【金澤弘和】協会空手の武人を語る【田中昌彦】

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124名無しさん@一本勝ち
 前田利明は「強い選手を作るのに大きな箱はいらない。」とフィジカル時代を語った。大阪時代協会で、
和道の筑波大に行っても協会も続け山本が優勝した頃の協会全国には出ていた藤田幸雄は「フィジカルに
行って協会育ちの私はやっと空手らしい処に出会ったと思った。」と言った。フィジカルに出稽古に行っ
たとすれば大阪時代から藤田と馴染みがある香川が学生〜指導員初期の無冠の頃だろう。でも学生時代に
せよハングリーで野望に燃えたピットブルみたいな香川が根をあげるかなあ?とは思う。フィジカルでや
られた話が協会の上の先生に伝わったら自分がどういう目に遭うか分かるから、本当の事ほど言えないと
思うがね。「彼等も中々頑張ってるぞ。うん、和道の○○クンなんか強い、強い・・。俺、マケそうだっ
た。」と言う感じならしゃべれるだろうが。協会若手指導員が地方支部に指導に来て顔にあおたん付けら
れたりすると、本部に帰ってから自分が先輩達にしごかれるので逆上して、あおたんつけた地方の会員を
ボコボコにしたものだ。処で、村瀬時代に実業団・職域団体のチャンピオンクラスには「村瀬に実業団
で勝った。」「村瀬には勝てると思う。」と言う人が時々いた。田中が村瀬と違うのは、田中にはそう言
う人は皆無だった事だ。彼が無冠の時代すら『強さ』『やばさ』は誰もが知っていて、総本部指導員で
さえ学生、サラリーマンの彼が稽古に来ると嫌がったそうだ。そんな学生、サラリーマン、彼ぐらいだろう。
 WUKO世界大会代表の玄制流の丸谷は「試合なら協会指導員にも勝てる。但し田中さんだけは厳しい。」と
言っていた。村瀬にはポカの話が幾つもあったり上述の実業団・職域団体チャンピオンみたいに認めない連中
がいるが、同じ連中が田中と聞くと金縛りにあった様になる・・確かに違いはあったのだ。
 そして村瀬には確かに「貧相」・「細っこい」・「西村と比べるとしゃべり方・説明の仕方・言っている事
も馬鹿っぽい」と言う声はあった。