1 :
名無しさん@一本勝ち:
正統うんぬんのネタはスルーな。
2 :
胴締め ◆NYz56RLC7. :2008/11/18(火) 04:07:31 ID:9DfXUejlO
清々しい朝!
練習前に2ゲット!
3 :
修行中:2008/11/18(火) 06:47:25 ID:l+6QYaV1O
胴締めさん。おはようございます。
随分と早起きなんですね。
4 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/18(火) 12:18:09 ID:z/4OYzmm0
連也斎ってなによ
結局、また立てたのね…
6 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/18(火) 22:47:21 ID:RxeSK9Ci0
そういえば、以前、斬釘截鉄の奥義は鉄を斬るとか言ってた奴いたなぁ・・・・
>>1乙さん
一刀流や示現流のスレが在るから良いと思うんだ。
8 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/19(水) 21:56:45 ID:J1eMSntz0
で正統云々はともかく
どこが一番原型をとどめてんの?
9 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/19(水) 22:12:55 ID:g/FQ7aWKO
原型ていつだ
上泉から離れた時点でもう、それぞれの個性がある新陰流だからなぁ。
そういう意味では、原型は留めていないだろう。
これは新陰に限らず、どんな古流にもいえることだ。
11 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/20(木) 01:12:55 ID:heHtAfHr0
上泉から離れたという表現もいまいちだな。
上泉以外の物が使えばたとえ息子であろうが
上泉師の技ではなく使った人そのものの技だ。
という事で一人一人の流儀ってことだな。
芯が違わなければそれでいいんだ。
三目録の位置付けとか理解した上で言ってるんだろうね
13 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/20(木) 11:26:09 ID:cpIFeG/20
芯が違うっていってんだろ。
芯が同じなら源流を留めているといえるだろ。
14 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/20(木) 12:20:15 ID:Xf9ANpXw0
芯が同じでも多少の型の変化はあるよ
15 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/20(木) 14:24:18 ID:AYg8fz2EO
九州って熱いよな。
タイ捨流や疋田陰流、福岡伝もあるし、佐賀には江戸柳生の流れも残ってる。
是非途絶えることなく次代に伝えていってもらいたいものだ。
タイ捨なあ
中拳由来とかいう蹴りと抜き手間近で見てみたいもんだすな
猿飛(燕飛?)も拝見したいものだ
ってageたらまた鉄山万歳が来るんじゃないのか?
ageたらまずかったのか・・すまない。
個人的には佐賀が興味あるなあ。
確か小城って所に鍋島治茂の系統が残ってたと思う。
一度見てみたいな。
>>8 赤羽根氏のネットで読める論文からすれば、加藤氏の春風館が一番形として残しているということになると思う。
しかし、なにぶん写真もビデオも上泉のころはなかったので、上泉出しても結論でないと思う。
まあ、赤羽根氏に言わせれば、奥義の太刀は石舟斎編纂で九箇も石舟斎の改定が入っているので、この時点でかなり上泉とは離れている。
石舟斎は上泉に数ヶ月しか習ってないよな。
上泉を祖とするなら、柳生は信用できないんじゃないのか?
という事は、印可状も影目録も偽物って事ね。 そりゃ大変だ
21 :
18:2008/11/20(木) 23:06:08 ID:mhr1h5ZA0
>>19 石舟斎は、すでに他流の印可得ており、基礎はできているし、実戦も経験している、弱小とはいえ「戦国」武将(武士)。自分らとは同列じゃないでしょ(笑
まぁ、数ヶ月といっても、一日中練習できる環境だから、勢法教わって、目付けなどのコツをならって、後は努力で足りたんじゃないの?
それに上泉の教授方法も解明されていないのでなんともいえん。よくあるように、地方名士の弟子のところを巡回して、教えて日銭を稼いでいたのかもしれないし。
23 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/21(金) 01:47:08 ID:py7tKz0F0
>22 君の説では、どの程度ならってるんだい?
もうやめようよ。
上泉伊勢守がどのような剣を使ったか、石舟斎にどのくらい教えたかなんて今更わかる訳ないじゃないか。
史実と伝説の入り混じった時代のことだぞ。
いつまで議論したって答えは出ないし、不毛なだけだよ。
示現流の東郷重位も善吉和尚から習ったの半年以下でしょ。
スゴイ師匠とスゴイ弟子なら、あっという間に皆伝でしょうよ。
桂、伊藤、武市のような幕末の志士も入門1、2年で塾頭だな。
ちなみに桂小五郎や桃井春蔵は元は新陰流。
>>23 逆ギレするくらいなら、最初からインネン吹っかけなきゃいいんだよ。
>>19 間違えるなよ、石舟斎が習った期間が短いんじゃない。
現在の教授期間が無駄に長いだけだ。
10年かけても教えきれないとか明らかに指導者の
力量不足。
まぁ、今の古流なんてせいぜい週2がいいところだしな。
>28 本来、数ヶ月で教えられるものを。
何十年もかけて教えて、満足に剣を振ることすら教えられないのか。
詐偽師の集団だな。
くだらねー煽りはいらね。
32 :
18:2008/11/23(日) 02:42:14 ID:TD0B8Xje0
煽るわけではないけど、今の使い方昔の使い方は、使える容易になる期間以外にも、実際問題いろいろなさがあると思うよ。たとえば、合し撃ち一つ見ても、戦国の世と連也斎の世でさえ隔世の感があったのだろうなと思う。
合し撃ちは技術としては単純かつ大変高度だが、実用としてみればぶっちゃけ下の下でしょ。
<技量の差が如実に出る>ってことは自分が相手より上手でなければ確実に負ける、殺されるという意味で、勝ちを掠め取ることできないし、殺し合いの場で使うのは、不確実性が高くて正直勘弁と思わない。
真剣の方が竹刀より細いことを置いといても、人中路を合わせて真正面手言うことは、平行に打つということで、失敗すると、十文字ではなく栴檀の撃ちで相死になりかねないと思うのは自分だけですか?
なんかの小説ネタっすか?
34 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/23(日) 09:54:51 ID:JfQCt5m70
>32
最初から失敗することを念頭に置くことのほうがおかしい。
あの使い方じゃ負けますよそりゃw
手だけで技を使ってる使い方の典型ですね。
>>34 そうか?
少なくとも練習するときは失敗する場合も考えて、二重三重に策を練るのが兵法なんじゃない?
>>35 誰のこといってるのw
>失敗する場合も考えて、二重三重に策を練るのが兵法なんじゃない?
最初の一手がすでに失敗してます。
一つの太刀を決めるために二重三重に策を練るのが兵法ね。
38 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/23(日) 17:02:59 ID:JfQCt5m70
合撃がどういうものか分かってないんじないの?
あれを単に正面の切り合いだと見るから栴檀で相打ちになるとか、
最初から失敗することを想定するなんて変なこと考えちゃうんだよ。
合撃っていうのは、簡単に説明すると十文字勝ちの特殊な形態のことだよ。
これがどういうことか理解できていれば相打ちになるとか、二重三重の策を練る
なんてことが無意味だって分かると思うけど。
十文字勝ちってどういうことか分かっているのかな。
39 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/23(日) 18:24:55 ID:Vm9n8xedO
物理的に後から振って相手の太刀に上から被せると、どうして自分は斬られずに相手の太刀が外れるのか説明してほしい。
40 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/23(日) 18:46:32 ID:zDxFmfwB0
あ、俺は門外漢だけど
最近のやりとりがっきになってた。
同じ流派を学んでいてもわからない人もいるくらい難しい考え方なのかな?
十文字勝ちや
栴檀(読み方?)で相打ちになるとか
の説明も、エロくて親切な人にお願いします
門外漢なら、門人になって教えてもらいなさいとしか
言いようが無いのでは? それがケジメってもんだろ。
32だけど。
>最初の一手がすでに失敗してます。
>一つの太刀を決めるために二重三重に策を練るのが兵法ね。
そりゃあ一つで決めた方が、いろんな意味で良いし、そのために二重三重に策を練ったり、稽古・工夫を積むのは言う前もない当然のことでしょう。
でも、その上で不発だった場合のことも考えるのも武術・兵法としては当然じゃない?
それと「一つの太刀」の定義の仕方しだいだけど、それを単純に一振りと定義するならば、九箇は?との突込みをしたい。
あれは二つ目が勝ち。もちろん「一つの太刀」を本命の一太刀なら、必勝とかの一太刀目は「策」でOKですが。
>栴檀で相打ち云々
確かに表現、用語の使い方悪かったね、それはごめんなさい。
ただ、勢法が上泉から離れている云々や習った期間の話があったけど、
戦国から太平になれば、剣術も「芸事」になり、暇だし切羽詰っていないので、余暇・レジャーとして技芸に凝り実用の見地からは難ありでも、それを一応形(モノ)にするだけの時間があたえらるので採用されることがある。
そういう技法の例の一つとして合し撃ちといえるのではないか?
そういった技法の技巧さ、凝り加減を無視して、習った期間が長い短いと現在を基準にして言い争うのはどうだろうなと思って思わず書いてしまいました。
あらすような形になってごめんなさい m_ _m
九箇も初太刀で決着がつけられるよ。伊勢守は九箇の技一撃で決めたじゃん。
>>44 そりゃ、相手の技量が自分より悪く、初太刀が奏功すれば、初太刀で決着つくでしょ…
一打目でしとめることができる(できることもある)と、
一打目でしとめることができない場合について、あらかじめ検討し、策を練っておくのは別問題だと思う。
超絶の達人で、百回やれば誰が相手でも百回一太刀で仕留められるというなら別ですが。
>>44ではないが、それを兵法の枠外のように言われると、異論がある。
一打目で決まらないからこそ、新陰でも二重、三重に打って相手の頭を上げさせるなとか指導されているわけだし、鎧兜とは言いませんが防具をつけている相手では当てても必ず抵抗する力を奪えるわけではないので。
伝書や小説の一部を自己流解釈してもだめだよ。
ムラ雲や朱美ちゃんだって一打のために変化しながら間を詰めてるでしょ。
1打をおろそかにしている人に2打目は無い。
それが理解できないと合しなんて無理。
それに鎧兜相手でもふつうに使えるよ、刀剣には打撃以外の使い方も有るわけだし。
47 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/25(火) 12:31:16 ID:2NSlnLmw0
いったい何の議論をしているのか?
連打と単発の論争?
型にとらわれ過ぎた考え方ばかりでは
そういう発想しか出てこないだろうな。
というかそういう展開にならざるおえないね。
恐らくその考え方で自由な打ち合いをやると
ちゃんとできないぞ。お互いにな。
論争じゃないだろ
小説で覚えた合撃や栴檀を語る痛い人が荒らしてるという話。
49 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/25(火) 17:53:19 ID:FAcWJSCqO
結局、誰も物理的に説明できないのかな
>>48 荒らしてすみませんでした…
残務処理だけさせてください。
>>40 栴檀(せんだん/せんたん)打ち(二葉):打ち込みの太刀筋が並ぶこと。
ただ、太刀筋を並べて一緒に打つと、相手も切るが自分も切られるで、よくない。
そこで、相手の打ってきた太刀を越して拳を打つことを「せんだん」と言うので、
>>42でいったように言葉遣い間違いました。
自分が初めて、この言葉習ったときは九箇の必勝のとき、越さない悪い例と一緒に習ったことを思い出しました。
なお、栴檀の漢字は、鎧の栴檀板に由来。
普段こんな言葉は使わないので、ならぶ、ならぶ、平行、平行と、悪い例を栴檀で覚えおり、確認せずに使ったので間違えました、本当に申し訳ない。
十文字:一番簡単に言えば、相手の打ち込みと自分の打ち込みが十字を作るように打つこと。
少なくとも自分はそう習いました。記憶違いかもしれないので、間違っていたら補正するか、少なくとも指摘して下さい。
自分の言い方が悪くて意図しない方向で無駄にレスを費消してしまいました。
今後みなさんが、建設的かつ活発な議論をされるように期待しております。
本当に申し訳ありませんでした。
51 :
50:2008/11/25(火) 23:55:48 ID:DrnFZzWg0
残務処理その2
なお栴檀は、鎧の栴檀板が表向き解説で、「栴檀は二葉より芳し」に掛けて、二葉を隠したとも習った気がします。
52 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/26(水) 12:36:37 ID:YqxefNwM0
なんだ。
結局自己完結かよ。
わけわかんねぇな
>間違っていたら補正するか、少なくとも指摘して下さい。
師匠がこれ見たら破門だな。
正直な話
>>18も
>>32も
>>42も
新陰修行者なら、あんなこと言わないよ。
それにガッシを理解してない人がセンダンを理解できるのか?
ガッシと栴檀は、一応別の技術だからできるんじゃない。
決め付けが好きな人多いな。
理解できると妄想で言われても意味がないのでは?
ところで赤羽根氏って疋田伝の本出してるけど、どこで習ったんだ?
まさか熊本まで行ったとは考えにくいけど・・
神戸さんが師範家の当主から譲られた伝書類が主な内容です。
まあ、この話も眉唾ですけどね。
伝書は本物みたいですんで、資料としては面白いです。
猿飛の蜻蛉絵図なんかも、例の影目録との違いが興味深いです。
でもまあ内容的には柳生のものと大差ないんじゃないかと思いますが。
最後に載ってる疋田伝(なのに)燕飛は余計だと思いますがね。
これは神戸伝だそうですよ。誰に習ったとかは無いですが、本来のw新陰流なんだそうで。
で現在新陰流は柳生会と転会どちらが技しっかり教えてくれるの?
60 :
名無しさん@一本勝ち:2008/11/30(日) 16:20:25 ID:T/tDi8tM0
神戸氏が伝書を書きうつさせてもらっただけでしょあれは。
神戸さんて何時頃どこで習ったんだろうね・・・・
大正時代には既に柳生家は東京に拠点を移してた筈だし。
神戸さんが碧熔館や金剛館で学んでいたという話も聞かないが・・
名古屋に残ってた人と稽古してたのかな。
整合居合の鹿島さんの弟子でわ?
