1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
私は極真歴そろそろ10年の者です。
試合に出ることもきつい年齢になってきましたが、極真の場合、伝統派と違って、形を熱心にやる人はほとんどいません。
伝統派の同世代の友人達と一緒に稽古すると、彼らの形のうまさには正直羨望を覚えたりします。
私たちの場合、支部長クラスの方でも、正直、形は伝統派の黒帯以下だと思います。
しかし、形というものが空手の実際の強さと結びつくとも思えないのです。
そういうわけで、伝統派のみなさん、形が組み手に結びつくかどうか、教えていただけないでしょうか。
「武道の原点」(合気ニュース刊)を読む。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 15:11
今更こういう古典的な質問されてもねえ。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 19:34
伝統派、フルコン派それぞれで発展していけばいいと思います。
ただ、沖縄から(中国から)伝わった精神まで失ってしまったら
それはもう、空手では無くなると思います。
よく空手は「君子の武術」といわれます。これは、空手を学ぶと君子になる
と言う意味ではなく、空手を学ぶのは君子に限ると言う意味です。
武道は精神の修養もかねていると思います。入門したばかりのものが
少々乱暴者でも、時がたつにつれて人として完成されなければならないと思います。
強さを求めるのは人の必然ですが、いまのフルコン系の方には武道を学ぶことで
傲慢になり、面子にこだわり、保守的で排他的になる人が多くなっているように
思えます。(すべてがそうではないですが。)
強さにこだわるよりも大きな人間になることの方が大切なんではないでしょうか?
以上、私見ではありますが。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 23:45
私が考えるに基本技自体すべてが型です。
6 :
ψ(*^∀^)ψ:2000/11/24(金) 23:47
形がすべてだろう!!形無くして武道とよばず。すべての源と化す。
7 :
真夜中の空手修行家:2000/11/25(土) 00:25
形じゃなくて「型」です。
8 :
>1:2000/11/25(土) 00:34
もう口すっぱくなっているけど、もう一度問う。
(実際の強さ)ってなに?
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 00:42
いえ、決して批判のつもりではないけれど一言だけ
言わせてもらいます。
型うんぬん以前に、極真でやっていることはスポーツであって、
武道ではないと思っています。
ルールの中での競技ですから。
そうであればあえて型をやる必要もないのでは?
10 :
名無しさん@空手"マスター":2000/11/25(土) 00:51
伝統空手を20年やってますが、このまえ親父狩りにあい
鼻骨骨折させられました。
若者には私の突きがかすりもしませんでした。
はっきり落ち込んでます。
もう空手をやめようかと思ってます。
11 :
名無しさん@空手"マスター":2000/11/25(土) 00:54
型稽古を中心に練習して、俺も相当強くなったとおもっていたのですが
とんだ勘違いでした。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 00:56
>「名無しさん@空手"マスター" 」氏
めげないでがんばって下さい!
13 :
>10:2000/11/25(土) 01:02
怪我をされたのはお気の毒だとは思いますが、
その書き方では読む人に伝統空手の型稽古が
役に立たないような印象を与えます。
14 :
ai:2000/11/25(土) 01:05
私の師匠は型は30年やってやっと使えるようになるといつも言っています。
15 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/25(土) 01:12
黒田先生に型の講義をしてもらっては?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 01:19
「型通りに動けない」または「型通りに動こうとすると間に合わない」ということを
自覚し解決することで技術の向上を図るのが型である、てところかなあ。
>>10さんはそういう稽古してましたか?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 01:24
漫然と型を稽古するのでなく、それを実際動くときにどう活かせるのかを考える
ことが必要では?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 01:37
>>16 >「型通りに動けない」または「型通りに動こうとすると間に合わない」ということを
>自覚し解決することで技術の向上を図るのが型である、
うーん、なんて哲学的なんだ。
型でもなんでもそうだと思うんだけど,
「知る」「理解する」「使える」「反射的に出る」
の段階を踏まなきゃ分かったとは言えないんじゃないかな?
20 :
16:2000/11/25(土) 01:41
>「型通りに動けない」または「型通りに動こうとすると間に合わない」
頭に「自分(の体)が」を付けるの忘れた。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 01:45
要するに>1も>10も空手厨房てことね。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 01:55
おまえらダメだなぁ。。
型を憶えてそれを組手で一旦忘れさるところから技が生まれるんだよ。
上達するということはその突き合せと繰り返しなんだよ。想像力なさすぎ。
「型通りに動こうとすると間に合わない」<ププッ
23 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/25(土) 02:02
「間に合わない」って言葉の意味が解らない様だなあ。
>型を憶えてそれを組手で一旦忘れさるところから技が生まれるんだよ
アナタがやってるのは只の暴力ですね?ハイハイ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:03
540 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/11(土) 17:51
型の実戦性についてですが
まずはじめに言っておくと
現在私たちが知ってる型の多くは
空手が日本本土に入ってくる以前に体育用に改変されたものです。
金的蹴りや目突きのような
実戦的なしかし反社会的な技は省略され
ひとつひとつの動きを不必要に大きく見映えよくしたのです。
そういう意味では現在の型は非実戦的といえるでしょう。
もっと正確に言うと「意図的に非実戦的に改変された」型なのです。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:04
541 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/11(土) 17:52
しかし、そのことを差し引いても
型の中には実戦的な技法がまだ残っていることは強調しておきます。
「型が実戦では使えない。」という人は
単独で行う型は表面だけ見てもよく意味の分からないところが多いので
使い方に気がついてないだけです。
ただしこの場合の実戦的な技法というのは
試合用のテクニックではなくむしろ護身術的なテクニックですが。
(そういう意味では「型は試合には使えない」というのはやや当たっているかも)
>>24 しかし技の要素をしっかり理解できれば非常に有効だと思う
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:04
542 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/11(土) 17:52
型に含まれた実戦的な技法の具体的な例については文章では説明しにくいので
フルコンタクトKARATE96年6月号を御覧下さい。
この号では極真の松井館長が型や基本の実戦性について実演しています。
(12〜15頁)
また型や基本の実戦性について語る松井館長の見識の深さには正直、感嘆しました。
(伝統派でもこれほど深い見識を持った方は少ないのでは)
松井館長曰く、「型が一番実戦的だ」
ちなみに極真の型は伝統的な松涛館系プラス剛柔流の型ですね。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:05
543 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/11(土) 17:53
あと月刊空手道95年10月号にも
アメリカでセルフディフェンスを教える空手家(伝統、フルコン、硬式を経験)
のセルフディフェンステクニック(空手の基本や型の中にあるものの応用)が
特集されています。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:16
以上
>>24 >>25 >>27 >>28は
別スレにおける
「型は無意味」と主張するフルコン修行者に対するレス
のコピペでした。
(だからわざわざフルコン空手家の中で型に造詣の深い松井氏を
引き合いに出したわけ)
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:18
>>26さん
同感ですよ〜
by24=25=27=28
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:20
雲手という体育用の型には実は金玉をつかみ上げる技がそのまま入っている。。
32 :
ψ(*^∀^)ψ:2000/11/25(土) 02:20
形がなければ、ただの暴力じゃん
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:25
他にも体育用の型には両サイド2人の人間に羽交い締めにされた時に
同時に殴る方法や、髪の毛掴んで両目をつぶす技も入っている。
ちょっと考えればわかること。。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:25
15=23さん?
