「あなたを愛しています」
博愛教団の勧誘員が朝っぱらから俺の安アパートの扉を叩く。開
口一番、「あなたを愛しています」だと? まったく、こっちは夜
勤明けなんだぞ。さあこれから眠ろうって時に、ふざけるな。
俺は努めて冷たい声で、「間に合ってます」とドア越しに応えて、
布団に潜り込んだ。
勧誘員は、「あなたを愛しています」と繰り返して、またドアを
叩いた。しつっこいな。眠れやしねえ。
俺は「間に合ってます」と布団から顔を出して大きな声を出した。
うるせえな、とっとと帰れよ。
勧誘員は、「あなたを愛しています」と大声で叫びながら乱暴に
ドアを叩いた。
いい加減頭にきた俺は「いい加減にしろ! 間に合ってます!」
と叫んで飛び起き、枕を思いっきり振りかぶって、ドアに投げつけ
た。やかましい! 近所迷惑だろうが!
勧誘員は、「あなたを愛しています」と今度は優しい声音を出し
た。そのあとにボソリと「間に合ってないくせに」と付け足したの
を俺は聞き逃さなかった。
俺の怒りは頂点に達した。ドアを勢いよく開け、「俺は確かに独
り身で恋人もいないが、お前にそんなこと言われる筋合いはねえ!
帰れ!」と啖呵を切りながら勧誘員を蹴倒した。胸がスっとした。
ざまあみろ! 馬鹿野郎。
ところが、勧誘員は地面に這いつくばっても微笑みを絶やさず、
「あなたを愛しています」と呟いた。
俺は背筋が寒くなって、あわててドアを閉め、布団を頭からかぶ
った。
さすがに諦めたのか、勧誘員の気配がなくなった。ふう、行ったか。
やれやれ。早く寝ちまおう……。
* * *
「ひい」と俺は悲鳴をあげて、目を覚ました。汗びっしょりだっ
た。心臓がバクバク音を立てていた。夢の中に勧誘員が現れ、「あ
なたを愛しています」とにこやかな表情で俺に告げたのである。ち
くしょう、なんだってんだ……。
と、俺はあることに気付いた。夢から覚めたというのに、「あな
たを愛しています」がまだ続いているのだ。
窓という窓に勧誘員が張り付いていた。ドアの向こうにも、そし
て上の部屋あたりにもにもいるようだ。そして皆ブツブツと、「あ
なたを愛しています」と唱えている。夢にみるわけだ……。
このままでは気が触れてしまう。俺は恐怖した。とにかく、奴ら
から逃げなければ。
ドアを体当たりで開け、勧誘員をひとり吹っ飛ばし、部屋を出た。
パジャマにサンダル履きの姿のまま、必死に走った。サンダルが片
方脱げ落ちて転びそうになったが、そんなこと構ってはいられなか
った。
「あなたを愛しています」がだんだん遠くなった。俺は肩で息をし
ながら、辺りを見回した。わき腹がキリキリと痛んだ。ふう、ここ
までくれば大丈夫だろう……。俺は大きく息を吐いた。
ところが、路地という路地、曲がり角という曲がり角、物陰とい
物陰から勧誘員がわらわらと現れた。みな、穏やかな微笑みを浮か
ながら、「あなたを愛しています」と口々に唱え、俺を取り囲む。
その微笑みはよくよく見れば、目が笑っていないのだ。張り付い
たような、例えていうなら爬虫類のような冷血動物の微笑みなのだ。
やめろ! くるな! こっちくるなあ! 俺はじりじりと壁際に
追い詰められた。
あなたを愛しています……あなたを愛しています……あなたを愛
しています……。俺を包み込む押し付けの博愛。まるでゾンビ映画
のように奴らはのろのろとしたぎこちない動きで俺に向かって手を
伸ばしてくる。
俺はパニックを起こした。口角から涎の泡が吹いた。目の前がぐ
るぐる回った。勧誘員達の満面の笑みが俺を取り囲み、鬼火や生首
のようにゆらゆらと揺れていた。俺は耳をふさいでしゃがみこんだ。
うわ。うわああ。逃げ場は。どこか逃げ場は――。かあちゃん!
ばあちゃん! ぼく、こわいよ! たすけてよおおおお! どこに
も逃げ場がないんだよう!
突然、ひらめいた。――そうだ! もうあそこしかない。奴らか
ら逃げられるなら、この際――。
俺は立ち上がると、手近な電柱に勢いよく頭から突っ込んだ。火
花が散った。そして暗転――。
* * *
ここまではさすがに追ってくるまい。俺はほくそ笑んだ。高くつ
いたが、奴らのいない世界で今はとにかく安らかに眠りたい。なに
せ、こちとら夜勤明けなのだ。
そのとき、「あなたを愛しています」という小さな声が聞こえた。
そして、その声はひとつ、ふたつと増えていき、だんだん大きな声
となっていった。
俺は愕然とした。なぜ、そこまでする必要があるのだ……。俺の
思考に、「あなたを愛しているからです」と勧誘員たちは一斉に答
えた。
そうか。俺は合点した。自分が甘かったことに気付いたのである。
全てを平等に愛するということは、何ひとつ愛していないに等しい。
少し考えてみればわかることである。そう、奴らは、自らをも愛し
ていないのだ。
死に損だ。くそう。