カンベって姿勢悪いよね
ヤフオクに、鍋島系の伝書が出展されているけど、誰かこの系統知っていますか?
本物?兵法家伝書系だな。
肥前小城藩主の鍋島三平元茂でしょうね。柳生但州から直接伝書がもらえる世代なら。
大体同じ名目の伝書がありますので、後代の写しでしょう。
藩士に同じ伝書を発行している、って言う事実以上に価値のある伝書とも思えないので、
あの値段で買う人がいるのかどうかw
活字本もでてますし。
加賀守が二代続いているのは良くわからないんですが、日本史に詳しい人居ませんか?
二代目の鍋島直能のことじゃないですか?
ちなみにこの系統、まだ残ってますよ。
小城市の市役所のHPに神社で演武してる動画があったと思います。
動画、公開終了してるみたいですね。残念。
でも毎年春と秋に地元の岡山神社で演武してるようですよ。
へえー、江戸柳生のスタイルなのかな?
西国伝とかの動画も観てみたいけど無いのかな。
>>66-67 サンクスです。動画見れず残念。
そういえば、ヤフオクと江戸柳生といえば、少し前に発行の柳生宗在から若年寄土井利房宛の兵法心持之書が出展されていましたね。
そちらも内容的には史料柳生新陰流か筑波大学の3巻本で確認できるので、実用品というよりは歴史に浸るコレクターズアイテム的なものですが。
>>66 兵法家伝書自体が鍋島宛てで書いたもんだしな。
しかし、武術関係者か歴史関係者でもニッチなもんをよくオクに出すよね。
しかし、古物商のバカどもはああいう伝書をバラバラに売り出しやがって、
散逸したら資料としての価値も下がるよ。
古書店なら、きちんとまとめてあるもんだけどな。
以前も、影流の伝書が見事にバラバラになっていったよ。
まとまってれば相当な価値があると思ったが。
>>71 64ですが。
ちょっと前……半年から1年くらいからかな、いろいろ武術資料がポツポツとだけど、しかし、まとまって出品されているようです。
それこそ一般的に流通している本から伝書原本まで。
古武道関係者の遺品整理をやっているのかなとにらんで、自分は定期的にチェックしています。残念ながら落札できていませんが(泣
>72
個人的には、こう言うのはお金に換えずに、関連地域の図書館に寄贈して欲しいんですがw
>74
まあ古書店じゃこの値段では置けないですしね。
ネトオクで高く設定して売れなくても出品者は損しないですし、少々金に汚い向きはありますね。
反面、この程度の利益をくれてやれば探す手間が省けられるとも思ったりします。
ちなみに、この三冊は史料部分以外は赤羽根氏の妄想に近い願望が書いてあるだけなので、本当に研究史料としてのみどうぞw
あと、「柳生厳周伝の研究」のほうはイラストはスキージャーナル社の本の使いまわしと
「柳生の芸能」からの引用が大半なのであまり意味ないです。
例の韓国っ娘の演武写真に萌えられる人には良いかもですがw
しかし改めてみると神戸さんの書いた資料は春風館でやってるのとは違うんですよね。
彼らは疑問に思わないんだろうか。厳周先生の演武写真だってあの蹲踞みたいな折り敷きやってないし。
>>75 >赤羽根氏の妄想に近い願望が書いてあるだけなので
歴史や体育の専門家ではないものの、赤羽根氏など「学者」さんが絡むと、資料を公開が進み助かりますね(笑
ただ、いい意味で余暇の楽しみで、空想などされているのでしょうね。
「訓閲集」の校訂者解説や江戸柳生と江戸(将軍家)の思想の話など、実際の正誤はともかく、学問的・客観的叙述より想像に想像を重ねたロマンあふれることを書いていましたね。
EX,疋田新陰こそ上泉の新陰の正統、或いはより原型をとどめたものではないかなど、疋田の目録と柳生の目録を較べて誰もが感じる型名の違いといった疑問に答えるロマンあふれるストーリーでした。
77 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/07(日) 22:04:20 ID:VQ9B1r8S0
赤羽根DVDをはじめてみました。
前スレのログでは、評判が今ひとつのようだったようですが、映像技術や映像教本作成技術の進歩のため丁寧なつくりなので驚いた。
ただ、赤羽根氏は、我を殺し、後世に残す意味でも演武は、春風館で今一番動きが良い人を使って欲しかったし、本来の速度での演武もあれば最高だった。
あれが春風館流なのかもしれないが、赤羽根親子ののけぞり気味の上半身の立ち方、ご子息の肩の上がり具合、細かいところでは刀に手をそえる指の感じが気になった。
赤羽の本を読んで一番良かったのは厳長先生の写真を見れたことだな。
厳長先生の姿勢と腹の据わり具合を見れたことは非常によい稽古になったよ。
後の内容はどうでも良い。
柳生流の門人たちの一番のスーパースターは誰ですか?
門人で一番の英雄は東照宮(家康)だが、
俺のスーパースターは、0石から最終的には1,2500石に成り上がり、名称は変化していったが後にその系統から多くの流派を生み出した宗矩公!
>>79 家康は門人じゃないだろ。
なにが東照宮だ。
81 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/13(土) 17:20:50 ID:K7HOpZPF0
とりあえず宗家を引きずりおろそうか
こういっちゃんw
>>80 ブッブッ〜
家康は、文禄三年五月三日の日付で起請文を、柳生但馬守入道宛に出してま〜す。
実際に修行したかはともかく、これによって形式上門人といえま〜す。
ちなみに2代、3代将軍は柳生又右衛門宛てにそれぞれ出してま〜す。
>>81 耕一先生は、延春先生の姉の孫らしいから、少なくとも尾張柳生の本家を養子(?)相続するのに問題はない。
そんで、延春先生が耕一先生でいくとおっしゃって、厳長先生が延春先生で、厳周先生が厳長先生でいくと言われるのならば、門人一同、柳生家に敬意を表して、「柳生流の正当或いは家元は柳生耕一先生」でいいでしょ。
その上で、允可の発行とかどうするか、とか柳生流、新陰流の名称を使用する事を認めるかなどなど決めればいいんでない。
尾張系統の先生の門人帳に餓鬼の頃署名捺印した自分としては、耕一先生がんばって厳周・厳長先生から混乱気味らしい柳生流一門を緩やかに纏めてやって、がんばってくれたらいいなと思ってる。
当然、息子も既に次期宗家修行始めてるんだろうね。
>>83 >耕一先生は、延春先生の姉の孫
厳長師の姉の孫じゃなかったかな?
あの白髪具合、メガネ、たぶん間違いない。
>>87 お〜この人がご本家か。
しかし、春風館や柳生会といった尾張の人達の燕飛は、演武会とはいえ、動作が大きく、ゆっくりだな。
大坪伝とはだいぶ違うね。
同じ厳周、厳長伝でどうしてこんな違っちゃったのか不思議だ。大坪伝はやっぱ色々変更しているのだろうな。
90 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/16(火) 21:43:32 ID:doYxUItu0
>>83 たぶん無理
あの人そんな器じゃないでしょ
>>90 残念。
しかし、故人を悪くいう気はないが、延春先生も罪作りだ、
延春先生なら、年齢的にも大坪、神戸、渡辺(父)先生の三人を、昔の長岡家ではないけど長老格として敬って「若輩者ですが、支えてください」と頭下げときゃ、上手く回っていけそうなものを、対立放置だし
著作でも道眼は口伝の公刊として新陰流400年余でも歴史的著作なのに、最後の300ページ以下80ページという20%近い分量を他にも入れる資料なり内容なりいくらでもあるのに、下らん対話を入れて自己満足に浸ってるし。
道眼の中にも奥義の太刀の解説もあるが、その80ページでしっかり太刀の写真解説でもしてれば、死後とはいえ赤羽根氏に祖先の残した勢法を勝手に初公開されるということにはならなかったのに!!
俺なんか赤羽根氏の本見たとき、ちょっと泣けたもんな。
自分の先生なんかが400年以上真実の人にしか教えないという建前で門下生にも表立っては早々教えなかった一門の秘宝、奥義の太刀が、柳生宗家のクレジットではなく分流の師範である加藤先生のクレジットで暴露されたのは…
いや、もちろんありがたかったけどね(笑
>91
>延春先生なら、年齢的にも大坪、神戸、渡辺(父)先生の三人を、昔の長岡家ではないけど長老格として敬って
渡辺(父)さんはすぐに亡くなっているのであれなんだけど、
大坪、神戸両人は厳長先生時代からとっくに離れているわけで
どうにかなったとは思えないんですがw
>下らん対話を入れて自己満足に浸ってるし。
いやいや、あれは延春先生が編集したものではないと思いますよ。
それに、あの本の要は所謂三大口伝書の解説であって、
勢法の解説などは伝書の内容にあわせて少しいれてあるだけでしょう。
まあ赤羽根氏の本や演武を信じるのは止めた方が良いと思いますね。
あれは古文書とも神戸氏の記述とも一致しておりません。
当然延春先生の解説とも違います。
偽物を公然と公開しても恥をかくだけ、喜ぶのはマニアだけですw
奥義を行いえる技量で無ければ見た目単純な勢法なだけですし。
関係ないですが、厳長先生の後代に於いては各師系とも允可された等々言っておりますが、本当でしょうか。
少なくとも昭和十七年当時の資料では神戸、鹿島等いずれも目録となっております。
それ以前、昭和六年辺りに離れた下条さんに付いて行っている大坪氏などは言わずもがなと思うのですが…
>>92 豚に真珠、猫に小判。
赤羽根程度がお似合いなんだよ、その手の人には。
元々新陰流、柳生流、柳生新陰流どれにも允可という伝位はないから
目録を允可(許可します、認めます、与えます)という意味でないの?
江戸の初めのころまでは別としても、それ以降は一般の門弟には目録まで
しか与えないのが実情だったみたいだしね。
皆伝までいけたのは、柳生家、補佐家、尾張徳川家の人間ぐらいでしょ。
>>92 >大坪、神戸両人は厳長先生時代からとっくに離れているわけで
>どうにかなったとは思えないんですがw
そっか。
厳長先生で和解は無理だろうけど、延春先生なら、お三方も子供時代を知ってそうだし、
前すれみると延春先生も承継に不安をお持ちだったようなので、「道業継承のため、若輩ですが、ご指導ご鞭撻を」と頭下げれば
大好きなw厳周先生のお孫さんということで、そういうのならと「後見役のおじさん」的スタンスで暖かく見守ることもでできたかも、と夢想。
実現しなかった過去の話なので、意味ないか
>それに、あの本の要は所謂三大口伝書の解説であって、
>勢法の解説などは伝書の内容にあわせて少しいれてあるだけでしょう。
もちろんもちろん。
ただ、あんな対話のせるぐらいなら、ねぇ〜。
道眼は歴史的価値があるが、あの対話には歴史的価値ないと思ってたし、
赤羽根氏が公開しちゃった今になってはね(苦笑
太刀伝の解説でなくても、七太刀込みの影目録全4巻でも、外伝口伝書でもいくらでも載せるものがあるのだからW
赤羽根氏に奥義の太刀の発表の栄をとられたのは、史料柳生新陰流など厳長先生が門外に重要なところは出さなかったのが仇になったかもね。
今後はメディアを通してしか新陰を知らない人にとって赤羽根氏が新陰の第一人者だよ。
>94
渡辺(父)さんが厳長先生から奪刀術を伝授されたのが
目録伝授以後の内伝印可の頃だと言われてるから
補佐家格の人には上のレベルの伝授、印可はされたんじゃね?
>>92 武藤氏は訪問した事もあり、その際聞いた話も加えてあります。
○ 大坪系統
厳長允可。これは下の二系統主張一致。
弟子:
武藤(関西伝柳生心眼流の宗家)系統
鶴山(日本伝合気柔術の伝承者、その他中国武術など)系統。
↑この人たちはどちらかというと「大坪伝」を強調。ただ関係悪い。
ただ、武藤系統を見ると、尾張柳生フルセットでは継承する気はないみたい。
本当に印可をもらっているかは、大坪の伝書の公開を待つしかない。
△鶴山サイド
鶴山ソースの赤羽根「新陰流を哲学する」によると、鶴山が昭和60年に大坪から師範印可。
大坪は「講習会や演武会用に教えたことはあった」が鶴山・稲益氏以外弟子はいない。
他方、武藤は大坪が役員だった日本古武道振興会に参加し大坪伝新陰流で演武も行う。
赤羽根が武藤系統を知らないはずはないので、同氏の「演武会用」、資料から江戸遣い再現云々との記述は、明らかに武藤系統を指す。
詳しくは赤羽根「新陰流を哲学する」
△武藤サイド
お話を聞いた際、伝書の形態の話が及び、折れ本の伝書の例として、大坪発武藤宛の目録は見せてもらった(発行年月日失念)。
武藤は、渡辺一郎の研究会に参加し、新陰や他流の資料収集・研究を趣味としていた。
江戸遣いを資料から再現云々との記述は、実は「師伝」以外にも収集した資料も使って良いところは取り入れているぐらいの意味(武藤談)。
鶴山が大坪伝新陰流を伝えているとの点について、まあ、宗家になりたい人多いですから…でも、大坪先生が貰った伝書などは全部こっちにきてるんだよね(笑)(武藤談)。
試合勢法…数が多いし、新陰の勢法から基本的に抽出されているので、勢法をしっかり稽古すれば必須ではない。(武藤談)
その他
伝書集成の柳生道春「陰流書」は武藤提供、入手方法不明。
鶴山は、メディア(出版)と関係があり本はこちらが多い。
武藤氏系をみると試合勢法と七太刀が少なくともWeb上のカリキュラムに載っていない。
>>96 転会のサイト見たら、厳長師伝は強調しているが、印可云々は書いていないの気がついたんだが…。
関係ないが、転会支部多いな…門下生ひょっとして一番多い?
99 :
94:2008/12/17(水) 23:58:13 ID:KK2XxqoI0
>96
>補佐家格の人には上のレベルの伝授、印可はされたんじゃね?
