職業としての文学、もう決心されましたか?
この島に生まれ、はや二十幾年。
三、四年後にデビュー予定なんだけれども、
人生の選択肢を考えると、なかなか辛い決断。
まぁ、でも、うん、とりあえず、仕方ないか。という感じ。
別にどうってわけでもないんだけど、スレ立ててみました。
ちょっと話がしたかったので。
結構本気なので、色々語り合えれば。
どちらかというと、いわゆる純文学寄りです。よろしく。
あ、ちなみに一作も書いてない。短編も含めて。
そんな奴が「職業としての文学」を手に出来るのか、
っていう意味の実験スレでもあります。
ってか創作文芸って人が少ないのか、それともシャイなのかな・・・?
あぁ、でも俺が書かないと何も話せないよね。申し訳ない。
じゃあ小説家というものについての私見。
まず時代遅れ。これがでかい。
しかもリスク・リターンが割に合わない。
そもそも小説という形式の絶対性(感)がおかしい。
そういう意味で、やっぱり時代遅れ。
職業としての文学と言っても、売文という意味じゃない。
生き方が、多かれ少なかれ、職業としての文学によって規定される、という意味。
芸術が他人に認められる時(=職業としての芸術)の根本は「新しさ」、
言い換えれば「ある個人が偶然担った時代感」にあると思う。
小説そのものがもはや保守的存在となった今じゃ、俺的「芸術」からすると、
もはや小説は時代遅れで、非芸術的なんじゃないか、ということ。
なんか別の形が必要なんじゃないか、ということ。
あるいは最低でも小説という枠組みを自分の中で一回は崩す必要があるだろうということ。
色々言ったけど、
俺の今までの人生を考えると、
他に手が無いから仕方ない、小説家になるか、って感じです。うん。
少し時間あるからまた書こう。
何でもいいんだけど、じゃあ作品の独立性。
よく作品は作品だけで評価されなくてはならない、っていうよね。
いや馬鹿か?って思うんだけど、みんな思わないのかな。
作品は作品そのものに価値があるわけじゃない。
作品と読者の間に生まれたもの、それ故に価値が生まれる。
有名な例を挙げよう。
ちょうど美術展やってるゴッホだって、いや小学生か?と俺は思う。
なんか俺でも書けそうな気がしてくるし。ピカソは論外として。
でも、彼の人生を多少なりとも知っていれば、
そこから様々な解釈が可能になる。それが見る者にとっての「意味」だろう。
純粋な芸術的見地からすれば、
作者の追体験をするのがベストなのかもしれないけれども、
それじゃいつまで経っても作者を越えることができない。
ただ追体験=真似をするだけじゃなくて、
作品から何かを感じ取れれば、それでいいんじゃないかな。
味付けとして、作者なり、他のエピソードなりがあっても、何も問題は無い。
そもそも作品だけで判断されるとしたら、
世の中に出回ってない作品がどれだけ出てくるだろう。
作品なんて、例えば小説なら単なる文字の羅列、
もっと言えば紙とインクがあるに過ぎない。
そこに価値を見出すのは、個人としての人間だ。
人間と作品とのかかわりにこそ価値があるというのは、そういうこと。
時代を背負うというのは、その価値が共有された時のこと。
作品だけで判断される「べき」時はあるかもしれないが、
原則として、個人という立場からすれば、それはあまり問題ではないだろう。
ぐだぐだ書いてごめんなさいね。でも、どう思います?
8 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/11(月) 20:12:23
荒しとか批判はまったく気にしないんだけど、
無反応って一番凹むね・・・(TT
はじめて知ったよ。
なんか寂し過ぎるからあげてみる。
俺って嫌われる人間なのかなぁ?
あー、俺読むだけとか書くだけとか嫌いなんです。たぶん。
他人と話するのが好き。
読むのも話をする感覚でやるし、
書くのはある意味自分との対話。
まぁでもやっぱりホントの対話が一番好きなんで。
そういうの、あんまりないですよね。ネットって。意外とさ。
リアルと変わらない、ご無沙汰してますご機嫌いかがですかみたいな、
どうでもいい上っ面の会話ばかりな気がするのは俺だけ?
