、 その、、、 のォっ? w
144 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/26(火) 21:38:36
ジェイムスジョイスはモー娘。あれ? 一発変換できた。 最近の辞書には登録されているのか。
やる気はあるよ。 時間はいくらでもあるじゃん。。。w それより、おまいは書いたのをどっかに送れよな。 通る通らないは知らんが「縁」があれば読めると思うと嬉しいぜい。w
146 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:03:16
まぁ、オリのことはともかく、 いや、ともかくでなく、 仕事やめてまでやろうとしているオリに対して、 なんかこう、 すっつれいというか、 先輩として、 なんかアドバイススレや、というか、 オリが絡みつくわけが、、、 うッっ・・・・・・
おまい、勝算がなくてやるなら、単なるバカだぜ? まあ、漏れもMJもバカだが… w
148 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:36:32
オリは強欲なノンだが、 世に問うなどパガ下駄ことはやらんゾナ。 面白フォース四人にそれは撒かセトナw
149 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:38:06
オリは強欲なノンだが、 世に問うなどパガ下駄ことはやらんゾナ。 面白フォース四人にそれは撒かセトナw
150 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:39:36
オリは強欲なノンだが、 世に問うなどパガ下駄ことはやらんゾナ。 面白フォース四人にそれは撒かセトナw
151 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:41:47
オリは強欲なノンだが、 世に問うなどパガ下駄ことはやらんゾナ。 面白フォース四人にそれは撒かセトナw
152 :
らと吉 :2005/07/26(火) 22:43:04
そっちは、 面白フォース四人にそれは撒かセトナw
>仕事やめてまでやろうとしているオリに対して、 なんかこう、 すっつれいというか、 先輩として、 レスのやり取りから思うにおまいの方が先輩なキガス。 おれはほんとにおくてで、書き始めたのが40過ぎだぞな。 実生活にかんしては、とてもアドバイスできる立場にないが おまいが下した(辞職とか)結論は 「人知の及ばないところで決定された大いなる意思」 くらいに思っとくことだな。 結果(当選とかの軽い話じゃないぞ)がまちがってたら 「人知が及ばないところで間違いがおきた」 と思うべし。
154 :
らと吉 :2005/07/27(水) 06:14:22
大飯奈留意思でもたれの意思でもなく、 MJアンタの意思ダヨ。 (ンフ
羅生門は、すべてにおいて、典型を書いてしまい、かえって嘘になっている。 主人公の、ものの見方が浅いのは良いのだが、読者にとって、世界のかたちが浅いのは良くない。
ジョイスは、すべてにおいて、典型を書いてしまい、かえって嘘になっている。 主人公の、ものの見方が浅いのは良いのだが、読者にとって、世界のかたちが浅いのは良くない。
157 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/29(金) 23:41:05
羅生門のどこが典型なのか詳しく。 ジョイスのどこが典型なのか詳しく。
158 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/29(金) 23:48:12
あとらよ、mjはロマンチストなんだよ 大いなる意思が必要なのだよ、あとらとは違う まだ近づいてはいないのだよ。
159 :
らと吉 :2005/07/30(土) 00:06:52
ふ〜ん、なるほどナ。 すかし,「何を書くか」を言葉にできてる人は少なぃ。 MJはそれを言葉にできている少ない人ナノダ。 なのに、MJは 「真摯に書けば何を書いても響くと思う。。。」 とのたまふノダ。 歯痒さを通り越してしまぅ。
160 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/30(土) 00:10:12
まあ、気長に待てよ。世に出るのが先だ。 世に出ないで書いても悲しい。
会社をやめた!? ・・うーむ。
162 :
らと吉 :2005/07/30(土) 00:43:00
まだ、だお。 そんな小さぃ漢ダからな。 時間が金に換算され、腹ばかりが出る。 飼われた豚、家畜なんダナw showも暇つぶしに金、火星で恋よぃw
まだ将来は考え中・・
う〜〜ん、おれは短気だからなあ。 アトラよ、よく言われる「二兎を追うものは〜」って格言におれは賛成するのだが。 カウンセラーからの、一兎ともう一兎の間のグレーゾーンを意識して広げることが 健やかに生きるこつであるとのアドバイスもアタマでは理解できても これまでの白と黒の間のグレーゾーンを無視してき生きてきた慣習を変えることは無理なんじゃないか と心の底では諦めてることろがある。 しかし、こはおれ固有の事情であって ここでほろ酔い気分でのレスのやり取りが 前途有望な青年の精神に影響を与え、生活者としても芽を摘んでしまうかもしれないことが心配だなー。 まー、おれの思い上がり的な杞憂かもしれないが。 おれのいまの状態は「そうなろう」となってなったわけはなく ボーといているうちに気が付いたらこうなていて、 今の社会情勢とおれの置かれた状態から、小説を書くくらいしか小説を書くくらいしか残ってないんだよ。 中途半端にオヤジだから、まだまだこれから人生はうんざりするほど長いし 市民生活者としては望む形にはならないだろうからさ。 眠剤三粒飲んで、へべれけでレスしてるから まるっきり空振りなレスかもしれないが。
>>164 そうそう、年を取って考え方は変わっても、生き方はなかなか変わらないよね。
>前途有望な青年の精神に影響を与え、生活者としても芽を摘んでしまうかもしれないことが心配
大丈夫だ、前途有望な青年ならこんなところは見ていない。
>おれのいまの状態は「そうなろう」となってなったわけはなく
>ボーといているうちに気が付いたらこうなていて、
>今の社会情勢とおれの置かれた状態から、小説を書くくらいしか残ってない
俺もそんな感じだ。年もそんなに離れてないし、MJと俺は似ているのかもしれないな。俺は名無しだけど。
書かないとわからないことがある、それが最近わかってきた。小説じゃなくてもいいからとにかく何でも書いてみる。
レスでも何か気づくこともあるだろう。積み重ねれば形になることもあるだろう。それでいいんじゃないか。
でも酒はほどほどにしとけ。
167 :
らと吉 :2005/07/30(土) 11:27:37
やさしぃな、MJは、、、 やわらかぃから。
>>165 おれは書いてるうちに書くに到った「衝動」のようなものからどんどん離れてしまう。w
で、疲れてきたら強引に〆る。
そんなんばっかりだす。
でも、レスのやり取りから触発される部分はたしかにあるよね。
ひとつは「情報」。
ベケットなんてここで教えてもらわなかったら読まなかったと思う。
読んだら読んだで解らないから、解ろうといろいろやってみる。
・まずは文学史のアウトラインをつかむ。それでやっとベケットの史的意義が判る。
・じつは文学史と密接に関係するな哲学史の上っ面だけでも調べてみる。
・哲学が神をどう扱ったかを上っ面だけでも知る。
・ニーチェ→ベケットの流れではないか? といい加減な仮説を立ててみる。
みたいに拡がってくる。
なかなかスリリングだよな。
全然関係ないんだけどさ、バイト先に西川笑子ちゃんってのが居てさ、 もう一人西川さんってのがいるから、笑子ちゃんのネームプレートが 西川(笑)なんだよね。
大体、「氏ね」とはなんですか。 言葉遣いがなっていません。貴方の教養の低さの程度が伺えてしまいます。 そもそも、人に物を頼むときに命令口調というのが間違っています。 「すみませんが、宜しかったら氏んで頂けませんか?」と 相手に対しての謙譲の心を含ませるものです。 そうすれば、言われた方としても 「じゃあ、ここはひとつ氏んでみようかな?」という気になるというものです。
172 :
名無し物書き@推敲中? :2005/07/31(日) 13:03:23
要するにこのすれはアトラが愚痴るためにあるんだな。
173 :
らと吉 :2005/08/01(月) 07:50:53
べけとが生まれた日は、 イエス・キリストが磔刑を受けたとされる日だった。 アトから親から聞いたとして、自分でサゾびっくりしたことだろう。 彼が死んだ日もいわくツキだ。 キリストが生まれた日だったっけかな? 嘘みたいな本当の話。 彼とキリストは斬っても切れないのぅ〜。 そこで深く際悩んだろうネ。
174 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/01(月) 23:16:54
キリストとは縁をキリストることはできない。
あの過剰な虚無はそういうとことからも来てるのかな。。。>べけと キリストったて、確かに偉いやつだったどらろうが、経典は後付けだからな。 でも、近代以降はイエスに代わる人はまだでてないのも事実だな。 後にべけとがそういわれるには、あまりにネガティブ。
176 :
らと吉 :2005/08/02(火) 00:01:05
イエスを神座のから下ろし、 普通の人間にし、 さらに人間の座からも下ろし、 動物以下にし、 パロテェー化し、 文学界のイエスとなっちっタ w
177 :
らと吉 :2005/08/02(火) 00:55:26
しばらく、黙るヨ。 MJの爆弾を処理してくるべぃ。 んンじゃぁ〜ネ。
178 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/02(火) 22:25:27
広く人気を得て、しかもレベルの高い「純文学」のカリスマの登場を求む
春樹はいい線いってる気がするけどな。 小難しいのはだめだ。 イエスやビートルズのように解りやすくないと。
180 :
小泉誠二 :2005/08/02(火) 23:20:50
181 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/02(火) 23:30:47
大江健三郎は難解。
馬小屋で生まれたイエスは、すくすく育ち すると街では噂に。 「イエスは神らしいぞ」「イエスはキリストだ。キリストに違いねえ」 そこでイエスは言った。 「おいらはキリストだあよ」
184 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/05(金) 12:56:39
大江は難解というよりもメガネ
185 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/05(金) 14:32:04
大江はメガネというよりも口下手
186 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/05(金) 14:35:46
大江は口下手というよりもノーベル
187 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 18:00:04
MJが大江を越える日が来るか。 やつはとりあえず飲み会に行ってるらしいがw
188 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 19:58:50
大江はもう衰えてるからな。抜けるだろ。あいつもピンチランナー調書ぐらいからおかしくなりはじめたよな、三島由紀夫が死んだ時期か。 結局、三島がいなくなって、腑抜けになったんだろう。三島由紀夫がいたからつらいけど頑張れたんじゃないか。ジョン・レノンが死んだポール・マッカートニーみたいなもんだな。俺にとってのオメガ石松のような
189 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 20:02:16
三島が死んじまって、王様になっちまったんだよ。それで自分勝手な同時代ゲームとか書きやがった。
190 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 20:04:57
大江健三郎が死んでも、日本文学には何の損失もないだろうね。いまの現状を考えると。三島みたいに45ぐらいで死んでたほうがよっぽど刺激になっただろうにな、
191 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 20:08:12
いったい大江健三郎のどこがすごいのか俺はまったくもってわからないね。あいつの小説よんで感動したことなんかないね。 ただ、文章が文学的だってことだけだろ。うまいっていうかみみずが這うみたいにひねって、引っ掻き回した文章だけが取り柄の奴にすぎないんだな。 それでみんな騙されてしまった。この板にもそんな奴が一人いるね。ああ、たしかに文学的な文章だね、って、それでどうしたんだい?って問いたいよ。
192 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 20:11:28
それが純文学なのかよって、その形容に形容しまくった文章をもって純文学なんかよって、俺は、言いたいわけだ。言いたくはないか。酔って書いてるだけってのが実相なんだけど、
193 :
オメガ石松&罧原堤 ◆SF36Mndinc :2005/08/06(土) 20:12:47
それより井上靖の”緑の仲間”なんだよって、俺は、言いたいわけだ。あれこそ日本文学の最高峰なんだよってな
194 :
らと吉 :2005/08/06(土) 22:12:45
大江を馬鹿にするのはいいナ。 ただなんで井上をべた褒めする。 靖を捨てろ。
195 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 22:13:59
この対決はおもしろそうだ。
196 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 22:15:40
大江は沖縄守備隊の遺族に訴えられえてるね そんな迂闊なノーベル賞なのかねえ?
大江なんて問題外だろ。w あれはガキのころに作文が得意だったやつの文章。 気取った複文がうざい。。。
198 :
らと吉 :2005/08/06(土) 22:38:04
障害者、身障者、非けんしょう者、 これらは文学になるか、という問い。 そしてノーベルをもらったのは光ちゃん。 大江は今も勘違いしているのナw
そこそこ書けて子供が身障者。 ケチつけににくいシチュエーション。。。
200 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 22:46:13
この訴訟で大江の価値が決まるね。 自決を強要されたと言ったのは年金目当てだと… 己の非を認めるのか認めないのか、大江 いい訳するようなら、お終いだね。
201 :
らと吉 :2005/08/06(土) 22:47:17
彼は光ちゃんが生まれたとき、 もっと別のことに気づくべきだった。 キョウカイをバックに付けて、そのことも、 また自分も完全に失ったのだ。 まぁ、それが彼が求めえた楽園なのだろう。 それならそれでよし。 そこまでだ。
>自決を強要されたと言ったのは年金目当てだと… なにこれ?
初期の短篇は好きかも。。。 >ししゃのおごり
204 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 22:50:58
>MJ 知らないの? 沖縄守備隊長の遺族が大江を訴えた。 住民に自決を強要したことはない。住民が軍に自決を強要されたと 証言したのは、年金目当ての嘘だと、、 大江等は文章で守備隊長が住民に自決を強要したと書いたのだろう。
>>204 知らんかった。
作家の妄想か真実か。。。
だが、作家が確証もなくそんなこというかな?
206 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 23:07:20
戦後の日本には左翼に都合のいい嘘が罷り通っているのだよ。 それに手を貸しているのは間違いない、つうか、旗なんだな…
作家に限らず、庶民は左よりの姿勢でないと 資本家や政治家に食われるぞ。
208 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/06(土) 23:12:27
右でも左でもいいが、騙されるのは真っ平だね
209 :
らと吉 :2005/08/06(土) 23:41:12
しかし、大江は文学とは違ったものをやりたいとも逝っていたな。 この視点はいいナ。 「彼はそれが今できているのか」 「アジアに目を向ける」 それができているか。 知りたいが、おそらく無理だろうな。 堤のような天才型でナイト
おまいは堤も読むのか。w あれはそーいうのはやらん方がいいキガス。
211 :
らと吉 :2005/08/06(土) 23:55:32
とにかく、少なくともね、 鈍に文学を任せてほしくなぃ。 嘘がうまいのはかまわない うわすべり続ける言葉を吐いてほしくなぃナ〜。 。
だけど、おまいにとって「嘘」がないのはべけとだけなんだろ? あの過剰な「素」や「虚無」は実世界のデフォルメであろう。 イエスみたいな虚言はいまは無理だからな。 最近哲学史的な本を読むのだが、ニーチェまでくると硬直。。。
213 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:07:20
何が大切なんでしょうか? わたし達にとって大切な情報とはいかなるものなのでしょうか? わたし達にとって大切な意味とは? わたし達にとって大切なものとは?
214 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:09:40
>213 その、わたし達つう言葉にもう嘘がある
215 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:10:10
わたしとあなたではもう違うのだよ
216 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:10:37
それはニーチェがバカだからだよ。
217 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:14:18
どちらかといえばわたし達という感覚を失っているからこそ 世界は終わった方がいいと思うんだけど。
218 :
らと吉 :2005/08/07(日) 00:15:44
ニーチヱの時代は、まだ、神と人間の図式しか存在していなぃ。 べけとは神に冒されながらも、人間の視点でどこまでも、透徹した目で捉え続けた。 すると、力あるお笑いになった。 どこまでも、ものがなしぃが、たまにそれを超えるものが見え隠れする。 解放ったと言える。 今はさらに上が求められる。 もちろん、それを意識する必要はなく、 自分の楽園を描けばいいのじゃ。
いや、ニーチェの主張があまりに当然で思考停止。。。w
220 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:17:58
そこが現代の嫌なところだ。
で、最近の流れは べけとは結局ものがなしかった。 だが、人間は(生物は)これからも在りつづけるのだから ものがなしい、では済まない。 遺伝子は決してものがなしいとは言わない。 以降の文学は肯定的なベクトルに向かう。。。らしい。w とすると、おれはアナクロもいいとこだな。w
222 :
らと吉 :2005/08/07(日) 00:30:05
そう、MJの持っている爆弾は、どう扱っても肯定にはならない。 だが、そこがすばらしぃ。 オリのモノと一緒に爆発した。 取り返しはつかない。 文学は潰える。
223 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:30:42
わたしたちと言う時の二面性、 わたしたちと言う言葉には常にわたしが隠れている。 それに気づかないで使う者の迂闊さ、浅墓さ、 だからアジテーター以外には使わないのだよ、わたしたち…
224 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:32:01
不発弾は粗大ゴミだよ
225 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:33:16
断言しよう。 誰に言っているのかわからん。
226 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:37:11
わたしたちには常にわたしが隠れているって当たり前じゃん。 俺は迂闊で浅墓だった! アジテーター以外には? 使わないでいよう。
爆弾なんてものでなく、 片隅に追いやられたやつの虚言みたいなものですがな。w いや、マジでニーチェの、貧民の僻み→倫理、それにより精神性を保つ貧民→即ち秩序 という図式のなかで色々草臥れてきますた。。。
228 :
らと吉 :2005/08/07(日) 00:56:57
サラリーマンが乞食をまたいで 「ああ、こうならないで良かった」と思い、 乞食は、サラリーマンに 「ごくろーさん」と言う図式。 確かに、苦労ーさん、ナノダw
229 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 00:57:35
なにもしないのに草臥れたか…力を抜けよ
三々五々の話を読んでいたとは
231 :
らと吉 :2005/08/07(日) 01:18:39
どんな人間も墜落する可能性があるから MJ's-atomic-bomb を無視できなぃはずさ。
232 :
小泉誠二 :2005/08/07(日) 03:49:00
私は人一倍、墜落願望が強い少年だった 夏が来る度、思い出す。暗い夜道を一人、彷徨い歩いた二日間を。
233 :
小泉誠二 :2005/08/07(日) 03:53:11
不思議な事に夜は一向に明けなかった それは私の夢、或いは幻覚だったに違いない。美しい幻覚だった
234 :
小泉誠二 :2005/08/07(日) 03:57:42
つまり私が言いたいのは、純文学は美しく在らねばならぬという事だ。
235 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/07(日) 17:35:33
Bだから国家うらんで当然 がきが障害者でも当然
236 :
らと吉 :2005/08/08(月) 01:57:28
showの言っていた自動筆記みたいの良ぃヨ。 推敲も何も一切しないで、ノートに奔り書くノ。 考えるより生むがやすし(違ったっけなw) 、、、また、パクってもうた w mjもやって味噌〜な〜。
237 :
らと吉 :2005/08/09(火) 04:28:27
しかし人間は矛盾だァ〜けの生き物だなw 矛盾との整合。。。 そんなこんなで四苦八苦w
238 :
らと吉 :2005/08/09(火) 22:47:46
すかし、この自動筆記みたいもんはプロは当たり前にやってるんだモンナ。 それであのクオリテェ。 詩にてぇ〜ナ〜モゥ〜
239 :
らと吉 :2005/08/09(火) 23:08:17
風呂に入りながら、ひたすら思い付きを書いていくんだが, まぁ、その、MJのゆっていた「意識の流れ」みたいのをなんか意識するヨ。 つまり、自分で何が言いたいのか、言いたくないのか、なぜいえないのか、 なぜいおうとするのか、を ひたすら、追いかける。 つまり考えるのではなくて、ある繰り返しが、自然と纏まろうとするノネ。 すかしどうしても終わりから入ってしまうオリは、 その繰り返し、その変化を怠惰で避けてしまう傾向があるんし。 かっこわりーんじゃなぃ、とも思ぅしで、 風呂から出たら、少し余韻に浸って、やめてしまう。 からだもきれいになるし、血行はよくなるしで、一石二兆なんだが、 ちめたい湯に浸かっているので、 それを何度も繰り返すこともできずにいる。 風呂は疲れるし。 しかし毎日入れば、一日で4、5pageはいけるから、 遅筆オリにはすごいハイペース。 万人には勧められないが 風呂嫌いにおすすめの一筆 w
240 :
らと吉 :2005/08/10(水) 21:58:43
すかし最終的には意味不明になってぃくんだすうな。 そこが文学とその言葉の終わりの地点と思ぅ。 まぁは、ベケとがやっちまってる。 ふんとに偉大だなぁ〜〜。
241 :
名無し物書き@推敲中? :2005/08/10(水) 21:59:56
もういい加減気づけよバカ。
242 :
らと吉 :2005/08/10(水) 22:03:10
あぃ。。。
ごめん言い過ぎた。
らと吉は文学、言葉を考えていたのかい? 生きる事の意味を探して文学するのじゃないのかい? それにしちゃあ論理的でないなぁ…
245 :
らと吉 :2005/08/10(水) 22:08:48
気にスンナw その言葉を待っていた。 ありがとぅ。。。
246 :
アトラ :2005/08/11(木) 03:04:15
生きる意味について考えるのは、危険を回避しようとしているような気ガス。 喜びというファクターを通して生きる意味を見出そうとしていた時期があった。 とても危なっかしい橋を渡った気がするが、うまく逃げたような気もす。 そして現在、それによって変容しきったオリが居る。 つまりは、人類を救えないという確信。 そこにはもう生きる意味はなく、死ぬ意味のみ存在す。 他を救うことは自を救うこと。 自を救うことは、他を殺す。 そうして一人ぽっちになる。 救いを存在させようとする以上。人は滅す気がスのだ。 この矛盾との整合はありえなぃ気がス。
メシア・コンプレックス
248 :
らと :2005/08/11(木) 03:39:27
サンクス。 なるほど、オリの場合、文学で 救いが感じられないから、作り上げれないから、 文学にそこに付随する救いを敵視してるわけなのか、、、 ちょっと違う気もすが、丸々合ってるような気モス w
249 :
らと :2005/08/11(木) 03:41:54
ちょっと救われた気モス。。。 w
250 :
らと :2005/08/15(月) 09:27:06
アカン、アカン、 オリが救われたらアカンのやーーー!
251 :
ら :2005/08/16(火) 09:06:51
さて、今日もおフローの中で、 チラシの裏に書き込むかノ、、、 あぁ、何に酔いしれているのかノ、、、
252 :
ら :2005/08/16(火) 22:11:09
「文学は救いだろうか?」 と知人は問いかける。 そして、 「人は人を見捨てることができるだろうか?」 と問いかける。 「見捨てることはできない、、、だが、救いは救いでない」 と答える。 最後の嘆きの形成体を作り上げようとしている今、 そう言うことで、慰めにはならない。 それが救いに変わることを、祈る。 だが、いまこのとき、慰めはいらなぃ。
さぁ〜て、今日も、どこまで追い込めるッカ。 そうしなにゃート、何も出てこなぃJ。
この板で一番ポテンシャルを放っているのは、スギイじゃないかと思う。 人類の女子の終わりを物語った。 次に3355. 生と死のリャン面性を出してきたね。すぎょぃ。
いやぁ、フシだよ、フシ。 上に挙げられてる二人は「どうやって作ったか」が透けて見えるが、 フシに限っては全く見えない。 天才だな、あいつは。
そういう考えだから一次もとおらないんだろ
>>256 メールに携帯番号かくアフォよりマシだがな。
ふむ、 もともと文学は再生を求めていないのかな。 だから草臥れていく。 文学を人類の遺産として残すのは間違いなのかもしれない。
器が浅いから飽和状態。 まずは器にヒビを入れる。
救いのない世界だから、せめて文学だけでも救いを… つうなら解るが、それまでも救いではないと言ってしまうと お笑いにマジレスかますようで大人気ない
261 :
発禁 :2005/08/23(火) 22:21:17
死に直結する徹底的な精神の破壊崩壊絶滅の追求をやってます。 なんやらわからん「何か?」ではもう済まされない。 そこに救い入らないのです。 救われたらそこで終わります。 だがそれはない。 永遠に終わりは来ない、死が訪れるまで。 どこまで耐えられるでしょう。 主人公は刑事屋さんです。
離人症とか強迫神経症とか、疑った方がいいぞ? 今はいい薬があるからな、飲め
263 :
発禁 :2005/08/23(火) 22:52:12
うん。 たぶんいまやってることを見せたら、即入院させられますですね。 精神の奥底をえぐることそのものを無理やりやってるので、 正直、耐えられないんですが、 この死の香りの原因を突き止め、終わりにしたいのです。 もうそこにしか行くところがないのです。 海の底からどこまで落ちることができるのか、やってみます。
期待した程の物はないよ いくら実体のない精神でも逝けないところはある もちろん逝ったところでどうにかなるものでもないし…
やってみるのはいいが、成果を見せれよな。 行くなら可能な限りの深みまで行った方がいいな。
266 :
発禁 :2005/08/23(火) 23:07:28
まだまだ全然正常だから、追い込みが足りないと思う。 まだ作品として昇華しようとしてるから。大丈夫。 ただ一般の人があれを見たら、勘違いして牢獄に入れると思うw もう自分で入ってるんのにね。 まだまだ大丈夫。 精神は頑丈で壊れないようにできてるようですよ。 それを壊したい。
精神のいまの状態はどう? とくに自律神経系統。 眠れないとか動悸が速いとかあるか?
「引き換え」という発想はたぶん正しいが そこまでの根性は据えたのか? どうもその辺が判らん。。。
ハッキリと自覚できるだけだぞ? これから先へは逝けないと… ただ、あそこまで逝ったんだと、感慨に耽るだけだ
270 :
発禁 :2005/08/23(火) 23:19:38
ないない。 あくまで創作として刑事本人が刑事自身を追い込もうとしてるだけ。 犯人を追い込むのは得意でしょw 変な心配はなし。 mjのおかげで、気づくことができたよ。 自分の甘っちょろいものを。
ふ〜む。 おれはある意味根性は据えたぞ。 浮世を諦める口実になってないか常にチェックは怠らないが。 だから書きたくなるまでは書かない。w このまま書きたくならないで一生を終えても、それはそれで良し。 焦るな…。
違うぞ、いきなりは無理だ 富士山を眺めていてもしょうがない 眺めていれば美しい姿を観賞できるが 先ず登らなくては、三合目、五合目、練習だ 八合目ここらあたりから登れなくなる、でも休んでいちゃあいけない まだエベレストまでは遠い… w
ふむ、エベレストが頂上だとすれば 富士山なんてとっくの昔に登頂済み。。。だめ?。。。
274 :
発禁 :2005/08/23(火) 23:41:36
269 そうかもしれない。 だけど、気づきたい。 あなたのように先回りして、そこに居てくれたら、 嬉し涙の自分が見えますですね。 まだまだ甘いな、自分。
MJなんか五合目までは車で逝けるのに わざわざ浅間神社から登山道を辿っているのじゃないの?
