>>531 そんな妄想好きの貴兄に(以下、転載)
「実録 デンマークで何があったか?」
日本にいる私が、何故デンマークで何かがあったなと考え出したのか。
第一回極真世界大会が終わり、映画「地上最強の空手」その他の三協映画や劇画もヒットしている頃であった。隔月刊「空手道」に「田中昌彦師範、凱旋 帰国」
と銘打たれた後に覇者の異名を取る田中と東京中日スポーツの今松夫氏の対談が極真のマスコミ攻勢に比較すれば、ひっそりと出ていた。
記事の中で、以下の様なやり取りがあった。
田中:「面白い話があるんですよ。ある流派の生徒達が大勢うちに移って来たんですが、
そこの流派の空手着は胸にマークがあり、そのままうちで稽古していたんで、
しまいにはその流派の道場に見えた位でした。
マスコミの取材がある時に、外させたんですが、中々取れず大変でした。」
今:「水が高い所から自然に低い所に流れる様に、自ずと強い空手が残るという事かな。正に力でもぎ取った北欧4カ国だな。」
そして、その数年後、極真機関誌「パワー空手」に極真デンマーク支部長の「北欧は松濤館一派の猛烈な活動により、8割が松濤館になってしまいました。」との報告が出た。
月刊になった「空手道」に初めて佐藤塾が出た時も、佐藤師範が「私は極真しか知らなかった。
優勝後、ヨーロッパを回らせて貰い、空手にも本当に色々ある事が分かった。」と言われていた。
ずっと後には、フルコンタクトカラテ誌で、佐藤師範がアメリカ修行時代を語り、
「ウイリーやギャリーに会っておいたお陰で、後にヨーロッパで松濤館の凄い白人の大男達に会っても、それ程驚かずに済んだ。」とポロッと洩らすかの様に語られていた。
これ等のことから、「何かがあったな」と、私は考え出し、機会があるごとに取材した。その際のインタビューテープも残っている。
<続く>
>>531 第一回IAKF世界大会で会場を唸らせる強さで優勝した田中がコペンハーゲンに帰って暫くした頃、
第一回極真世界大会優勝者の佐藤勝昭と入賞者の佐藤俊和、東谷巧の三名がデンマークに来た。
デンマークのテレビや新聞が、「二人の世界チャンピオンが我が国にいる。 どちらが強いんだ?!デンマークにいる間に、リアル世界一を決めよう!」と煽り、
娯楽の少ない時代に同国民達も注目して「やれ!やれ!」と騒いだ。
田中は「中山首席師範の許可もなく、変な舞台ではやらない。」とマスコミに答えた。
すると「田中は逃げた。」との報道に続き、佐藤勝昭の「田中なんか7秒で倒す!」との談話が出た。
これに田中は激怒して、多分首席師範の許可も取らず、
「協会全デンマーク選手権大会会場で、大会終了後、1位2位3位2人のトップ4人と私の合わせて5人と、極真の5人で、寸止め無用、顔面突きありの団体戦で勝負しよう!」と声明を出した。
国民の間で「センセイ・タナカがやるぞ!」と言う事で前評判を呼び、大会当日はかつての極真オープントーナメントの様に、会場前に長蛇の行列が出来た。
日本人3人を含む極真勢も会場に来て2階以上の上の席に陣取った。
組織存亡の危機との悲壮感溢れる中で大会は進行し、終了して順位が決まった。
ここで特に注意しておくべき事は、デンマークの田中の弟子達は、極真勢よりでかい2メートル級が揃っており、
デンマークでは日本と違い特に極真に大男がいるイメージでは無いと言う事である。
後に大山倍達最後の内弟子となり活躍したデンマーク人・ニコラスぺタスも大して大きく無かった・・。
試合場の上に、たった今悲壮感溢れる闘いの後、
順位の決まったトップ4人の巨漢と田中が立ち、マイクで上の方の席に陣取る極真勢に「降りて来い!さあ、勝負だ!」と呼びかけた。
観衆も囃し立てる。
<続く>
