気にするなw
ここは書けないやつの溜まり場。
現実逃避の究極の道具として文学作や創作があるだけよ。
要すると、読めない、書けないは良いことサッ。
揺れているなら、まだ自分をだますことができると言う事さ。
文学や創作は現実逃避じゃないだろ?
現実そのものだぜ?
もし逃避だったら、すらすらと書けるわいないな
柄谷さんは90年代以降、世界規模で市場経済が広がったことで、
「本来、民族や共同体の特殊性に依拠すべき近代文学は、
もはや存在しえなくなった」と指摘。
「近代文学の最後の担い手であった中上は、
生きていたらおそらく別の仕事をしている」とし、
新たに見つかった晩年の劇画原作『南回帰船』も
「文学以外の方向性を真剣に模索していた証左」と発言した。
それこそ完全に逃避行為。
「文学以外の方向性を真剣に模索していた証左」は
それは、自らの現実逃避に薄ら気づき、
そうでないものへと変えようとしたと受け取れる。
多くの作家がこうしたことを言うのは、
このためだが、できた人はいない。
なぜなら、それ行為自体も存在しない現実逃避だからだ。
文学する者がこのことを踏まえていても損はない。
自分を欺き心地よい場所に逃げ込んでいるに過ぎない人さ。
その逃げ込み方に感動しる。
何が言いたいのか
逃避であることはカフカの城以来明白なことだが
文学が逃避ならばおかしな話だ。
文学自体に逃避の効果があるとしても、
書くこと自体と、書いたことによる結果は紛れもない現実だわな。
なぜ逃避するのかと言えば
真実に耐え切れず、逃げるしかないからだろ?
逃げなければ死ぬのだ。
すると真実は死か? そうなのか? それでいいのか?
>何故逃避するのか?
現実か逃避かの極論ではなく、往復運動。
小は問題を理解してないようなので、スルーでよろ
文学をやってる人は麻薬をやってるような感じでもあると思うな。
おれは麻薬はやった事ないけど、音楽が麻薬みたいな感じだな。
楽しい、面白いだけじゃなく、体が欲しいと求めてるような。
楽しく面白くなく頭ではそれをやるのが嫌と思っていても、体や無意識にある
何かが欲しいと求めてるから、それをやり、嫌な状態に身をおいていて、脳が
だんだんと麻痺してきたり、なれてきたりして、嫌な事をやってると自覚でき
ないようになってきたり。
思ったんだけど、100人の人が住んでる村があって、文学をやってる人が一人
いて、99人の人が文学をやってる人間を現実逃避してる人間と呼んで、文学を
やってる人が食い物や何かを書く道具以外何もない部屋に閉じこもる、それでま
た現実逃避だと99人が言ったり、99人が危険とたたかったり働いたりしてる
からお前もそんな部屋に閉じこもって現実逃避ばかりしてないでたまには表にでろとか言う。
その後、村に平和がおとずれて、快楽だけをむさぼれる状況になる、好きなだけ
SEXできたり、うまいもんをたらむく食えたり、働かず一日中寝ころべたり、欲し
いものを好きなだけ買えたり。
文学をやってる人も外がそんな状況と知って、99人が部屋に閉じこもって文学
をやってる奴もこの状況を知って、そろそろでてくるだろうと言って待っていた
が全然でてこなく、99人が現実逃避じゃないんじゃないかと思い始める。
ただそれだけなんだけど、なんとなく思いついた。