12 :
雨李 ◆TAPQNXfTD6 :2005/04/11(月) 20:22:06
おらも3〜4年後には作家になっていたいなぁ
文学はエエよね
文学は友達ら
13 :
雨李 ◆TAPQNXfTD6 :2005/04/11(月) 20:24:26
しかしまじめに書いてると、なかなかネットは邪魔なので、ちょっと葛藤。
おらはオースター、カポーティ(最近までカーポティと思ってた。ルイージもルイジと思ってた)あたりが好きら。二冊くらいしか読んでないけどサローヤンとか
友達ら。うん。
うん。文学ととくごはん食べに行くよ。
昨日は花見行った。文学と。
16 :
雨李 ◆TAPQNXfTD6 :2005/04/11(月) 20:27:18
まぁ私は文学的に免許を取得しようとしている。
俺は全然読んでないよ、その辺。
なんだっけ、聞いたことあるけど。春樹のどこかに名前が出てきてた気がする。
あんまり知らないんだよね、そういう有名な奴っていうの?
確かにネットは邪魔だよね。
2chしてると、すぐ時が経っちゃう。もったいない。
だから俺もしばらく離れてたんだ。今日戻ってきたとこです。
ちなみに俺はモームが好き。知ってるかな。
あと石原慎太郎が好きです。まぁ飛ぶけどさ。
俺も今年は5回花見行ったよ☆
でも花粉症だから酒飲むと薬切れて辛い(tt
×文学ととくごはん食べに行くよ。
○文学とよくごはん食べに行くよ。
僕の文学は酒癖悪くてこまるよ。
マンドクサイから見捨てて帰ってきた。
文学的に免許を取得・・・って。おもろいけど分かんないな。
俺はどちらかというと免許的に文学を取得するのかな。笑
あーごめん、ちょっと出かけてくる。2時間くらいかな? ではまた。
21 :
雨李 ◆TAPQNXfTD6 :2005/04/11(月) 20:32:06
モームって名前は聞いたことある。古典系だべか。
まぁおらも多数の人と論じ合えるほど読んでいないべさ。
それが致命的欠陥だべさ。
>>18 文学度120パーセント
モームって月と6ペンスしか読んだことないな
モームの魅力とは?
うおー月と6ペンスの人かぁぁぁぁぁぁ
ありがとう
検索めんどかったから助かった。
「職業としての文学」ですって。
ワタシは少し恥ずかしいです。なぜ恥ずかしいかと言うと
「職業としての文学」ってお題目で、さんざん議論されて
きた経緯がすであったはずでしょう。(よく知らないけど)
それらを全部すっとばして…なんの、ちょっとした
「実験スレ」ですから…って云う人の神経が、こっちの
羞恥神経を逆なでしまくり、身もだえしそうです。
時代錯誤をとおりこしています。
無知のM字開脚より大爆走する、花電車ですぅ。
堪忍して下さい。はぁ、はぁ、はぁ。
素早く飛躍せねば。
安吾の「堕落論」でも読んで、落ちつこう。
26 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/12(火) 19:46:32
ただいま☆
モームはね、通俗作家だと思われているし、
実際に彼のスタンスもそうだったんだ。
でも、彼自身の物事への視線は、
大半の作品の中には僅かしか現れていないけれども、とても深い。
極めて人間的な矛盾を自分の中に抱え、
だからこそ世の中がそうした矛盾だらけであることも実感していた。
それを矛盾のまま放っておいて、作品として面白いのがモームの魅力。
エッセイを読むとよくわかる。
せっかくだから引用してみます。
みんなモームなんて、滅多に聞く機会もないだろうし。
27 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/12(火) 19:53:53
『要約すると』新潮文庫(再販しない限りたぶん本屋には無い)より
P89
わたしが本をおくのは、時は過ぎゆくのだ、そして、生きることが自分の仕事なのだと自覚するがゆえにのみであった。
わたしが世の中に出たのは、ものを書くのに持っていなければならぬ経験を得るためには、
必要だと考えたからであったが、また、経験を経験そのものとして欲したからでもあった。
自分では作家になるだけでは十分でないように思われた。
わたしがみずから意匠した人世模様は、人間であるというこの奇々怪々な治験医、できるだけ深入りすることを強く要求した。
わたしは普通の人間に与えられるところの、普通の苦しみを感じ、普通の愉しみを享楽したいと思った。
精神のそそるような誘惑に、感応の要求を従属させる理由は、わたしには認められなかった。
わたしは、社交、人間関係、食物、酒、女遊び、贅沢、運動競技、芸術、旅行、そのほか、
