1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
あんな不自然な歩き方を皆がしてたなんてとても信じられないんだけど。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/21(土) 06:14
浮世絵とか見ると皆なんばですよね・・・
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/21(土) 07:12
古代エジプト人が皆『体は正面向き、顔は横向き』で生活していた
わけではあるまい。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/21(土) 08:24
いや侍の歩いている絵を見たこと有るがナンバではなかつた。江戸時代に
書かれた絵だった。身体の構造上ナンバはやりにくい。
5 :
にゃーくん :2000/10/21(土) 12:15
ナンバアルキの歴史はうそ。あんなの、訓練しなきゃできない。
むかしの日本人は走り方をしらなかったなんてチョーおおうそ!
じつはな、ここだけの話なんだけどな、ナンバアルキって、qe]?jd|yをつかって歴史を捏造しようとしたやつが歴史の一部をいじくった結果だったんだよ。
(だれも信じてくれないけど、ギョウカイの一部の人間だけがビクリと耳を動かす話)
6 :
無名さん@借金いっぱい :2000/10/21(土) 18:25
>5
上の「qe]?jd|y」の部分って何? 文字化け?
何が書いてあったのか気になる。甲野善紀氏と関係ありますか?
「歴史を捏造しようとしたやつ」ってのは、もっと昔(明治後期〜
昭和初期)の国家的な歴史捏造と関係する人物ですか?
ナンバ歩きはともかく、「明治以前は、日本人は走る事はなかった」、
「災害から逃げる時も、走る事はなかった(出来なかった)」などと
いう説は、私も到底信じられません。誰が最初に言い出したんでしょう。
「走る」というのは人類の本能的な動作で、走る事を知らない民族なんて
この世に存在しないでしょう。狩りも戦もできずに滅亡しますよ。
俺には「たいむ・ましいん」と読める。
でも、基本的に厨房な俺は背負ってナンバの動き方だよな、とか思ってしまうのよ。エヘヘ。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/21(土) 22:54
>6
>上の「qe]?jd|y」の部分って何? 文字化け?
キーボードよく見てみな。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/22(日) 00:08
なんば歩きってなに?
右手右足の歩き方ことかな?
アレはほんとだよ。正確には右肩、右足なんだけどね。
手をダラリとたらした状態では右肩を出すと、右手が後に下がるでしょ?
昔は袴を大腿部前面のあたりで両手で押さえながら歩いたからね、右手右足
が同時に出たように見えるわけよ。
もちろん袴を押さえてないときは右手と左足が出る。
あと、走れなかったってのは大嘘ですな(笑)
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/22(日) 00:42
11 :
消防の頃ナンバ行進をして先生から注意された。 :2000/10/22(日) 06:28
昔少年マガジンでナンバを基本とする格闘技漫画が有った気がする。
それから戦前までは馬の歩き方もナンバにしていたらしい。
直線は結構早く走れるがコ−ナ−がまるで駄目だったらしい。
NHKで見た気がする。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/22(日) 10:17
たしかに、訓練で馬にナンバ教えるはなしはきいたことがある。
あれ?モンゴルかなんかの野生馬がもともとナンバなんだったっけ?
しかし、人間におしえるのだってむずかしいのに、馬の歩きかたを変えさせる調教師のカリキュラムってどうやるんかなぁ?
・・・・・・・興味津津。
13 :
あれ! :2000/10/22(日) 15:12
走れなかったかかどうかは知らないけど、(でも、なんばは走りずらいのは確か)
明治時代まではほとんどの人間はなんば歩きだよ。
NHKの「20世紀・映像の歴史」で、
明治時代の東京と、203高地(日露戦争)の映像が流れてたけど、
道行く人、行軍する人全員が、見事になんば歩きでした。
特に、軍隊の行軍なのに全員「右手右肩」が同時にでて、頭が右に左に
揺れる様は、みていてものすごい違和感があったよ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/22(日) 23:41
>>11 それはたしか「千年の風」という題名だったと思う。
作者は松声館の門下の者だったような。(今は知らんよ)
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/22(日) 23:47
>>11 運動会には一人はいたな。行進の時 ナンバ歩きする奴。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 02:23
走れないってのは まさに大うそだろ
飛脚はどうするだよ 忍者みたく蟹歩き 走法やってたのか
ところで 蟹走りってあるんだよね しってた?
かべなどにそって 走るの 手はひろげて体の真中で
交差させる
で 話はナンバ歩きだっけ 体にむりがくるだろうな
ないと思うよ 古典芸能に似たような歩き方がでてくるけど
それを庶民にあてはめたんではないかと 推測する
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 02:28
16です
しかし 映像みた人がいるんだから やってたのかなー
見た人勝ちだから あったんでしょう。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 02:29
あれでねえのか?農耕民族は桑もって畑さ耕すで、手と足さ一緒に動かすっていう。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 02:34
16です
柔道の型をやるときは ナンバかどうかわかりませんが
手は ふとももにぴったりつけ すり足で相手に
近寄ります ナンバ歩きにそっくりになるけど
やってる自分は 変だなとおもいつつやってた。
近くに柔道の型見るチャンスがあったら みてちょ
20 :
9 :2000/10/24(火) 02:49
現代人は右手と左足を出して歩くが、良く観察すると
右肩右足が出る人と左肩右足が出る人に分かれる。
ポケットに手を突っ込んで歩かせると良く分かると思うが・・。
そして良く腰を痛めるのは左肩右足が出る人だね。
両肩の軸と骨盤の間にねじれが生じるわけだから当たり前。
武道やってる人は体に負荷がかかるので、特に気をつけたほうがいいよ。
体がねじれたまま強引に背負い投げを掛けてごらん
一発でぎっくり腰、病院いきだからさ(笑)
もっと分かりやすい例をもう1つ。
パンチは腰で打てというのも、右腰と右肩を平行に出して体が
ねじれないようにして、力を伝える。常識だね。
左腰と右肩を同時に出してパンチする奴はいないと思うよ(笑)
K氏の信者ではないが、武道的には結構合理的なんだよね、その歩き方。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 06:47
>6
飛脚が走っている浮世絵はどれを見ても
全部ナンバになっているよ。
あと、走る、ということは実は特殊な技術だったって聞いたことある。
走る=前方へバランスを人為的に崩し、転倒しかける状態を維持しながら進む、
というのは
実は人間の自然な動きではなく、訓練してでなければ身につかないことらしい。
ハイハイから立って歩く、走る、スキップする、と段階を踏むのは
確かに今は誰でもできるが、走れる人が周りにいなかったり、走れるという情報がなければどうだろう?
バク転見たこと無ければ普通は想像もつかないもんな。
忍術使いが風のように速く走る、という逸話も「走る」という技術が
未知のものだったから、そう感じて伝説になったのかも、とか思った。
22 :
21 :2000/10/24(火) 06:48
ごめん。
>6
じゃなくて
>16
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 10:54
>>21 >飛脚が走っている浮世絵はどれを見ても
>全部ナンバになっているよ。
佐川急便のトラックの飛脚の絵もなんばだよ。
今度みてみ。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 11:07
刀を抜く時だったか、刀を上段から振り下ろして切る時の動作だったか・・・
忘れてしまったが、剣術に関係があると聞いたことがある。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 11:25
戦後、真剣で袈裟切りで右膝を切ってしまう人があまりに多いので、
左膝を前に出すように姿勢を改めた据え物切りの流派がありましたね。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 14:18
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/10/24(火) 14:21
ありました
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/24(火) 15:46
この話しは嘘。
アメリカでは話題になッたけど。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/24(火) 21:59
そうなの?
少なくとも武士はそう(手を振らず)歩いていたはずでは?
これは結構いろいろな人(武家の出の人)が言ってると思いますが。
あとやっこさんの動きとか。これは儀礼的なものかな?
30 :
なべ:2000/10/25(水) 02:50
「走る」という概念はあった筈だと思います。
動物の状態を見ているでしょうから。
既出の馬、あるいは犬、猫でも歩いたり、走ったりしていましたよね。
その状態を見ていれば、人間も同じ事を考えるんじゃないでしょうか。
それとも、鳥が飛ぶように動物しかできない技能だと思ってたんですかね。
忍者は「走る」のが特殊技能である。
この話は、堀部氏の著作で読んだような気が‥‥。
しかし、忍者の時代は戦国です。
江戸にもなれば、その技術は広まっているような気がするのですが。
ナンバを武道で使うように、「走る」も学習できる技能だと思うのです。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/27(金) 18:15
動物園の猿が走るのを見てみな。交互に手をふらんだろ。あれがナンバ。
別に手を一緒に出すわけじゃない。強いて言うなら骨盤を肩が追っかけるリズム。
合気道なら膝行、八極なら熊歩。
訓練しなきゃ、必然性がなきゃ人間は走らんよ。あと走りが発達しなかった理由の一つが
靴だ。裸足ではなかなか力いっぱい走れない。イタイからね。重心を載せるかどうか
確かめながら歩くんだ。裸足で山を歩けば解る。草鞋や足袋でも。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/27(金) 18:32
結局どっちが本当なの?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/27(金) 18:45
>交互に手をふらんだろ。あれがナンバ。別に手を一緒に出すわけじゃない。
ナンバの定義をこれにするんならホントでしょ。
34 :
なべ:2000/10/27(金) 22:44
>必然性がなきゃ人間は走らんよ。
必然性ってなかったんですかね。
うーん。わからないな。
歩くだけで、十分用が足りてた?
飛脚とかは?
民、百姓は、飛脚を見て何も感じなかったんですかね。
飛脚の技術は、門外不出になってたとか。
飛脚は、ナンバで早歩きをしてたとか。
なんか、納得できないんですけど。
35 :
あれ!:2000/10/28(土) 02:42
>34
いや、ナンバでも走れるんだよ。
でも普通の人はスゴク遅かったと思うよ。
火事とかで逃げ惑っている人なんか、両手を挙げてなんとか速く走ろうとしたみたいだけど。
(甲野説他による)
あと、歩き方走り方・その他身のこなしでも職業がわかるぐらい、
江戸時代あたりの人は動きが違うんじゃないかなあ?
前に挙げたNHKの「映像の20世紀」での行軍でさ、
もうホントに姿勢や頭の動きがちがってたんだよな。
でも、ナンバ。
36 :
二十世紀の映像:2000/10/29(日) 03:57
>35
俺はそうは見えなかったぞ。
あんたの思い込みでは。
馬鹿馬鹿しい話だ。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 04:00
飛脚の絵が全部そうだって、あなたたち調べてみたの?
絵師の都合で、そういう絵もあるが、そうでない絵もあるのだよ。
一部の学者がそんなことをうかつに言ったために、
軽薄に追随する人が多くて困る。
こうして、物事は捏造されてゆく。怖いことだ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 04:04
走ることがなかったって、言う奴に至っては、ほんとに
馬鹿じゃなかろうかと思う。
昔の絵を実際自分で見ること。
人の話の端っこを聞きかじって、いい加減なことを言わないこと。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 04:12
モンゴル馬のナンバは矯正だし(モンゴル旅行したとき見た)
浮世絵なんかは、写実的な西洋画とは、表現技法が違うし
やっぱり、ナンバは特殊な歩法じゃないの?
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 04:12
ここに、庶民の絵を描いた絵としては古くて有名な
一遍聖絵というのがある。(鎌倉時代)
一遍上人の不況を絵巻にしたもので多くの人々が登場する。
ここに、一遍を追及する神主の主従の姿が描かれていて、
従者の一人は見事な
「普通の走り方」(足と手が反対)
をしている。
だいたい、人の走り方をいちいち細かに分析して昔の絵師は
描かない。
描きやすいように描いたのが実情だろう。
絵を描くの目的は別にあったのだからね。
「
>39
モンゴル馬のナンバというのは、「だく足」のことでしょうか?
それならば、アメリカの半野性馬ムスタングにも、みられると
いうことを何かで読んだ事があります。
42 :
41:2000/10/29(日) 04:30
「側対歩での」、だく足ですね。
43 :
39:2000/10/29(日) 04:40
>>41 「だく足」と言うのは知識不足で解らないのですが
私の言った馬のナンバとは、右前足・後足が当時に踏み出されると言う事です
矯正方法は、右前足と右後足を縄で結ぶと言う物でした。
最初は、逃走防止の為かと思っていたのですが、矯正だと言う事を知りました。
矯正していない馬は、左右の前足後足を交互に踏み出す歩きかたでした。
44 :
41:2000/10/29(日) 04:49
>>43 言葉足らずで済みません。「側対歩」=右前足・後足が当時に
踏み出される です。
つまり、人間の手で矯正された訳でもないのに、その様に歩き、
或いは走る事さえ出来る個体が稀に居たそうです。
習慣は遺伝するのでしょうか...?
45 :
39:2000/10/29(日) 04:51
矯正の理由は、ナンバ(だく足?)の方が、
長距離移動した時に普通の歩き方より、馬が疲れにくいそうです。
46 :
39:2000/10/29(日) 05:16
>>43(41)
説明有り難うございます。
習性の遺伝については、よく解りません。
47 :
あれ!:2000/10/29(日) 05:46
>>36 うーん。
ナンバにみえなかったのか、
それほど個性が分かれている歩き方に見えなかったのか、どっちだろう?
少なくとも、あの映像をみれば現代人の歩き方とは、似ても似つかないのは判るから、
後者の方だと思うけど。
48 :
1です:2000/10/29(日) 06:12
>35、36
俺もたまたまビデオ持ってたから観てみたんだけど(『映像の世紀』第1回)
確かに日露戦争の行軍を写した映像で、前の方の人はナンバで歩いてるよう
に見えました。(開始30分くらいね)
でも、その後の東京の街の映像では皆普通に歩いていますね。和装であっても。
「軍隊では行軍時にナンバ歩きをするように訓練していた」っていうが実際
なんじゃないかなーと思いました。
49 :
あれ!:2000/10/29(日) 07:29
>>48 うーん、第一回かあ..。
最終回の映像はもうちょっと判りやすくて、明治から大正昭和と時代順に
日本中心の映像で流れてるんだけど、
どんどん時代が下るとナンバ度がさがっていくんだよ。
同じ東京で、時代が20年ぐらい違っても状況が変わっていくからおもしろいよ。
でも、確かに街を歩いてる人で、ナンバの人はほとんどいなかったなあ。
日本人全部がナンバというのが誤解で、割合として昔は多かったのが
正解なんだろうか?
あ、軍隊の行軍はまったく逆が通説なんですが...?
50 :
1だけど:2000/10/29(日) 08:49
>49
そうそう、いわゆる「通説」が実際とは逆なんじゃないのかなー
って言いたいんですよ。
通説ってゆうても甲野がゆうてるだけっしょ(w
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 15:34
>51
そうそう。
というより、この話しが有名になったのは時代背景にもよるんだよね。
アメリカで日本叩きが会った頃に紹介されて、「ほら、やっぱり日本人は
変なやつらだ」という・・・。
それで漫画で紹介されてアホが真に受けた。
53 :
あれ!:2000/10/29(日) 17:30
>>52 あ、それ知らない。
っていうか、「昔の人間がナンバだった」って記述をもう20年ぐらい
前に見て、後から甲野氏のナンバの話をみて「ふーん軍隊がねえ..。」
って思ったぐらいで...。
甲野氏より歩き方の考察が詳しくある、文献ってないものかな?