>>889 >人類が進化したらどうなるのか、って説もいっぱい出てて、面白かったのは
>ホモ=ゲシュタルトってやつ。個人の集合体なんだけど、集合体の中で個人が機能分化してて、
>全体で一つの生命になってるっていう。
>ちょうど体の中にちっこい単細胞がいっぱい集まって多細胞生物になるような感じで。
こういう説は面白くも怖くもあるな、おれは今の時点でも人間は個人個人分かれてるように
みえて、実は繋がってる部分があるんじゃないかとか思ってるんだけど。
一人が自殺しても、他の人間が生きているから、本当にこの世から消えると
いう事ができてないとか、こういうのは恐怖だよな。
自分がこの社会において、マイナスであると思い自殺しても、他の人間が生きて
いるから、本当にこの世から消えることにはならないから、ゆうゆうと自殺する
とか。
宇宙ができてまもないころ、手の生えた巨大な脳みそが宇宙に誕生して、その巨大な脳が、宇
宙に存在してる苦しみや苦痛などの量の上限が決まっていて、物質の組み合わせ(脳など)に
よって、苦しみや苦痛を感知できると知る。
そのころ宇宙に存在する苦しみや苦痛を感知できるのは、巨大な脳みそだけで
宇宙に存在するすべての苦しみや苦痛を巨大な脳みそだけが感じていた。
巨大な脳みそはあまりにも大きな苦しみや苦痛から逃れる為に人間をつくり
人間の頭に宇宙に存在する苦しみや苦痛を感知できる脳をつくり、苦しみや
苦痛を分散させたとかいうストーリーを考えていたが、オカルトというか。
善行を行うとき、これは自己満足もある善行だとわりきれば、思いきって行動
できるよな、これは自己満足じゃないのか?とか疑問をもったりしてると行動
がにぶるからな。
おれは自己満足もある善行やろうと思ってるんだよな、貧しい人を助けて
貧しい人たちにおれの像をたててもらって楽しんだり、ごみをひろう姿を
通行人にみせつけたり。
結果的に自己満足がふくまれていても、善行をやった量が他人より多くなったり
するという事もあるよな。
自分の自己満足をみとめて、わりきって行動できるようになれば、善行の量が
ふえてよくなるかも知れんな。
豆腐やは問題を理解すらしようとしないので、スルーでよろ
958 :
名無し物書き@推敲中?:04/09/02 12:46
そろそろ発表? >ロマ
問題を理解してないとか揶揄されるが、
>>948に絡んで。
それと同じような論旨だと思うけど、中上自身が後期に書いた(講演した?)
「小説を阻害するもの」っていうのを本棚から引っ張り出して読んでみたよ。
超強引に要約すると、「小説は近代のものだ。19世紀に適合した表現の形式なのだ。
(中東に中上が旅行にいったらしく)ああいう素朴な生活で、電話もなく、連絡を待っているのを描けば小説になる。
だけど電話一本じゃならない。移動も、歩きであるならばそれを描くのは小説になる。車じゃならない。
そんな風になっちゃったこの現代日本では小説なんか生まれない。
つまり、小説を阻害するものは現代社会である」(俺の読み取れたことなので、文句があれば早稲田文学七月号を立ち読みしてください)
つーなことを言ってるんだが、バカ言ってるんじゃねえおっさん、無理して変なジャンルに首突っ込むな、ばっきゃろい、としか言いようがない。
電話とか交通とかによる現代社会の変質? 変わっちゃったから書けない?
