某「●福の科学」という宗教は自称仏陀の大●隆法(本名・中●隆)が、霊言と称して
古今東西の偉人の物まね+古今東西の人生訓などを上手に組み合わせて創作した金集め
宗教です
こんなインチキ宗教の教祖を皮肉ったおもしろい物を見つけました
アンチ「●福の科学」の人からは、その顔がそっくりなことから
バカボンと呼ばれてる御仁です
創作とはいえ相当に実生活の描写そのものが含まれている様子で
あまりのおもしろさに丸々引き写しですが皆さんに読んでもらいたい
ので持ってきます。
では、はじまりはじまり!!!!
転載『OR物語』
大山竜峰(たつみね)は、四国の片田舎でうまれた。
父親は大山仁義といい、ちょっとしたインテリで、
共産党活動や宗教遍歴を繰り返した人だ。
母親は、理髪店をやっていて、生活費は主に彼女がまかなっていた。
竜峰は、愚鈍な子供であった。
頭の切れるほうではなかったし、芸術のセンスもなかった。
後年、宗教団体の教祖になった彼であるが、
竜峰の書や画を見たものはいないw。
ふつう、本を出したりすると読者にサインなどをするものだが、
そんな話もとんと聞かない。
ようするに、字が非常にへたくそなのである。
小学校に入ったぐらいから、離れのおんぼろ小屋で、
勉強のまねごとをしたりした。
それは、彼が勉強をしていると、父の仁義が喜ぶので、
父親にほめられたい一心で勉強したのだ。
竜峰にとって仁義は、いつもやさしくて物知りの尊敬すべき人だった。
それに比べて、母親にたいしては、恐怖心を持っていた。
彼女は体が大きく、とても太っていた。
そして、理髪店をやっていることもあって忙しく、
いつもカリカリしていた。
仁義にたいして、
「この能無しめ。ちゃんと働け」
などとなじっていた。
竜峰にたいしても、
「勉強なんてせんでいいから、中学卒業したら働くんだよ」
と言って、離れの小屋でひきこもっている竜峰をこころよく思ってなかった。
竜峰が女性恐怖症になり、女性と話せなくなってしまったのは、
この母親の影響が大きいのかもしれない。
さて、竜峰は小学校に入ってそれなりに成長していくのだが、
そこで、肉体的なコンプレックスに悩まされはじめていく。
父親は、どちらかというとやせているのだが、
竜峰は、体は母親に似たのだ。
小学校4年生ぐらいから、ブクブク太りだした。
一回、どぶ川に落ちたとき、太った体が災いして、
脱出できなくなった苦い経験もあるw。
もっとも恐怖の時間は体育のプールの時間であった。
後年、彼は自伝的な著作である『凡人からのスタート』で、
「鳩胸」だったから恥ずかしかったと書いているが、
それは正確な表現とは言えまい。
本当のことを言えば、彼は、肥満のため胸のあたりにイパーイ脂肪がつき、
アンコ型の相撲取りのように、おっぱいが垂れ下がっていたのだ。
肉体の欠陥を見たときの子供たちの残酷さは、よく言われることだが、
竜峰もさんざんからかわれた。
男の子には、「ボインのたっちゃん」と言われ、
女の子には気持ち悪るがられた。
竜峰は乳輪もでかかったので、なおさら不気味ではあった。
竜峰は、自分の肉体的なコンプレックスについて、
よく父親に相談していた。
そのとき、父親はよく言ったものだ。
「外見がかっこいいとか、スポーツや芸事がうまいとかで評価されるのは
子供のうちだけだよ。
大人になれば、そのようなことは、どうでもよくなる。
それよりも、どれだけお金を持っているかとか、
立派な大学を卒業したかどうかが重要になってくるんだよ。
女の子にしてもそうだ。
お金や学歴があれば、女の子はたくさんよってくるものだ。」
お父さんが大好きで、純粋だった竜峰少年は、
父の仁義の言葉を信じた。
彼にとって、一流の大学に入ることと、社会人として出世することは、
なによりも重要なことになった。
仁義はこのようなこともよく竜峰に言っていた。
「たとえどんなに田舎であろうとも、一番だけは違うかもしれない。
もしかしたら、都会の優秀な人が集まっている学校の一番より優れているかもしれない。
だから、一番になることは大切なことなんだ。」
後年宗教団体を設立したときも、その父のすりこみは消えていなかった。
事実を歪曲してでも一番であることを主張した。
特に、信者数にかんしては、大法螺をふく傾向があった。
実のところ、竜峰には勉強しかなかった。
身長は低く小太りで、目鼻立ちは小さく、性格も暗かった。
必然的に友達もあまりできず、教師もあまり相手にしなかった。
それでも、勉強ができさえすれば、みなに認めてもらえると竜峰は考え、
ひたすら効率の悪い勉強をつづけた。
勉強ができることが彼のレーゾンデートルであった。
ラディカルな思想の持ち主であった仁義は、
よく竜峰相手に宗教の話をした。
彼が遍歴したキリスト教、BCG教団、成長の館教団の教えを
食事時によく話していた。
湯川秀樹がものごころがつきはじめたころから祖父より論語などを
習ったがごとく、
小さいころに憶えたことというのは、意外に人格形成に影響している。
それが後に竜峰が「幸運の大学」教団の教義を作るのに非常に役立った。
猛勉強のかいがあり、大山竜峰の小学校の成績は徐々によくなっていった。
それを見た父の仁義は
「今から準備したら、この子は東京大学に入れるかもしれない」
と期待した。
仁義は自分が思想家や実業家として大成できなかったので
それを竜峰に託したいと思った。
それで、仁義は竜峰を励まし、地元で有名な進学校である
中学と高校に行かせた。
竜峰はとにかくペーパーテストは猛勉強のおかげでよくできるようになった。
とくに文系の科目は、ひたすら暗記をしていたので高得点だった。
国語は単に暗記だけでは点数がとれないのだが、
これは幼い頃、仁義が小説家思想家の難しい話を聞かせていて、
また、仁義の蔵書をたまに持ち出して読んでいたので、
点数が取れた。
暗記だけではだめなのが理系の数学や物理なのだが、
これは竜峰も苦労したようだ。
彼はいわゆる「数学的センス」のない人だった。
物事を因果律にそって論理的に考えるのが苦手だったのだ。
彼は後年、教祖になったとき、よく、
「理系の人は文系の人より霊格は劣る傾向になる」
などと講演会でよく語ったものだが、
この発言は、彼の理系コンプレックスによるものだろう。
高校の時、わざわざ理系のクラスに行ってまで、
苦手な数学を克服しようとしたが、結局、思うような成果を残せなかった。
最終的には、ひたすら問題のパターンをたくさん丸暗記する方法をとった。
竜峰が高校に入ったとき、心をときめかせた科目が、もうひとつあった。
「倫理社会」だ。
ここでは、幼い頃、父の仁義が話していた宗教家や思想家がズラズラと出てくる。
釈迦やキリスト、ソクラテスやプラトン、