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 17:46
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 17:50
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 17:50
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/29(日) 17:53
>53
「伝統と断絶」武智鉄二 風涛社
「日本的思考の原型」高取正男 講談社
の二冊があるそうです。(未読
58 :
あれ!:2000/10/29(日) 18:13
>54、55、56,57番さんたち、
ありがとう!(あ、ひょっとしてお1人?)
特に
>>54 にあった「ナンバ歩きは都会においては、江戸時代の天保くらいから崩壊した」や、
>>55 「身分や性別、職業によってさまざまな歩き方があった。」のくだりは
参考になります。
書籍の方も探してみます。
59 :
Niftyの武道フォーラムで:2000/10/29(日) 18:50
「右手と左足が同時に出る行進みたいな歩き方だと、和服はたちまち着崩れする。ナンバ歩きが一番着崩れしない」と言ってる人がいたな。
そこの「ナンバ論争」はそれで終わってしまった。
>59
それくらい、常識です。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/30(月) 04:21
なんば歩きは絶対うそだって!もしほんとだったら、日本のどっかに残ってるって。変わったのは体のリズムの取り方の問題でしょ
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/30(月) 15:59
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/31(火) 07:58
子供を育てたことがある人ならみんな知ってる事実。
小さな子供って、誰が教えなくても走ります。
ナンバ歩きもしません。
運動会でナンバ歩きになる子は、
先生に色々言われて考え込んじゃうからじゃない?
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/10/31(火) 19:38
学生時代にタイ人の教官に「日本人は歩き方が変だ」といわれたことがある。
韓国人の歩き方とも違うようで、日本人がソウルなんか歩いていてもすぐ日本人だとわかるそうだ。
具体的にどのように違うかわからないが、恐らく他の国に比べると体の上下動が大きいのではないか。
日本でも、欧米人と日本人が連れ立って歩いている光景は見られるが、よく見ると日本人だけヒョコヒョコ
しているように見える(人によるが)。
また、よく雨の日など水溜まりをあるくと水がはねあがってズボンの後ろをぬらすことがあるが、
これは日本人だけらしい。日本人は歩く時にかかとを上げる度合いが大きい(爪先で地面を蹴る傾向がある)
ためだそうだ。
これってかつてナンバで歩いていたなごりでは?
66 :
宇讃久斎@HAJIME:2000/10/31(火) 20:56
>>65さん
うちの掲示板でもタイ在住の方から質問を受けたことがあります。
最近の日本人の歩き方はおかしい、なにかあったのか?とね。
ナンバで歩いていた名残ではないでしょう。
つま先で地面を蹴るなどというのは農耕民族の歩き方ではないと思います。
逆に戦後の日本人の歩き方や姿勢の取り方の問題ではないのでないでしょ
うか。
僕は山村で暮らして山の仕事をしていますが、都会の人の歩き方では山は
歩けないですよ。
実際に手と足が一緒に出るということはないかも知れませんが、体の内部
の使い方はナンバと言ってもいいと思います。
67 :
あれ!:2000/11/01(水) 00:07
>65,66
ああ、よく海外で暮らした日本人が言われるそうですね。
「日本人は歩き方がキタナイ。だから人ごみの中でもすぐわかる。」って。
海外の露店で物売りが、カモになりやすい日本人を見つけるのに、歩き方で見分けるそう
ですから。
でも、こういわれるようになったのも、最近のことだと思うので、
ナンバ歩きとはあまり関係ないような...。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/01(水) 00:25
>こういわれるようになったのも、最近のことだと思うので、
何が原因だと思われますか?>ALL
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/01(水) 00:33
歩き方がヘタクソなだけでは?
70 :
背後霊:2000/11/01(水) 00:53
高岡英夫に言わせると、身体意識が低くなったからだそうな
71 :
宇讃久斎@HAJIME:2000/11/01(水) 02:07
はっきり言って、今の日本人ほど身体を動かさない人種はいないんじゃ
ないでしょうかねえ。
年齢が下がれば下がるほどその傾向が強いでしょう。
あ、日常生活においての日常動作での話ね。
特にバランス感覚は悪いやろうねえ。これは戦後の教育と社会の問題やで。
72 :
あれ!:2000/11/01(水) 19:09
日本人が今、歩くことに対して意識が低いのは確かだと思う。
真偽はしらないが、電車なんかで無理やり席に座ったり、席譲らなかったりするのは
日本人だけとか。
なんか、そんなに動きたくないんかね?
あと個人的な意見だけど、間合いもおかしい。
50代ぐらいのサラリーマンのおっちゃん、なんで道いっぱいに広がって歩くの?
20代以下の女の子、なんで人にもの聞くとき、そんなに顔近づけるの?
心理的な緊張感、ないぞ。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/01(水) 19:31
>>65でござんす。
日本人の歩き方が汚くなった理由ですか・・・。私は猫背がひどくなったからではと
考えているのですが。戦後あまり姿勢についてとやかくいわれなくなったため、姿勢が悪い人が増え、
その影響で歩き方もしょぼくなってしまったんでしょうかねえ。猫背だときれいに歩けませんよね。
2,3才の幼児を見ていると、よくあんな体に比べてばかでかい頭を乗せて飛んだり跳ねたり出来るなと
感心するのですが、彼らはものすごくいい姿勢を本能的に取っているのでしょうね。
ところが小学校に上がるくらいになると変な姿勢でも筋肉でバランスをとることが出来るため姿勢が乱れて
くるんだろうと思います。
かくいう私も高校までは猫背気味でよく親に注意され「ウゼエな」と思ってたクチなんですが、
合気道をはじめて師範に姿勢を徹底的に矯正されたいまでは他人の姿勢が気になってしょうがないです。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/02(木) 11:57
古流柔術、合気道等の動きはナンバじゃないんでしょうか。
右手右足、左手左足が同時に同方向へ動く動作が多用されています。
でも講道館柔道は現代風の動きですよね。例えば大外刈りだと右足で刈りながら、右手で相手の肩を押して、左手で相手の袖を引き込んでますよね。
柔道経験者のコメントが欲しいです。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/03(金) 02:36
興味深い。上げ。
76 :
>63:2000/11/03(金) 03:12
子供は環境と教育によってしか立ったり走ったりを憶えません。
アマラとカマラという狼に育てられた子供は
四つんばいで生活していました。
二本足で立って走ることが
人間と一緒に生活してなければ出来ないということを証明しています。
これは教育学で基本として必ず教えられるエピソードです。
環境(地理、習慣)と身体動作は密接に関係します。
それが文化と呼ばれるものなのです。
>37、38
ナンバで飛ぶように走る飛脚は本当です。
彼らは「えーっさーっさー、えーっさーっさー」と声をかけながらリズムをとり
ぴょーんぴょーんと飛ぶように走ったそうです。
職業身分のカタログである歌舞伎の表現でも
飛脚の走り方はそのように伝えられていますし、
江戸時代の飛脚の絵はナンバ以外のものは確認されていません。
あなたのいうように浮世絵は中途半端に絵師の都合などで書かれるものではありません。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/03(金) 12:34
>>76 アマラとカマラの話は出典がはっきりしていない。
とうてい文化人類学的な資料として扱えるものじゃないよ。
それとナンバ派は、日本人は農耕民族だからナンバ歩きになった、
と言っているけど、だったら西洋人は遊牧民族だと
本気で思っているのかな?
78 :
あれ!:2000/11/03(金) 12:47
>>77 出典自体ははっきりしてるでしょ?
もとネタ自体が作り話だったら知らないけど。
「日本人は農耕民族だからナンバ歩きになった」
これは俺も疑問。
どちらかといえば、山間に住んでいる人種だからというのが正解なのでは?
79 :
宇讃久斎@HAJIME:2000/11/03(金) 14:55
農耕民族だとか狩猟民族だとかの括り方をよく摺り合わせる必要があると思うけど、
一番はっきりするのはその民族が日常使う道具の発達の仕方、そしてその道具に
合わせての体の使い方を比較してみるとよいと思いますよ。
道具というものは自分の使いやすいように発達してくるものでしょう。
武器の発達の仕方を見ても日本という国は特殊な発達の仕方をしてきたと思います。
日本刀の形状がなぜあまり変化しなかったのでしょう。
そして日本刀の形状に合わせて剣術の様々な生まれてきたのですね。
大陸の人種というものは交流が容易でしたから、自然と様々な文化が入り交じって
きます。だから道具も武器もまたそれを扱う技術も様々な形が生まれてくるでしょう
が、その点日本は島国であり、他民族や文化の流入というものはやはり少なかった
と言えるでしょう。
だからナンバという歩き方が広く定着していたという説にほぼ賛成です。
ただ、同じ側の手と足を出して歩くなどという極端な歩き方や走り方は普通はなかっ
たと思いますよ。
僕の場合はすでにナンバの身体の使い方が身についていますが、普段からそんな
極端な歩き方はしないですから。
あまり大げさな話をするからおかしいのだと思いますが。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/03(金) 23:55
アマラとカマラの話に限らず、動物に育てられた人間の話は全て
科学的に信憑性が無いものばかりです。
だいたい「動物に育てられた人間」というのは、神話学のテーマ
になるような類であって、人々の「そうだったら良いだろうな」
という願望が生み出す噂話みたいなモノです。そして、それに乗
っかっていろいろな人や物や話が出てくるのは、願望が生み出し
た他のもの、例えば「幽霊」「UFO」「ネッシー」などでも同
じことです。
このスレとは関係ないことですが、一応念のため。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 00:38
西洋式の訓練を受けていた日露戦争当時の日本軍が
ナンバで歩く訳無いだろう。お前の見間違いだよ。
軍隊という制度について考えてみろ。いいか、「爆
弾抱えたまま自機ごと敵艦に突っ込め」と命令され
たら実行するぐらいなのが軍隊なんだぞ。ナンバを
やめて軍隊式に歩け、と命令されたら全員そうする
に決まっているだろうが。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 01:29
旧共産圏の軍隊の行進は手足同じ方を出していたようですが・・・
83 :
あれ!:2000/11/04(土) 02:06
>>80 うーん、なるほど。そうなると、実際に教育学でテキストとして取り上げ
られているのは、とんでもない事になるのかな?
>>81 実際に見てくれ。それしか言えんわ。
軍隊式の教育自体の成果が出始めたのは、太平洋戦争の頃だろ?
日露の頃じゃ、子供の頃から教育受けてる人間も兵士に少ないから、
なんばもありなんじゃない?
あと、同番組にもう一つ面白い映像があったよ。
第一次世界大戦以前は、自分達が思っているほど、しっかりとした「行軍」
はまだなされていないね。
ドイツ、イギリスとかの軍隊の行軍は、整然にはなっていなくて、
隊列は適当。腕も振って歩いている兵士がいない。
軍の規律が厳しくなったのは、民間人を大量に投入するようになったからでは?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 02:57
先ほど便所で会った爺さんに聞いたところ、
「そんなこたぁない」と言うております
軍隊では、祭典のときはナンバ歩きをした事があったそうですが
まわりにそんな歩き方をする人はいないとのことです
ただ爺さんは87歳でボケがきています
信用なりません。参考程度にしてくださいね
85 :
あれ!:2000/11/04(土) 03:15
>>84 >軍隊では、祭典のときはナンバ歩きをした事があったそうですが
あ、また新しい事実が...。
ただ、日露戦争自体が90年以上も前の話なので、87歳ではなんとも...。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 04:15
ということは豊臣秀吉はナンバで移動して明智を倒したのか。
かなり有効な走り方なんじゃないか。
日本人を農耕民族という人がいるね。
むしろ日本人こそ狩猟民族だとおもうけどなぁ(笑)
平地なんてほとんどないしさ。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/04(土) 08:42
日本人の多くは山には住まず、平地に住んでいた。
狩猟民族でないことは確か。肉を食う文化がなかったから。
88 :
たかちゃん:2000/11/04(土) 11:29
89 :
なんばしちょっと:2000/11/04(土) 19:06
なんば歩きって走れないって本当ですか?
江戸時代に火事が起きても、庶民は走れないので腕を
阿波踊りのように上げてうろたえるだけ、って
いう文章もどこかで見ましたが。。。
上の方に、”飛脚がなんばで飛ぶように走るっ”て書いてあるが、
どっちが本当なんですか?
やっぱ、ナンパするならナンパ歩きがいいのですかね?