>274 つらいから止めろと言っても聴かんナ… 嬉しくないぞ? 抜け殻のようになるだけだ
いや、そんなに簡単なものではないよ。 浅間神社が起点なら、やはりそこから歩かないと。
>発禁 君は純文学を書こうとしているの?
純文学か…夢をみていたにちがいない、って、解る?
このスレは「純文>その他」 のような浅はかなスレではないぞ。 純文属性のない者もヘンなヒエラルキーに毒されるなよ。。。w
そうそう、 そのヒエラルキーの呪いは強い。 俺も解けない。 ヒエラルキーに目配りするより、 己の文学を追及したほうがいいと思う。
282 :
名無し物書き@推敲中? :2005/09/07(水) 11:18:10
9
ラジオから聞こえてきた曲の歌詞にひっかかって、 そのフレーズがリフレインして頭の中に鳴り響いている。 森山良子の歌なんてどうでもよかったのだが、 ♪ 恋は命と同じ、ただひとつのもの ♪ つうとこ、このサビにひっかかった。 命と同じじゃないだろ? つうことだ。 でもこの恋と命とくっつけたセンスに参るな…
284 :
名無し物書き@推敲中? :2005/09/18(日) 12:49:35
>>283 今「日本語のレトリック」(岩波ジュニア文庫・瀬戸賢一著)を読み始めたばかりの俺に言わせれば、
あんた、バカ?
>284 あんたは詩人じゃないな…
286 :
無名草子さん :2005/10/17(月) 10:48:57
8
287 :
:2005/11/04(金) 20:15:27
放置スレに少し書いてみることにする。 長く続いたよいスレなんだけど、上の粘着なメンツにいきなり放置されたのは マヤの遺跡並の不思議ナリ。。。 大道環貴の「しょっぱいドライブ」を読んだ当時、 得体の知れない拒否反応に襲われたことを覚えている。 主人公の女の頭の悪さもさることながら、ツクモさんの尋常じゃない老けかた。 60くらいの男なんてまだ小父さんで充分通用する。 どう見ても70代のツクモさん、干物のような兄夫婦、ペラい性格の 昔の恋人…というか、片思いの男。 全てが歪んでしみったれてかび臭い、そんな世界。
288 :
:2005/11/04(金) 20:20:34
そんな中で、主人公の女だけはイメージとしてどんどん丸く肥え太っていく。 その姿がとても異様だ。実際は肥満ではなかったと思うが、 自分は幸せになるのだ、という信念がそうさせているんだろうな。
289 :
:2005/11/05(土) 15:05:48
ツクモさんは、あんな具合では持ってあと20年と言ったところだろう。 主人公もそれを解っている。 小金持ちのツクモさんの死後は、小賢しい兄夫婦がやがて口を出してくるのではという不安も そこにははっきりとではないが、書かれている。 けれど、主人公はその不安を考えないようにしている。 こういった破壊的な部分が多分私は不快だったんだろうな。
大道環貴に嫉妬してもしょうがないだろう?
291 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/06(日) 20:58:09
しかしさあ、文芸誌に載っている小説と自分が書いた小説を比べると 自分が書いた小説のほうがおもしろいし出来もいいんだよな。 なんであんなつまらん小説を書くのがプロなんだろうと思う。 こう思う小説家志望者は小説家になるのを諦めたとき 日本の現代小説など読む気もなくなるだろうね。 さらに、小説が売れなくなる、と。
凄いな、頭がお花畑だな…
293 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/07(月) 20:08:43
何回か文学新人賞に応募して諦めた人たちは、 日本の現代小説の読者になっているのかね。 自分で小説を書くことを覚えると、 小説の裏が見えて、楽しめなくなるし、 いわゆるプロの作家の拙さも見えて、読む気がしなくなると思うのだが。 このスレにはそういう人は来ないから意見の訊きようもないが。
ん? 何が言いたいのか不明だが、 面白くない小説なんか読まないぜ? プロ、尼に関係なく 新人賞なんかも、とても面白ければ読むし、… 大体は読まない。つか、プロの誰と比較してんの?
295 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/09(水) 00:21:23
2006年には久々に純文学新人賞に超ド級の作家が出現することを期待しよう。 それはもちろん、これまでのように作られた「大型新人」ではなく、若さだけが取り得でもなく・・・・ そう。春樹&龍を超える予感のある実力派の新人。 そういう作家が出た時、一挙に純文学は次のステージへ飛躍したりするものだよ。
296 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/09(水) 13:56:26
297 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/10(木) 13:51:42
都内に純喫茶が何軒残っているか、思い出してみましょう、純文学の未来が むみょーと見えてきます。
>>291 文芸誌に載ってる小説はほんとつまらんよな。プロになったもん勝ちだから仕方ないけども。
299 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/10(木) 18:19:01
>>298 本当に前衛的な小説は、文芸誌に載らないわけだし。
300 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/10(木) 19:35:58
新人文学賞応募者数が増えていることや、 自費出版が増えていることからすると 読みたい人より書きたい人のほうが多いんだよね。 ブロガーもいれたら書き手が凄く多くなってる。 こういう書き手の急増は文壇にとって危機だよ。 書き方を覚えた者にとっては プロ作家の化けの皮を剥がすことが簡単なんだ。 選りすぐりの作家の集まりのはずの文壇が 単なる虚構であるかがばれてしまうからね。
301 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/10(木) 20:17:57
>>297 それだ!
これからはスタバを目指せってことね。
302 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 18:11:53
しかし、最近これは!と思う小説がないね。 みなつまらん。
芥川賞受賞作からしておもしろくないからなぁ。
304 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:13:54
>>300 逆だよ。
プロと素人との差が鮮明に浮き彫りになる──はず。
十五歳文藝賞とか、文壇若年化の流れさえなければ。
中堅以上の実力は歴然なのになあ。
305 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:30:31
最近出た小説でこれこそは純文学ってのある?
306 :
:2005/11/20(日) 21:32:30
>>304 中堅層が受かりにくい理由は、労働力の中核を担ってるからでしょうね。
例えば、平均的な33歳妻子持ちサラリーマンが文学賞を受賞したりする。
すると、条件の似たリーマン生活を送っている男性の応募が増える。
長編は精神力を使うし、日常生活に支障が出るケースもたくさんある。
困ったことに、有る程度の小説の実力がある人はそこそこ仕事も出来る。男性は特に。
更に困ったことに、小説の実力があると勘違いしてる多くの人は自分にもチャンスがあると思い込む。
結果として飼い馴らされた羊や農耕牛の労働力は低下してしまう。コユコト
つまらないから、作者の話題性頼みになるんだろうな
308 :
:2005/11/20(日) 21:33:43
309 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:34:40
若手で期待できるのって中村文則と朝倉祐弥くらいなんだよなあ。 後者は二作目でないし板的には手前味噌になっちゃうが。 青木淳悟あたりは頭で書いてるか。経験でも頭でもなく 魂で書いてくださいな。
310 :
:2005/11/20(日) 21:35:09
311 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:36:48
文則がおもろい? ふーん。色んな味方があるもんだ。
312 :
湯豆腐 :2005/11/20(日) 21:37:44
>303 文学板のりさたむスレとか作品の話題がまったくでないしね。
313 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:39:18
>>309 その人たちの小説って全然読む気にならないんだよな。
作家志望者にとっては、彼らはいい目標なのかな。
もう少しリラックスして書いてほしいんだよな。
いい加減さがほしい、川端みたいにさ。
314 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:41:34
>>313 かつての本流ラインだと思うけど。ガチガチな純系は流行ってないか。
リラックスしていい加減なのがばっかりでつまらないから、
あえてそういう三人の名を挙げましたよ。
315 :
湯豆腐 :2005/11/20(日) 21:43:16
ヒント:活字離れ だけでは語れなそうだが。>リラックス純文の流行
316 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:43:49
朝倉さんはせめて秋風〜血の決意くらいまで落とせば 大衆受けするかも知れないのにね
いまだかつて文学が大衆にウケていたことなんてあるんですか
318 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:47:48
文学で時代が動いていた時代、てのもあるんじゃないですか
319 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:47:54
リラックス純文学なんて今あるのか? 綿矢がそうなのか? それともノブタか? どれも違うけどな。 リラックス純文学で一番売れてる、というかいいのは何?
下の階級にも浸透してきて文学度は希薄になったんじゃないですかね 教養も何もなくても書ける時代というか
321 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:54:16
のぶたはそうじゃないの? あとはまあ、リラックスしてるかどうかは別にして、 私小説にもなりきれてない、ただの身辺小説ね。 通称「半径三メートル小説」 等身大なんて言葉はしゃらくせえよ。
322 :
湯豆腐 :2005/11/20(日) 21:56:53
エンタメと純文の境がなくなっていた
323 :
湯豆腐 :2005/11/20(日) 21:58:09
というかエンタメの方が書くの難しいよね
うへえ
ふふ、純文からすれば境がなくなってきたと言うかもしれないが エンタメの方からすればちゃんちゃら可笑しいのではないかな?
326 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:59:43
そんなのはないでしょ、エンタメ。 エンタメは歴史に残らないし、境界もない。 ただお金になるだけ。
327 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/20(日) 21:59:48
俺は芥川龍之介の短編とか川端康成の小説にはリラックスがあると思う。 三島は仰々しくてリラックスではない。 最近の小説家はどれも精神の奥深さをさらっと描く筆力が 不足してるんじゃないかな。 ノブタみたいな学園ものも仰々しいな。 俺は芥川や川端みたいな昔の作家ではなくて 現代作家にそういうのを期待してるんだが。
小説なんて中学〜大学生くらいしか読まないものなんじゃねえかな。 その大学生あたりが読まないんだからそりゃ衰退するわな。 一般教養としての価値もなくなってるし。
329 :
湯豆腐 :2005/11/20(日) 22:00:58
賞の性質はもう曖昧なんだから、作者が純文というならそれは純文だしエンタメだというならエンタメってことにしとけばいいよ。>ジャンルわけ
歴史に残らん純文学がどれほどあったか… 歴史に残っていないので誰も知らない… しかし歴史に残らないエンタメは誰もが心に浮かぶ… 一時期でも歴史に名を連ねたから…
>>327 精神の奥深さが科学的に解明されつつある時代だからな。
作家一人の力ではそういうのを書くのも限界があるんじゃないのかな。
エンタメ誌もあまりおもしろいものなかったな。 それでも純文誌よりは読む気になったけど。 金払ってまで買わんよな。
分類学の発達の余波が文学界にもきてるだけで、 別に住み分けしなくてもという気がする。 宮部みゆきと松本清張が同じジャンルなんだから。 いいとこどりだけしていけばいいじゃない。
まー良くやってる奴もいるよ。 保坂和志「小説の自由」は読んでて面白いわけではないが 「小説とは何か」 というシンプルで答えが得られにくい問いに真剣に取り組んだ本だぞ。 内容説明はめんどいからしない。 興味がある奴は買うなり図書館で借りるなり汁。 今時あーいう人間は奇特だと思う。 >保坂 おれも小手先的な方法や感傷を湿っぽくならないように… なんてことに留意してないで、スリリングなものが書きたいと思った。 しんどいけどな。
頭で書く人と 本能で書く人がきっといるんだ 男は頭で書く人が多いんですよ、きっと
いや、ちがう。とだけ言っておこう。
本能じゃあ書けないだろ? w
ところでMJはどっかの新人文学賞には投稿したのか?
でもな、漏れが芥川賞を受賞したら、 本能で書きました、と、答えてみようかなぁ… ウケるかなぁ …w
出せるわけねーでしょ。たかが50枚書けない奴が。
身体的に書く人もいるのでは? 珍種だけどな。 川上弘美はそんな感じ。
>>341 おれに対してなら正しいかも。w
でも、おれ340じゃねーし。。。
ナチュラル、天才つうことが言いたいのかな? 詩なんかはそうかもしれないが、小説でそれは、、つうか サガンなんかがそうならば、女流はみなそうだと言えなくもない気が
本当のエレガンスは地味に見えるものだ。 だから、文章はあっさりとしているが内容は深い。 こういうものを書くには熟練がいる。 最近の作家は奇抜さに走っていて、逆につまらない。 いいかい、居酒屋でただじっと焼酎を飲んでいる親父を 味わい深く書いてみろよ。
居酒屋でひとり焼酎飲んでるだけで味わい深いよw もちろんキープボトルで、店に払うのはお通し代と冷や奴代くらい。しめて780円。 これにて今夜の夕餉は終わりなのだ。 店の名前はタンポポ。 常連客は胃潰瘍持ちの神経質なパチプロ。
オヤジがコップ酒を飲んでいる。顎から先に出て、一口飲むとコップを置き 額を一つ叩く、アルコールが前頭葉にでも沁みるのか? おっと今度は ツマミのピーナッツを一粒くちに入れ、またひとくち飲んではおでこを叩く、 あれか? 冷たい氷なんかを食べると頭が痛くなる、あれなのか? それとも これが味わい深く焼酎を飲む儀式なのか? w
奇を衒ってるな。うけないぞ。
>>344 天然で書く人を珍しいし貴重種だとは思うが
天才とはいっていない。
むしろ天然っぷりを必死に抑制しようとした者が深い作品を書く。
色川武大なんてそんな感じだ。
赤割つうのを知ってる? 赤玉ポートワインを焼酎で割るのだ 下町のラーメン屋で流行ってるらすい。 しけたオヤジが粋がって注文し 餃子かメンマを肴にして飲んでる。〆はラーメンらすいが スポーツ新聞を汁で汚し、ビール二三本で閉店まで粘られたのでは赤字だ 嫌われ者になっているのが解らないのか? オ ヤ ジ お前のことだ。
>351 は間違いカキコですいわゆる誤爆(?) えらいすんまへん スレ間違った
しかし、おまいら純文学の才能はないな。 漫才の脚本書きを目指したほうがいいぞ。 ところで、髪の長い女子高生スプリンターを少女漫画にならずに描けるか?
354 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/24(木) 20:29:01
どう考えてもプロの作家の書いたものより自分の書いた小説のほうが出来がいい。 そう思い始めると、とても現代作家の書く小説などバカらしくて読めなくなる。
まあ、それは錯覚だけどね。 そんなに自身があるなら、さわりだけでも投稿サイトに アップしてみたらいい。何なら感想書きますよw
自身→自信だ。 そんな間違いする奴に読まれたくない、なんて言わないでね。
それなりに大きな書店での出来事。 「純文学ありますか?」 「純文学……そうですねー」 (店員さん探す。新書のところを探してこう言われました) 「多分このあたりあるとおもうんですけどねー……」 新書は高そうなので、文庫を求めて聞いてみた。 「あの、文庫はありますか?」 「文庫ですか?」 (例によって例の如く、探す) 「うーん……取り扱ってないみたいですね」 「そうですか……」 その後、一応探してみるも、純文学と思しきものは数冊。作家で言えば三人程度(一人は夏目漱石、もうひとりも漱石と同時代の人)。 分からなかったので、宮沢賢治の小説を買う。家に帰り、童話だと気付く。純文学作品購入の道は遠い。
釣りかと思ってたらホントにロマ来てたのな。 ここに顔出して一説ぶればいいのによ
360 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/27(日) 19:19:09
実際、文芸誌に載っている小説は自分が書いたものよりつまらない。 多くの作家志望者がこう思っているし、事実そうだからつまらない文芸誌は売れない。 文芸誌の存在意義はただ一つ、毎年文学新人賞を主催することになっている。
気になったこと、最近純文学の小説って、本当に出版されているんですか?
362 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/29(火) 12:35:49
このご時世、純文なんて
>>354 や
>>360 みたいな自意識過剰君しか読まないし書かない。
芸術性も前衛性も何一つなく、あるのはただ「俺たちは純文学を書いているんだ」
という過剰な思い込みだけ。だからつまらない上に安っぽい。
ジャンル小説どころか秋葉系小説にすら全ての要素で劣るのが昨今の純文学。
偉大な先人達に失礼だから純文学という名称自体変えた方がいい。
363 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/29(火) 20:26:11
純文学が社会性を失っているのは事実だな。 不特定多数の感動を呼び起こすことが難しくなっている。
文学でいいと思うのだ。「純」なんてつけると純喫茶を思い出す。
>>362 なるほど、具体的にはどんな名称がいいでしょう。ノン・ジャンル小説?
366 :
名無し物書き@推敲中? :2005/11/29(火) 21:40:56
>>365 私小説、社会小説、歴史小説。
「純文学」というジャンルは、芥川賞のためだけにある。
なるほど。となると仮に文藝春秋が廃刊した場合、自動的に「純文学」の歴史も、 その幕を閉じるってことですね。明快です。
私小説=外国では「自伝」
369 :
中短編型 ◆n.NBdHBzEM :2005/12/05(月) 05:59:59
文字でしか表現し得ない世界を構築すればそれは確実に純文学になる。これは個人的な思想です。 そんなものが本当に存在するかわかりませんが、とりあえずそれが存在すると仮定して、それに向かって小説を書いてます。 文学作品が盛んに映像化される時代だからこそ、作家やそれにならんとしている人は時代の逆を行くものを目指さなければならないと思っています。 確かに文学には大衆の娯楽という側面があります。しかし、それは大衆の奴隷ではありません。 現代は文学の存在意義が問われているのです。このまま舐められっぱなしでいいのでしょうか。僕は生涯、創作の姿勢を変えるつもりはありません。 長々と失礼致しました。
370 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 15:07:07
ここではあまり梶井は好かれてないの? あの数枚の短編に宇宙を感じてしまう。
371 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 16:46:54
>>370 ヒント1:ここは「創作文芸板」。作家志願者が集まるところ。
ヒント2:出版社が募集する「新人賞」は、純文学であってもある程度の分量を求める。
>>362 それに加え、ネットが普及してからは
純文学を「雑誌に掲載してもらう、単行本として出版する」ことの意義がなくなってしまった。
「商業主義に毒されず、わかる人だけにわかって欲しい」のなら
「じゃあネットで発表してればいいじゃん」と言われて終わりw
本音は商業主義の世界に入って印税生活を送りたかった自堕落な連中の
建前がネットの出現で通じなくなった。いいことだと思うw
373 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 17:56:45
>>372 ネットが普及する前にも「文芸同人誌」というのがあったのですが。
374 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 18:59:37
同人誌よりもメジャー出版社の文芸誌を目指す人たちには 「より多くの人に自分の作品を読んで欲しいから」という建前があった。 (本音は金が欲しい、名声が欲しい等でも) しかし、今や文芸同人誌はもちろん、商業文芸誌に掲載してもらうよりも、 ネットで発表したほうがあらゆる人に読んでもらえる。 ということで、売れセンの小説に力を入れる出版社の商業主義を非難したい人は ネットで発表すればいいじゃん、ということだ。
375 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 19:59:27
>>372 出版されてナンボだろ。
ネットに載せてとか、自費出版で作家気取りなのが
この板にも何人かいるけど、実に痛々しい
377 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/06(火) 21:19:54
おれは本を書いてカネを稼ぎたい、そこそこいい生活がしたい。 太宰治は「人間失格」を熱海の温泉宿で書き上げたのだが、 宿泊費は出版社持ち。太宰の直筆の請求書が残っている。 彼は金銭感覚については一般人としての常識を持っていたようだ。 おれもかつての文豪のように出版社持ちで温泉宿に逗留して小説を書きたい。
えーっと、温泉宿の逗留くらいなら、普通にお金出ますよ、新人でも。 出版社にもよるのかな。純文の新人賞を持っているような大手なら そのあたりはまったく問題はない。作品のアウトプットがあるなら。 俺が保証します。
379 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 00:47:09
純文学なんてセンズリみたいなもんだろ 昔は娯楽が少なかったからそれでも読む人がいたが いまの時代にブサメン、キモメン、腐女子のオナニーなんて 誰が金を払って見たがると思うか? 美人、イケメンでもないのにセンズリで金をもらおうなんて勘違いも甚だしいなw
書き手は 自分が行った一定水準の仕事に対して 金銭という対価を要求したほうが健康的。 たとえ ネットで公開するとしても 課金の仕組みを定めるべき。シェアウェアのように。 成果がゼロならば ニーズのない文章と判断できるし 相応ならば あらためて考えることもあるだろう。
381 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 08:32:03
あはぁ?いやそのね。 純文学小説が、八百屋の大根と同じように、「健全な」商品だったことなんてあんのかなぁ? 志賀直哉なんて、長編小説をいっぽんモノにしただけで、あとは悠々自適の老後をおくったんでしょう。 夏目漱石は、野にいて、新聞小説書いて苦労したのか。 まぁ、いろいろあったろうけど、出版社や新聞社が、 なかば商売度外視で「純文学」を保護してきたって歴史みたいのは、やっぱあったと思う。 これは、いわゆるところの「純文学」が需要と供給の論理ではなく、 いうなれば文化への欲望?みたいのに駆動されてきたからで。 ぶっちゃけエンタメ小説とは、少しばかり違いますのよ、オホホホ、とお高くとまった部分を 取り除いたら「純文学」なんて、どこにあるだろう? 「仕事」だの、「対価」だの、「健康的」だのいう人は、 その時点で「純文学」向きじゃないと思う訳よ。
382 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 09:16:18
古臭く読みづらい文体で ひどくつまらない退屈な話を 地の文章と心理描写だけで 延々かいていくと 純文学になります。
383 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 10:29:04
そういう人は「土佐日記」でも「女生徒」でも読んで、 やっぱ古典は格調高いばっかりで退屈だなぁ、とか云うとけば良いのだわ。 それらの作品が発表された当時、内容というより、作品の書かれ方について、 なんなのこれ? おじさんは認めないわよ的に、 ジジイどもは、わいわいガヤガヤしてたのだわ。 おーほほほほほほ!
384 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 10:36:24
これまでのまとめ 純文学は作者のセンズリ。 エンタメは読者の退屈しのぎ。 小説とはそんなもん。で宜しいか?
385 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 10:51:15
>>384 さんが、素晴らしいまとめをして下さいました。
「まとめ」とはいいながら、
>>384 さんご自身の考えが強く滲んだ、箇条書きではないかと、
推察するわけで、深くご同情もうしあげます。
仮に
>>384 さん御自身が「純文学は作者のセンズリ」である、と思っておいでなら、
よもや「純文学」など志してなどおりますまい。
まったくの部外者の立場から、ほんの少し面白がってみただけですよね。
素晴らしい「まとめ」であると思いますよ。
ほとんど無意味な内容について「宜しいか?」
???
誰に聞いるんだか。
へんな人。
>>385 さんが全く意味の汲み取れない反論をしてきました。
??? 何が言いたいんだか。へんな人ですな。
あのですね、私はね純文学が心底大好きですよ。読むのも書くのもですよ。
後は察してくれよ私の心情を。
387 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 13:22:21
>>386 、(=
>>384 )様の心情を汲むことはさほど難しくない。
それを一人称謝罪体で綴るなら以下のようなものではないか、と思う。
あのですね。私はですね。「純文学」なんて、どうでもいい訳ですよ。本当はね。
「純文学」という言葉にこだわる人そのものが、もう圧倒的に少数派なわけで。
「純文学」が作者のセンズリだろうと、だるまいと。誰も気にしちゃいねぇってこってすよ。
こうして泥沼式にレスされて、鮮明に分かったのは、
どうも、そうじゃないと真剣に思っている人もいるらしいこと。
彼からすると私の存在そのものがスレ違いと映るらしいこと。
スレタイにそくした「純文学」好きには、かないません。
もうね。私は素直に謝りたい。地ベタに額を擦りつけゴメンなさい したい。
私が、スレ違いな斜視野郎でした。熱血「純文学」くん。
このとおり、土下座したんだから許しておくれ。本当に、ゴメンね。
尻尾を巻いて逃げ出す私を、どうか追わないでおくんなせええ!
>>387 そこまでは遜れないです。
そこまで譲るくらいなら、
けっ、エンタメなんて読者に媚びた薄っぺらなもん書いてられっかよ、馬鹿馬鹿しい。
と本音を書きます。
芸術作品 絵画 音楽 文学(純文学) その他
390 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 21:39:47
いいんじゃない 媚びない精神 大好き がんばって 本当のまなざしは、まなざさない事で得られるものだと、自分も信じてます
面白くないと言うのがまず致命的 漫画やゲームと台頭に張り合えるくらいの娯楽性・笑い・ アクション要素を認める方向でやるべきだね
392 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/07(水) 23:15:13
ばっかじゃねーの。 いっそ、飛び出す絵本にしろって。 びっくっら腰ぬかす、シネマスコープサイズの3D文学だ。 ドルビーサウンドもつけて、臨場感もいっぱい。 全長3メートルの睫毛がバチバチ。 ただし、この絵本の中では迷宮も命がけ。 道に迷ったら、いつ出てこられるか分からない。 まさに人生そのもの。 あははは。
394 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/08(木) 02:12:58
他人を楽しませるのが本当に好きな人もいるのよ それを「他人に媚びて楽しいか?」という貧弱で屈折した感性しか持ってない人もいるわけだ。 そういう貧弱な感性の持ち主が書いたものが面白いかつまんないかってことだな。
395 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/08(木) 02:24:33
100年たっても通用するのはバトルロワイヤルや 戦国自衛隊のような作品だろうな 芥川賞や直木賞作品は全滅の予感
>>394 >他人を楽しませるのが本当に好きな人もいるのよ
芸人の類はそうでなければやっていけない。
スレどころか板違いな発言をしてみる。
397 :
名無し物書き@推敲中? :2005/12/18(日) 21:31:12
最近、国木田独歩がいい。 明治後期から大正期にかけては日本もいいかげんで良かったな。
398 :
名無し物書き@推敲中? :2006/01/21(土) 03:46:47
いつの時代にも本物志向の人間はいる。 そう考えれば純文学の今後に期待できるでしょ。 悲観することは無いと思うyo.
399 :
完敗 :2006/01/21(土) 13:48:50
ああ、そうだな、それでいい。他人任せにしておこう。 なにもしないでおこう。 無理する必要もないさ。 それが彼らを熱くするのだからネ。
400 :
乾杯 :2006/01/29(日) 21:05:45
文学でない、別の極点は何所にあるのか?