そしてカントやヘーゲル。
竜峰はこれらの登場人物にあこがれた。
あいかわらず、女の子にはモテなかったが、
こういう偉人になれば、きっと女性たちも自分を評価してくれるにちがいない
と期待した。
8 :
名無し物書き@推敲中:04/09/24 17:49:43
この倫社の影響はかなり大きく、後年、
『金色の法』という本を出して、自分なりの倫社の教科書を書いたほどだ。
この本は、批評家からは「霊格付きの山川歴史教科書」とよく揶揄されたが、
山川の教科書というより倫理社会の教科書と言ったほうが正確かもしれない。
とにかく、倫社に出てくる偉人になるには最高学府である東京大学に
入らなければならないと、大山竜峰は考えた。
なぜ、思想家になるのに東大でなければならないのか?というのは、
まったく根拠がないのだが、
そこは、小さい頃の仁義のマイコンもあり、
東大出身=思想家、出世、女の子にモテモテ ・・・(1)
という図式が彼の頭のなかに克明に描かれた。
ちなみに(1)式には数学的センスのかけらもなく。
方程式として成り立たないw。
大山竜峰も高校3年になり、大学を受験することになった。
もちろん志望は“東京大学”である。
しかし竜峰は愚かなことに東大の理Vを狙ったのだ。
数学や物理ができないのは自分でもよくわかっていたのだが、
「努力すれば、不可能なことはない」
という盲信により、理V受験を強行した。
やはり、東大のなかでも最難関である理Vに入りたかった。
9 :
名無し物書き@推敲中:04/09/24 17:50:46
そのあと医者になるかどうかは、どうでもよかった。
「東大理V卒業」という履歴さえあれば、あとはどうにでもなると思っていたのだ。
しかし・・・、結果は不合格だった。
このとき大山竜峰は、能力・才能というのは
自分の努力だけでは、いかんともしがたいということをまざまざと知った。
これは、この年頃の青年であれば、よくあることであろう。
しかし大山の場合、少し違った結論になった。
「能力・才能が自分にないとしても、そのことを人に気付かれてはならない。
そのためには、ウソやインチキでもなんでもすべきだ。
また、人をだましてその人の才能を利用することも戦略として考えねばならない。」
> 大川さんて理科V類受けてないでしょ・・
OR物語はあくまでフィクションであり、その登場人物や事件は架空のものです。
あしからず。
竜峰は割り切って、今度は文系である法学部を目指すことにした。
そこから国の最高権威のひとつである裁判官や官僚になり、
日本国民の上に君臨することを目指した。
そのことを想像するのは、大山竜峰にとって、とても心地よいことだった。
そして、決して人前では見せたことのない、性的な願望。
――高級クラブでホステスたちをはべらせ酒池肉林におぼれることを夢想した。
続きは来週!ねつ
10 :
名無し物書き@推敲中:04/09/27 17:02:29
権力者になり美女たちをはべらせていることを想像しながらオナニーすることは、
彼にとっては、ものすごい快感であった。
もともと包茎だった彼のペニスの皮は、ますます厚く長くなっていったように思えた。
性的な願望は、人に大きなモチベーションを与えるものである。
彼は、そのエネルギーを受験勉強にぶつけて、一浪ののち、
見事、東京大学に受かった。
晴れて東大に受かり、四国の田舎から東京に出てきた大山竜峰。
期待に胸を膨らませていた。
「ぼくは東大生なんだ」
と言っただけで、みなが羨望と尊敬のまなざしを送ると勘違いしていた。
教科履修のオリエンテーリングが終わると、すぐにも五月祭がやってくる。
そこではきっと、東京中の美女たちがやってきて、
自分に話しかけてくるにちがいない。
しかし、そんなことがあるわけがないw。
有名大学に入っていると、確かに女性に接する機会が増える可能性はある。
だが、たとえ機会があっても、容姿や性格が女性にとって好ましいものでなければ、
結局、相手にしてくれなくなる。
特に竜峰は、女性に強い恐怖心を持っていたので、なかなかリラックスした会話ができなかった。
一言話しただけで、顔が真っ赤になってしまい、言葉が続かなくなる。
無理に話そうとするとどもってしまう。
もともと、どもりではなかったのだが、大学生活を送るうちどもりになってしまった。
それは、あるとき、アルコールが少し入って彼が上機嫌になって、
おしゃべりになったとき、田舎の方言が思わず出てしまった。
それを聞いたまわりの人達は、普段、標準語でしか話さなかった竜峰が、
いきなり聞いたこともない方言をしゃべり出したのがおかしくて、
爆笑したのだ。
それ以来、四国なまりが出ないように、ものすごく神経質になってしまい、
ついには、どもりになってしまったのだ。
東大の赤門の前で、道行く人を適当につかまえて、
「すみません。私は東大に通ってるものなのですが、
私の言葉は、標準語に聞こえますか?」
などと、辻問いのようなことまでした。
ある人には、どこまでもついていって、気味悪がられたこともあった。
あいかわらず女にモテない大山竜峰であったが、彼は努力家だ。
いろいろと知恵をしぼって、女の子に注目してもらうよう努力した。
彼はテニスサークルに入った。
テニスサークルこそ、ギャルをゲットするサークルの王道なのだ。
ネットをはさんで男女がボールを追いかける。
風になびくスカート。光る汗。
ただ大山は、運動が苦手であった。
実際にテニスをやると、華奢な女の子ともラリーができない。
そこで大山はまた知恵をしぼる。
陸サーファーではないが、実技としてのテニスそのものをやるより、 女子大生との交流の企画を練ったり、
サークルの運営に力を入れるようになった。
サークルの他のメンバーも、そういう事務的な作業はどちらかというと、みな面倒くさがっていたので、
そういう竜峰の行為には、ありがたがった。
しかし、他のメンバーも、竜峰が実は女の子にいいかっこをしたいのだということを
気付いていた。
そして、それだけ献身的にテニスサークルに尽くしても、女の子たちには基本的には無視されつづけていたのを、
哀れと思って見ていたのだ。
当の大山は気付いてなく、皆の信頼を得ていると思い込んでいた。
だが、本当は便利屋さん、貢ぐ君と思われていた。
大山の女性に対する異常なまでの羞恥心を裏返せば、セックスにたいする執着心であろう。
彼が童貞を捨てたのは、社会人になってからだった。
本当は大学時代もセックスしたくてたまらなかった。
彼が下宿先に帰って右手に持っているのは、ペンかペニスのどちらかと言ってもよいぐらいだった。
そんなにやりたいのなら、ソープランドにでも行ってスッキリすればよいのであるが、
そこはプライドが異様に高い大山である。