90 :
野良犬:2000/11/04(土) 20:17
なんば歩きはよく知りませんが、陰陽道で、反閇という歩き方があり、
それが相撲の四股の原型になってるそうです。
91 :
とむ:2000/11/04(土) 20:33
歩き方が汚い理由については、前に格闘技板で誰かが書いてたよ。
なんか、肩甲骨の使い方が悪いらしく、僧帽筋(だっけ?)を緊張
させて肩を固定して歩いてるからダメとかなんとか…。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 03:44
>>77 >>80 あまりよくご存知ないようなので。
狼少女アマラとカマラ
1920年、インドのカルカッタ村付近の山中に、怪しげな人影が出るという噂が流れました。
シング牧師夫妻がその噂を確かめに行ったところ、狼の洞窟の中に2人の少女を発見しました。
なんとこの2人は狼に育てられていたのです。
シング牧師夫妻はこの2人を引き取り養育しました。
発見当時この2人の少女は、人間の子供というよりも、むしろ狼の子供といえるほど野生的でした。
4本足で歩き、生肉を食べ(もちろん手は使いません)、夜になると目を輝かせて遠吠えするのです。
推定年齢1歳半と8歳のこの2人の少女は、アマラとカマラと名付けられました。
その後、アマラは1年くらいで死んでしまいましたが、カマラは約9年間、シング牧師夫妻のもとで教育されました。
彼らは少女たちが人間にもどれるよう献身的に養育しましたが、人間性の復帰はなかなか進みませんでした。
1年半でやっと直立歩行ができるようになりましたが、走るときには4本足にもどってしまうのです。
また、言葉の習得は特に難しい問題でした。
4年目にして6語、7年目で45語、9年目でやっと3歳幼児程度の会話ができる程度だったのです。
つまり、8歳まで狼に育てられた少女は、9年間の献身的な養育にもかかわらず、
直立歩行も言葉の使用も完全にマスターすることはできませんでした。
人間の基本的能力である直立歩行も、コミュニケーション手段としての言葉も、
決して本能的なものではありません。
これらは潜在的能力と本人の努力に加えて、両親を中心とした周囲の人の献身的教育によって獲得されていくのです。
つまりヒトに生まれても、人間社会の中で、人の手によって人間教育と学習がされなければ、
人になることはできないのです。
このことからも、人間形成において、誕生後の環境や教育がいかに大切かということが考えられるでしょう。
また、9年かかっても人間になりきれなかった事実から、
基本的能力の習得には、その習得にふさわしい時機があり、
それを逃すと容易に習得できないのではという説もあります。
それらは現在も発達心理学の一分野として研究がなされています。
とまあ、こんな具合です。
人と会わずに四足で歩く狼の文化という環境で育った人がいるなら
ナンバで歩いたり走らない(走らないでいい)文化もあり得ると思いますが。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 04:12
>92
興味深い話ですね。
なんばの文化、社会があったとすれば
環境や教育によって崩されたということでしょうか。
それはやはり明治維新以降でしょうね。
また、少なくとも
「二足で走る」という行為が本能によるものでない
ということだけは認めてもよさそうですね。
94 :
84:2000/11/05(日) 04:12
>>84で祖父に聞いた者です
ぼく「ねぇ、おじいちゃん、おじいちゃんのお父さんとかは右手と右足同時に出てた?」
と聞いたところ
爺ちゃん「・・・・・」
とのご返答です。すいません思い出すのを待ちましょう
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 04:29
馬がナンバって話があったけど、
形意拳の馬形では手と足を同時に出す動きをするよ。
形意拳あんま知らんので、嘘言ってたらつっこんでください。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 04:39
>95
手と足を同時に出すのは、別に形意に限ったことでは
有りませんね。中国武術のイロハです。只、形意は特
にそれを強調するところはあると思いますが。
97 :
>92:2000/11/05(日) 04:41
アマラとカマラの話はその虚偽さえ確かでは無いそうです(つまりフィクション)
マスメディアが発達していない当時のインドの新聞記事を6年後に
ニューヨークタイムズが発表して広まっただけのもので
学術的価値は無いそうです。心理学でもこの話の虚偽が一時論争されたのですが
結果、現在一級資料としては扱われていません
(そもそもオオカミが人間を育てるかいっ!というツッコミを入れなければ・・)
ただ!人間の形成が環境により作られるのか否かは現在も論議されているホカホカの話題です
もし前者が証明されれば過去の日本人がナンバ歩きをしている可能性は大いにあります
私はしていないと思うのですがあくまで推論なので、気になさらないでください
ただアマラとカミラの話は信用ならないよ・・ということで
98 :
95:2000/11/05(日) 04:44
>96
いや、形意拳の馬形は特に手と足を大きく出すから、
やっぱり当時の馬はナンバだったんだろうかと思って。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 04:51
>97
シング牧師のオオカミ話は眉唾とは聞いたことがあるが
やっぱり人間って環境によるところが大きいと思う
「女は女として生まれるのではない、女として育つのだ」
って誰かが言ってた気がする
100 :
96:2000/11/05(日) 04:55
>98
いわゆるナンバではなく、
>>88さんが紹介して居るサイトに
有るように、自然な歩行の中に、ナンバに通じる原理を見取
った、と考えるのが妥当ではないかと思います。
101 :
95:2000/11/05(日) 05:08
>100
よくわからんので、ちと噛み砕いて説明願えんでしょうか。
えーと、俺の意見は
形意拳の馬形が、意識的に手と足を同時に出す動きなので
当時の馬も前足と後ろ足同時に出していたんじゃないかな、という
馬の話ね。
武術的な議論のつもりじゃ無しに。
102 :
97:2000/11/05(日) 05:13
>99
「人は女に生まれない。女になるのだ」ボーヴォワールの名言ですね
でも私はそうかな?と思います。人間も動物の一種と捉えると
やはり基本動作は本能によるものが大きいと思っています。
泣き声や、痛みを感じたときに発する声はどこの国もよく似ています
歩くという行為も本能的なもので世界共通ではないかな・・?と思います
(一部の障害者はのぞきます)
最初の方で誰かがいっていましたが、確かに歴史を捏造する方向に持っていっている人がいます
アマラ・カマラの例などは教育学、心理学に半ば強引に浸透していってしまいました
私は学界でこの人達のやり方が嫌いで、反対派に回ったというネガティブな動機があるのです・・
って自分のことを喋りすぎですね。
ただ!繰り返すようですが私の論も推論に過ぎません
ナンバ歩き派の方々も説得力は大いにあります
レベルの高い議論だと思います。(○山学派の数倍^^;)
皆さんの書き込み心待ちにしています。脱線させて申し訳ない・・
103 :
96:2000/11/05(日) 05:23
>101
それは、「何処の」馬か?ということにも依るでしょう。
馬形拳が何時頃できたものなのかは知りませんが、モン
ゴルによる支配の影響で、馬にそのような調教をするよ
うになった可能性は有りますが、このスレッドの本題で
ある、昔の日本人は、皆ナンバ歩きだった、という説と
これを同列に扱うのは少し違うような気もします。
つまり、馬のナンバは中国ではそれほど一般的なもので
はなかったのではないか、というのが私の考えです。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 05:27
>102
その捏造というのがよくわかりません
>反対派に回ったというネガティブな動機が・・
というのが説得力を欠いています。詳しく教えてください
105 :
95:2000/11/05(日) 05:28
>101
誤解されてるから言っておくけど、俺は形意拳とナンバの関係についての
考察を述べたわけではないので、そこのところお願いします。
形意拳の馬形について、俺の認識が間違っているなら
つっこんでくださいってことです。
106 :
95:2000/11/05(日) 05:37
>103
俺は
形意拳の馬形に限らず、馬形を最初に作った人が馬というものは、
馬は手と足を同時に動かして走る、という認識でいたのではないかと
思っただけです。
>104
私は武道といっても柔道初段しか持ってませんので
その辺の知識は乏しいのでsageながら書きますね^^;
要するに「自分の思想を事実として歴史に刷り込む」という人達がいるのです
歴史学者は事実を追求しなければならないのに・・
動機は不純かもしれませんが、正しいことをやっているという自負はあります
武道をやってらっしゃる方達がナンバ歩きの重要性をこれだけ語っているからには
武道においては合理的な歩き方だというのはすんなり納得できるのですが
過去の日本の民衆達がみんなナンバ歩き?と言われると疑問が生じます
専門ではないので、推論の域をでませんが、私としてはこういう考えと言うことで
勘弁してください
108 :
96:2000/11/05(日) 05:43
>105
???
武術の話では無くて、馬のことでは無かったのですか?
......ええと、簡単に言って、象形拳は、動物の見か
け上の所作を真似たものではなく、どのように力を使
っているか、ということに着眼点を置いたものではな
いでしょうか?
つまり、写実的なものでは無く、ディフォルメされた
表現だと、私は思っています。>馬形拳
109 :
104:2000/11/05(日) 05:44
>>102 あ、いやいや責める気はまったくありません
こちらこそ失礼な文をお許しください
最初の煽りくさい文と合致するので疑ってしまいました
しかしこれで全然わからないようになったな・・
この問題は武道板の域を超えているのでは?
110 :
96:2000/11/05(日) 05:45
>106
ええ、私もそう思っていますよ。
そう言う風には読めませんでしたか?
ごめんなさいね。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 05:55
>110
俺の意見を勘違いしてなければ
今までのような突っ込み方はなかったと思うのです。
112 :
39:2000/11/05(日) 05:58
モンゴル馬の矯正に付いて書いていた39です。
>95
中国は、水路による長距離移動中心でしたのでその為に大都市間の水路は、かなり昔に整備されていました。
馬のナンバ歩行の利点は、長距離移動した時、馬が疲れにくい事なので、馬で長距離移動するモンゴルならではの
馬の歩法と思われます。(稀に生まれながらにナンバ歩きをする馬も居る様ですが)
形意拳については、あまり詳しく無いのですが、水路の少ない中国北西部で発達した拳法で無いのなら
形意拳の馬形は、武術的歩法(動き)だと思います。
昔、中国に住んでいたので未解放地区すれすれの様な町にも行きましたが、馬はやはり普通の歩きかたでした。
113 :
95 :2000/11/05(日) 05:59
111は名無しだけど俺の書き込みです。
あー、ガキみたいな書き込みしてしまったー。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 06:03
明治維新後設立された日本陸軍が
西洋式軍隊の訓練で左右の手足を逆に振って歩く
という訓練を行ったとき、手と足が合わなくて大変苦労した、
というエピソードを聞いたことがあります。
西洋軍隊式訓練を体育で取り入れたことで、
学校教育からじょじょにナンバの文化が日本から崩れていったのだそうです。
手を振って走るのも、走りながら遠心力を使って体を傾けてカーブを曲がるようになったのも、
明治以降だそうです。
魚屋も飛脚も手を振らずにぴょんぴょん飛ぶように走ったのです。
そもそも文化の中に走る必然がなければ走る人は限られてくると思います。
街は小さく、走る必要がない。
遠くに行くときは急ぐなら早い時間に出発する。
現代人の発想で当時の暮らしや風習、文化を考えると理解できないかもしれませんね。
上の方で秀吉の中国大返しの例を出している人がいたけど、
そもそも軍隊は強行軍でも走らないものです。
戦う前に疲れちゃうから。
115 :
95:2000/11/05(日) 06:26
>>95 でつっこんでください言ってるのは
>>105 でも言ってるけど
形意拳の馬形について、俺の認識が間違っているなら
つっこんでくださいってことです。
まあ自由に突っ込んでくれてかまわないですけど
なんか論点がずれてる気がしたので。
>>106 つまり馬形を最初に作った人が、馬形を作るまでに見てきた馬が
前足と後ろ足を同時に動かす馬だったのではないかと思っただけです。
まあ、この意見は深く考えてない、思いつきのかきこみです。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 06:29
あれ・・?おかしいなぁ・・
乃木語録で俺が読んだのは
日本の軍隊には足を合わせる習慣がなかったから
合わせるのに苦労したとは書いてあったけど
ナンバ歩きをしていたとは一言も・・・
でもそういうこともあったかもしれないね
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 06:41
>>114 >そもそも文化の中に走る必然がなければ走る人は限られてくると思います。
>街は小さく、走る必要がない。
>遠くに行くときは急ぐなら早い時間に出発する。
>現代人の発想で当時の暮らしや風習、文化を考えると理解できないかもしれませんね
しかし、走ると言う動作は必然性により行う動作では無いような気がするのですが?
確かに大人の目から見て街は小さくても、子供にしてみれば十分大きいはずですし
中国などの諸外国の日本の記述にしてもナンバ歩きの記述は、見当たらないように思えます。
仮に世界中すべての人間がにナンバ歩きだったとしても、
それまでしていた歩行を現代の歩行に改める必要は無いと思いますし、
日本人だけがナンバ歩きに改める必然性も感じられないので、
やはり武術的(特殊な)動作では無いのでしょうか?
118 :
96:2000/11/05(日) 06:42
>115
きりが無いですね。
>>105についての私の考えは、
>簡単に言って、象形拳は、動物の見か
>け上の所作を真似たものではなく、どのように力を使
>っているか、ということに着眼点を置いたものではな
>いでしょうか?
以上です。
>>106 については、違うと思います。失礼ですが、あなたは何か
習っておられますか?どう言う風に動いているのかは、素
人目にはなかなか解らないものですよ。
つまり、宇讃久斎さんが上の方で書いているように、一見、
ナンバらしくない動きでも、実は其の原理を含んでいる、と
いうことでしょう。
これ以上のことは私にはわかりませんので悪しからず。
119 :
104:2000/11/05(日) 06:57
どうにも気になってしまい、いろいろと本をあさってみましたが
なかなか信憑性がでてきました。>ナンバ歩き
「富国強兵の在り方」本ではなく、書き人知らずの資料価値もないものなのですが、教育の改革の項目でチラリとありました
西洋式軍隊を倣って腕を振り足をあげる習慣を体育によって身につけることを必須とするらしいです
書かれていたのはこれだけですが、腕を振って歩く習慣がなかったとも取れる文体ですね
単に軍への編入を考慮しただけかもしれませんが・・・
また右手と右足を同時に出すのがナンバ歩きだと思っていましたが
一概にそうは言えないようで・・知識のなさを露呈してしまいました
腕を振って歩かない習慣はあったのかもしれませんね
面白くなってきました。資料が見つかり次第公表していきたいと思います
120 :
ハエ:2000/11/05(日) 07:36
う〜ん・・歩行は環境で決まるのか、本能で決まるのか・・
ってことだよね?
122 :
96:2000/11/05(日) 15:55
>121
矛盾、とはこういうことでしょうか?
106の
>馬形を最初に作った人が馬というものは、
>馬は手と足を同時に動かして走る、という認識でいたのではないかと
を受けて
>私もそう思っていますよ。
と書いたものと
>象形拳は、動物の見か
>け上の所作を真似たものではなく、どのように力を使
>っているか、ということに着眼点を置いたものではな
>いでしょうか?
前者=馬はナンバ歩きをしていた
後者=馬はナンバ歩きをしていたわけではない
というふうにお読みになったのでしょうか?
馬は手と足を同時に動かして走る、という「認識」というのは、目の付け所、
観察力の問題を指している、という意味ならば同感だ、と書いたまでで、も
し、文字通りに、一目瞭然の側対歩で歩行していた、という意味で書いてあ
ったのならば、こちらの早合点でしたね。
しかし、あなたはこの個所を読んでもそのように感じたのですか?
>一見、 ナンバらしくない動きでも、実は其の原理を含んでいる、
煽りでは無く本当にそう思っているのだとしたら、少し、残念ですね。
123 :
95:2000/11/05(日) 18:11
>95
124 :
95:2000/11/05(日) 18:19
あー書き込みしくじったー。
>96
ハッキリ言うけど、あなた最初っから俺のこと見下してるね。
俺も素直に96の書き込みに対して
「そんなこと言われるまでもなく分かってます。」
と返事すればよかったよ。
>>118 習ってましたよ。
かってにド素人だと思って見下しててくださいよ。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 19:58
狼に育てられた子供というテーマは、ローマ帝国の末裔である
ヨーロッパ人の心の琴線に触れるテーマではありますな。
126 :
80:2000/11/05(日) 20:05
>>92 もしかして「俺は宇宙人に会った」とか言う人の話
そのまま信じたりしてない?
127 :
96:2000/11/05(日) 20:49
>124
こういう物言いは私の癖ですので、気に障ったのなら
謝りますが、あなたも相当乱暴ですね。
勘違いしている、とあなたは仰いましたが、話題(論
点なんて物では無いですね・自嘲)を変えていったの
はあなたの方では無かったのですか?武術のことかと
思えば、そうでは無くて馬のことだと言い、それにつ
いて応えた所が今度は武術についてだと言う。
少し考えてから書き込むようになさって見てはどうで
しょう。
ド素人と仰いましたが、私の方は最初は、何かやって
居ることを前提にして書いたつもりですが、どうも上
手く伝わらないようなので、こちらの勘違いだったか、
と思った訳です、失礼しました。
128 :
95:2000/11/05(日) 21:00
>>127 >何かやって居ることを前提にして書いたつもりですが
もしそうなら、
>失礼ですが、あなたは何か習っておられますか?
>どう言う風に動いているのかは、
>素人目にはなかなか解らないものですよ。
こういう書き方をしないと思いますが?