>「間に合わない」って言葉の意味が解らない様だなあ。
そうですね。どうやら「役に立たない」と取ったみたいです。
「(現時点で自分が)型が要求する身のこなしが出来ず、結果として相手の攻撃に対応できない」が
真意ですね。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:29
使える型なんてそこらじゅうにあります。
スパーリングでよく使う動きがあったらそれが
あなたの型なんです。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 02:34
型を否定する空手流派は嫌いです。
37 :
残心:2000/11/25(土) 02:36
技術書に書き切れないことや口伝できないことを先人は型に込めたんだと思う。
38 :
名無しさん@空手"マスター":2000/11/25(土) 03:26
皆さんありがとうございます。
これからも精進を続けていきます。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 05:51
シンクロナイズド型じゃ意味ないですよ
きれいな型より
どういった意味があるか練習しながら考えなきゃ
よって団体型は全く意味なし
40 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/11/25(土) 12:00
1さん>私も、極真、顔面系武道合わせて十数年経験者して、現在、型を中心に総合的に
いろいろやる古武道をやっています。ただ、練習形態が、一人でやる形態もあるのですが、
組んで練習する型が多く、また、一時期極真等と平行して稽古してたときの経験より言葉
にしにくいのですがそれでも言わせていただくと、極真ルール中の組手でもアニメのよう
には行きませんが、技の見切り、出入り、読みが変わり、独特の柔らかさが出て嫌だといわ
れたことがあり、いろいろ変化が出て驚いたことがあります。古武道のK先生の「だめなこと
はいくらやってもだめ」ではありませんが、意味のある型をやれば、十分実戦的と言えるの
ではないでしょうか。
ただ、私には空手等でおこなわれる単独型に関しては、十分練習したことがありませんので、いろいろ
言うことは出来ません。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 14:48
>古武道のK先生の「だめなこと
はいくらやってもだめ」
私がやってるのは、空手でもK先生のものでもありませんが、このことばの重要さは身にしみてわかります。型によって通常の人間にはできない動きがはじめてできるようになります。K先生のいわれる最速の動きも、理解できます。通常の人間の動く速さがいかにはかないものであるかもわかってきました。
最速の動きにより、「いっさい攻撃をくらうことなく勝つ」は、可能な世界のように思えてきました。
そして、最速の次元に到達した者どうしは、「手をまじえなくとも相手の力量がわかる」ということになってきます。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/25(土) 14:55
型のシステムに関して
日本式の組型主、単独型従>>>>中国式の単独型主、組型従
だと思うんですが、どうですか?
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/26(日) 03:14
南郷継正氏の「武道の理論」を読みなさい。
型を単なる実戦のひな型と捉えるのではなくそれを通した上達論が書いてあります
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/26(日) 16:50
私は、型稽古の目的を水泳の泳法にたとえてみると、その概念がわかりやすいと思います。通常の人間の動きはいわば「犬かき」。どんなにトレーニングして筋力、体力、根性をつけても、「犬かき」は「犬かき」なわけです。
型によって得られる動きは「クロール」(=人間がもっとも速く泳げる泳法)。K先生のいわれる「最速の動き」とはそのようなものだと理解しています。しかし、犬の肉体のままではどんなに努力しても「犬かき」しかできないのです。そこで型稽古によって「クロール」ができる肉体そのものをつくりあげなければならないわけです。要は、足があがらなけりゃ、上段回し蹴りができないのといっしょですね。
徹底した型の修練によって、現実にそのような動きが人間に可能であること、通常では考えられないような身体運用法があるということがわかってきます。それは立つ姿、歩く姿にもあらわれてくる。だから「手をまじえずともどちらが強いかわかる」という話になってきます。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/28(火) 00:27
役に立つ!!
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 00:20
朝に立つ!!
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 00:44
型は真剣型という意味だと思う。
型にはまることで真剣型の動きをマスターするものだと思う。
真剣型はその流派の極意型だろうな。
真剣型ほど実戦で役に立つものはない。
理屈っぽくてごめんね
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 00:58
シャドーをしないボクサーはいません。かといって、シャドーだけで、
スパーをしないボクサーもいません。シャドーで練習した動きを、
動いて攻撃してくる相手に練習するのがスパーだと解釈しています。
空手の型と組手の関係は、ボクシングのシャドーとスパーのような
ものではないのでしょうか?
