>>945 巌長師が生きていた頃は東京の柳生会は伝書の研究等をする会で、稽古はしてなかったと渡辺父師の元お弟子さんから聞いたけど。
ん?全部を先代から学んでないなんて話があったっけ。
前にも言ってる人がいたけど
先代の弟子や更に上の先輩に教わることはおかしくないよ。
後継者になることが血統的に決っていたとしても混ざって稽古するのは普通だし。
まして現宗家は血統的にも少し遠い(厳長先生の姉の孫とか)から
そういう環境でもなかっただろう。
いやまあ先代から指名受ければ宗家だし
自称したり団体から認定受けたりいろいろいるしね。
先代からの継承は継承式を経て普通にお披露目されているので
比較的公正だと思うが。
事情があって先代からの稽古が受けられなかった人なんかも
歴史的には結構いるし、それで弱体したり多くの失伝をした流派もあるよ。
それでも先輩から教わって命脈を繋いだり現存する分だけでも大切に伝えたりしてる。
>>950の基準でなら尾張柳生流も東郷示現流も江戸時代に絶えているわけだがw
>952
門外の人たちが参加してるわけだから、稽古というよりは講義がメインでしょうね。
稽古はその後、厳長先生と門人たちで行っていたのではないでしょうか。
名古屋の松田隆智さんの本にあるのだが
学生時代のころ厳長師のとこに、ちょこちょこ見学に行ってたが、
道場も焼けて無いので稽古はして無かった。
一度だけ東京に行った時宗家の剣術の講演会(これが柳生会?)の会場に呼ばれたのだが、
背広着た立派な紳士達の座ってる前で素振りをさせられ怒鳴られて・・・って話が有る。
まあ、いちおう話は一致しているのかな?
耕一氏は、延春氏の後継者であることは間違いないでしょ。
>955
厳長師時代の東京柳生会は、講義と、各界関係者や武道関係者に対しての弘流の場ということだよね。
今の感覚だと、その会に所属して稽古するって思うだろうけど、東京柳生会は稽古の場ではなく、稽古は定例会の後、参加した一門の人間たちとのみやってたとかなんだろうね。
東京柳生会で講義だけでなく実技を見せる場合なんかもあったかもしれないけど。
958 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/22(火) 22:32:49.41 ID:WP39iOfE0
耕一氏はちゃんと技の継承もしているってことでいいんですね。
例の、 厳長師木刀詐欺事件の話を見ると、一応会として稽古もやってたような
形跡もあるみたいではあるな
>>954 当然そうでしょうね。
普段巌長師が名古屋にいる時は代わりに渡辺父師が教えていた感じだったみたい。
渡辺忠敏師は厳長師と仲が良かったみたいだから、東京は渡辺師がまかされてたって感じなんじゃないかな?
>>891 幸一師が忠敏師の所に行ったのは、当時学生で東京に居たからだと聞いたよ。
>>893 >柳生会員で渡辺さんのところで稽古してたんだろ?
>宗家が延春氏なら当然延春氏の弟子だよ。
当時は今のような柳生会と転会という区別は無かったみたいよ。
最終的に延春師の弟子だろうけど、当時は厳長師も生きていた訳だから、厳密には厳長師の弟子だったんじゃない?
忠敏師は一度も自分が宗家なんて言った事無いしね。
当時の幸一師の事なら、前田師に聞けば教えてくれるよ。
一度お会いした時に聞いたことがあるけど、当時前田師が忠敏師に弟子入りした時は既に幸一師がいたと言ってたよ。
>958
延春氏の技は継承しているのだろう
>962
耕一氏本人は東京の人でしょ?
