純文学の定義とは

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1ベンゼン中尉
語りましょう。
2名無し物書き@推敲中?:01/12/06 00:47
1のご意見を。
3れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 00:51
俺よくわからん
教えて
4ベンゼン中尉:01/12/06 00:53
ふつふつと湧き上がる創作概念なのよ。
5 :01/12/06 00:54
天才に語るのは少々緊張するのだけれど、私の見識をひとつ。
人間の心の有り様を書くものではないかな。
6ベンゼン中尉:01/12/06 00:56
私は大馬鹿者ですから、みなさんの意見が聞きたいのです。
>>5
たしかにそうです。
7名無し物書き@推敲中?:01/12/06 00:56
ふむ、そういう感じがします > 5
8れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 00:57
>>5
なるほど。
じゃあ俺がやろうとしてるのはまさに純文学だな
9ベンゼン中尉:01/12/06 01:01
では、心の有様を文章にするにはどんな工夫が必要でしょうか。
情景描写だけではいけないと思いますが。・・
10名無し物書き@推敲中?:01/12/06 01:04
>>9
やはり、人生経験が大切かと。
別に波乱万丈の人生でなくとも、毎日の生活における心の変化をいかに
的確に捉えるか、かな。そしたら、みんなの共感を買いやすいし。
偉いそうに言ってるが、実は自分でもよくわからない。
ただ、情景の移り方は、主観を持っている人物の心理状態を反映させる
必要はあるのではないでしょうか。
11れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 01:09
そうだな。心の震えを対象化できないといけないな。
12れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 01:12
つーかレスおせーよここ!
13ベンゼン中尉:01/12/06 01:13
>>10
確かに、明治から純文学イコール私小説の観念が強いですね。
私も自分の分身を自分の作に登場させていますからね。
文章の天才と言われた志賀直哉も読んでみて、素朴すぎる感すらあります。
川端に至っては感性の赴くまま筆を泳がした感が強く、私はむしろ自分を彼等文人よりも古風な感すらあるように思えてなりません。
14ベンゼン中尉:01/12/06 01:17
本日はこれまで。
15名無し物書き@推敲中?:01/12/06 01:18
おやすみ
16名無し物書き@推敲中?:01/12/06 01:19
>>12
即レスがほしいならチャットにすれば?
17れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 01:25
>>16
ブンガクチャットなんてあんの?
18名無し物書き@推敲中?:01/12/06 01:27
>>17
天才なら自分で探してほしいものだが…。
私も本当の所は知らない。Yahoo! のカテゴリに行けばあると
は思うけど、誰もいないかもしれない。なにせ、この板が同じ
状態だから。
19れみに感謝 ◆CALRmwXs :01/12/06 01:33
>>18
そうか。
純文学ってピンチなんだな。
やっぱ俺が救うしかないね
作者の頭がおかしい作品
21ベンゼン中尉:01/12/07 01:51
文章を書くと消耗するようでは文学者向きとはいえませんね。
22ベンゼン中尉:01/12/07 21:58
作者にとっての一番の楽しみは自分の主義主張を作品に封印することです。それで共感を得ることが出来たのなら至福の幸せですよね。
23名無し物書き@推敲中?:01/12/08 11:39
当方ファンタジー書きだが、それは同意。
主義主張をこっそりと織り交ぜて、「それ同意!」と言われるとにやりとしたくなるね。
う。なんだか阿呆な文章を書いてしまった。スマソ
25局長( ゚∇゚)メ:01/12/08 12:12
日記や私小説も純文学なのか?
ノンフィクションの現代モノは書けないナリよ。
26名無し物書き@推敲中?:01/12/08 12:53
以下の条件のいずれかを満たしているものを純文学という
1.朝起きて歯を磨くのに何ページもかかる
2.ストーリーらしきものがない。
3.ああでもない、こうでもない、と考える
4.作者がヤク中かアル中か狂人
5.気づいたら自殺(または未遂)している

最近の純文学作家=大平みつよ
27局長( ゚∇゚)メ:01/12/08 21:20
>最近の純文学作家=大平みつよ
今日ブクーオフで見かけたので買おうかとオモタけどやめた。
多分読まないからな!

それはそうと純文学の定義なかなか面白いな
28名無し物書き@推敲中?:01/12/08 22:13
よりによって純文学かよ。
恥ずかしさを押し殺して言うと
「現実の反対側にあるバランスウェイト」あたりなんじゃないのコレって?
いわゆるフツーの小説は読み終わってら、元のところにちゃんと帰って
来れるけれど、「純」文学はちょっとだけずれたところに帰ってきて
しまう。にこにこして読むのではなく、憮然として読む話なんだと思う。
必要がなければ書いたり読んだりしないほうがいいものでしょうね。
29ベンゼン中尉:01/12/10 22:19
まあ、純文学こそが一番単純ではありますな・・・
30名無し物書き@推敲中?:01/12/10 22:43
ヒトナリの小説
31名無し物書き@推敲中?:01/12/10 23:13
フタナリ小説は……イカン、逝ってきます。
32名無し物書き@推敲中?:01/12/11 13:54
読者を意識しないで書いたものが純文学ではないかい?
33あぼーん:あぼーん
あぼーん
34ランボー ◆k/HXSl7w :01/12/14 14:38
>ID:RxXv7AEg

もう周回遅れだよ!
35名無し物書き@推敲中?:01/12/14 15:30
純とエンティメではピカソと路傍のペンキ屋ほどの違いがある。
ペンキ屋を誹謗するわけではない。業種が違うということだ。
真の文学とは毒だ。妖艶な香りで人を誘い出し、やっつけてしまう。そういうものだ。
だから愛好者は皆どこかイカレテルが、それはその副作用というわけだ。
36名無し物書き@推敲中?:01/12/19 22:34
>>34
ここにもいらっしゃいますよー。
37名無し物書き@推敲中?:02/01/15 18:23
美を描け
38名無し物書き@推敲中?:02/01/22 22:17
うおりゃぁあああああ!
39名無し物書き@推敲中?:02/01/22 22:41
私の中で純文学の定義とは書いている作家が
哲学者の要素を持っているということなんですが・・・・
例えばドストとかカフカ・・・
みなさんどうでっか?
40名無し物書き@推敲中?:02/01/23 15:07
イッヒロマン
41名無し物書き@推敲中?:02/01/23 15:37
純文学の定義とは作者が破壊者であること。
本人が苛められているわけでもなく世の中に苛めが
あることに対して腹が立つタイプの人間。
ようするにいいことも悪いことも人より多く
してしまう人間。よって他人からは目立ちたがり
だと罵倒されてしまうことも多い。博愛主義という
言葉が人一倍好きだがどこかのオカルト教団に対しては
人一倍、意見を言いたがる。ようするに社会のどこに
いても居心地の良さが見出せず感情で全ての出来事が
成り立っていて、唯一の長所は要領の悪い子を説教を
まじえて愛すること。
この全ての項目に当てはまる人が書いた小説を純文と呼ぶ。
42名無し物書き@推敲中?:02/01/23 15:42
哲学的かそうじゃないかに一票。
43主観的マン:02/01/23 16:15
>>42
同意 思想だね
44名無し物書き@推敲中?