1 :
シン:
って簡単に言うとどういう意味なんですか?
2 :
大坂の指し物師:2001/05/19(土) 18:01
生きること(living)は死ぬ過程(dying)に過ぎないということです。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 18:01
「覚悟のススメ」の解釈が妥当かと思われ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 18:02
覚悟のススメのビデオっておもろい?
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 18:02
自分自身に対する美意識をまもるために命を張れるかってことじゃない?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 18:03
藩のためには命を捨てろって事だよ。
7 :
2ちゃんねらー:2001/05/19(土) 19:03
氏ね!ってことだよ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 19:36
大阪の梅田にある「葉隠れ」ってうどん屋、美味いよ。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 19:36
自分が、コレのためには死んでも良いと思えるような、物を見つけて
それのタメに生きなさい。そして、イザと言う時はソレのために命を
捨てる覚悟を持って戦えって事です。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 19:48
>氏ね!ってことだよ
逝きました
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 19:59
津本陽の新撰組小説「虎狼は空に」
を読んでみよー
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/05/19(土) 20:48
>>1 二通りの解釈ができますね。まず読んで字の如く、<われは生に非ず、
死を友とす>。つまり、死の恐怖を超越したところに精神をシフトして
いると。
もう一方は、単なる気休めですね。宗教の教義と言いかえられますか。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 23:22
隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」を見ましょう。
またちょっと難しいですが千葉徳爾「たたかいの原像」も
素晴らしい本です。
絶版なので図書館でどうぞ。
14 :
名無しさん:2001/05/19(土) 23:24
南斗六星は何座の一部ですか?
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 23:26
過ぎた美徳でしょ。
今の武道家にはあまりお目見えしません。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/19(土) 23:29
どんな糞でもヲタでも正義カッコブーでも痛い野郎でも電波でもいつか必ず死ぬ。
ってな訳でその為の準備は出来ていますかって意味です。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 01:10
武士道とは死ぬことと見たり!
というのは佐賀鍋島藩の武士のバイブル「葉隠」のことばです。
名前は忘れたけど何とかって言う人の言葉等をまとめたもの。
要するに藩のためにすべて犠牲にして死ねってこと。
佐賀人は律儀でまじめな人間が多いのはこの影響があるそうです。
周りの地域からはまじめに働く姿を「佐賀人が歩いた後には草木も生えん」と馬鹿にされてますが。
こういうある意味閉鎖的な環境が嫌で大隈、江藤は佐賀を飛び出したのでしょう。
また、幕末随一の軍事力も有効に使えず薩長においてけぼりの形になったのもこの思想の影響かも。
後に急に有名になって言葉だけが一人歩きしてますね。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 01:31
死>∞<生
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 02:07
いかに死ぬか=綺麗な死に様(無駄死にとか、悪あがきしない)
ってことじゃないんでしょうかー
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 03:00
でも常朝は
綺麗な死に方とか考え出すと
結局死ねなくなってしまうから
迷う前にさっさと死ねと言ってますね。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 03:34
>>4 見てないからわかんない。探し中。
でもこないだツタヤで覚悟のススメのビデオ借りたら、
なんかコミックスそのまま撮影してアフレコしたやつだった。
大島渚の「カムイ伝」(だったか?)かよ!っておもってげんなり。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 03:49
>>21 それは「マンガビデオ」よ?
OVAは別で。
23 :
前野良沢:2001/05/20(日) 19:34
なんで死ななあかんのじゃ!!!
24 :
前野良沢:2001/05/20(日) 19:42
死んだら武道もクソもねぇーだろうが!!!
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 20:49
武士っていっても江戸時代の武士だから別に武道とか関係ないだろ。
あと葉隠って美徳とか武士道とかじゃなくて役人の心構えを説いた物じゃなかった?
でも責任を家老に押し付けたりして、結構無責任なもんだよ。
26 :
前野良沢:2001/05/20(日) 21:55
もうすでに宗教がかってるな
キモイよ・・・
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/20(日) 23:33
17だけど本当、宗教がかってきてますね。
25さんの言うとうりで藩の武士(役人)はこうあるべしという書物なんだけど。
なんで生とか死とか精神論になるんだ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/21(月) 00:29
おおいここに書いている人結構間違ってるぞ。正しい意味は、死ぬ気で物事に
あたれということ。ほんとに死んでもいいという意味ではない。
あえて困難な道を歩めっていうような教えだろ。
なんでもかんでも死んじまえっ!ってのとは少し違うな
30 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/21(月) 21:08
「死」を常に意識の中において生きているのか?
一期一会とにてるぞ
31 :
前野良沢:2001/05/22(火) 19:19
なるほど
32 :
前野良沢:2001/05/24(木) 22:59
あげ
33 :
吉之助:2001/05/25(金) 06:06
まず三島由紀夫の葉隠れ入門から読め
34 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/05/25(金) 13:06
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/25(金) 13:56
>>1 簡単に言うと、
「武士道とは死ぬことと見たり!」って、ねーマジでこれイケてるっしょ?
