>>302の続きです。
「小説」をたくさん読んで真似ているうちに
「小説」を書けるようになるってことは、
「小説の書き方」本をたくさん読んで真似ていると
「小説の書き方」本を書けるようにしかならないってことかもしれません。
それはそれで役に立つ気もしなくもないですが、小説家でもないのに
「小説の書き方」本の書き方を覚えてしまっても意味はないですよね。
そういえばどうみてもモテそうにないコラムニストが「恋愛術」の本を
書いていたりすることがありますが、あれも「恋愛術」本をたくさん読んだ
成果だったりするんでしょうかね。
実際にモテてるのかもしれませんけど、本当かなあ? と思える人もいますよね。
>>332 猿真似したい分野の傾向が偏ってれば偏ってるほど自分のものになりやすい
気はします。たとえば江戸川乱歩そのままだったり太宰治そのままだったり
ということです。それじゃパクリになってしまうじゃないかという意見もあ
るかもしれませんが、書き方が全く同じだったとしても、モチーフが違えば
オリジナルですから、問題はないわけです。むしろ亡くなってしまった既存
作家の生き写しと呼べる程に似ているのであれば、亡くなった作家の新作を
読んでいるような錯覚に陥るファンをそのまま自分のファンに出来てしまう
かもしれません。逆に亡くなった作家と似すぎていることを快く思わないフ
ァンもいるはずですが、そうはいっても彼等の心を掴むことに変わりはない
のです。
それに最初がいかに誰かにそっくりだったとしても、その後の生き方次第で
自分自身の持ち味が育ってきて別物になていくはずです。そうなったら後は
もう、自己流であるかのようにしてやっていけるでしょうね。
僕の場合はといえば、そこまで一分野に心酔しきることができていない事も
あって、誰かの猿真似にすらもなれていないのですが、そういう事の大切さ
は感じているのです。