★★★★★ 大 山 倍 達 はボクシングで惨敗していた!(爆笑) ★★★★★
ホラ吹き大山が「大山猛」のリングネームでアマボクの試合に出場した記録が発見されましたw
注目の試合結果は何と! 2 戦 2 敗 w w w
http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=176042&cat=boxer ●●● この試合に関する 荒 巻 丈 氏 のきわめて説得力ある見解の紹介
ピストン堀口と大山が深い親交がある事は多くの著書、写真が残されている
大山はピストン堀口の自主興行に出場したのでピストンと同じフェザー級に合わせてフェザーとなっているが
実際は大山はフェザーの体重ではないと思われる
ボクシング新人の大山にはちょうどいいハンデとピストンも考えたであろう。
大山猛虎と名乗った時期が大山にあり大山猛と虎を取っただけの日本名を名乗っているところも信憑性がある
大山猛の対戦相手がピストン堀口とその弟、堀口基冶だけと言うのもリアリティがある。
正式な試合で過酷な減量してまで大山がボクシングにでるとは思えないからだ。
ちなみに大山がボクシングの試合に出たことは大山倍達正伝にも書かれているが
その試合記録には触れられていない。
本当に勝っていればこれはとばかりにゴッドハンドはボクシングでも勝ったと宣伝するはずである
それをしないのは負けているからである。よってボクシングレコードのソースは信憑性がある。
ちなみにボクシングレコードにおいて他の選手は生年月日が明記されているのに何故、大山猛は書かれていないか?
それはかれがこの当時まだ帰化しておらず本名はチェ・ヨンウィのままであった事と関係があると思う。
大山は大山猛虎と名乗っていた時期がり、虎を取って大山猛にしただけ。
他にも崔猛虎(チェ・メンホ、???)・大山猛虎・大山虎雄・崔倍達(チェ・ペダル、???)
などを名乗っていたこともある
そもそも大山猛はピストン堀口とその弟としか試合記録がないが普通に考えてボクシング新人がいきなり
チャンピオンであるピストン堀口といきなり試合できるわけが無い。
普段から親交のあった大山だからデビュー戦でいきなりピストンと試合できたのだ。