「風俗嬢は、私にふさわくない」と、断固拒否していた。
だが、彼が童貞を捨てたのは、サラリーマン時代、つきあいで飲めない酒を無理して飲み、
やけを起こして、チョンの間で、しなびた体の年増女とだった。
プライドの高い人間のありがちの結末であるw。
そんなふうにして、テニスサークルで頑張っていたのであるが、
彼が3年の時、新しく入ってきた女性部員にひと目ぼれした。
肌はうっすらと小麦色に日焼けしており、
ほどよく筋肉のついた引き締まった身体であるが、
そのなかにも色気がチラチラと見える。
笑顔が素敵で、ほとんどの女の子が大山を無視するのにくらべ、
その女性(以後Aとしよう)は、大山にもいつも微笑みかけた。
大山は完全に勘違いしていた。
「Aはぼくに好意を持っているに違いない」
だが、Aはたんに非常に気さくでやさしい女性であったため、
だれにでもやさしく接していたにすぎなかった。
女性経験の極端に少ない大山には、そのような冷静な判断はできなかった。
「きっと運命の人に違いない。赤い糸で結ばれているんだ!」
こういう思い込みの激しさは、普通の生活を営むには、不都合も出てくるが、
新興宗教の教祖としての資質としは、プラスであろう。
本人が本気で思い込んでいればいるほど、
その熱意に信者たちはほだされていくのだから。
大山はよく、サラリーマンのことを「ビジネスマン」「ビジネスマン」と言っていた。
普通、「ビジネスマン」と呼ばれるのは、経営者クラスの人間である。
最低でも役付き幹部であろう。
だが、大山はごく一般的な給料をもらっている従業員のことを「ビジネスマン」と表現していた。
こんなところにも、大山竜峰の消しがたいプライドが見え隠れしている。
総合商社の平のサラリーマンだった自分が許しがたかったのだろう。
大山竜峰のAにたいする気持は、高まるばかりだった。
「なんとかこの気持を伝えねば」
そして大山の取った方法は、古典的なラブレター作戦だった。大山は、父親仁義の影響もあり、かなりの量の小説や詩を読破していた。
そして、暗記中心の受験勉強のおかげもあり、手紙に書く語彙はスラスラと出てきた。
要は、恋愛小説や恋愛詩のフレーズを適当に切り貼りすればよいだけの話だ。
大山はこの作業に熱中するあまり、一回の手紙が便箋10枚を超えてしまうことが ざらであった。
普通の定型の手紙郵便では、規定の重量や厚さをオーバーしてしまうこともあり、小包扱いで送ったこともあった。
そう、説明していなかったが、彼がAに送ったラブレターは十数回に及んだ。 彼は字が下手だったので、何回も何回も清書した。
それでも、いっこうにさまにならなかったが、そこは量でカバーしようと考えた。
Aの住所は大山がテニスサークルの事務処理をやっていたこともあり、 すぐに知ることができた。
彼がAにたいしてつかんだ情報は、Aは東京の某女子大に通っていて、もともとはその女子大のテニス部に所属している。
そしてある知人の紹介で、東大のテニスサークルに入ってきた、ということだ。
最初に手紙を送ってから、一週間ぐらい後、テニスサークルの活動の日がやってきた。
Aは来るだろうか、と大山はちょっと不安になったが、 彼女は、とくに変わった様子もなく、現れた。
大山もごく普通のそぶりを見せようと努力した。 それでも、Aを直視することは、すこし、はばかられた。
Aから何か言ってくるかもしれないと思い大山はなるだけ彼女の近くにいた。 しかし、結局、Aから特に何も言ってこなかった。
大山は拍子抜けしてしまった.その日の夜、大山は、また、Aに手紙を書いた。
「私の手紙に気を悪くされたでしょうか。 それとも、私の気持を知りながら、わざとなにごともなかったような態度を 取っているのでしょうか・・・・」
と、少し、Aをなじるようなことも書いた。
そして、次の週になり、またテニスサークルの日がやってきた。
Aは現れなかった。大山はショックだった。またその日の夜、手紙を書いた。だんだん表現も過激になっていった。「僕の気持を知りながら、あなたひどい」等々。
以来、ずっとAは東大テニスサークルには現れず、そのたびに大山は手紙を書いた。
結局、大山が送ったラブレターは十回を越えるものになった。 そして、ある日、ついにAから返事が来た。
「あなたの気持はわかりました。一回、お会いになっていただけますか。×月×日の午後5時に喫茶店の××でよろしいでしょうか。」
自分がこれまで送った手紙の量にくらべ、 便箋半分にもみたない、日に透けて見えるような手紙にがっかりはしたものの、 ついに自分と個人的に会ってくれると言ってくれたので、喜んだ。
Aと差し向かいで会っているところを想像しただけで、心臓がバクバクした。
ついにAとあう日がやってきた。
大山竜峰は指定時間に喫茶店××に入った。 すでにAは来て窓際の席に座っていた。Aは大山を見つけると、おだやかな表情で軽く会釈した。
大山もテーブルをはさんで、席についた。自分自身でも顔が真っ赤に上気しているのがわかった。手のひらは汗でびっしょりだ。
大山がどんな言葉から切り出そうか、少し迷っていたとき、Aのほうから言葉を発してきた。
「いままで、お返事を出さずにごめんなさい。わたし、大山さんにどう返事をしたらいいかわからなくて・・・。 そうしたら、あなたはどんどん手紙を送ってくるようになって、少し怖くなってしまったの。
大山さんは純粋でとても素敵な人だと思ってますけど、ただ・・・私はテニスサークルのみんなと同じ友人・仲間としか考えられないのです。
大山さんには、もっと別のふさわしい方がいると思うの。 だから、私のことは忘れてください。」
月並みな表現だが、頭を強く殴られたような衝撃を、大山は受けた。 足が地面に着いていない。 喫茶店全体がぐるぐるあらゆる方向に回っているような感覚をおぼえた。
大山はあきらめきれず泣き言を言った。 「ぼくは、あなたのために心を込めて手紙を書いたりして、一生懸命努力したんだ。そういう気持をまったく受け取ってはくれないのか。」
このようなことを、表現を変えてくどくどと30分ぐらいしゃべった。Aは、育ちがいいのか、そんな大山のわがままに対しても、怒ることなく、穏やかに受け答えた。
結局、大山の愚痴の終止符を打ったのは、Aの次のような言葉だった。
「大山さん、あなたの言う努力というのは、 なんだかすべて自分のための努力みたいに感じるの。わたし、あなたのように頭がよくないから、よくわからないけど、それって、ちょっと違うと思う。
いくら努力しても、人の心の自由は奪えないんじゃないかしら。」
大山は、その日、二回目の衝撃を受けた。(えっ、なんだって? 自分のための努力。 努力って、自分のためにするんじゃなかったのか?人の心は自由にできない? どういうこと?)