401 :
名無し物書き@推敲中? :2006/02/15(水) 14:26:14
読みにくかった
402 :
厚岸兵衛 :2006/02/20(月) 06:56:52
最近、関場守良という人が、日本文学の革命を叫んでいるけど、それなら関場さんが日本の文学史を書き換えるような傑作小説を書けばいいんじゃない? それもできないくせに、日本文学の革命という大げさなことを言っても、物笑いの種になるだけだよ!
関場は最近見ないぞ。 きっと笑われるのも飽きたんだろう。
404 :
名無し物書き@推敲中? :2006/03/14(火) 12:07:45
金属アーム
405 :
名無し物書き@推敲中? :2006/03/21(火) 19:51:44
純文学にどっぷり浸かっていたい。 徹底的に美を追求したい。 チャイコフスキーのようにコルトレーンのように なおかつ、大衆がはっと思うようなのを書く。
がんがれ
407 :
名無し物書き@推敲中? :2006/03/27(月) 07:13:35
純文学で美を追求しながら、自らをも美しくする。 こうできたら最高ですね。
408 :
名無し物書き@推敲中? :2006/03/32(土) 09:24:59
昨年の純文学新人賞不作だったよねえ。 今年こそは新人賞に期待したいもんだねえ。
一昨年だって不作だったけどね。 この板的には朝倉氏がいたかもしれんが、 質は低かったと思います。 最近の新人は次が出ないねえ
410 :
名無し物書き@推敲中? :2006/04/30(日) 23:13:23
こぎつける
純文学を廃止し、それ以外の作品を増やした方がいい。 あるいは、それ以外の作品と混じっても競争力のある作品を選ぶとか。 出版界の将来を考えると、そうすべきだ。
↑ 滅びるには意味がある?
求めにはギセイの扉が啓き始める
美しいもの、人が紙に絶望的に求める姿
美しいもの、人が紙に絶望的に求め祈る姿
自らの存在する意味すら問うことはできない
417 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:24:03
4年ぶりぐらいに 来てみれば (゚Д゚) 閑散
418 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:26:23
みんな どこ逝った (;Д;) やあ
419 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:28:45
4年前は文芸誌発売当日に 新人賞の選評うpがあったと思うが 今は (゚Д゚) 閑散やあ
420 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:29:58
まあ ロマがいた (゚Д゚) からね
421 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:33:51
生捨が いっぱい (゚Д゚) やあ
422 :
生捨 :2006/05/06(土) 22:36:40
ここ15年は 糸山以外は大したの出てきてないから チャンス (゚Д゚) やあ
突き詰めればdeath. 辿り着くにはkyouki. 息は絶えず意識は喪う
四年前って、すでにロマ有名だったの? すごいな。ここで順調に有名になって、すばる取ったのか。 逆に言うと、ここで有名になれないくらいだったら プロになれないし新人賞も取れない?
ここは? 何処に居ても何をすべき存在かは産まれたとき決定される。 そこから逃れることはできない。 それがそこにあるという否定できない存在 いましていることはすべき存在そのもの。 しかしそれもコントロールされているにすぎない。
死のムコウから 突き上げる風
一体、何が見えるんです?
君は誰だ?
あなたの孫ですよ。わかりませんか?
その孫が何をしにここへ来たというのかな?
語らいに来たのですよ、この断崖絶壁まで、わざわざ、ね。
嘘は我われ牛族には使いこなせないはずだが?
ええ、ですがそれだけに興味深い。
あんたさあ、早くデブーしなよ。才能ピカイチなんだからさあ
見届けに来た、というのだな。自身さえ腐敗臭で耐えられん、その最期を。
それも悪くない。けれども、あなたの誕生を祝いに来たんだと私は言いたい。
良い季節になった。はるか遠くまで透き通っていくような。
この時期、私はあなたの勇姿が脳裏に浮かび上がる。私は幼く、そしてあなたは闘牛だった。
それで? いまさらシワと染みだらけとなった古傷を診てどうしようというんだ。
そんなものは見たくはない。手助け、そう手助けがしたい。待っていたのでしょう、私のようなものが来ることを。
a 一体、何が見えるんです? b 君は誰だ? a あなたの孫ですよ。わかりませんか? b その孫が何をしにここへ来たというのかな? a 語らいに来たのですよ、この断崖絶壁まで、わざわざ、ね。 b 我われ牛族には嘘は使いこなせないはずだが? a ええ、ですがそれだけに興味深いのです。 b 見届けに来た、というのだな。自身さえ腐敗臭で耐えられん老人の最期を。 a それも悪くない。それでも、あなたの誕生を祝いに来たんだと私は言いたい。 b 良い季節になった。はるか遠くまで透き通る。 a この時期になると、あなたの勇姿が私の脳裏には浮かぶ。私は幼く、そしてあなたは闘牛だった。 b それで? いまさらにしてシワと染みだらけとなった古傷が気になり始めたとでもいうのかな? a いえ、自身が見たいのは牛族であることの傷、その愚かさ。個人的なものなどに興味はない。 その傷を見ることは、何らかの変化を生じさせる。それは私たち牛族のこれからの鍵、礎にきっとなる。 手助け、そう手助けがしたい。待っていたのでしょう、あなたは、私のようなものを、ここでずっと。 私が伝承の役目をかってでると言っているんです。 b 君のその情熱的でもある言葉を額面通り何の疑いもなく受け止めよう。 しかしいまでは、また別の意味をもち始めてしまった。 a 何を弱気な。あなたが仕向けたこと。それをいまさらになって覆えそうなどと。まだあなたには刻印は見えてはいない。見えているはずがない。ならば初めから想像の域をでていない。だからこそ私が必要となる。
沸けわからんことをいうのも疲れまっせ。 やめぽ
あゆみもしっかりしない犬。 あゆみはクサリが導き、 同心円の中に描く短い自由の軌跡。
a 一体、何が見えるんです? b 誰かな? a あなたの孫ですよ。わかりませんか? b その孫が何をしにここへ来たというのか? a 語らいに来たのですよ、この断崖絶壁まで、わざわざ、ね。 b 我われ牛族には嘘は使いこなせないはずだが? a ええ、ですがそれだけに興味深いのです。 b 見届けに来た、というのだな。自身さえ腐敗臭で耐えられん老人の最期を。 a それも悪くない。それでも、あなたの誕生を祝いに来たんだと私は言いたい。 b 良い季節になった。はるか遠くまで透き通る。 a この時期になると、あなたの勇姿が私の脳裏には浮かぶ。私は幼く、そしてあなたは闘牛だった。 b それで? いまさらにしてシワと染みだらけとなった老牛の古傷が気になり始めたとでもいうのかな? a いえ、自身が見たいのは牛族であることの傷、その愚かさ。個人的なものなどに興味はない。 その傷を見ることは、何らかの変化を生じさせる。それは私たち牛族のこれからの鍵、礎にきっとなる。 手助け、そう手助けがしたい。待っていたのでしょう、あなたは、私のようなものを、ここでずっと。 私が伝承の役目をかってでましょう。 b 君のその情熱的でもある言葉を額面通り疑いもなく受け止めようしても、 しかしいまでは、また別の意味をもち始めてしまった。 a 何を弱気な。あなたが仕向けたこと、それをいまさらになって。まだあなたには刻印は見えてはいない。そうでしょ。ならば初めから想像の域の中。だからこそ私が必要では? b ある意味では、美しい終わり。感じることができないとしても。 a あなたの目が見えなくなったことは問題ではない。むしろ過ちであっても結果はただしく導かれた。そうでしょ。
a 何を弱気な。あなたが仕向けたこと、それをいまさらになって。まだあなたにはまだ刻印は見えてはいない。そうでしょ。ならば初めから想像の域をでない。だからこそ私が必要なのでしょう? b ある意味では、美しい終わり。感じることができないとしても。 a あなたの目が見えなくなったことは問題ではない。むしろ過ちであっても結果はただしく導かれた。今の、この時のために。
a 何を弱気な。あなたが仕向けたこと、それをいまさらになって覆そうと? あなたにはまだ刻印は見えてはいない。そうでしょ。ならば初めから想像の域をでない。だからこそ私が必要でしょう? b ある意味では、美しい終わり。感じることができないとしても。 a あなたの目が見えなくなったことは問題ではない。むしろ過ちであっても結果はただしく導かれた。今、この時のために。
b 信じることから綻び落ちた過ちがやがてはまぶたを奪う。 a 聞こえてきませんか? 息吹が。この断崖、大地のココロをゆらす。聞こえませんか? b 日はまだ落ちていない。
b 日はまだ落ちていない。なるほど、それで、冷静につとめても、興奮を隠し切れないわけか。 君は誕生と死、その中間に立つ自身を楽しんでいるわけか。 a 混乱はしていない。理由が見つかった。だからあなたが、いやあなたも、刻印に倒るるのを見過ごすわけにいかない。 b 君には止められん。
a 角の形をみると、私は少なからずあなたの血を引き継いでいるようです。闘牛の血統。あなたの角は片側が折れてしまっている。それでも?
穢れの渦中で、なされることもあるか。
b 穢れの渦中で、なされることもあるか。 a 尊いものは特に。しかるにあなたは抗うすべを失った、その角とともに。
b 策は? a ありません。あなたと同じやり方です。 a あえてか。なんのためにわが一族には奇妙な角が生えているのかな? b 立派なものです。たしかに純血種ではありません。 a 無論。君に角が受け継がれず生えていなければ、こんな所業にまったくかまわないか、もっと別で安全な方法を行ったはずだ。
b 策は? a ありません。あなたと同じやり方です。 b あえてか。なんのためにわが一族には奇妙な角が生えているのかな? a 立派なものです。たしかに純血種ではありません。 b 無論。君に角が受け継がれず生えていなければ、こんな所業にまったくかまわないか、もっと別で安全な方法を行ったはずだ。
a やはりあなたは流されている。私と語り合った時間、あなたとともに私へと流れ落ちた血液、あなたとわたしとでつながれいく新たなの血の生成。 b そうか、自身のためには何もできないか。 a いえ、私は、ここで刻印が明らかになっても他言することはありません。 己のためだけにそれを使う。 己自身のためにあなたの最期の灯火が燃盛りそして消える様を見たい。 b 本心か? a うそもまこともないでしょう。 思ったときそれが真実となる。 どちらかが、いいえ、どちらもなりうる。 余地は存在せず、すべてを実行とするのです。
a きみを動かす言葉。どうしたらいい、わたしは。
b きみを動かす言葉。どうしたらいい、わたしは。
a 夕日が落ちきるその前までが語らいの時。 b 夢の中でも光りは失った。煙草を吸う夢をみたことは? a いまも夢か幻だと。では互いに吸いましょうか。あいにく一本しかありませんが。
b 耐えがたい誘惑の香り。克服ができんようだ、わたしは。 a だから遠ざかっていると。我々は逆らうことはできない。だが、煙りにすることでその危険を回避しました。 その味を舌で完全でないにしろ、味わうことができるのですから。
459 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/08(木) 21:03:41
atra?
ロマさんが三ヶ月以内中に新作挙げるってさ。 つか、この連続レスを見ても、atraがデブーしてないのは 不自然だと思う
462 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/08(木) 22:02:15
意味も無いのに悲痛になるのはやめてよね。
アトラはこんなアホじゃねえぞ
464 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/11(日) 02:08:11
ロマさんって誰ですか
a あなたに現実を与えるのはこの香る形ない煙り。 b ならばわたしは君に助言できない。
>>464 このへんのレスで挙げられている人
>>309 >>316 この板で唯一の新人賞受賞者にして、公的にも
認められているプロ小説家
といっても、小説家という自由な立場にたいして
公的に認められることが重要か否か、という意見はありますが
一作しか出してない奴が公的に認められてるプロ小説家なわけないだろうw
468 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/11(日) 16:17:38
>>466 レスどうもです。
作品名とでぐぐってみまして「血の決意」だけ拝見できました。
ありがとうございます。
今書いてないんですかね。
もったいないですね。
470 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/12(月) 05:41:08
純文学の賞 って、どんなのがありますか?
471 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/12(月) 05:49:07
カフカ賞
472 :
名無し物書き@推敲中? :2006/06/12(月) 05:51:11
それにしても、無名草子さんたちとは、さぞやすごい作家先生の匿名書き込みなんでしょうね。 作家なんて才能が全てだから、津井ついみたいに、いくら努力したって駄目なものは駄目ですよ。 私なんか、早々に見切りをつけて趣味の世界で細々ですから。 小説現代ショートショート・コンテスト優秀賞受賞 阿部敦良
a 不確かな助言。放たれる言葉というのは体が求めるわけですから、あなたの意思とはまるで関係がない。 時がくれば叫ざるをえない。
b 夢であろうと幻であろうと何処でもない場所、であってもか。 それならば語らいを続けよう。君の叫びについて。 君が煙草をわたしに口に運ぶとき、角が触れた。 そのとき聞こえた。わたしの折れた角が君の叫びを聞いた。 a 何を? あなたに触れてはいない。あなたの片目にわたしの角先を接近させただけ。 b 角と角、その間を通して震える君の角を感じた。 その震えは僅かでも、折れた先、無い角の痛みを感じるには十分だ。
a 共鳴、共振ですか。そのしくみは理解できます。 b 下から聞こえてくる嘶きが少なくなった。移住しておるのか? a いえ、小規模の移住すらもう行われてはいません。安全で潤っているあの土地を出る必要もありませんしね。 ただ、新たな眠りが始ったんです。
a 感染かその類か? b ご冗談を。感染、ならば理解できる。それならば、然るべき処置をとればいい。 そうでないからここにいる。 c そして君もその眠りに堕ちるのが、恐い。
b 感染かその類か? a ご冗談を。感染、ならば理解できる。それならば、然るべき処置をとればいい。 そうでないからここにいる。 b そして君もその眠りに堕ちるのが、恐い。 a いつ堕ちるのかさえわからず、そこから目覚める者もいない。 夕日が落ちて静寂が訪れても、何の眠りに誘われているのかを疑いただあの眠りでないと祈るしかない。
b いのちが誕生したようだね。これで君も安心だ。だが君は喜んでないようだな。わたしより先に気づいていたろう? a 我が子も、いつ。 b いつ。いつ、か? まさにそれが問いだ。 いましがた、君の子は独立したいのちを得た。それは確かだ。 では君は? 君はいつ。君の意識はいつ芽生えたのか? いつそれを感じたのか? さあ、記憶をたどってみるといい。
a 意識の最初の目覚め。最初に芽生える意識。それがいつか。 それにどんな関連が? いや、あまりに直接で隠れてしまう。 b 見えてこない。つまりそれは君もわたしも間違えているということだ。 だからこそ進み、互いに後退はしない。闘牛の血を一滴でもひいているならば。
b 我々の意識が我々の意識を打ち消し我々は意識を喪う。 a それが眠りに堕ちるの原因であると? b このようなことを思ったことがあるだけだ。しかし時間と記憶と言葉、ああ、そうだ意識に打ち消されたようだ(笑)。原形はとどめていない意識の言葉。当てにはできないよ。
b 日が暮れたら君はここから降りれない。 君の帰りを待っている者がいるだろう。 a 妻は前からすでに眠りに堕ちている。子も寝ているでしょう。だがまだ眠りに入る時間ではない、あなたもわたしも。 あなたこそどうです? 会いたい者もいるでしょう? 寂しくはないはずがない。 あなたが我々と断絶することで何を得られましたか? 谷の下で起こることは何もしりえない。 あなたが考えるはるか前から、老牛といえるほぼ全員が眠りに堕ちていたんです。 どうです? すなわち、これを知った今、あなたの研究、その意義はいまや無意味となった。 b わたし、だけか。
b わたし、だけか。しかし遠に無意味となっていた。 いや、わたしは角が折れ、宙を舞い、普段ぶつける事の決してない頭蓋を地面の石に打ち付けたとき、 不可避であることを認めていたのだろう。 わたしは刻印に負ける用意をここにしに来たのだな。 a どちらにせよ、当初の意義は失った。それを必要とする者が今はいない。ただ解せない。なぜあなたは眠りに堕ちないのか?
○その時までさかのぼり ○遠に意味など無くしていた
○岩盤○敗れる
b どんな夢を見ているだろうかないま、君の子は。 a さあ、見当もつきません。見るものでしょうかね? b 難しいところだ。わからないことが多い。だがわかることもある。君もずっと見ていないだろう。少しは眠ったほうがいい。体に毒だぞ。 a これはまたとんだ気休めを。 b 眠りに堕ちた者の中で目覚めた者は? a ひとりも。いまのところゼロです。といって目覚める兆しもありませんが。
○おっしゃる a ひとりも。いまのところゼロです。といって目覚める兆しもなく 。 b で、成す術もない、か。煙草をくれないか。 a ないですよ、さっきも 。 bしけもくでいいんだ。 a この煙草を造るのは中止されているのですよ。 bなぜだ? a この葉は眠りに堕ちた者の食物となったからです。流動食としてね。 すりつぶし、液状にし与える。なぜかこの葉しか喉を通さない。 我々が口にするには毒でも、彼らには唯一の食物となっている。 禁断の地とされたかの地、あの草が生い茂る場所で彼らはかぐわかしく匂いたつ草に頬をなでられ眠る。 眠りに堕ちるものが増えていく中、あの限られた地にしか生えないあの草はいまや彼らにとって貴重なものなのです。
○さきほども○しけもくでかまわない
b 命の素か。どうかな? 逆に彼らの肉体が死を受け入れているのでは? a ならば、なぜ死すものがでない。 b それは単に、君らが致死量を与えてないだけだろう? 仮死状態。そうだろう? a ならば! わたしにどうしろと。
b 君が眠るといい。 a それでは何の 。 b 君は夢だとは知らずに、瞳を閉じたことはあるか? 夢の中で眠ってみるといい。
a 夢のまた夢、とはまた少し違うようだ。何を見るんです? b 見るのは君だ。何を見るかは誰にもわからない。わたしはずっとそんな状態わけだが。それにわたしの場合、夢は見るものではなく体で感じ、聞くものとなっている。 a 夢の中でも太陽の日に瞳を焼かれたとでも言うのですか。
b 何も、結論を急ぐこともないということだ。 a 何を、あなたは 。 b 君には残酷な現実だが、わたしにとっては奇跡そのものなのだ。
○ずっとそんな状態わけだ、わたしは。夢は見るものではなく体で感じ、聞くものとなった。○何も、結論を急ぐこともないと言っているのだよ。
○再び
b 眠りに堕ちる、という現象により、私という丸ごとすべて、何もかも無為となった。 それは、君の言う通りだ。 だがしかしすべてを解決したともいえる。 ここですばらしく美しいのは、わたしと眠りに堕ちるという現象、この間にはまるでなんの関連もない、というところだ。 それなのに刻印さえも封印に導いた。 これを解決と呼ばずしてなんと呼ばう。 a 何を言っているんです。あの草も所詮は毒、いま適量を与えて仮死状態にしているとはいえ、蓄積されいずれ肉体を蝕む。 それに我々すべての牛が眠りに堕ちてしまったら、その草を口まで誰が運び与ええるというのですか?
495 :
名無し物書き@推敲中? :2006/07/05(水) 14:36:34
全然真剣に考えてないレスが並ぶスレだね、ここw
a きみは眠りに堕ちている彼らを見て、実際どう思う? b あれでは生きているとはいえない。 a 君は彼らが眠っているとする一方で生きているとはいえないと言う。 前提を間違えている。眠ってなどいない。死んでいるんだ、かれらはもはや。 b 違う、彼ら彼女らは生きている! a ああ、それが君の叫びか。鼓動が高まっているね。しかしごく小さな鼓動だ。 彼らも君も、放って置けば鼓動は止まる。 鼓動とは心臓が波打つのではなく、全身が脈打ち鼓動となる。 心臓の音よりはるかに大きなうねりの鼓動。 我々にそれが感じられるか? そもそも感じたことがあるか? 我々は時機を逸した。その機会を与えられながらそのうねり脈打つひとつひとつ鼓動の大きさに全身が耐えられず、意識を喪ったのだ。
○ひとつひとつの a しかしそうであっても肉体は生きている。まだ何とかできるはずだ。 b 彼らの鼓動は一定で同じリズムを刻んでいるんだろう? つまり夢は見ていない。肉体がその機能を維持しているにすぎない。 意識がなくても呼吸はできるように。うねる鼓動の合間に我々は意識をつなげることができなかった。 それは眠りに堕ちたというのではなく、意識が堕ちたのだ。彼らは永遠に目覚めることはない。 a なんでそんなことが言えるんです。 b 思えるときそれが真実となる、というようなことを君は言わなかったか。それにのっとるならば 。 a わたしは信じない。 b だが君は今そう思ってしまっただろう。否定はできる、しかしそう思うことから逃れることはできない。もう戻れはしない。記憶を失うか、もしくは次に君が何をかを思うことでしか。 あの鼓動に目を閉じたときから 我々の種自体がもはや必要ではないのだ。 さあどうかな、忘れることなどもうできないだろう? さて君は何を思う?
a いや、まあわたしはあなたほどの悲観者ではないですが ただ模索している時間がないのですよ。もう手当たり次第なわけです。 かといって、でてくる駒も多くなく、それも減り続けて最期ここに辿り着いた。 わたしはそれを実行するだけ。もう思うところはない。 しかしあなたは何もかもわたしに押し付けていくのですね。 眠り堕ちた者もしかり、それにあなたが残した仕事、刻印までも。 b その問題はもう解決している。老牛が 。 a いいや、まだあなたがいる。 わたしの叫びをあなたは聞いた。次はあなたの番のようですよ。 影は長くなり、それだけ時が迫る、叫びの時は近い。
b ああ、まだわたしがいたか。 わたしは受け入れているよ。いつのまにかね。もう刻印を見るのを恐れていない むしろ待つようになった。 闇雲に恐れるのをやめ、意味など考えずわたしを迎えにくる印としてわたしの心に刻まれた。 憎み抹殺すべき存在から愛すべきモノへと形色を変えた。 わたしに訪れる、時、は問題がない。 視る、最後の者として準備はできている。 a 夢に騙されているだけだ、あなたは 。 b 君は、どうも、わたしよりも厄介なモノを背負い込んだようだな。 だがそれはきみの問題なのか? a 誰かが問題に絶ちむかわねばならないでしょう。皆の問題で 。 b きみなど必要でない。 a あなたの問題でもあるでしょう。誰かが解決すべき問題です。わたしは誰よりもこの問題を考え実行してきた。 いまさら問題を知ったあなたに何が言えるとい 。 b きみなど要らない。
a 冷たいことを言う。 わたしをここへ仕向けておいて、その言葉はない。しかし当然か。 ただです、あなたのいうことは自身が何もできなかったことの対する諦観にしか聞こえない。 それを迫るわたしの存在が邪魔になるのはわかる。 わたしの存在は遠い過去にあなたが抱いた気持ちをもう一度思い出させる。 そして気づく。 受け入れることしかできなかったのだ、あなたは。 そんなあなたがわたしに何かを求めえるわけがない。 b 勘違いとは時に笑えないものだな。
b わたしの絶望には希望があった。それがきみだ。だから耐えられた、それがどんなかたちの出会いになろうともね。 だがわたしは憂う。きみの今後に。いや、わたしを喪った後というべきか。 どんなかたちで己の刻印を視るのか? 老いたわたしは知っている。わたしは日が落ちる寸前でそれを見る。 それが通常だ。それは君も知っている。 だがきみはそれより前に視ることになるだろう。希望の影さえ揺らめかない本当の絶望の炎によって。
○絶望の炎の輝きによって
503 :
名無し物書き@推敲中? :2006/07/14(金) 01:09:15
なにここ? アニオタっぽい台詞がズラリww きも!!