私もそう思うよ。
>>98 下に印可の太刀の記載が有りましたけど。
てか教習内容も一番多いんじゃないですかね?
◆仮目録位
教習内容:二十七箇条截相 七太刀 奪刀法・坐奪刀法
二十七箇条截相は新陰流の索引のようなものです。
七太刀は新陰流以前の神道流の太刀です
◆目録位
教習内容:奥義之太刀(内伝) 燕飛(本伝=実践型) 両刀
目録位からいよいよ本伝(流祖伝来太刀)に入ります。
長期間稽古してきた内伝の形も、すべてはこの本伝を学ぶための鍛錬形なのです。
◆外伝位
教習内容:参学(本伝) 九箇(本伝) 続外勢法
参学の本伝を稽古して、初めて転打(まろばしうち)とはどういうものか、
二の斬りとはどういうことなのか理解出来ます。その入り口に立つことが出来るといえるでしょうか。
◆内伝位
教習内容:天狗抄(本伝) 奥義之太刀(本伝) 八箇必勝(伝授の太刀)
奥義之太刀には通常の稽古法の他に、一本目を破る二本目、それを破る三本目の太刀という具合に、
交互に使・打を入れ替える古い稽古法が伝わっています。
八箇必勝は皆伝位の印可の太刀であり、特に秘中の秘とされています。
この八箇必勝を伝授されて後、「皆伝位」に到達します。
あ、なにげに100げとw
奪刀術だか無刀捕だかしらないが、いまどき珍しくもない。
合気道の演武なんかでやってるよ。
>>99 太刀伝にはお父さんは目録印可と内伝印可貰っていることになっている。
ご子息の印可については書いてない。
転会の人にお聞きしないと分からないが、
お父さんの太刀伝や聞書を読むと厳長先生へを大変慕っていたようなので、表立っては印可とか発行していない可能性もあるんじゃない。
あくまでも「○○位」で「○○印可」ではないとか。
>94
そもそも伝位は相伝されるもので、
○○印可、印可される、というような言い方がおかしいのでは?
他流にはそういう言い方があるのかもわからないけれども。
そう言えば石舟斎は結構印可状出してますね。
>95
>赤羽根氏に奥義の太刀の発表の栄をとられたのは
別に発表されて良いことなんか無いと思うんですが。
と言いますかね、加藤氏が仮に允可状を受けているとすれば、
だいたい奥の儀は誓詞を出させて伝授しなさいとか書いてあるはずですよね。
現代にそこまで古儀を守れとは言えませんが、言わんとすることは分かると思うんですよ。
少なくとも誇れることではありません。
ですが個人的にはあのレベルなら別にいいんじゃないかと思います。
恥かくだけなんでw
>97
けっきょく大坪氏の自称っぽいようなw
とりあえず客観的には不明ってことでいいですか?
>103
>太刀伝にはお父さんは目録印可と内伝印可貰っていることになっている。
私の所蔵する太刀伝には載ってませんw何故でしょうかw
105 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/18(木) 23:27:36 ID:WvKr/iO80
>98
それはね、あそこは金さえ積めば支部出せるだけの地位を買うことが出来る
からだよ。
たしか太刀伝の初刷と第二刷には著者紹介の欄が無いんだよな。
それよりも、Y会って、今は伝位あるの??前は、新陰流には伝位なんてものは無い!!とよく書かれてるのを見たけど。
M会もS館もO坪氏も、たしか伝位出してたよね、以前から。
M会とK戸氏系は間違いないと思うし、以前何かの雑誌でO坪氏から武藤氏への伝位伝授の紙を見た記憶があるし。
M会やK戸氏やO坪氏が伝位を出しているということは、当然、厳周先生や厳長先生の頃には伝位ってのはあったと思うんだよね。
延春氏が無くしたとか前スレにも書いてあった気がするけど、そうだとしたら、なんで無くしたの??
でもって耕一氏は延春氏が無くしたものを復活させたの??
>106-107
何かを誤読してる気がしますが、
今も昔もあるといえばありますよ。
勢法を習う順番でここからここまでが○○位、とかいう感じですが。
書面での免状みたいなものは無いので無いといえば無いですねw
>M会とK戸氏系は間違いないと思うし、以前何かの雑誌でO坪氏から武藤氏への伝位伝授の紙を見た記憶があるし。
それはそれでおかしいですね。
目録以前は特に免状等の伝書授受は無いはずです、伝統的には。
現代風に免状の発行を始めました!とは言えないのかしら。
どうせ宗門から離れて独自活動してるんだから、
そこははっきり独自路線で行って貰ったほうがいいんですが。
>108さん
ありがとう。
じゃあ、今はY会でも目録は出してるということでしょうか??
以前、目録や伝位を出したりはしない!一子相伝のみだ!
みたいなのをよく見ましたが、それは誤読だとして、少なくとも今は目録は渡しているということでしょうか?
内伝とかも出してるの??
昔は目録より下は書状ではなく口頭で行っていたというのは、雑誌で(M会の記事で)だいぶ以前に見たことがありますが、Y会は、以前は伝位や目録(伝位としての)そのものの存在を否定していたようなイメージがどうしてもあるんだよね。まぁ誤読なんでしょうけど。
109ですが、雑誌探してみたらすぐ見つかったので確認してみました。
厳周先生の頃までは目録より下は口頭だったけど、厳長先生は、晩年、初級伝位についても一部書状をもって伝授していたので、M会ではこれにならって全て書面で渡していると書いてありました。
正統云々をいわなきゃ、こういった制度的な話は、武術文化の歴史で面白いね。
>>110 厳長師が書面で初級伝位を証したのも、
弟子にやる気を出させて道業発展を期待!というのもあっただろうし、
謝礼を取っていたら明治維新と第二次世界大戦で資金繰り大変だったのね…
と想像できる。
>>104 大坪氏については、大坪氏がいったのか弟子がいったのかは別として、客観的には不明でOKかと。
大坪氏は、しっかりと道場持った神戸氏や、転会結成が息子と父どっちが主導か分かりませんが、東京で助教をやって晩年転会で指導していた渡辺氏とは微妙に立場ちがうようだね。
ある意味、フリーランスのプレイヤーとして活動している感がある。
そう考えると厳長師が一先ず印可を挙げて色々頼みやすいポジションだったのかもね。
控え宗家は鶴山氏か大坪氏の「厳長師のお願い」を拡大解釈した可能性もあるけど。
S63年発行増補改訂新陰流兵法太刀伝には
T6厳周に入門
S33目録印可
S41内伝印可
S32-41厳長の補佐役
と忠敏氏の経歴を書いています。
あっ、5刷です。
正確には、
「天狗抄奥までの口頭による授与の習慣は厳周師の代までは厳守されたが、厳長師はその晩年において、一部であるが、初級伝位についても〜」
と続いてました。
で、厳長先生の部分もM会の部分も、正確には
「書状」をもって「授与」
と書いてありました。書き方悪くてすいません。
もちろん、目録以上を書状によって授与は昔からだそうです。
そういえば、以前雑誌で見たO坪氏から武藤氏への書状も、天狗抄か天狗抄奥って書いてあった記憶があります。
それ探したけど見つからなかった。
あっ、>113は、>110のことです。
O坪氏も、正木坂道場師範という肩書きはあったんだよね?でも、実際は名前だけで、しかもその道場は新陰やってたわけでもないんだよね?
それに、O坪氏は、最終的には下条氏の弟子みたいな感じだしね。
何かあれだよね。ここまで来て皆ある事に関しては意識的に触れないように
避けてる事が一つあるよね・・・・ いや、気持ちは解るけどw
下条さんは碧ヨウ館の古参教師だから目録までは持ってる。
大坪氏は教育大の武道講師に就任したので世間一般では
柳生流の最高権威者=宗家という認識になってしまった。
名門の生まれでとにかく顔の広い人で江戸柳生家や
政界、マスコミにも顔が利いたし、あちこちに名前も貸した。
厳長先生も古文書、刀剣売買のさい世話になったので
あまりクレームもつけなかったとか。
117 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/19(金) 15:36:23 ID:EO3Ag+fq0
延春はなんで、厳長師の弟子達を嫌ったの?
厳長師と仲悪くてあんまり教わってないんだから、
そんなんじゃ道統継承に支障が出るに決まってるだろ?
>>117 いやまず、前提として「延春先生が厳長先生の弟子を嫌っていた。」という事実はどこから持ってきた。
このスレで、「嫌っていた」との事実は確認されてない。
せっかくだから、出発点が正しいか、しっかり確認してから進めようぜ。
誰か「嫌っていた」といえる事実持ってる?
本に悪口かいてるとか、講習会で名指しOR婉曲的で「好かん」「嫌い」と発言するのを直接聞いたとか、伝聞で間接的に聞いたとか。
まあ、嫌っていたと言うよりウザイ存在とは思っていたかもね。
厳長先生も父上の古参弟子の下条さんとケンカ別れしたしね。
延春先生もプライドが高い人だしなおさら。
兄弟子は先師の教えを次代にできるだけ伝えようとし
宗家から見れば親父の名前を使って小言を言うヤツぐらいにしか思えない。
まあ、それぞれ立場が違うから仕方がないんじゃない?
>延春先生もプライドが高い人だしなおさら。
私の知っている延春先生は新陰流に大変自信をもたれていたけれども
プライドが高いって感じじゃない人でしたよ。
>兄弟子は先師の教えを次代にできるだけ伝えようとし
>宗家から見れば親父の名前を使って小言を言うヤツぐらいにしか思えない。
その兄弟子の弟子を見てると、独自路線を行きたいのに
でも正伝、印可のの肩書きも欲しい、そんな風に見えますがねえ。
好きなようにやりたいなら出るしかないでしょう。
本来なら伝書等返還して新たに流派を興して型も作り直せばいいんですよ。
今でも変えまくってるんだからその方がすっきりするでしょう。
121 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/21(日) 01:02:40 ID:KpTHBV1+0
まるで延春が正しい遣い方をしていたような言い方だな。
厳長師から大して教わっていないのにな。
今、伝書だけ返還しても允可伝承者が居なくては意味ないと思いますが?
伝書だけ集めてどうするんです?
>>122 伝書返納…今村の柳生一族を見るともう一方の御流儀、江戸柳生でも大名とかは少なくとも初期の段階では返納もしていたみたいだね。
でも、各藩のお留め流・御流儀以外の流派は伝書返納はどうなっていたのかな?
尾張の新陰は、体制のトップである藩主自らを相伝者の一方として、地域的にも身分的にも限定された、それこそゆりかごから墓場までしっかり体制に組み込まれている尾張藩士を対象にしていた。
そんな例外的な状況なら、新陰の修行は私事ではなく、ある意味公務だろうから伝書返納を制度として義務付けてもみんな従っただろうが、私事だったらどうだったろうかね。
その辺は、御流儀とかでない他の流派の伝書返納と比較しないと、在野に下った明治以降の話でも「伝書返納!」とかいうのはナンセンスにならないかな?
>121
厳長先生の遺された勢法口述、連也斎口伝書、如流斎討太刀口伝書はたまた某太刀伝に至るまで
その内容を客観的に見て明らかに延春先生の技が正しいと証明しております。
正しいことと、その技術の評価はまた別の話です。
各流各派それぞれが価値基準を持っているでしょうから。
あなたこそ厳長先生から教わっていないというのはどこから聞いた話ですか?
情報源を明らかにせずに又聞きの類を話されてもどうしようもないですな。
>122
いちおう>120へのレスだとして返しておきます。
120では「技を換えたり」「独自路線を行く」場合には
担保としての印可状は返還すべきじゃないか、と言ってる訳です。
>允可伝承者が居なくては意味ないと思いますが?
宗家が相伝していれば問題ないでしょう。
伝書を集めることに意味があるんではなく、亡くなった後流出するのが問題なんです。
偶集家が伝書類を見つけてきて「これが正統の証だ!」とか。
これは本当に正統の場合でも疑義が残るのが難題なんですがw
まあそれは兎も角、現尾張系傍流団体は
そもそも初めから印可相伝されてないと見ております。
好きなように振舞いたいがために○○印可などと言って
素人を幻惑しているから問題なんです。
それもただ道理を言っているまでで、それぞれ好きにしたら良いと思いますよ?
その代わり宗家は無視するだけでして。
内伝免許を貰って離れたならそれで素晴らしいことと思います。
それを各系統がそれぞれ異なった業で我こそ印可相伝、と言うのは少し図々しいですし、
自分の技は正しくて他の団体は改変したなどと言い合うのは間抜けでしょう。
自己の工夫を誇ったらどうですか、と言いたいですね。
>123
>伝書返納…今村の柳生一族を見るともう一方の御流儀、江戸柳生でも大名とかは少なくとも初期の段階では返納もしていたみたいだね。
上のほうで話題に上った三平さんはもう次に渡してますし、どうでしょうね。
もっとも、よく見ると宗矩さんは印可状の代わりは出してるけど、
正しく印可状そのものは出してないです。十べさんは出してるけどw
昔は家督を継ぐにも養子に入るにも武術の履修証明が必要でしたが、
現在はどちらかと言うと記念品的なものだと思うので
返さなくてもいいと思います。
こう言うのは団体内で認められてないと意味無い物ですし。
まあ先生によりましょうが。
>私事だったらどうだったろうかね。
関わり方の問題だと思います。
あと、よそのことは意味無いです。そちらが良いならそっち行けば?とかそう言うレベルの話では?
>現尾張系傍流団体は
>そもそも初めから印可相伝されてないと見ております
本流の方は本当に道統相伝してるんだろうね? それを証明出来る
ものはあるの?
結局は自分で確認したり調べたりするしかないですよ。
納得させられるわけ無いですし。そうでしょう?
個人的にはされてると思います。
一流の綱紀といたしましては何人にも見せない慣わしw
ま、ご自分で納得する理解の仕方でどうぞ。
それを主張する場合は根拠を要すると覚悟されたら何書いてもいいんじゃないでしょうか。
128 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 00:20:09 ID:z97u+IvD0
>>127 いい加減過ぎる答えだな。
その論法では、何を言っても正当化できるな。
延春の技が正しいと何が証明してるんだ?