大山が考え込んでしまったのを見て、Aは喫茶店の伝票の上に、自分のコーヒー代を出すと立ち上がり言った。
「それじゃあ、お互いにがんばりましょうね」 そして、彼女は立ち去った。
Aはすでにテニスサークルを辞めていたので、必然的に大山は彼女と会う機会はなくなった。
さすがにあそこまで言われてまだ手紙を出し続けることは、鈍感な大山にもできかねたので、Aのことはあきらめざるを得なかった。
「あなたの努力はすべて自分のため」「人の心は自由にはならない」 というAの言葉には、少しひっかかっていたが、
(まわりから評価・賞賛されるために努力することのどこがいけないんだ。
世の中の人はみんな、そう考えて生きているじゃないか) と、言い聞かせて、それも忘れるように努めた。
(Aの気持が自分にないのは、まだまだ、自分に優れているところが足りないからだ。自分が人より秀でるには、勉強しかあるまい。そうやって磨いていけば、
いつか、Aよりももっと素晴らしい人をゲットできるにちがいない)
そう大山は考えて、また、勉学にのめり込んでいった。
さて、その勉強のほうなのだが、最初の1,2年の教養課程では、 これまでの暗記勉強を根気よく続けることにより、ほとんどが優の成績で単位をとることができた。
しかし、専門課程の法律関連の授業になってきて、暗記だけでは対応できない部分が出てきた。
つまり裁判の判例などの問題では、数学などと同じように、論理的に考えを組み立てていかなくてはならない。
もちろん、専門用語などは憶えていかなくてはならないのだが、それだけでは、問題を解くことができない。
大山は、授業がなかなか理解できず苦しんだ。
そういうときありがちな言い訳というか逃避の理屈はこうだ。
「私はこんな法律の重箱の隅をつつくような議論など関心がないし、無意味だと思う。それより、もっと根源的な問題、生命とは何か、人生とは何かという問いに始まって、
法律のよって立つところ、その立脚点ははたして正統なるものなのかを 議論しなければならないのではないか。
特に日本においてはそういう宗教的哲学的な議論がないがしろにされる傾向がある」
18 :
名無し物書き@推敲中?:04/09/27 17:22:44
大山もこの例に漏れず、法律の専門的な議論についていけなくなると、現実逃避し哲学書などを読みふけって気を紛らわせた。
おもに読んだのは、プラトンなどのギリシャ哲学だった。 これらは、岩波文庫に翻訳されているものなどは、比較的読みやすかったからだ。
カント、ヘーゲルなども高校時代のあこがれもあり、 読んでみたが、やはり難解なところがあり、途中であきらめた。
マルクスの著作なども、もう、すぐに飽きてしまい、うすい入門書などを読んで、わかったふりをした。
大学の授業も、あまりにも難しいものは逆ギレして、「彼は唯物論だから本質がわかってない」と心のなかで決め付けた。
一度、出題された試験問題の意味がわからなく、やけくそになって、 子供のころ父親から聞かされたBCG教団の高柴真治の教義を 自分なりにまとめて提出したこともある。
このときはさすがに「良」しかもらえなかった。
教養学部の終わりの頃、大山は政治哲学の論文を書いたことがあった。
大山は政治哲学なんて、何を書けばよいかさっぱりわからなく、途方にくれたが、とりあえずあの世話の多いプラトンに関わることでも書こうと思い、ハンナ・アーレントを研究した。
多くの友人がレポートを要領よくまとめて、担当教官に提出していたのにくらべ大山はなかなか筆がすすまず、二週間ぐらい夜を徹してなんとか書き上げた。
大山の書いた論文を見た友人たちは、「霊だの実在界だの、なんのこっちゃやら全然わからん」 と一蹴されてしまった。
少しムッときた大山は、それならばと担当教官に評価を聞きにいった。
「君の論文は、なかなか斬新ではあるが、マチュアーとは言い難いね。
プラトンは死後の世界を知っていたなどと書いているが、それをハンナ・アーレントと結びつけるのはどうかな?と思う。
そうだ、君はカール・ポパーの本とかは読んだことがあるかね。ポパーはね、“反証されえない理論は科学的理論ではない”と言ってるんだ。
君の霊の理論は反証しようがないんだ。 それは科学ではなくて宗教だろう。 プラトンのイデア論にしても、ポパーは大著を書いて考察している。
最近では、その流れは言語学や構造主義に受け継がれている。そのあたりの理論は勉強しているかね。」
>>18さん、ありがトン!!
ねっ、まったく救いようがない。
そのうえに
こんな大山竜法のぶっさいく顔写真をご本尊といって100万円で買わされてる信者ってw
「いえ、まだです」
打ちのめされた大山は、やっとのことで、それだけを答えると、教官の部屋を後にした。
専門課程の法学部に進んだ大山竜峰は、 法律学の論理性に悩まされながらも、まあまあの成績を維持していた。
その時点での大山の第一志望の進路は司法の世界に行って裁判官になることだった。 第二志望は、大蔵省などの高級官僚。第三志望は大学に残って学者になることだった。
後年の教祖となってからの大山の著作には「〜の法」という題の本がとても多い。
彼は、その目立たない外見とはうらはらに、権力へのあこがれが強かった。自分の善悪の価値観で人を裁きたいと思っていたのだ。
事実、大山は講演や著作で、「我は地球で最高の権限を持つもので、人類の価値の基準を創ってきた。
我なくば、あなたがたは、どう生きたらわからなく途方にくれていただろう。」 と、語っていて、自分の価値基準をまわりに押し付けたい願望がよく出ている。
また、講壇社という出版社が出していたマンデーという雑誌に、 自分や自分の教団の批判記事を出されたときには、 講壇社を相手取って訴訟を起こした。
これも、人を裁く立場の人間になりたいという欲望の現れかもしれない。
22 :
名無し物書き@推敲中?:04/09/27 17:28:31
違うよ。私は元信者だよ。
>>1 宗教が正しい心の教え、とか言っててもそれを言ってる人の生活態度とか
、そんなことが正しくないとだめだということがわかります。
ヘンな宗教にはまる人って、共通して一人よがりだなと思います。
自分勝手はだめです。
>>22さん、そうでしたか、失礼しますた。
あなたもご本尊を買ったくちですか?
