1 :
無知盲昧:
ここに来れば少しは分かると思ったけど、
未だネットで伝説の武人のことが語られていない気がします。
どうか諸君にお尋ね申し上げたい。
吉川英治の原作以外であるんでしょうか?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/08(日) 23:14
五輪書読め。別にバガボンドでもいいが。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/08(日) 23:58
当時から伝説の人なので永遠に伝説です。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:04
津本陽の『宮本武蔵』もなかなか狂っていてよい。
山田風太郎の『魔界転生』は最高!
原作とはかなり違うが、講談社漫画文庫で出ている石川賢の『魔界転生』も必読。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:12
この人って熱狂的なファンが多いよね。
謎めいたところが魅力なんですかね。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:15
でも、実際はけっこう寂しい人生だよね・・・・・・。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:17
武蔵のDSはいらない。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:26
>>8;
ワラタ。同感。
著者は忘れたが『二人の武蔵』というのも。
武蔵像は複数の人間の伝聞が合わさったモノ、という説
にはなんとなく肯けるものがあったな。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/09(月) 02:36
武蔵複数説はかなり有力。
司馬遼太郎が否定しているが
「剣だけではなく書や画に優れたような多才な人間が同時代に複数存在するとは思えない」
というのは、ちと説得力がない。
書の優れた武蔵と、画に秀でて吉岡一門と戦った武蔵と、佐々木小次郎と戦った武蔵がそれぞれいたなら問題ないし。
今現在、武蔵複数説は一人説より有力。少なくとも二人以上はいた。
11 :
語りべ:2001/04/10(火) 00:32
宮本武蔵は播州の田原一族の出身。
現代の兵庫県高砂市じゃ。
以前は吉川英治の小説の影響で岡山県の出生と考えられていたが、高砂市から沢山の古文書が発見されて、最近では高砂説が有力じゃ。
伊織も田原家の一族の一人じゃから、小説のように身寄りのない子供を養子にしたのじゃなく、親戚の子を養子にもらったのじゃ。
宮本無二は武蔵の養父じゃが、やはり田原の出身で、ようは一族郎党ということじゃ。
宮本無二は戦国時代に実手と刀を両手に持って戦い、手柄を挙げた侍じゃ。
この実手とは空手のサイの柄を長くしたような武器で、捕り物の十手とは全くちがう。
武蔵の死後、武蔵円明流の流祖も宮本武蔵○○と名乗っているし、後日、宮本武蔵を名乗った者は多いぞ。
どうも歳には勝てん。今日の話はこれぐらいにして。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/10(火) 03:41
何代かの中村団十郎を同一人物視するのと同じですかね。
ちとハズれ?
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/10(火) 04:25
>12
うーん、同時代に何人も武蔵がいた、という説だから違うんだよね。
宮本武蔵というのは、宮本村の武蔵ということ。
武蔵は色々な名前を名乗っていたと言われているけど、
実はこれは宮本村の別人が何人かいて、伝聞と記録がゴッチャになって
宮本武蔵という一人にされてしまっているという説。
実際、記録を照らし合わせていくとどうしても矛盾が出てくるし、
まあ、ニセモノ(あるいは同一人物と勝手に思われた)も多かったんじゃないかと。
それが後世、講談や芝居で剣豪にされ、
特に吉川英ジの小説で武蔵というキャラクターのイメージが固まった。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/10(火) 04:37
>>19;
時間と空間を越えて様々な時代の日本中の民話に登場する弘法大師を想起しました。
「………一宿一飯のお礼に杖で地面を叩いて泉が出たら全員弘法大師ですかい」って感じで。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/10(火) 04:38
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 00:36
亡くなったのは肥後大津で宜しかったでせうか?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 01:18
確かに亡くなったのは熊本のようですが、場所が肥後大津かどうかは
分からない。
確かに熊本の大津街道沿いの武蔵塚に墓はあるが、それは自分が死ん
だら参勤交代で通る街道沿いの墓で藩主をお守りするため、というよ
うな理由だったはず。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 01:49
もう神話の領域の人なんですね。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 01:56
まあ、武蔵と目される人物は確かにいたけど
それが全部同一人物であったというの説には根拠がない、ということです。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 01:58
いまはアナゴだしな…。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 02:12
>19
どの武蔵とどの武蔵が同じ人物であったのか?
