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お願いします。

 突き抜ける青空と冴えた寒さの季節がまたやってきた。
 この季節になると私は、今は亡き父と食べた真っ赤な蜜入りの林檎の事を思い出す。
 終戦間もない寒村だった私の故郷はとにかく貧しく開拓でとにかく必死だった。
 食べるものにも事欠く状態であったが家族一丸となって荒野を整地し開拓村の人々と
助け合って何とか食い繋いでいたものだ。
 山勢のけかずといわれる冷夏と日照不足の影響で畑も痩せ少しばかりの作物と漁で
取れる魚介類で何とか凌いでいた。
 手は荒れ、腰を痛めながら痩せた土地を豊穣の土地にしようと人々はしがみつくように
努力していたのだ。
 父も母も貧しいなりではあったが私たち姉妹を育ててくれた。
 分厚く硬いひび割れた父の手は、今でもそこにあるように思い出す事ができる。
 無口で厳しい父であったが時折、二人っきりになったときにその手でやさしく私の頭を
撫でてくれた。
 冬になると雪支度で家の周囲に板を当てたりしたのだがそれでも厳しい寒さと猛烈な
季節風で、板の間と防寒用に敷いた稲藁では、寒さは凌げずなかなか寝付けなかった
事を覚えている。
 ごうごうと不気味な音を立て吹きつける風に怯え、私と妹たちは母にしがみついていた。
 それでも朝になると突き抜ける青空になる。
 一月に一回父は街に馬橇で買出しに出かけた。
 時に買出しに出かけて吹雪に逢い馬を、どこどこの人が死なせたなどと聞いていたから
父が帰るのをそわそわしながら待っていたものだ。
 あるとき私は買出しについていくとわがままを言った。もちろん母は、反対したのだが父は
どうしたものか母をなだめ一度だけ私を連れて行ってくれた。

257256 _2:05/02/22 08:55:03
真っ白な雪原を父と私を乗せた馬橇が漕いでいく。
 力強い馬の歩みをその時ほど感じた事は無かった。
 深い雪を掻き分ける馬の吐く息は白く激しく、「おうほう」と勇ましい父の掛け声で
それでもゆっくり力強く馬橇は進んだ。
 いつも遠くに見ていた林を抜け海沿いに出るのに二時間もかかっただろうか。
 往来に似たような馬橇を見かけるようになった頃、私は困難を抜けてきた自負から
なのだろうかとても父が誇らしく見えた。ぎゅっと父の手綱をもつ手を握り締めたら
とても冷たくて暖めてあげようとしたのを覚えている。
 父は、私のどてらをなおしてくれながらにっこり微笑んでくれた。
 街は、今から思えば小さい街だが当時近隣ではことさら大きく感じた。
 村の人々の服装とは違うきらびやかな服を着た人々が通りを颯爽と歩く。
 私とは違うこざっぱりとした顔とおべべの子を連れたご婦人。髭を伸ばし黒光りした
ブーツとゲートルを履いた紳士。
 少し惨めな想いも感じなくも無かったが父の裾を握り締めそれでも大好きな父の方が
強くて素敵なのだと心に念じていた。
「毎度様です」父が八百屋の奥にいた叔母さんに声を掛け、なじみなのか立ち話を始める。
 私の目は、軒先にある良い匂いのする真っ赤な林檎にくぎ付けだった。
 まだ食べた事の無い芳香を嗅ぐわす赤い林檎に私は都会を感じていた。
「今いくつ」叔母さんが唐突に話し掛ける。訛りも激しくない叔母さんの言葉に気恥ずかしく
なり私はごもごもと口篭もりながら答えた。
「むっつ」
「お名前は」
「……」私はなぜか泣きそうになった。その様子を見て父は頭を撫でながら私の変わりに答える。
 「睦美(むつみ)だよって答えれ。ははっ。内弁慶だもんな。いつもは人見知りしねえのに
どうした」べそを書いている私はそのとききっと人見知りではなく自分が田舎者だと言う事を
気恥ずかしく思っていたのだと思う。
 父はそれを見越していたのか帰り道困った顔で田舎で恥ずかしいかと聞いた。
私は必死に否定して頭を横に振ったと思う。


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 「睦ちゃん。林檎食べるか」叔母さんは、私が父の顔を伺うより早く私の小さい
手のひらにその芳香を放つ大きな真紅の赤い球体を持たせてくれた。
 父の顔はやさしく微笑んでくれていた。食べて良いのかなと瞬間思ったけれど
家で待つ妹たちの事も脳裏に浮かんだ。逡巡している私の顔を父と叔母さんが望みこむ。
「なんだ食べねえのか」私は林檎を見つめそしてまた口篭もりながら答えた。
「だって、みっくたちさも食べさせたいもん……」
「うちさ帰れば喧嘩になるから」父が言う。
「だって」私は、泣き出していた。
 叔母さんが口を開いた。
「なんて優しい児なんだ。叔母さんも泣けてくるべ。みっくちゃん達のぶんもあるから食べろ」
髪の毛がぐちゃぐちゃになるほど頭を撫でられた。
 あの頃のそういう気持ちがいとおしく感じる。現在となってはそういう大切なものも忘れて
しまったのか、いえ降って沸いた土地成金のせいで開拓村出身の人心は乱れあの頃の
人々の一途さは、失われた。私もその一人なのだ。
 父は、叔母さんに礼を告げ、自家製の鮭とばを渡しその代わりに唐辛子の束とかそういった
ものを貰っていた。その叔母さんは、父が開拓に来る前の遠い場所にある同じ村出身の
幼馴染と言っていたと思う。
 その時の父はなぜか饒舌だったけれどその帰り道、逆に険しく怖い顔をした。
 父も当時苦しかったのだろう。今思えばお金の工面をしていたのではないかとも思える
 そのあと馬橇を街の往来に走らせ一通り買い物を済ませたあとに、雪簸の先に内海の見える
丘で父と林檎を食べた。初めて食べた林檎は甘酸っぱくとてもおいしかった。