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 01:00
相手を想定してやるのが型であって相手がいるのが乱取りであり組み手と
言われるものでしょう。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/30(木) 01:22
「型」の意味って何なんですか?結局「型」の何が分かったら「理解」したことになり
「使えた」といえるんでしょうか?なんかある人は空手の型は棒術知らないと分からないと
言ってましたが…
>>50 型の中の各要素をまず分解し,理解する.
その後スパーリングのように相手を想定し,繰り返し繰り返し反復練習を
する.その結果ある種の刺激(攻撃等)に対し,反射的に動作が出来るようになる.
要は体に染みこます,あるいは覚えさせるってことが使えたって事でしょう.
例えば,空手をやり込んでいる人がパンチを放つと,ボクサーのそれとは違う「正拳突き」
になる.これも体が覚えていて,反射的にそうなる訳.
良い悪いではなくて,型は理想的な技のエッセンスの凝縮だと思う.
52 :
>50:2000/11/30(木) 03:09
『型』の『姿勢』がわかれば『理解』したことになり空手が『使えた』こととなります。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/01(金) 02:07
age
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/02(土) 00:56
これでおわり?
55 :
ナンバ野郎:2000/12/02(土) 02:37
私は古武術を齧ってるものです。
門外漢なので的外れなこと言ってるかもしれませんが、まずはご容赦を。
私は、型には主題があると思うのです。
「型」であるならば目的としているものは全て同じなのか、といったら、そうではないはず。
「型」が複数用意されているということは、それぞれに目的別、段階別等、主眼とするものが異なっているのだろうと思います。
(当然、一つの型だからといって主眼が一つであるとも限らないと思いますし、
同じ型であっても段階毎に要求が違ってくるというものもあると思います)
もうひとつ、型を構成する要素についてですが、構成要素(おそらく空手なら突き、蹴り等でしょう)と、
それら個々の構成要素を繋ぐ体の使い方(運足、体さばき等だと思いますが)との関連にも意味があるのではないかと思います。
確かに個々の突き、蹴りの動作を反復練習することは重要なことだと思います。しかし「型」は単なる構成要素の寄せ集めではないはず。
では、「型」の中では何故それらをある「流れ」で結び付けているのか?なぜひたすら突きと蹴りを連続させるだけではないのか?
その流れも、型によって複数のものが存在していると思います。
「この動作」と「この動作」を繋ぐ動きにどういう意味があるのか?なぜその順番なのか?
さらにそれが次の「この動作」に移行することにどういう意味があるのか?
これらの答えは各人が考え自得するしかないと思います。
文武両道と言いますが、「文」と「武」は2つで1つの道であると思います。
暴力は頭を使わなくてもできるが、武は頭を使わなければ絶対に上達するものではないと思います。
空手の歴史の中では、生まれつき体力に優れた人間、運動神経の優れた人間もいたでしょうが、それも歳とともに衰えていったことと思います。
それを何によってどう補ったのか。代々の先人達がその答えを伝えるものがあるとしたら、それは「型」に込められているのではないかと思います。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/02(土) 23:16
型なんて役にたつわけねーだろ!!
アホ
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/02(土) 23:26
強気だね〜
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/03(日) 02:54
でもほとんどの初心者は型は必要ないといいます。
高段者、特に現役が終った人が型の必要性を
つらつらと述べると言うのが良くあるパターン。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/03(日) 03:00
56はオタ、氏ね、ウザイ
まぁ、若いうちはガンガンやりましょうや皆さん
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/04(月) 16:42
本当は日本剣道型もちゃんとやれば違うんだけどね・・・・
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/04(月) 23:11
人がつくるものはすべて型です。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/04(月) 23:21
型が役に立たないだと
南郷継正氏の「武道の理論」をよめ
脳無し厨房
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/04(月) 23:38
型は体の流れと変化を学ぶためにあるのです。
むかしは練習体系が確立していませんでしたし、今では同等もしくは
それ以上の練習方法があるので特にやらなくても問題ありません
これはあくまでも空手の話ですが、今でこそ道場での合同稽古が中心
ですが、むかしは単独の個人稽古が主流でしたし、サンドバッグなどの
流動型の練習器具を使っていなかったためそのような体系を取っていた
ものと思われます。
まあ過去の遺産として大切にするのも先人に対しての
供養になっていいかもしれません
65 :
40:2000/12/04(月) 23:43
武術の世界においても、型ってある種身体芸伝承の世界なんだよね、師の体言する教
えを、弟子は全身全霊で学習する部分があるから、非常に言葉にしにくいし、かえって
言葉にすると受け取る側のその時点のレベルにおいての固定概念ができて上達の障害に
なったり、また、受け取る側の能力等もあるし難しいんだよね。
66 :
40:2000/12/05(火) 09:33
型って、長い間に研究された先人の知恵やあらゆる物を含んだ奥行きのある上達
システムを教える側、受け取る側の能力もあるけど、感覚的、無意識的に伝え学習
し、武術の身体及び精神的な根本的部分を向上させるものだと思うんだよね、だから
あっとゆうまに形骸化するし、きちんとした先生につかないと怖い部分もあるんだよね。
人間て、くだらないことほど学習しやすいから。
だから、凄い動きが出来る人を見ていると他の伝統芸能の人もそうだけど、
言葉にすることを嫌ったり、嫌がったりするよね。
ただ、現在は、身体で見て、全身で学習する能力がなくなってきているから
黒田氏のように、ずいぶん苦労したらしいけどなんとか理論で伝えようとし
ている人もいるよね。まあ、その点甲野氏はどちらかといえば創造武道と
いえる人だけどうまいと思うんだよね。
まとまりのない文章を書きました読みずらかったらごめん。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/05(火) 17:35
age
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/06(水) 15:22
型が役に立つか、立たないか
そこまで稽古した人が云っているんですよね。
型が何に役立つのでしょうか?