>>531 組織存亡の危機との悲壮感の中、協会全デンマーク選手権は終わった。トップ4人も決まった。
因みに、当時の協会の試合は、今よりも更に反則に甘く、
綺麗な技が決まれば、上段を打つ音がして、鼻血が出て歯が飛んでも、
レントゲンで見れば顔面骨折しているかもしれなくとも昏倒せぬ限り、突いた方に旗が上がった。
2メートル級のトップ4人と田中が試合場からマイクで、上方階に陣取る佐藤等日本人3人を含むデンマーク極真勢に呼びかける。
「降りて来い!さあ、勝負だ!」観衆のキョクシンコールが激しさを増しても、考えあぐねたのか極真勢は降りて来ない。
キョクシンコールは、何時しかブーイングに変った。
ブーイングが激しくなる中で、 渋々と重い腰をあげて中肉のデンマーク人が一人、試合場に降りて来て言った。
「ウエイト制にしてくれ。」
巨漢の弟子達を背後に従え、言下に田中は言った。
「ノー!!武道は無差別だ!!」
「それでは我々はやる訳には行かない・・。」中肉のデンマーク人は引込んでしまった。
このままでは、楽しみにしていて入場料を払った観衆達の暴動が起こりかねない。また、空手全体の名誉にも関わる。
田中はある決断をして発表した。
「極真の諸君がウエイト制でなければやらないとの事ですので、松濤館のトップ4人ともう一人を加えた5人と私が、寸止め無用の真剣勝負の5人掛けで 闘います!」
<続く>
>>531 確かに、選手は田中の愛弟子達であり、田中には殺すつもりも、目や金的を潰すつもりも無かったであろう。
また、2メートル級で頑丈な選手達であり、田中は全盛期、外人のレベルもまだ低かったから出来た事であろう。
後に、2メートルの外人と倒し合いで倒す秘訣を聞かれて、田中は答えた。
「連中に中段突きを入れても倒れやしません。しかし、2メートルも、何時も2メートルでいる訳ではありません。
比較的弱い下半身を崩して、こちらの手の届く処まで連中の顔を下げてやれば良いのです。また、連中は臍より下への蹴りで脅かすと嫌がります。」
田中と同時代にヨーロッパにいた師範は、「彼は相手の膝を足払いして崩し、同足、二枚腰で上段回し蹴りを頸動脈に入れて、でかい外人を倒すのが得意だった。」と証言する。
真剣勝負の5人掛けは、あたかも「この地での松濤館の荒廃この一戦にあり」の気魄の塊と化した全盛期の田中が、突いて蹴って、顔面を突いて頸動脈に回し
蹴りを入れて、全員を昏倒させ完勝した。何人かは救急車で病院に運ばれたが、最重量の130キロ以上級の選手には、それだけ田中も安心して思い切り蹴れた
のであろうか、彼は一週間、こん睡から覚めなかった。
<続く>
>>531 この時の観衆や報道を注意深く見ていた国民の中では、
それまでの経緯、試合場での極真勢のボイコット、彼等が避けたトップ4人を含む5人の巨漢を大観衆の前で、
かの地では小男の田中が昏倒させた事実から、「ショートーカン」「センセイ・タナカ」の評価は揺ぎ無い物となった。
ところが、空手の事を分かっていないデンマーク人もおり、彼等の間である混乱が生じ、その原因を作ったのがまたも極真だったので、更に田中が激怒する事になる・・。
この大会後、前に佐藤の談話として「田中なんか7秒で倒す!」と載せた極真擁護派の新聞にも『田中5段、5人掛け達成!』の記事は大きく出た。
但し、その記事に『極真会生徒募集!初心者歓迎、懇切丁寧責任指導云々』の記事と同じ位の大きさの広告も付けた、
空手に付いて分かっていない一部のデンマーク人を錯誤に陥れる多分に詐欺的な記事であった。
やはり、極真はマスコミの扱いにはデンマークでも長けている様であった。