私の友人は1000万円で、植福菩薩だということで誇らしげですたが・・・
かくいう私も元信者ですが、あまりお金を使わずにやめることが出来たんです。
ただし、幾人かを伝道してしまったんで退会を勧めたり、こんなカルト宗教に触れる人が
なくなるように罪滅ぼしにこんなことをやってます。
>>23さん、そうです。へんな宗教には絶対に入らないようにしてください。
■■’90年の一幕 地域差別と情報操作■■
昔、東京北部支部長だった正岡一城(戒心)が言ってた。
「小林一茶も言ってました。すずめの子そこのけそこのけお馬が通る
東京北部にくらべたら沖縄、九州なんてのは子すずめなんです」
正岡は還俗などしてないどころか、今は横森しず香や谷口勝彦をはいかに置く大幹部でつ。
90年の支部長会議で 「主宰(当時)先生から全支部長一人づつ言葉をいただきました。どれもみな厳しいもので、支部によってはボロボロに言われうつむいてしまう人もいました。
東京北部の番が来ました。私も覚悟してたんですが、主宰先生はニッコリ笑って 『正岡さん、北部は大丈夫ですよ。北部には優秀な会員を私が配置しました。
だから北部は大丈夫です。』 嘘じゃないですよ。本当です。
(90年当時)人類の祖先は3,600万年前にベーエルダ星から来たといわれてますけど それ以外にエルカンターレ様(当時の呼び方)が創った魂がいます。それが特に東京北部には
多いんです。これは主宰先生がそうしたんです」
「方便の時代が終わった」以降の法改定でエルカンターレが魂を創った事になったが それより4年も前からその情報は東京北部限定(?)で出されていた。
カンターレ人間と当時の北部の一部熱烈会員は呼んでいたが、こうした情報自体が 地域によってかなり差別されているということです。これがkkの現実ですね。
まとめ
1.地域差別の張本人である「正岡戒心」を大川は大幹部として使っている。
2.法の根幹に関る情報は地域を差別して流される。
■■’90年の一幕 「天上界で決まった数字」■■
90年5月の残り後3日。
当時九州支部(沖縄含む)支部長の坂口は7月7日までに7,777人の会員数を 大川にプレゼントするという目標を掲げていた。
その日九州支部は5月の伝道ノルマを既に達成していた。その日坂口は涙ながらに支部の会員に訴えた。
「東京の伝道がまだ動かない、東京に動いてもらうためにあと3日で今月の目標と同じ数を達成して下さい。」
この時にその場に居合せた小澤利夫が 「九州で7,777人という数字は既に天上界で決まっている数字です。みなさんおめでとうございます。」
その時九州に小澤が逝ってる事自体今考えればクサイ話しである。
90年の下半期に入る時某職員から曰く 今年前半は戦略として沖縄・九州にかなりの資金を投入して盛り上げて来ました。 これからは東京それも北部の時代です...。
ちなみに「天上界で決まった数字」が何だったのか。一応九州支部は5月で7,900人の伝道数を上げ、kk全体でも7月7日までに会員5万人は達成した。
が
7月後半、蓋を空けてみたら報告数は5万以上なのに登録数は2万人弱。しかも事務局には無断登録の抗議の電話が鳴りっぱなしで女性職員は泣き出す始末。
消費者センターにも相当数のクレームが。。。
作られた戦略の結果はこんなモンだったのですね。
それに懲りず翌年は100万人伝道。その後は公証会員数1,000万人。
話しはずれたけれど、沖縄、九州の会員は大川にまんまと利用されました。八尋善四郎がこぼしてました。「九州の会員はみなスッテンテンだよ」
■■「取次店に営業妨害されている」という妄想■■
大川隆法著「幸福の法」第4章より、「本から信者が広がった」
私の著書は、毎年、実売では一位になることが多いのですが、取次店などは、私の著書がトータルのベストセラーで一位にならないように、一生懸命に苦労しています。
私の本の上に何冊かの本を載せなければいけないので、「いかにして、ほかの本を上に持ってくるか」と、いつも頭を悩ませているようです。
いつも私の本が一位だと、大手出版社や作家などから嫉妬されるのは事実で しょう。
その嫉妬がすごいので、取次店などは、やはり、そちらの顔を立てなくてはならず、大手の何社かの本を上のほうに載せ、私の本については、
「まわりが静かなときには、三、四位くらいに上げ、まわりがうるさくなって きたら十位くらいに下げる」というような操作を、いつもしていると感じているプロ筋もいます。
実際は、ここ数年ずっと、売上では私の著書が日本でナンバーワンのベスト セラーなのですが、日本の国においては、そういう不当なことが公然と行われています。(中略)
日本で、出版物に対して、そのような取り扱いをするのは、「宗教は信者に無理やり本を買わせている」という考えがあるからだろうと思います。(中略)
ほかの教団では、ほんとうは売れない本を、単にまとめ買いをしているだけなので、取次店などは、そういう本をベストセラーの上位に出さないということもあるのでしょうが、
私の場合は、本の売れ行きの方が先行していて、あとから信者が増えてきました。(中略)
そういうことなので、「当会は、ほかの教団とは、ちょっと違うのではないか」 と私は思っています。(以下略)
三島由紀夫の最後のほうの作品に『豊饒の海』という四部作がある。三島が唯識などを参考に輪廻転生を扱った作品だ。
主人公の男性が、一人の女性の輪廻転生を追い、各地域各時代を生き抜いていく、というようなストーリーだったと思う。
しかし、三島自身の弁によれば、この小説は「失敗」だったそうだ。たしかに、『豊饒の海』の結末は絶望的なものであった。
たぶん三島由紀夫もこの小説には、かなり力を入れたであろうに、なぜ、うまくいかなかったのだろうか?
私は、「輪廻転生」にこだわったからだと考える。
三島由紀夫の最後のほうの作品に『豊饒の海』という四部作がある。三島が唯識などを参考に輪廻転生を扱った作品だ。
主人公の男性が、一人の女性の輪廻転生を追い、各地域各時代を生き抜いていく、というようなストーリーだったと思う。
しかし、三島自身の弁によれば、この小説は「失敗」だったそうだ。たしかに、『豊饒の海』の結末は絶望的なものであった。
たぶん三島由紀夫もこの小説には、かなり力を入れたであろうに、なぜ、うまくいかなかったのだろうか?