話題を変えていったとは、補足説明の文章ことを言っているのですね。
うまく伝わらなかったようですね。失礼しました。
129 :
95:2000/11/05(日) 21:01
あげてしまった・・・
130 :
96:2000/11/05(日) 21:14
>128
あなたの武術の技量のことは解りません。
もしかして私なんかよりもずっと上なのかも知れない。
ですが、あなたは他人と対話するのは余り上手では有
りませんね。というよりも、対話になっていませんよ、
これ。(笑
あなたの書きこみは相手の反応を念頭に置いたもので
はなく、言いっ放しのように感じられます。口喧嘩を
して勝ちたいのならともかく、他人とある話題につい
て対話したいのならば、少しその辺を考えた方が良い
のではないかと思います。
スレッドに関係有りませんね、もう終わりにしましょ
う。
131 :
あれ!:2000/11/05(日) 21:20
馬の話は、文化と武術の考察として非常に面白いんですが、
いつのまにか、95、96さんのケンカ(?)になってるんですが...。
今まで出た意見を少しまとめますと、
1.ナンバ歩きは確かにあった。
2.ナンバ歩きは特殊な歩き。大昔でも一般的ではない。
3.ナンバ歩きをしていた人、していない人がいた。
ナンバだけについても、白黒はっきりしないのに、
4.アマラとカマラ(狼に育てられた)はただの作り話。
教育学から、マスコミにいたるお話まででて、
5.馬の走法はナンバ?
6.形意拳の歩法(ナンバのような形)は、名前のとおり馬の歩法から?
で今論争中。と。
...、おもしろいんですがねぇ。
132 :
95:2000/11/05(日) 21:21
>130
あなたが人を見下す書き込みをしなければ
俺も反論しなかったでしょう。
>128
の書き込みで
>「こういう書き方をしないと思いますが?」
とたずねているんですけどね。これでも
>言いっ放しのように感じられます。
この考えは変わりませんか?
まあ、俺を対等に見ていないから分かってもらえないのでしょうね。
133 :
96:2000/11/05(日) 21:22
いや、面白くないです。
もう堪便してください。(笑
134 :
95:2000/11/05(日) 21:42
>>130 130の書き込みが言いっぱなしそのものじゃないですか。
読み返したら腹が立ってきましたよ。
>あなたは他人と対話するのは余り上手では有りませんね。
>というよりも、対話になっていませんよ、これ。(笑
この言葉は、そっくりそのまま返させてもらいますよ。
あなたに言える言葉じゃありませんね。
俺もこんな書き込み面白くはないんだけどね。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 22:16
ラクダの歩き方はナンバらしい。
これだと長距離を歩いても疲れないそうな。
そのかわり、ラクダの乗り心地は大型草食獣中、最悪だとか。
ものすごく揺れると。
136 :
あれ!:2000/11/05(日) 22:20
>>135 あ、...それなんか、凄いヒントなような...。
乗り心地を取るか、潰れない(長距離を走れる)事を取るか。
馬の頭数が確保できたのって、だいぶ後になってからですよね?
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 22:58
白人は狩猟民族で日本人は農耕民族というのは根拠がない。
白人は肉を食うが牧畜をしているためだ。
日本人も実は昔は魚、肉を食べていた。
そして1万年前はどの民族も農業がおそらくほとんど行われていないので
狩猟をしていた。
そして高度に文明が発達した国はすべて農業がさかんで3@`4000年まえのことだ。
はたして1万年で人種が改良されるだろうか?先進国は農耕民族ではないのか?
日本人=農耕民族は白人のプロパガンダと決定します。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:08
細かいことだが、狩猟・採集民族。
その形態は地域により、全く違う。
日本は採集型かな。
それと、民族と人種は違う。
人種は遺伝的な差異で、白人、黒人、黄色人種など。
民族と言うのは文化による者で、ユダヤ人などは、白人と黒人が双方いる。
日本は多民族国家などと言う者もいるが、実質単一民族国家。
アイヌは非常に少数派であるし、在日朝鮮人の一部、沖縄その他は、
実質的に日本文化に吸収されている。
「農耕民族」というのも当然、人種ではなく、農耕文化に暮らす民族を指す。
文化は小さい頃からの生活や慣習風俗を決定するので、その肉体・精神に大きく影響する。
それは、例えば食文化の変化によって、どれだけ体格が変化したかを考えればわかるはず。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:18
137に激しく同意!
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:27
環境問題の為、21世紀は狩猟民族は絶滅して、
農耕民族オンリーの世紀になります。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:30
138さん、なぜ生活の形態が違うのにモンゴル人と日本人の体格は同じなんですか。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:33
以外に知られていないことだが西洋のいなかの方では
肉は贅沢で食えないのだ。
日本は世界で最もマグロを食べる民族だが漁業民族では
ないのだろうか。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:34
>>141 モンゴル人の平均身長を知っているの?
体型ならまだしも。
しかし、股下何pとか知っているのか?
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:38
138さん、日本人はサラリーマン民族ということで良いでしょうか?
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:39
日本も田舎の方は魚は贅沢で食えないのだ。
今は違うけど、昔は。
死ぬ前には、白米を竹筒に入れて耳元で鳴らしてやるのだ。
146 :
141:2000/11/05(日) 23:46
俺は他の日本人はそうではないかもしれないが
モンゴルが好きなんだ。
モンゴルの文化も好きで色々と調べているのだが
平均身長のデータは無いな。
しかし見た目だけで判断すればかなり似ている。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:52
>117
鎖国が解かれて外国と戦争する可能性が出てきて
外国と日本では戦争のやり方が大きく違っていることに気が付き、
軍隊の組織の仕方や、肉体の作り方に学ぶことが多いと判断したから
維新後、軍隊・学校体育で強兵を作ろうとしたんじゃないでしょうか。
もし腕を振って走れなかったらのなら、ナンバを改め、早く走れるように訓練するのは
十分必然性のあることですよ。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:55
>>146 それは、「人種」的に近いから。東北モンゴロイド。
顔や体型は、遺伝的要素が強い。だから、日本人は
同じ身長でも、白人や黒人に比べてスタイルが悪い。
ボディビルディングのコンテストとかで、東北モンゴロイド系と
黒人とかが並ぶと、階級は近いから背は似てるのに、
そのあまりのスタイルの違いに愕然とする。
悲しい・・・。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/05(日) 23:57
俺は日本にある農民を差別する傾向が問題だと思うな。
田舎のほうに実際に行ってみればわかるけど実際の農家というのは
自衛隊員よりもはるかに現役軍人みたいな肉体の人たちだ。(信じられないだろうが事実だ)
土地を売って稼いでいる人達とはまた違うんだよな。
農村の勇気のある人達を起源に武士が生まれたと言う説が
あるくらいだし忍者が住んだ伊賀の里も農業が盛んだった。
むかしの農業はいまよりもずっと苛酷だったはずだし
今の農業は素人がすぐにやれるほど簡単ではない。
農耕民族であることを誇りに思ってプラス思考になれる
ようになったら良いのにね。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 00:01
>>148 モンゴロイドの体に自信を持ってもいいのでは?スタイルよりも機能だ。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 00:08
もともと、武士は都落ちして地方で農業始めた貴族を中心とした
独立自営農民だからね。なんとか源氏とか平氏とか。
やっぱり、士農工商新聞記者と。差別はいかんか。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 00:12
>>150 そう。
藤田・ザ・ネアンデルタールに代表されるように、
短足ずん胴腰デカ首太短顔デカのほうが、タフネスで
持久力と底力があって、取っ組み合いに優れているのだ。
153 :
あれ!:2000/11/06(月) 02:05
とうとう、
7.日本民族とはなにか?
という議題まででてきましたね。なら、ついでに、
8.武士とは、農家とは、職とはにか?
まで掘り下げますか?
一筋縄ではいかんとみた。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 20:55
日本人体型が向いているのは、柔道くらいだな。
あとはマラソン、水泳、体操、ウエイトリフティング、
そしてパワーリフティング(世界チャンピオンは日本人だ・・・日本人体型+筋肉+脂肪の)
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/06(月) 21:26
話をもとにもどしますけど、幕末の頃ヨーロッパ人によって撮られた写真では
飛脚はやっぱりナンバで走ってます。同様に火消しもナンバで走っている写真
をみたことがあります。大きな図書館に行けば幕末の写真集があると思います。
ご存知の通り、当時の写真は露光時間が数十秒かかるため、飛脚や火消しは実際に
走っているわけではなく、走るポーズのまま静止した状態で写真に収まっています。
飛脚と火消しのフォームを比べると飛脚の方が歩幅がひろいです。同じ走る動作でも
職業により走りかたが違う可能性があります。
つまり写真は証拠にはならない・・ということになってしまうよ
157 :
なんば。:2000/11/09(木) 17:36
日本人の赤ちゃんのよちよち歩きとか、ハイハイもなんばなのかな?
それだったら先天的に日本人はなんばなんだと思えるけど。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/11/09(木) 17:55
形意拳の馬形拳は両拳で同時に突きます。流派によって形は多少違っているでしょうが、
あれは馬が両前足を振り上げて相手を踏みつけるように攻撃するところをイメージしています。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/09(木) 21:03
>158
僕の知ってる流派(といっても2つ)は
その両手の攻撃の前に
外側へ大きく手と足を同時に振る動作をします
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/09(木) 21:20
161 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/11/10(金) 07:03
>160
96だけど、158じゃないですよ。
偉そうに見えました?
まあ我慢してください、形意拳を三十年近くやってるんだから。
159さん、僕が知ってる派にもその動作はあります。
そこが両前足を振り上げてるイメージの部分ですよね。
それから前足を振り下ろすように攻撃に移ります。
そもそも形意拳の歩法となんば歩きを結びつけるのは
ちょと無理があるような気がしますが。
(笑
>偉そうに見えました?
>まあ我慢してください、形意拳を三十年近くやってるんだから。
はあ?
形意拳を三十年近くやってるので偉そうに見えても我慢しろと?
偉そうですね
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/11(土) 01:11
>>161 形意拳を30年っても口では何とでもいえるからなあ
大気君なんか偽りの武術歴でブイブイ言わせてた(というより言ってたか)
からなあ
どうなんだろこの人?
165 :
96:2000/11/11(土) 04:27
>>161 騙るのは止めていただけませんか?
しかしまあ、本当にこういうことをする人がいるんですね。
三十年、なんて、誰が見ても明らかなデタラメでしょうに、
解らない人間が居るとは・・・。否、解っていて、煽りに
乗っているのですか?
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/11(土) 16:06
デタラメで威張ろうとはねえ・・・
煽りに乗ったのはあんたじゃない
前にこういうの面白くないって言ってただろうに
167 :
166:2000/11/11(土) 16:24
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/11(土) 16:35
騙りの仕業どうかなんて分からないけど
敵を作る文章だよな
三十年以上中国武術やってる人間なんて日本にゃゴロゴロいるぜ。
台湾でだって、香港でだって、米国だって中国武術は習えるぜ。
その他の国にだって華僑はいるんだよ。
親が華僑がいる地域に海外赴任すりゃあ、そこで武術を始められるだろうよ。
小学一年生から始めて三十年たったって三十七だ。
君たちは知らないだろうが、そういう人間たちのネットワークもある。
こざかしい議論を読んで笑っている連中は日本だけでも山ほどいるんだよ。
まあ好きに空想を膨らませて遊んでなよ。
華僑でなくても三十年以上やってる人もいるに決まってる
当然のこと
でもこんなところで発言はしないと思う
不毛だから
そしてこんな議論を読んで笑ったりしないだろ
嫌な気分にはなるかもね
171 :
96:2000/11/12(日) 07:21
書き方が悪かったようですね。
自分は〜年間やっている、などという愚にもつかない
自慢話をするような人間を信用するような人は居ない
でしょう。161さんはその辺で受けを狙ったのでしょ
うが、それを受けてこういう話題が出て来るというこ
とは、確かに不毛ですね。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/12(日) 16:29
>157
赤ちゃんのハイハイは「なんば」じゃないと思うぞ。
近所の赤ちゃんは犬猫式(右手左足)ハイハイで、
かなりのスピードで移動する。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/12(日) 16:56
それでは、
1.ナンバ歩行は持久性重視、スピード軽視という考えからすると前者。
2.昔の日本人は上記概念により、ナンバ歩行を当然のものとしていた
可能性もでてきた。
3.幕末の写真は露光に時間がかかるため、まさに歩行、走行の1次証拠とは
ならないが間接証拠にはなるかも?
4.馬と形意拳キャリアを巡って泥仕合進行中。もうやめてください。
という中間結果に。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/12(日) 17:09
>それを受けてこういう話題が出て来るということは、
>確かに不毛ですね。
口が減らん人だ・・・
175 :
>76:2000/11/14(火) 00:31
>>37、38
>ナンバで飛ぶように走る飛脚は本当です。
彼>らは「えーっさーっさー、えーっさーっさー」と声をかけながらリズムをとり >
ぴ>ょーんぴょーんと飛ぶように走ったそうです。
>職業身分のカタログである歌舞伎の表現でも
>飛脚の走り方はそのように伝えられていますし、
>江戸時代の飛脚の絵はナンバ以外のものは確認されていません。
>あなたのいうように浮世絵は中途半端に絵師の都合などで書かれるものではありません。
見てきたようなデタラメを言うなよ。
あなたのようなのがいるから無知な人が誤解するのだ。
飛脚でそうでない絵というのは確実に存在するよ。
あなたの勉強不足だ。
176 :
無茶苦茶だね:2000/11/14(火) 00:52
>実際に見てくれ。それしか言えんわ。
>軍隊式の教育自体の成果が出始めたのは、太平洋戦争の頃だろ?
>日露の頃じゃ、子供の頃から教育受けてる人間も兵士に少ないから、
>なんばもありなんじゃない?
こうなると、理屈も無茶苦茶だね。
太平洋戦争の頃に行進が「非ナンバ的」に行き渡った、日露の頃は
そうでなかった、といったら、うちのじいさん腰抜かすよ。
(といって、もういないが)
そういう話があったら軍事教本には必ず出ているはずだが、皆無。
あなたは20そこそこの人だろうが、できるだけ、昔の人の話を
聞き、そのおじいさん、ひいおじいさんから、ナンバについての
話を聞き出してください。そうすれば、実感できます。
「そんな馬鹿な話聞いたことはない」
と笑うでしょう。
でも、誘導尋問なしでね。昔の人は素朴だから相手に相槌打つ傾向あり。
>あと、同番組にもう一つ面白い映像があったよ。
>第一次世界大戦以前は、自分達が思っているほど、しっかりとした「行軍」
>はまだなされていないね。
>ドイツ、イギリスとかの軍隊の行軍は、整然にはなっていなくて、
>隊列は適当。腕も振って歩いている兵士がいない。
>軍の規律が厳しくなったのは、民間人を大量に投入するようになったからでは?