俺の知り合いの武蔵オタにはいえんなあ・・・
バカボンドと吉川エイジの読んでの武蔵オタね。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 02:34
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 02:34
23さん言わないほうがいいよ。
武蔵ファンは熱狂的な人が多いから。
ムッキ〜〜〜〜〜〜〜って怒るね。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 02:40
まあ、宮本武蔵に関して言えば、まさに神話の領域に近い人だからね。
いろんな説が在るよ。
というか、佐々木小次郎に関する情報もいまいち不審な所が多いけどね。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 02:55
架空人物事典にも載ってるくらいだからね。>武蔵
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 05:14
NHKのドラマ見たんじゃないの?
つーか気のせいかも知れないけど宮本武蔵とか佐々木小次郎って名前がどうも芸名クサイんだよね。
なんで決闘の逸話が残ってんのかも疑問だし。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 05:34
芸名って…
せめてリングネームくらいの言い方があるんじゃないの?
だいたい宮本武蔵なんていくつも苗字や名前があるし。
そもそも本名なんて名乗ったものだからなあ。
親から呼ばれていた幼名とか通称とかは仮の名前だし。
まあ、百姓の倅ならアレだけどね。
特にすごく派手な名前でもないよ。大久保大和とか、松平伊豆っていうのも芸名っぽい?
でも佐々木小次郎は普通じゃない?
小次郎って名前が芸名っぽいっていうのは、小次郎ありきで名前のイメージがあるわけだし。
佐々木小次郎以前に小次郎って名前の人で著名人とかイメージってあった?
ちなみに君の名前書き込んでごらん。芸名っぽいかどうか判断してあげるよ。
すごーくありふれた名前だったりして。百姓の倅ちっくなアレか?
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 05:42
武蔵と小次郎の決闘以外にも
決闘の記録はいくらでも残っているけど…。
ナニが不思議なの?>>28
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 17:50
夢枕獏「大帝の剣」に出てくる武蔵が常軌を逸していて、
いかにも「キ●ガイ」のようでステキだ。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/11(水) 17:53
高岡英夫に師事されてる二天一流の正統継承者たる宮田和宏氏は
どうかな?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/13(金) 01:17
ポケモンにもいたな。ムサシ・コジロー
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/14(土) 09:40
age
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/17(火) 23:01
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/18(水) 04:20
いろんな武蔵があるけど『十六武藏』(えとう乱星、廣済堂文庫)543円+税
なんてのもあるよ。
小次郎の仇敵を討つ!!
巌流剣士と武蔵の三十年に及ぶ死闘が始まる
慶長17年4月13日。関門海峡に浮かぶ小島「船島」に於て、巌流・佐々
木小次郎と播州牢人・宮本武蔵の試合が行われた。
小倉細川藩主の厳命で、勝者を藩の剣法指南役に推挙するというもの
だった。
結果、小次郎が敗れ、九州一円から巌流の流儀が消えようとしていた。
後日、遺族や弟子達は、師・小次郎の死は、藩と武蔵の策謀だと悟るや、
仇敵武蔵討つべし!!と立ち上がった。新進気鋭が新たな武蔵を描く。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/18(水) 17:32
吉岡一門との一連の闘いって
結局のところ歴史上の事実として認識しといていいの?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/19(木) 00:13
巻き物=雑誌
39 :
名無しの権兵衛:2001/04/19(木) 16:06
そう言う経緯があった可能性があるんだ、、
初めて知りました。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/19(木) 16:15
41 :
おっぺんあるつはいまー:2001/04/19(木) 18:01
>>37;
吉岡一門はあの事件があったといわれる時代より後も道場経営していることや
人物の名前などが史実に合わない事から創作もしくは妄想と思われ。
つーより第三者による宮本武蔵の試合の記録は巌流島ぐらいだったような気が。
間違ってるかもしれないけど。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/19(木) 23:53
巌流島のとき佐々木小次郎はかなりのご老体だったといわれ、
これなら勝てるということで、武蔵がセコイ勝負に挑んだという説もある。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/19(木) 23:56
映画だとどんなものがありますか?
44 :
samurai:2001/04/20(金) 02:23
五輪書って誰が書いたんですか?もし複数の武蔵がいたとすると...
>>44;
高岡英夫、長野峻也、TanTan、heno、石○の
5大電波が共鳴しあって書かれたのれす(w
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/20(金) 04:13
五輪書はたぶんあの坊主が書いたんだろ。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/20(金) 04:49
>>41;
>人物の名前などが史実に合わない事から創作もしくは妄想と思われ。
お前さん、妄想で片付けるか。ノンフィクションでもあるまいに。
「吉川栄治の宮本武蔵」でいいじゃねぇかよ。
実際、自殺を決意してた京都の画家が決行しようと決めてた日の朝、当時連載
されてた新聞を読んで自殺を思い留まった、ってな事もあったわけだし。
一巻の冒頭(だったか?)に書いてあった様な。
それになんだい、「思われ。」つーのは?