実戦なんて馬鹿な事を云わないで下さいよ。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/06(水) 17:27
日本剣道型をやりこんでいる人は小太刀でおもいっきり打ってくる木刀をホントにフワッといなしたり、三本目とおなじシノギかたを使えば合気みたいに相手の木刀を自分の木刀にくっつけて相手をくずせる・・・っていってもしんじねーんだろうな(苦笑)
でもやられたんだよ。
柔道とか空手の型の話はでても剣道の話がでないから剣道の話でしたー
他の剣道型の意味はわからんし、前述ほどの威力のものをつかった人みたことないが
70 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/07(木) 01:58
>69
もっと知りたい
71 :
タテケン:2000/12/07(木) 16:53
私が素人目に見た限りは、空手や古武術の型って、
1.武術を行うための身体作りとしての型
2.技を練る、つまり技が自然と出るようになるスキルを上げるための型
3.実際の戦いをシュミレーションした型
と大きく3つ分類できるように思うのですが、どうなんでしょう?。
もちろん、1と2、3と1と色々と混ざりあっているとは思うのですが・・・。
72 :
69:2000/12/07(木) 17:13
>>70 もっと知りたいって・・・・うちはふつーの剣道道場だよ。市が主催の連盟っすからレベルも高くないし
ただ、審査がなくても毎回、型やっている。
小太刀のほうはある日、友人が『あ、わかった』というとどんなに強く打っても暖簾に腕押しになった
剣道三本目のほうは七段の先生が合宿でみせてくれた。
俺が突いてきた木刀を先生がイナした途端に足からねごそぎやられるように崩されて前のめりに。
見ていたヒト達は気がついていないようだけど。
普通にいなすのと違って後ろに下がりながらいったん木刀を前に突き出して楕円形を書くように腰にむかって引きつけるようにイナしていたなぁ。
今まで『受ける』と思っていた動きが違っていたからちょっと印象的
今思うと太極拳のような使い方だったのかも。
直感だけど両方とも腕だけじゃなくて腕を通して腰の作用と円か楕円形などの捻じれの動きで崩していたのかも
って他の武道じゃ当たり前か?(苦笑)
でも前にも書いたように他の型で特別な効果を生み出すヒトは他にはいなかったよ。
ってか、こういうのって見かけだけ真似してもホントの遣り方わからんとやっても意味ないんだろうね・・・たまたまこの人達がその型だけできるんだもん。偶然、きがついたんだろうねぇ。
当たり前だったらごめんなさーい。
ちなみに三本目がそのセンセのようにつかえると相手が崩れて前のめりになってきたところに突きが入るから相手が勝手に自分の剣に胸から突っ込んでくる。型通りやると水月にモロ。ホントにつかえたら必殺技だねー。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/07(木) 18:46
>>71 1.についてですが、ちょっと言葉が違っていて
体を練るための、と言うことがあります。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/07(木) 18:55
日本剣術は完成されているから
練り上げられた形を持ってるん
じゃないのですか?剣の操作には
役立つけど拳の操作ではどうです
か?
75 :
69:2000/12/07(木) 21:54
実は小太刀の使い方は八光捕とか、少林寺拳法の鍵手と似たところがあるとおもうんだけど・・・これらって徒手技だね?
あと、さっき言ったように三本目は太極拳ににているかもしれない。合気というより『化剄』・・・っていうか、これがホントの伝統的な『イナシ』ってやつの断片?
合気道の技もそうだけど武器を使っても徒手でも相手に技を効かせるってことは相手が武器を掴んでいようが、こちらの手首つかんでいよーが効くってことだよね。つまり掴んでいる場所、つかまれている場所より体の中央に近い場所の作用で技とかって決まるんじゃないのかな?
最近、肩と腰と正面と膝、足の親指は意識してそう考えながら剣道の型やっています。
徒手格闘技にも還元されるよん、武器術は。その逆もしかり
言い古された言葉だけどね。
PS。そういえばうちの会長と地稽古するときに打とうと竹刀を上げようとする瞬間(実際にはあげていない。)、竹刀を乗せられると力がかえってきて膝に効くけどこれって中国武術の徒手で似たようなモンなかった?
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/07(木) 22:06
つーか、型って徒手と武器の両方やるところってどういうところありますか?
合気道、空手、少林寺、古流と・・・・
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/08(金) 15:46
ageagehanage
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/08(金) 23:30
age
79 :
181:2000/12/08(金) 23:32
age
80 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/09(土) 16:44
みんな、もう飽きたのかぁ〜い?
81 :
さかな:2000/12/09(土) 18:18
「実戦空手に型不要」と言う言葉を聞いた時がありますが
正しくは「スポーツ空手に型不要」と言う事でしょうね。
例えば簡単な「十字型」の応用は無限に有ります。
前足を軸にして、体を90度ずつずらしていく簡単な型ですけど
十字型の捌きから攻撃、攻撃から捌きの一連の動きは
その一連の動きをもう一段深く考える為の足掛かりになるのではないでしょうか。
さらに十字型を目線、呼吸までこだわってやってみると
結構奥が深いと思いますが、どうでしょうね。
簡単と言われる十字型ですらこれほど難しいのですから
空手家にとって「型」は生涯を賭けて取り組んでいくものでは
ないでしょうか?
