【ストーカー】作家志望サハラ隔離スレ(2)【イトヤン】

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6名無し物書き@推敲中?
透明な輪郭       
佐原敏剛


 
 朝、俺は微かな臭気で目覚めた。
 薄暗い天井が俺を見下ろしていた。今まで生きてきた中で、対面したもののどれより、
それは天井だった。俺は憎しみをこめてそれを鋭く見据えた。
 ここに入ってすぐに今臭気を放っている簡易便器を台にして、さんざんそいつをぶち抜
いたので、それにはところどころひびが入っている。コンクリートでは勿論なく、五ミリ
ほどの厚さを持つ柔らかいボードが何枚も張ってある代物だった。 
 それらしさをつとめて無くそうとしたかに見える、幅が二十センチ以上はあるれっきと
した「格子」が一方に嵌った保護室に俺は外界から荒々しく突き飛ばされて閉じ込められ
た。簡易便器の他にはむき出しのマットレスが置いてあるだけだ。水道すら無い。格子を
隔てて狭い通路がある。格子の間にはプラスチックのコップが置いてある。俺が水が欲し
いと叫ぶと、夜勤の看護婦が水を入れて夜中に置いていったものだ。
 天井には監視カメラがこっちを斜めに見下ろしている。今は故障していて動かないそう
だ。
 ホールで暴れ、この家畜小屋に数人の看護士にねじ伏せられてぶち込まれてから半月が
経っていた。あまりの希望のなさに涙さえ出てこない。これ以上、感傷というものが役に
立たない奇妙な場所もない。こういう仕打ちが出来る人間社会も笑っちまいたくなるほど
お気楽で、ばかばかしいほどおかしかった。
7名無し物書き@推敲中?:04/11/21 10:02:42
 私物は一切持ち込み禁止である。が、俺は特別に文庫本を読むのを許されていた。ドストエフスキーの『白痴』の上下巻がマットレスの上に置いてあった。俺なんかまだ恵まれているらしいということだけが解ったが、
それだけだ。現実の空しさからは一向に開放されなかった。精神病院ってのは思ったほど恐いところではない。ただ、ここでは人並みの恋愛も不可能に近い。女の患者にそれほど美しい女が多いってことはないし(男だって美男は皆無に近い。
そりゃ、いないこともないが)、男も女もみんな恋なんてものは患者同士では出来ないことを百も承知だ。病棟では当然のことながら男女の病室が、病棟のホール兼食堂を中間地点として別に分かれている。就寝時刻の九時には男子と女子との病室は
廊下とホールとの間にあるドアに鍵がかけられ、患者は男女双方が互いに行き来できない。
 俺は起き上がって、壁に向かった。鉛筆で落書きがされている。明るい時間に見ると、鉛筆で書かれた落書きが、何遍も消しゴムで消された跡がうっすらと見て取れる。その上からまた鉛筆で落書きがされている。
実は俺もレイモンド・チャンドラーの七つある長編小説のタイトルを、順番に並べて英語で綺麗に書いた。通りかかった看護婦が、「消してね」というので素直に消しゴムで消した。鉛筆を持ち込むのを許されればまだしも幸福である。
「おはよう」
 分厚い傷だらけの鉄のドアに開いた覗き穴から、声がした。覗き穴にはガラスが嵌っていたのだが、保護室の中にいた患者が、置いてあったスチール製の折りたたみ椅子で叩き割ったらしく、今は風通しがよくなっている。   
「ああ、おはよう」
 窓の外から小さな丸い目が笑いかけた。髪をおかっぱにした小柄な女の子で、名前は町子という。俺よりかなり年上だと看護婦がいっていたが、どうしても十歳くらい年下に見える。彼女は俺が気に入ったらしい。毎朝のように声をかけてくれる。  
「元気?」
 俺は十九だぜ。
「見りゃわかるでしょ」