弓道総合スレ二十七立目

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500目曰く好意
私が審査で特筆するのは、術科審査の得票制である。
八段までは一手の行射になっているが、審査の先生たちは一手の内に何を観て合否を決めるのだろうか。
それは、紛れも無く各自の中にある合格基準である。

例えば、或る一人の射手の行射について、或る先生は合格にし、他の先生は不合格にする。
つまり、合格の基準自体は客観的なものではなく、審査の先生各自の恣意性の中にこそ、主観的な合格基準が有る。
そして、その得票を総合して判断することで、連盟という存在が審査結果に客観性を与えているのである。

さて、これらの認識を踏まえて、私が昇段や称号を得ようとするば、如何にするか。
現在、修練している射は奥義の射であるが、私の段位は二段である。
そして、これから受審しようとする参段は、弓道の基礎基本の内に留まるものである。

もし、私が参段の審査で、奥義の射をしたら、どうであろうか。
奥義の射の内には、参段の合格基準が充分に含まれてはいるのだが、
問題は審査の先生方の印象である。
矢番えが超低い、超小離れ、この人が後進を指導する立場になった時には、どのように教えるのだろう、など。
合格をさせて、段位を上げていくということは、指導者に成り得る道を許すことだから、審査の先生がこのような印象を持つのは当然のことである。
また、一手の行射の内に、奥義の射の本質を見出せるのか、という疑問も感じる。
何しろ、審査の先生方が経験していない射であるからだ。

術科審査の得票制は、受審段位の射として認める、貴方の射を支持するという審査の先生方の意思表示である。
そうであるならば、受審段位に相応な行射を行い、奥義の射で審査の先生方を迷わせることは無い。

また、低段位の学科試験でも弓道教本に則った解答が求められているのには、同様な理由が有るのかも知れない。