行軍と、観兵式での分列行進とは違うのだよ。
行軍は、自然な歩き方。行進は、儀式的な歩き方。歩調取れ、というのは、
集団訓練としての意味と、示威的な意味があるに過ぎない。
大陸を長躯歩きつづけた日本の兵隊がナンバで歩けたわけないだろうが。
たわけた話だ。
第一、「江戸はナンバだったから明治に矯正した」という「ナンバ派」が、
明治以降の軍隊にそれが残余しているというところ事体、矛盾している
と思わないか。まして、軍教本の資料にもない。
「ナンバ」を正当化しようとしている理由は、
一、絵がそうだった
二、武道、舞踊がそうだった
これだけ。一は間違っているし、二は理由にならない。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:05
ルイスフロイスを読めよ。
あれだけ微に入り細に入り日本と西洋の風俗文化について
記した本の中に、そんな馬鹿な話は一言も触れていない。
朝鮮人は、日本の風俗について神経症的に細かく書き記しており、
いくつかの書物が残されているが、これとてまったく触れていない。
最近で言うと、考古学を偏重して文献学を軽視した古代史家が、
今回の事件で反省を強いられている現実がある。
物事の一部を過大に見て総合が見えなくなると、
それはトンデモになってしまう。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:12
すでに武道とは関係ないような気が、、、。
日本史板でやる話しでは?
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:12
ここのスレの一部の「ナンバ派」が、
「一般人はふつうの歩き方だったが、軍隊行進はナンバだった」
と言ったかと思うと、
別のナンバ派は、
「軍隊行進を確立するためにそれまでのナンバを矯正した」
とまったく、逆のことを言っている。
支離滅裂とはこういうことを指すのだ。
ナンバ「急先鋒」の学者文化人は、前者のようなことを
言っているようだが、その学者は昭和初期に来た外国人の
日本人の市井での歩き方を、
「手を振らない独特の歩き方」
と評したのを引用して、ナンバの一根拠にしている。
こんなトボケタ学説が通用するだろうか。
昭和初期というと、今でも生きている人がうんといる。
この人たちの歩き方というのは今と変わらない。
そうした根拠を持ち出すなら、今の人の歩き方を出せば言いのであり、
学説としての論拠として誤っている。
こうした矛盾、デタラメに近い話がたんとある。
180 :
あれ!:2000/11/14(火) 01:16
>>176 >実際に見てくれ。それしか言えんわ。
>軍隊式の教育自体の成果が出始めたのは、太平洋戦争の頃だろ?
>日露の頃じゃ、子供の頃から教育受けてる人間も兵士に少ないから、
>なんばもありなんじゃない?
>こうなると、理屈も無茶苦茶だね。
別に屁理屈言ってるわけじゃないよ。
映像で流れたものがそうだったから、それから考えられる推測を言ってみたまで。
事実が先にあるから、理屈じゃないのよ。
>あなたは20そこそこの人だろうが、できるだけ、昔の人の話を
>聞き、そのおじいさん、ひいおじいさんから、ナンバについての
>話を聞き出してください。そうすれば、実感できます。
>「そんな馬鹿な話聞いたことはない」
>と笑うでしょう。
>でも、誘導尋問なしでね。昔の人は素朴だから相手に相槌打つ傾向あり
これこそ屁理屈でしょ?
年寄りの話がすべて事実なの?記憶は歪曲されるし、「ナンバ」という用語自体、
いつ頃のものかも分からないのに、そんなこと聞く訳?
素朴な人間に、答えを限定した質問をする事自体、誘導尋問でしょ?
で、偉そうな事言う君は、10代なのかい?
年寄りから聞き取り調査をするのは、すごく根気の要る作業だし、
その御老人1人の話が全てで言い訳?
人の揚げ足取れるほど、君はたいしたこと調べてないよ。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:20
↑
訂正、
学者は「前者」でなく「後者」を立論としている。
182 :
あれ!:2000/11/14(火) 01:25
もうひとついえば、あまりにも否定も肯定もヒステリックすぎる。
この国自体、明治初期までは各地の風俗は固有のものがあったはず。
「日本人」ってくくりも大雑把だ。
俺も、全国民がナンバだったかどうかは懐疑的だが、
ナンバ歩き自体を全否定するのは...。
183 :
>180:2000/11/14(火) 01:27
君の見た映像は@`私には思い込みの強い君の錯覚としか思えない。
年寄りの話から、すべて真実は得られないが、リアルな世界というものは
読み取れるはずだ。
言っている内容からすると君はすこぶる若いようだが、
「君の言っている(たぶん君だろう)太平洋戦争のときようやく軍事行進が確立した」
みたいな話は、そうしたリアルな現実を知らないから生まれるのだ。
謙虚に自分の小さな世界を批判してみることだな。
屁理屈にもなっていないのだよ。
太平洋戦争時分に行進していた人というのは、今から50年位前は
今の君たちと全く同じような動作振る舞いをしていたのだよ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:34
なんばかどうかは別として、武士の歩き方が今の人と違ったことは確かでしょうな。
刀差して歩くと、独特の歩き方になる。
185 :
あれ!:2000/11/14(火) 01:36
>君の見た映像は@`私には思い込みの強い君の錯覚としか思えない
すまん。「見ていることが前提」の意見に見ていない人間が
「錯覚だ」というのは何の論拠にもならない。
煽りだと思っていいかい?
>太平洋戦争時分に行進していた人というのは、今から50年位前は
>今の君たちと全く同じような動作振る舞いをしていたのだよ。
だからこんな意見が出る。
そこで流れた映像は、一番古いモノは100年以上前。
俺が見たのも、203高地での行軍で、90年ぐらい昔の話。
ダメだよ、ヒステリックになっちゃね。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:38
中国の昔の話なんかでは、地域によって歩き方が違うなんて話がよくありますな。
まあ、中華思想による差別なだけかもしれないけど。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 01:50
>俺も、全国民がナンバだったかどうかは懐疑的だが、
>ナンバ歩き自体を全否定するのは...。
このスレの題名をよく見てくれよ。
どこに論点があるか。
188 :
あれ!:2000/11/14(火) 01:54
>>187 ありゃ?そうだった。
「明治以前はなんば歩きが普通ってホント? 」
だったね。
確かに、「普通」かどうかは俺も疑問だ。地方ごとに違うかもしれないし。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 07:01
>あれ!
このスレで一番ヒステリーなのは、あんたとしか思えないな。
自分にちょっとでも都合が悪い意見が出ると
「よくもボクちんのナンバを全否定したなー!キー!」
だもんな。
190 :
あれ!:2000/11/14(火) 12:46
>>189 そう?
ナンバ否定はぜんぜんOKなんよ。
ただ、いまいち説得力にかけるのよ、否定意見、ってよりも
俺に対する反論が。
肯定派って訳でもないんで、結構意見を方向転換してたりするんだけど。
あ、しつこいのは認める。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 17:02
このなんばの話がいかがわしいのは、
1)主張している学者文化人の説がどれも、矛盾に満ちたものであること。
2)部分的な瑣末事を針小棒大に展開していること。
3)我々の日常的な感覚(良識)から想像しがたいこと。
これらの条件は明らかにオカルト思想たるに十分なものである。
もっとも、なんば歩きを一つの人間の動作の形態として、現代人と比較し、
文化史的に客観している謙虚な視座は否定しない。
しかし、当スレの表題の如き形容にまで及んでしまうと、これには警鐘を鳴らしたい。
マジで。
UFOだのなんだのといった馬鹿馬鹿しい話が又一つ増えるかと思うとうんざりするのでね。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 18:14
まあしかし、科学的、バイオメカニクス的な視点について言えば、ころころ変わるからね。
陸上の短距離走なんて、しょっちゅう定説が覆っている。
文化的なものに影響されるのでは、タンチャブリ人の例もあるし、
誰にも確たることは言えまい。
正座なんて、一度絶えたら、あんな不自然な座り方の民族などいたわけないとか言われそうだし。
今後の研究を待とう。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 19:30
正座余談
>正座なんて、一度絶えたら、あんな不自然な座り方の民族などいたわけないとか言われそうだし。
外国の本で正座の仕方をわざわざ”zen-sitting”て
紹介してあった。”地球(地面)を体で感じることのできる
とってもピースフルな座リ方なんだそうな。知らなかった(笑)
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 20:32
>193
イカスぜ日本文化!
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/14(火) 23:55
>175
はて、その飛脚の絵とはどこの誰が描いたなんという絵でしょうか?
非常に興味があります。
もしかすると大発見かもしれませんよ。
あなたがどれくらい浮世絵に詳しいのか存じませんが、
もしあなたが人物の足の右と左を見間違えておらず
手と足を逆に出して走っている絵があるとすれば、
それは江戸風俗研究の常識を覆す重大な証拠になります。
ぜひ、教えていただきたい。
念を押しますが煽りではありません。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/15(水) 00:36
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 07:19
>あなたがどれくらい浮世絵に詳しいのか存じませんが、
>もしあなたが人物の足の右と左を見間違えておらず
>手と足を逆に出して走っている絵があるとすれば、
>それは江戸風俗研究の常識を覆す重大な証拠になります。
>ぜひ、教えていただきたい。
>念を押しますが煽りではありません。
あなた、ここは浮世絵論議じゃないのです。
ナンバ歩きについて、表題のことを論じているのです。
スレをよく読みましょうね。
そして煽るなら煽ってください。
199 :
日本史版からコピペ:2000/11/19(日) 07:23
153 名前:証拠投稿日:2000/11/17(金) 01:40
フロイスは親日的というイメージがあるが、所詮は異邦人だ。
軍事関係についても客観的に細かく記しているように、
その国の長所短所を性格に見極めて国力を測ろうとしている意図も見受けられる。
日常日本人がナンバ歩きのような一種非合理な歩き方をしておれば、そのことは
必ず書き記したはずだ。154 名前:証拠2投稿日:2000/11/17(金) 01:41
幕末から明治にかけては多くの写真が残っている。
上のほうで、「当時のモデルが歩く姿のポーズをとって写っているが、
露光時間の関係でそれが実際の姿とは限らない」
とのレスがあったが、モデルが意識的に「歩くポーズ」を見せたとは思えない。
だから、なんら根拠なし。
そんなことよりも、沢山の路上の風景の写真を見たほうがいい。
写っている人たちはカメラの性能が悪い時代は静止させられて写っているので、
歩く姿はない。しかし、そこに写った人々の身体、表情を見て、
「今の俺たちと変わらない」
生き生きした姿をなぜ想像できないのだろう。
戦後は経済発展したといっても、戦前戦後、さらに、戦前の日本の変貌と比べれば、
その変化(習俗、風景、人間性)は乏しいものだ。
昭和末期と、平成の今の世はほとんどかわりない。
若い人の親もそんな時代に生まれている。今の若い人には、昔の人を
「別世界」の人間
と見る傾向が生じてしまうのではないか。それが、簡単にナンバのような眉唾な話を鵜呑みに
してしまう原因と思う。
155 名前:証拠3投稿日:2000/11/17(金) 01:43
さて、そんな、私の主観よりも、
「ナンバ歩きは昔日常行われていた」「日本人は腕を前後に振っては走れなかった」
「明治になって軍事教練で矯正した」「それでも、うまくはいかなかった」
みたいな、言説が完全に否定される資料を紹介したい。
これは、新潮社から出版されている
『幕末・維新の写真集』(題名は不正確かもしれない=後日確認してもいい)
のなかの、明治10年に銀座四丁目の雑踏を写した写真である。
カメラの性能も向上し、人々のふだんの動作も見て取れ、
しかも、写真としての出来栄えもよく、
古い写真としては傑作の部類に入るだろう。
ここには、人力車、子供、夫人、紳士など当時の銀座を徘徊していた普通の日本人の
多くの姿が映っている。
この中に左のほうの街路をこちらに向かって描けてくる人がはっきり写っている。
その姿は、そう、
マラソン選手の走り方と全く同じである!156 名前:証拠4投稿日:2000/11/17(金) 01:46
これは、私が虫眼鏡で発見したわけではない。
当時の写真に写っている私たちの祖先から、
活き活きとした姿を愛情を込めて観察しようとする本の著者自身によって発見された。
すなわち、文中において、この人物に関する感想が述べられているのだ。
著者は無論ナンバ歩き、ナンバ走法については無関心だからそんなことには触れていない。
忙しそうに走っている、その姿に人々の活気を見たのだ。
壮年の男らしいその人物は、腕を直角に折り曲げ、まるで陸上競技の訓練を受けたかのごとき
見事な走法を見せている。出した腕と同じ側の足は力強く後ろに蹴っている。
つまり、今の我々と全く同じである。
明治10年というと、まだ、日本が近代化を完成してない時代だ。日本の近代の完成は
大日本土木帝国憲法などが施行された明治20年ごろといわれる。そのころになって
ようやく近代的軍隊も完成し、日清戦争に臨めるほど力をつけるわけだ。
しかし明治10年というと西南戦争のころだ。まだ江戸の気風が色濃く残っていた時代である。
「明治以前はナンバが普通だった。走ることさえなかった。手を前にだらりと下げて
ちょんちょんと走っていた…」
そうしたデマを飛ばす文化人こそ、テレビドラマか何かの俳優の姿から想像した
「時代に拘泥」
させられた観念人間というべきであろう。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 13:30
走ることが無かったなんて思ってるやつは頭悪すぎだよ。
どう考えても走ることが出来なかったら不便すぎ。
201 :
あれ!:2000/11/19(日) 13:45
>>200 >どう考えても走ることが出来なかったら不便すぎ。
なんに対して不便なのか?普段自分達がどのシュチエーションで走るのか考えた事ある?
体育のときか、急ぐ時。これだけ。
両方なければ走る必要が日常には無い。それは引きこもりの厨房が証明している。
202 :
あれ!:2000/11/19(日) 13:49
>>199 の日本史板の論争は、これで方が着いたと考えてもいい。
いくら俺が「NHKでみた」といっても、画像がアップできなければ
何の証明にもならないから。
現存する証拠からは、ナンバ歩きの証明は難しいから。
203 :
あれ!:2000/11/19(日) 13:54
ただ、腹の立つのは「赤ん坊を育ててみれば分かる」って言ってる奴。
おまえな、本当に育てた事あるんか?クソまみれになって。
歩きを覚えた赤ん坊が手を振らないのは、誰でも知ってるよ、人の親なら。
手を降るのを覚えるのは、走り始めたときだよ。
歩く事のメカニズム自体に「手を振る」行為はいらないんだよ。
ナンバの考察とは関係ないが、人の親としてage。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 14:05
小学生のときとか、競歩の真似事やってたら絶対走り出すやついたなあ
やっぱり人間同士は競い合うし、走らないわけ無いよ
それに庶民だって急ぎの用事のとき走らないわけが無い
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 14:09
急いでるときに早歩きですます訳は無い
ぎこちなくともスピードを出そうと走り出すはず
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 14:59
交互に片足で跳躍しながら進んでゆけば、
手がどういう風に動いていようと、走るという行為になります。
早歩きなどより、遥かにスピードのでるこの移動法を
昔の人が知らなかった、利用しなかった
ということだけは無いと思います。
例えば、人を追うとき、人に追われるときに早歩きで移動する訳はないのです。
207 :
あれ!:2000/11/19(日) 15:19
>>206 腕を前に組んでその走り方をしてみてごらん。
手を下げた状態にするよりも走りずらくなるよ。
手を振るのは初歩的なバランスを取る行為だと思うけど、
手の位置がどこにあるかで、もう重心の位置が違うんだから、
走る行為に手の動きは重要な働きをしていると思うよ。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 15:53
>両方なければ走る必要が日常には無い。それは引きこもりの厨房が証明している。
ネタか?それにしてはセンスねーな。
だったら日本は他の地域に比べて格段に走る必要がなかったと
証明しなきゃならないんじゃねーの?