504 :
名無し物書き@推敲中? :2006/07/16(日) 16:42:08
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20060716000065 アリである作品を読んだが、全く作者本人は分かっていない。自分が如何に詰
まらない作品を投稿しているのか。誰か本当の事を感想欄に書いてやればい
いのだが、それをしない。そんなもんかと思ったもんだ。
作者は自演で酷評しているのだが、すぐその反論が感想欄に書き込まれる。
自演で自分の作品を擁護しているのだ。自分で自分を酷評していながら、それ
に反論して自分を擁護する。こんなばかげたことを良くやるもんだと不思議に
思った。何故自演だと思ったのか、それは他人だったら簡単に分かることだ
が、本人は気づかない、酷評するところが全く違うのだ。的外れの批評をしてい
るから、他人ではないことがすぐ分かる。駄作をさらす人間だ、自分を酷評する
のにも、その指摘する内容がずれてしまっているのだ。笑ってしまう。
ブログを見て思ったのだが、自分の経験したエピソードを文章にして公開してい
る。作者本人にしてみたら、小説でも何でもない、単なる自分の経験談だ。
だが 読む人はそれが凄く興味深いものだったりする、本になり出版される。
誰も興味を持って買うだろう、絶対利益になるビジネスチャンスだ、出版社が目
をつけて本が出版されたのだ。
アリに投稿すれば自分の作品が評価され、出版されて作家になれる。そんな
風に妄想を抱いているのだ。
妄想も良いだろう、夢を持って文章を考え作品を作るのも良いだろう。
アリへ投稿して充実感を得るのも良いだろう。誰からも目立つように、自演をす
るのも良いだろう。自演で自分の作品を評価すれば、或いは他人も同調してい
い作品と勘違いをするかもしれない。一種の賭けだ。ギャンブルの賭けは資本
が要るが、アリでの自演は元ではいらない。だがはっきり言って勝ち目はない。
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20060716000065
505 :
名無し物書き@推敲中? :2006/07/16(日) 17:35:08
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20060716000065 アリである作品を読んだが、全く作者本人は分かっていない。自分が如何に詰
まらない作品を投稿しているのか。誰か本当の事を感想欄に書いてやればい
いのだが、それをしない。そんなもんかと思ったもんだ。
作者は自演で酷評しているのだが、すぐその反論が感想欄に書き込まれる。
自演で自分の作品を擁護しているのだ。自分で自分を酷評していながら、それ
に反論して自分を擁護する。こんなばかげたことを良くやるもんだと不思議に
思った。何故自演だと思ったのか、それは他人だったら簡単に分かることだ
が、本人は気づかない、酷評するところが全く違うのだ。的外れの批評をしてい
るから、他人ではないことがすぐ分かる。駄作をさらす人間だ、自分を酷評する
のにも、その指摘する内容がずれてしまっているのだ。笑ってしまう。
ブログを見て思ったのだが、自分の経験したエピソードを文章にして公開してい
る。作者本人にしてみたら、小説でも何でもない、単なる自分の経験談だ。
だが 読む人はそれが凄く興味深いものだったりする、本になり出版される。
誰も興味を持って買うだろう、絶対利益になるビジネスチャンスだ、出版社が目
をつけて本が出版されたのだ。
アリに投稿すれば自分の作品が評価され、出版されて作家になれる。そんな
風に妄想を抱いているのだ。
妄想も良いだろう、夢を持って文章を考え作品を作るのも良いだろう。
アリへ投稿して充実感を得るのも良いだろう。誰からも目立つように、自演をす
るのも良いだろう。自演で自分の作品を評価すれば、或いは他人も同調してい
い作品と勘違いをするかもしれない。一種の賭けだ。ギャンブルの賭けは資本
が要るが、アリでの自演は元ではいらない。だがはっきり言って勝ち目はない。
http://ana.vis.ne.jp/ali/antho.cgi?action=article&key=20060716000065
506 :
名無し物書き@推敲中? :2006/08/01(火) 09:35:07
っつうか、何言ってんだよ〜みんなww
507 :
名無し物書き@推敲中? :2006/08/01(火) 09:44:16
働け残飯
だからおまえには関係ないって2千万のいい夢をみただろ?諦めて働け
(´・ω・`)ショボーン (´・ω・`)ショボーン (´・ω・`)ショボーン (´・ω・`)ショボーン (´・ω・`)ショボーン
511 :
名無し物書き@推敲中? :2006/08/15(火) 23:42:16
阿蘇は伝説のバカ
512 :
名無し物書き@推敲中? :2006/09/16(土) 02:40:51
ロマショックはジワジワ来るよ 残飯 そしておまえは文芸とは無縁の犯罪人であることに気づく おまえが長年避け続けてきた現実と対面するときだな、残飯
513 :
名無し物書き@推敲中? :2006/09/27(水) 11:11:52
アスペルガー残飯、諦めて働け。おまえに小説は無理だって。
mj おわったよ 香りの解明が エゴもね 犯人はヤスだた
こうして旅を終えたわけだけど生きる指針もうしなってねそれでも正常さを保ってるおかしなはなしさ
辺見もがんばったただ自らを追い込むことは負の遺産になってしまうねどうしても
ユダの福音書か 眠ってる間にいろんな事がおこってるなー
まーおまいらがんばいれよ じぁなぁあーー
でもなーーとはいってもみんながこんなことにがんばらなくていいようにオリがおかしな本気になったのにがんばれいよはないよなーー 加速したボケだなーー
あぃや違う。みんなを、他人を巻き込むなんてそれはないよなあー。 寝ぼけすぎだよなあーー。あーぁ。
521 :
v :2006/10/06(金) 00:23:55
かあちゃん どうしてもっと頭よくで生んでくれなかったのよ
522 :
v :2006/10/06(金) 09:01:14
12月24日まであがくよ。 形はできあがった。あとは身をまかせる。8月からいっきにまとまった。だいぶ落ち着いてきました。
523 :
v :2006/10/06(金) 10:32:36
あとは身をまかせる。。。風呂の中で、、、を忘れた。まだこうゆうところがだめんだよなぁー
524 :
v :2006/10/07(土) 10:13:17
己に都合良すぎたやはり書いたものサラサーテしないと携帯も封印しないと強制しないとね脱出ね
525 :
v :2006/10/07(土) 23:19:20
真剣に考えてはいけないんじぁないだろうか
526 :
v :2006/10/09(月) 02:26:15
なんだロマ新作キテルじゃない。 難しいことやってるみたいだな。 すきだよそういうの。 ちなみにオリ作の題名は 玄関先の風景 香りのとんでも話さ よかったら香りについて一考してくれ。
527 :
v :2006/10/09(月) 12:38:47
mjにはめられたよ。
528 :
v :2006/10/09(月) 12:43:50
なぜなら、本当の、真の、ということばには胸を押すなにかがある。
529 :
v :2006/10/09(月) 12:49:10
そのことばを使う資格がないオリにとってそれを考えそして使うことは
530 :
v :2006/10/09(月) 12:51:55
おおきな危険をはらんでいた。
531 :
v :2006/10/09(月) 12:54:37
いや、だれにとってもね。
532 :
v :2006/10/09(月) 12:59:04
そしてここの先頭にはそのことばが使われている。
533 :
v :2006/10/09(月) 13:00:51
禁語だ。
534 :
v :2006/10/09(月) 13:08:10
よってそれは考えてはならない領域へと向かわせる。
535 :
v :2006/10/09(月) 13:11:32
なぜ、禁じられているのか、
536 :
v :2006/10/09(月) 13:12:51
それはあきらかだ。
537 :
v :2006/10/09(月) 13:18:09
それは使うに足る者にしか許されていないからだ。
538 :
v :2006/10/09(月) 13:21:28
だが、そこでなぜなにを、を問うことはできない。
539 :
v :2006/10/09(月) 13:24:52
それを問えば思う壺となる。
540 :
v :2006/10/09(月) 13:28:47
問わずにことをはこばなければならない。
541 :
v :2006/10/09(月) 13:33:32
それがいったいなにを生み出すのか、なんの行為なのか、
542 :
v :2006/10/09(月) 13:40:03
異端、それをうみだし、おこなわせる。
543 :
v :2006/10/09(月) 13:46:10
だからここを封印しよう、
544 :
v :2006/10/09(月) 13:48:04
それは私がする。
545 :
v :2006/10/09(月) 13:50:39
あっ、オリがする。
546 :
v :2006/10/09(月) 13:54:12
まだ545だよ、埋まらないなぁー。
547 :
v :2006/10/09(月) 14:12:58
sagdって。 はじのうわぬりごくろうさんま。
もうだめだ耐えられない。 ゆるされざるものにゆるしを ください。
秋だなぁー。
書くべきか、書かざるべきか
問題はそこではないが。
552 :
名無し物書き@推敲中? :2006/10/12(木) 11:54:35
しかしロマはおり達にすごいプレゼントをくれたなあー。みんなも御孵ししなきゃだね。
どうも事尽きた感がある。 このさき、どうしたものか。
救えないんだな、誰も。
みんなの言葉がある部分につきささる。
取り返しのつかないことをしたが、もどれず、いくこともできず、どこかに
うーん、表現が換わっていかないなぁ。凡だな。
うだうだいっててもよんどころない。ならば良い加減で回転しようか。
生み出しながら描く、描きながら生み出す。どちらもできるといいのにね。腹筋しゆう。
できないことへの苦悩よりできることへの苦能へ。腹筋しゆい。
紙からパソコンに打ち込み始め最初の数ページで一月経とうしてはる。あまないあまない。
ようやく本題にはいったが始まりは完全ではない。不安を残してる。時間を食いすぎ。毎日の修正がタイセツなのね。
つうかまたつまずいた。パソで付け加えた部分は結局削除。なにやってんだか。
さて、いくぞ。
くそっ、胸がいたむ。
気付いたんだね、あとら。でも無駄だよ。とめないよ。だけど今は一緒に泣いてあげるよ。なみだは枯れるさ。血のなみだをながすためにね。
あとら、帰ってきたのか? 挨拶くらいしろよな
568 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:40:20
おいら 創作文芸板に (゚Д゚) 奉仕中
569 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:41:02
このスレッドは すっかり すたれちまった (゚Д゚) なあ
570 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:42:20
安心しろ 今年は誰も まともな純文学系の作家が (゚Д゚) 出てない
571 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:46:23
佐藤友哉とかいう奴が 今月新潮に書いてる作品が気になるが まあ国文出身のおいらからすれば (゚Д゚) 屁だ
572 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:48:16
第百四回文學界新人賞の選考委員も 今回と変更なし (゚Д゚) おいら出すよん
573 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:52:46
しかし今回の文學界新人賞には失望したな 「いやしい鳥」だっけ 同志社の修士だか博士だか知らないが そこ出ててその程度かよ (゚Д゚) っていう作品だわな
574 :
生捨 :2006/11/07(火) 23:54:33
今回の受賞者は 同じ号に書いてる 赤染晶子に並べるかどうかって程度だな (゚Д゚) 俺は買わん
575 :
生捨 :2006/11/08(水) 00:05:58
しかし文學板見る限り 平野啓一郎は人気ある (゚Д゚) ねえ
576 :
生捨 :2006/11/08(水) 00:07:24
文學界新人賞には やっぱり山田詠美が いなきゃ (゚Д゚) だめだわな
577 :
生捨 :2006/11/08(水) 00:10:25
バードメン書いた奴は もう消えたのか? 筒井康隆程度のくだらない小説なら 書けそうな片鱗 (゚Д゚) あったのにな
578 :
生捨 :2006/11/08(水) 00:12:17
しかし島田雅彦は 大した小説書いてないのに 相変わらず偉そうだな とっとと近大も (゚Д゚) 首にしろよ
ロマ、いる?
580 :
名無し物書き@推敲中? :2007/01/03(水) 01:58:00
581 :
名無し物書き@推敲中? :2007/01/15(月) 12:27:57
あげ
次回以降、芥川賞は純文学の牙城としてその存在感を示すであろう。
583 :
名無し物書き@推敲中? :2007/02/26(月) 00:19:52
いるいりう
584 :
男の魂 ◆M6sY1cftVc :2007/02/26(月) 06:50:38
芥川賞にはもっとパワーが欲しい。 ダンプカーみたいな。
昔インド人がやってるカレー屋に入って、 カレー注文したらスプーンがついてこなかったんだよ。 「あ、本格的な店なんだ」とか思って手で食ってて、 半分くらい食ったときにインド人の店員が奥から すげー申し訳なさそうな顔してスプーン持ってきた
586 :
名無し物書き@推敲中? :2007/04/24(火) 15:59:04
あげておこう
さて、ここで問題です 花子さんがお風呂屋さんに行きました さて、何でしょう?
第二問、太郎君が花屋さんに花を買いに行きました さて、どうでしょう?
589 :
名無し物書き@推敲中? :2007/07/01(日) 09:10:31
しらん(´・ω・`)がな
590 :
名無し物書き@推敲中? :2007/10/03(水) 15:37:12
小説の価値の尺度って言っても、モチーフの綺麗さとか文の美しさとか物語の面白さとか表現方法の斬新さとか 色々あるじゃん? そのいろいろある尺度をガチャポーンって丸めて、ラノベ、大衆小説、純文学の三つにまとめようとするんだから 無理が出るのは当然のことだと思う この作品はラノベだから〜 とか これは純文学だから〜 とかじゃなく 「変に分類しようとしないで、読んだものを読んだまま捉えようよ」と 拡声器で宇宙まで高々と叫びたい
今売れっ子の小説家で、純文学書ける奴いるの?
592 :
アトラ :2007/11/01(木) 07:43:09
自分で名づけりばいい。 他人任せはつまらない。 おりのは純楽文学。 いま思いついたw 人それぞれ。 自分で書いているものを名づけてみると なにをしようとしてるのか全体が見えてくる。 久しぶりに感動した気がするw
アトラ、生きてたか、死ぬなよ
594 :
名無し物書き@推敲中? :2007/11/07(水) 18:53:50
音楽だって現代音楽やクラシックよりもJ-POPのほうがマジョリティで 大衆的だろう?文壇の世界だって同じことさ。 ただB'zだのミスチルだのよりマーラーやドヴォルザークの荘厳な 交響詩が好きなやつがいたっていい。マイノリティは個性だよ。
595 :
名無し物書き@推敲中? :2007/11/07(水) 19:45:48
クラッシックのルーツはバリバリの大衆エンタメだけどな
>>595 古典芸術なんて、どれもおおかたそんなもの。
オペラ「アイーダ」なんて全幕公演だとかなりの時間が使われるけど
当時の人は、やっぱり観に行ってたから。ベートーベンの第九だって全楽章
聴くと今の素人聴きには退屈でも、当時はそうでなかったわけだから。
1分程度で終わるアニメのOPやED、2分ちょっとで終わるJ‐POPを
大量に聴き続けてると、評価基準がやはりそうでない人と比べて
変わってきてしまうのは仕方ないかもね。
でもそれを大衆エンタメと言っていいかは少しだけ不安が残るな、私は。
597 :
名無し物書き@推敲中? :2007/11/08(木) 20:50:44
アトラ戻ってきたな。 おれも純文学をまた書くことにした。 文は人なり、人は文なり、でね。
純文学の今後より、自分の今後を真剣に考えるべきでは?
ここを発ててきた人達がいまは、どう思っているのかな〜。 真剣を持ち歩く人は居ず、創る人も居ず、斬る人もいない。 そんななか自分の今後を考えるのはしごくまっとうなことだな〜。 あなただけでなくて。 自らに秘剣を浴びせかける それを紙一重でかわし、封じる。 そんな無茶な業を編み出そうとしている、オリ。 たわけたことやっている、そんなとこしかいま思いつかないな〜。 いや、ここずっとなわけなんだけどw
willy stardust か。 まったく意味わからんがw 変な近親感と嫌悪感を憶えてしまう。 いっしょに酒を呑みたいやからというか。 本気を堕さないかな、彼は。
新文学とは何か? まったくわからないが @ 読書をやめる。(全文学のリセット) A すべてオリジナルである。 ほぼ無理だw これを行なえば理解されないものになる。 だけれども理解を促すものが見えなければ支離滅裂となる。 自分自身のなかでも支離滅裂ということで困ってしまう。 こっれをできる人を待ち望んでいるのだ。
言葉はあるのにあえいでいる。
結論は出ているのにそこから結論を導き出す。 終わらないことが繋がり、仮の永遠性を保つ。
さて、来年は何をするかなー。 浮かばないなーw また来年の11月まで楽園の香りはおわづけだろうし。 実り多い無実の罪の2ヶ月だった。 けれど別のものも書きたいなー。 あぁ、また無能の10ヶ月が始まるw
なににも固執、執着しない そんな生き方ができれば悪いわけではないの。 これで憩う。
606 :
名無し物書き@推敲中? :2008/01/01(火) 01:38:50
どっかのスレで うちの会社の悪口が書いてあった。 「○○という会社に再就職の面接に行ったら、『将来の夢』ってタイトルで作文書いて下さいと言われた。むかつく。 25歳にもなって、将来の夢もクソも無いだろ。25歳にもなったら現実を見る年齢だろ。他人を馬鹿にしやがって! 小学生じゃあるまいし。しかも原稿用紙2枚も。何を書くわけ?ありえない。 ここで働いてる奴は、こんなくだらない作文を一生懸命、原稿用紙2枚分も書いた、幼稚な人間なんだね。気持ち悪い。だいたい何でホテルのフロントの仕事で将来の夢の作文なんか書かなきゃいけないわけ?意味わかんない。 作文があるんだったらちゃんと求人に書いとけ!『面接』しか書いてなかっただろ! むかつくからその場で辞退してやった。」 みたいな事が書いてあった。 このレスを見てかなりむかついた。 ホテルのフロントだろうが、面接で作文を書かされるのは当たり前じゃない?25歳で「将来の夢」の何が悪いわけ?私はちゃんと作文を(原稿用紙2枚分)書いたから採用されたんだよ。 それを幼稚な人間なんて言い方はむかつく。 ひがむな!
記念すべき日です。 今日の朝、気がつきました。 文学を終わらせるための作が、 奇しくも、終わらない文学になっていることに。 終わりのない文学、これが意味する所は、
新文学の到来です。 一人の作者が孤独と闘い、小さな脳で作り上げる世界はこれでかわります。
TELしとりました。寸ません。 安酒V.O呑んどります。 なまけものMJを見習ってBITTERチョコでやっとりますですw で、なにが記念すべきかというと、 いま、showがピエロになってやってること、 そして、無個性が天国というスレでやったことがリンクしてます。
今日はV.O640mL呑みきりますw 水割りですが。 なぜ、作品が完結するのか? 考えたことがみなあるでしょう。 そこの向かって作者は没頭します。 当然です。それは悪く言えば当たり前なのです。 しかしよく言うこともできません。 それは終わりに向かうということになります。 われわれの妥協にほかなりません。 未完成とはそのひとの能力の限界を暗に意味しますが、決してそうではありません。 次ぎに繋げるという意思があるはずです。
無個性がレス1000を超えてなぜ続けようとはしなかったのか? 1000のレスを終えたときなぜ無個性は涙を流したのか? あほw のshowがSFを追求せず、悪い意味で視野を広げようとしているのか? なぜ悪い意味で新しい試しみをしているのか? 自らの終わりの予感を感じ取っているからでしょう、それは↓。
612 :
名無し物書き@推敲中? :2008/01/03(木) 01:52:27
マンコのにほい
そう、誰にだって限界を感じるときがある。 自分にはミリだと。 最初からわかっていたことなんだ。 やりきるところまでやった、それのなにが、どこが悪いんだ、と。 悪いわけがない。 それは自らが決めた限界なんだ。 そこに到達したんだ。
それは無論、個人の玄界灘で、自分で許す限りだれも咎めることはできない。 言わないだけだ。 だがなぜ言わない。 言えばいい。 俺なら、私ならこうすると。 なんならリライトすると。
だがリライトは許してはならない。 その文はそのままに新たに書き加えること、新たな章を入れることは許されるのではないか? って、ていうか、なぜ許さないのか? 許せよ、禿げw
個人の考えがどれほどのものだろう?
なんだか新文学の予感に興奮しているところに水を差すようだが、 俺は「文学の終わり」に興味はないし(絶対に終わらないから) 自分の限界も特に感じてないよ。 「文学の終わり」ってのは、柄谷さんとかが言っているあれだが、 近代文学の終わりなわけで、そんなもんは終わってよくて、現代文学、 ポストモダン文学とかSFとかライトノベルとかやればいいだけの話なわけで、 携帯小説でもいいけど、それはまだ終わったようには見えない。まだ行ける。 俺も自分の限界は今のところ全く感じてない。
あたっ、あたま、あたいw ぜんぜん水をさすことにはならないよ。 逆におりが手が滑ってトン汁をぶっ掛けた感じだからw
さて、風呂へ入ってすっきり。 こんなんのみ続けたら で、どういうものかというと、 終わらない文学の下敷きを用意します。 全人類参加可能です。 ひとつのテキストをみなで共有しますのです。
タガログ語でも、タガログ語でも、タガログ語でもwなんらかまいません。 むしろ望みます。 テキストはどんな形にしても同期されるw 文字ですから。 多言語入り混じりで読みにくいですが、原語のまま保存、更新されます。
ちょっとコロンビアまで豆、買ってくる。
数学というか数字の世界ではこういった共考みたいなことは、やられてるよね。 しかし文学の場合はどうだろうか? よく知らないな、現状は。
ノーベル賞などの作家(毎年開催あるのかな)もおりは読んでないの。 なぜならそれはその作家の中で完結している問題だからの様な気がする。 そこで終わるみたいな感じがどうも受け付けないんだな。 文学の不満みたいのがもやもやしたもにのがある。
永遠の更新に耐えうるだけの下敷きがいる。 永遠、終わらないとはとはおりたちが☆~になった後も続いていく、 人が存在する限りの・・・戦い?
文学者ならずとも、いや作家たるものそれ以上に手と手を取り合うべきなんだ。 個の文学はそのためにあったんだろう? ならばいま変わろう。
アトラはな〜んも理解できなかったようだな なにやってんだよ、ぼけが…
うん、そうみたいなんだ。 やはり、予測は当たっていて何をやってもだめなものはだめってこと。 おりは消えるべき存在なんだってこと。 居てはいけないんだってこと。 作の中でなくて現実でも全力で消しにゆかなければならないこと。 眠る人々を起こすことはかなわない。 おりはそこから立ち去った。 そこに奇跡など新たな香りなぞ起こる余地もない。 いや起こすつもりもなかったんだ。 おりは失敗したんだ。 堕落の香りしか持ち合わせていなかったんだ。
まぁ、あれです、魂破りが成功して、宇宙の外の外に行けたなら、乾杯!の合図を送るよ。 ほんとうに、いままで、ありがとう
お前の、その奢りが堕落なら素敵じゃないか まあ、現実世界のヤクザみたいな生活が崇高なのかもな 宇宙の彼方じゃなくてゴッホみたいに全てを寄付してみるか?
630 :
すいませんけど :2008/01/08(火) 03:38:52
何を言うとんねん
オランダ時代のゴッホは貧しい人に何でもあげちゃったんだよね お金も食べ物も、着ているものだってあげちゃうんだから 本当に困ったちゃんなんだよ、でもそんな話もみんな忘れちゃったんだが ロートレックだけは覚えていて、初対面の時、あのイエスキリストか… って言ったんだよね
アトラって、ナースのことだっけ? ほんで、小学生とアトラはまだ出てこないの? こんなところでいつまでもぼやぼやぐずぐずしている存在でもなかろうに。
633 :
名無し物書き@推敲中? :2008/06/01(日) 00:51:51
age
634 :
名無し物書き@推敲中? :2008/06/10(火) 23:21:02
ag
635 :
まるち :2008/08/08(金) 21:32:48
実は私の常駐スレでコテハン二人が日本の純文学の知識、理解などの 優劣で雌雄を決することになりました。 wiki等で簡単に検索されない類のテーマなどはないでしょうか? 皆様の知恵を拝借したい次第でございます。かしこ PS、自称インテリが食いつきやすい、且つある程度メジャーな 順文豪レヴェルの作家関連が希望ですが(ry
どうにも手に負えない。 よって、公開して先の手にゆだねたい。 刑事が犯人に撃たれ意識を取り戻すと人々が倒れていた。 誰一人一向に目覚めることのない人々を前に刑事は地上を離れる。 船上にて刑事はこの事件の報告書をいくつも書き続けることになる。 これはそのいっぺんである。 題名は玄関先の風景から楽園先の風景に変えたいがこんな言葉はない。 楽園先の??? 楽園先からの??? とまったく定まらない。 (この報告書では香りというファクターを使用) texpoで誰でも書き足すことができ、 新しい報告書のいっぺんを作ることもできる。 これでいきたい。
ラノベではない、純文学やポストモダン小説などが盛んに投稿されてるスレありますか? また、サイトなどはありませんか?
638 :
名無し物書き@推敲中? :2008/11/16(日) 00:18:38
>ケータイとPCでマルチ復活だねwwwwwwwwww ああ 昔はケータイ数台駆使してたな さすがに モリタポ では払えないか こんな 屁 にどうして 嗅い で入った? ぶははは!