親父から教わったのは少しだけだろ?本人が語っているだろ?知らんのか?
目録や内伝レベルまで教わったのか?
大坪、下条、神戸、渡辺(父)などのレベルにも達せず正統と言う神経がわからんよ。
宗家だから信じたいんだろうが、それでは宗教と同じだ。
技とは体を動かして教わるものだ。伝書だとか説明書読んでもわからんよ。
そんなこと武道やってる人間なら誰でも知ってるだろ?
剣道の高段者集めて伝書読んで復活させようたって、無理なんだよ。
>>124 当時は皆さん同じ東京柳生会と転会両方で稽古しておられるのに
勝手に技を改変したり、師の許し無く伝位発行したら
とっくに破門されているのではないでしょうか?
まあ、みんな落ち着けや。
延春子が相伝されているか、勢法のあらましは相伝されているでしょう。
たとえば無二剣を習った事はなかったという事はなかったという意味ですが。
一応後継者として育てて、いい年だったのですから教わってないという事はないでしょう。
そして、目録に書いてる口伝だって聞いているでしょう。
そんな数ないし、普段の稽古で聞かされているでしょうから。
ただ、それでどれぐらいのレベルで遣えたか、身についていたかは別の話。
厳長子がなくなられたときはそれほど身についていなかったのではないか、との疑いは良く耳にしました。
一先ず教えた、後は稽古鍛錬、研究して自得しろは、疑問があったら自分が死んだ後は兄弟子(大坪子あたり)とかにも相談しろ、実際はそんな感じだったのではないですかね。
その結果が延春子のあの比較的足を高くして遣うやり方だというのならば、それでいいのでは。
あのやり方が見栄え・分かりを良くする演武用なのかは不明ですが。
遣い方については、古伝・江戸・尾張も自分らから見れば一方が他方の砕きに過ぎない。
足の上げ下げの高さも体格や足場によりけり。
延春子に習っても、習った人の工夫次第で春風館のようにも、大坪伝のようにも使える。
できなきゃ、三磨の位じゃないけど稽古や工夫が足りない。それだけの話。
遣い方の違いは、面白いけど、実際はそれほど気にせんでも良いのでは。
まあ、
>>1にもあるけど、正統論は決着つかないからやめよ。
PS:
そういえば、延春子は厳長子の生前に襲名披露というか「次はこの子が宗家です」的なご挨拶・お披露目の儀がなされたのですか?
史実知っている人、情報求む!
132 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 12:28:12 ID:PsRZzyRj0
大坪の系統や加藤・渡辺の系統を見て正しい技かどうか見て
分からんのか、このスレッドを見るたびに思う。
形が多少使う人で変化していくのは当然のことなんだけど
その内容たるや惨憺たるもの。
到底武道とはいえませんね。
系統が色々あってもこの時代仕方ないとは思うが
見るべきところが無い物を武道として認めるわけにはいかんでしょ。
特に古武道大会でもしょっちゅう出てくる春風館などは
他流からも冷笑されている。
延春先生は転会でも春風館でも本当に立派な技なら交流もしたんだがと
嘆いておられました。
>128
>親父から教わったのは少しだけだろ?本人が語っているだろ?知らんのか?
その伝聞先をお答え願いましょう。信不信はその後おのおのが決めるでしょう。
また、あなたの読み取り方に問題があるかも知れず。
>大坪、下条、神戸、渡辺(父)などのレベルにも達せず正統と言う神経がわからんよ。
>宗家だから信じたいんだろうが、それでは宗教と同じだ。
では聞きますが、その四者が何を持って延春先生より上なんでしょうか。
私は伝聞など当てにしませんよ。
そして宗家であれば正統でしょう。あなたの神経がわかりません。
>技とは体を動かして教わるものだ。伝書だとか説明書読んでもわからんよ。
前者をして後者を理解できないなら、まさに虚伝ということでしょう。
それかあなたが素人か。
>剣道の高段者集めて伝書読んで復活させようたって、無理なんだよ。
印象だけでそう信じたい人は勝手にしたらいいですが、
あなたは資料以前に根拠を持っていませんね。
及び腰で手打ちの技を古伝だと思ってるならそれこそ古流風信仰の現われでお話になりゃしません。
また、厳長先生の弟子の中で当時剣道範士であったものも多いです。
いい加減でない「論法」で持って、資料もなしに、誰がしかが正統であると証明してもらえませんか?
>130
よそから見たらそんなものだと思うのでおおむね同意できるのですが、
>延春子に習っても、習った人の工夫次第で春風館のようにも、大坪伝のようにも使える。
これはいただけません。砕きどころか全く違う使い方でやってしまっておりますので。
>131
そう言うことを聞くから正統論などしなければならなくなると解りませんか?
個人的には当時のことはわかりません。
道統継承は厳長先生の無くなる一年前ほどに、要するに調子を悪くされてから決めたようですので、
これが独立した者が好き勝手言う原因になったのは間違いないのでしょう。
厳周先生は割かし早めに家督相続して引退してるんですが
厳長先生は生涯現役であろうしたようです。生きた時代の変化もありましょうが。
また、なぜか誰も指摘しないんですが、公式にもあるんですが、
延春先生は戦争にも出られておりますし、復員してからは地元名古屋で厳長先生の指導を受けております。
皆さん東京柳生会当時のことをよく指摘されますが、月一の指導で、本拠は名古屋でした。
この辺りも変な風聞の立つ原因と思います。
135 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 12:50:31 ID:096qRrDdO
何百年も前の伝書をひっぱりだしてきて、先代の技の正否を論じているようじゃ失伝しているのと変わらないですよ。
何百年前は今の新陰の剣道みたいな雰囲気、技とは思えないね。
失伝しているわけでしょう。
136 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 13:00:19 ID:096qRrDdO
後の先の技は誰も習得出来ないで、貴重な時間を費やしている現代日本人の趣味になってしまっていますからね。
剣術未経験の外人に、竹刀か木刀持たせて乱打させたほうが強いんじゃないのかい?
誰も確かな技を持っていないわけでしょう。
『こころの兵法』には、厳長先生は、名古屋はダメだから東京に力を入れていたようなことが書いてなかったっけ??
139 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 18:43:35 ID:PsRZzyRj0
名古屋がだめな見たいな事を書いていたのは
私も見たことがあるが、名古屋では広まらんというような
理由ですね。それに厳長師は東京が好きだったようです。
>135-136
正否など論じておりません。
きちんと正しく伝承してるから一致していると申し上げているだけです。
古い映像を見たことがある人には説明不要なんですが、
時代ごとで古流でもやはり演じ方に流行り廃りはあります。
なので江戸時代と全く同じかどうかなど愚問です。
素人はきちんとどこかに入門してからものを言って下さいね。
まあ戦前までは古流の人も普通に剣道をやっていたわけですし、
今の剣道に問題が無いとは申しませんが、
素人さんに言っても仕方ないですか。
>138-139
そのネタは読んだこと無いですね。
2回も道場経営失敗したのに何がそんなに良かったんですかね。
>>133 >及び腰で手打ちの技を古伝だと思ってるなら
ひょっとして西江水の打ちの事ですか?
尾張伝だと少し腰を引いたような形になりますね。
江戸柳生家の方が書かれた文書の中にもたしかそんな感じの
事が書いてあったと思います。
でもまあ、自分も初めの頃あれには驚きましたw
手の握りも、足の重心も、姿勢の遣い方も剣道とは違いましたしね。
それに打ち込みも和らげに浅く勝つのが元祖の教えではありませんでしたか?
そのためには何が必要だと思います?
142 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 20:16:29 ID:BmdfWjbE0
及び腰で手打ちは転も春風も同じだね。
古式とか直立とか関係なくあれはだめでしょ。
143 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/22(月) 20:29:32 ID:+KO/8Pio0
一週間に一回くらい稽古着を着て体動かすだけの、型を残すことが目的の完全な趣味ですから、手打ちになったりするに決まっているじゃないですか。
そうならないような技が身につくと思うほうがどうかしていますよ。
>141
いえ、既に>142さんに指摘されている通りのことです。
そうなるのは身勢が弱く竹刀にしがみついて手で振るからでしょう。
決して西江水の口伝を守っているからではありません。
>それに打ち込みも和らげに浅く勝つのが元祖の教えではありませんでしたか?
>そのためには何が必要だと思います?
さあ、なんでしょうね。
姿勢を崩して拳を下げた切のことでない事だけは確かですw
それに、和らげ、浅く勝つことと身勢、太刀打ちの厳しいことは矛盾しません。
上体を前に崩して打つところなんかは現代剣道的だなあとか思うんですが、
あなたには見えないんでしょうね。剣道のことよく知らないでしょ?
>144
教え方と習う側の姿勢しだいじゃないですか?
毎日の一人遣いは前提として。
西江水の口伝を受けたなら少し腰を引くような形になることはわかるはずですが?
それに竹刀にしがみついて手で振ったら逆に力むと思います。
まあ上手もいれば下手もいるでしょうから私も含め
新陰門下全員ができてるとは思いませんけどね。
>和らげ、浅く勝つことと身勢、太刀打ちの厳しいことは矛盾しません。
打ち込み以前の問題ですね。
この場合激しく強くではなく、隙間無く厳しくの方です。
>146
>西江水の口伝を受けたなら少し腰を引くような形になることはわかるはずですが?
それは西江水ではなくてセハハのセ ハの要件じゃないですか?
といいますか、文脈で解るでしょう、ここで及び腰と言っているのは
へっぴり腰で手打ちをしているのを言っているのです。
>それに竹刀にしがみついて手で振ったら逆に力むと思います。
逆ではなくて、そうなると言ってるんですが、解りませんか。
>打ち込み以前の問題ですね。
ここはあなたが何と戦っているのか解らないんですが、
>この場合激しく強くではなく、隙間無く厳しくの方です。
のほうですと言われても、激しく強くなんて言ってないのでどう言っていいのかw
とりあえず十禁習読んでも解らないのなら言うことも無いですが、
言及されてないことを、捏造した対立条件で反論されてもどうしようもないですね。
そもそもあなたの言う「元祖の浅く勝つ」教えというのはどういう状態を言ってるんでしょうか。
要するに、伝書があればそれだけでいいってことか。
伝書の解釈は人それぞれだろうしね。
カタも伝書から作ることもできるわけだ
形を体験してから伝書を読まないとわからない部分もありますでしょうね。
伝書からだとイメージが先行してしまうおそれがありますし。
連也翁そのまま読むとセ ハと西江水だと思っちゃうでしょうね。
でもよく調べればもう少し違った石舟斎の工夫の西江水の形状が
それとなく書かれていますよ。まあ、いろいろありますしね。
150 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/23(火) 15:37:23 ID:JQLO84nP0
>>148 その通りです。
伝書があれば、これが正しい遣い方と勝手に言う人が出てくるんです。
それが古流の恐ろしいところ。各々が己の信ずる道を行き、他を容易に批判する。
>>145 お前さん、玄人のふりしてるが、実は素人だろ?
西江水を何だと思ってるんだ?
上体を前に崩して打つのが現代剣道なのか?
重心やバランスを考えることはないのだろうか。
教えが違うだろうからね、無意味だよ。
>145さんは、Y会会員だと思うが、自分の教わったこと、そこから来る実力判断が全て。
だから、その範囲を超えたことはわからない。
「あなたには見えないのでしょうね」は、実は145本人にも言えること。
なので、>150さんが145さんに対して書いていることは無意味。
で、最終的には
・伝書に書いてある
・宗家だから
ならば、厳長→延春への印可状等々の資料は見たことはあるのでしょうか??
そういうのをもらってないから、やれ印可だ目録だ伝位だは無いとか出さないとかになるんじゃないかと思われて当然。
他会派がそういう伝統的なことを行っているにも関わらず、何故か「宗家」がそれを無視してしまうんだから…。
それと、「古い映像」は私も見ましたが、少なくとも今のY会の「ドーンッ」て感じなことは全然やってませんが…。
>>151 すでに答えが出ていますし、その位でよろしいかと…
わからない方には何を言っても無駄ですよ。
153 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/23(火) 23:58:07 ID:dDJciQi90
>>151 150だが、あなたの仰ることは正しいよ。
無意味は承知の上で、少しでも教えてあげようと思ったわけ。
Y会の「ドーンッ」て感じなとこがどこから生まれたものなのか、知りたいね。
決めにいくところだったらばっさり斬れるかもしれないが、常にあんなことやってたら隙だらけじゃないか?
示現流と交流があったようだから、あの太刀に負けない勢いのよさを考えたのか?
上泉、兵庫、連也等がやっていたと考えられるだろうか?
そもそも厳長師から教わった遣い方なのか?
他の新陰流系会派で似たような遣い方をしているところはあるのだろうか?
154 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 00:12:04 ID:+iaiW7RWO
何で伝書購読しなければいけないのかね。
師匠が金とっていて、師匠の頭にすべてそれが入っていなければ指導者の資格はないですよ。
新陰って稽古の最中に師匠が詳しく教えてくれないんですか。
155 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 00:19:30 ID:oWXWavni0
>>153 じゃあ、剣道の「ドーンッ」て感じなとこがどこから生まれたのか、俺に教えてくれよ。
156 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 00:21:44 ID:+iaiW7RWO
新陰系統の黒田先生の型はどんどんと足を踏みならさないですね。
同じく新陰系統のタイ捨流も型は足を踏みならさない。まともに習わないで勝手に型を創ったんじゃないですか。
何であんなに剣道みたいなんですかね。
157 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 00:41:16 ID:oWXWavni0
イタタタ・・・黒田信者かよ。
新陰流系統でひとくくりにしてるところが超痛い。
じゃあ何か?示現流は、香取神道流系統だが、香取神道流で立木打ちとか、すんのかよ?
示現流に薙刀とか、あんのか?