乱文失礼しました。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 19:26
でも組手をやらずに型だけを練習しても、その型に隠された技の意味
には気づかないだろうね。仮に先生に教えてもらえてもあんまり理解
できないんじゃないかな。
競技組手の技をろくに使いこなせない奴が型ばかり練習しても強くは
ならんでしょう。
こんなのガイシュツ? というかほとんどの人はわかってるんだよね。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 19:49
>>81 型は技術と肉体の訓練でしかなくそこには戦術が含まれない
戦術は場合によって左右されるが、型は左右されない
戦術は技術ではない経験と状況判断である
型からは状況判断は学べない
戦う事を前提とするなら型を過大評価することは弊害にしかならない
あくまでも両輪の輪の片面としてなら深く同意できる
そうゆう考えがある事自体は否定しないし
逆に型にこだわらない考えがあってもいいと思う
一概にスポーツとくくってしまうのはあまり感心しない
大切なのは型を奥義と勘違いしないことだね
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 19:55
俺も型は馬鹿にしてましたが型ではバランスとインナーマッスルその他の細かい筋肉が鍛えられる上
その動きに馴れれば実戦での無駄な動きも少なくなると分かってきました。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 20:27
>型からは状況判断は学べない
経験からするとかなり学べるはずですが。。要はイメージをどれだけ豊富に持てるかということです。
組手も所詮オタク同士のお約束の空間、日常生活からするとかなり異質な型でしかないことをお忘れなく。。ナベ一個で状況は変わります。型を否定するものは空手をやる資格なし。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 21:15
>85
反論するのは面倒なので簡単に述べます
83を始めから最後まで噛みしめて読み返して下さい
あなたへの反論がすべて書いています
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 21:37
まぁ両方必要ということだね。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/09(土) 22:58
自分が正しい、相手ダメ、なんておもっちゃだめよん。
流派や個人によっていくらでも差があるんだから
だってよ、中国と日本じゃ型の概念ちゃうでしょ?
剣道と柔道、空手の概念ちがうでしょ?
さらにいろいろあるよね
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 01:13
すみませんが「実戦」とは何ですか?
殺し合いなら型も何も要らないし
いざと言う時の護身なら逃げ足鍛えた方が
さて、皆さんの実戦は?
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 01:42
>>89 武道やってる人にとって切り離す事の出来ない永遠のテーマだから
それを答えられる人はいないよ、武道の存在意義だもん
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 03:37
>殺し合いなら型も何も要らないし
なんで?
92 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/10(日) 04:37
余計な話だが
>いざと言う時の護身なら逃げ足鍛えた方が
いざというとき、逃げればいい、ってみんな いうけど大変だよね・・・・背中見せた途端何か投げられるかもしれんし、すでに袋小路においつめられた後かもしれんし。
こういうときこそ、いざというときだとおもうんだが
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 16:07
>>92 それ言い出したら議論の袋小路にはまるぞ
実戦論から喧嘩論・戦争論・武道論・人格論・宗教論へと
話が永遠に広がりながら終わらない正真正銘の無限連鎖にはまる
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 20:33
「議論が発散する」という便利な言葉がありますよ。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 21:37
30年立たないと型は使えないと言いながら教える先生は使えない29年間に
起きることに責任を持てない詭弁先生
96 :
名無しさん極真空手です!!:2000/12/10(日) 21:40
型をしてこそ真の武道が見えてきます。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 21:42
「実戦」はどうでもイイけど
小競り合いの喧嘩程度なら型なんて
やんなくてもイイんじゃないの
そこんとこどうよ?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 21:46
>>96 型は表札みたいなもんなんだ
教えてくれてアリガトウ
99 :
名無しさん極真空手です!!:2000/12/10(日) 21:51
素人の場合、喧嘩のときのような瞬間的な動作で空手技を使うことは、ほぼ不可能
です。しかし、空手の型を体に染み込ませておくと、実戦でも型がつかえるようになります。
100 :
名無しさん極真空手です!!:2000/12/10(日) 21:54
さあ、そろそろK−1グランプリin東京が8チャンネルで始まりますよ
10じ〜12じまで
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 22:10
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 22:29
技のための型じゃないの?
103 :
102:2000/12/10(日) 22:31
実戦のために技があって
技の為に型があるものだといままで思ってたよ
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 22:40
型は一つの訓練体系で技そのものじゃない
型をそのまま喧嘩などで使うことはないでしょ
105 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/10(日) 23:07
71の方がいいこといっていましたよねー。
>私が素人目に見た限りは、空手や古武術の型って、
>1.武術を行うための身体作りとしての型
>2.技を練る、つまり技が自然と出るようになる
>スキルを上げるための型
>3.実際の戦いをシュミレーションした型
>と大きく3つ分類できるように思うのですが、
>どうなんでしょう?。
>もちろん、1と2、3と1と色々と混ざりあっているとは
>思うのですが・・・。
私なんかは1の考えが強いですね。ここでは皆さんの見る視点が違うので論点がずれているのかと。
102=103さんは「2.技を練る、つまり技が自然と出るようになるスキルを上げるための型 」
104さんは「1.武術を行うための身体作りとしての型 」
という考えかたのような気がしますが
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 23:27
全部含むと思うよ。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 00:12
俺もそれなりに全部含んでると思う
ここでカキコしてる人は型の重要性を熱く語るあまり
「実戦で型をそのままでも使える」的な意見に偏向してると思う
というよりそういってる様に感じる
俺はただ「バランスよくネ」っていってるだけ
実際はたぶんみんな表現が違うだけで大して考え方は違わないと思うよ
108 :
さかな:2000/12/11(月) 19:12
>83様
すみません、言葉足らずでした。
あくまで、それは組み手などをある程度やって
一定のレベルにまでなってからの話です。
簡単な動作の繰り返しである「十字型」を引き合いに出したのは
軸足を中心として回り込むと言う我々が本能的にやっている動作を
さらにそこから高度な「技術」(回り込んでからのコンビネーション等)
として昇華させる為の足掛かりとしての題材、と言う意味で
私が思っていた事を書いてしまいました。
もちろん、私も型だけやっていれば強くなる!などと寝言は言いません。
が、ただ「型には戦術が含まれない」と言う貴方の言葉には同意しかねます。
「戦術」と言う言葉が何を意味しているのか・・・・・
>>戦術は場合によって左右されるが、型は左右されない <<
型はあくまで体の使い方の基本であり、その応用は沢山あると思うのですが・・
>大切なのは型を奥義と勘違いしないことだね。<