ばっきゃろい、だからSFがそこ苦心してるんだろうが。技術が世界をどう変えたかを追い詰めて、
それを描く手法としてこんなに発達したんじゃないかい。ばっきゃろい、お前は純文書いてろ、
お前の興味持つのはそこじゃねえ、もっと土着の情念噴き出す小説書いてろい、と。
・・いや、そういうのが受け入れられない、あるいは存続出来ない社会になって、要するに商売上がったりの愚痴だろうが、こんなの。
その現代社会に如何にして対面するのか、如何にして包括するのか、あるいは切れ切れのままに提示するのかってのが問題なんだろう、
ばっきゃろい、このジジイ耄碌したのか、本分をちゃんとやってろい、それかさっさと表舞台から消えやがれい、
と敢えて言いたくなる。いや、俺はこの世代じゃないから、敢えて若い人間の視線として正直に言ってるわけだけど。
同じ文脈で、柄谷氏は「近代文学の終り」などといっている。
近代文学は差別や階級社会によって生まれたもので、それがなくなったほうが世の中にはいいのだから、
近代文学は役目を終えたと。
なんかポストモダン的な思想家の名前がごちゃごちゃ出てきて色々言っているが、
要するにこの人が言ってるのは、「思想・政治・倫理と結びついた」熱いものであった「文学」というものの
一番生き生きした時代を知っていて、それが今のような地位に凋落したことを嘆いているんだろうな(というのも、俺の勝手な読解)
あとは娯楽的な商品としての文学しか残されていない、映画ができたときに、文学はその道を譲ったと。
(その反動として文学でしか出来ないことが追求された、と)
そう言っているんだが、不遜覚悟で言ってしまえば「近代文学終わったら現代文学やりゃいーじゃん」って感想。
そこに商業主義や資本主義が絡んでくるんだが、これはまた別問題。
政治や倫理とアクチュアルに連動する文学の熱さを知っていることは羨ましいが、
それは安保闘争とかの時代で、そういう時代の風潮であったというだけで、
その政治性・倫理性だけで物事を判断しようとするその物差自体に疑問を感じるよ。
近代文学は終わっちまえばいいんだよ。そんなのは近代だけに特性を持った一つの手段に過ぎない。
今はもう現代だぜ? 現代文学を如何にして可能にするかを模索してるんじゃねーか。
出版の問題とか金もらえるかとか、タダでもいいからネットに出そうかとか、ここの連中の方がもっとシビアだぜ。
長レス二本、失礼。
思い違いがあったら指摘してくださいな。
962 :
名無し物書き@推敲中?:04/09/02 17:01
なんだこれはぁぁぁーーーーーーーーー
うわぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー終
なんどかすでに言ったことだけど、
私は大江健三郎の「文学は励ましである」という言葉に一番共感します。
(もっとも、文学に限らず芸術は励ましである、というのがその真意ですけど)
>>959-960にはげどう。
だいたい、文学なんて終わった、だなんて百年前にも欧米で言われてましたよ。
トーマス・マンでしたっけね、「小説の題材はすでに出尽くしている」なんて言ったのは。
ま、別に終わってても構いやしないんです。
現代文学、なるものがあるかどうかも、私はどうでもいい。
もうちょっと言えば。
インドの舞踏の神として有名な、シヴァ神は、破壊の神でもあると同時に創造の神でもある。
物事はいったん終わらせないと始められないのですよ。
ナショナリズムに依拠した文学は、しかし出てこられないでしょうね。
かといってコスモポリタリズムの文学が受けるかといえば、そうでもなく。
もっと個人的なもの……私小説はそういう意味では、いまでも最も新しい文学の形式なのかもしんない。
中国では私小説が注目されているそうですし。
いや、これは中国という言論の自由がない国だからこそ、そうなのかな?
ニッチ、という言い方はおかしいかもしれませんが、
個人という考えがこれほど浸透した現代においては、
独立した現代人に焦点を当てて、小説(漫画とかも含めて)は書かれていくのが良いのかもしれない。
真実は個人によって相対化されてしまいますし。
ま、こんな複雑なこと考えてたら小説なんてかけませんがw
>「思想・政治・倫理と結びついた」熱いものであった「文学」
おれもそんな気がするよ。
そーいうのはもう洋梨。
おれがよく『芸術至上主義』というのは上記と正反対のもの。
政治も思想も反映されてなく、小さく、狭く、深いもの。
古今東西を問わずに、人間をやってゆく以上感じずにはいれれない「何か」を描く。
古くは百閨Aついこの間までは吉行、色川。
R・カーヴァーやエイミー・ベンダー。
日本の現役だと保坂とかかな。
女流には多い。
川上弘美、多和田葉子、小川洋子。
露文や独文、仏文の大文学ばりのはもはや成り立たず
大江や中上の系譜は無理して題材を探している気がする。
星野ともあき、とか読んでそー思った。
そーいう意味では小の主張する、
>技術が世界をどう変えたか
は、これからの文学のメインテーマになるかもね。
もちろん
>近代文学は差別や階級社会によって生まれたもので、
>世の中にはいいのだから、近代文学は役目を終えたと。
この残像をも描かないとならないから、大仕事になるな。w
>「思想・政治・倫理と結びついた」熱いものであった「文学」
何のための思想・政治・倫理etcなんだい?
