昼を過ぎてから、家に帰った。団地の階段をのぼってドアを開けると、台所のイスに座
って姉の姿が目に入った。何か飲んでる。テーブルの上にはママ蔵と書かれた瓶が見えた。
「姉さん・・・なにそれ?」
「あれ?お帰り」言って、コップをテーブルに置いた。「これ?ママ蔵レモンだけど」
「メロンだろ」言って、テーブルの上の瓶を取る。緑色の一升瓶(一升瓶かよ)に真っ白
なラベルが張ってあって、『ママ蔵ジュース・メロンスメル』、と緑色の字で縦書きされて
いた。スメルとか書いてあるのが微妙にジュ―スっぽくはなかったけど、あいた口からは甘
い香りがした。
「レモンだと思ってた」姉さんはテーブル上のコップをしげしげと見る。四分の一くらい
残っているけど、その色は薄い黄色だ。なんだそりゃ。ラベルの後ろを見ると、なにもプリ
ントされていなかった。
「どこで買・・・手に入れたの?これ」
「昨日、裏の猫が自動車に轢かれそうになったのを助けたので」
「虚しい嘘はともかく」
「家に来たセールスマンさんが試飲用にくれたの」
「試飲用にって・・・」
「毎週1回、作り立てを配達するんだって、売れるわけないじゃん。ねえ?」
「さあ、どうかな?」
それにしてもセールスマンも大変だ。おれもだけど。あ、まだ鞄を降ろしてもいないや。
「シャツを替えに帰ってきたんだよ」
鞄をイスに置いて、台所の隣の部屋に入った。あいていたフスマを閉めて箪笥を開き、
タオルを取り出して体を拭いた。シャツを取り出して着込んだ。Yシャツも替えなければ。
「お風呂に入っていけばいいのに」
フスマの向こうから声がした。
「いいよ、もう行くから」
「あんた、新入りのくせに帰ってきていいの?」
「いいの」
「3ヶ月でサボリをおぼえたか」
「うっさいな」
Yシャツはさらに隣の部屋のクロゼットの中だ。フスマを開ける。表の通りに面していて、
窓から夏の膨大な太陽光が入ってきている。閉め切っていたらしくて、尋常じゃなく暑かった。
親父とお袋の位牌(写真も)が並んでいる仏壇と、クロゼットは向いあっている。
仏壇に背を向けてYシャツを着た。このシャツは親父のおさがりだ、と思った。
冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出して、コップに入れて、飲んだ。で、冷蔵庫になおした。
「じゃあ、いってくるわ」革靴を履きながら言った。
「うん、あ、私、バイトの面接のあと遊びに行くからさ、今日は帰らないよ」
そういうことは先に言ってほしいもんだ。
「そういうことは先に言ってよ」
「ごめん」
「金、いる?」
「いる」
一万円渡した。
「お金持ちぃ」
姉に手を振られてドアを出た。熱風が吹いていた。階段を降りていった。
(姉さんが働いたらクーラーをつけられるようになるかな?)と思った。