私は、「輪廻転生」にこだわったからだと考える。
大山竜峰が一時期、あれだけの注目を浴びたのに、なぜ今、自分が信者に建てさせた宮殿に引き篭もらざるを得ないのか。
それは、「過去世」にこだわったからではないのか。
「だれだれは、だれだれの生まれ変わりである」 などということにこだわっていくと、 人は、いつしか迷宮に迷い込んでしまう。
そして、そこから出られなくなってしまうのだ。
結局、考え方が後ろ向きになってしまうのだろうか。大山竜峰も晩年は、インスピレーションが得られなくなり、過去の子供時代の自慢話で講演会をこなすようになってしまった。
29 :
名無し物書き@推敲中:04/09/27 17:47:53
空想虚言者。
架空の事柄を細部にわたっていきいきと物語るため、聞き手だけでなく その語り手さえもそれが事実であるようかのように信じ込んでしまう現象を
引き起こす人格。自分が高貴の出であるとか、富豪、天才、高官であるなど と語られますが、矛盾か生じると容易に修飾され、改変されるので 妄想とは異なります。
言動が自然なので社会経験豊富な人もだまされることが あります。高級詐欺師やカルト教祖に多く見られます。
これだな。
>>24 そのときは中学生だったから、あまり実態はわからなかったね。
でも著作は、特に愛についての思想は、サリンジャーや庄司薫に通じるもが
あるんで、読み物としては面白いと思うよ。
大山竜峰は大学4年になり、まずは一番の目標の裁判官になるために、当然のことながら司法試験にチャレンジした。
大山は司法試験の予備校に通うほどの意気込みであった。短答式の試験には、なんとか合格したものの、論文式の試験で不合格となった。
暗記中心の勉強の限界だった。
それならばと、国家上級公務員試験に合格して官僚の道を目指そうとしたが、これも不合格となった。
いつも自信過剰の大山竜峰も、さすがに落ち込んだ。
残るは、大学院に行くか助手になって学者の道に進むことであったがこれは、日頃、東大の教授陣に対して偉そうなことを言って批評していたのが
あだとなり、どの研究室の教官もいい顔をしなかった。
八方塞がりだった。
大学卒業後の進路が断たれたように感じた大山竜峰は、絶望した。
「こんなに努力したのに・・・。神も仏もいるものか」 世間にたいしても神仏にも恨んだ。
その他の民間企業への就職は、できないこともなかったが、大山は半ば自暴自棄になり、改めて就職活動をする気力もなかった。
結局、卒業に必要な単位を、わざと落として一年留年した。
大山に仕送りを続けていた母親などは、怒って、「東大入って就職できないなんて、このごくつぶし」と罵った。
父の仁義は、竜峰に国家権力の中枢に行ってほしかったので、 なにも言わなかった。
留年してみたものの、卒業に必要な単位はほとんど取得済みであり、卒業論文もだいたい準備ができていたので、 大学では、ほとんどなにもすることがなかった。
大山は鬱になり、ずっと下宿先に引き篭もる生活を続けていた。
都合が悪くなると引き篭もってしまう習慣は、このころついたのかもしれないw。
見かねた大学のゼミの教授が、大山に声をかけた。
「ソーメンという商社が、法学部の学生を欲しいと言ってるのだが、君、面接してみないか。」
大山は、思考停止状態だったので、無気力に 「はぁ」と返事をした。
そのころは1980年代の初頭であり、各企業はバブルに向かって成長を続けていた。
今は、いわゆる「接待費」というのは、ものすごく罪悪視され、会社のお金で飲み食いするというのは、ほとんどなくなっているが、当時は、よく行われていた。
毎晩飲み歩くことで豊かさを実感しようとしていたのかもしれない。
就職に関しても売り手市場であり、各企業は、優秀な人材が、自分のところに来てくれるように、 過剰なサービスをしていた。
大山がソーメンに面接に行ったときもそうだった。
とりあえずオフィスで形式的な面接を終えると、これまで大山が入ったことのないような高級レストランで、フランス料理のフルコースが出された。
おいしかった。
脇目もふらず勉強してきた大山は、自分が知らないところで、こんなに美味いものを食べて楽しんでいるんだと知って、 なんだか、今まで自分がやってきたことがバカらしくなった。
ソーメンの人事担当者たちは、大山のことをホメそやしたので、ちょっと王様になったような気分だった。
まあ、ソーメンの術中に見事にはまった、ということなのだろうw。
☆続きはまたね
>>22さん、では親御さんに入らされたんでつね?
他のみなさんは退会しましたか?
公演に行ったら財布を失くしてすぐやめたよん。
すられたような感じもした。
どうしても作家として食えないときは、KKの広告作家になろうかな、
とも思う。宗教は好きだからね。
34 :
名無し物書き@推敲中:04/09/28 16:02:55
>>22 KKの広告作家っそりゃいいかもw
とにかく宇宙一のアホ・カンターレさま〜〜とおだてりゃ御用作家で食っていけるよ。
ここの転載OR物語をそっくりそのまま逆にして書き直せば簡単だね
35 :
名無し物書き@推敲中:04/09/28 16:04:42
おっと! ↑自分で書いてて思ったけど
まったく某北朝鮮の金○日そっくりじゃんか!
みなさん!
>>32 のつづきでつ
フランス料理を食べ終わると、今度は、銀座のクラブに連れて行かれた。
きれいなおねえさんたちが、色気を漂わせて、大山に語りかけた。 「まあ、東大の学生さんなの。すごいわ。すごく勉強できるんでしょう?」
普段の大山であれば赤面してしどろもどろになってしまっていたが、少し欝状態で、無感動になっていたその時の大山は、女の色気に高揚感をおぼえつつも、普通のやりとりができた。
「ああ、もう裁判官だ官僚だと言って、ゴリゴリ勉強するより、 こういう世界で、楽しく暮らすほうがいいかもしれない」
大山はソーメンに入社することに決めた。
つい、ソーメンの人事担当者たちの口車に乗って、入社を決意してしまった大山竜峰であったが帰ってから頭が冷えてくると、虚しい気持になった。
「なんだ、日本の最高学府に入って、勉強しまくったあげくが、 どこにでもあるような上場企業のサラリーマンか。
それだったら、早稲田や慶応に入って、勉強もせずに遊び歩いているほうが よっぽどよかった。」
自意識過剰の大山は、「その他大勢」のひとりに自分がなることが耐えがたかった。
そんなとき人は、宗教や超常的なものに逃避したくなる。
大山竜峰が宗教書や予言などの電波本を読み漁るようになったのもこの頃だった。
当時、シリーズもので人気を博していたのが、 五島勉の『ノストラダムスの大予言』だった。
もちろん大山も読んだ。
大山の精神年齢は意外と幼い。 特に芸術の分野は、見る目がなく、教祖になってからも幼い意見を言って、 マスコミ連中に笑われていた。
文学・美術・音楽とも、古典的な作品は試験勉強の一環としておさえてはいた。 だが、ほんとうのところは、何が良いのかサッパリわからなかった。
『裸の王様』の話ではないが、見えないのに見えると言い、聞こえないのに聞こえると強がっていたのだ。
だから、彼の芸術評は、極端に低レベルになった。
映画の話などをすると出てくるのは、 『ゴーストバスターズ』『もののけ姫』などの、 比較的低年齢層をターゲットにした作品だった。
でも、大山は、むしろそれらの娯楽作品はとても好きだった。 一方、ヌーベルバーグなどの前衛的な映画は、「地獄的」として一蹴し、信者にも見ないようにすすめていた。
自分で教団を作ってからは、大山竜峰監修という名目で信者向けの映画も何本か作った。
ほとんどの作品は、アニメーションであり、大山としては気に入っていたが、映画評論家たちは見向きもしなかった。
大山は、宮崎アニメは、実は大好きで、家ではビデオが擦り切れるほど見ていたのだが、自分が作った映画より、段違いに人気があるのに嫉妬し
「あれは、地獄的とまではいかないかもしれないが、裏側の天狗・仙人界を描いた作品だ」 と、批判したものだった。
とにかく大山は、見るものすべてが憎らしかった。
そして下宿に帰り、ひとりになると、猛烈な悲しみの感情にとらわれた。「自殺」という言葉が、頭のなかに浮かぶこともしばしばだった。
『ノストラダムスの大予言』を読んで、期待したことは、人類の滅亡だった。
「だれが大統領になろうと総理大臣になろうと、核戦争や天変地異が起きて、ほとんどの人間が死んでしまえば、意味がなくなる。
出世しただのお金をどれぐらい持っているかというのもさほど重要ではなくなる。」
現実の世界でうまくいかなくなると、空想の世界に浸るようになるのは、決して大山竜峰だけではなく、おそらく、すべての人に潜在する傾向だろう。
そうしないと、心がストレスに耐え切れなくなって壊れてしまうから。
多重人格症状を呈する人も、幼児虐待で過度の肉体的精神的なストレスを受け、それがトラウマとなって発症することが多いと聞く。
そのトラウマとなった記憶はスッポリと抜け落ちたり、別の記憶に塗りかえらたりするそうだ。
現在の大山は青少年期の記憶を、はたして、正しく保持しているのだろうか?