ね?かっこいいっしょ? 男ってやっぱこうじゃないとダメだよねー。
特に武士は絶対よ!絶対!!ね?よし!今からそうしよう!決定!!!!
という美意識を植え付けて昔の武芸者を政治のコマに使う為の言葉です。
現代では一部武道ヲタが使用するだけとなってしましました。
36 :
吉之助:2001/05/26(土) 05:31
生きても死してものこらぬ事ならば生きたがまし。
喰ふか喰ふまいかと思うものは喰わぬがよし、死なうか生きようか思う時は
死したがよし。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/26(土) 05:44
葉隠では、武道に凝るのを戒めてるね。
葉隠における武士道は、武道家が求めるそれと明らかに違う。
中央公論社からでている『日本の名著 葉隠』を読んでみればいい。
現代語訳だから理解しやすいよ。
38 :
前野良沢:2001/05/29(火) 01:10
あげ
「優秀な兵卒は、国のために身命を捨てろ」ということだと思う。
分かりやすくいうと。
ただそこに、自分の判断で、っていう注釈が加わるのが肝なんでしょうな。
>>13 ちなみに隆氏の小説では「常に死人でいる」(朝起きたら寝床で、自分が死んだ
状態を、ありとあらゆるシュチエーションで想像しろとも葉隠にある)主人公達の
活躍が痛快である。
40 :
鹿:2001/06/03(日) 20:47
誰にも聞いても「武士道とは死ぬことと見たり!」って言う言葉
知らないといいます。逝ってよしですね
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/04(月) 00:10
それを言っちゃあ、お終いよ!
ネタスレやからね。
42 :
馬鹿空手:2001/06/04(月) 02:49
「葉隠」成立は.....
主君の龍造寺(字は?)家を排斥し、藩を乗っ取った鍋島家。
儒教だのそれから発生した朱子学(これ、江戸時代の官学)の思想では、
主君を蔑ろにする行為は完全に悪。
徳川は、朱子学の思想で自己を正当化できたけど、鍋島はそうはいかない。
よって、朱子学なんぞではなく、部下(家臣)に自己を崇め、絶対視、
絶対服従させる為の論法(あるいは洗脳方法と言ったほうが適切?)が
必要となった。
そこで作られたのが鍋島中心主義の「葉隠」。
よって「葉隠」で言う「武士道とは....」って言うのは、
「家臣どもよ、鍋島家の為に生き、鍋島家の為に死ね」との意味になる。
こんな趣旨の説を聞いた事が有る。
43 :
a:2001/06/08(金) 00:50
こんな言葉もともとないだろ
44 :
まじで?:2001/06/17(日) 23:19
ないんか?
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 00:11
あるんじゃねえの?小説とかビジネス書とか色んな本で見かけたことあるけど。
俺の中ではこの言葉、「死ぬ事を恐れるな、己の骨を拾う者がいる限り」みたいな感じ。
俺の拡大解釈だけど。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 08:33
>>43 その通り 造語です。
葉隠れがどのような意図で書かれたか
その辺りがあるのでしょうね。
総合さんが云うように国への忠誠からとも
受け取れるのはその事があるからですね。
何の為の死かを考えて死ね(生きろ)と云うことでは?
47 :
白帯師範:2001/06/18(月) 09:10
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、
常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、
一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
これは武士道とは死ぬこととみつけたりに続く文脈の中の
後のほうででてくる文章です。
国への忠誠だとか、そういう観点からしか見れないと
葉隠れはとてもつまらないものになると思います。
これはそもそも個人の心構えを語った一種の哲学書です。
武士道とは死ぬことと見つけたりとは常に死を考えることによって
かえって自由な生を得ることができるという逆説的な
処世術を語ったものです。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 09:15
江戸時代の武士は今でいう国家公務員だった
と堺屋太一の本にあった
そこらヘンを考慮して考えた方が良いんでネーノ?
公務員の処世術だぞ
49 :
白帯師範:2001/06/18(月) 09:29
少なくともこの話題に関する限りそのたとえは妥当ではなかろう。
精神構造において今の公務員とかつての武士を同列に
語るなどは愚の骨頂である
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 09:46
別に戦争してたわけじゃないからなぁ・・・
年貢の取り立ては税金の徴収だし
遠山の金さんは裁判官
公共事業で農地を開墾してたわけだ
サラリーマンに受けた本だったのかなぁ>葉隠
課長島耕作?サラリーマン金太郎?流星課長?
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 10:51
比べるならせめて自衛隊にしろ
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 10:56
自衛隊より警察だろ?