お前、頭悪いだろ。
逆に、小転なんかをどう動いてるのか見たいよね。
んー、立木打ちはしてたかもな。ト伝とかやってた気がする。
昔は子供が八勢で打ち込む木製器具が有ったらしいし。
黒田さんはどうだろ?北陸とだいぶ違う感じだけど創作が入っているかも?
色々な武道関係者がまるで剣道のようだと言っている。
分派が足を踏み鳴らさないで、元のがドンドン踏みならすのはおかしいんじゃないですか。
あんなことを四百年くらい前の草履、下駄を履いていた人たちがやっていたとは思えない。
どう考えても近代の創作型でしょう。
>>143 剣祖祭にいったら南勢にも支部があるとのこと。
ネットやメディアに公表されてない個人名や住所は2ch削除/通報対象なので割愛。
162 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 12:25:10 ID:hUAO8PqW0
踏み込みが無いのが何故いいと思うのかそれが不思議だ。
勿論すり足歩み足も使わなければならないが
踏み込みは必要です。
踏み込むことをやらない武道が手打ち腰砕けの
みっともない有様という現実も理解しなければならないですよ。
転や春風のあの体たらくはそもそも其処から来ているんだから。
それに鹿島という厳長師を裏切った外道も抜刀では
非常に強く踏み込んで使っていたと聞いている。
枯れた使い方になると踏み込みもドンドン軽くなるのは
常であるが基礎が出来ての話。それまでは
しっかり踏み込むことをお勧めしますよw
163 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 18:17:57 ID:jA4f6REk0
>>161 ググッたが、大日本大和野牛とかいううそ臭いのしか出てこなかった。
164 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 18:47:30 ID:+iaiW7RWO
分派のほうが、細々と田舎で伝統を守ったということはいえるでしょう。
なんせ、もう亡くなった古武道大家が書いた本に「私は質問してみたが、武道論を蕩々と論じるこの柳生新陰流の大家は肝心なことに答えを窮した」なんて書かれてあわれですなあ。
全然神髄を知らない、体得していなかったことになりますよ。
弟子も体得しようとした全日本クラスの剣道家も、入門して後の先の技は出来る人はいない。
型をやっているだけでしょう。
もう立ち会って勝った方が正しいって事で良いだろ
とはいかないのが古武道の辛いところだね
166 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 19:06:20 ID:WX7WMN4lO
>>164 その古武道の大家とやらについて詳しく。
また、覚えてないだの言えないだの言い訳すんの?w
>>162 強くするだけが能じゃないよ。いくら見た目が強くきれいでも
勢い余ったり、体中線が横を向いたり、溜めを作ったりしては
過ぎたるは及ばざるが如しだよ。
少し質問だが雷刀の位置からバックスイング無しで
体中線はそのまま。さらに太刀に変化を持たせつつ無形に打ち込みたい。
どうすればいい?足踏みを強くすれば良いのかい?
そんなの簡単にできるよ、と思うかもしれないが、はたしてそうかな?
剣に体重を乗せるのはどこも共通だがその体重の移動法が
根本的に違う。これは上手い下手とは関係ない。
そのへんを理解しないとただの悪口の言い合いで終わっちゃうよ。
つか、具体的な技術論は本来、語るべきじゃないだろう。
お互いに。 仮に一方が正しかったとしても、正しくない方に
正しい技術を漏らす事に違い無いのだから。
他派の人間に術伝を漏らすべきじゃない。
169 :
147:2008/12/24(水) 20:18:55 ID:JUBQkx0g0
これだけの反応が出るのは素晴らしいですね。
あまり公平な議論とはなっておりませんが、こんなもんでしょうか。
>150
同じ事を重ねては言いませんが、それはS、M等のことでしょう。
伝・習を通してのみ、伝書の意味が解るのです。
>西江水を何だと思ってるんだ?
>上体を前に崩して打つのが現代剣道なのか?
>重心やバランスを考えることはないのだろうか。
西江水そのものは兎も角>146への回答は既にしてあります。
下2行は解りませんか?剣道は籠手打ちと同じ位置で面打ちする技術をご存じないですか?
上体を前傾して行うものなんですが、割と常套手段ですよ。
まあ連中は届かないのを当てようとして体勢崩してるだけなんですがw
>151
と言う訳で、誤読乙、といったところでしょうか。
そんなだから自分の教わったことから来る実力判断が全てになり、その範囲を超えられナインデスヨw
と言いますか、超えてどうするんでしょうか。
>他会派がそういう伝統的なことを行っているにも関わらず
そう言うパフォーマンスには興味ないですよ。
それにそう言うのはご自分で取材にでも来たら良いんじゃないでしょうか。
>それと、「古い映像」は私も見ましたが、少なくとも今のY会の「ドーンッ」て感じなことは全然やってませんが…。
さて、一般に演武で見られるそれは、稽古中のもに比べれば私に言わせれば少し弱めですな。
実際には音自体はどうでも良く、きちんと定め通りなら強くも打てる、それだけなんですが。
そういえば日本の古武道ではあまり強く踏んでないですが、その辺は実はどちらでも良いのです。
>152
勝利宣言乙w
んん〜、なんと言いますか…
171 :
147:2008/12/24(水) 20:44:50 ID:JUBQkx0g0
>153
あなたのレスは実に素人くさいと思うんですが、
わざわざ教えてくれたんですね、ありがとうございます。
とりあえず>155さんに答えてあげて下さい。
それ以上は同じこと答える気はありません。字が読めないのですか?
>154
誰が伝書を必ず読めと言いましたか?
>160
これまでのレスを総合すると、剣道に見えるって言う皆さんの根拠は
強い足踏みだけなんでしょうか。ほんとにそのレベルでくっちゃべってたので?
冗談か何かでしょ?
>164
上段、下段ともそれぞれソースをお願いします。そう言うの答えない人多いので。
>167
あなたのレベルがわかりませんのではっきりこうとは言い辛いですね。
刀身不離が出来ているのなら腰で打つ、で理解できるでしょう。
無形と言う言葉は新陰流でははっきりした術語なので、使わんほうが良いでしょう。
>そんなの簡単にできるよ、と思うかもしれないが、はたしてそうかな?
どうでも良いですが、あまり人を試すような書き込みは良くないですよ。
ちゃんと自分の見解を書くのでしょうね?
体重の移動法ですか、あなたはそのレベルの人、て事で良いですか?
ご自分は言葉を選ばないで上から目線なのに悪口言ってる自覚無いですか?
>167
大丈夫です。このレベルの人相手なら漏れるもへったくれも無いですよ。
172 :
147:2008/12/24(水) 20:48:14 ID:JUBQkx0g0
最後の行は>168さん宛ですね。
では、ななしに戻します。
173 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/24(水) 23:26:33 ID:Nd4lIMGe0
169には、やっぱり何を言ってもわからんようだな。
何でそんなに延春師を信奉できるんだろうか?
宗家だからか?
俺には剣道が強く足踏みしているようには見えんが、
Y会は極端だと思うね。練習用か?実戦だとやらんのか?
実戦であんなオーバーアクション見せたらたいしたもんだと思うよ。
ついでだが、黒田は新陰系と言っても相当変えているので、はずしてもよいと思う。
>>160 厳長師からあまり教わっていない延春師が剣道高段者と
苦労しながら復元したらしいから、剣道っぽく見えるんじゃないの?
剣道家は抜刀やっても剣道的発想を持ち込みたがるからね。古流も同様
かも知れないが。どうしても自分の基盤にしがみつきたがるからね。
それも古武道の欠陥かな。
169哀れすぎ…
どう見ても自分たちのこと言われてるのを、無理矢理他会派のこととしたり…。
ここまで来ると曲解、屁理屈でしかないな…。
>>173 もうさ、「らしい」とか断言できないネタは止めようや。
踏み込みで音がどうのとか、千葉周作が道場の床を踏み込みで
穴空けた逸話もあるだろ。
ケチつける為に、あーでもないこーでもないと、くだらんだろ。
自分が信じるやり方だけやってりゃいいんだよ。他人とこに、わざわざケチつけにくるのは、
話し相手が欲しい奴か、自分がやってる事に不安がある奴だよ。
それができれば武板はいらないと思う。
相手の技術に疑問があるなら、立ち会い申し込んだら?
勝った方が正しいでいいじゃない。
>>163 ググって出るなら書いてるよw
ネットに後悔されてないデータは2chの削除対象だって書いただろ。
祭でプログラム見ればわかるから行ってみれ。
>173
>169には、やっぱり何を言ってもわからんようだな。
あなたたちに説得力が無いからです。根拠も薄弱だ。
たとえば
>厳長師からあまり教わっていない延春師が剣道高段者と
>苦労しながら復元したらしいから、剣道っぽく見えるんじゃないの?
いくら根拠を示して(終戦復員後名古屋に戻った厳長先生に教えを受けているなど)も
こうやって同じこと言って印象操作してるのあなたたちでしょう。
やはり何を言ってもわからないようですねw
>剣道家は抜刀やっても剣道的発想を持ち込みたがるからね。古流も同様
>かも知れないが。どうしても自分の基盤にしがみつきたがるからね。
剣道経験者は長いこと癖が取れず、苦労してますね。その逆は残念ながら知りませんが。
>174
そっくりそのままお返ししましょう。もしくは文盲でしょうか。
>175
全くその通りですし、私も度々自分の流儀をやり抜けば宜しいと申し上げているのですが、
根拠の無い批判と言うより誹謗に近い言説が後を絶たないので
ついつい反論してしまいます。
何とか聞き出した根拠は素人同然の印象論に過ぎなかったりとか。
もうアホらしいな…
レスの流れからして、伝書があればそれで〜てのは、どう見てもY会のことを言われてる。
また>152は、>151に対して書いているのだから、こちらも、Y会に対してのことはもう答えが出てるんだから、それぐらいにしておいてあげなということだろう。
それを勝利宣言乙とかウケるね。
単なる掲示板の書き込みで必死に論争してたのね。
どう見ても自分が文盲では?
つーわけで>169さん掲示板内の無理矢理の印象操作と強がり乙!
ってところで、終了?
>180-181
むしろ誤読・勝利宣言乙wで終了してあげても良いですよ。
どうせ素人さんの根拠の無いたわごとでしょう、あなたたちのは。
でなければもう少しがんばってくれなくてはね。
素人さん相手にやけに一生懸命になるんだな。
あなたは掲示板で議論することの玄人さん?
まぁ頑張れ
>>180 その判断で間違いありませんよ。
あのコメントをどうして、ああ取られるのか
不思議なところでしたが。
>183
この程度をがんばらなきゃ出来ない人ですか。
>184
>Y会に対してのことはもう答えが出てるんだから、それぐらいにしておいてあげなということだろう。
>Y会に対してのことはもう答えが出てるんだから
>それぐらいにしておいてあげなということだろう。
レス相手じゃなければ論破宣言のような書き込みでも読み取ってはいけないので?
ではメールでやり取りしていなさい。
私としては別にあなた方をやりこめるために書き込んでいるのではないですよ。
ただ、ネガティブな書き込みを一方的に行うので、それに反論しているだけです。
また、>169に対してもまともな反論がありません。もう引き出しが無いですか?
私が読み飛ばした可能性もあるのでコピペで引用してくださると解りやすいです。
延春先生の演武の良し悪しは一先ず於いておくとして、
延春先生が、厳長先生から余り習っていない…
少なくとも、このあたりは、批判としてイメージ先行で余り事実に基づいていないのではないかと思います。
ここで引用するのは躊躇いがありますが、津本陽の柳生十兵衛7番勝負とかで、延春先生の幼少期の稽古風景が紹介されています。
「仮にその記載が事実だとすれば」、延春先生は、一般の門弟とは別にお兄さんと一緒に、毎日かなりしっかりと厳長師又は尾張の新陰の古い高弟たちにかかりっきりで仕込まれている。
また、戦後にも厳長師からかなりしっかりと稽古をつけられておられる。
そうだとすれば、余り習っていないとは、決して言えないと思うのだが。
延春先生本人が、余りしっかりと習っていないといっているとの話も散見されるが、謙遜・韜晦を含んでだと思う。
逆に、一般の門弟が言っていたならば、柳生家の特別の稽古に接する機会がなかった人物だったと推測できるとおもうがどう?
187 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 01:29:01 ID:hCFQqaL80
>延春先生本人が、余りしっかりと習っていないといっているとの話も散見されるが、謙遜・韜晦を含んでだと思う。
俺もこの意見に賛成だな
しっかり習った
と
あまり習っていない
の、区分けが難しいからね。
それを分かり易く現せるのが、どこまで習ったかや、伝位なのだが、
伝位は具体的にいつ何になったかなどが無いと分からないし、カタについても、
そんなカタはもともと無い
となってしまうと、結局そこまでで、じゃあ習ってないから知らないだけだろ。ということになってしまう。
だから不毛だよ。
>186
>逆に、一般の門弟が言っていたならば、柳生家の特別の稽古に接する機会がなかった人物だったと推測できるとおもうがどう?
昭和初期に離れた門人や、東京柳生会の者等は
戦後の延春先生の稽古は殆ど見ていない可能性があるので
見たことが無い→稽古してないただの息子さんが宗家に?
と言う具合に見えた人もいるかもですね。
190 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 02:46:00 ID:4slCOo7s0
では言うが、
延春師は、どのレベルまで教わっている?
例えば渡辺(父)は、内伝までいっていたが、延春師は?
ちなみに子供の稽古は稽古とは言い難いが、延春師は野球に熱中
していただろ?中学の教師時代にも、稽古をしていたのか?
野球部監督で野球部優勝だろ? 余り習っていないは謙遜じゃないだろ?
MやSが正統と言うにも問題はあるが、少なくともYはMやS以上のものではない。
厳長師から印可ももらっていない。柳生家のどこを探しても出てこないよ。
だからYは印可を出さない。言い訳はいろいろ出来るが、印可出すレベルじゃないんだよ。
証拠出せとか言うなら、印可見せろよ。目録さえ貰ってないだろ?