639 :
名無し物書き@推敲中? :2008/12/16(火) 18:12:23
コネ受賞しかなくなる 伝統文化みたいな、徒弟制度を目指しているような気がするよ
高学歴がそれも一流大学の文学部出身者が中心になって 巧妙に低学歴者を排除してきたあげくがこの有様だ 低学歴を取り込んできたアニメは世界に冠たる芸術になった。
641 :
砂跡 :2009/06/01(月) 01:45:46
<カフカの救い> 彼を知る者、現在に至るまで そして.未来、 この問い この問題を真摯に 受け止め さらに応えることができるものは、いるだろうか。 文学史上、なにゆえ彼が偉大であるのか? 偉大であるのは誰にでもわかる。 しかし誰もがこの問い、いやこの言葉を頭に浮かばせるだけで 胸が張り裂けるのを覚えるだろう。 彼自身がその答えを持っていたか否かは 別として、こう断言できる。 「彼は、物語上、誰一人 救わなかった」 何を救いとするか明確でない以上、 そこには危うさの影が残る。 しかし、あえて言い切ってみると 見えてくるものがある。 我々は その事実に愕然とするだろう。
642 :
砂跡 :2009/06/01(月) 02:07:20
彼のような多彩で変化にとんだ ものを書く人が終わりだけは、 こうも一辺とうになるだろうか。 そこで考えてみたい。 文学史上、まれにみる才能とその存在意義とは 逆に、現在の文学におけるそう失、欠落感はなんなのか? 文学史上、なにゆえ彼が偉大であるのか? 我々が、何を彼から導けば良いのか。 いま、 「カフカの救い」、という そのまま ありのままの この言葉をまともに掲げて、 問い、その答えなるものを、その 輪郭に少しでも近づいてみよう。 すると 近づいてみなければならないことが すぐにわかるであろう。 だが、そうすることは、非情な困難が伴うことも、 同時に知ることになるはずである。
643 :
砂跡 :2009/06/01(月) 02:21:45
「カフカの救い」と 大きくとらえると 目に見えてわかるのは、その作品ごとの 終わり方である。 彼の作品をこと細かく分解し、分析 するのは楽しくも、骨の折れる作業となる。 その多くは、ただの賛辞におわるだろう。 残念ながら それをするのではなく、 「カフカの救い」を考えること. である。 「カフカの救い」を作品からばっさり切り取 ることを前提としている。 カフカ本人にとっては 非情に迷惑な 話ではある。 彼自身が救いを意識していたか どうかは ともかく、 物語りのエピソード、情緒、など そうしたもの、細々としたものを飛び越える可能性に満ちている。 それは、文学の道をさししめす 新たな進化の誕生をうながすものと信じる。
644 :
砂跡 :2009/06/01(月) 02:48:12
そう願ってやまない。 ただ、そこにでてくるのが、 痛みを伴う誕生であるのか、 一般的な悪や善、天使や悪魔なるものが、 誕生するのかはわからないが、 痛みを伴うのは致し方ないとしても、 一見して悪のように見えても ただ単なる悪そうろうのものはでてこないだろう。 彼の作品 すべてがそうであったかのように 完全なる悪は、どこにも見えてはこない。 生きもの、生物への痛みの還元にかいきするのだ。 我々は それには容易には気づけない。 「悪の抽出」 登場人物にも 悪を内包するが、 「カフカの救い」の目が そこにはいきとどいている 内包しているのである。 それは主人公に対しても同じことがいえるのだろうか? 一種の浄化作用. そんなものを感じさせる。
645 :
砂跡 :2009/06/01(月) 03:08:31
カフカの作品の終わり方に いつも 我々は 突き放されることになる。 突き放し方は さまざまだが、 その多くは 死をもって終えるが その解決法、安易な救いがさししめされること なく、終える。 彼は そこまで 親切ではなく. 我々を そこまで 運んではくれないのだ。 残酷とはこのことだろう。 我々読者は切り捨てられる。 一気に、現実に押し戻され、さらにそこから 別の場所へ押し出される。 つまらぬ詮索は許されず 作品の重みが、背中にのしかかってくるのである。 そして動けなくなる。
646 :
砂跡 :2009/06/01(月) 03:20:49
もし 彼が 作品の終わりに、その救いを知っていて 書かなかったのあれば、 彼を許すことはできない。 だが そうは思えない。 彼は、知り得ていたとしても、書けない何かが あった、 としか、考えられない。 そして、 ここに 文学の可能性と絶望性を見る。 それは 文学の限界をさし示す。 文学では、いつまでも、ここを突破できないのだ。 無論 カフカ自身の作品が それまでの 文学を突破しているのは確かである。 そこには誰も異論はないだろう。 彼の作品で 可能性が高まったものの 彼と同じようなことができる者がいなかっただけなのか? いや 逆にそんなものは必要ないだろう。
647 :
砂跡 :2009/06/01(月) 03:45:57
では、何の可能性が広がり、高まったのか。 彼はあの時点で 文学が文学であること その姿でいられる ぎりぎりまで高めたのである。 その器からあふれでようとするものは、 気化していって、我々の眼ではとらえられない。 カフカ本人には見えていただろうか? しかし 気化して目には見えなくとも どこかに浮遊し、存在しているはずである。 この発見、これこそが 取り組んでいきたい いかなければならないものでもあり、問題でもある。 もし、それが見えれば 文学の形態、役割もおのずと変わってくるはずだ。
648 :
砂跡 :2009/06/01(月) 04:07:58
では、どのように我々の眼に見えるようにするのか? 基本的には文学者たちが、沸点の高いものを書く ことが前提となるのだろうか。 そのようにして気化したものが 充満し、変化するのが望ましい。 だが、そうした時代があるにはあったろう。 がそれをもう待っていられない。 もう一度そんな時代が来たとしても そこで望んでいるもを得られる確証はない。 もう十二分なほどの待ちくたびれている。 気化したものを見るには 十二分なほど作品が存在しているように思える。 土台は出来上がっている。 なのにカフカが刈り取った、この丸裸の荒地に なにか生えるどころか、しずくさえ この大地には落ちてこない、 からからなのだ。
649 :
砂跡 :2009/06/01(月) 04:37:41
物語をつむぐものは終始 孤独である 手と手を取り合うことは、まれである。 共同作業のようなものが ひとつでもあれば、何かが変わってくるだろう。 しかし残念ながらそういったものはないのである。 ありそうで、なく、できそうでできない。 これは、文学に携わるものの課題である。 何を共同作業するのか、それさえもわからない。 はっきりとせず、不透明だ。 文学の多岐多様性さにも その一端があるようにも思えるが
650 :
砂跡 :2009/06/01(月) 04:56:57
また、ここには、文学が何であるのか といったことが根本的な問題が、脳裏に浮かぶ。 カフカ以前、以降も、 文学の形態、その意味の変化は実験という形で成されてきた。 形を変え、その姿を変え続け、文学という形態は、いったい 何をしようというのか、何のために書かれ続けてきたのか そのはてには何があるのか、 そして 今、そのはての手前 にいるとすれば、何をすべきなのか? 文学の完成形は、あるとすればどういったものなのか? に思いをはせずにはいられないのである。 また絶えるとすれば何によって絶えるのか まだ絶えたとはいえないのか 誰もが予感し、書き綴られなかった ものが まだあるとすればなんであるのか それらもあわせて考えていくことになるだろう。
651 :
砂跡 :2009/06/01(月) 11:37:57
「悪の抽出」 このあくという言葉も カフカにおいては一言で言い表せない ものとなっている。 それは、一体 誰が 何が 悪であるのかが、明確にされていない。 誰もが悪となり得る。 永遠にたどり着けず、脱出もできないでますます 困難におちいり、疲労していく、 という感を与える。 そして彼(主人公)は、何と戦っていたのか? という問いが浮かぶ。 そして何を持ってこの主人公たちに 救いが与えられるのか? 何が彼らの救いをこばむのか? もはや 回避不可能の 人がもつ 特有の有りものによって阻まれて いるようだ。 人はそれを原罪と呼ぶだろう。
652 :
砂跡 :2009/06/01(月) 11:55:06
原罪とはなんだろう。 カフカはこれを 忠実に わかりやすくあらわした、 ともいえるかもしれない。 現代の原罪がどのように示されているのか、 けっして それをあらわにできず、 しかしただ書くことによって訴えなければならない その有様を。 原罪とはなんであるのか? 科学でこれを証明しようとすれば、少々やっかい なことになる。 触れれば やけどを負うだろう。 あえて、現前にさらすことは。
653 :
砂跡 :2009/06/01(月) 12:20:09
こうした役割は おもに文学に与えられていた。 最悪をシュミレートする。 その事態から、脱出やそうならないために解決策をさぐる。 だが、多くの文学の名作たちは、脱出できず、 やわい解決策、そのための示唆は 示されていない。 カフカに至っては、 その姿勢は、その救いのなさは徹底的である。 考えうるあらゆるもの そのなにものも通用しない。 そういった意味、厳しさにおいても カフカの文学は新世代、次世代文学への 高いの壁となっていると思われる。
654 :
砂跡 :2009/06/01(月) 12:45:06
見事なまでに、 一定方向に進行する物語。 それは見えない力がまるで存在するかのようだ。 見えない力。 まるで、死を刻む秒針。 それが迫りくる。 といってもカフカの物語は 最後になされる「死」 よりも そこまでに至るまでの物語りのほうが重い。 そこが、 最期のあっけない「死」を より軽くさせる。 いわば、逆転が起こっている。 そうすることで来るべき死の痛みを和らげようとするのか。 最悪への準備なのか。 いや違う。 カフカの場合、それは、死は、鎮静剤にならない。 カフカの物語の中の死は、至って平凡である。 カフカにとって、自らの死は、大した ことではなかったかもしれない。 だが好んで最期に死を選び取ってはいないと感じさせる。
655 :
砂跡 :2009/06/01(月) 13:02:23
それは死を持ってしても、 あがなえない何かである。 そうしたものと 折り合いをつけるには? 彼のものを読み終えた後、 我々は軽いめまいを覚える。 我々の現実にオーバーラップし、 さらなる地獄へと招待する。 安い救いは、新たな地獄への 果実、撒き餌に過ぎない。 読者それぞれが 自らの現実の地獄と比較、照合する。 するとカフカの物語のほうが、 静かに重くなっていくのがわかる。 それは何が原因なのか。 いわば 救いの放棄である。
656 :
砂跡 :2009/06/01(月) 13:21:12
なぜ、放棄せざるをえないのか? 自らの手で葬り去るのか? 救いはそれほどまでに遠く、秘密なのか? 救わずのカタルシス。 カフカは、触れてはならない、語ってはならない 語れないものを物語った。 なぜ、そうなるのかわからないが、 なぜかそうなる不可思議さを。 そこを語り 疑問に思い 口に出すことは かたくなに禁じられている。 おそらくはどの時代でも同じだろう。 カフカをその文学を語る上で、苦慮するのは このことが絡み合っているからだろう。 彼は それを そのまま形にしたのだ。
657 :
砂跡 :2009/06/01(月) 14:09:31
原罪はいままでは 宗教の扱う領域であったろう。 そしてカフカの文学は 宗教ではおさめれないものだった。 単純ではなかった。 カフカの文学の領域は、 そこから 滲み はみ出し、拡大を続けたのである 救いのざるから抜け落ちた者たちを どのように救うのか? いや 救いがないからこそ 書き綴った。 直感的に彼にはわかっていたかもしれない。 救いのない存在の結末が。 それを 読み、感じ、知り得た 我々は何をすればよいのか? それを読ませることで 何を我々に彼は 求めたのか?
658 :
砂跡 :2009/06/01(月) 14:35:11
元々 彼の書きものは 読者不在である。 そこまで 書く態度ははっきりしていた。 我々読者は最初から想定されておらず、 何の信用もされていないのである。 いやはなから相手にもされていない。 ただ 読むことができる環境を許されていはいる。 我々はそれだけの存在なのだ。 彼にとっては、何の作用、反作用もない。 だとすれば、我々常人のこうした間のヌケた アプローチは笑いを誘わざるをえない。 彼だけの世界観であり、何の介入、 改変ももしくは賞賛も望んではいないだろう。 しかし我々は、作品からかいきされる、または 与えられたものを さぐってゆくしかない。
659 :
砂跡 :2009/06/01(月) 20:25:00
よってカフカの作品に救いは与えられない。 それにより 彼の作品群の存在が、 永遠に我々の脳裏で焼きつきをおこし うずき続ける。 禁断の書 ある意味、あそこまでの表現してはいけなかった 追及の手を伸ばしてはいけなかった。 我々が 救いにあたいしない 存在とわかるまでも。 彼が 我々を裁いているのじゃないかと そんな錯覚を覚える。 我々一人一人が死に値する 何かをもっていて、それによって 自然死ではない死を与えられる。 それは一種、儀式のように 一人一人にひそむ罪を暴き 原罪の封印、消滅を行っているようだ。 そのための文学の形をした別物だった。
660 :
砂跡 :2009/06/02(火) 02:06:59
人間の物悲しさと融合した 原罪が切り離すことがもはや できないことを知る。 裁くのは罪であるが、 それをもつ 人も一緒に裁かれる。 ここが厳しい点ではある。 罪だけを箱に帰すことが もはやできない。 彼は、人が放置して生まれた、 さまざまな形に変化した原罪を 後処理として追われながら一身に受け、 代わりに背負っていたとしたら。 それを文学の中で再現した。 これはあまりにも宗教的発想だ。
661 :
砂跡 :2009/06/02(火) 04:06:04
ここで問題となるのは、 彼が原罪なるものを持っていたか、いなかったか という点だろう。 彼も自らに潜む原罪 それが巨大であることを知っていた。 彼独特の裏腹さ。 彼が作中で慎重に事を 運ぶのは、そのためかとも思われる。 自らの原罪が暴れだすのを防ぐがごとく 冷静さをたもつために。 だがそれゆえにあのあっけない最期が 実はとても残酷にも思えるのだ。 しかし、さけられないものである。 それはつまり、 そうするしかなかった、 のである。 いわば、彼の象徴ともいえるのではないか。 誠実さのあらわれ。 人のさまざまな原罪の仕打ちによって 高められた自らの原罪を抑え込む 唯一の終わり方といえる。 杭を自ら打ち込み、死を完成させる。
662 :
砂跡 :2009/06/02(火) 19:11:20
彼の読者は その杭を自らの原罪に打ち込まれることになる。 逡巡に逡巡を重ねられて創られた その杭は、抜けることはない。 まるで精巧に作られたねじのように 我々の原罪の中にぎりぎりとじわじわ入り込み、 しかし、一滴のしずくも漏らさず、 いつしかすっぽりと原罪の肉中にその形を、姿を消すだろう。 我々は そのとき、 鳥肌は立つものの 何の違和感も感じないだろう。 なぜなら、その素材が元は同じものでできているからである。 杭を打つということは死を意味するのではない。 あるがままの 原罪を別のものに変える 作業、工程である。
663 :
砂跡 :2009/06/03(水) 02:55:16
人間と原罪のわけへだてることの できないものの死から、 カフカが抽出した抗生物質。 彼は我々にうずきだけを与えのではない、 ということになる。 ここで問題となるのは、 原罪を生かしたままでの変化なのか? 死滅させた後の変化なのか? ということと あるいは、やはり 我々ごとほうむり去る 毒薬であるのか? むろん、劇薬には相違ない。 どれをとるにしろ、効き目はばっちりで 我々それぞれの中で今もさかんに反応しているだろう。 効果が出るのはいつだろうか。 出ないとすれば、 それは我々側に問題があるのだろうか。
664 :
砂跡 :2009/06/04(木) 07:08:14
我々は、死以外の解放を渇望する。 死、自体は忌むべきものではない。 だが肯定できる者もいないだろう。 できることなら己は犠牲にならず 助かりたいと願う。 予想の想定の外でそれが起こり 痛みなしに最期の時をむかえたいと思うだろう。 誰も 拷問の中、 心の何かを失いながら、死を むかえたいとは思わないだろう。 死はやってくるだけで最初から誰もむかえてなどいない。 それだけ、死が 生に与える 影響力は大きい。 死からは何も生まれない。 一度おきてしまえば無抵抗になる。 現実では、生物は生の中からしか変化は生じない 残念ながら、どんな状況であろうと、生の中でしか 我々は何かを変えることはできない。 ほかの手立てはない。 彼の物語の場合、すべての試しみは失敗に終わり、 最悪で、奇妙に満ちた終わりをよびこむ。 彼の書いたものが、世に出る ことによって、我々読者も主人公とともに その死を与えられるのである。
665 :
砂跡 :2009/06/04(木) 23:01:45
これはどういうことなのか? 現実の中で、我々が日々行っている日常、 人と人との争いの中に見ていたのは表面 それが逆転、反転し、 物語、文学、彼の中で行われるのは 現実でもなく、夢でもないしかし その両方を凌駕するリアルの中での 原罪と原罪との戦い。 それはすなわち 、 カフカの原罪とその他の原罪との戦い。 その現象、あらわれ、だったのだと。 それを見ていた。 それが見えていた。 そしてその戦いを忠実に文学の枠中におこした。 他に類を見ないあっとう的戦い、を繰り広げていくのである。
666 :
砂跡 :2009/06/05(金) 21:53:04
物語の中で 主人公、中心人物が死ぬのは、 それが彼だと仮定して、その重みを知っていたからだろう。 その重みとは その者・・・彼が有している 原罪の重みである。 彼が 救われぬのは、 その原罪の持ち主だからである。 原罪そのものが救われてはならない。 彼はそう考えていたはずである。 原罪たちが 互いに滅ぼし合い、 裁き合い その戦いの終わりがくることを望んだ。 それには、まずは 彼が 死ななければならなかったのである。 彼は類まれな というには失礼にあたるほどの 理解力と表現力で、 それを圧倒的にやり遂げたといえる。 不幸なのは 彼が 原罪を知り得たことだろう。
667 :
砂跡 :2009/06/06(土) 00:53:08
彼の中に原罪があったかどうか、 それは定かではない。 が、としても あろうとなかろうと、 察知し、知り得た以上、どちらせよ、 もはや、さけられないものとなる。 人であれば 誰でも有しているとするならば、 自らの中にも はいずり うごめいているのは 否定できない。 いや むしろ彼は それを肯定し 、 戦うのである。 これを、この勇気を たたえない者などいるだろうか? 静かなる しかし熾烈な戦いを 挑む力は どこから来るのだろう。 我々が 接触不能のところで 彼は 一人 戦っていたのである。 それも 勝つためではなく、 敗北するために。
668 :
砂跡 :2009/06/07(日) 00:21:34
最大限の力でいどみ、 負けて、その先にあるもの それが 彼の勝利なのだ。 それは絶望ではない。 それは、燦然と今も輝く 光を放つ。 暗闇から闇が発光する。 我々はそれを見ただろうか? 見たに違いない。見えていなくとも 肌で感じたに違いない。 でなければ、これほどまでに、 引きつけられないはずである。 そして、我々は その光を 放つことができるだろうか? 光を当てられれば 温まり、 動けるようになる。 ただ 光を反射する鏡でなく、 我々自体が 光を強めれれば 良いのだが。 彼は 原罪という闇に ともしびを点けた。 それは 今もゆらめいている。 やわく おぼろげに 我々の、中においては。
669 :
砂跡 :2009/06/07(日) 02:13:24
彼は 自分自身=原罪を 救い出す気はなかった。 では彼=人=彼自身は どうなっているだろうか? 自身の原罪を滅することが 彼の救いだったとすれば それを書くという行為自体が 彼自身を救っている。 それはその行為自体が救いの行為だった。 救われないことが救い 救わないことが救いという 彼特有の逆説がここに成り立つ。
670 :
砂跡 :2009/06/07(日) 22:24:50
では彼は、それが意図ならば、 書くことを なぜ 死の間際までやめなかったのか? それまでに 多くの死が作り出され、 事はすでに達成されたかのように思える。 彼にとっての救いとは? 常人が 彼に 情けをかけるようで おこがましいことはなはだしいが 我々は考える 何が まだ 足りないのか? 彼の救いに 何がまだ足りないのか? もし 彼が 今も生きて、書き続けて いるとしたら、彼の書く行為 その形はどうなっていただろう と考える むろん 我々は彼、ではない.
671 :
砂跡 :2009/06/07(日) 23:27:01
−−とどめ 彼は、まだ とどめをさしていない。 いや、我々がそう 思い違いをしているだけかもしれない。 むくむくと頭を持たげてくる、と。 だが、なぜかそのように感じるのは事実である。 そう、 とどめをささなかった、と。 それが、次世代の文学の 救いとなったかどうかは考えどころではある。
672 :
砂跡 :2009/06/08(月) 01:27:06
彼が残した道を行くのか 新たな道を行くのか どちらにせよ、彼を 知るものは、長い足止め、停滞をくらうだろう。 いつまでも彼の骨が のどにひっかかることになる。 もし 仮に彼の存在がなかったら 文学は、まだぬるま湯につかっていただろう。 だが 彼の存在によってそうは いかなくなったのである。 もし 彼が文学そのものにさえも波及する とどめをさしていたならば、 我々は 新たな道を探していただろう。
673 :
砂跡 :2009/06/08(月) 01:50:33
だが、それをしなかったために、どんな形にせよ 文学が残る道を後世に与えてしまった。 生きながらえた。 それが 文学に携わる者の救い となるが、 反面 拷問にもなりえる。 残していったものは多いが 残された道は少ない。 作品さながらの 多くの彷徨えるいけにえを生み出しかねない。 これでは本末転倒である。 では、ひとえに彼の責任であるのか? そういってしまうのは、あまりにも むごいだろうか。 ただただ、彼の早すぎる死が悔やまれる といいたいところだが ここでは 彼の責任である、 と言い切っておきたい。
674 :
砂跡 :2009/06/08(月) 11:01:39
ては、 彼が残した道とは何か? 我々は そこで その前でたたずみ 鎮魂歌をうたうのか? いや違う その先に何があるのか? −−何もないだろう ただ そこには 終わりがある。 どんな終わり方をするか? そこには意味がある。 我々の偽善をひっぺがす 何かがある。 我々は それをまともにくらえばいい。 だが そもそも たどりつけるのか? 我々は常人である。 ゆえに、 彼のような方法を もほうすることすらできない。 しかしながら、 道を外れようと、強制的にも 我々は終りを見る必要がある。 そうしなければ 我々には どうもわからないようだ。
675 :
砂跡 :2009/06/08(月) 11:40:56
では どのように 終りの文学を 救いへと つなげるのか? −−救いは必要ないように思われる。 文学はなげきでしかない。 どうしようもいなげきである。 そこに 他者は 介入できない 自らが 解決の道をさぐらなくてはならない どうにかしなくてはならない。 願いでもない。 そこに情けはない。 それを 文学は求めているわけではない。 文学は救いを 拒否し、 救いのない中 戦ってきた。 その厳しさが、その姿が 我々を 勇気付けたに違いない。
676 :
砂跡 :2009/06/08(月) 12:01:41
しかし、 ひとえに それは 我々が 救いの 創造を してこなかった、できなかった というべきだろう。 その妨げの理由は 色々と考えられるが しかし これは 事実だ。 しかも 我々は なおも なげきを 求めようとしている。 何時まで、それを続けるのか? なげきの数だけ救いはある。 我々は それを生み出して いかなければならない。 しかし 彼という存在がなければ 誰もこのことを考えはしなかったろう。 まさに 救いの危機と文学の本分が 一致したときとなる。
677 :
砂跡 :2009/06/08(月) 12:37:01
我々は彼の存在ではじめて そのことに気づかされるのだ。 救いが危機に瀕した。 彼の文学は 我々を 完全に窮地へと追い込んだのである。 そのため 我々は文学という名の皮を 脱ぐ 必要性が そこにうまれた。 しかし実態は ほとんどは丁寧に皮をはがされた。 誰に? カフカにである。 彼の救いのなさに ついに我々は 救われはじめたのである。
678 :
砂跡 :2009/06/08(月) 13:00:58
我々は救いを他者にまかせてきた。 問題はある、と その提起にとどまった。 どこかの誰かが 現れるだろう。 そして それをやるだろう、するだろう、と。 先送りされた救いはどうなっているだろう? 文学、我々は、問題を探してばかりいる。 いわばそれ以外の一切の放棄が 文学である。もちろんそれも一定の評価はなされてしかるべきだが 文学の不可能性は ここを 端にしている。
679 :
砂跡 :2009/06/08(月) 14:58:36
我々は 落ちるところまで落ちた。 ならば そこで なおの それ以上の 落下を望むことはできない。 底はうっている。 救いそこねてきた。 ずっと 救いそこねてきた。
680 :
砂跡 :2009/06/08(月) 15:38:26
それだから、 だからこそ うず高くつみ 上げられた作品たちは、 その 結晶となり 新たな価値を生み出す あらゆる 苦難の残骸たちの重みでその一番下から生み出される。 折り重なり押しつぶされてでた苦汁が流れ、残骸をつたい 一番下でひとつとなり自身たちの圧で その血清から結晶を作るだろう。 それはどんなものだろうか・・・? と我々は考え、思いをよせる。 しかし 我々傍観者が そこに 想像をかたむけられるだろうか?
