【金澤弘和】協会空手の武人を語る【田中昌彦】

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32多聞天inシベリア
 知名度と言えば田中が世界チャンピオンになる前は、大石の方が有名だった。
ロスの第一回IAKF世界大会は誰もが大石が勝つと思っていた。それで準決勝
だかの大石が技を極めた後の外人の反則で鼻を折られて呼吸困難の状態で、
大石は田中との決勝に臨み、田中にもう一度鼻を折られてゴボゴボ口で行って
いるのに中山主審が続行を命じ、田中が蹴りを入れて勝った時、
新聞記事は見出しが「大石不運!」であり、田中の優勝は小さく報じた。
それ位、知名度は違った。優勝したのにマスコミのその扱いに悔しがる田中を
「次ももう一度優勝したら世間はお前を認めるよ。やってやろうじゃねえか!」
と励ましたのが、東海堂の先代社長だ。