奥義と言うものは存在しないと思っています。
師から言われた言葉として
「奥義と言うものが有るとすればそれは基本稽古であり、
移動稽古であり、正しい立ち方の中にある。
どれも短期間で覚えられる物など無く
それは永遠とも思う反復練習のなかで自然と体に染み付くモノであり
頭で理解してどうした、というものではない」と言う物でした。
当たり前のような言葉ですが皆さんはどう思うでしょうね。
長文失礼しました。
>>108 習っているのは中国武術(太極拳・形意拳)だけど、違う考え方もあるってことで。
まず、バランスが大事ってとこまでは同意します。
中国武術の場合は、まず型で体を練って中国武術の体にして
それから形を教え、しかるのちにその使い方、次は限定した対人練習
それを過ぎてはじめて対人の自由な稽古(組手に相当)になるという
段階を踏む。
で、中国武術の場合は、型(套路)の用法で戦術も教える。
このやり方だと、想像できると思うが、時間がかかる。
だから、太極拳の一年目の人だと、空手一年目の人には勝てない可能性が
高い。体を作っていてまだ技を使えない段階だからだ。
で、この段階でやめちまう根性なしが実に多いんだ。困ったことに。
だから中国武術は弱いとか言われちまうんだが。
その代わり、型(套路)の通りの動き方、戦い方が身に付くという
メリットがある。より、型を大切にした方法やね。
もちろん、習っただけでは使えないから、最後には自分で理解しないと
いけないんだけどね。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/12(火) 23:10
でも型が形(かたち)だけで終っている人、満足している人って少なくないよね・・・
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/13(水) 03:00
>>109 補足。
ついでに言うと、ここまでやっても発勁できないと、やはり使えない。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/13(水) 03:10
形は、その一部を使うんです。全部なんて、つかってる暇ないでしょう。
だから、調整能力がいるんです。一部をつかう。
極真の方で、研究熱心ですね。がんばってください。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/13(水) 03:26
人それぞれ使いやすい技があるんだから。かかと落としも得意な人そうじゃない人
いるでしょ?最後は自分で選んでしまうと思う。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 13:05
個人的な意見ですが、型は自分の欠点を補う効果があります。
スピード重視の繊細なものや破壊力のある力強いものなどがあると思うのですが、自分のタイプとは逆のイメージのものをやり込むとかなりそれで補強されます。
115 :
無限流:2000/12/14(木) 14:03
直接に東京の有名な先生方の講習会に行けて会える人はいいですね。私は田舎なのでそんな機会はなく、地域の剣道や棒術の先生達と練習試合をしたりたまに大きな町に行ったときに空手や柔術の道場で練習させてもらってますが、ルールが同じでないので近頃は私を嫌って門前払いにする所が多くなりました。武器無し組討でも棒術でも今年1年間は負けていません。でも地方ですから実力がわかりません。充分に上京できて10日ほど東京に滞在できる金額が溜まったら直ぐにでも力試しに伺います。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 15:03
117 :
おちゃら:2000/12/14(木) 23:14
キョクシン空手の広重師範は殆んど型の実戦技術を捨ててしまっているようですね
クミテにいかすためのバランス,技の緩急,呼吸と技の一致,を高めるために練習するようです。
ということを師範の本を見て感じましたがどうなんでしょう。
私見では、試合空手では型は使えんが、実戦で相手とくっついたりした際の1コマ1コマで使える技など多い気がします。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 23:20
形は大事だよ
おもしろいし始めたばっかのころは変にイメージ固まってたから
決まった形で逆にこんな動きもアリか?った感じで幅が広がった
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/26(火) 12:11
俺は気功と乱取りはやるけど型は全くやらない
(気功も型の一種と考えたら話はべつだけど)
それは型をやってもたぶん基本稽古以上の効果はないと想うから
その考え方自体の方向性は基本的に変ってないんだけど
最近型についての見方がちょっと変った
型を作成した先人たちは、自分たちの経験を元に
様々な型を創ったんだと想うけど、それは使える者が創った物だから
良くも悪くもある意味傲慢に創っていると想う
自分のスタイルで無駄な部分を端折った造り方をしているんじゃないかな
だから解る奴は解る判らない奴は判らないってな感じの物が多い
初心者が型を学ぶことで基本稽古以上の効果があるとは想えない
しかし経験をした事の復習の為の媒体として見たら
過去の経験の劣化を防ぐためにも結構便利な物だとは想うよ
もちろん技をそれなりに理解できるレベルになければ
復習するも何もない
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/26(火) 13:03
形は基本と同格だと思っています。
基本は実戦とは違いますが、基本が出来ないと実戦もできない。
それと同じだとおもいます。
あと組手も然りです。
型については、119さんの意見と同じような事を思って
いるのですが、あと要領の良い人がやっても効果があると
思います。
型での場合は技が通用しないと固まってしまう人が居ます
が、組み手をやっている人は技が通用しなかったりしても
別の技で攻めれます。要領の良い人は、型のとうりにやっ
て通用しなくても、気にせずにまた別の技を掛けたりして
なんとか出来たりします。
また、一つの型から自分でさっさといろんな使い方を理解
できたりとか出来るような人も居ると思います。
型も組み手も両方やるのが、一般人には良いと思います。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/19(金) 12:00
あーげ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/19(金) 22:10
所詮、人間が作り出すものはすべて型。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/19(金) 22:29
色即是空
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/19(金) 22:30
空即是色
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/19(金) 22:31
色心不二
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/20(土) 03:12
技も必要だが、何よりも心(作った人の)を知ってほしい。
それが最強だから。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/20(土) 03:27
型を造った先人よりも数見選手の方が強いと思うよ。
その元を作った大山先生は型を学んでいないのかい?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/20(土) 06:12
数見は型の稽古やってまっせ
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/20(土) 23:45
実際わたしが以前喧嘩に巻き込まれたときに
不意にでたのが「内進歩初段」にはいってる裏拳打ちの型
でした。体さばきと分解練習、そしてイメージをしっかり焼き付けたら
型だけでも十分役にたちます。わたしは国内海外の出張が多くて
きまった時間に道場にいけないゆえに、ここ数年は基礎的な
トレーニングと型のみです。なお組手が大好きという
方もいらっしゃいましょうから、そういう方は
まず約束組手でじっくり練ってから自由組手に
進むのがいいとおもいます。
(ps)中国のほうにも出張が多いので、よくあっちの
TVをみます。土曜の深夜には散打の試合の録画を
映しています。みてたら型をしっかり練習したと見受けられる
選手のほうが無駄な動きがなく、決め手もちゃんと決まっています。
だから空手に限らずすべての武術型は無駄ではないという
ことだとおもいます。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/21(日) 00:56
型はそのまんまじゃ使えないって言ったって、「技」だってそのままじゃ
使えないのでは?ケンカで順突きが習った通りに決まるか?