ま、それはともかくとして、走る必要が日常にあるかどうかは関係ない。
問題は日本人が人類に普遍的な走りかた、ができる能力があるかどうかだ。
当然それには誰の教えもなしに、成長すれば走ることができるという本能も含まれる。
ことにあんたは「走る」という行為が本能ではなく、学習によって習得されると考えてるようだが
その根拠を問いたい。(私が見た、は不可)
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 15:59
>>207へ
>>206は「手がどういう風に動いていようと」と言っているぞ
人間が走らないわけ無いだろ、といってるだけの話だよ
とてつもなく標高の高い場所に住んでる訳じゃないんだから
そりゃ走るよ
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 18:09
私はキテレツサイ様だ。わたしはナンバだ。コロ助よ、キテレツの元に帰りたいか?
こんな歩き方をする私は嫌か?キモイか?
211 :
あれ!:2000/11/19(日) 18:37
>>208 言い切りすぎたわ。言いたかったのは「走るという行為の洗練化」が
進むという事。
引きこもって走らなければ、どうなるか?当然その錬度が下がってくるって
いうのをネタ的に書いてみた。
センス無くてすまん。
しかし、走るという行為が「本能」かどうかは疑問だ。
もし本能なら、歩くと同時に走る事ができると考えていいからだ。
四足の哺乳類は自由に歩く身体を獲得した時、すでに走ることができるが、
人間は歩くところから走れるようになるまで、かなりの時間がかかる。
もちろん、2足歩行の人類を簡単に比べていいものかどうかはあるが。
212 :
あれ!:2000/11/19(日) 18:45
>>209 あんたの解釈もわからん。
俺に対しては誤解を生む書き方をしたからかもしれんが、
>>206 は、「こういう走り方もある」といってるだけだと思う。
一般的な意味で言うと「走っている」というより、「跳ねている」感じだけど。
ただ、この動きに手がどのようについていくのか?
運動としての効率を考えたら、手の位置を無視できないんじゃないか?
213 :
あれ!:2000/11/19(日) 18:53
学者ではないから、言い切れないが走るという行為は
「足を速く交互に動かす」「歩く動作を速めたもの」だけではないでしょ。
我々が行なっている動作で「本能」に基づくものは、どれぐらいの割合だろう?
って考えると、他の哺乳類に比べてかなり低いと思うぞ。
214 :
あれ!:2000/11/19(日) 19:03
あああ、しまった。
また誤解を生む書きかたしてる。
「運動工学的に」が抜けてた。
あれ!さん、走るのは本能だと思います。ただその本能を発現させるまで
に時間が掛かるものであるということに過ぎないのではないでしょうか。
当然生まれてから走るという環境がなければその本能も発現することもな
いかも知れませんね。
本能的に人間の赤ん坊は泳げます。しかし成長するに従って、その能力は
一旦は無くなりますよね。
また同じ走るでも、短距離走と長距離走では、走り方に違いがありますね。
物を抱えて走る場合はどうでしょう?
スピードを重視する走り方、パワーを重視する走り方、または持続性を重
視する場合など、もう少し考えてみませんか。
歩く場合でも同じようなことが考えられると思います。
216 :
あれ!:2000/11/19(日) 19:46
>宇讃さん
えーとですね、俺は人間の動きのどこまでが本能か?ってことに懐疑的な
男でして...、
例えば、赤ん坊を腰を持って直立させてやり、地面に軽く足を
つかせると、その足が歩行動作をおこないます。
育児書とかにも書いてある「歩行反射」というヤツです。
これも、4、5ヶ月で消えてしますのですが、この時手を振る行為は
歩行反射のなかにありません。
人間はどこまで本能で動いてるんでしょうね?
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 19:57
アザラシやビーバーは親が教えなければ泳げないそうですね。
本能がどの程度のウェイトを占めているのかを算出するのは
難しいと思います。
カスパー・ハウザーは走ることが出来たのでしょうか?
少し極端な例ですが、ヒントになるのではないかと思います。
ふむふむ、なるほど。何を本能とし何を本能としないかは、ここでは難しい
でしょう。さて、昔の戦場で走って突進するということはなかったでしょうか?
たとえば槍を持って突っ込むとか。そしてその役割を担っていた者は、戦の
ないときは何をしていたのでしょう。
そしてその子供は戦ごっこなどして遊ぶことはなかったでしょうか?
こういう角度はどうですか?
219 :
209 :2000/11/19(日) 20:28
>>209 あんた勘違いしてるよ
>>6は
>交互に片足で跳躍しながら進んでゆけば、
>手がどういう風に動いていようと、走るという行為になります。
書いているだろ
走るという動作を分析してみなよ
少なくとも片足は絶対に浮いている状態だろ?
そこを片足で跳躍と言ってるんだろうよ
>とてつもなく標高の高い場所に住んでる訳じゃないんだから
>そりゃ走るよ
ココもわかってないかも知れんので説明しとくが
標高が高いので酸素が薄く、走ると危険な地域ってのがあるのよ
もちろん人のすんでるところでね
そうでない地域では走らないわけ無いだろ、ということ
220 :
209:2000/11/19(日) 20:32
間違えた
>209
>あんた勘違いしてるよ
でなく
>>212 あんた勘違いしてるよ
だね
俺も勘違いしちゃったよ
221 :
あれ!:2000/11/19(日) 20:46
>>218 ええ、俺も走るという行為自体の否定ではないんですが、
「競争の原理」が働かないところで、走る事が意味を持つのか?というのが
分からなくって。
留まっていると死の確率が高まる場所で、走る事は当然なのですが、
走る事が意味を持たないところではどうなるのか...。
>>219 これは俺に対するレスだと思うけど、
山間部に住んでても走る事が不利になるのでは?平地のようには走れない
はずだし。
「片足で跳躍」って文字どうりの意味に解釈すると、陸上選手のような
走りにはならないから、あのレスになったんだが。
222 :
209:2000/11/19(日) 20:55
>>221 >山間部に住んでても走る事が不利になるのでは?平地のようには走れない
>はずだし。
そんな話をしてるんじゃない
走れないような場所に住んでいるならいざ知らず
そうでない場所で走らないやつがいるか、って話だよ
>「片足で跳躍」って文字どうりの意味に解釈すると、陸上選手のような
>走りにはならないから、あのレスになったんだが。
陸上選手のような走りでも片足は浮いてるだろ
だいいち
>>207で手の話をしていたから
そうじゃなくて走ることの話だよ、と突っ込んだの
>>221のあれ!さん
競争原理ではなくてもやはり危険回避とかありますしねえ、子供のうちは
やはり競争原理も働いているでしょう。ただの遊びにしても。
それと学習意欲というものもあるのですから、誰か走る能力がある者を見
ることによって走るということも学ぶと思います。
しかし、生活環境によってその能力も衰退することもありますから、やは
り武士以外の庶民が9割を超えていたわが国で、走るということに長け
ていた人はいないと思いますし、特に女性の場合は衣服等の関係で小走り
程度の走り方しか出来なかったでしょうね。
手足が互い違いに動く走り方は、スピードは出ますがパワーのない走り方
でしょう。また、長距離を省エネルギーで走るには手をあまり意識して振
るようなことはしないでしょう。マラソンの走り方がそれを示してします。
なるべく体軸を立てて体軸の捻りによるエネルギーで走ります。
また、重いものを抱えて走るためには上下動も左右へのぶれもないような
走り方が必要でしょう。
昔の日本人の生活習慣では、まず一番最初の走り方は必要ではなかったで
しょうし、2番目の走り方も特殊な人に限られていたのではないでしょうか。
また、履物の問題もありますよ。草履履きでどの走り方が可能か考えてみて
もいいと思います。
224 :
あれ!:2000/11/19(日) 21:10
>>222 おれは走るという行為を否定してるんじゃなく、走る事が本能的で誰でも
学ぶ事ナシに同じ走り方ができるってことに懐疑的なの。
だから走るといっても、みんな「手を振って、腿を持ち上げて」走っていた訳では
ないんじゃないか?って言ってるの。
標高の話を取り上げなかったのは、どこにいても危険があれば走ることはするから。
逆に危険と競争がなければ、走る動作の錬度は上がるのかがというのが俺の疑問だから。
>>206 >交互に片足で跳躍しながら進んでゆけば、
>手がどういう風に動いていようと、走るという行為になります。
>早歩きなどより、遥かにスピードのでるこの移動法を
>昔の人が知らなかった、利用しなかった
>ということだけは無いと思います。
>例えば、人を追うとき、人に追われるときに早歩きで移動する訳はないのです。
ね、手がどういう風にってあるでしょ。
225 :
206 :2000/11/19(日) 21:16
言わんとするところは、フォローしてもらっているのですが
跳躍という表現は、マズかったと思います。すみませんでした。
226 :
209 :2000/11/19(日) 21:25
>文字どうりの意味に解釈すると、陸上選手のような
>走りにはならないから、あのレスになったんだが。
か、ごめんなさい誤解してた
>>222の
>陸上選手のような走りでも片足は浮いてるだろ
ここの部分は凄く失礼な事をしました
後の部分の意見は変わりませんが、申し訳ないです
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 21:36
戦場では、今のような走り方はしないはず。
刀を差すだけでも、今のような走り方は出来ない。
ましてや、重い鎧をつけて槍を持って走るときに
今のような人の走り方をするのは、ゴジラが直立して走るようなもの。
(なんかの本に、ゴジラの体型で直立して歩いていると、尻尾の遠心力で
大揺れに揺れてまともに動けないとかいてあった)。
時代劇で、たしか「走れ兵馬」だったかなんだったか、主人公の若い俳優が、
刀差したまま今風の走り方をするので、刀がいかにも竹光と言うように
軽々と左右に振れまくって、おかしかった。
昔の武士は、おそらく、上体を基本的に動かさず、表面的には
足だけ動かして走っていたはず。昔の映画の忍者のような走り方。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 21:53
歩くという行為は、先天的なものではなく、後天的なもの。つまり、
学習して出来るようになる行為です。そのため、昔見つかったオオカミ少女は
二足で歩くことができず、四足歩行だったらしいです。
当時の人がナンバで歩いていたとしても、それが当時教わった歩き方ならば、
あり得るだろうと思います。
今の歩き方も親などに教わった(見よう見まねと言う意味で)ものですし。
229 :
あれ!:2000/11/19(日) 21:59
>>228 アマラとカマラですね。でも
>>90 の方に否定されているんですよね、これは。
いや、参考までにですが...(作り話だったってありました)。
230 :
あれ!:2000/11/19(日) 22:01
ごめんまちがい。
>>90じゃなく、
>>97 だった。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/19(日) 23:49
>明治以前はなんば歩きが普通ってホント?
うそです。
232 :
子供を育ててみれば分かる:2000/11/20(月) 00:11
>>203 久しぶりに覗いてみたら、
なんかすごいことになってるね。
馬の歩き方とかラクダの歩き方とか…
で、本題ですが、
腹が立つのは勝手だが、2児の親だよ。
自宅中心の仕事なので、家でもずっと子供と一緒。
週2〜3回は、日中に子供を公園で遊ばせてもいるから
他の子供を見ている機会も多い。
その意味では、平均的なサラリーマンよりは
子供との接触時間はずっと多いよ。
>おまえな、本当に育てた事あるんか?クソまみれになって。
どうしてこういう反応になるんだろうね?
こんな反応をするやつに限って、
自分ではロクに練習もしないくせに
巨大な口を叩いているんだろうな…
そう思いました。
客観的には大した練習じゃなくても
「俺は頑張っている!」「他流はクズ!」
みたいなね。
233 :
:2000/11/20(月) 00:14
なんば歩きはともかく、なんばで走れますか。
私やってみたんですが、スキップみたいになっちゃってとても
走るというレベルになりませんでした、それとも練習次第でできるのかな?
「なんば」っていう言葉が統一されて議論してるのかいねえ。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 00:54
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 01:04
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 01:58
だから、走る技術を持った者が特殊な仕事をしていたわけだ昔は。
そんで「お主、里の者ではないな!」とかの展開になる。わくわく。
238 :
日本史版からコピペ:2000/11/20(月) 02:19
>235
ざっと読ませていただきましたが、
スポーツトレーニングの方法としての有効性については分かりました。
たしかに、人間の肉体の機能は日常もっともあり得べき形態で
表れているのですから、限定された感覚、筋肉の動きの範囲内でしか
発揮されていないことは分かります。
逆立ちによって体液の循環をリフレッシュするとか、ヨガの
方法とか、いろいろな試みがなされているのは知っています。
同様に、ナンバ歩きを日常取り入れることによって心身のリフレッシュ
あるいは、そうした、運動トレーニングに役立てる効能は認めます。
しかし、文意にある、「江戸時代までの日本人固有の動作」
ということについては、どうしても、承服しがたいのですよね。
人類史(元は四足歩行)と比べたときの、「江戸時代」の
「近代性」。これは、いかんともしがたい「近さ」ではないか。
いうなれば、日本の江戸をいうよりも、「人類」の問題になるでしょう。
にもかかわらず「日本の江戸」とか「飛脚の絵」とかにこだわることに、
不自然を感じます。
つまり、
「江戸」=前近代
「明治」=近代
という截然たる図式にとらわれすぎている、というか幻想である、
という問題のほうが、当スレの根本にあると思う。
このことと、一連のスポーツトレーニングの効能とは、
別問題と思いますね。
スポーツトレーニングについての効能を示すのはいいのですが、
それを強調したいがために、
前提として「日本固有のなんば」
を持ち出したとき、それは、トレーニングの問題から逸脱した(行き過ぎた)
言葉をつむぎだしてしまう。
たとえば、
>日本人のマラソン選手が世界で通用するのは、我が国に東海道を相当な速さで走った飛>脚などの文化があるからだと以前、学内の冊子で書いたことがありますが、これは、腕を>小脇にかかえるようにして小さくリズムをとる「なんば」走りからきているのではない>>か、と思えてきました。女子マラソンの高橋選手などのどくとくな腕振りはなんばが原>>形かもしれません。
こうした見解が大手を振ってまかりとおることになると、むしろスポーツ界にとって
かえって弊害になるかとも懸念します。
なんばをトレーニング方法として採用することの意義は、こうした形骸化した見方とは違うと思う。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 02:40
だー、どいつもこいつもしつけーな〜。
「日常で走る必要がないからナンバ」?
あのなー、有史以降の全人類で日常的に走らなきゃならない
人間の割合がどのくらいだと思ってんの?
240 :
あれ!:2000/11/20(月) 05:16
>>232 あんたも父親だったかい!!、
すまん、単純に「煽り」だと思ってた。厨房の。
じゃあ、1児の父親として聞くけど、子供達が歩き始めた時のようすはどうだった?
「おとーさーん」ってこちらに歩いてくる子達、
なんかに興味を持って捕まえようとして歩いてる時の子供達。
手は振っていた?
そんだけ。「なんば」とは直接関係ないが、よその子供を見ても
手を振るのはある時期からだったから。どう?