延春氏が東京で活動し出したのは厳長師の死後(S44年10月に東京柳生会再開)
転会の発足も厳長師の死後(S44年1月発足)
転会と柳生会の区分け以前に、厳長師生前時には、渡辺さんの稽古会なんてないでしょ。
あったとしたら、厳長師の高弟たちが渡辺さんを中心に集まって稽古したとかそういうのだよ。
前田氏ってのは、転会に入会した人だからねぇ。耕一氏の方が先に入会してたってことだね。
前田氏は、忠敏氏に教わった期間はせいぜい2年ぐらいでしょ。
その後は十数年、忠成氏に教わっているよ。
耕一氏の転会入会はS46年5月だそうだから、前田氏がその後なら、お二人とも忠敏氏に教わったといえる期間はせいぜい約1年半か。
忠敏氏死後も転会が中野から出て行くまでの10カ月間は、耕一氏も転会で稽古していたということだね。
966 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 00:19:37.25 ID:jiSCmS0Z0
何で幸一氏は伝位を出さないんだろうね
>966
出してないなら、それは延春氏のやり方を継承してるからなんじゃないの?
師匠がいるうえで同流の違う人のところで修行したとするのなら
それは出稽古扱いになるんだが
直心陰流の勝海舟も島田の弟子だから
男谷道場にいた間は出稽古扱いだわね
新選組の永倉新八も師範代稽古だが
天然理心流試衛館では食客扱いで稽古してたしな
前から思うんだが、>960や>962のような、厳長師生前から忠敏氏の稽古会があったような話は、どこから来てるんだ??
忠敏氏を中心に厳長師の高弟たちが集まって稽古しても、それは渡辺さんを中心に高弟たちが稽古してるだけで、その人たちが転会になったというわけでもないでしょ。
転会発足は厳長師死後だし。会作ったのは忠成氏だし。
厳長師生前に延春氏が東京でやってたってのもどこから??
あと、柳生会と転会の区別なかったって、東京柳生会は明らかに東京柳生会で、世話人なり色々いるのにそういうことあるのかね??
厳長師死後の、転会会員が忠敏氏の勧めで東京柳生会に参加したってのなら分かるが、厳長師生前だとわけわからん。
スマン。読み違えた。
最終的には延春氏の弟子ってだけで、延春氏が東京で活動してたとは書いてないね。
耕一氏が最終的に延春氏の弟子というのなら、それはその通りだね。
それでも、厳長師生前というくだりはわからん。
>962
耕一氏は厳長師死後に新陰流を始めたので、厳長師の弟子とはいえない。
厳長師生前に、2つの集まりがあったように書いてあるが、これもおかしいよ。
単に厳長師時代は別れてなかったというだけならわかるが、なんか2つあったけど区別が曖昧だったという意味に見える。
厳長師時代にそういうのはなかったはずなんだが。
厳長師の門弟たちが集まって稽古すれば、その中で指導的立場になるのは渡辺忠敏氏だろうから、
>960は納得。
>962の前半はそれと同じくで理解できるが、その後がわからん・・・
連投スマンかった。
>>971 そうか。
厳長師亡くなった後だね。
て事は元は渡辺父師の弟子で、その後延春師の弟子になったという事だね。
厳長師が生きてた頃は2つの会派は無かったはず。
厳長師の死後〜渡辺父師が亡くなるまでは知らない。
>973
忠敏氏は転会会員を自分の弟子とは扱わず、忠成氏の弟子としていたようだけどね。
>949
武藤氏が大坪系なのは間違いない。
けど、転会の稽古にも参加して、渡辺父子にも教わっていた期間もあるようだ。
耕一氏は伝位をもらったといっても大転か小転までだけどね。
その後は延春氏の柳生会でやってたから、伝位は受けていないんじゃない?
>973
>厳長師が生きてた頃は2つの会派はなかったはず
会派も何も、今みたいになったのは厳長師死後だからねぇ。
生前でも神戸氏のように勝手に門人をとっていた人は一部いたみたいだけど。
>厳長師の死後〜渡辺父師が亡くなるまでは知らない
じゃあ>962はほとんどテキトーか・・・
純粋な疑問なんだけど、 渡辺さん(とその一派)が中野から追放された後
中野で指導してたのは誰なんだ?
正直、その当時の面子では、まともに打太刀も出来そうな人間いなそうだけど
>977
自分たちの稽古場を外の奴らに追放されたらたまったもんじゃないよな。
乗っ取り成功だから追放されたようなもんだろうけど。
柳生会派で中野に残った人たちが指導してたんじゃないか?
