金澤先生の実家は水産業で成功されていた。家業を継ぐ為には都合が良かった
日大水産学部に入った。がそこの空手部が気に入らず東京中の大学空手部を見て
回った。相撲との喧嘩・柔道・ボクシング経験から、それらに勝つには蹴りと遠
間からの強烈な一撃だとの信念を持っていた。それに合う空手が拓大だった。
家業を継いで欲しい親にすれば有り難い大学の学部から、そうでない処に空手
の為にという価値を認めない理由で入り直したので、当初、内緒にしていたそうだ。
しかし、演武会の模範試合で大活躍して全国紙に載ってしまって郷里にばれた。
郷里では「あの子は小さい頃から強かったからねえ。東京に行ってもやっぱり凄い
ねえ。立派になった!」と、郷土の英雄的に好意的に見られたそうだ。
母上から電話で「弘和、新聞に空手の写真が出ている拓殖大学の金澤弘
和君って似てるけどお前じゃないよね?・・」と聞かれ、「母ちゃん、ゴメン!」
という会話があったそうだ。