そのレベルなんだよ。まだ生きてる古い人達に聞いて回れば、わかることだ。
つか、そんな回りくどい言い方必要無いんだけどね。
宗家なんだから、先代からきちんと道統継承式受けて継いでるんだろ?
それが全てじゃねえの。
先代から正式に印可相伝してる。その事実があれば他は何も要らないじゃん。
192 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 08:52:47 ID:CDWP3otV0
>>190 あんた、幻会の人だろ?
>していただろ?中学の教師時代にも、稽古をしていたのか?
>野球部監督で野球部優勝だろ? 余り習っていないは謙遜じゃないだろ?
全て疑問形=憶測 にもかかわらず、
>MやSが正統と言うにも問題はあるが、少なくともYはMやS以上のものではない。
なんて結論を出すこと自体、理論破綻。
>厳長師から印可ももらっていない。柳生家のどこを探しても出てこないよ。
お前は柳生家に家宅捜索でもしたのかよ(笑)
宗家なのに、目録をもらうって?頭おかしいの?病院に行ったら?
その
「正式に道統を継承してる」
が不明瞭だからこうなるんだろ
194 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 12:33:58 ID:x3O2Rz8+0
春風・転会はみなおかしいんだからしかたないよ
技・頭・感性全てにおいておかしい。
渡辺からしてそうだから弟子もそうなるって。
剣術居合いでもひどい流儀が多々あるがそのトップクラスだよ。
新陰は難しいのか?適当にやってると他流を凌ぐ見苦しさを
身に着けることになるなぁとつくづく分からせてくれる
会だわ。
195 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 14:03:15 ID:UMxfZJ2jO
ケチつけたい奴に、なに言ってもケチつけるの判ってるのだから
>1の言うとおりスルーでいいだろ
武道やる奴らなんて、みんな頭おかしいしな
197 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 14:21:13 ID:cIkR94xY0
しかし、幻会の支部増殖の速さは異常だな。
本当に実力のある人間が責任者してるのか?
198 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/26(金) 14:33:01 ID:FZZaH0ydO
199 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 00:06:26 ID:tax8fTLz0
>>191 道統継承式受けて継いでないよ。
昭和40年代前半を知る関係者はみな、延春師の道統継承の発言に
驚いたという逸話はあるが。
>先代から正式に印可相伝してる。
そういうこと言うから印可状見せてみろと言われるんだよ。
まあ、宗家でも何でもいいが、印可状あってもなくてもいいが、
延春師はどの程度技を伝えられていたのかな?ってことには興味ある。
奥義の太刀は?奪刀法は? Yでは稽古してるのか?
頭おかしいとか、そういう宗教じみた話はいらないからさ、
より信憑性のある話が聞きたいね。
>>190 だ〜か〜ら〜、落ち着けって。
>ちなみに子供の稽古は稽古とは言い難いが、
これもなんか一方的だし。子供が何歳か知らんが、子供の稽古も稽古だよ。特に種まきとしては重要だよ。
中国の方では黙念師容と師匠の姿を思い出すのも立派な練習みたいだが、俺らもそうでしょ。
何年もたって、口伝書を読み直して、脳裏に先生やできる先輩の打太刀や使太刀やお話なんか思い出して、あ〜、これがそうか、あれがそうだったんだと悟ることがよくあるでしょ。
>延春師は野球に熱中
>していただろ?中学の教師時代にも、稽古をしていたのか?
>野球部監督で野球部優勝だろ? 余り習っていないは謙遜じゃないだろ?
それでも朝晩一時間でも30分でも練習時間採れるでしょ。師匠つきならきわめて贅沢な稽古だよ。
憶測や想像でものを言わざる得ないところだし、それが悪いとは思わない。
でも、憶測で人を批判・中傷するのはやめないか?
しかも、相手は、仮にも一門に一生のかなりの時間を捧げられた先達だよ。
>>200 憶測や想像でものを言わざる得ないところだし、それが悪いとは思わない。
でも、憶測で人を崇拝・賛美するのはやめないか?
道統継承
見方を変えると、延春先生以外あの時点で他に相応しいいたのか?
神戸・加藤などの先生は、尾張貫流の宗家で尾張貫流の立場からは「外のもの太刀」として新陰を稽古していたともいえるので(日本の古武道)、ちょっと新陰流本流からは離れたスタンスともいえる。
また、そもそも厳長先生(この人が宗家であるのに争いはない)と別れて、厳長先生の主催する本部道場とも言うべき柳生会にコミットしてない。そう考えると、厳長先生の地位を相続する立場ではない。
大坪先生も、厳長先生から一応印可受けている事になっているので、離れていないが、やはり柳生会にコミットしていないので、よほどの事がない限り相続する立場にもない。
渡辺先生も、柳生会にコミットしているが離れられているし、離れられる前の地位も補佐をしただけとしか書いておらず、厳長先生を代理・代行する特別の立場にあったとは渡辺先生は述べていない。とすりゃ、やっぱりこの人も厳長先生を相続する立場にない。
そうすると、もともと徳川と柳生の血筋で継承している以上、延春先生が道統直ぐのが一番妥当だし、継がれたときも、上の三系統に属する先生方が正式に「異議あり」と称えていない以上、そこについてその弟子の自分らがついでない継いでると論じることは僭越でしょ。
>>201 俺は別に崇拝も賛美もしてないよ(笑
延春先生の遣い方、正直嫌いだし、宗家だ、正統だとの話には興味ない。
もともと新陰を習ったのも近くの道場で教えてたからだし、道場の雰囲気や先生の教え方のせいで自然に新陰も好きになっただけ。
誰が宗家を名乗ろうが、よそでどんな使い方をしてようが、自分が習えればそれでいい。
一門内で技が凄い、正統宗家とか発言していて、他の流派に凄いと認められた話はないことが悲しいですね。
新陰は戊辰、西南、日露、第二次大戦の実戦の時代に使えた話がまったくない。鹿児島、東京多摩等の百姓剣術に斬られるだけだった弱い剣術でしょう。
昔でも各流儀で稽古時間はそんなに変わらないはず。つまり、斬り合いで効果がなかったわけだ。
心形刀流免許の下条さんは試合で負けて厳周門下になったのでは?
厳周先生の時代にはまだ御前での試合が有って
二刀の師範とも戦って勝ったという話も有ったとか。
>>204 そもそも切りあいの場にいなかったんじゃない?
門人人口自体が少なかったんでしょw
遠祖を訪ねれば柳生宗矩に行く流派まで入れればだいぶ人口増えるけど。
幕末に限れば
江戸柳生を当時も習っていた身分の引く武士は柳生藩の人で譜代の小藩+使い手の多くは前後して某事件で切腹。当時存在しない。
藩外も大名や高級武士が多いそうだし、そもそも街中で切りあいする身分でない。戦争でても士官だったろうからこれまた切りあいする身分ではなかった。
尾張も当時の戦争にまともに出兵しているのかも疑問。
それに、戊辰・西南といった内乱はともかく、日露とか第二次世界大戦とかは切りあいの時代じゃないでしょ…。
個人的には戦国末から既に切りあいの云々言っている段階で時代遅れだと思いますが。
>>204 >新陰は戊辰、西南
これは尾張徳川家の歴史を知っていれば、あり得ないことがわかると思うが、
日本史取らなかったのか?
>190
ここまで来ると既に繰言レベルですね。
>例えば渡辺(父)は、内伝までいっていたが
それは息子さんが言っているだけでしょう。
まあ個人的には内伝の免許は厳長先生は出してないと思います。
何故なら、厳長先生は目録で奥義まで伝えるようにしたからです。
つまり目録位終了→皆伝と言うように。
まあどちらにせよ内伝印可、という言い方は完全な誤りw
>まだ生きてる古い人達に聞いて回れば、わかることだ
どこで稽古されている人ですか?まさか他流じゃないですよね。
要するに、ご自分の根拠だけは信用されると思う根拠はなんでしょうか?
>199
>昭和40年代前半を知る関係者はみな、延春師の道統継承の発言に
>驚いたという逸話はあるが。
これも上とさして変わらないですね。実子の継承に驚くということがあるんでしょうか。
また、その関係者とはどういった人々のことでしょうか。
これまで一度もまともに中身を語った人がいないんですが
まさかそう言う話を聞いた程度じゃないでしょうね?
>奥義の太刀は?奪刀法は? Yでは稽古してるのか?
伝承はありますが、表立って稽古する技じゃないですね。
>頭おかしいとか、そういう宗教じみた話はいらないからさ、
>より信憑性のある話が聞きたいね。
そこで宗教が関係するのか知りませんが、信憑性なんてものをnetに求めるのはナンセンスです。
結局は自分で納得いくまで調べるしかないですよ。
>201
>woGkAxt+0さんは好き嫌いではなく客観的に自説を述べているのに
ただの揚げ足取りで、しかもどこが賛美なんでしょうか。
伝承した、稽古を継続した。これは賛美なんでしょうか?
厳長先生が目録で奥之太刀まで教えるようにした
てのは、M会の出版物以外には書いてあったっけ??
正伝 新陰流とかには書いてあっただろうか?おぼえてないけど。
だとすると、その部分は信用してるんだね。
そうすると、皆伝は宗家、内伝は補佐家として、両方とも目録より上としてあるわけだ。長年補佐を務めた人間に内伝出しても何ら不思議じゃないけどね。
むしろ、そこで内伝を無くす方が不自然なんじゃ。
でもって、宗家(道統継承者)は、当然、皆伝でなければおかしいので、内伝の人間が伝授されたものは、当然ながら道統継承者は伝授されていなければおかしいわけだ。
そこで、例えば某太刀伝は、編者は渡辺忠敏さんだが、文自体は柳生厳長先生のもの。
で、そこには内伝Tや本伝の使い方が混ざって書いてある。
それに対して、
そんな使い方は無い
などと「宗家」が言ったら、
あれれ??
と、なるわけだ。
それ以前に、ちょっと前まではY会は、
新陰流では伝位などというものは「存在しない」
目録等は発行していない
と言っていたような気もするが…。
厳長先生門下の目録を受けたという人たちを、全てインチキ呼ばわりしてたような記憶が…。
耕一氏に代がかわってから、だいぶ以前とは変更しているのかな?
単なる妬みか、或いは、厳長先生も伝位を出していた、目録を出していたという事実を知らなかった人間が、そういうことを言い出すんだろう。
知らなかったとしたら、そんな人が道統継承者なわけはない。
ちょっとかじったぐらいではなく、本格的に長年稽古を続けていれば、知らないわけないしね。
厳長先生だって厳周先生時代に補佐としてついていったりしてる。
長年稽古を続けていれば、教員をしていたとしても、稽古のそういった場や、公式の場などについていった時があってもおかしくないはずなのに…。
当然、道統継承者ならば、そういったことを妬む必要もない。
こんなとこでしょ。
>214の
そういうこと
は、>213の
伝位などというものは存在しない
とか
目録を発行していない
のことね。
連カキすみません。
>210
短絡的ですね。あなたはその辺の出版物しか由るところが無いんでしょうか。
それは措いても、延春先生も伝位は公開されてますよ。
更に言えば、渡辺(父)氏より先輩の者も演武講演のパンフレットで見る限り目録です。
不自然も何も、厳長先生が決められたことですし、おかしいのはあなたですw
>211
したがって「でもって」以降は本来成り立たないのですが、
相伝していない根拠は上のレスにさえないので、まずはそこからですね。
>212
そこで、でも何でも良いのですが
古い書物だからと言ってごまかしてはいけません。
太刀伝は私も所蔵しておりますが、
>そこには内伝Tや本伝の使い方が混ざって書いてある。
そのような事実はありません。多少は異同がありますが、
柳生会の伝と殆ど違いがありません。
文体も大体一致しております。
また、本伝(Mの言うところの)の遣い方など影も形もありません。
今の使い方が簡潔な文章で記してあります。
なので、内伝T云々などありません。これははっきりいえます。
まあ宗家はそんなこと言わないでしょうね。ご存じないでしょうから。
あなた、2chの書き込みのような言説を宗家がしていると思っているので?
だから>213-214のような書き込みになるんでしょね。
頭大丈夫ですか?
延春氏が伝位と教習過程について以前に公開したのは知ってますよ。ただし、延春氏が宗家となってからだいぶ経ってからですね。古い物には何故か制剛流の伝位が書いてあったりしますし、それどころか延春氏の公開した教習過程は何故かM会の教習過程だったり…。
また、古い演武の記録などで「〜目録」と記されているものなどの存在も知っています。
ただ、あなたのおっしゃる通り、宗家本人が何と言っているかは知りませんが、ここでの書き込みは以前は先ほど書いたようなのが多かったので、現在の耕一氏にかわってから、宗家の伝えが変わったのかと思っていましたが、そうではないんですか。
また、太刀伝にしても、以前は柳生流兵法口伝聞書は、厳長先生の口伝を集めたもので正しいことが書いてあるが、太刀伝には違う使い方が書いてあるので、太刀伝のは間違いだなどの書き込みを見ましたが。
例えば半開半向など。
で、その「間違い」だと言う部分こそが、内伝Tだったりと。
余談ですが、太刀伝の試合勢法についての文は、長岡桃嶺師の文章をほぼそのまま使っているのが多いですね。
内伝Tや本伝が存在しないという根拠は存じ上げませんが(知らないだけなんじゃないかとしか)、上に書いた太刀伝や口伝聞書のことなどを書いてたのは、もしかしたらあなたでは?その時は、
太刀伝は読んだことないけど(だから柳生厳長伝述と知らないで、そこに書いてあることを否定して)口伝聞書にはこう書いてありますね。
と書き込みをされてた方がいらっしゃいましたね。
また、違う方だと思いますが、太刀伝は単なる東京伝だとか。
付け足すと、
今の宗家は元M会会員だから、色々と分かっていて、以前とはY会自体が変わってきたのかな?