48 :
samurai:2001/04/23(月) 11:49
では五輪書はフィクションだったんですか?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/23(月) 11:51
五輪書を書いた武蔵は一人だろ。
武蔵の養子でまんま宮本武蔵を名乗った人もいたようだし、
そういう同姓同名が沢山いたという話なんじゃないの?
50 :
samurai:2001/04/23(月) 13:59
ではその中の一人の宮本武蔵が書いたって事なんですかねー?なんかかなり混乱し
てます...。
>>50;
五輪の書を書いたり有名な自画像を書いたり剣術の達人として有名だったりしたのは
皆同じ武蔵なので気にしないでいいですよ。
52 :
samurai:2001/04/24(火) 00:04
では五輪書は剣の達人宮本武蔵が書いた本なのですよね?あの書は自分の愛読書な
もので、もし宮本武蔵が書いたのではないとなるとかなりショックなのです...。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 00:07
同じ剣豪でも、風呂に全然入らない臭い武蔵と清潔な武蔵がいたらしい
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 00:37
オレが聞いた話だと巌流島に行く時小次郎より長い武器なら勝てると思い
長い木刀を作ってさらに部下を何人か隠れさせ、戦いに集中している小次郎に
飛びかからせ身動きできない間にとどめを刺したって聞いた。
宮本武蔵は兵法家で剣術家ではないのでいかに相手より有利な立場になって
倒すかが問題なので卑怯とかではないらしい。
>>54;
ん?たしか、試合後にまだ息のあった小次郎を、武蔵が帰って
からそれまで隠れていた門弟が打ち殺したのでは?
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 01:42
なんか決闘っていうのが兵法としてそもそも変だしね。
単に殺すことが目的なら他に安全策はたくさんあるし、剣術を競うのなら
船のカイっていうのもそもそも変な話しだ。読み物としては気がきいた話しだとは
思うけど。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 03:30
宮本武蔵って実在したの?
58 :
musashi:2001/04/24(火) 12:50
このスレは実におもしろい!みんなドンドン書き込もう!
59 :
abc:2001/04/24(火) 13:06
武蔵と小次郎は生きていた年代が少しずれているらしいよ。、
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/24(火) 13:11
佐々木小次郎の方が年配だというのは聞いたことがある。
何で悪役に抜擢されたかというと、長い刀を使う所がダメな居合を連想させたからなのかも知れないね。
全盛期かそれをやや過ぎた位の武蔵と既に老境に入り、
普通なら引退している筈の小次郎が試合をした、という
のが細川藩による謀殺の証拠だという説もあるみたいで
すね。
なるほどね。ただの暗殺者かお人よしの武芸者だった武蔵を持ち上げる所が
ピカレスク・ロマン仕立てだって事だね。
63 :
真聖体流:2001/04/24(火) 18:57
武蔵か・・・夢を与えてくれたことでイイ〜
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/25(水) 00:33
>>51;
それの根拠ってなんなの?
実は絵と五輪の書でも書体がかなり違うものがある
ということが指摘されている。
さらに言えば、それが剣の達人の武蔵が書いたものだという証拠にもならない。
知ったかぶりはやめよう。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/25(水) 22:56
ところで宮本武蔵って墓あるの?
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/04/25(水) 23:16
絵はどこで習ったんでしょうか?
センスは別として筆を使い分けているのであれは習わない限りわかりません。その時間はいったいどこで作ったのでしょうか?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/05(土) 02:43
アゲ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/06(日) 01:11
京都の太秦で武蔵の変装をして園内を歩いていたら、
何故かガマの油売りと間違えられました。(藁
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/11(金) 00:38
age
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/11(金) 01:01
武蔵は性欲を克服するために、農民の娘をさらってきて、犯しまくる。
そして娘を吊し、やがて娘が糞を漏らすところを見て、女とは糞袋である。
と、考え性欲を克服した・・・
って、夢枕獏が書いてたけど。
ただの強姦魔ですね。
俺もやりたいけど。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/05/11(金) 01:15
夢枕は女と格闘技にコンプレックスありと見た
72 :
ななしさん:2001/05/23(水) 21:16
人を待たすのは作戦?卑怯?
74 :
幻の蹴り:
どうやら、宮本武蔵と佐々木小次郎との決闘はなかったというのが真実のようです。
小次郎は、武蔵と戦う寸前に病にかかり死んでしまった。