使うのは「順突きのエッセンスがこもったパンチ」じゃないかな。
型もそうだと考えるのになんで抵抗あるんだろう。長いから?
ぜんぶいっぺんに使うわけじゃないよ、もちろん。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/21(日) 01:39
使える使えないは別にして基本、移動、組手(約束組手を含む)
以上やる必要性がどこまで見出せるかじゃないの。
型を不要と言い放つ人もどうかと思うけど、型を神格視する人が
いるのも首を傾げてしまう。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/21(日) 05:53
型で体に染み付いた動きはものすごく早いやん(速いじゃなく)
技とか動きは終わりなく洗練されていくからね、もちろん実戦もすごく重要
。戦いのリズムを知るためにね。
型で得たものが実戦で役立つ、よね?
135 :
65:2001/01/23(火) 19:15
たつたつ!
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 05:23
役立つと思います。それなりの練習は必要でしょうが。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 05:26
dasd
アsd
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/01/26(金) 06:03
一人で稽古できるっていうのではいいんじゃないかな。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/02/13(火) 00:24
オシマイでいいっすか?
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 03:29
型なんてやんなくても、キックボクサーに勝てる空手家が何人いるかってな論争は
厨房の意見ですね。型がすべてです。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 03:47
型なんて黒帯レベルになってからやれば十分。
ましてや型の美しさを競うなんてのは型を舞踏だとでも思っているのか。
まあしかし、型は空手の今では薄れつつあるアイデンティティだから
文化としては残していくものだろう。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 03:52
142> ほんまにそう思う。
文化の継承でしかないよね。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 04:41
>142、143
おまえらほんとに黒帯??ウソだろ??
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 06:50
宇城憲二さんていうムチャクチャ強い空手家がいます。この方は強くなるには
型が必要不可欠と言っています。型について疑問を持つ人が多いですが、そう
いう人は合気ニュースから「武道の原点」という宇城さんの本が出版されてま
すので一度読んでみるといいですよ。読んでも信じられなければ実際行ってみ
たらいいと思います。信じられないくらい強いですから。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 08:55
お前は実際なぐられたのか?
殴られてから言ってくれ。素人ならいくな。 比べようが無いからな。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 09:00
まあまあ
宇城憲二氏は実際強いのでしょう
しかし
強い人間の言うことが常に正しいとは限らんわな
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/05(月) 09:04
普段の稽古も型じゃ。
組み手と混同すんな。
149 :
カルシウム(すみません,コピペです):2001/03/05(月) 10:27
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず」
という歌がありますね。
ご存知のとおり、日本語のアルファベット48文字をそれぞれ一回だけ使って歌にしたものです。
こういう形式にすると、単純に「あいうえお かきくけこ・・・」とするよりも、憶え易いし忘れにくいという利点があると思います。
私は空手における「型」というものは、さまざまな戦いの局面を想定して、その時々の対処法をひとつの「歌」のような形にして練習しやすくしたものではないかと考えています。
まず初めに「型」があり、「型」を学ぶための前段階としての「基本」の「その場稽古」や「移動稽古」が必要なわけです。
ここで勘違いしてほしくないのは、「まず初めに型がある」ということの意味です。
「型なんて何万回やっても強くならない」・・・というのは、おそらくここを見ている大部分の人たちの本音だと思います。
実戦(この定義もあいまいですが)では、型どおりの動きなどはできるはずがないし、仮にできたとしても効果がないだろう・・しかし、空手というからには「型」はやっておかなければなぁ・・・・
みたいな感じでしょうか?
まずは順番を覚えて、次はいかにスムーズに動けるかと考える。もちろん、技の緩急、力の強弱、息の調節も大事な要素ですが・・・たいていの人はそこの段階で終わってしまうんですよね。
たしかにそこまでで見るならば「型」も「踊り」もたいして変わりはないでしょう。
ただ、「型」の本当の意味というのは、そこから先の段階まで進んではじめて「実戦」で使えるものになっていくんですよね。
たとえば「平安その2」の第1・第2動作。人間というものは、自然な防御反応として、頭部に何か危害が加わりそうになるととっさに両手でカバーしますよね。それを表しているのがあの動作です。
そして、普通のひとならカバーするだけでおしまいのところを、空手では反撃の動作に移るんですが、「型」の中では左手で顔面を防御しつつ右拳で鉄槌攻撃をしますけど、あれはあくまでひとつのケースとしてあるわけです。
「型の解釈」という言葉がありますが、ひとつの動作に対して、理にかなった自然な流れでいろいろと「応用」の解釈を考えることが大切です。
「平安その2」の場合なら、左中段内受け・右上段受けの形から、さまざまな反撃の仕方を考えられます。相手が左手で殴る、あるいは掴みにくるところを、こちらは左手で相手の手首を取り、右で肘の急所を押さえて逆関節を決める・・とか、左手で顔面をカバーするあの動作を「肘打ち」にするとか・・さまざまなパターンが考えられますよね。
まあ、これは一例ですが、いろんな「型」のいろんな動作でも同じことができますね。
ようするに「型」というのも、まだ「基本」なんですよ。その「基本」対して我々は「応用」を考えなければならないんです。いろんな状態が「型」のなかに想定してあるから、それに対する多種多様な対処法は自分で考えればいいんです。
総裁の言う「水辺に牛を連れて行くのは牛飼いの役目。水を飲むか飲まないかは牛が決めること」という言葉はそういうことです。
「大山倍達には大山倍達の極意がある。君達の極意は君達が掴みなさい」というのも、各人が自分の身の丈にあった真の意味での「使える」技を自分で編み出してみろってことでしょう。
「型」が実戦で役に立つとか立たないとかではなく、「型」をヒントにして実戦で役立つ動きを自分で創っていくんです。
そのために「基本」や「移動」を繰り返して、「条件反射」のレベルにまで持っていく。
「単調な繰り返しから無限の変化を生む」ということですね。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 11:09
型は武術的身体を得て術を使いこなせる様になる為のものではないでしょうか?