とも思ったのですがね。
何も知らないY会門人(?)が勝手なことを書いてただけで、その門人も、以前は知らなかったことを最近は知るようになったということなんですね。
その点は理解しました。
自分の知っていることが全てだと思うと、そういう書き込みになってしまうんですね。
やはり自分の知っていることが全てだと思うのは危険なことなんですねぇ。
強さよりも正当性が大事なんだから古武術ってのは大変だよな
>217
>それどころか延春氏の公開した教習過程は何故かM会の教習過程だったり…。
それは初耳です。何に載ってました?
>ただ、あなたのおっしゃる通り、宗家本人が何と言っているかは知りませんが、
>ここでの書き込みは以前は先ほど書いたようなのが多かったので、
>現在の耕一氏にかわってから、宗家の伝えが変わったのかと思っていましたが、そうではないんですか。
そうでない書き込みも多かったですよ。
M関係(からの伝聞?)の書き込み程度からそのような憶測をされてもどうしようもないですね。
我田引水が過ぎます。
>また、太刀伝にしても、以前は柳生流兵法口伝聞書は、厳長先生の口伝を集めたもので正しいことが書いてあるが、
>太刀伝には違う使い方が書いてあるので、太刀伝のは間違いだなどの書き込みを見ましたが。
>例えば半開半向など。
>で、その「間違い」だと言う部分こそが、内伝Tだったりと。
はて、一致するところは一致しますが、完全に同じなわけではないですし、
そもそも厳長先生の現代語解説は試合勢法部分だけじゃないですか?
太刀伝はしがきにも、門弟の編者が集めたもの、とありますし、
試合勢法のところに明記しているのはそう言うことでしょう。
半開半向のところも、間違いと言うよりは状況を絞って紹介しすぎかと思います。
中段直勢で抑えられる位置に敵柄中があるって事は打太刀は中段で切り止めてるってことですよね。
Mの内伝Tて言うのはここで喉を衝かずに柄中を抑えるのでしょう?
それは文章をかなり曲げて読まないと無理じゃないですか?
普通は混ぜて書いてあるから難解(by教範)なんじゃなくて読めるように読むものだと思うんですが。
それとも、ここでその部分だけ内伝Tを入れるような、編集者として無能な人なんでしょうか、著者さんは。
それとも厳長先生の添削がおかしいのでしょうか。
私は読み方がおかしいのじゃないかと思いますね。
続けますが
>内伝Tや本伝が存在しないという根拠は存じ上げませんが(知らないだけなんじゃないかとしか)、
内伝Tというはなんじゃそりゃですが、内伝、本伝はありますよ。
Mだけ定義が違うんです(正伝読めばきちんと書いてあるんですが)。
まあその、意見が違うのを相手の無知のせいにしている人はどうなんですかね。
知らないだけですか?
>上に書いた太刀伝や口伝聞書のことなどを書いてたのは、もしかしたらあなたでは?その時は、
>太刀伝は読んだことないけど(だから柳生厳長伝述と知らないで、
>そこに書いてあることを否定して)口伝聞書にはこう書いてありますね。
>と書き込みをされてた方がいらっしゃいましたね。
いちいち書き込みが誰かなどと詮索する前にコピペして持ってきてください。
あなたの言い分のほうもですよ?きちんとレスしてあげます。
どうせまた誤読じゃないかと思うんですが。
>だから柳生厳長伝述と知らないで、そこに書いてあることを否定して
これは厳長先生の原稿の事を言ってるんじゃなく、
文字通り伝述、伝え述べる、ですよね?忠敏さんが伝習を通じて述べられたことを
勢法の手順として書いているのですよね?でなければ、著者は厳長先生だw
これは内容監査の結果、だいたい柳生会の物と一致しております。
勿論人一人で書いているので多少異同はあります、既に書いた通り。
でもあなたの書きっぷりだと、まるで全て厳長先生原稿で、著者は編集したのみみたいに取れますが、
はしがきを見ても解るとおり、それは違いますよね。
どちらにせよ、あえて曲がった読み方をしない限りはMの言う内伝TUなんて物は書いてないです。
>218
何にも変わってませんね、残念ながら。
宗家がまだ若いので手ずから稽古つけてもらえるときも多いです。
そう言う意味では変わったと言えば変わったけれどw
といいますか、むしろMの人だけ一生懸命他派でもさして気にもしないことを言い立てているのでは。
>219
>何も知らないY会門人(?)が勝手なことを書いてただけで、その門人も、
>以前は知らなかったことを最近は知るようになったということなんですね。
>その点は理解しました。
あなたすごいですね。自分と意見が合わないことを
「何も知らないY会門人(?)」が「勝手なことを書いてただけ」で
たまたま伝位があるという話が出ただけで(私が覚えている限りでもちょくちょくあったのに)
これは「以前は知らなかったことを最近は知るようになった」になるんですね。
もう一度書きます。頭大丈夫ですか?
>自分の知っていることが全てだと思うと、そういう書き込みになってしまうんですね。
>やはり自分の知っていることが全てだと思うのは危険なことなんですねぇ。
まったくそう思いますね!少なくともあなた自身はそのように反省してしかるべきかと。
224 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 20:17:12 ID:mBkEY5nX0
もうどっちも反論しない方がいいと思うぞ。
ましてや技云々ってのは、本質的に、文章でこう書いてあるからこうだなんてものではないしな。
221には悪いが、「読めるように読む」ってのは、結果曲解するのと同じことで、これは古武道の乱れにつながると思うぞ。
前の方のレスにもあった、伝書だけ読んで作っちゃうのと同じことになるぞ。
伝位の話も、このスレの前の方にあった制度的な話なら面白いんだがな。
217もここで反論やめるべきだな。
客観的に見て、どっちでもいいんだけどさ、221は相当頭デッカチに見えてしまうぞ。。。
それに、渡辺(父)さんてのは、最後まで厳長先生についていった人なんだよな?
目録になったって、その後でやめる人もいれば、神戸氏のように別行動をするような人もいるから、
内伝ってのはそんな簡単になれるものじゃないんだろうな。そう考えれば、渡辺さんより先輩の人の記録が目録でも全然不思議じゃない。
なのに、そんなのを理由に持ち出す時点で、ちょっとおかしいぞ。
ましてや、渡辺さんてのは、延春さんの活動の初期も手伝ってくれた人なんだよな?
厳長先生の高弟で他にそういう人いたのか?
俺も『こころの兵法』持っているが、その中に神社だかで抜刀術の稽古をしている写真が載ってるが、取材があって語りあってるシーンとはいえ、名古屋の厳長先生時代からの門人という人たちは袋竹刀持って茶飲んで偉そうにしてるように見えるよ。。。
今のは写真を見た俺の印象でしかないが、その印象に比べたら、渡辺さんてのはよほどできた人だったんじゃないのかと思えるぞ。
だからこそ厳長師も内伝を出したんじゃないだろうか??
そういう人の伝位を、薄弱な根拠で否定するのはいかがなものかと思うぞ。
厳長先生がそう決めた。のは、この内伝も同じなんじゃないか?
続く
225 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 20:17:53 ID:mBkEY5nX0
続き
渡辺さん(父)の死後に何があったのかは知らないが、俺も新陰スレ以前から見てるけど、多分219に書いてある通り、柳生会の門人(らしき人)が、何も知らずに勝手に書いてるだけなんだろうな。
これはどう考えてもM関係からの伝聞なわけはないんで、ここは221はちょっとおかしいぞ。Y関係からの伝聞。ならわかるが。
ただ、何も知らない奴が勝手に書いてるだけなんだったら、無視するのが一番だと思うぞ。
どっちの肩も持つ気は無いが、以前からの新陰スレ見てると、たしかにY関係と思われる方の書き込みは、一貫していなく、どちらかといえばMの方が一貫しているようには思える。
けど、書いてるのが必ずしもYの人間とは限らんし、それこそ知らないで勝手に書いてるだけで、Yの中でそういうことになってるということとも限らんし。
俺の記憶にあるのは、中野の教場が云々ってのだな。伝位云々もたしかに見たことあるが、あれはテキトーに書いてるようなのが散乱してた記憶がある。
中野の教場がもともとMの教場だったのは事実のようだが、Yの人間はそういう昔のことなどはとくに聞かされていないだけで、知らないのに好き勝手なこと書いてるだけかもしれないし。
宗家が事実を捻じ曲げているんだとしたら問題だが、何も知らない門弟か、門弟ですらない門外漢が好き勝手なこと書いてるだけなら、そういうのは無視でいいだろ??
というよりもお願いだから他の話題にしてくれないかね。
で、勝手に理解してくれるのは良いのですが、
>214
>単なる妬みか、或いは、厳長先生も伝位を出していた、目録を出していたという事実を知らなかった人間が、そういうことを言い出すんだろう。
これにはどのような解説をしてくれるのだろうか。
227 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 20:34:31 ID:bfgSrn0JO
>222
あなたの神経質そうな書き込みが、同じ人に思えたんだよね。論争好きで、ここを必死に論争場にしてるような感じが。
過去レス引用しろと言われても、私2ちゃんオタじゃないんで、何年か前にあったスレの書き込みを出してくる方法知らないし。
半開半向については、あなたの書き込みで発想の程度が知れました。かわいそう…。
>225さん、わかりました。ここまでにします。すみません。
228 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 20:50:09 ID:UJrhvLm5O
生活がかかっていない趣味で、こちらの言い分が正しいというようなことを言い合って、君たち何やっているのかな。
剣術なら、同じ流儀で一番剣の技が優れている人が正統なり宗家ではないのかね。
不自由な世界に住んでお気の毒ですなあ。
229 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 20:58:29 ID:UJrhvLm5O
生きている人で剣術名人なんて人はいないんだから、論争しても意味ないんじゃないですか。
延春さんが言ったように新陰は男を作る道で、各団体の言い争いはそれとはかけ離れているんじゃないかね。
自分で見て一番動きが良い人に習えばいいでしょう。年で動きが悪かったら、師事する価値はないですよ。
>224
>221には悪いが、「読めるように読む」ってのは、(略)
>前の方のレスにもあった、伝書だけ読んで作っちゃうのと同じことになるぞ。
それはレスをきちんと読めばはっきりした誤読であって、
すくなくともこちらは伝書と一致しない=古伝で無い、とは言ったが、
伝書から型を作るというのは印象操作したいものが曲解して言っているだけですよ。
そもそも教わったものをやるのが正しいともちゃんと言ってるんですがね。
あと、アタマデッカチじゃなく知識が深い、とか言って欲しいw
いやどうでもいいんですがw
>今のは写真を見た俺の印象でしかないが、その印象に比べたら、
(略)
>厳長先生がそう決めた。のは、この内伝も同じなんじゃないか?
私は忠敏さんのことは評価してるんですよ。著書自体は別におかしなところも無いですし。
印象論で史学的行為をを棄却するのはそれ以前の問題です。
それはともかくも息子さんの言説がどうにもおかしいのですよ。
それに、こちらの根拠が薄弱なら、M側も薄弱なんですよ。解りませんか?
>225
>渡辺さん(父)の死後に何があったのかは知らないが、俺も新陰スレ以前から見てるけど、多分219に書いてある通り、
(略)Y関係からの伝聞。ならわかるが。
>221から言っているのならもう一度言いますがそうで無いレスもちゃんとありましたよ。
何の根拠も無く「柳生会の門人(らしき人)」などと言うのはおかしいでしょう。
それに明らかな誤読ですよ。、M関係からの伝聞、に係るのは>218あたりにかんけいして、耕一先生がらみのほうですよ。
ろくに読まないのにおかしいよばわりせんでくれませんかね。
で、それ以後の段に付いて、そんなものは組織的にレスしてるわけじゃないので一貫するわけありません。
あるていどMに一貫性があるとすれば、それはこれまでも同じ書き込みをずっと続けているのがいるからでしょう。
古くから新陰スレ見てきたなら知ってるはずでしょ?
しかし一番大切なのはですね、自分で話題を出せ!これですねw
>227
また勝利宣言来ました!
冗談はさて措いて、その引き方では反論できなくなったとしか思えないのですが。
まあ神経質そうとかそう言うのは忘れてあげましょう。
私はあなたがずぼらなだけだと思います。
ツールの使い方も解らず記録もとってない、
そんな人がなにを言ってますか?あなたはきちんとした根拠を提示せずにくっちゃべっていたのですよ。
>半開半向については、あなたの書き込みで発想の程度が知れました。かわいそう…。
こんな捨て台詞しか吐けないなんてかわいそう…実に底が知れました。
こんなレスに何の意味があるんでしょうかw
といいますか、半開半向のところにそんなわけの解らん段階つけるのが良くわからないですね。
しかも、書いてない、というのが致命傷です。
太刀伝読んでたらわかるはずです。
あんなにも厳長先生の死を悼み、正伝の兵法を遺したいと願った忠敏氏が
もしあったとするなら段階的な教授法を混入させて編集するでしょうか。
もしあったならw取り上げ使いと同じようにきちんと分けると思います。
そもそも私はネガティブキャンペーンに対抗しているだけなので、
そうでなければこの手のレスは最初からしません。
232 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 22:05:39 ID:mBkEY5nX0
224だが、、、
>230やっぱり俺の方に来ちゃったのね。
さっきも書いたが、べつにどっちの肩も持つ気はないよ。
伝書を呼んで云々というのも、単に
「読めるように読む」というのは、それにつながる可能性があるから危険だと書いただけで、
その伝書云々のレスに絡んだ内容や、柳生会がどうのということは俺は何も書いてない。
他についても同じようなこと。
そこに絡んだ過去レス全てに絡ませて書いていたわけではないからね。
そこまで全部絡ませて持ち出して書かなきゃいけないのでは、何も書けんわ。
印象で史学的云々てのは、先輩が目録てことか?だとしたら、そこはちょっとおかしいぞ。
まず時系列的な問題があるし(演武会のプログラムに先輩の伝位が載っている時期と渡辺さんの内伝とは時期が違う)、
何よりも、長くやってりゃみんな内伝、もしくはそのプログラムに内伝がいないから、それ以降の人に内伝は絶対いないてのは本質的におかしいだろ??