それを忘れた文学なんぞ糞くらえだ つうことで
小もmjもわたつみも、失格の烙印を捺そう。
まあ、思想や倫理観そのものは、時代と共にある。
それが過去のものでなないことは判るよ。
尺度や物差も常に変化しているのであろう。
それを受信するアンテナの感度や作品に変換する能力の問題。
保坂などは、思想や倫理観を打ちたてるのが文学の使命、みたいなことを言う。
そういう世相や思想と密接に繋がった文学がなくなることはなかろう。
柄谷は、その方法が出尽くした、と言っているのでは?
感度の良い受信機を持っているヤツはどこかにいて、そいつがなにも考えずに書けば、
>「思想・政治・倫理と結びついた」熱いものであった「文学」というもの
になる。
書きたいものを書きたいように書いて、
それがその時代の思想や政治性、倫理観とリンクする。
そういうヤツはどこかにいるはずで、アトラとか小はそういうヤツかもしれないね
って話だよ。
>思想や倫理観を打ちたてるのが文学の使命
何の為の、誰のための思想・倫理なのか
本末転倒、そら文学は終るわな…
テクノロジーが人間に及ぼした影響、ということであれば
それは
>現代の「思想・政治・倫理と結びついた」熱いもの
たりえるとおれは思う。
テクノロジーとは何なのか
昔はなかったのか?
テクノロジーとか倫理の話はほうっておいて、
最近の文学(?)って2ちゃんみたいな文体のが多いのな。
あれならアリでも勝てるかもしれない、ってか延長すれば文学として存立できるのかもしれない。
誰かやらないか。
>>967 コロンブスの卵的な発想で、
思想や倫理観を作品に反映させる、
のではなく
その時代の思想や倫理観を創るために文学がある
という考え方。
それはそれで、立ち居地として有りだとおれは思う。
むしろ思想や倫理観を破壊するものが文学と言われてきたのじゃないのか?
テクノロジーって言葉は、
火・活版印刷・言語・建築・交通・通信とか俺は全部含んでつかっとるよ。
マクルーハンの言う「メディア」とほとんど同義、つーか文明自体と同義かもね。
いや〜、町田康とか、ものの見事に小難しい思想とか議論とか
無視して突っ走っちゃってるよ。
文章とか小説のルールとかもほとんど無視して
(実は無視してないのかもしれないが、「主人公はキャラを立てて」とか「同じ語を繰り返してはいけません」
みたいなバカゲタ小説の書き方的枠はもうぶっ壊してる)
ただただ突き進むあの感覚は心地よい。文が汚かろうとストーリーがわからなかろうと、
これぞ文学! って気がしたからには俺も
>>972と同じような考えを持ってるってことだろうな。
だから十年前でもテクノロジーって使っていたのだろう?
百年前でも言葉は無かったかも知れないが、同義のものはあったのだろう?
で、百年前には文学は終ってなかったんだ、でも現代では終っているのかい?
矛盾するだろう? ってこった。
>>696 そら昔からあるが。w
急速に発達し、多くの人間がその恩恵を受けたのはこの百年であろう。
もう出尽くした、とされる小説のノウハウはそれ以前に確立された。
わたつみがいうトーマスマンの話もそれを裏付けている。
>>976 レス番、アレンジしすぎ。w
そろそろ寝ろ
>>975 ん? おれは、出尽くした、といってないぞ?