241 :
あれ!:2000/11/20(月) 05:28
>>239 わからん!!
いや、割合が、ね。
正直狩猟の必要性がなくなると、ぐっと下がるし、
平和な江戸期ともなるともっと下がるかも知れん。
でもまったくみんな走らないわけはないから。
ただ俺は、
1.腕を振らなくても歩けるのに、何故人は腕を振るのか?
2.走ることの効率を上げるために腕をふっているんではないか?
3.人間の動作はどこまでが本能なのか?
4.ナンバの誤解は1.から来てるんじゃないか?
って思ってるんだが。
人間の動作の疑問点がおおいだけよ。歴史的考察は不得意だからダメだけど。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 05:55
ざっと読んでみましたが、今のところ全くの五分と五分
どちらもそれなりの説得力を有しています。なんか他人事やけど
読んでて面白いスレざんす。
アルバムでも見て幼児期の自分の走るフォームでもチェックして見よう
あんま意味無いけど
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 09:00
五分と五分?
読解力あるのだろうか。
この人。(藁
>1.腕を振らなくても歩けるのに、何故人は腕を振るのか?
普段無意識に歩いているときは人は手を振らないのではないでしょうか。
自然に振れているというのがほんとのところでしょう。
それは振動の伝達というものが伝わるからで、その伝達に時間差があるというだけでしょう。
>2.走ることの効率を上げるために腕をふっているんではないか?
これは逆に腕を振ることによって、その振動を足に伝えて足を動かすという効果を期待する
わけで、坂道などを登る時などに腕を振って登るというふうに使いますね。
短距離走などとこの理屈を大いに使うのではないでしょうか。
>3.人間の動作はどこまでが本能なのか?
それは難しい。また周りを見ることによる学習能力と必要性いうものも関係していますからね。
この板ではしないほうがよいのではないでしょうか。
>4.ナンバの誤解は1.から来てるんじゃないか?
足と腕が違うように出るということは、一種不安定な状態であり、その不安定な状態を解消
するために前進するという意味もあると思います。
日本の武道は相撲を代表として、安定した状態で前に進むということが多いですから、腕と
足が同時に出るということが要求される場合が多いのでしょう。
そしてそれはスピードよりもでパワー重視ということも考えられます。
昔の日本の道は舗装など一切されていませんでしたから、でこぼこありぬかるみあり。
そのような道でスピードを出して走ることがいかに危険であったか。
また重いものを抱えて歩くとき、安定した状態でしっかり大地を踏みしめて歩くことが必要な
ことは誰でもわかると思います。
体のどの部分を一体化させ、どの部分を分離するか、その動きの目的のよって人間はそれ
ぞれ選択するものです。また、それがコツのようなものになる場合も多いです。
ナンバ云々も、我々の現在の日常生活がどうなのか、また明治以前の生活様式がどうなの
か、そういうところから類推していけば、自然と結論が出てくるのではないでしょうか?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 12:02
>244
>昔の日本の道は舗装など一切されていませんでしたから、でこぼこありぬかるみあり。
>そのような道でスピードを出して走ることがいかに危険であったか。
舗装はされていなくても、参勤交代などを経て、江戸期になると
主要街道の道は大変整備されていましたし、街中の道は綺麗でした。
人の基本的な営みとは、今も昔もそんなに違ったものとは思えません。
ですので、
>普段無意識に歩いているときは人は手を振らないのではないでしょうか。
>自然に振れているというのがほんとのところでしょう。
そのとおりだと思います。昔も今も。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 13:00
なんつ〜か、あれだよね。
昔の人をバカにしすぎってゆーか。科学は今の時代のほうが
進歩してるけど、人の考え方なんて有史以来ずっと変わってないよ。
247 :
あれ!:2000/11/20(月) 16:50
今仕事から帰ってきました。
>>232 重ねて謝っておきます。仕事に出かける寸前のレスなので、なんかもの凄い
勢いで書いて、偉そうな文章になってますわ。
で、俺の言いたいことは大意では、
>>241 の文章になります。
248 :
あれ!:2000/11/20(月) 17:03
全然武道をやらないウチの奥さんの意見。
「ナンバはないんじゃないの?
ただ、昔の人は着物を着ていて、あれは動作が大きいとすぐ着崩れるし、
ただでさえ袂や懐に物を入れたら、入れたものが邪魔で腕なんか振れないから
そんな俗説が出たんじゃない?
でも、歩く事が移動の主流だったのは、日本人だけじゃないでしょ?
西洋人だって、中国人だって、便利な乗り物が一般に普及する前はみんな
歩いてたんでしょ?
手を振らないのは、ダンナの説だと全世界の平民以下ってなるよ?」
どうでしょ?
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 21:51
>>248奥さん鋭い!
俺もその点が気になってたんだよね。
「ナンバ歩きが普通」なんて話日本(のごく一部)以外では聞いたことも無い。
白人も黒人も、島国でも大陸でも、人はみんな同じように歩き・走ってるじゃん。
日本人だけが特別だなんて、どうしてそういう風に思えるのかな?
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 22:29
ナンバって、日本人固有のものじゃないんじゃなかったっけ、ずっと前
産経新聞だったかな、なんかの特集記事で、場所よく思い出せないけど、
北欧か、北ヨーロッパだったかな、ナンバが残っている地域がいくつか
あるとゆう記事を読んだ記憶があるんだけど。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/20(月) 22:43
なんばがどうこう言う以前のこのスレの最大の誤解は、
狩猟=走るだな。狩猟と言っても、エスキモーとか
一部のクロマニョン、ネアンデルタール人などを除いて、
本当の「狩猟」がカロリーに占める割合は一割以下。また、
狩猟に頼る割合の高いエスキモーなども、狩猟、漁のときに
ほとんど走ることはない。現実問題として、人間がどう走った所で
四足動物のスピードに追いつけるわけもなく、意味がない。
狩猟のメジャーな方法は、まず罠、次が集団で囲い込み、以下
飛び道具、待ち伏せ、忍び寄り、じわりじわりと後を歩いてつけて
追い詰める、巣穴で狩るなど。それに、一般的には手に何かを持っていることの方が
多いから、今のマラソンや短距離のようには走れない。
実際、猿人の時代から足の構造はほとんど変わっていないので、
走る方向に淘汰圧は少ない、つまり走る必要性はほとんどなかったと考えるべき。
人類の「狩猟時代」は、実際には植物の採集と昆虫などの捕獲と
魚介類によって成り立っていたのである。どれも、あまり走っても
益はない。
252 :
日本史版より:2000/11/21(火) 04:26
野村雅一(国立民族学博物館教授)の講演が権威付けられ、
いつのまにかこうした話が「定説」になろうとしてる。
野村教授の日本人と西欧人の歩き方の違いは理解できても、
ナンバ歩き(手と足が同時に前後に出る)を、昔の日本人が通常
していたというのには説得性がない。
この人が理由として持ち出しているものは、
1)昔の絵がそうなっている。
2)舞踊などの動作がそうである。
3)他の教授が言っているチベットの田舎でナンバ歩きが残っている
ということだが、現代人と江戸以前の人の歩き方が全く同じ
とはいえないにしても、これらが「ナンバ歩き」が日常的だった
理由になるとは到底思えない。
また、ナンバ歩きが崩壊したのは天保以降であるとの一説がある
ようだが。根拠は不明。
「ナンバ歩きは都会においては、江戸時代の天保くらいから崩壊した、
ということである。宝暦七年(1757)出版の「増補 浄瑠璃秘曲抄」とい
う本の中に、「右の足の進む時は左の手の進み、左の足の進む時は右の
手の進む、これ陰陽の道理なり」という記述があるという。」
ナンバ歩きが行われていたという前提で考えると、天保崩壊説は成り立つが、
前提としないなら、むしろ、この史料はナンバなど昔からなかった
という逆の結論になる。
天保以前については、それ以前の史料に証拠となるものは絵しかないが、
絵はまちまちであり、証拠にはなりえない。172 名前:野村説への疑問2投稿日:2000/11/20(月) 09:58
また、野村教授の論の中に、
「現代の西欧式の歩き方は産業社会の成立とともに標準化したらしい」
というのがあるが、
仮にルイスフロイスがナンバを指摘してない理由が
そのようなものであるなら、日本の「ナンバ」歩きは、
固有に指摘されるものではなくなる。
また、
「文献から推測すると、ヨーロッパ人の間でも19世紀までは、
ナンバ歩きが気取った歩き方として見られたらしい。」
という見方に至っては、江戸時代のカブキもの(乱暴もの)
たちがナンバ歩きで風を切って町を歩いていた(示威行為)
のと変わらないじゃないか
と考えてしまう。
いずれにせよ、「昔日本人はナンバ歩きが普通だった」というのは、
現代人の西欧人との歩き方の相違を過大解釈した幻想としか
思えない。
253 :
子供を育ててみれば分かる:2000/11/22(水) 00:55
>>240@` 247
いやいや、私の方も言い過ぎました。
お詫びします。
で、本題だが、
前に私が書いたのは、
>子供を育てたことがある人ならみんな知ってる事実。
>小さな子供って、誰が教えなくても走ります。
>ナンバ歩きもしません。
>運動会でナンバ歩きになる子は、
>先生に色々言われて考え込んじゃうからじゃない?
で、全部なのだが…
「ナンバ歩き」というのは、
右手と右足が同時に出る歩き方のことじゃないの?
それとも、手を振らなければ「ナンバ歩き」なの?
もし後者なら、世界中の大抵の人間は
「ナンバ歩き」だよ。
あと、もう一つ。
子供は必然性が無くても、
殆どいつも走っているよ。
近くの幼稚園なり公園になりに
出かけてみればすぐ分かります。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/22(水) 01:21
>253
うん、確かに。自分が子供のころを思い出しても
いつも駈け回っていた。必然性でもなんでもない。
「静かに歩くように」って何度も叱られて
大人になった今はさすがにやたら足リ回ったりしないけど。
昔の子供は走らないでいつも歩いてた、なんて
やっぱり不自然な気がする。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/22(水) 07:44
子供は必然性がなくても走り回るもの。
道がでこぼことかそんなことは関係なくね。
昔の絵を見ても子供の走っている姿は多い。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 00:06
「必然性むというのは、手足を交互に振る走り方で走る「必然性」がないってことじゃない?
走るだけなら、走るでしょ。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 03:55
>走るだけなら、走るでしょ。
つまり子供が手を振らないで、またはナンバで走る、ってこと?
うーん、子供が「走る」という動きをはじめた時に
手を交互に振る、という動きが必然性として出てくる、と
思うんだけどなー?まあ、以前にも同じことが議論されてた、とは思うけど。
258 :
あれ!:2000/11/23(木) 21:30
「子供は走ることが出来てから、腕を振り始めるのではないか?」
俺が言いたかったのは、簡単に言うとこれ。
ナンバ歩きの考察とは直接関係が無いので、誤解されてるけど。
たぶん「走る」という動作には「ナンバ」は向かない。逆に言えば、「歩く」だけなら
手をどんな風に動かそうが不利にはならない。
二足歩行のロボットができても、二足「走行」のロボットができないぐらい、「走る」
動作というのは難しい。
しかし、この難しさというのは本能的なものだからなのか、あと付けの教育が大きな要因に
なるのかの見極めがつけられない。
ちなみに、HONDA製のアシモは、前に倒れこんでバランスを取る動作を繰り返す事で
歩いているらしいんだが...。
閑話休題。
259 :
あれ!:2000/11/23(木) 21:40
「着物」という一種の拘束着をつけていたため、腕をほとんど振らない
歩き方になった。これが後年の研究者に、スレタイトルのごとき誤解を生んだ。
特に武士や芸能者は、動作としての有利性や、動きの見栄えから「ナンバ歩き」を好んで使い
、それが今も残り、誤解をますます深める事になった。
スレッド自体に対する答えをまとめるとこんな感じかな?
260 :
あれ!:2000/11/23(木) 21:49
走ること(特に長距離)の特殊性にも一考察できそうだけど。
考えてみれば「飛脚」って、結構世界でもまれな職業じゃないかい?
261 :
257:2000/11/23(木) 22:04
私が思ったのは「手を振る」という動作なしでは
「走る」という動きは不可能なんじゃないか、っていうこと。
体の動かし方、バランスのとり方に慣れていない子供なら尚更。
腕を振らない、たとえば「小走り」とかって
ある程度体のバランスがとれる大人だからできるんじゃないかな。るかもしれないけど
>HONDA製のアシモは、前に倒れこんでバランスを取る動作を繰り返す事で
> 歩いているらしいんだが...。
人間も基本的にそうじゃないかな。。?
このへんは専門家ってわけじゃないんであくまで推測。
あれ!さんの結論にはおおむね同意。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 22:16
バランスを取る為だったら、交互に振るんでなくて、もっと
不規則的な振り方になるのでは。ナンバでも無く。
私のみてる範囲では、おもちゃなんか振り上げて、手を上に挙げてるか、前に突き出してるのが多いが。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/23(木) 22:23
>おもちゃなんか振り上げて、手を上に挙げてるか、前に突き出してるのが多いが。
やじろべえみたいな感じですかね。
まあ、子供の場合は頭が大きいから普通に立つだけでも
バランスとらなきゃいけないだろうし。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 00:43
>262
それがナンバなんじゃないの?
235のを読むとそういうことになりそうだけど。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 01:21
>264
それを昔の日本人はみんなやっていたと言うから、ドキュンだと言われるわけだ。
子供がおもちゃを担ぐような歩き方をするみたいな歩き方を、昔の
日本人がやっていたわけないだろう。
昔も赤ん坊は同じような動作をし、大人は我々と同じような動作をしていた。
概略、そういうこと。
「誤解」ということをどなたかが、言っているように、安易にナンバ
という言葉で、反現在的な起居をしている(していた)人を想定
することが、問題なのだ。
これは、そうとう、厳密な考証をして語らねばならないよ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 01:26
それと、「着物」の影響がしばしば言われるが、一理あっても
一理ない。
なぜなら、今、着物を着る人はきちんと身だしなみを整えて
着るが、昔の日本人はそれしかないのだから、股が開こうが
素足が見えようが、構ったことではなかった。
ふんどし姿や、乳房をあらわにした姿で徘徊するのが日常の
日本人でもあったわけだから、着物によって「歩き方」「走り方」
が拘束されていたとは思わない。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/24(金) 01:33
↑は極端な話としても、
日本の服装史を見ても分かるように、裾の乱れを気にしなければ
ならない着物の一般的な流行は江戸になってからだ。
他方、江戸中期には「ナンバは崩壊した」という説もある。
それを肯定すると仮定すると、それまでナンバがあったという
ことと「着物」との因果関係はなくなる。
かように、「ナンバ」への理由付けはいろんなところで矛盾が
ある。体系的でなく、おもいつきの片言隻句に躍らされていると
いえよう。
268 :
あれ!:2000/11/24(金) 01:42
>>266 そのとうりです。レスが長くなるんであえて書きませんでしたが。
絵画などには、歩き方より重要な証拠として、着物の着崩し方が残っています。
ただこれも言われたように、一理あって一理なく...、
身分により着崩し方が違いまして、
職人はふんどし姿とか、猿股にはっぴとか、
武士は尻をはしょって、たすきをかけるとか。
また、普段から着崩していたかどうかは...、
懐や袂の中に、貴重品を入れてる時にそれはできないと思うんだが?
