綿矢りさだけど何か質問アル?

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綿矢の作品は等身大の著者を投影してる的批評も方々で見られるが、
私の勘だと、綿矢は作品中の主体ではなく客体ではなかろうかと思う。

つまり、主人公が現実を徐々に知っていく背伸びの物語とは正反対で、
むしろ綿谷自身の魅力(に抽象化された即物的価値)を客観視し、それに
踊らされる大衆を侮蔑するところに出発点をおき、そこから大衆と自己の
類似性に直面しつつ直視できない弱さを、若さというマジックワードで
逃げて解消している(しようとしている)のではないだろうか。

そう考えると、これは大人へ向かった物語ではなく青年期に憧憬を向けた
物語であり、外向きな物語ではなく内向きな物語に読めてくる。
綿矢作品の「暗さ」はここに潜んでいると考える。
そしてこれは、時代への閉塞感や青春的鬱屈などではなく、もっと人間
本質的な内面性、臆病さのはずだ。これは綿矢の生の弱さでもある。

そう思う私には、>>113-116 のやりとりが現実に読めてしまった。