1 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/12(日) 00:35:56
O.Yに捧げます。
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僕が大学にはいってそのサークルに勧誘されたのは全く偶然だった。
そのときは将来おこるであろう驚愕の展開なんて予想しているわけなかったよ。
全く。
駿台予備校で志望校におちて、慶應大学経済学部に入学することに
なった。別に法学部でもよかったんだけど、司法試験受ける気も
なかったというのが理由で経済に。就職でもするかという気分。
合格して関係書類をもらいに日吉にいった。
なんかあーあという気持ちだったけどね。
東大いきたかったんだろうかどうかすらいまや曖昧だった。
虚脱感だけあった。
結構発表日から時間がたっていたせいか
人もまばらだった。
書類をあっさりわたされて、
「マックでも食べてかえるかなと」
夕暮れの日差しが僕には哀しげだった。
2 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/12(日) 00:50:35
帰りがけ、
「君はいらない?」
と髪の毛をそめたお兄ちゃん。
よこにはパンフをかかえた少しはすっぱな女の子。
そうその頃はまだまだマイナーな存在だったんだよね。このサークルも。
でもそのときすでになぜか大学横断のいわゆるインカレだったんだよね。
でもマイナー。僕がしってるわけなかったし後におき狂乱の日々を
思い起こせば決してあってはならない連中だったんだよね。
しかし本当にあーぁだよ。全く。
3 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/12(日) 04:10:51
カス
4 :
名無し物書き@推敲中?:
日吉会堂での慶應義塾の入学式。
考えてみればくる気がなかった大学の入学式で思い入れなんてないし
それに一応慶應ブランドといわれているから、どれだけ派手かと思えば
全然普通。まあこんなもんかというか予想通りというか。
親もこなかった。東大しか目がない親父だったし、「早稲田だの慶應だの普通鵜だ」。
そりゃあ親戚見回せば資産家だらけで、早稲田慶應医学部なんでも揃っていた。
東大だけがいなかった。親父は小企業の小売経営者。次男だったので殆ど全部
長男が相続し親父にはささやかな遺産しか残らなかった。いつもそのことで
親戚といざこざがあった。そういうこともあってただひとつ自分が東大にいくということだけが
親族を見返せる、あるいは知人に自慢できるという心境だったんだろうな。
いずれにせよ慶應の入学式はあっさりと終わった。きている新入生のつきそいも
あまりに普通だったな。実は慶應高等部もうけにいったことあるんだけれど
そのとき付き添いにきてた連中のがよっぽどブルジョワで品が良かった。
大学からって世間でいわれているとおり本当に普通人だね。