(着崩すのは、現代人がジャージを着てる感覚かな?)
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/26(日) 11:56
age
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/27(月) 00:11
ASIMOは何故足とは逆に腕を振って歩くのですか?
271 :
あれ!:2000/11/27(月) 21:09
>>270 動きを人間らしく見せるためだと思います。
開発途中では、下半身だけのモデルで実験をしていますし、
人間のように下半身と連動して、上半身を捻っている訳ではないので。
余談ですがSONY製は、バランスの制御を行なわず、
ステッピングモーターで、関節の曲がり具合を制御しているだけの
ように見えるのですが?
272 :
270:2000/11/28(火) 00:47
>>271 上の方で宇讃久斎氏が手ぶらの時と荷物を持った時の違いについての比較を
勧めていますが、ASIMOはどうなっているのですか?ASIMOが手ぶ
らで歩いている時と両腕で荷物を持って歩く時は、ソフトウェアやハードウ
ェアの面で異なっているのでしょうか?
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/28(火) 01:11
まず、昔やっていた剣道の動作を思い出すと
試合で、開始線まであるいていくときのどうさは、ナンバ歩き
ぽくなる、これはそうやれと細かくいわれた記憶がないことと
あらためてやってみると、必然的にそうなったことから
すくなとも、刀を使う動作はなんば歩きの動作がふくまれていた
可能性があるんじゃないかな?
もっとも、高校のときにやめたんで、正しいことは知ってないか
もしれないけど
また下駄のはなしだけど、下駄の歯が両方同じくらいに削れていくのが
昔は正しいはきかたときいたことがある、ちなみに普通にはいてあるいていると
前の歯と爪先が削れた、まあ俺の歩き方がおかしいのかもしれ
ないけど
個人的には、明治になって国民全員の歩き方の矯正するとか
学校や、軍隊で教えていくとなると、記録がのこってるはずだが
残ってないので一般的ではなかったのではないか?
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 06:01
>273
残っているってこのすれのどこかに書いてあったよ。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/29(水) 13:18
いや、公式な記録で、例えば軍隊や学校教育について
どのように矯正っするのか絶対に記録にのこってるはずだし、
それこそ正しい歩き方の説明がかいてある、手本の本が
あってもおかしくないはず、あと新聞とかにも正しい歩き方
とか、なんば歩きについての記事がなかったことを考えると
やっぱり、一般的ではなかったんでしょう
まあ、恥ずかしくてぜんぶ記録を消したとかいったら、また話しは
別だろうけど
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/01(金) 19:52
age
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/01(金) 21:32
278 :
あれ!:2000/12/02(土) 01:16
>>277 みました。しょぼいロボットですな(ワラ。
でも、記事自体を本気にするなら、ある意味凄い技術のような...。
あんな薄っぺらい身体で、バランスをとるんですから。
あと、
>>273 で見て思ったんですが、武士の文化にはナンバを強制するものがあったんではないかと。
「規律」自体を重んじますから、着物を着崩すのも容易ではないし。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/02(土) 22:13
>>273 >まず、昔やっていた剣道の動作を思い出すと
>試合で、開始線まであるいていくときのどうさは、ナンバ歩き
>ぽくなる、これはそうやれと細かくいわれた記憶がないことと
>あらためてやってみると、必然的にそうなったことから
>すくなとも、刀を使う動作はなんば歩きの動作がふくまれていた
>可能性があるんじゃないかな?
関係無いでしょ。
刀を抜くときは右手右足が前に出る、
ただそれだけの話。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/03(日) 00:13
281 :
猫だニャン:2000/12/03(日) 01:35
ちょっと寒くなってきた今日このごろ。
近所の公園でポケットに手をつっこんでぼーっと歩いていたら、
いつのまにかなんばで歩いていた。
不思議だと思ったが、なぜこれが気持ちよく歩けるのか、
明確な回答が出ないまま帰路につく。
この公園は我が家から階段を100段以上(御免ね今度数えとく)下ったところにある。
だから帰りは上りきるのに結構きつい。
この日はハードトレーニングのあとで足がもうパンパン。
上りきる直前には「よいしょっ、こらしょっ」とオヤジになっていたのだが、
ふと気がつくと階段一段上るたびに、
手で膝を押している。
そう、四股を踏むように階段を上っていたのだ。
「またしてもなんば…」
帰ったと思ったら夕飯の買い物を頼まれ、
不平を言いつつも疲れた足ひきずって街の雑踏に向かった。
この買い物の帰りは足も少し元気を取り戻していたが、
人ごみをすり抜けているときにまた発見。
すり抜けるときはやっぱりどうしてもなんば。
直前まで普通に歩いていても瞬時になんばになる。
これは必然ですよね。
問題はその後。
なんばから普通に戻るとき。
なんばで左手左足前にてすり抜け後の場合、
上半身をそのままに右足を踏み出し、そこから普通の歩きに戻る。
この動作、何故かものすごい違和感感じる(私だけ?)。
もう1回右のなんばやりたくなってしまう。
でもそれ繰り返したら連続なんばになっちゃう。
実際には3歩目で腕ふりというか上半身捻りが停止、
4歩目から普通の歩きに戻る、というのがいまのところ自然に感じる。
なんでや?うーん。
ホンダやソニーのロボットにも
人ごみに遭遇してすり抜けるシチュエーションを演じてみてほしいにゃ。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/03(日) 02:07
なかなか素敵な発見ですね
283 :
名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/12/03(日) 03:18
コートのポッケに手ぇ突っ込んでのなんばは気持ちイイよね。
284 :
猫だニャン:2000/12/03(日) 03:47
ここは熱いね!ポッケに手を突っ込むような寒さなんてどこ吹く風?
>>252 >「文献から推測すると、ヨーロッパ人の間でも19世紀までは、
>ナンバ歩きが気取った歩き方として見られたらしい。」
>という見方に至っては、江戸時代のカブキもの(乱暴もの)
>たちがナンバ歩きで風を切って町を歩いていた(示威行為)
>のと変わらないじゃないか
また発見だにゃ。
ポッケに手を入れてあるくナンバって
「肩で風を切って歩く(示威行為) 」そのものかにゃ?
>>283さん、
>コートのポッケに手ぇ突っ込んでのなんばは気持ちイイよね。
ほんと。
昔買ったコートでポッケが二重になっていて、
前のやつはフタつきで入り口がストレート、
後ろのやつはフタ無しで入り口が斜めのやつがあったんだけど、
まさかと思って店員に聞いたら、
「前のは物入れとく用、後ろは手を突っ込む用のポケットです」
と予想通りの説明された。ほんとかニャ?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/03(日) 06:42
>>280 俺も中高6年間は剣道一筋だったのだが…
勉強不足? そうかもしれん。
ただもう少し具体的に教えてくれ。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/04(月) 18:41
>285
例えば、開始線に歩いていくときの
帯刀(これでいいっけ?)まま歩いていくのを
思い出してみて
適当な棒切れをもって、やってみましょう
自ずとわかります
287 :
あれ!:2000/12/04(月) 20:31
とりあえす、俺がみたNHKの日露戦争の行軍の映像は、
「寒すぎて、足場が悪かったので、ナンバのようになってしまった」
ってのが、正解のようです。
シベリアだもんな、あそこ。(最近気づいた。)
288 :
285:2000/12/06(水) 14:11
確認したいのですが…
「ナンバ歩き」というのは、
右手と右足が同時に出る歩き方ですね?
だとしたら、別にナンバ歩きにはなりませんよ。
(今、3歩歩いて蹲踞までやってみました。)
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/07(木) 15:27
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|このスレは名スレだよん。 |
|まだまだageちゃいましょう|
|_____________|
∧∧ .||
(*゚ー゚)||
/ づΦ
290 :
ゆき:2000/12/08(金) 03:12
ふう。やと、ここまで全部読んでから書いていますが、自分も昔はなんばだったととりあえず信じています。
明治時代は、都会と田舎で色々と流行の進み方も違うので、もし西洋から入ってきてなんばが流行とともに強制されたとすると、
田舎の人たちはまだなんばだったでしょうね。
剣道のほうは、私も剣道→柔術とやっていますが、なんばです。
ただ単に、杖と違って構えが左右に分かれないので、右手右足が前になっている事しか感じないだけです。
だから、左が前になる片手の面打ちの時には左足が出ていますよね。
ここら辺がなんばだと思います。
で、赤子の話はここではちょっと違うような気がします。
二足歩行と四足では話が全く違いますからね。
それよりも、熊とかは「熊歩」というようになんばですが、ゴリラとかはどうなんでしょうか?
類人猿になっていく絵では類人猿はなんばじゃないですけど、これは西洋で描かれたものや、今の日本人が描いたものだからですよね。
だから、全然参考にならないし。
右手右足というよりも、肩を揺らさないで歩く方法が私の思っている昔の人が歩いていた「なんば」ですが、ゴリラとかの歩きかたって、結構そんな感じがします。
どうなんでしょう。その為のリサーチはしたこと無いからなぁ。
とりあえず、明治時代は西洋からのものが一般に随分と入ってきたから、私はなんばもその時に無くなったと思いますよ。
ダンスの練習とか。
だって、歌舞伎とかまで行かなくても、盆踊りでもなんばじゃないですか。
あれって、そうじゃないとかなり不細工だと思いますけど。
これは明治以前からのもので武術も関係なくって、大衆のもので、決して訓練からではない、かなり自然な踊りだと思いますが。
どうでしょう?
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/08(金) 04:10
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/08(金) 04:33
291です。今、レスを全部読みました。ラクダや馬の側対歩の事はすでに他の方が指摘してましたね。ヨーロッパの婦人に関しても。
ダブりですいません。
私は小さい頃、なんばで歩いていたそうです。保育園で『歩き方がおかしい』と言われたそうです。
行進を習う時、右手と右足を同時に上げたので、先生から正しいやり方(?)を教わったのを覚えています。
その時は『行進はこうやって歩くものなんだな』と素直に受け取ったように思います。
もちろん普通の歩き方も出来ます。ただ、走るのは遅いですね。
『ナンバ』も馴れてしまえばどうということもないです。
不自然な歩き方ではないと思いますよ。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/08(金) 14:26
外国じゃナンバ・ウォークって言うらしい。
「諸君!一月号」より
294 :
あれ!:2000/12/09(土) 18:43
ナンバというのは武術的に考えれば、腰の動きを水平に保ち、
片方の足から足へ重心を移す動きだといえる。
これにより、自重と下半身の筋肉群が効率よく移動する。
この辺の優位性は疑いのないとこなんだが...。
これを歩く動作に取り入れるということは、左右とも同じ動作を身体にさせることになる。
利き足から動く事はまだいいが、それとは逆の足だと、かなり訓練をしないと
同じ動きができないんでは?
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/10(日) 01:08
今日、宮沢賢治に関する本を読んでたら、こんな事が書いてありました↓
「賢治の歩き方は前かがみで速く、例えばキリンが右の前足と後足を同時に動かす
ような普通の人とはちがう特徴があったので、遠くからでも、あっ、賢治さんだと
すぐにわかった」(引用;宮沢賢治 作・画=矢野功 柏書房)
宮沢賢治が生まれたのは、今から104年まえの明治29年です。
296 :
名無しさんの野望:2000/12/10(日) 05:11
>288
右肩と、左足が一緒にでる?
右肩、右足にならないかな?
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 03:47
∧_∧
( ´∀` )
⊂ ⊃ 〜age〜
|⌒I、|
(_). |
(_)
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 04:49
誰か氏の最新のセミナーに出た人る?
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 07:15
300 :
猫だニャン:2000/12/11(月) 07:18
301 :
295:2000/12/11(月) 07:40
302 :
猫だニャン:2000/12/11(月) 09:03
しかし、明治より前がどうだったかの証拠にはならんねぇ。うーむ。
でもひとつ前進した気分。
303 :
犬だワン:2000/12/11(月) 11:41
外遊帰りの犬だワン。
外人も人前での演技で「右手左足」まちがえちゃあいけないと緊張したとき
右手右足だしたりするみたいだワン。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 15:45
>295
明治29年に生まれて、
>遠くからでも、あっ、賢治さんだとすぐにわかった
のが、たぶん大人の時でしょ?本読んでないから分かんないけど
なら大正時代にはナンバは一般的じゃなかったって事なんじゃないの?
なんにせよ、ナンバで歩いていた連中がいたことは間違いないんじゃないかな
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 15:46
>なら大正時代にはナンバは一般的じゃなかったって事なんじゃないの?
あっ、昭和に入ってからの話かもしれない
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/11(月) 17:43
ようするに戦前もナンバでは歩いてなかったって事だな。
というか、一番確実なことは、宮沢賢治とキリンはナンバ歩きだったということだ。
308 :
ゆき:2000/12/12(火) 22:30
あと、ラクダね。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい:2000/12/12(火) 22:40
ナンバ歩きはしなくても。ナンパ歩きはいたします。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/12(火) 22:45
しろくまくん
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 20:00
上げ
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/14(木) 20:59
>>309 誰もが思っていた言葉を発した君は偉い!
まだやってるの?
掲示板って議論が進むようで進まないよね。
一旦議論が進んでも、途中から入る人間が
また一からに戻しちゃうから。
全部の書き込みをチェックして書いてるわけじゃないもんね。
一応ここのを全部読むと、江戸時代にナンバ歩きが一般的だったというのは
どう考えてもあり得ないってことになるんだけどさ。
>>313 同感です。っていうか、もし日本人がホントにナンバ歩きをしていたなら
とっくに教科書なり時代ごとの風俗資料なりに乗っていると思う。
なんでか一部の頑固な人達は、それを認めたがらないようだけどね。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/15(金) 15:21
>とっくに教科書なり時代ごとの風俗資料なりに乗っていると思う。
教科書はともかく風俗資料には残ってんじゃないの?
なんば歩きはけっこう有名な話だよ
昔、高校で二人の先生から雑談で聞いたよ。ウチの親父も知ってたしね。
探せば見つかると思うんだけどなぁ
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/15(金) 15:32
なんかずれているのがいるな。
ここはそんな結論を出して確定意見を打ち出すところではなく、
のんびりとあーだこーだいうスレッドなんだよ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/15(金) 15:42
なんば歩きをしていた人がいたのは確かですが、
日本人全員がなんば歩きだったといわれると本当なんですかね?
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/15(金) 19:51
途中から見たので、同じ発言があったらごめんなさい。
放送大学で、江戸時代はなんば歩きが普通だったようだと聞きました。
あと、走るときは両腕を脇にぴったりと付けて走ったとも。
時代劇でカールルイスのように走る役者が多く、困ったものだとも言ってましたね。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/16(土) 05:09
アイヌとか琉球の人達はどうだったんでしょう?
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/25(月) 04:27
あげ
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2000/12/26(火) 21:22
あげ
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
久しぶりに上げときましょ!