ヘンリ・ジェイムズ言うところの、あらゆるものから得られるだけ得ようと決心した。
しかし、そんなことをするのは厄介だったので、わたしはいつも自分の本と孤独にたちかえり、ほっとしたものである。
28 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/12(火) 20:05:57
いっぱい線引き過ぎてしまって、ドコ引用すればいいか分からなくなってので、
最後の数行だけ。
わたしが毎日暮らしているのは、幻影であり、たまたまそうした結果になったから、その幻影の中でわたしはあれやこれやをしているのだし、
また、その中で自分の役割を演じている間でさえ、それが幻影なるがゆえに、それをある距離をとって見たり知ったりできるのだという気持を、
すっかり失ったことはない。
その成功や失敗、はてしなき過ち、その欺瞞と成就、喜びと惨めさをこめた自分の生涯をふりかえってみるとき、それは妙に現実差を欠いているような気がする。
それは朦朧として、実体が無い。どこに行っても急速を見いださぬわたしの心は、理性とはなんの関係もない、
神とか永世とかに対する、祖先から受け継いだ深い渇望を持っていたのかもしれぬ。
ほかによりよきものを見いだせなかったので、わたしの歩いてきた道で出会った多くの人の中に、
いずれにせよ、一再ならず、ふと見いだした善というものは、実在性を持っていたのだと、ひそかに思ってもよかったのではないか、というような気がすることがあった。
善の中に、われわれは、人セ因遺体する理由とか説明ではなく、情状酌量を見るのかもしれない。
ゆりかごから墓場まで、われわれを囲んでいる不可避の悪をもった、この冷然とした宇宙にあっては、
それは挑戦とか解答として役だつものではなく、われわれ自身の独立の肯定に役だつのかもしれぬ。
それは諧謔が運命の悲劇的な馬鹿馬鹿しさに対してする報復である。美とは違って、それは退屈になることなく完全になりうるし、愛よりも偉大で、歳月もその喜びを萎ませない。
29 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/12(火) 20:10:01
いっぱい線引き過ぎてしまって、ドコ引用すればいいか分からなくなってので、
最後の数行だけ。
しかし、前途は正しい行為の中に示されるものであって、この無意味な世界にあっては、正しい行為とはなんであるか、誰が教えることができよう。
それは幸福を目的とする行為ではない。
幸福な結果となっても、それは幸福な偶然である。
われわれも知るごとく、プラトーンはその作中の賢者に、平穏な思索生活を捨てて、実際問題の騒擾に入り、こうして義務の要求を、幸福に対する希求よりも上におくことを課した。
そして、思うに、われわれも万人が万人、ときには、そのときも、あるいは将来も、それが幸福をもたらすものではないことを十分承知しながら、正しいと考えたがゆえに、ある一つの道を選んできたのである。
では、正しい行為とはなんであるか。
わたし自身としては、わたしの知るかぎり最もよい解答は、ルイ・ド・レオンによって与えられたものである。
この解答に従うことは、人間の弱さが、力およばぬこととして、おじけづくほど困難なことには見えない。
この言葉をもって、わたしはこの本の結語としたい。
彼は言う、人生の美は、各自が自己の性質と本分とに従って行動すること以外にない、と。
いじょ。ながかった〜!
30 :
遅星 ◆Ter/1sSAjI :2005/04/12(火) 20:10:34
あ、最初の2行、間違ってコピペしたら同じの載せてもうた。
24はどっから拾ってきたんだ。笑
さて、とりあえずモームは終わり、、、のつもりだったんだけど、
オススメを一つ挙げると、月と六ペンスもいいと思うのだけれど、
すっきり分かりやすくて面白い、まぁ王道の、新訳岩波の「人間の絆」を勧めます。
よし、モーム終わり。
間違ってハンドルとトリップ消してもうた・・・(TT
なのであらためて。
で、
>>25だけど職業としての文学で議論されてることの、
大半が見当違いな方向行ってるからさ。
読めば分かると思うけれど、読む気力もなくなるよ!
本屋に売ってる三流本の新刊書の方がまだマシなくらい。
だからさ、対話なんだって、対話。
別にすっ飛ばしたわけじゃないって。
まぁ反応の激しい人は対話できないよね。笑
あぁ、でもそんなこと言ったら、
このスレッドの方がよっぽど見当違いだったね。笑
まぁ2chだから許してよ!