田中の偉業を見て、勿論協会道場に入門した者や極真から移った者もいただろうが、新聞記事を見て錯誤に陥り、極真道場に入門する者も多かった。
<続く>
>>531 かの地では、空手道場は3か月毎のコースを契約し、それを更新していくシステムである。
『強い日本人・センセイ・タナカ』に習いたくて、新聞記事で錯誤に陥り極真に入門した者達は、待てども待てども「センセイ・タナカ」が極真道場に現れないので騒ぎ出し、
その内、真実が分かり、最初の3か月コースが終わると同時に、極真空手着のまま協会道場に移って来たのである。
これが、冒頭に書いた隔月刊・空手道誌の対談記事のエピソードや、大山総裁存命中のパワー空手誌での極真デンマーク支部長の報告記事の裏事情であった。・・・
何となく劇画「空手バカ一代」のニューヨークでのカンフー一派との話を、梶原が創作する上でのヒントの一つになった気がしてならない。
田中にすれば、自分はやりたくなかったが、佐藤の「田中なんか7秒で倒す! 」との無礼で挑発的談話が新聞に出たからこそ、衆人環視の舞台を設定した。
にも拘らず、極真一派は会場に来ながらボイコットした。更に、自分が愛弟子と傷つけ合って成し遂げた偉業を商売に利用する・・。
愚弄されている気がして、激怒するには十分な理由があった。
佐藤は卑怯なデンマーク極真のシンボルに見える。
そんな時、弟子の一人から連絡が入った。「自分が経営するレストランに例の3人が来ています。」
他の弟子達も店に急行して言った。有無を言わせぬ迫力はあっただろう。
「センセイ・タナカが話があるそうだ。家まで来てくれ。」
佐藤達一行も、十分に理由のある事だったが当時、田中が考えている様な卑怯卑劣な連中では無かったからであろうか、飯の途中ながら田中の家までやって来た。
<続く>
>>531 ここで断わっておくが、佐藤勝昭は見た目こそごついが、一言話すと、冗談に思われる位の、朴訥でいながら甲高い小鳥の様な可愛い声で迫力が激減する。
悪い人間でも喧嘩する人間でもないのがすぐ分かる。凄味皆無になり、やくざ映画にはとても使えない。笑ってしまう位である。
・・そこが案外、彼が人種を問わず女性にもてる秘密であろうか。
一方田中は、艶のある低音の良い声で、やはり人種を問わずもてるのだが、あれで激怒したら虎や土佐闘犬・ピットブルみたいな殺気と威圧感が部屋中に充満するだろう。
あの顔と声と恐怖のオーラはやくざ映画にも十分使える。実際、映画「ゴルゴ13」主演の声も掛かった。
日本で日本青年社の次に大きな右翼の大行社が道場を作った時も、まず田中を招聘しょうとした。(田中が行けないので、田中の推薦で巨漢の猛者・椎名勝利が行った。)
だから、私が敢て淡々と書く言葉には読者諸君で、内容以外の凄味・殺気・ やばさを加えて読んで欲しい。
3人に、田中は言った。
「極真会ってやり方がひどいねえ。俺にも自尊心がある。何で御前なんかに俺が7秒で倒されるんだよ!御前等今から、一人づつ目突き・金蹴りありの野試合でやってやっても良いんだぞ。それが嫌なら土下座しろ!」
3人は、田中の高弟の前で「オス、オス」言って聞いていた。
勝昭が、『あの』声で言った。
「土下座は勘弁して下さい。でも、申し訳ありませんでした。自分、英語は良くは分からないので、オス、オス言っていたら新聞記者が、『7秒で倒す』とか、どんどん自分の言っていない事を書いてしまったんです。
自分、英語が駄目なので、何がどうなっているのか良く分からないんです。どうもすみませんでした。」他の二人も謝った。
<続く>
>>531 先頃、93歳で大往生された稲川会の稲川聖城総裁は「浜田幸一の野郎、俺が怒っていると聞くと、すぐに現われて泣いて土下座しやがる。」と、