彼は自著のなかで、過去の経歴を書き変えたりしている。
意識的にウソをついているのか、それとも本当にそう思い込んでいるのか、微妙なところがあるw。
そんなことをしなければ生きていけない大山竜峰という人を私は哀れに思う。
そういうわけで、大山は『ノストラダムスの大予言』を何度も何度も読み返し、 人類が終末をむかえるイメージに酔った。
彼が作った『幸運の大学』の教義に則った言い方をすれば、その終末観は彼の魂に薫習されたということだろう。
そしてそれは教団の教義や活動にも大きな影響を与えた。
宗教書ということで言えば、父の仁義から聞かされていた、「成長する家」の岩口正春の著作をその時期に読んだ。
これは、いわゆる「光明思想」というものがベースになっており、闇の部分を必要以上に見ることをせず、光の面を積極的に見ていこう、という考え方だ。
人生はおおよそにおいては、プラス思考のほうが、幸福感に満ちた生活を送れるということだ。
落ち込んだ大山竜峰にとっては、岩口の言葉は、なぐさめになった。
「人間は、もともと、すべて神の子なんだ」と言われると、 「ああ、自分も神に愛されてるかも」と一時的に思えるのだ。
ただ、大山の場合、それが高じて神の子では飽き足らず、 自身が「神」である、それも究極の創造主である、というところまで行ってしまったところに問題があるw。
そのあと出会った本が、高梨真治の娘、高梨恵子が出した『新・創世記』である。
この本が、大山竜峰にとってのターニングポイントとなった。
「BCG」の高梨真治のことも、父の仁義から、幼少時によく聞かされていた。
そして、真治は40代後半の若さで死に、後継者として娘の恵子がBCG教団のトップになっていることも、 仁義から、それとなく聞かされていた。
そして、教団が混乱し、分裂していることも・・・。
しかし、BCG教団の本を、まじめに読んだのは、これが始めてだった。
岩口正春の著作と違い、モロ、霊界世界の記述だった。 その電波な内容に、最初は、違和感を覚えたが、読み進むうちに、徐々に、そのオカルト世界にはまっていった。
天国のヒエラルキーや悪人が収容される地獄界。
それらは、大山が目指していた、官僚世界とよく似ていて、興味深かった。
「あの世でも偉さに階層があるのか。これはすごい。 この世のトップになるより、あの世のトップになるほうがエキサイティングかも」
・・・そんな子供じみた空想を大山はした。
いずれにしても、この高梨恵子の霊界観に大山は強く魅かれた。「ここには、なにかがある」
そして、その正体をつきとめるためには、開祖である高梨真治の本を調べる必要を感じた。
その秘密は、あった。
「霊道」
この言葉は、たぶん高梨真治のオリジナルであろう。
人間が「悟り」というものを手に入れるためには、まず、霊道を開いて、霊界と交流できるようにならねばならない。
その霊道を開くカギが、「反省的瞑想」というものだ。
肥大した自我がなした、思いや行いをひとつづつ思い出して、 それを素直に神仏にわびることにより、心にかかったスモッグがだんだん晴れてくる。
そして、その心の浄化がある段階まで進むと、 心のなかに霊界と通ずる道が開かれる。すなわち霊道である。
そして、天国に住む高級霊たちと通信できるようになれば、 必然的に彼らの無限の知恵を獲得できる。
「すごい! これは天才になる道だ。なんでも天使たちが教えてくれるんだ。もう裁判官にでも官僚にでも、なんだってなれる」
さっそく、大山竜峰は、「反省的瞑想」なるものを試してみた。
その頃の大山竜峰は、ほとんど下宿に引き篭もっていたわけであるから、瞑想する時間は、腐るほどあった。
ただ、一般的には、そのような状況というのは、瞑想には危険が多い。 外界との接触が極端にないため、内的世界にひきずりこまれてしまい、もどれなくなってしまうのだ。
だから、かつて釈迦が托鉢と瞑想を同時平行でなしていたのは、 心のバランスを取るためにも必要だったと思う。
しかし、大山にはそのような予備知識はなかった。 高梨真治の著作をテキストとして、 自分の幼少時から現在にいたるまでの悪しき思いと行いを反省していった。
大山竜峰は、本質的にエゴイストだ。
それは、彼が自分の教団を作ってからも、ほとんど一般の信者と触れ合わないことからもわかる。
他の宗教団体の教祖は、たとえカルトと認定されているところであっても、 もっと教祖と信者の触れ合いというものがあるものだ。
それは、教祖が教団を作った動機や真意がどうであれ、基本的に宗教でメシを食おうと思いつくのだから、人間同士のやり取りが楽しく、サービス精神があるからだ。
その点、大山竜峰は教祖として、特殊な部類に入るであろうしそれは宗教組織の特殊事例として、研究するに値するかもしれない。
そんなわけであるから、大山竜峰のそれまで心の中に占めていたものは、「いかにみなから評価されるか、賞賛されるか」
であり、まわりの人を喜ばせよう、などという気持はかすかにしかなかった。
だから、高梨真治の視点で、自分の過去を見ていくと、ほとんどが反省すべきことだらけだった。
いつも、「自分が、自分が」という思いに満ちていたことに愕然とした。
大山竜峰は、素直に涙を流した。
とめどなく、涙が出てきた。
しかし、その涙は、ものすごく気持のいいものであった。
この快感にずっと浸っていたくて、大山はろくに食べるものも食べず、 この作業に熱中した。
空腹でもう、どうにもフラフラになると、思い出したようにパンやソーセージを かじるという具合だ。
あまりにも心が大きく歪んでしまった人が、一気に反省瞑想もしくは内観などをすると、 心の形が急激に変化しすぎて、一種のショック状態になるであろうことは容易に推測される。
ましてや、大山の反省瞑想は、指導者もなく、自己流であったからなおさらだ。
大山は自分の胸のあたりがドーンと大きく開いてしまったような、 奇妙な感覚を覚えた。
断食に近い状態で瞑想を続けていたものだから、全身の感覚も鋭敏になった。
身体、というより魂が浮き上がったり沈んだりするような感覚も生じた。
大山は、それらも、「超人」になる前兆だと思い込んだ。ただ、仏教的には、たぶん、「魔境」と呼ばれる境地だろうw。