681 :
砂跡 :2009/06/08(月) 19:50:42
だが 見せる必要がある。 救いそこね続けてき、 我々がいきつく 最期の末路 その姿を。 おそらく これは、早すぎもせず 現在、そうすべき事柄ではある。 しかし、遅すぎた終りである。 しかも、それは そうしたいのでなく そうするしか ない、できない から それをするだけ、 なのだ。 やってこなかったものを 突然できるわけもない。 とすれば、やはり遅すぎた終りといえるだろう。
682 :
砂跡 :2009/06/08(月) 23:28:23
彼が そのトビラを閉じたとき 別のトビラの錠がはずれた。 鎖はほどけないまま そこからさす、わずかな光。 救われないことが我々の、 文学の唯一の救いだった 誇りだった。 我々はそのトビラの前にいるが その隙間からさす わずかな、霧のような白い光しか見えない。 しかし次第に トビラの輪郭を浮かびあがらせる。 それはまるで トビラ自体が 彼 、 カフカであるかのようにも見える。 トビラの柄は 彼の手のようで まるで こちらに それは控えめに 差しだしているようだ。 トビラを押して 中に入るよう 催促しているようにも見える。 しかし 我々は 一歩 踏み出すことは その手をとることはできない。
683 :
砂跡 :2009/06/09(火) 01:42:10
我々はまだ 完全なる終りをみ たいという欲望を捨てきれない。 体に焼きついた、つきない欲望。 救いのない処にいる安心感を そこに湧き上がる何かを 充足したいと。 たった一つの理由を引き換えに それは許されるだろうと己に言い聞かせて。 また 我々にできるのは、 これくらいだろう。
684 :
砂跡 :2009/06/09(火) 20:00:50
我々は まだ 終りを 楽しむことしかできないようだ。 そこまでしか たっしていない。 その先がくるのは、 ずっと先かもしれないし、 もしかすると 今現在 誰かがすでに行っているかもしれない。 おそらくは それが どういったものであれ 未成熟なものだろう。 我々は それを はぐくむ必要がある。 だが それが何か まだ知らないのである。 もし 今現在、現に存在し、 我々の眼にとまっていたとしても、 見のがすだろうものに違いない。
685 :
砂跡 :2009/06/09(火) 20:31:48
ならば、未発達な我々の行うべきことは なにか? 知ることができないものに対して できることは何もない。 最大限をもって 望む終りを求め、それを することだけである。 みごとなまでにシンプルでわかりやすい、 が 滑稽だ。 いいかえれば、それしかできないのである。 生みだすことはできない。 我々が終わりきれば、 そのとどめをさせれば、 もう よみがえることはないだろう。 そこからは何も生まれないが、 別のものが生まれる土壌ができあがるだろう。
686 :
砂跡 :2009/06/09(火) 22:11:13
それをすることで、赦しが 許されるのなら、 終りを行うことが、 それが 我々に 残された唯一の救いになるだろう。 我々の死への救いとなる。 救いから程遠いところにいても、 いつしか 風にのっていくだろう。 我々の灰が いつか来るそのとき、 還元されると信じて。 我々が考えうる救いは ここまでだろう。
687 :
砂跡 :2009/06/09(火) 23:48:08
我々は 救いを求めながら 救いを拒否する、し続ける その態度は変わらない。 そうであっても 救いを求めるものや救いを行おうと する者、行っている者の邪魔はしたくないものである。 そうならないためにも ぜひとも 我々の中に眠りひそむ 救われざる救いを 物語を 終えておく必要がある。 つまりは 続けるためではなく 終わるために ひとつの終りが 始まりとなると信じて ためらいなく幕を閉じるのである。
688 :
名無し物書き@推敲中? :2009/07/17(金) 17:31:39
☆
このスレ、まだあったんだな。 アトラは元気でやっとるんかな。 あー、懐かしい。。。
えー、一応馴れ合いは禁止しております。 旧友の温かい地球に優しいつっこみが入ったところで五月期の足跡さんに続き、 六月期、七月期の 失われる成果をここで発表していきます。
ここでは哲学みたいなのもの、もどきに、脚を踏み入れています。 しかしアキテは哲学に何の思い入れもなく、知識もないので そちらを盛り上げる気はありません。 それゆえに、 誰も、何も擁護することなく、公平に、気兼ねなく 堂々と仮面をはぎとることも可能としています。 知らない、無知ゆえの強みとなっています。 それゆえに とても厳しい内容となっていると思います。 アキテは、文学と哲学の融合、さらには統合を望みながら、 それを否定する力で応え、成し遂げようとしているようです。 アキテが哲学というものを誤解し、小ばかにし 誤り続けるなかで、どう組み立てていくか、 そのこっけいな姿を見たくないお方もおられると思いますので、 さきにここでの結論をまず書いておきたいと思います。
<得られた結> 我々に 生きる意味はない それは自由ではなく、 ないのだ 自由に自由を奪われている 自由に、ない(生きる意味がない)を奪われている <解説:これに気づくのに一ヶ月ほどは費やしていると思います 合点がいき、軽く揺さぶられたのを覚えています。 ここから順次展開されていきます。>
その 生きる意味がない ものと よく似たもの [ ]で その穴埋めをする <解説:[ ]には、人それぞれで異なる言葉が入ると思います。 アキテの場合 [救い](という言葉)で穴埋めされます>
それは かつての 人間、 いや 正確には、 裸の人間 、 すべてが満ち 満ちていた あの 生きる意味の ない 楽園 実際、 生きる意味など 考えず ただ 生きることのみ それだけを 実感し 味わっていた 装飾なき 生 我々は もう あの頃には 戻れない <解説:きっと誰もが胸に漠然と楽園を抱いていることでしょう 私たちはそれを抱かざるを得ない存在と、 生に成り果てているのでしょうか>
言の葉で 楽園をかくした ならば、 我々は その言の葉を ぬぐことができない以上 その言の葉で 新たな楽園を作り出す必要にせまられる <解説:私たちは もはや 裸になることができない 生きる意味はない私たちを 言葉でかくしたというのですが なぜ ここまで恥じいらなければならないのでしょうか>
<解説:ここでは メビウスの輪の帯にハサミをいれる決意をうたおうとしていますが、 できていません。 これはアキテの最初の限界をあらわしています。 戻るだけなら おそらく 救いの究明をしているだけで十分である しかし かつての楽園と同等の生、 それを得たとしても、 また同じ過ちにおちいることが約束される だから、それ以上の生を求めなければいけない そうすること、それを得ようとすることによって かつての楽園の回帰を望まず 新たな楽園での新たな生を与える 言の葉で 実を みのらせる。 ここに 痙攣が発生する 我々をかくし、あざむく言の葉で はたして 我々の言うところの 真の実を 生らせるか という それができるのか という 二重の、いや根底からやってくる痙攣である アキテはずっと小刻みに頭を振っています 止まるのは、まだまだ先のようです ですので、次では旧式の楽園と私たちの関係の図式を みていきたいと思います>
その先はないぞ、引き返すしかない。 わかっちゃいるだろうがな
引き返すサン、来てた、 馴れ合えない警告、いつもどうもです。 <解説:ここは、アキテの首振りの遠心力によって 救いがその姿を変え始める手前ではないかな と思っています。 ここではまだ、文字通りその姿を変えざるを得ない救いを考えることはしていません。 あくまで、旧式の楽園からの現在まで創造される救いという言葉からの救いを考える。 その理解までです。 それは脱出ためといってもいいかもしれません。 まずそれを踏まえてこのときのアキテの話を聞いてもらいたいのです> 軽い 体の気だるさを感じるのは 絵に書いた楽園は知ってはいるが 楽園が 何なのかは どういうものなのか 知らないからだ 知らないが そこへ戻れないと 感じるのが 原罪の始まりである。 我々が罪と感じるのは そこに戻れない行為をしてしまう いわゆる絶望を抱く 誰もが絵に書いた餅の楽園を持っている その楽園から遠ざかるのを感じる イコール 原罪 <解説:この絶望をかいくぐる おそらく現在までの哲学では難しいと思われます しかし難しいだけでできないわけではないようにも思います。 どうも出発点を変える必要がある、 そうアキテは感じているようです>
<解説:ざぁーとみて、これくらいでしょうか、 ここまでが前期に得られたちょうど良い区切りになっています。 次期はこの前期で同時期に得られていた結、 そこから出発しはじめようとしています。 皆さんは、救いと聞いた場合、何を思い浮かべる イメージする でしょうか。 なんとなく、といったところではないでしょうか> 救い という名詞に 我々は 裸にされ そして 戻される 救いには 主体も客体も存在できない 主体・客体がない以上 ここに 哲学は 崩壊する <解説:すべての人類一人一人に、主体も客体もなく 向けられいる言葉。 救いという言葉に、強く頭を打ちつけ、 脳を挫傷する。 脳が痛みを感じずボーとした感じになる。 出発点は人それぞれいくつもあると思いますが、 アキテはここからはじめるようですね ここからにっちもさっちもいっていないようです。 さて、どうなるか。 期待はしていません>
アトラへ、ランボーが荒地から引き返した下りを教えてやろうと思ったのだが ランボー詩集が見つからないのな、「地獄の季節」が・・・
700番さん、どうもー。 ランボーですか、 ほかに、マラルメ、バレリー あたりが重要だよと聞いたことがあります。 いずれも 読んでないです。 いまは、作品ではなく人物に強い興味がありますね。 引き返す ⇒ 戻る という言葉を AKITEはとても重要視(危険視)しています。 Atla ⇒ AKITEの流れで、Atlaがそれ以上進めない場所まで行ってしまったのを 見ているからでしょうか。 Atlaは以前から楽園にいます 香りの頂点、最高位に立ちながら、いっさい手懐けれない 巨大な原罪という香りたちを従え、 いわば眠らない楽園、後悔の悦楽の中にいます。 彼はもう、そこから戻ることはありません。 それが彼の楽園でした。 Atlaはそれが楽園でないと知りつつ、自分をだませず無理やり受け入れています。 この酔いは醒めることはないようです。 つまり、その先には進めません。 Atlaには消滅、変ゲさせることは、できません。 AKITEも己の中にある不可能性に近いものをもってしまっているようです。 しかしAtlaほど絶望的ではないとみています。 それはおそらくAKITEは思考そのものをそれをつかさどる言葉そのものを 問題としているからではないかと思われます。 それでは、前置きが長くなりましたが、 8月期、9月期のAKITEの言葉をゆっくり振返っていきたいと思います。
あれ、いきなり錯誤におちいっている。 >701 Atla ⇒ AKITEの流れで、Atlaがそれ以上進めない場所まで行ってしまったのを 見ているからでしょうか。 Atla ⇒ AKITEの流れで、Atlaがそれ以上(戻れない)場所まで行ってしまったのを 見ているからでしょうか。 Atla ⇒ AKITEの流れで、Atlaがそれ以上[進めない]場所まで(戻って)しまったのを 見ているからでしょうか。 ややこしい。
703 :
名無し物書き@推敲中? :2009/10/03(土) 12:55:08
704 :
名無し物書き@推敲中? :2009/10/03(土) 13:16:51
とある見識者によれば自然に淘汰される、消滅するということ。
703番さん、どうもー。 神話のことですか。 AKITEも神という言葉は途中出してきてますね。 でも、神話とは合い交えてないようです。 それとも703番さんはメビウスの輪的な事をいいたいのかな? チラッとみたところ、 AKITEはその点はうまいこと処理していました。 704番さん、どうもー。 Atlaにはしっくり来る言葉ですね。 今から考えれば、幼稚ですね。 しかしAtlaは、仕事はしたなと思います。 Atlaは、旧式と新式の楽園に引き裂かれた存在ですね。 新式の楽園にはまったく気づきもしていないのですが。 なぜ、そうなってしまったのか? 今回で解答が出せると思います。 ざっと、8、9月期を読み返してみましたが、 どうやら、実存のことをいおうしているのかな? なぜ、実存状態におちいるのか? みたいな事ですかね。 永き実存から解き放とうとしているみたいですね。 まぁ、いろんなこと言うとります。 よくわかりません。 初ボイレコを二個買って、ボソボソ録音してあるので 何 言ってるのか、聞いてみて 明日、書き起こしてみたいと思います。
はぁー。 @実存を拒否した時代。 ↓ A実存を受け入れた時代。 どちらにしても、死は免れません。 ☆限定状態(6,7月期のアキテ語)→実存が引き出す昂り、命を奪うに最も危険な状態に陥る時 うまく説明できてませんが、 文学でもこれを回避できいるものは少ないかと思われます。 実存を苦しむ、楽しむのはいいのですが、 そこにばかり目がいき、ここから引き出されるものは実はもう少ないのではないでしょうか。 AKITEは実存の解放をしています。 が、実存に陥る仕組みがわかっただけだと思います。 それだけわかっただけでも十分だと思います しかし実存が解放されても、事の終わりはこないみたいですね。 私たちをより強く存在させる新たな存在、もの、言葉、が必要になってくるみたいです。 ↓ B実存のない新たな時代 ↓ C新たな存在の時代 AKITEがここまでもっていくのは、無理だとおもいますが、 冷ややかな目で見つめてみたいと思います。 とりあえず、全体をみてみるとこんな感じでしょうか。 今期は書かれていることは、録音していることは変わりないのですが、 じっくり、AKITEのいってることを理解していこうと思っています。 細部に関しても、スローペースになりますが順次書き込んでいきたいと思います。
うーん 煩雑です。 まとめられません。 うだうだと長いので また結論に近いものからpicupしていきます。 まずは、書かれている方から。
しかし それでも 生きる意味の拡張 を我々は行い続けなければならない。 それは、 かつての Repeat ではない。 それでは この 救いからの かつての楽園への 反魂のように 我々は また 意味を失う所 へともどされる
我々が かつての楽園に もどることができない もどれないことが 我々を 苦しめることから、 究極的には、 かつての楽園にもどるには 死がよぎなくされ、それはつまり、人類は、 全員、滅亡しなければ、 戻ることはできないことを知る。
それを、救いという言葉に よって、我々は (気づくことが)知ることができた。 まさに、(これが)この言葉のいうところの(意味)、救いである。
我々は、我むしゃらに かつての楽園へもどろうとしていたのである。 戻れないと知らなかったのである。 だから 我々が 救いを求める 限り(内は) 永遠に (メビウス帯から)抜け出すことは できない
救いは行為として存在できない (死でしか) 解説) 後の方でAKITEが説明してます。ここでは直接関係ありません。 だが、これによって(これを知ったことによって) 我々は 一歩ももどれなくなった。 戻る必要はないが、 無意識化していた、 今までの習慣が 失われるわけである。 しかし、無意識の思考は、 たとえ めざす道、場所が わかっていても、しばらくは、そちらへ ハンドルをきるだろう。(かつての場所へ向かう)(救いに戻ろうとする) 我々は 救いを何一つ知らなかった。 つまり 我々は、 救いという言葉に だまされていたのである。 そして うまく だませていたのである。
<解説:ここはなくてもいいのですが、 AKITEが今までのある救い とそして、 これからの新たなモノ のまとめに入る直前の所ですので、 意味はわからなくても何かしら有意義と思い、のせています> 我々が かつての生を 手に入れるには、 言葉を捨てる必要がある しかし かつての生へもどるには かつての楽園へもどることであり 言葉を捨てることは、 (いまや{逆に})原罪となる そして 誰もが 死に(土へ)戻らなけ ればならず あのかつての楽園 の回帰から、(また) はじまる 生はもどされる ことから 我々は、それまで だまし続けなければならない。
死へ近づくことは かつての楽園に 戻ることであり ゆえに、おそれ、(また)我々はあこがれる。 かつての楽園には 死の概念もない ゆえに ただくり返される、 生きる意味のない セカイ だから 死ぬる意味のない セカイ 我々が言葉を失うことは、それと 同期である
我々は 完全に 死のときに、死を支えられなくなった言葉(生をごまかす言葉)を失い そしてまた、言葉のないまま 生まれる <解説:ここから本格的にいまある救いの位置が確認されてゆきます> 我々は 死のときに(言葉を失って)初めて いや かつての楽園に戻れる(回帰する)のであり 我々が言葉という原罪を失う場は、そのとき(だけ)なのだ それが 我々の 言うところの、(かつてから)言おうとしていた 救いである。 つまり 我々の死、言葉の死を もって 救い(救いを可能)とするのだ だから生きる(生きてる)間に「救い」という 言葉は適用されない、できない。 ここが、我々が「救い」という言葉に あざむかれていた 中心、核心部分である。 《救い@》
少しだけ言わせてくれ 1850年代に生まれたランボーの世界から少しも進んでないぞ まあ、だれも前に行けないのだが… アトラはランボーも他の詩人もいっしょくたのようだが 違うんだよ
716番さん 突っ込み、どもです。 真面ですか。 百何十年前にもう、やらかしていた人が居たとは… ここでもそうですが、ところどころに傷があるので そこは馴れ合えない程度に傷を刺激して下さい。 ほとんどの文学者達が言外に気づいていも 表現が追いついていけなかっただけのような気がします。 詩人のことは良くわかりません。 より直感的なもの、かな、と的外れなことしかいえません。
直感的、その通りだ ランボーは親切ではないので、理解できなくて十六歳から二十二三歳まで 五六年は掛かっただろうか…
死から生。。。 その 間が 「救い」の概念である。 決して 生から死 その 間を 「救い」であるとはいわない、いえない。(適用できない) しかし=@広く 「救い」を適用すれば 後者を救いととらえることも可能となってくる。 つまり(このように) 言葉を失った我々を見るとき、 かつての楽園にもどれ、 死をおそれず 現在の生にたちかえるからである。《救いA》 <解説:“しかし”以降は、なにもAKITEが推奨してるわけではありません。 このような考え方に陥ると言っているわけです。 しかし≠謔闖繧ェAKITEの言葉です。 これがいままで救いを混乱させてきたと 言うわけです。
《救い@》 と知り《救いA》をみちびきだせれば これを一つのつながりとみることができる。 ひとつの わっか としてみることになり、 我々は 擬似的に言葉を失い そのかつての楽園の 生 そのものに 言葉を与えようとする。 もちろん あてはまる言葉はないが 我々が 言葉によって 制限されてきた生を 解除される。 ゆえに 生 そのものに 焦点があわされ それ自体の事実に 事実として 言葉は あわされる。 我々は、 生だけでなく 死にも 救いを 見い出す。 《救いB》
<解説:《救い@》《救いA》《救いB》は 【元々の救い】 の意味 と そこから捻じ曲げられた 【旧の救い】を 交えながらAKITEは説明しているので とてもわかりづらく混乱してきます。 ややもすると旧の救いを推奨しているような雰囲気が漂っています。 以上が【旧の救い】、今まで在り続けた救い だそうです。 捻じ曲げた という表現を使っておりますが、 正しくは、曲げるも曲げないもなく これが 我々の思考そのもの で あるのでしょうね。 AKITEも言葉を使う限り、そこから逃れていないなと感じます。 ただ、仕組みを理解し始めている、といったところでしょうか>
うーん。 救い から、 生の意味に見せかけた→ >死の意味の拡張が [生の意味だと信じこんでいるが実は]→ (わたしたちの思考で)おこなわれていた ということかな。 また、ややこしいな。 次は新たな《救いC》へゆくわけですが、 まだ時期尚早かな、とは思われます。 次期に持っていくべきかな、と気持ちはそちらへ傾いていますが、 ここで流れを切って話を進めるべきか、それで話が通じるかどうか、 迷っています。
だめだめ、救いの概念が解らない、救いがCまで出てくるの? @とAの違いが解らんのに 因みにランボーは救いつう言葉は使っていない 詩人らしく「幸福の魔法」と言っている。
>723番さん、どーもです。 感動しました、「幸福の魔法」 傷がないですね。さすがとしか言い様がないですね。 いままで一度たりとも、よぎらなかった言葉です。 いつまでも、その醒めない魔法にかかっていたいですね。 AKITEも似たことをやっているようです、かなり不器用ですが。 AKITEは、種明かしをした上、 私達をさらに騙くらかそうと 目論んでいるようです。 AKITEには、そこまでできないと思いますが。 違いがわからないのは同じです。 が、(私達が終始陥っている)私達の無意識の思考の流れを たどってみせているのかな、と納得させています。 Cは次期に省かさせていただいて、最後には、 我々を捕らえ続けてきた問題の、実存の解放へと スライドしていきたいと思います
Cは次期に省かさせていただいて、最後には、 我々を捕らえ続けてきた問題、実存、そこからの解放へと スライドしていきたいと思います。 傷まるけですね。
先ず実存の確認をさせてもらいたい 実存とはサルトルの例の、彼はウエイターの役を演じているだけだ つう、実存だよね 父、母、女、、ボーボワールは女は女になるのだと言った あれでいいんだろう? ジュネは演劇で不完全な仮面を被せ 不完全な仮面は完全な仮面であることの証明だと言った つまり不完全な仮面を被せることは完全な作り事の証明つうわけだ われわれも同じだと…
726番さん、ふふ、煽り、どーもです。 わかりやすいのが聞いた話ですがジッドの作品の中にある 壱エピソード、(誇張、改変があると思います、お許しください) 本船が遭難し、これ以上乗れば沈みそうな小船の中で神父が、 小船の中に入ってこようとして縁につかまる者達の指に斧を次々に振り下ろします。 縁につかまっていたものはまた海に投げだされ、切断された指が船の中に入ってきます。 小船の中は あらゆる年齢層の指 でいっぱいで沈んでしまいそうになり、それをかきだし、 海へ捨てます。捨てても捨てても、切断された指が次から次へ飛び込んできます。 哲学での取り扱いではカルネアデスの板になりますね。 こちらは最近知りました。 ほかに最近知ったものでは、プリーモ・レーヴィという人です。 彼は生き残ったのにもかかわらず、最後、 その命を… 生き残ってからの… 彼は何重もの… このことは衝撃でした。 あの命をあのようなかたちで失ったことは… 光は完全に本当に閉ざされたという感じです。 これは、戦争時、教育を受けた私達がなぜ、攻め入ったにもかかわらずその地域の人々に当然として残酷な行為をしてしまうのか、 といったことと共通します。 (この表現に嫌悪感を抱く人には、戦争時、なぜ相手を死に至らしめれるのか) 哲学:文学、どんなものも何一つ解決できません、 無論とめることもできません。まだまったくの無力といっていいです。 なぜ、人間が限定状態(あの状態に置かれたとき)にあのようになるのか、説明した(できた)ものもありません。 このはがゆさは解消されていません。 言葉を得て以来、言葉のもつ比重(力)は、 ようやく半分を達し、そこから少しいったところという感じがしてます。
ランボーは母音の色を発見したと言った アは赤、ウはみどりとでも言おうか、でも止めちまった 言語の幻想に飽きたのかなとも考えるが 虹色に彩られた己の詩がいかに空しいかじゃなかったのかな 俺は夢をみていたのだと呟いたのさ
あ、言語の力と言い換えてもいいのかな、つうことだ。
言葉はもともと短縮化された記号で、 希望すればどんな意味も与えられる、からかな。 ただ、望むものが、なんであるか、は 知っている必要があるのかな。 πの数字にただ音を乗せて(当てはめて)も、さらに意味を失うような感覚。 色を与えるとは、やはり詩人ですね。感覚の自由さを感じます。 絵を書く人にも、そんな感覚が宿っていると聞いたような。 AKITEもいつか、意味を見失う時がくるでしょうね。 そのときが、AKITEのお仕事が終ったということでしょうね。 次期あたりが限界、とみてます。
Tes
救いを求めれば / となえれば (救いという言葉を)< となえるほど 求めるほど \ イメージすれば するほど 死に近づき、 人は死ぬ。 <解説: 主体 客体がない ↓ (救い)↓ _____ |死から 生 | < 次の生へいどむには |_____| 死ななければならない ↓ (?)↓ _____ 我々 |生から 死 | 現在 |_____| >
救いとは 死を丸々含んだ言葉 <さらに解説: ←−−−−○←−−−−○ 死 ↓ 生 ここが救いの言葉が適用されるのでしょうか。 端と端をつまんで上にあげていき、 円にするとわかりやすいと思います。 AAはつくれません。 >732より>733の方が先に着想されています。 逆順の方がわかりやすいかとおもいまして>
>733 ←−−−−○←−−−−○ 死 ↓ 生 ここが救いの言葉が適用されるのでしょうか。 ずれてますね。
言葉が 我々を 楽園 から \ 引きはなすことに使われた (生きる意味のない世界) / にもかかわらず 我々は そのことを 知らず (忘れ) その言葉を使って かつての楽園に ずっと 戻ろうとしている
この(見えない)矛盾が 実存 を(生み) 生かす <解説:そして、 我々は生にさまよう というわけですね。 >735はあまりにわかりやすく、ごもっとも としかいいようがありませんね>
我々の現実存在が あらゆるものをまとった 虚実の存在で あったのならば そして それを知らないのならば そのまま 我々が真実だと思い 込まされていた ものを (思おうとしていた) 追えば そこに 必ず 矛盾 が生じる。 <解説: ここはよくわからないですね。 現実存在が元々の意味の実存とダブらせて使っているのか そうでないのか? ややこしいです>
こうした矛盾により 我々は ひるがえり メビウスの輪が 完成して しまう <解説: ここが〆ですが、この間に >736>737の間に次期につながる導入部の言葉がはいっています。 実存には 救いが つきまとう 現在の救いには 実存を生じさせ ともなう。 <解説:ややこしいですが、 逆も成り立つということをいいたいのか、 どちらにせよ、のがれられないといいたいのか、 よくわからないですね。 ここまでわかって、 さて、ここからどうするか、 という段階へ次期へと移行します>
だから先ずその実存つうのを説明してくれよ サルトルの言うところの属性を剥ぎ取った実存ではないのか? 実存の意味が解らないと 救いが実存を生じさせるつう意味がわからないではないか 生はメビウスの輪ではないのじゃないのか? 単なる短冊ではないのか? だとすると救いはないぞ 救いがないのが実存の正体ではないのか?
@もしかすると、間違って使っているかもしれませんね。 現実存在が、ありのままの姿であるとすると、 ここでは、ありのままの姿はありえず、そのありのままの現実存在自体、矛盾が支配している(巣食っている)。 矛盾が解消されないことから、その矛盾をなげうって、闘争(死)が起こる。 その矛盾の大元をAKITEはたたこうとしている? という感じでしょうか、うまくは説明できず、回答になってないのですが。 A wikiをみてみましたが、サルトルがレビィナスと出会っているとは以外でした。 サルトルの表現はところどころ、吐き気をもよおしますね。 文学者らしい煽りだなぁと理解し感心もしています。 B生だけでなく、(実存が引き起こす)死を持って文学的な意味で使うメビウスの輪として捕らえていると思います。 Cそのとおりですね、 死を持って救いとする現在の救いには最初から、 私達が使おうとするスクイとはなんら関係もなく、存在もしていないと感じます。 <訂正:まだ、ボイレスの方が残っていました。 それを少し拾って、次期に行きたいと思います>
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ランボーによると、こうゆう議論、思考、なども夢をみていたのだとなり とても人間の住める場所ではなくなり引き返すわけだが その思考の過程を振り返って思い出しても荒地が広がっているだけだとなる。
<報告: 本分を わすれました。 口ではなんとでも言える。 ということを、なぜなのか、流れから先にとてもうまいことアキテが言ってました。 言葉を感じたのに、なにもしませんでした。 口では何でもいえる ということにしないためにこれから言葉をどうするかという次期につながる流れ、 あれを起点にして展開していく要だったとおもいます。 しかも、これもまったく違うかもしれません。すっかり忘れてしまいました。 この失望をもってこの先どうつなげられるか、わかりません。 遡らねば、くだることはできないなと感じています。 アキテのこめかみを棒で突いて記憶喪失にしてまた最初から始めさせるしかない。、 しかしそれは結局のところ、ここで散々いわれてきた禁止事項の もどることになってしまい、投げ打つ(放り投げる)ことになりかねず、 もどりたいのにもどれない。 引力が強いです。 これが一週間くらい前に起こったできことです。 ずっとこの忘れた言葉、もどかしさと格闘していました。 そして、 きのう 現代生活機器によってアキテの言葉が 冬の冷たい渦水によって粉砕され 粉雪のように落ちるノートの切れ切れを見ながら ああ、わたくしに問題あるじゃ〜ん と理解しました。 誰もなにもおかしくない。 ただそれを聞くわたくしがゆけなかったのだと。 認めていたようで認めていなかったこの事実を またいやというほど知りまして、 いまさらどうしようもないのですが 悲鳴をあげ 飽きてというより嫌気が差しているところです>
たぶんここどまりですね。 それでも、アキテがそれまで言ってきたことは あきらめず伝えたいと思っています。
>742さん、ばんわです。 私達のあらゆる仮想は言語、言葉から始まっている(らしい)と アキテは考えているみたいです。 夢は仮想であるのか? そこはまだアキテも考えてもいなかった領域ですね。
ランボーの辿り着いた場所は唯物論だろうと推測しているのだが なぜかと言えば、引き帰したあとに少しだけ詩を書いている イルミナシオンだが、即物的なのだ、鉱物みたいに硬い
セカイが言葉を持たないのか 私達がセカイに響く言葉をまだもたないのか ランボーはなにと会話していたのか、 気になりますね。
聞け、ある気違い沙汰の物語りだ… 確か、ランボーの地獄の季節はこんな風に始まる ヴェルレーヌを妻とし、その妻の立場から夫ランボーを描写したものから始まる じゃあヴェルレーヌと会話していたのかと言えば、そうじゃないと思う 小説家は一人称で書いても客観的でなければならないが 詩人は三人称で書いても独白だ、第三者に叫んでいるのだ
そして救いだ、己を救いたい、若しくは救われたい がしかし、自分で自分は救えないみたいだ 自分は他人しか救えないのかもしれない ランボーも最後の方でエチオピアの若い王様か族長かしらないが 肩入れして武器なんかを苦労して持ち込んでいる どうも同性愛的な臭いを感じるのは俺だけかな…。
現実問題として、 スクイが行為とならないのは むろん私達が救われたことがないからであって また救われていたとしても、 あらゆる条件をつけて、それをしない。 相手を救うことがスクイであるのか、 自分を救うことがスクイであるのか わからず無意識に後者を取る。 天秤にかけること自体、概念がない。 救いを前提としたものが破綻するのはこのためで こんなものは最初っからない方がいい。 サルトルが選択を前提にしたのは、すごい煽りであり、 文学者しか扱えないことだ。だが 人間がうまれつき卑劣感である といえなかったのが、いかにも文学者らしい彼の弱さである。 どちらかであることを選ぶことは、私達にはすでにできない。 ことばにより、すでに選択されている。 口ではなんとでも言えるからで だから、すでに選択よりも先に言葉で行為が決定されている。 自由の刑に処せされているのではなくて、 言葉によって自由のように思わされているが、 じつは、決まった言葉の杭によって行為は磔にされている。 ここをどうにかしないと。 さぁ、どうする。
751 :
名無し物書き@推敲中? :2009/11/18(水) 02:17:22
すべてを忘れろ。 白紙にしろ。 ゼロから始めれば良し。
>751さん おぇす どこかで聞いたような? いや、聞き覚えのある言葉ですね。 Atlaが楽園に戻って失語症になったことから 一応、ゼロに近い出足となっています。 もちろん、ゼロからの出発がここではもとめられています。 そうでないと、どこまでいっても、 二の舞をひたすら踊ることになるでしょうね。
753 :
名無し物書き@推敲中? :2010/01/11(月) 04:08:55
最近思ったのだが、純文学といわれる作品ってどこにでもいる人たちの 少し暗い日常を淡々と描いたものが多いよね。 でも、これってアニメとかに多い、 普通の女の子の日常を淡々と描いた作品をただ暗くしただけじゃね?