それしかいないじゃん。
それだとおかしくなるの目に見えてるけどな。
手に入ったのは会員数名と中野の稽古場だけだから、乗っ取り成功とまでは言わないか
会場からばっくれるのを乗っ取りって言うのは違うんじゃないかw
柳生会に吸収されたくなきゃ行かなきゃ良いんだが
その場合はまろからは締め出されたんだから宙ぶらりんになっちまうがな。
そして中野体育館使いたきゃ抽選とれば良い。
>980
出て行ったのは結果で、その前の計画も含めて乗っ取りなのだろう。
稽古場がどうとかではなく、その行為が問題なのだろう。
中野に残ったのは柳生会派で、連絡つかなくて宙ぶらりんになってしまった人などはほとんど行ってないだろう。
東京に柳生会の稽古拠点を確保できて、名古屋だけでなく東京でも数名の会員がいるようにできて、その後それが東京柳生会として大きくなったんだから、そういう意味では名古屋柳生会による転会乗っ取り計画は、完全に成功ではないものの、効果は充分得られた。
ということだね。
983 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 19:50:46.37 ID:LTkbF+cg0
>>978 何で延春さんが教えなかったんですかね。
>983
月一回は来たでしょ。
名古屋からだから毎週は来ないでしょ。
985 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 20:11:40.27 ID:nu2qNIS8O
東京にも拠点を作って剣道の人たちも引き入れ…ということがうかがえますな。そりゃ、剣道高段者の人たちは癖が取れないから自然とやる人がそういう剣道風格にもなりますよ。
裁判所長官というのはたぶん石田って人じゃないのか。
で、槍術もやっていた古参のような人を追放するようにもっていったと。
986 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 20:22:08.31 ID:nu2qNIS8O
まさしく石川竜三先生が言っていた禁忌の我見我欲の固まりで、剣の神髄とはほど遠いことをやっていたようですな。
だから日本人より熱心な外人が演武を見て、彼らの評価が低いんですよ。
彼らは先入観が日本人よりないからわかるみたいです。
つまり、ムービング(感動)とハイスキルを外人が感じなかったのです。
987 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 20:32:21.07 ID:TSEL8sq70
外人ウケがいいのはむしろエセ武術の方が多いけどw
陰謀論w
計画ってw
そのへんは勝手に言ってればいいが
剣道はアレだよ、前傾して小さく打つのはまろの癖と似てるよな。
剣道弊習の会員だって多いだろう。
ここで剣道がどうこう言ってる奴は実際のこと知らん奴だなw
>988
一体何を見ているんだ??
見たままじゃないかw
991 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 23:41:39.56 ID:LTkbF+cg0
992 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/23(水) 23:57:13.44 ID:SQNWbH4fO
前傾と呼ぶのが適切か否かは置いといても、
同一視するのは些か乱暴だわなw
天然か、故意か
どっちでもいいがw
993 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/24(木) 09:25:47.48 ID:J9AvSBnP0
>966
柳生会で伝位制とか段位制をとっていないのは、実力主義からはずれることを
嫌ってのことだと聞いたことがある。
会の中でも修行者が自分の力量の目安にしやすいということで段位制を
取り入れる事が検討されたが、会本来の趣旨から外れて
段位取得自体が目標になったり、会が商業主義に陥る可能性を嫌って
段位制導入をやめたということらしい。
ちなみにまろの伝位って取得にどのくらいの費用がかかるの?
かなり高額だと聞いた事があるけど
走ったりする
同じように見ない理由はないがw
>>993 武道では段位や目録と言うものは、師から「自分の技を伝え継ぐ者」と言う
允可、お墨付きのようなものですから
それが無くては師の衣鉢を継いだ事にはならないでしょう。
一門の証明であり、先師たちの道統を受け継いだ証でもあります。
渡辺先生も学生の頃には厳長先生から連也の一字を取って剣号を頂いたそうですが
そういう伝承の責任も負うと言う事でしょう。
997 :
名無しさん@一本勝ち:2011/03/24(木) 23:38:25.56 ID:3WzeXrcZO
急に何を言っているのかわからんw
おそらく
>>996に合わせた発言だろうが脈絡がないなw
反論できんからそんな発言しかできんのだろ。
暇人ばっかりやなぁ
そうかもなw
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