大山竜峰が異常に学歴・地位にこだわるのは幼少時の生活もその原因のひとつだろう。
実は彼は、母親から肉体的な虐待を受けていた。
というのも、大山竜峰の母親はヒステリー性で、いったん興奮すると手がつけられなかったのだ。
父親である仁義は、彼女に食わせてもらっている負い目から、そういう暴虐にたいして何も言えなかった。
それに、仁義がいるときは、それほどヒステリーを発しなかったので竜峰がどれほどいじめられているか、それほどわからなかったのだ。
大山竜峰の母親は、竜峰の兄である誠義はかわいがっていた。
誠義は父親に似た体型と顔立ちで、利発な子だったからだ。
それに比べ、竜峰は母親に似て太っていて、のろまだった。
この兄の誠義は、霊人メッセージ集を作るときに竜峰に協力することになる。
そして、竜峰は、兄にたいする嫉妬と復讐心から、 やがて兄を廃人にしてしまうことになる。
竜峰は母親の暴力に耐えかね、しばしば離れのオンボロ小屋に非難した。
実は、竜峰が離れの小屋で勉強するようになったのは、それがきっかけだったと言ってよい。
父の忠義は、竜峰にたいして暴力をふるうこともなく、いつもやさしかったが、学校の成績が悪かったり勉強を怠けていたりすると、急に冷たくなることがあった。
まるで氷のような表情になり、幾日も竜峰にたいして口をきかなくなるのだ。
大山竜峰にとって、それは、なににも増して恐怖であった。
だから、大山竜峰にとっては、勉強ができることが生き残る道であったのだ。
幼少時の虐待のトラウマは、なにかしらの形で、人格を歪める。
後年、インターネットが普及し、「幸運の大学」の信者も9ちゃんねるなどに投稿をするようになるのだが、そこに登場する
「原液信者」とか「すずき」とかいうハンドルネームを持った信者も、親からかなり虐待されていたようだ。
そういう人達に共通するのは、興奮すると人格が豹変してしまうのだ。
私たちは、彼らを理解してあげなければならない。
彼らはかわいそうな人達なのだ。
自分が何をやっているのかわからないし、衝動を止めることができないのだ。
「原液信者」が、カラオケ屋の店長であることを強調し、お金持ちになるのに異常に執着するのは、そうでないと神に愛してもらえないと思っているからだ。
自分に武器がないと、だれかに虐待を受けると潜在意識のなかで思っているからだ。
「すずき」が東大卒であることに、異様にこだわるのは、 それがないと世間のみんなからバカにされ、捨てられると思っているからだ。
その恐怖感を最も持っているのが、教祖として君臨している大山竜峰なのだ。
大山が言うところの「波長同通の法則」は、たしかに真理かもしれない。
見事に「同類あい集まる」現象が起きているのだから・・・。
お金がなくても、頭がそれほどよくなくても、楽しく幸福に生活している人達はたくさんいる。
しかし、大山やその信者たちは、「彼らの幸福は次元が低い」と言って、出世競争に埋没していくのだろうな。
43 :
名無し物書き@推敲中:04/09/30 11:37:13
44 :
名無し物書き@推敲中:04/10/04 17:44:24
こんなのはいかがでつか?
幸●の科学の嘘は既に露呈し、インチキであることもほぼ証明済み。
以前は威勢の良かった信者もネットではほぼ絶滅状態、スレに来ることもなくなった。
ネットでkkを擁護していた人々が 次々にアンチに鞍替えし、大川と嫁のきょう子の悪夢のような
私生活を暴露され、信者や職員にも秘密の巨大別荘を軽井沢に建築し、
それを「精舎」と登録してまるまる脱税していることや信者数も公称1000万に対して、幽霊会員を含め
10万人、実質2万人であることなど、、、ありとあらゆる嘘を暴露された。
嘘の指摘は当然教義面にもおよび、歴史的事実と大川の法話が全くかけ離れたものである
ことも証明されている。要するに霊言など嘘っぱちということ。
あげくkkは信者にネット利用を禁止(嘘がばれるから)。
自分達も今どきホームページを持っていない。
信じがたいことだが、これで「全世界に伝道」とほざいている。
91年7月の東京ドームで大川は 「今世紀中に日本人全員を会員にしてみせる」とテレビの前で
豪語したが、もちろん果たせず、10万人が限界だった。
三塚を総理になどと言っても失敗、結局次々に豪邸を建ててその中にひきこもり、鬼嫁にも相手にされず、周囲に若い女性を
はべらして自分だけの妄想ユートピアを作り、鬼嫁と別れられる日を待っている。。
ちなみにその豪邸群は全部「宗教施設」ということにしてしまってすべて課税。
税金は一銭も払っていない。大川家族専用施設なのに。
そんな人物が「宇宙の根本神エル・カンターレ」であるなどと名乗り、「1000万円布施すれば菩薩になれる」という
制度を作っている。「布施の額で死後の世界が決まる」と 露骨な拝金宗教と化している。
もはや教義も何も無い。ただの妄想集金カルト。
45 :
名無し物書き@推敲中:04/10/04 17:47:04
>ちなみにその豪邸群は全部「宗教施設」ということにしてしまってすべて課税。
すべて課税
じゃなくってぇ、すべて「脱税」ですた。スンマソン
46 :
名無し物書き@推敲中?:04/10/04 17:47:54
>>46さん、良くぞ聞いてくださった!
なんと悲しいことに
1999年までに発酵された書籍、小冊子、記念誌、テープなど・・・┐('〜`; )┌
ほとんど持ってました。
新刊書をまとめ買いさせられたり
映画のチケット30枚とか50枚とか押し付けられたり
葬祭先生には深いお考えがあるに違いないと信じて、、、、、、ぐすん
もちろん、妄想狂で信者に対する愛情のカケラもみれないこと
もっともらしいことを言ってるが、なにか矛盾が多い
それ以上に、
とにかく金・金・かね・カネ、、、、、、と、金三昧
愛想も糞も尽き果てました
ということです。
ここ1年、ネットでKKのことが相当m暴露されてきてるので
いろんなこと
拾い集めてるんです。
48 :
名無し物書き@推敲中?:04/10/06 10:45:57
KKK
49 :
名無し物書き@推敲中:04/10/07 11:53:51
ホンと、宗教や金儲けに走るヤシって
どうしょうもねな
50 :
名無し物書き@推敲中:
あげ