私小説みたいなのを書けば文学になると思われてた時代が長かったからな 今でもその影響は根強い それはそうと アニメや漫画に出てくるキャラは基本的に奇形だよ 視聴者の興味を引く要素以外はもともと具備してない 文学にもその傾向はあるけど、漫画アニメほど潔くはないね、今のところ
さてさて、 wikiでの「あ」〜「わ」まで一通りの哲学者をようやく観おわりました。 熱くエネルギッシュな時感でした。 そこで、今、いや、いままで、 哲学、文学が持ち続けてきた問題を軽々しく、AKITEとともに 無理やり一つにまとめてみたいと思います。 それをもって、 AKITEには、そろそろ黙っていただこうとおもいます、 引導のかわりになればいいのですが・・・(うるさいので)
死によって生が 確約されている 私達は 自らを守るための意識 身に囚われた意識に 誰もが救いの刑に処せられていることに気づかない振りをさせられている。 だから、何時でも死は償いのためにある というコトバが説得力を生む。 『自らの生、(ホニャララ)そのために 他人を殺す』 それを生きる意味にした。 だから、生きる意味のないあの楽園に戻ることは決してできない。 感想> ここですべてがつながった、という感があります。 新たな問題の感もありますね。
生につながることが 我々の悦びにつながる。 悦びを得ることが 我々の生になる。 これはどんな場合であってでも、ある。 自らの生につながれば、何でもする。何をしてもいいことになる。 これが 生である。 感想>極限状態になれば、私達のこの生ははっきりとしてむき出しになり、 コントロールはほぼできないですね。
主体性とは、自己を助くこと。 自己を守り、助くこと、これは、当たり前に備わっている。 一方、 他者を助くことは、我々の 肉体、その意識には、極わずかしか備わっていない。 他者を助くことこそ、我々の求む真の、主体性である。 感想> 主体性ではなく、新たなのコトバの誕生が必要ですね。
と、まぁ、こんなもんで、ちょっとお堅かったですが、 次レスからは、これらを砕きまして、 哲学のというかなんというか、絶対的問題を なぜ解決できないのか、 をサルトル、レヴィナス、われ思うゆえにホニャララさん、など ついでにナース、アトラ、アキテ、(イリクス) の流れで解説できたらな、と思います。
それでは、今は亡きサルトルさんの感想。 wikiを観ていたときだったか、彼は最期まで、構想がいろいろあって、 ただ、目の不調etcがあり、それが実現できなかったことが書いてあり それはなんだろう、何を考えていたんだろう、それを知りたいなと思い、本屋へ行きましたが、 彼の著作は一冊もなかったですね。 ああ、忘れられた存在となっているな、と落胆しながら、見回していると 彼の信者らしい薄い本が一冊あって、それを手にとって観ると、 驚きました。 AKITEが、誕生したきっかけ、 あの最初の一文、『我々に、生きる意味はない』と良く似た表現をそのお方はよく使っていました。 たしか、「意味のない人生」だったか、と思います。ああ、この解説者も誰しも感じているんだなぁ、 ただAKITEのようにはそれを認められなくて、断定できなくて、もやもやしているんだなぁー、と。 この時点で、驚きともに、ぐっと惹かれました。それは、嘔吐 を解説するときに使っていましたが、 主人公 ロカンタンくんが意味のない人生を感じて絶望しているとき、 何気ない物みるだけで、やたら嘔吐に襲われる。 それは、「存在」に対する嘔吐だった、らしい、と。(これはネットで観ました) へぇー、なるほど、とうなづきました。 人に対する嫌悪感の嘔吐ではないのか、 とクロスカウンターをいただきました。 嘔吐に関することは、聞いたことがあって、直接的に吐くという行為は くだらねーなと、前々から思ってました。 そして文学として書かれた嘔吐は、 じつは、彼の哲学の著作がまずあって、 それを面白くし、私達、あほうでもわかるように書いたそうです。 面白いというのはあまり聞きませんが そんなことより、私が思っていた作品の認識、 私の抱く作者像とは本来のものとはまたまたかなりかけ離れて違っていたということですね。 私は彼を何も知らないのに、 なぜか大嫌いでした。
というわけで様々な勝手な誤解、先入観があったわけですが、 理論だけでなく、セカイに対してより大きく行動を起こそうとしていた特異な存在であったことがわかりました。 政治に介入し、彼の影響は、日本にも及び学生達は彼の本を持ち歩いていたらしい。 これは聞いたことがありましたが。 しかし、現在は標準的な本屋には彼の著作はあまり置かれておらず、 熱は冷めている感じですね。 結局、投企できたのは、サルトル、彼本人だけだった、 という感じが強くします。 この失望は当時も大きかっただろうし、それから現在も大きいと思いますし、深刻度は日が経つに連れて高くなるしかないでしょう。 多くの人は自らを投企、さらには投棄もできない自分を見るだけとなってしまうでしょう。 私達の体はそれぞれひとつであり、2体3体あるわけではないからですね。 たとえそうでなくとも 口ではなんとでも言える→たわごと という図式が彼の理論にも立ち上がって来てしまう。(適用されてしまう) これは残念なことです。 つまり、 自己に対しては意味づけできても、 他者に対しては意味づけできない。 まだここ止まりの感じがします。
ああ、レヴィナスさんも今は亡き人だったのか。 長生きしたんですね。 サルトルの物への嫌悪感が 直接、顔へ移ったという感じですかね。 戦争の影響が大きいな、と感じます。 彼の対しては、いま特に思うところはありませんが、 より、危険な地帯へと脚を踏み入れた、 それは問題に対してより深く入り込んだ、 アプローチとして、進んだという感じがします。 美しい文章を書き、思慮深く、慕われる人が、 他者に対して殺人欲求があると包み隠さず のたまい、理論の中核に据えたことは、 とても価値があるように思います。
さて、われ思うゆえにホニャララ、さん とても有名な言葉ですが、 これを言ったお方、その人の名前は今、思い出せません。 誰でもかまわないわけですが、 決定的にこの言葉を賞賛、ディスれたものはまだないかと思います。 ただ、闇雲に賞賛するか、言葉を弄くり入れ変え、パズルのようにして理解した気分に浸る。 それはこの言葉の意味を掴むことができない、 雲をつかむようなものでしかなかったからでしょう。 私にもこれまで、そのような言葉でしかありませんでした。 私自身は結果的に賞賛派ですが、 意味を限定しての賞賛です。 それは彼が当時意図していたものでは,たぶんないと思います。 このように考えるなら、私にも理解できる、程度です。 彼がこの言葉を残したかったのか、別の言葉を言おうとしてあのような形になったのか、 言った彼本人もわからないのか、それともあれが完璧な言葉なのか、 すべてが疑問符ですが、賞賛に至る手前まで、ディスりたいと思います。 同時にAKITEがぶつかるざるを、えなかった問題が ここにはあり、ここに明らかになるはずです。
まず、少しでもおかしなものはすべてを疑い、除外するという なんていうか、数学的言うか、 単純で厳密な『方法』だったということですね。 そこにはなんら恣意的な考えは入り込めない、というわけです。 しかし、AKITEの言ってることを聞いている内に、 あンれー?、ちょっと待てよ と思うようになりました。 まず第一に感じたことは @彼は自分(我)を疑うことができなかった。 思うという自己を疑えなかった。 のではないか、ということです。
A我思うゆえに我あり 最終的には己の存在だけを信じた、 そこに到達する。 これはある意味で哲学で、 どんなところにいっても 自己の存在を信じ、 自己を確かめることしかできない。 しかし、確たる確証があるわけではない。 AKITEの視点を通してみると 我思うゆえに我あり に到達してしまう私達の思考の存在自体の 嘆きの言葉であるのではないか。 と思われます。 彼の思考の限界のみならず、 私達の思考の限界を示してしまったのではないか。 実にこの言葉は、少しの抵抗、違和感はあれど、 私達はなぜかすんなり受け入れてしまう。 そこを、見落とし 自分だけがかわいい と落とし込まれてしまう。 どこが哲学だよ、と 限りない怒りが沸いてくるわけですが、 手立てはありません。 これを否定するモノを私達はいまだ持っていず その 我 に気づくというわけです。
彼は騙されないようにして、最後に騙されたのではないか。 つまり彼は騙しあいに負けたのではないか。 何に騙されたのか、 我とはなんなのか、はわかりませんが、 そのように考える存在というのはわかりました。 自己以外、すべてを排除する(思考)。 我々の何かが、自己のために(生きるために)どれだけでも我を騙そうとする。 彼はまんまと嵌められたのではないか、 のように見えてくるわけです。 もしそうである、と仮定すると、 ここで問題となってくるのは、 「なぜ? 俺 なんだ」 という目覚めの言葉の問題が解決できていないために起こる現象であり、 【朝】なぜ? おれなんだ⇒ 【昼】生きる意味はない⇒だが、生きねばならない⇒なぜだ?⇒そして生きねばならない存在⇒ その肉体→その意識→俺⇒ あれ? 【夕】だるいわ⇒ 【夜】ねむいわ⇒ぐっすり⇒ 【深夜】? ⇒ 【朝】なぜ? おれなんだ⇒ という問題が、解決できない限り、 今後、我々の思考は、まったき先へは進めないんじゃないか 逆に言うと、 この問題が解ければ、どれだけ進めるかわからないほどの モノが詰まっているのではないかな、という気がします。 私達は目覚めの言葉の確認をいつまでしているのでしょうか?
サルトル、彼が 我々が、何者からも作られていないと云うなら、 我々は、そう作られていないだろうとして、 我々は、(弱き存在として)毒をもったのである。 それは、人に向けられる。 彼の云っている意味をうがるなら、 望む望まざるにかかわらず、 相手に死を与えることができる。 そういう存在になってしまっている。 つらいことだが、 サルトル流に云えば、 選び取った、選び取ってきた、ことになる。 だが、そうではない。 我々の存在の発芽より前に そう作られている。 思考という毒である。 自らを正当化する毒。 それは 他者を排除する毒となる。 弱き存在ゆえに毒としてしか扱えない
思考は、本当は、 そうした旧い動物の本能の具現を 肉体から、切り離すために存在しているが、 弱気ゆえに旧い動物の本能の一部としてしか、扱えない。 それは、まだ自己から逃れていないからである。 その思考が、いまだ自己のために 使われているからである。
私達は、武器を持たずにつるつるの 肉体で生まれてくる。 身を守るものは何もない。 何かを殺すようにも作られていない。 だから唯一の武器とみなしている、 言葉、その思考に頼りきりとなる。 ここに他者を死に至らしめる思惟、武器が 次々と創造される。 本来望むべきはずの逆のことが行われる。 ※ 哲学者達は何百年から何万年後には、 実際の数字は忘れましたが、 つまり、いつかには、必ず こうした問題、言葉のあらゆる問題は、すべて 解決され、言葉を正しく理解し、扱えているはずだ、と おっしゃっています。 ほっ、と安堵した後、なぜ? 今できないのか という素朴な問いが浮かんできますが。
哲学者は 我思うゆえに我あり と唱えていればよかった。 それが哲学の楽園へ行く条件だった。 だが、そうはいかなくなった。 新たな死の誕生に直面する。 ここから逃れることができない。 なぜなら、(それを唱えていても)無残に死ぬからである。 自然死ではない 逃れられない人為的な(尊厳なき)死であるからである。 肉体の死ではなく 我 の死である。
「生きる意味は、絶えず自分のためにあると考える。 だから、その生きる意味を切り捨てなければならない」 しかし生きる意味わからないため その我がもつ、他を殺す意識に身を任せてしまう。 我々は、身も心もそこへ明け渡してしまう。 生きる意味を変えなくてはならない。 そのためには、今までの(我々に備わっている)生きる意味を消し去る必要がある。
次から、妙な展開が始まっています。 頭がついていきません。 言葉にすることが、残すことが難しいですね。 すぐに捕らえ損ねてしまう。 脱線でないことを願います。 少し時間が必要な感じです。。
えー、まだ必要なのかよ。 時間かかりすぎだよ。
うーん、しんどい、ですね。 おそらく、いや確実にサルトルの影響、失望の熱で魘されています。 彼の著作は読んでいないのですが、 つまりあれだけの熱があったのに、世界が動かなかった失望、 理論があっていない、甘いとかの問題ではなく あれだけの熱を持ってしても セカイが変わらなかった失望からこみ上げてくる凍てついた熱ですね。 何を持って変わるかは別として、そう、感じています。 次からはその熱の影響をかなり帯びています。 脱線しないようになんとか勤めておりますが。 では、 エントロピー、エントロピーいいながら、 進めていきたいと思います。
「 気づいたら、自分だった 」 誰もが自己を認識する。これに違いはない。 ならば、我々の意識の萌芽、 その種があるとして、 萌芽する前に、互いの、意識の種を交換したしよう。 何が?起こるだろうか おそらく交換しても、交換してない時と、 何一つ寸分たがわない人間となっているだろう。 交換しても同じだということは これはこの意識自体に区別も差もなく、だから優劣もない。 つまり共通なのである。 あなたの意識の種を、誰かの意識の種を 意識が萌芽する前に取り替えても、 今のあなたになっている、ということである。 (意識が萌芽する以前の意識に、なんら相違はない) つまり、その意識に違いはない。 (これを仮に ”純粋意識”と名づけて認識しておきます)
↑ひどいですね 要は幼き日まで戻り、 自分を認識した最初の記憶、 それより前、 意識できない意識 を指します。
意識できない意識、それは心理学で言う無意識じゃあないのか 違うとしたら無意識とどう違うのか説明しないと解らないよ たんなる言葉のあそびになっちゃうよ?
※ここからは騙すようになっています 私しは完全に、 今 、騙されています。 一応どのように騙し、騙されいくのか、 を注意して、別視点みていただいても、 ここは面白いんではないか、と思います。
>777さん、どうもおめでと、です。 赤ちゃんを思い浮かべてみてください。 赤ちゃんの意識とは? ほとんどの人が、 三歳ぐらいまで、自分である記憶はないと思います。 それまでを便利な言葉、”純粋”を使い、 純粋意識として扱っています。
気づいたら自分であった。 誰もが、望んでない生を受け、 誰もが、望んでない生を送り、 誰もが、望んでいない死を与えられる。 誰もが、まずこれを、了解しなければならない。 ここに 何の責任を負うのか? 負えると言うのか? まさに 勝手に生かされている。 生きるしかないし、死ぬしかないのだ。 しかし、意識を規定するものは何もない。
自分と言った場合、意識を指すのではない。 肉体、環境、その他もろもろを指す。 それを自分と言う。 決してあなたの意識のことを言うのではない。 つまり意識は誰でもない。 何者でもない。 我々が共通してもっている だから、自己を認識するのではなく、 意識を認識するのだ。 (この意識とは純粋意識のことを指しています 純粋意識という名はあとの方で名づけたので このときはかなり、混乱度が高かったですね)
それはユングの集合的無意識と違うのか? 集合的無意識とは我々が進化してきた生き物と共通の意識のことだ 我々には両生類の無意識とか魚類の無意識が残っているのだと つまり人類共通の無意識があるってことになる
同じようなことを、すでに感じ、考えている人は、 やはり、いるんですね。 集合的無意識とは聞いたことがあるとは思いますが、 そこまで戻っていません。 そこまで戻って話を壮大にでき、役割を演じさせれると いいのですが、至っていないです。 また、無意識という言葉、言葉上だけでも、"無" を使うのに抵抗を感じます。 子供を見ると、微笑まざるを得ない "何か" があり、実際、微笑んでしまう。 それは無邪気さとも違う。 それでも、無邪気さも純粋意識をかなり残している気がします。 純粋意識のわずかな現われのような気もします。 誰にも、幼いころ、このような意識を持ちえ 現われを体験し感じているはずだ、という 考えの元にのっとっています。 子供を見て微笑むのも、こちらの純粋意識に訴えかけられ 反応し、表象したのではないか、と思います。
そういう存在である。 肉体、環境、様々なもので縛られている、 いや、縛ってはいるが、 実はまったく意識とは自由である。 意識の初期段階から、我いや、我々は 肉体に取り込まれてしまう。 取って代わられはじめる。 こうしては我々は姿を消したように思える。 (ここの後半は、純粋意識が話しているみたい、ですね)
(もっと簡単に言うと 純粋意識は自己に取って代わるわけ、ですね) 肉体の自己の意識が純粋意識を他者とは言いすぎですが ないものとしてみなすわけです) ここで錯覚が起きる。 意識とは自己である、と。 どちらが意識なのか? と問われる以前に これを認めるわけです。 これはサルトル、レヴィナスも潜在的に気づいていた。 だか明確には気づけなかった。 そして次のようなことが起こる。 「自己防衛本能が、自己を攻撃しはじめる」、構図である これは純粋意識のような存在に気づかないと このように見えるわけである。 だから、サルトルやレヴィナスをある人から観れば、 単なる病気、病人としか映らない。 実際は 純粋意識がゆき過ぎる自己を退けよう、 としているのであり、 純粋意識と自己を切り離すことができないために起こる(現在の哲学)現象なのである。
だからと言って、 自己が他者を望んで攻撃すれば、 他者が自己を攻撃することを 容認しなくてはならない。 この構図は変わらない、変えることはできない。 これは正義云々は関係ない。 そのように動く運動である。
補足※ >785の手順を示しておくと 「本来純粋意識は他を攻撃するものを持っていない」 そのため、それを使って自己を攻撃することはできない。 だから、私達は自己の防衛本能をつかって、 それを行う。 そこに、自己が自己を攻撃するという構図が出来上がる。 このイッタク、それしかなかったのである。 またその逆で、これ以上純粋意識が取り込まれることを 防ぐために、自己防衛本能を利用し、 自己を攻撃した。 ともかく自己が自己を攻撃することでしか、 攻撃も防御もできなかったのである
>786の法則にのっとれば、 この自己防衛本能を使ったやり方は 結局何も変えることはできない。 その運動をただひたすら繰り返し、 また、ひとたび、純粋意識が自己から敵とみなされ、 攻撃を受ければ、いっかんにして終る 危うさを秘める。
純粋意識が自己であると、これでいいんだよね? 意識の自己は錯覚であると それは純粋意識の無意識化ってことだよね? じゃあもう純粋意識じゃないんだ
自己とは肉体を指し 我とは意識をさす。 だが ”我” と呼ぶことは意識の混濁をまねくから この意識とは ”我々”と呼ぶことになります。 こうして自己に収縮する、だけの我を防ぐわけです。 仮にこれを 純粋意識と呼んで 自己を意識する意識は純粋意識ではない、 ということですね。
つまり純粋意識ってのはそれだけで独立してるのか デカルトの凄さは別のところにもあるぞ 数学のゼロを哲学まで想定していることだ 人が美しいとか醜いとか判断するが、その前のゼロの意識を考えている つまり驚くことだ、ひとは驚いてから美しいとか醜いとかに気づくと 意識じゃない、意識以前の驚きを想定して証明している 突然、大きな音がしてひとが驚く、それを意識のゼロとしたんだ。 アトラのはそれとは違うのか? その純粋意識は…
くどいようだが、もう少し説明すると 数直線上の驚きがゼロでプラス側が意識、マイナス側が無意識ってことになる その驚きってのに驚いたんだがな、、w
うーんうーん。 これは下手に口出しできない。 基準が驚きかー、まいるな。 反射でもないのか。なんなんだろう? 多分、発想の問題、 ひらめきのことを言っているのかな。 ひらめかなければ、驚かない、 驚かなければ、ひらめいていないことになる。 無意識絶対零度の激流はそのために、ある? つまり、意識していないところからひらめく? だから驚く? ちがうな〜。
あるのだが、 まるでないように存在している。 つまり意識できない。 気づくことはできる。 という意味です。 我を忘れるという言葉がありますが、 我を忘れるは当然で、 元々である、我々を失っているのであり、 我は自己と結びついているから、 収縮し、我に戻れても、当然我々には戻ることはできない。 そのためこの繰り返しがおこなわれる。 純粋意識とは唯一我々を意識させるものである。 しかしすでに私達成人は我々を忘れ見失ってしまっているわけです。
世界の神話を研究している神話学者 教育番組でだいぶ昔見ましたが、 神話は絶望的な話ばかりであり、 耳が痛くなくことばかりだが、 人間の唯一の希望を、最後におっしゃってました。。 それは、 『崖に向かって落ちようとしている赤ん坊を 私達はなぜか助ける。 これがなんなのかは、わかない。 しかしなにか、あると。 そこに希望を持つと。 』 しかしこれを逆さにすると、 私達は赤ん坊は無条件で助けるが、 それ以外の者の場合は条件がいる。 ということになります。 つまり、ここで人類全体に適用できない。 これだけでは私達の希望にできないわけです。
純粋意識、我々を救い出さなくてはならない。 以降、忘れてしまった。 眠気にまた、負けてしまった。 思い出せない。 これは許されない
↑ 救い⇒掬い、ね。 また忘れてしまった。 まぁ、致命傷はほっといて 次は、この流れから なんか "セカイ責任" につなげようとしています。 苦笑してからほほえんで貰えたら、と思います。
(ここは直接最初の>780を受けています。 セカイにまったく責任を負う必要のないはずの存在が、 負わなくてはならなくなります) だが、これに気づいたとき、 人に対してセカイ責任を負う。 我々(意識)が、つながることができるのはここにしかない。 あとはささいな差異によって排除される。 その意識の萌芽の前の原形を残していなくても、 我々のなかに、わずかに片隅に存在している。 それを有している人 この存在に対して、 その共通意識において セカイ責任を負う、わけである。 これを放棄すれば、 "肉体"も失い "我々"も死ぬ。
「存在が許されている。 純粋意識を意識する限りにおいて、」 許されるというのはドフトエフスキーだったか、 何をしても罪は許される というのではなく すくなくとも、それ以前、犯す前に 許されている。 ということを意味する。 だから(これに気づけば) 罪を犯す必要もまったくない。 つまり神やほかのものによって 許される必要が最初からまったく、ないのである。 天国の切符を発行してもらう必要がない。 一度死に、生まれ変わる輪廻も必要ない。 それらを意識するのは、純粋意識ではない。 青い楽園は、この現実の、この肉体にすでに宿っている。
まぁ、便利な言葉ですね、純粋とは。 どこまでも騙せそうな感じです。 二元論的な感じ話は進んできましたが、 二元論の真髄は知りません。 というか、わかりません。 ですがこの純粋をうまく使うと、 宗教を必要としなくなりそうです。 神や天国を通してつながる必要がないからですね。 元々人間に備わっているというモノを前提に使っているからです。 純粋意識は成長も退化もしない。攻撃も防御もしない。 ただそこに性善説の権化のような形で存在している。 つまり意識できないほど、純粋であると。 なんか少しガンジーの存在を想起します。。 さて、このあたりで、この話は終わりたいと思います。 もともとは、我思うゆえにホニャララ、の話が脱線したわけですので。 そこで もうひとつの説。 「我思いつつある、ゆえに我あり」 これは 更新の意味 と素直に受け止めています。 これは賞賛せざるをえません。 デカルトさんの名言のディスリはこれをもって終わりですね。
さて、AKITEが純粋意識を使い、微笑みの証明をしたあとで、 部分的には重なり、その一部では後追いとなるようで恐縮なんですが、 次は ナースの救い意味合い@ から、 そこに迷い込んだ、 肝心のアトラの救出A そしてAKITEを引き継ぐものへB とつなげれれば、なと思います。 (ここは思うだけでまったくなんの考えもないです ただ、さらには更新が続けられていき、 新たなモノ、へとなっていけばいい、 と思われます。 それはこれが始まりに過ぎず、 ただの始まりの最初の基礎、それに近いものでしかないからです それでここから応用できない可能性も否定はできません、 皆さん(我々)の意識が必至、なわけです)
ナースの救い意味合い@ 針の振れが半端なかったですね。 行ったり来たり、なんか、忙しかったですが、 振り切れた、先にあるモノ その可能性に満ちていた、と思います。 しかし、残念ながら、ここで言ってきた ”旧の救い”でしかないと、今は認識しています。
アトラの救出A こちらはすでにここで解決されています。 >756 『自らの生、(ホニャララ)そのために 他人を殺す』 それを生きる意味にした。 だから、生きる意味のないあの楽園には戻ることは決してできない、 「(それを携えては・・・)」 これでアトラは放っておいても自力でボートを出して、地上に戻ってこれるでしょう。 要は、原罪の手を使い、それで、人から何を引き出そうとも、 どこまでいっても、罪しか引き出せない、 ということですね。
さて、次は Primo Leviの救出に向かいます。 彼は、いまだ、落ち続けています。 この救出の意味合いは、 正確には、彼を空中で止めることはできる、それだけです。 地上に落とすことはまだできません、至りません。 彼は救いの位置では重要な位置に存在しています。 そのものといって過言はありません。 カルネアデスの舟板とも直接リンクします。 彼が最後までこだわった言葉、「仕方ない」 をキーワードにして彼の落下を止めてみせます。 しかしこれは、彼はもちろん、 いや、彼にとってというよりも、我々にとって、 誰にとっても、とても厳しいものとなっています。 しかし誰を責めているわけではありません。 この現実の問題を解かない限り、 我々は次には先には進めないということです。 果たして人類は自らの中に落ち続ける彼を救出できるのでしょうか。 むろんここでは、彼を地上に落とすことが、救出するという意味で使っています。 通常とは別で、いきなりややこしいかと思いますが、 私にも、アキテにも、それは、救出できません。 もう一度言いますが、彼を空中で止める、だけです。 ※もし、動悸、息切れ、などを感じ始めたら、 読むのをすぐにおやめください。
また、Auwiの彼を救出するわけではありません。 Auwiを出た後の、彼を救出します。 それが、(空中で)止めるということです。 微妙な言い回しとなっている所以です。 では、はじめたいと思います。
「 − 仕方なく生きるなら、仕方なく死ぬしかない − 」 Leviが この「仕方なかった」に引っかかり こだわったのは、我々は、 普段の生に対しても この「仕方のない」生しか感ぜず、(頼るものがなく) 我々が、「仕方のある」のは 実は ただ 死なないだけ (の生) であることを言い指す。
からですね。 無理もないですね。 我々は、彼の要請に、いつ、何時も応えられない。 それは我々が、準備できていない、からであり、 現在も仕方なく生きているに、他、ありません。 ごもっともです。