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 11:14
http://www.coara.or.jp/~baika/goromaru/sigaku/sigaku3/sigaku10.html I江戸時代も出世はきびしーい
日本サラリーマンの源流は、江戸時代の幕府や藩に仕えた武士、
商店の番頭・手代・丁稚などの使用人です。サラリーマンは、
江戸時代も現代も置かれている状況は、大きな変わりはありません。
江戸時代の武士の仕事や生活については、これまでも幾つかの
関係資料が公刊されています。たとえ『元禄御畳奉行の日記』
などがそうで、1部ですがサラリーマンを彷彿させる興味深い
実態が明らかになっています。
ところで、旗本と言えば、江戸幕府の官僚です。旗本は、大名
が1万石以上であるのに対して、1万石未満の幕臣です。
「暴れん坊将軍」8代吉宗は、家格の低いものでも上位の役職
につくことができるように、その役職についている期間だけ
知行高をプラスする「足高(たしだか)の制」を定め、また
勤務手当とも言うべき役料(やくりょう)の制度を定着させて
人材の登用と旗本の官僚化・サラリーマン化を推進しました。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 11:17
http://www.coara.or.jp/~baika/goromaru/sigaku/sigaku3/sigaku07.html F「死ぬこと」から「治めること」へ
「武士道」について書かれた本というと、すぐに『葉隠』と
いう答えが出てきます。『葉隠』は、「武士道といふは死ぬ事
と見つけたり」という1句で知られています。これは、
生か死か、という二者択一の場において、武士が躊躇すること
なく、死を決意し、積極的に死に突入すべきことを教えたもの
です。
ところが、元禄年間(=1688〜1704)の頃になると確実に武士
が変わってきます。
戦国時代が終わってより約100年、武士は次第に平和な社会に適応
した行政官僚・経済官僚への道を歩みつつあったのです。
戦闘員としての武士が無用となった、江戸社会の転換期という
政治的・社会的・経済的・思想的情勢は、官僚としての武士という
新しい性格を強めて行ったわけです。
前述した武士道=戦闘員とするのを旧武士道とすれば、社会の変化
によって新武士道が生まれたのです。これを「士道」と言います。
江戸時代のイデオロギーとしての朱子学=儒教は、新しい武士に
農工商の3民を仁の心をもって治めるという役割を与えたのです。
つまり、官僚としての武士のあり方を規定したのです。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 11:22
江戸中期以降、武士=国家公務員という捉え方でよいと思われ
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 18:46
ちがうって。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 19:03
>55
なんの話しをしとるんだ?
あんたは。
58 :
白帯師範:2001/06/18(月) 19:33
>>55 武士道=公務員道か?
そりゃ、ちょっと違うだろが。
かりに今の社会にあてはめたとしたら、公務員のようなもの
ってことだろ。
まかり間違っても=ではないな。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 21:53
武士≒国家公務員ってのは一般のイメージとは違うな
でも実際はそんなもんだったのかな
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 21:55
>前述した武士道=戦闘員とするのを旧武士道とすれば、社会の変化
>によって新武士道が生まれたのです。これを「士道」と言います。
>江戸時代のイデオロギーとしての朱子学=儒教は、新しい武士に
>農工商の3民を仁の心をもって治めるという役割を与えたのです。
>つまり、官僚としての武士のあり方を規定したのです。
すると官僚道だったわけか?>儒教
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 21:57
儒教とは国を治める者の教え。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 22:03
あまり武士を美化するのもどうかな?
という気がしてきた
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 22:07
話しの焦点がずれてませんか?
武士道について語るスレだったと思うのですが。
64 :
59:2001/06/18(月) 22:11
武士の実態を知るのも武士道を理解するために必要と思われ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/18(月) 22:26
現代の公務員はごく一部を除いて他の国民と同格だが、
武士は特権階級、公務員であり政治家であり軍人。
その特権を保証する根拠の一つが主君の為に死ぬってこと
ではなかったのでしょうか。
66 :
64:2001/06/18(月) 22:29
でもその武士道が、江戸末期には結局お題目になっていたと思われます。
だからというのもおかしいですが、武士道、あまつさえ武道に精神性を
持ち込むのはどうかなと。人としての問題ではないかと思う。
67 :
65=66:2001/06/18(月) 22:31
すいません間違えました。65=66です。
64さんすいません。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/19(火) 00:20
このまえwowowで放送された「GHOST DOG」って映画の
主人公が武士道を愛する殺し屋で愛読書が葉隠れだった.
葉隠れの英訳がなんだかカッコよかった.
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/19(火) 00:35
五輪書じゃなかったっけ。
70 :
たれ:2001/06/28(木) 22:43
なんだそれ?
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/28(木) 22:54
ところで、やっぱり武士道って江戸時代に限定しなくちゃいけないの?
武士の心得って解釈だともっと時代をさかのぼれて面白そうなんだけど。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/28(木) 23:37
お城なんて役所なんだから武士なんているわけねーだろが。
NHKの見すぎ。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい:2001/06/28(木) 23:49
武士道とは死ぬことと見たり!
konnayatuinee baka
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
えっ死ぬ事なの・・・敵を作らない事だと理解してたんだけど