言ってるやつの通訳をしたんだって。w
>>975 百年前にも同じことを言ってたバカがいただろうよ。
誤解を生むかもしれないので、980に補足しておくと、
「○○は終わった」と言い出す奴がいただろう、ってこと。
わたつみの論とも繋がるが、ニッチ狙いで個別に細分化、っていうのが時代の流れなんだろうけど、
それでいいんだろうか。個人ばかり押し出して小さい世界だけを描く小説が多くなってきてるが。
町田康の小説にもあるように、「きれぎれ」になっちまってるのが、ポストモダン以降のこの状況であって
社会的風潮ではないかと。
ただ、それがいいことかどうかは俺にはわからん。つーかレポートにちょうどそれを書いた。
町田はおれもいくつか読んだけど
誉められ過ぎだと思うよ。w
文芸評論家の飯の種になってる感じ。
そうか? 町田のリズム感と疾走感は俺にはフィットした。
これが現代の純文学、っていうなら、ああ、これならいいな、と
喝采できる。
ちゅうか、ユーモアがあるから。彼には。
おれも町田は好きだけど
小技が冴えてるからニヤニヤ笑える。
でも、全部いっしょじゃん、って気もしている。
>>984 ああ、そんな気はする>全部いっしょじゃん
だけどエピソードが重複してたりして、
なんかホントっぽいんだよ。本気っぽいというか。
つうか単純にいって、世の中への反抗として「高級レストランで、皿から直接メシを食う」
ってのを、描くときの自意識の書き込みに、思わず喝采と共感とハニカミを感じてしまう。
そういう、突っ走る芸、反抗する芸、みたいな自意識が彼の魅力かと。
ところで。
松尾スズキとか、どーよ?
あと、町田を捉えて離さないイメージなんだろうけど、
おれが読んだものでは、ヘドロの沼や廃液のドブが出てくる確率が高い。w
あれがけっこう利いている。w
松尾スズキは読んだことない。
>>986 すまん、読んだことない。(調べたら演劇とか映画の人っぽいけど)
松尾バンナイなら知ってるが。
電話おちする。
>>987 しかもかなりの高確率でドブに落ちるねw
あと、貧乏人がやたら出てくるね。
金を借りにいったら「売り上げが三百円しかないんだよ」とか、普通に笑うよ、こんなの。
やっぱ自意識の描き方がうまい。なんか蚊柱みたいなハエ柱がついてきて、
逃げながら「蝿よ、俺を慕うな」とか普通に地で出てくるってのはズルイってw
>>988 大人計画って劇団の主宰で、脚本家・演出家・役者。
今時、演劇ってやってるってどーよ?っておれも思ったが、
「宗教が往く」って小説はイケるから、ぜひ読んでみ>とくに小
あと「同姓同名小説」って、この板でいうコテネタ小説なのも出てる。
これなんか、あきらかにプロフェッショナル。
下北とか行けば未だに演劇は人入ってるよ。
そんな安い値段でもないのに・・とあの商業性に驚く、
一円ももらえない似非作家・俺。
>>991 探してみる。
コテネタ・・って知り合いを書いたってやつ?
田山花袋の「蒲団」も実話(というか自分)を書いて、周囲の知ってる仲間には大爆笑だった、ってエピソードがあるが、
そういうもの?
このスレも寿命か。
誰か、跡継ぎをよろ。
>>992 >コテネタ・・って知り合いを書いたってやつ?
ちゃう。
有名人をネタに妄想を膨らまし、
実名使って誹謗ともとられかねないストーリーを展開しつつ、
「たんなるフィクションですよ、同姓同名さんの、、、」ってな話。
立ち読みしてみ。
>>994 同人みたいなことする香具師だなw
その反骨精神に敬意を表して今度読んでみるよ