このように、 我々の日常に深く根ざしているあり、 つまり、我々はこの問題を わからない とし、 解決しないなら、(我々が直視しないなら) 永延に不履行のままで 我々は この問題を持って、この問題のために いつ、何時も「仕方ない」として 死に行くことを 認めなければならない。 我々は いわば 死の承認をしているのである。
ここから先は、厳しいものとなっていきます。 決して、自分のことだとは考えないでください。 あなたが、身につまされる必要はありません。 こういう考え方を、認識をする必要がある、だけです。 耳をふさいで、読んでください。 それでも耳が痛くなり始めたら、 すぐに読むのをやめてください。 それは誤解です。 あなたを苦しめることになるのは、 私の意図しているものではありません。
いやー、救いと助けの矛盾に悩まされていましが、 ゲーデルの不完全性定理によって、 意味はわかりませんが、癒やされた感じです。 カウンターをもらい受け、目が覚めます。 不完全ではなく、一本化できている。 少し毛色が違いますが、こんな人がいたことに、 さき(将来)にも希望がもてます。 むろん逆の証明をされると数学会が困ったように 別の方法を模索することになり、多くの人が困るでしょう。 しかし、結果的に、人の目を覚ますものになるのは違いないです。
「 − 正義をつらぬいていないからこそ、生き延びている − 」
↑ は 正義をつらぬけば、 「 同じ、強制的な死の圧力が働く 」 ということです。 同じとは:、AuwiのLevi と カルネアデスの板を掴む者、であり 正義をつらぬいた途端、この両者は、即死します。
※ (そう言えば、 プリーモ自身も、著作で「溺れるものと救われるもの」 を書いていたんですね。評論らしいのですが、 当事者でしか生めない説得力はあると思います。 しかし当事者であるがゆえに陥るもの、語れ得ないものがある それは、その時代の当事者は、時代の真っ只中いる自分を その位置を正確に把握できない、のではないか?と言うことです。 彼にできたこととは、救いの方法を、我々に伝えることです。 彼だけがその方法を知っています。 あの限定状態の中、生き延びたわけですから。 むろん、現実には第三者によって助けられ、救出されています。 彼は普通気づいてはならないことに気づけた一人であり、 しかしまた、当事者であるがゆえにその気づいたことさえ 気づけない状態にいるはずです。 彼にあの時代と自身を振り返ることはとてもとても難しいことなのです。 振り返れば、身がもげてしまうでしょう。 鏡なしでは、自分の背中をみることはできません 当事者でないと、わからないこと、誤解を生んでしまう恐れなど伴うのですが、 当事者の気持ちと乖離するなど、もういいかげん、そんなとこで遊んでいるわけにはいかないわけです。 つまり、時代の当事者でない、その時代に生きなかった我々だけが振り返ることができます。 できるはずなのです。 そろそろ、そんな時代に入っている気がします)
>811 で言いたかったことは、 まず、限定状態での 正義の履行 は不可能ということです。 それは、履行すれば、現実に その者に死が、即、与えられます。 ここでの正義の履行は直接、死ぬこと、なのです。 これを理解してもらうと、次に、このことが、 我々に ひるがえってきます。 @「 正義をつらぬいていないからこそ、生き延びている 」 そして、 A「 その不履行の正義の裏側では、(代わりに、誰かが苦しみ、傷つき、助からないで)別の者が死んでいる 」 このふたつは、限定状態だけでなく、我々の日常の現実でも同じです。 恐ろしい事に、なんら変わらず適用できます。 つまり、日常にいる我々は、 正義をつらぬいても 死にはしない ということです。 むろん、我々は正義を履行できる場所にいるわけです。 そこにあって、あえてそれをなぜか?しないわけです。 ※(このスコトマを破ることはとても恐いです。 きちんと言葉にして、我々が理解することはが必要でしょうが もしあらためて言葉として認識させられるとなった場合、その事実に どうしようもなく希望がもてなくなってしまうのでは?、という気がします) 言ってる自分がつらいわけですが、 残念なことに これが、いまある私達、我々の救いとされるものです。 日々の日常のいそがしさに、 救いを、いや、命を 見落としてしまっている。 そんな哀しさが浮かび上がってきます。
「 正義によって死んではならず、救いによって犠牲になってはならない 」 逆に言えば、 正義によって死ぬことはなく、 救いによって犠牲にはならない。 本来は、こうあるべきものである、はずです。
Levi、彼の死が重いのは、 ≪第一≫に 上記にあるような我々が、彼の敵になったということです。 彼に向かって「 仕方がなかった 」、「 仕方ない 」という言葉を連呼するとき、 @とAを背景に、我々の存在が浮き彫りになるからです。 彼は正義を履行できない場所で生き残り、 彼は、いまこそ、正義を履行しようとします。 しかし、彼に、こう、思わせた。 「 ここも 同じか 」 と なんとも皮肉なわけです。
しかし、これだけでは彼は、くじかれることはなかったのでは?と思います。 こうした敵、その絶望に対して、すでに十二分な免疫がついていたはずです。 問題は第二の要因です。 ≪第二≫に 【 彼自身、「 仕方なかった 」 にかわるものを持ちあわせてはいなかった 】、のです。 解放された彼も、これは同じで、 それに気づいた瞬間、 彼もまた、我々の一員となり、 敵となった。 @ 彼はAuwiで正義を履行できなかった。(むろん、不可能です) A 彼は第三者に助け出されている。 自らを助くうたわけではない。(救出されるそれまでは、方法は別として自らを助くうていたわけです) 誰かを助けたわけでもない(@ができないのだから、これは不可能です。しかし他者を助ける何か別の方法があるのならば別となります) これを理解するならば、いや、してしまうと 【 彼自身、「 仕方なかった 」にかわるものを持ちあわせてはいなかった 】、 が導き出されしまい、 彼は、いま正義を履行しようとしている(彼、)自らの敵となる。 ここで狂いが生じ軋み始め、何もできない無力感に襲われるわけです。 あらゆる抵抗力が失われます。 誰を責めれば良いのでしょうか? もちろん彼を責めるわけにはいきません。 もはや、彼の存在は、自らが生き残るというよりは、 彼は我々を生かそうとしていた。 我々(人類)の希望だったのです。
同一性障害、 ふと、この言葉が浮かんできます。 誰もが、多重に抱え込んでいる障害ですが、 これは軽いものはなく、どれも重いものばかりで、 彼の場合、なんと言ったらいいか、 聖同一性障害、らしきものに陥ったのじゃないか、 という気がします。 ここは、見逃せないもの、となっています。 というわけで、次からは 「 天は 自ら助く者を 助く 」 ここから、日常の我々へとシフトさせ、 「 助かり続ける 我々とは、何者か? 」 を読み解いていきます。 ここは救いと助けの相互の矛盾を観る事になります。 頭がこんがらがります。 しかしここでの第一の本題となっています。
− 天は 自ら助く者を 助く − わかりやすく言えば、 − 天は何もしない、我々を助けはしない − ということですね。 改めて、言われなくてもこんなことは誰でも知っていることですね。 私達は日々、自らを助けているわけですから、 生き延びているわけです。 こうして、皆 今現在に至(ってい)るわけですね。 どのように自らを助くうたかは、今は度外視します。 我々は、今 皆 助かっているわけです。(死んではいないという意味で)
あや? 天は助けるのか? 自ら助く者を? 天然ミスリード乙ですね。これはあとでと回収します。 「おまえは、助かっているなぁー」と 他人に言う場合、相手を馬鹿にもし、ほめもする微妙な言葉ですが、 本人(相手)が、助かっている理由を知らない、気づいていない、 時に使いますね。 (いろいろ応用できますが、結構失礼ですので、気の知れた人でないと使えません。 また意味が通じず真剣に聞き返してくる人もいますので使わない方が良いですね) まぁ、とにかく、私達はなんやかんや言っても、 今まで生きているということは、ずっと、 「助かり続けている」ことと同義なわけですね。
では、何から、助かっているのでしょうか? むろん、死からですが 我々は知らず知らずのうちに 「 何かに 」 気づかないことによって、助かり続けているわけです。 それを獲得しています。 レービーは (あわれにも) 生き残りました その生き延びた方法、仕方があります。 それをレービー自ら知る必要があり、 それを我々に伝える義務生じ、ならばむろん伝えなければなりません。 彼だけが、助かり方を知っている(はずだ)からです。 ここではあえて、救い方(救いの方法)という言葉を使わず、助かり方という言い方を使っています。 この言葉の違いが、とても重要となってきます。 むろん、我々が彼に求める、求めていたのは、救い方(救いの方法)であるわけですが。 >811 によって、 正義をつらぬいたからではなく、 正義を裏切るからこそ、生き延びられる ことを私達はもう、知っています。 自分の意思に反することが、 自らを生かす(ことになる)からです。 しかし我々は日常の中でこれと似たことをしています。 なんら現実離れしたものでもないのです。 結論から言うのもなんですが、 プレーリは、正義を貫いたから、死んだといえます。 しかし、このことは >815 に反します。 本来、彼が我々が獲得するはずだった生が、逆に奪われ失われています。 この憤りをどこへ、我々はもっていけばいいのでしょうか?
はぁ〜〜〜ぁ、 イリ(ッ)クスが生まれやがったので、 そこまで(彼に)行く前に、なるべく箇条書き風味で、簡潔に進めてゆきたいと思ってます。 説明不足をお許しくださいね。
@気づけないことが、助かり続けることになり、 それが救いにつながっているだけに 他ならない ただし、知ること、気づくことは、 助かり続けることができないことを意味する。 (ここが、不完全性定理、二律背反) 気づくこと と 気づかないこと この両者は同時に成立できない。 気づけば気づくほど、救いは失われていく という矛盾である。 気づくことは、 気づかないことを救うが、 気づいたことは、 その気づかなかった者を殺す。 つまり、気づいていないことは、 その者を最初から救っており それで(気づかぬ救いで) その者が死んでも、 それに死ぬまで気づかなければ、彼を救ったことになる。 しかし、助かり続けることは救いではない。 ただの盲目、難聴(感覚の麻痺の意味合い)なだけで、 目の前の自己の死も他者の死も気づかない。 恐怖を死の寸前の手前まで気づかないという意味で救われている、 というわけだからである。 つまり、気づかないことによって、うまいこと自己だけの死を切り抜けているにすぎない。 その間、他者は死んでいる。
不在者の問題。
たとえば、私が、あなたが死んでも、どこかで、地球で新たな人の生命が生まれ、意識が芽生え、展開する。 すると、それは人間の意識であり、そのあなたの意識とその意識は、その意味合いでは同一である。 何者も他者とは言えなくなる。 意識として同一である。 つまり これは 魂の否定である。 もし、新たな生命が、生きることに苦しんだりすれば、それは人の意識が苦しんでいることとなり、 つまり(死んでいるが)あなたが生きていたと同じ(人の意識)が苦しむのと同じである。 これはどういうことかというと、 あなたはすでに死んでいる。 しかし新たな生命(人の意識)があなたと同じことで苦しむとすると 永遠に同じことで、我々(人の意識)が苦しむことになるわけである。 前世紀で、何も解決されていなければ、 人の意識は、こうして永遠に苦しむことになる。 なぜなら、人の意識というのは、 誰でも 同一だからである。 むろん、あなたの意識ではない。 しかし、純粋な 人の意識である。 あなたにも、わたしにも、なり得る意識である。(ニヤッ) 誰にでもなり得る。 朝目覚める、あるいは夜目覚める その刹那、瞬間は、誰でもない。 ただ、肉体や環境や状況が違うのであり、 (人の意識)は変わらない、同一となる。 その同一に気づかず、あるいは忘れ、我々は殺しあう。 つまり表象にあらわれる自己の意識が、他者を区分し、排除する。 それは人である意識を排除したことになる。
これらは、意識の服 であり いくらでも着替えられる。 しかし、どれに着替えても、 その瞬間から、服はやぶけ、肌けていく。 もはや この時点で、どれが 自己の意識であるのか、我々は混乱する。 肉体、体、という服を、剥いだとき、 我々は、他者と自己の意識の違いがどこにあるのか見い出せなくなる。
Dにおい、味、風や空気が心地よい、あるいは悪いなどは、、 すべては外的要因によっている、それを 私たちが考えているわけではない。 人当たりがいい、悪いとか、いい人とか悪いとかいうのは ある規定のうちにあるうちだけである。 それはすべて肉体を通している。 5感を通して、肉体が感ずるところである。 我々の意識とは関係ない。
何だこのスレ? 純文学とか滅びた方がいいと思うけど つまらんし
とりあえず こいつはゲーデルの不完全定理を全く理解してないのに 適当に名前だけ使ってるということはわかった
我々は、五感、で感じ取ったものを 一度、肉体を通して、言葉に翻訳する。 実体ではなく、言葉という無機物に変換、翻訳している。 ここに相手に、(あるいは自己に、)伝えるという絶望的なまでの(実存在との)乖離がある。 しかし、言葉が(に)絶望的に理解を求めようとする。 国々で言葉が違うのは、言葉はどんなもの(発音)(文字の形)でも何語でもかまわない、ということ。 そこは確かなものではない。意味は言葉なしにある。 世界(宇宙)の翻訳。
>828 滅んでないが、それに近い瀕死の状態と思う。 >829 つい、俺式定義で 定理とつけてしまいました。 二律背反はしっくりこない、何か違うので。 不完全性だけで意味は通ると思います。
狂い と お狂い(聖人=救いにつながる者)の違い。(ここは文学が担っていますね)
>821のあと、以降に、書き込みしようと思っていたものです。 しかし、誰が彼を責められるだろうか。裁けるだろうか。 これはカルネデアスの板と同義である。 人はこれを裁くことはできない。 いまだにである。 我々の理解、思考をはるかに超える。 カルネデアスの板の皮肉なところ、いや悲しいところは、 たちまちにして、人間性、倫理、宗教、神、愛、絆、文化、etc ありとあらえるものが、崩壊するところである。 足元から崩れ、誰もそこに立っていられなくなる。 我々を支えるモノがなくなってしまうところである。 裁くどころではない、 どう考えても判断できない。 そのため、神の手にゆだねる。 そのため、我々は紀元前からいままで何も考えず、何もしなかったのである。 そして今も何もしない、いや、できないのである。 我々には、本当のところ、何も「 − ない − 」という証明でもある。 つまり、我々は、その存在を知っていながらも、人の手から離し イコール、 野放しにするのである。
>821のあと、以降に、書き込みしようと思っていたものです。 ×プレーリ ○プリーモ OK? 愛称? ★ではプリーモは、何に正義をつらぬいたのか? @ に対して? A 我々 に対して? B 死んでしまった同志 に対して? C 世界 に対して? D に対して? E 秩序、摂理 に対して? ・ ・ ・ ∞ これらすべてに対して? ★また何に殺されて死んだのか? @我々に? A自分に? Bそれ以外に? ★なぜ、誰も助けれなかったのか? 助けるものがいなかったのか? @・・・ いや、あるいはこれを・・・救われたというのか・・・? これらはまだ私には答えられません。 これは、彼を地上に落とすことができない理由のひとつであるのかどうなのか? まったく関係ないのかもしれません。 ただ、なにかが、不在なのは確かで そのことには気づきます。
ざぁ〜っと、目に留まるものを抜いてみました。 次からはイリクスがお相手します。 こいつは、ほんとに、嫌〜〜〜なヤツです。 手なづけるには、かなりの辛抱が必要そうです。
助け はいつも犠牲がともなう。 救い にはなれない。 人を殺してしまうかもしれない 可能性を克服していない。 救いとは、この不可能の前提である。 救えないということの裏返しであり、 救わない という意思表示。 #あぁ、台無しですね
現(実存)在 → これから消えゆくもの 識(無実)現 → これから立ちあらわれるもの どう立ちのぼってくるか 我々はわかっていない。 つまり、使い方をわかっていない。
面白そうだから理解したいが難しくて理解できない。 でも読んでるよ。
★宦官の問題。 これは 竿 を取るのと 睾丸 を取る二種類があるとかないとか? 両方取るだけないのですね。 しかしこの話に信憑性はありません。グクれば出てくるでしょうが。 つまらない問題かもしれません、この問題はそれで解決したことにしています。 ★孤島に一人、生まれ、一人、死ぬ者 の存在 彼にはここで云う 救い は適用できません。 なぜなのか? ずっ〜と長いあいだ、もやもやとしてわかりませんでした。 これはイリクスが解決します。 イリクスは問題のすべてをなぜそうなるのか、という理由を なんなく説明します。解決するのではありませんが・・・ 彼の説明はかなり一方的にも聞こえますが、しかし頷くしかありません。 こちらには、その理由さえわからず、説明できないのですから。 なるべくなら、ここで先に問題の列挙をしておいて、 彼がそれを説明するにあたって、皆で検証、反証してみたいところです。 しかし、このように切りがないので、できれば 問題を思い出したら途中でAKITEを挟みたいと思います。 >838さん、>827から見ると私たちは、(考えても、思ってもいない)らしいです。 まして理解などした所でどうしようもない、 そんなこと(理解)は(思ってもいない)こと(前提)からして、不可能だとしているようです。 いやらしいですね。このあたりからイリクスが顔を出し入れしてきてます。 次からは、本当に 「哲学の本能」としてイリクスを登場させますね。 ではでは。
哲学が先にあって、文学をクリエイトするのか? 文学が先にあって、哲学をクリエイトするのか? それともどっちでもいいのか? そもそも、それでいったい何がしたいのですか? とこのスレと関係あるような、ないような事を言ってはじめたいなと思います。
さて、「哲学(知性)の本能」と私が勝手に表題してかかげ、 イリクスの言葉を紹介していくわけですが、 んっ、アレ待てよ、 そもそも本能が、いわゆる哲学たり得るのか? という疑問がその前にありますね。 しかし、まぁ、いままでも、哲学的とは言えるようなシロモノでもないので、 気にせず、やっていきます。 そこで、本能を使っていくにあたり、 何か入りやすい導入部を頭に思い浮かべていましたが、 いつになく、またぞろ忘れてしまいましたので またいきなりですが、イリクスの言葉から入りたいと思います。
― 我々は 人に対して 限りない、闘争本能を もったのである 人は それを 背負ったのです ― イリクスの言葉の始まりはここではありません。 しかし、まず、皆に考えてもらいたいのです。 それは、なぜなのか??? ということを、ですね。 これは一番初めを結ぶ、イリクスの強烈な一言です。 なぜに?なにが? どうして?強烈なのか ということを、まず考えてみてほしいのです。
― 我々は 人に対して 限りのない、闘争本能を もったのである 人は それを 背負ったのです ― あンれ〜「の」がヌケてました。 ではでは。
本能: この自然界の考えた科学といえる。 自然が変化したから、生物が変化したのか 生物が変化したから、、自然が変化したのか、 という問題。無論、大きな意味で前者である。 しかし、自然の環境変化によって生物もまた変化し、 いまでは、自然の一部として生物は生存している。 我々はその自然の中のもの(種)、そして一人である。 つまり、生物は環境それに応じて、能動的に変化している。
しかし、それなのにそれが今も昔も我々の意思によって、 能動的に変化することができないため、 そういう意味では、少しの自由もないといえる。 いわえる、多くの方が言う、進化である。 我々の意思は、その権限がない。 我々は我々の意思によって、我々の意思を支配しているのではなく、 支配されている。我々が思考するということは、 その支配を受けるということである。 その意味では、我々は本当の意味で自由を行使したことは一度もないだろう。 自由を行使できるのは我々ではない。 しかも、その自由を行使できるモノは、 我々の意思にまったく反する場合がある。 我々が、絶対拒否しているのに、それをする、せざるを得ない と判断するときである。無論嫌がっているが、 わたしの感じていることなのか、どうなのかも、疑問が残る。 なぜなら、ここにおいては私という概念がもともとない、からだ。 それが発動するのは、ただ、私たちを生かすためだけである。 そこに倫理は存在しない。ためである。(本来的矛盾律)
安定した自然の中においては、生物が生物に対しても、対応し変化し始めた。 ここからである。 そして倫理がこうした自然の中で、不自然にも生まれてきたということは、 我々は、その可能性を少なからず信じてよいのである。 むろん、倫理をつかさどる理性は、本能の、思考の一部である。 しかし倫理も本能の一部であるならば、それが本能の中心となり得る可能性をほんの少し持っている、 ということでもある。 これはほとんど不可能であるということでもある。(生物学、脳の機構からみても) しかし、その方法を我々は手に入れなければならない。 どうにかして、手に入れようというのである。 本能とは、変化の残り、かす である。 リピートしているに過ぎない。 *とても抽象的ですが、これから具体的になっていきます。 ちなみに、イリクスも私も 倫理、それをつかさどる理性はまったく信じてはいません。
我々は悦楽や欲望を満たそうとしているのではなく、 過去の本能を満たそうとしているのであり、 現在を満たしていない。 我々には善や悪を考える礎は、まったくないのであり、 その善や悪を考えるより前に考えなくてはならないものがある。 本能である。 これは、生きるのに最善を目指す。 我々にとって、これは最悪を目指すことである。 (この悪とは我々人類が(おもい)えがく悪である) おもいきり、原始的なまでに、簡略化してみると、こんな感じになるのかな?
(#番外) そしてならば、本能に逆らえば、すべて理性的で、倫理となるのか? という疑問が立ち 理性で行動を制限しているが、それは自然界に対して正しいのか? 犬は、凶暴さをみしていたのに、あるとき、何の訓練も受けず、 吠えなくなることがある。凶暴さのかけらもなくなり、まるで、そこに人以上の、ある了解があるような、 穏やかさが流れる。 これは、何性なのか、もし理性とするならば、 いったい、なにが人間足らしめているのか? と、まぁ、疑問は切りがありませんね。 なるべく疑問系はやめときます。 これらの疑問、その解答的なものはイリクスがのちに全体として長ったらしく説明するでしょうから。 ― 我々は 人に対して 限りない、闘争本能を もったのである 人は それを 背負ったのです ― 次からは、この初まりに戻りたいと思います。 これまでの書き込みは、混乱を招くだけのものだったかもしれません。
― 我々は 人に対して 限りのない、闘争本能を もったのである 人は それを 背負ったのです ― また 「の」がヌケてました。 さて、始めるまえに、現時点でのイリクスへの感想は、 「イリクス、お前、どこまで行っちゃうの? 」という感じです。 私としては、説明ではなく、解決方法を模索してもらいたいのですが、 「なんか、逆に近いこと、やってない? 」感じで、 はぁ〜と納得もし、ほーと感心もして うれしくもあるわけですが、悲しくもある状態です。
地球の生物界、そのピラミッドの頂点に立ち 我々は、天敵がなく、 闘争する必要がない。 しかし、いつ、その天敵が現れるかも知れず、 その名残をすぐには捨てれず、使うことをやめれない(リピートする)ために 同じ種→人間に対して、適用した。 そのリピートされる闘争本能のやり場を失い、 我々は、その矛先を、 我々、人に 向けたのである。
人と人の間にヒエラルキーを新たに誕生させ、 それをおこなわせる。 なるほど、動物のテリトリーの本能として、 同種でも争う場合がある。 それは次の生命を生むためのテリトリーである。 人間以上の新たな天敵があらわれれば、我々は (この不自然に強化された本能を使い)、手を取りあって、戦うだろう。 しかし、もはや、それはなく、 我々は、人に対して限りのない、闘争本能をもったのである 人は、それを背負ったのである。 #うぅ〜ん、 この本能との契約により、 我々は人でなく? 何になった? というのでしょう
我々は頂点に立ち、 自由(を得たの)ではなく、目的を失ったのだ。 かつての本能をいつまでも引きずり、 それによって生きてるとし、我々は自ら(人間)を定義づけた。 人間は人間を駆逐する。 その本能だけをもって、ただ生きている。 それを不可解だと知りつつ、生の実感とする。 我々の知性も、闘争する本能で(に基づき)成り立っている。 善と悪の対角線上に、この本能が乗っかっている。 リンゴの皮を切るナイフが、人の肉を切るナイフへと変わるとき、 人は、たまたま彼がリンゴの皮をむいているとき、そこへ通りすがったんだ。 というだろう。確かにそのとおりだろう。 だから仕方ないんだ、と言うだろう。 我々はそこに逃げ込む。 しかしそれが我々自身の凶器、知性の凶器である(ことを知らない)。 我々はあくなき闘争本能の上で踊り続ける。 それをイリクスは 我々は生まれながらして、無実(の罪)を背負っている というのである。
本能が指示し、しかし行うのは我々である。(#ここが問題ですね) 我々は彼らの道具である。 (#うぅ〜ん、つまり、 我々の意思でなくとも、行うのは我々である ということが言いたいですね、イリクスは)
動物の場合は、 我々の眼にどんな残虐な行為をみせたとしても 動物を裁判所に呼んで、 いちいちその行為を問うてみる者はいない。裁かれることはない。 彼らは野生であり、それが自然の姿であるからだ。 しかし、人間は理性の恩恵を受けているとする。 それが、完全であり、あらがえることがすでに前提である。 しかし我々は本当にあらがえているか? ではなぜ、裁判所は存在する? もし、あらがえないとするならば、 そこに何の罪があるというのか? 何を裁くのか? その判断を、問うことができても、答えるものがいない。 その中で誰にその答えを問うのだ。 何に責任があるというのか?
我々がその本能を利用し(て)、使うときだけ、 同義的問題が発生する。 つまり、逆に、本能を道具として我々が使うとき、 表象の意識 = 自分、自己のために使うとき、である。 つまり、本来的本能を満たしている、 時ではないときである。
しかし、人間は、 本来的本能と表象の意識との区別がしづらくなっている。 つかなくなっていると言ってもいい。 それは、我々は、我々を人間をえさとし、 本来的闘争本能を、同種の人に適用したからだ。 そうして 人間から、えさを、つまり富を、奪うからである。
#この富とはあらゆる富を含む、命も絶対として含む。 つまり、正当に、本来的に、本能が満たされていない。 人から奪うのはもっとも手っ取り早く、効率がよい。 あらゆる富を、一から作るには膨大な手間と時間がかかる。 これは一見、本能により近い。 いかにも本能に似ている。 だが決定的に違う。 それは、本能は、生命全体と種自体を考えている点である。 そのために、我々を変える