あなたの文章真面目に酷評しますPart28

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693名無し物書き@推敲中?
 風に吹かれて1
生暖かい空気を吐き出しながら、4台目のバスが通り過ぎていく。
彼は孤独だった。 
24年目の終戦記念日、街はいつもと変わらなかった。
若い人にとってこの日は、全て終わったこと、社会の授業で習った、その程度である。
陸軍士官学校時代、彼はエリートとして教育を受けた。
上官に対する礼儀作法、隊を統率する手段、捕虜の尋問の仕方等を教わっていた。
全ては天皇のために、これが信念であり合言葉であった。
彼は呑みこみの早い優秀な男で、上官にも同級にも大変好かれていた。
今でも懐かしくあの時代を思い出すことがある。
しかし彼にはそこから終戦日までの記憶がない。
時間にすると約5年間。
終戦日の一日後の朝、彼は実家で目を覚ました。
起きた時、自分がどこにいるのか分からなかった。
母親が入ってきて「おはよう」と言いカーテンをあけた時、自分が実家にいることに気付いた。
母は、昨日彼が青い顔をして帰ってきたと言った。
居間で父親から渡された朝刊の見出しにはでかでかと「敗戦」の文字が書かれていた。
父親は黙ってうなずいた。
しかし彼はその時何の感情も湧いてこなかった。
ただ記憶を失くしていることに気付いた。
彼はその事を両親には黙っていた。
自分なりに敗戦のショックから一時的に記憶喪失になったのだと自己分析した。
実家でぶらぶらしながら、誰かがやってくるのを何日も待った。
しかし、いつまで経っても一向に誰もやってこず、手紙すらこなかった。
そのうち心配しだした両親が仕事に行かないでいいのか、と訊いた。
彼はしばらく休養していいことになっていると嘘をついた。
ふと思い立ち、通っていた士官学校に行ってみると取り壊し工事が始まっていた。
しばらくそこでたたずみ、記憶が戻ってくるのを待った。
上官の顔、同級の顔、講義の思い出が蘇って来た。
しかしある時点から先が全く思い出せなかった。
彼はしばらくして家を出、仕事を見つけ、1人暮らしを始めた。
その後、結婚をし子供を育て、その子供は今お腹に彼の孫を宿している。
694名無し物書き@推敲中?:2005/08/01(月) 17:02:59
 風に吹かれて2
彼の両親もまだまだ健在だ。
しかし未だに、誰もやってこず手紙もない。
カウンセラーに通おうと思ったこともある。
催眠治療というものが行われていることも知っている。
過去の記録を探ろうとしたこともある。
どこかに行けば必ず空白の5年間自分が何をしていたのか分かるはずだ。
ただ未だに最初の一歩が踏み出せずにいる。
彼は終戦記念日には毎年必ず1人で靖国神社に参ることにしている。
今日もその帰りだ。
5台目のバスがやってきた。
パネルを見、また違うか、と思う。
扉が開き、人が降りてくる。
若いカップル、帽子を被った老人、元気な子連れのファミリー、手押し車を持った老女―――。
彼ははっと息をついた。
振り返り、通り過ぎていった老人を目で追いかける。
足をびっこにひきずりながら歩いている老人。
その瞬間、彼の記憶が凄い勢いで甦ってきた。
爪を剥がれた人の叫び声、電気ショックをうけてびくんと震える人の体、ばけつにつっこれてもがく人の頭、
人を打つムチの音、焼ける鉄棒の音、絶叫、悲鳴、すすり泣き。
様々な記憶が頭の中をかけまわり、目の奥にうつしだされる。
体が震えが止まらない。
彼は人目もはばからず大粒の涙を流していた。
暑い夏の真昼間。
6代目のバスがきた。
彼は立ち上がり、ふらふらと歩き出した。
近くにいた若い女性が悲鳴をあげた。
「危ない」