とりあえず、過去は過去、今は今ってこと!
しかし、自分で打ったモーム読み返してみると、
いくら翻訳物だからって主語と指示語が多いのに驚くね。
わたしがわたしが自分ではわたしがわたしはわたしはしかしわたしがまたそのそれはいずれにせよそれはそれはわたし自身としてはこのこの彼は
「手っ取り早い文章力上達法」スレを読んでの感想。
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/bun/1097336395/ 俺的文章上達法(もちろん試行錯誤するけど、とりあえず実践する)
多読経験者であることが前提1。
以下は気に入った作家の、気に入った作品であることが前提2。
1、全身浸るように貪り読む(何度か繰り返す)
2、(原則として全文を)書き写す
3、自分なりに、徹底的に解体する
4、朗読者のように、なりきってリズム感よく繰り返し音読する。
これが1セット。4が大事。
これを様々な作品で行い、マスターする。
ただ文章力が上達しても、
「書くべきもの」がついてこなければ駄文にしかならない。
どうでしょう。
あと、278氏のはある程度書く力がついた段階で、非常に有効だと思われる。
10枚程度の掌編?で5人くらい集めて2時間くらいゲーム形式でやったら面白そうだ。
「人セ因遺体する」って「人生に対する」です、
分かる人は分かると思うけど、読み返してみて気づいた。
やっぱりねー、決定論運命論になっちゃうんだよね。
でも、人間は不完全だから、それを知る術は無い。
だから、幸福と不幸があり得るんだと思うしさー。
そのために頭使いたいよね。
でもモーム曰く、幸福とは関係なく選択してきたらしいじゃないですが。
それってどれほどバカなんだと思う。これはモームとは違うところ。
選んじゃうこともあるけれども、俺は出来る限りそういうヘマはしたくない。
正しい行為とは、人生の美であるとすれば、各自が自己の性質と本分とに従って行動すること。
となれば、俺はきっと今も、これからも、性質と本分を高めていくことでしょう。でも運命論が・・・(TT
だからさー、理性≒理屈でもって、幸福という肉体物理的感覚を究極まで高めればいいんじゃないか、
というのは酔っ払いの意見です。韓国産ビアーPRIMEDRAFTまずい。
37 :
名無し物書き@推敲中?:2005/04/13(水) 20:40:14
美香かとオモタ
正直俺はごくごく平凡なものを書きたいよ
どちらかと言うと、可もなく不可もなく、その日その日を暮らしている人たちに感動を覚えるし、好きだ。
遅星はどこいったんや?
着たらあげといてや
40 :
吾輩は名無しである:2005/05/13(金) 12:18:36
i
41 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/13(金) 13:57:35
わしもモームは大好きじゃ
人間の絆は読むべきじゃよ。
>>35 そんな「訓練」をしなくても、
小説を書くべく生まれてきたやつは小説を書くのだし、
そうした「訓練」で血の滲むような努力をしても、
小説を書けないやつは、やはり書けないんだよね。
努力そのものに価値を見いだしているなら別だけど、
仮にも小説が「芸」の一分野である限り、
才能の有無はどうしようもない。
どんなに頑張っても神から愛された者にはかなわない。
まあ、そう認識したからと言って、
書きたい思いに変わりはないのだけれど……
一人称を「わし」と言い始めたのはわしからじゃ!
専売特許を取らなかったのが悔やまれるorz
44 :
吾輩は名無しである:2005/06/09(木) 13:24:47
[
ある(自称)作家の一日。
1030 起床
1040 メロンパンだけの朝食
1100 出版社から送られてきたビデオ(AV)を見る。
1200 原稿の催促をしてくる編集者に謝る。1230 笑っていいともを見る
1300 再びビデオ
1400 ビデオの評価を書いて出版社にメールで送る。
1500 将来を考えて不安になる。
1515 とりあえずコーヒーを飲もうとするが、ネスカフェ・ゴールドブレンドはなくなっていた。
仕方なくビンにお湯を入れてこびり着いたインスタントコーヒーの香りを楽しむ。
1600 ふと携帯を見るが、特に誰からもメールはきていない。
1700 風俗レポートをまとめる。
1830 アルバイトに出かける。途中の定食屋で夕食。
2000 キャバクラのボーイのアルバイト
0300 帰宅
0430 差し入れの弁当を食べつつ寝る。
46 :
吾輩は名無しである:
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