合気、発剄、無足、井桁、聖中心、化剄、など・・・・・・
そして、術が日常化され動けば即、術となり・・・・
型も術も技も必要なくなると僕は考えています!
>>150 平素から型で学んだ動作を崩さないで生活するという心がけはいいんだが、
上の中で合気、化剄は明らかに型で鍛錬する動作ではないのでそれだけは除外してほしいよ。
無足というのもそうかな。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 21:22
>>134 >型で得たものが実戦で役立つ
僕もそうだと思います、剣の黒田氏の言う「型は実践の雛形じゃない」
やはり、型で得られた「身体の動かし方」が実戦(試合とかね)で役立つと思ってます
古武術なんか、屍の上に成り立っているような技術でしょうからね
まったくの無駄とは思えないです
>>150 甲野さんのところですか?
>>151 無足も型で鍛練しませんか?
合気道なんかも型としてみると蹴る動きを廃して
無足を意識しているように感じます
「這」もそうですよね
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 21:36
HENO君の発言のコピペですよ。>150
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 21:38
なんだ、コピペだったのか。
マジにHENOが登場したかと思ったよ。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 21:52
カタカタ言ってるが、その技単体で抜き出してガンガン
物に当てて鍛錬してるのか?ミットでも砂袋でも巻き藁でも
いいからさ。当てて鍛えてない技なんて素人しは効いても
玄人には無理だろ普通・・
それとも皆さん普通じゃないの?
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 21:56
玄人を相手になんて戦いませんって
僕みたいなヘタレには勝てないですよ
道場の中の稽古だけです
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 22:02
>>155 挑発するのはいいけどミットや砂袋は
当てる為の稽古じゃないよ。
論点の見えない煽りは話が膨らまない。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 22:46
はにゃ?
155さんの言ってることは、口調は問題ありありだとしてもそれほど的外れでもあるまいて。
実際に何かの対象物(サンドバッグが最も一般的ですかな)を殴ったりしないと
体重の乗せ方が身につきにくいというのは俺も同意見だけどな。
まあサンドバッグだと感触が人体とは全然違ってまたそこでも問題があるけどね。
ウンチクになるけど中国拳法の秘伝の一つに人体と感触の似たサンド(?)バッグの
原材料なんてものもあるらしいじゃないの。まあここでの趣旨とは関係ない話だけどね。
157さんの言ってるところの「当てる」の意味とはチョイ違うように俺は解釈したね。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 22:59
>>158 そういうことでしたらやります
玄人とか素人とか意味が理解できなかったものですから
また、このスレのテーマが形(型)と実戦(試合)でしたので...
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/23(金) 23:15
>>158 このスレの論点は「型」でしょ?
砂袋や巻き藁は当てる技術じゃなく、当てた後の破壊力を鍛える為にするものだと俺は考える。
当てる技術は結局対人稽古でしか身に付かないよ。
型の中に含まれた技を抜き出してサンドバックうちなんて普通考えもしないよ。
組手は組手で必要、型は型で必要、目的が違うんだから一緒にする発言はただの煽りでしょ。
例えてみれは野球の練習でランニングをしてるときに、「ノックをしろよ」と言われたような物だね。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/24(土) 01:46
藤本貞治氏はたしかそうやっても稽古してたと思ったけど、
間違ってたらスマソ
162 :
158:2001/03/25(日) 17:29
う〜ん、言われてみれば確かに考え無しに天の邪鬼なフォローを入れてしまったようですな、スマソ。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2001/03/26(月) 03:24
私は中国武術ですが型というのは凄いものです。
きちんとした身体の使い方を学べば体重とは関係なくとても強い力が出るものだと納得しています。
特に腰を回さない捻らない動きというのは、武術的に大きな力を出すために必要なようですがこれは普通に身体を動かしては絶対に身につかないと思います。
私は体験した上で型というのは本当に素晴らしいと思いますよ。
ただの戦い方のカタログだという認識とは大きく違います。
何人かの伝統武術の強い方と組み手などで交流して見ましたが身体の質が全然違います。
話を聞くと型の動きなんですよね。
ただ 本当に知ってる人と言うのが少ないのが理解されない原因なのだと思います。
私の発言の内容がただのオタの発言だと思われるなら、それでも構いませんが型というのは素晴らしい物だと言うことを
ちょっと伝えたかったんです。
ただ今このスレに置いて妄想警報が発令されました。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>164さん
やはりそういう煽りになりますか・・残念です。
妄想と取られるのは構いませんが、私は実際に凄い人を何人も見て話していますから。
もちろん型だけやってれば組手しなくてOKなどというつもりはありませんが少なくともそういった強い人達は
型の重要性を説いていました。
型を繰り返すことによって必要な筋肉が付き、それによって武術の身体が出来上がるまで
時間をかけながら練って行くのだそうです。
型自体どの流派のものが良いとは言いませんが、きちんと理解している指導者につくということが大切みたいです。