2ちゃん武道板仮設神殿  

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24619=24
相撲のことで分かることならば
できるだけ答えましょう。

>>245
これを持ち出していまさら確認することもないと思いますが
すでに>>192で述べているのが私の立場です。
吾妻鏡で相撲と記されているのは、
>原義である「格闘そのもの」である相撲の中世以前の相撲
であり、武士が鍛錬としての武芸として低く見ていた近世以降の相撲とは
別のものを指しています。

また、>>244の鏡山右沖衛門ですが、この人物は現在まで伝えられている
両手を下ろす仕切りのルールを発明したと言われています。
それまでの相撲の立ち合いは、立ったままで試合を開始していたため
「立ち合い」と言われ、鏡山右沖衛門以降のものは「うずくまり合い」と呼ぶほうがふさわしいとも言えます。
この仕切りは、普通ならローカルな流儀として終わるところ、
鏡山右沖衛門を抱えていた紀州藩の徳川吉宗が八代将軍になったのをきっかけに
この紀州流が江戸に移りさらに全国に広がったものです。
このルールの導入により、はたき込み、けた繰り、肩透かしなどの変化技が有効となり、
自分も相手も持てる力をまだ十分に発揮しないうちに済んでしまう勝負が現れました(ある意味では武術的ですね)。
しかし、観るスポーツとしてはこれほど感興をそぐ技はなく、大成を将来に期す力士の取るべき手ではない、
という価値観が生まれました。強い力士ならこれをせずに勝って見せろ、というところでしょう。
>関口流にあった四の取口と「小よく大を制す」
>の手を加え、独特の相撲を創生した。
関口流の四の取り口というのが何なのかは私は知りませんが
この仕切りに関連した技法であることは想像に難くありません。
先に述べた変化技がそれではないでしょうか。