土下座慣れしている政治家になったかつての子分を「調子の良い奴の安っぽい涙、安っぽい土下座なんか本気にするかよ。あの馬鹿が。」と言う感じで、
北野たけしとの対談で語られた。
しかし、世の中には安っぽく土下座はしなくても、余程誠意が伝わる謝罪というものがある。
あの小鳥の様な可愛い声で謝る5歳ほど下の佐藤を見て、田中は長年、ヤバ筋を見て来た人間として、佐藤の言う事に嘘は無いのを感じた。
また、笑ってしまいたくなる外貌と声のギャップに好感を持ったのであろう。
田中は言った。
「分かった。貴方の誠意は伝わった。空手界の為でもあるし、友達になろう。めしの途中で呼びつけて悪かったな。めしでも喰ってけよ。」
3人は最初こそ好待遇だったが、すぐに金に汚い正体を現した雇い主の極真支部長ジョーゲンが給料を中々払わない為か、食事にも贅沢は出来なかったのであろう。
海外で日本食を食べようとすれば、現地の食事よりずっと金がかかるものである。
日本食に飢えていた3人の食いっぷりは、先程まで険悪だった田中や高弟を前にしているにも関わらず凄まじかった。
元来、悪い人間では無く、爽やかな男達だと言う事だろう。
特に一番若く小柄な東谷の食い方が、凄かったそうだ。まるで飢餓状態の人間の様に両手にめしを掴み、左右の手のめしを交互にむしゃむしゃと・・。
次々に炊いたのか、道場の行事用に幾つも御釜があったのか分からないが、3人で御釜3つを空にしたそうだ。
大山総裁が自著「わがカラテ、日々研鑽」の中で、可愛がっていた東谷が、 ヨーロッパからデブになって帰国した事を嘆いていた事が思い出される。
また、真樹著「極真カラテ27人の侍」の中でも同じ様な記述があったと記憶する。
東谷は帰国後も、協会本部や全国大会に「田中先生いますか?」と慕って来ていたそうである。
>>531 >極真機関誌「パワー空手」に極真デンマーク支部長の「北欧は松濤館一派の猛烈な活動により、8割が松濤館になってしまいました。」との報告が出た。
>順位の決まったトップ4人の巨漢と田中が立ち、マイクで上の方の席に陣取る極真勢に「降りて来い!さあ、勝負だ!」と呼びかけた。
観衆も囃し立てる。
>2メートル級のトップ4人と田中が試合場からマイクで、上方階に陣取る佐藤等日本人3人を含むデンマーク極真勢に呼びかける。
「降りて来い!さあ、勝負だ!」観衆のキョクシンコールが激しさを増しても、考えあぐねたのか極真勢は降りて来ない。
キョクシンコールは、何時しかブーイングに変った。
>この大会後、前に佐藤の談話として「田中なんか7秒で倒す!」と載せた極真擁護派の新聞にも『田中5段、5人掛け達成!』の記事は大きく出た。
但し、その記事に『極真会生徒募集!初心者歓迎、懇切丁寧責任指導云々』の記事と同じ位の大きさの広告も付けた、
空手に付いて分かっていない一部のデンマーク人を錯誤に陥れる多分に詐欺的な記事であった。
やはり、極真はマスコミの扱いにはデンマークでも長けている様であった。
>「極真会ってやり方がひどいねえ。俺にも自尊心がある。何で御前なんかに俺が7秒で倒されるんだよ!御前等今から、一人づつ目突き・金蹴りありの野試合でやってやっても良いんだぞ。それが嫌なら土下座しろ!」
3人は、田中の高弟の前で「オス、オス」言って聞いていた。
勝昭が、『あの』声で言った。
「土下座は勘弁して下さい。でも、申し訳ありませんでした。自分、英語は良くは分からないので、オス、オス言っていたら新聞記者が、『7秒で倒す』とか、どんどん自分の言っていない事を書いてしまったんです。
自分、英語が駄目なので、何がどうなっているのか良く分からないんです。どうもすみませんでした。」他の二人も謝った。
以上、大山氏存命の時代の逸話である。