例えれば、神戸氏のように厳長師から離れて勝手にやってた人が目録までで、渡辺氏のように最後までついていった人が厳長師の晩年に内伝の授与されていても何ら不思議ではない。
根拠はないが、この理由で「おかしくはない」のは「普通」だと思うが?
で、念のためもう一度書くが、どちらの肩も持つ気はないし、あなたを批判するつもりはないのだが、論争好きと思われても仕方ないと思うぞ。。。
多分あなたは自分の中で論争に負けることはないと思う。
全て自分に都合の良いように解釈し、そう書き込むことのできる頭を持っているのはわかった。
が、そう思われることは、あなたが柳生会の人間なら、これ以上のレスは柳生会のイメージのためにもやめた方がいいと思うぞ。
どちらかというと、あなたが印象操作に見えてきてしまうぞ。。一般的な第三者の目で見るとね。。。
233 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 22:06:49 ID:mBkEY5nX0
続き
それと、俺もツールの使い方てのは知らない。論争にも剣術にも史学的検証にも、2ちゃんのツールの使い方てのは関係ないしな。
あなたと論争する気はないし、内伝1云々もどうでもいいし、太刀伝の記載云々はようわからんが、
柄中をおさえるというのは「書いてある」んだろ??
それだけでもだいぶ違うぞ。。。ただ、書いてあるからそれで、、、というわけでもないとは思うが。
俺はロムるのが好きなんでこれ以上は書き込まないよ。
話題提供は他の人に頼んでくれ。
言っちゃあ悪いが、論争というより、大人の世界では
屁理屈
に値する。
根拠が薄弱なのはお互い様だが、返し方は決して高度で深い論理なわけではなく、ただの屁理屈のレベルだよ。
前の方にあった
何言ってもわからない
の通りで、何言っても屁理屈が返ってくるわな。
あっ>234は>227です。
屁理屈疲れたんだよ。
こっちの提示してる根拠もたしかに薄弱だが、返ってくる書き込みが疲れるんで、>232さんが丁寧に書いてるの見て哀れになりました。
勝手に負け犬にしてくれて結構!!
前もって書いとくよ!
勝利宣言乙!W
>232-234
あなたおかしいですね。
肩持つ持たないではなく、あなたがおかしいといい、それを訂正する。
それだけです。
伝位の時系列にしても、そう言う話ではありません。
本来それぞれ皆伝位を貰っていいはずの時期ですし(例えば神戸氏は50直前ぐらい、入門40年超えてます)。
まあ人それぞれなので、あるものが10年で取れるものを50年かけても問題ないでしょう。
不思議ではない、は何にでも適用可能で、だからこそ反論になりません。
>全て自分に都合の良いように解釈し、そう書き込むことのできる頭を持っているのはわかった
こうやって相手のせいにしてしまうんですね、解ります。
また、ぜんぜん第三者とはいえません。
>それと、俺もツールの使い方てのは知らない。論争にも剣術にも史学的検証にも、2ちゃんのツールの使い方てのは関係ないしな。
あなたへのレスじゃないので、良いんじゃないですか?文脈も読めないらしいので。
>あなたと論争する気はないし、内伝1云々もどうでもいいし、太刀伝の記載云々はようわからんが、
>柄中をおさえるというのは「書いてある」んだろ??
私は書いて無いとも間違ってるとも書いて無いですが。
内容を知らない人にレスしてもしょうがないですが、内伝Tのように小手打ちするとも書いてないわけです。
それを勝手に「書いて無いけどここだけは内伝Tだ」というには無理があります。
予備知識が無い限り、その発想が無いほうが自然に読めるんですよ。
いいですか、第三者を決め込むなら、両方をスルーするかしかないのですよ。そして私をおかしいといっている。
レスは指定したしないに関わらず他人も読むのです。だからこうしてレス入れてるんですよ。
そして話題も提供できないなら関わるのはどうかと思います。
う〜ん、一つ聞いていいかな?
結局、当時、厳長−延春ラインの道統継承というより宗家継承に文句言っている新陰流の師家っていたの?
そこ無視して議論してもしょうがなくない?
>224が
「渡辺さんてのは、延春さんの活動の初期も手伝ってくれた人なんだよな?」といっとりますが、これが事実なら渡辺先生も延春先生の継承自体に文句をいってないでしょ。
大坪-武藤-梶塚ラインも神戸-加藤ラインも基本は文句言ってない。ただ、使い方が自分らと延春先生ちがうと指摘しているだけで。
それなのにどうして後の人が、ぎゃーぎゃー文句を言うのかね。
それと話を聞いていると、「宗家が一番使えなくてはいけない、実力がなくてはいけない」そんな理解のもとに論じている人が散見される。
しかし、そもそも論として、その理解は誤っていない?
勿論、実力と宗家が一致しているのが理想だけど、江戸柳生を見れば分かるように、印可を発行する昔ながらの宗家・家元と剣の実力は関係ない。
尾張柳生の新陰流の宗家と、華道や踊りなどの家元制度と併記するのは異論があるだろうが、家元制度は基本的に「○○」流の段位などの免許発行権を誰が所有するかという一種の「財産権」。
ロマンないけど…(汗
そこを無視して、正しい道統とか「実力ナンバーワンが宗家!」とかの幻想を持ち込んでいるのが議論が水掛け論の体をなしている原因ではない?
神戸先生が奇しくも、『柳生の芸能』といわれているように尾張の「柳生新陰流」や他の古武道の○○流というものが、華道や踊りと同じように「芸能」として制度化され継承されていたことを直視するべきだと思う。
その上で正統云々を言うのならば、厳周先生なり厳長先生なりからいわゆる「師範免状」を受けて神戸・大坪・渡辺が指導していたのか、
神戸・大坪・渡辺の「師範免状」が新たな「師範免状」を発行する権限が与えられたのか、
或いは一通の「師範免状」を「相続」させる事も許されていたのか。
それとも事実状態として厳長・延春先生が新たな師範免状の発行或いは既存の師範免状の相続を追認していたかを問うべきでしょ。
238 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/27(土) 23:22:25 ID:zBhvYcbH0
>231
>厳長先生の死を悼み、正伝の兵法を遺したいと願った忠敏氏
いつも不思議に思う。
なぜ渡辺さんは厳長師を裏切るような真似をしたのだろう。
本当に正統の兵法を遺そうとするのならば、理由はどうあれ
延春師を補佐するべきじゃなかったのか。
なぜ自分から勝手に飛び出して別会派を立ち上げたのか。
単に厳長師が亡くなって逃げ出しただけではないのか。
厳長師が新陰流の正統を守るように渡辺さんに言ったなら、なぜ渡辺さんが
会派を継がなかったのか。
別会派を作る必要なんてまったくなかったんじゃないか。
不思議だ。
237続き
ちなみに、赤羽根「新陰流を哲学する」に載っている大坪発行の書面を見る限り大坪先生はあくまで「師範」で書面を書いているし、大坪先生の発言として引用されているのも師範印可。
ただ、ここでは関係ないけどこの鶴山先生への書面は修行簿で、この免許も「天狗抄奥伝の稽古をすることを許した(開始した)」ぐらいの意味だと思いますが…
赤羽根氏の文章読むと同氏は微妙に違うように読んでいる気がしますが…。
こういうまぎわらしい書面がのちのつ紛争の火種になるんだろうな…。
厳長師の他界から、延春氏の東京柳生会再開までは1年以上空いてるよ。
転会設立はその間だし、転会設立後も、東京柳生会には参加してるし、延春氏も転会に稽古参加してる。
それと…>184みたいな人もいるから分かるように、232さんももうレスしなくていい気がする…。
ついでに書くと、武藤氏も転会に稽古参加してたようだし、鶴山氏は転会に入会してた時期もあるようだね。
当時の転会の稽古場が中野体育館で、日曜日の午前と火曜日の夜間。
延春氏は東京に月1回来た時の日曜日の稽古に参加してたようだね。
当時の転会会員には耕一氏(当時は旧姓の石田姓)もいるね。
>234-235
哀れだとか屁理屈とか相手に言い出した時点で駄目ですね。
おつかれですw
まあ既に書いているように>232はこちらにおかしいといって穴だらけの屁理屈を言っているに過ぎないです。
丁寧、ね。お二人とももう少し文を読むことに慣れたほうが宜しいでしょう。
まあそちらが自己の根拠が薄弱と認めたのでこれに付いてはもう語りません。
後はスレの流れ次第ですが、類似の書き込みはスルーします。
>237
まったくその通りでして、本来書き物を根拠に論争なんかしたくないのです。
商標登録等で活動が阻害されない限りに於いて、先代・現宗家共に他派に関心もありませんし、
権威を振りかざして抗議したこともありません。所謂宗家の特権なんてものは実際行使したことも無いじゃないですか。
本音を言えばどの系統が伝書を出すことに少しも異論はありません。
柳生会に関して口を出されなければ正直、免許でも唯授一人でも適当に作って下さい、と思います。
伝の話ではなく、宗家や門人の力量云々する分には何の問題も無いと思います。
>239
こう続けるとは思わなかったw
研究者なら原書を証拠に提示しなければお話にならないと思いますね。
>238
これは個人的な感想なんですが、私は忠敏氏は裏切ったりしたわけではないと思います。
厳長先生死去s42年、東京柳生会再開s44年、忠敏氏死去s47年、と言った時系列で、
M自体は厳長先生が金剛館(s5)を閉められてからの発足で柳生会は関東の門人のために始められたもの(s33)、
ですからもっとあとですね。
なので、渡辺さん自身は柳生会に参加してたと思います。再開後ののことは忠成さんが詳しいんでしょうね。
でもMは例の林氏と結託して追放した、と言うのを流してますし…これは2chでの噂話に過ぎないですがw
そのスタイルは転会も同じでしょうね。商標登録取っても、他派に対して何か起こしたわけではないですし。
それと、転会の設立はS44年1月で、厳長先生のご他界後ですよ。
東京柳生会の再開はその年の10月ですね。
林氏は誰とも結託なんてしてませんね。
>238
ああ、違った、渡辺さんが柳生会を「継ぐ」って話ですかw
そりゃ特に柳生一門でもなく、柳生会を仕切ってたわけでも無いからじゃないですかw
中心になってやっていれば引き継げたんじゃないですか?
勿論宗家は無理でしょうが(東京の柳生家縁者が許さんでしょ)。
>243
ご他界後でしたか。じゃあ東京での伝習を残したかったんでしょうねえ。
林氏に付いては上の方のレスで見かけただけです。そういう事を言う人もいるっていう事で。
ID変わっちゃったけど、>243は>241です。つまり>234です。
林氏がどうたらは、たしか前スレで見た気がする。面倒くさいからこのスレ読み返したりはしないけどね。
さて、寝よっ!
>そのスタイルは転会も同じでしょうね。商標登録取っても、他派に対して何か起こしたわけではないですし。
これだけはおかしいですね。本来宗家のほうで商標など取る意思は無かったのですよ。
それを行わざるを得なかったのははっきり言って勝手に商標登録するものがでたからです。
商標は何もして無いから良い、と言うものでは無いですよ。
さいわいMの登録内容ではたいしたことは出来ませんが、
それでもあれば権利を独占する意思表示が出来る、と言う事です。
権限が信頼関係の中でしか存在しない古流剣術の宗家などとは根本的に違います。
なので、同じではありません。
こう言うところだけ同じにしたいと言うのも分かりません。
後ろめたさが無いならいいじゃないですか。
寝ようと思ったのに…
「同じにしたい」わけじゃないと思いますが、事実何もしてませんよね。
多分、真似たいとか、憧れとか、そんなの全然無いと思いますよ。
全部先にやってますしね。
根本的な見方が違うのかと。
個人的に商標登録には興味無いんで、以上。
まぁあまり曖昧なのも悪いんで…
要するに、
一時期は立てたけど、もう認めないよ。だけどそっちが喧嘩売ってこなければあえて攻撃はしませんよ。
ってとこだろうね。
柳生会幹部もそこら辺は分かってると思いますよ。
私は作業の合間にリロードしてるだけなんですが、監視してるんですか?
チャットじゃないので寝て下さい。
>「同じにしたい」わけじゃないと思いますが、
あなたの発言にいってるんですよ。だからあなたもすぐに反故にしないで下さい。
242では行動阻害される例、他派に関心を持つ事例としてあげたのであって、
それ以上意味無いですよ。
思うんですが、あなたはレスの流れと言うものがあるのに、引用それ自体に
反応して書き込んでるように見えます。
242→243→246と言うプロセスを無視しているからそんな斜め上なレスするんじゃないですか?
>242-243
具体的な年を示してくださると、見えてくるものがあります。
やはり事実関係の確認の第一歩は年表作りですねw
監視なんかしないよ…。
寝ようと思ってんだけど寝れなくて暇でさ…。
さっきはちょうどレス書き込んだ後リロードしたらあなたのレスがあったので反応してしまった…。
もうこれ以上はいいや。さっきので充分でしょ。
あなたが熱心なことや色々と研究されていることはよくわかったよ。
それは素晴らしいことだと思います。太刀伝の初版(?)なんて、古書で出てるとそこそこの値段するしね。
作業お疲れ様です。じゃあ!
俺の個人的推測だと、
おそらく、厳長師の死で一時的に道統断絶したのが真相なんじゃないのかな?
だから、そのまま柳生会で活動するのは問題があったから渡辺さんは
転会を創設した。
所が、後になって延春さんが宗家になって道統を継承すると言う話になった
(これは、後援会の意向が強かったのでは?)
それで渡辺さんも、筋論は曲げる事になるけど、柳生家で存続が図られるのなら
それに越した事は無いという事で、延春さんを後見する事になった。
そういう事では? あくまでも推測よ。
なんか本当に監視してるみたいなタイミングで、見るとレスが増えてるな…(汗)。
以下は推測ではなく、正統がどうのでもなく、歴史的事実として。
転会を設立したのは今の渡辺さん。渡辺忠敏さんと父子で転会で指導をしていた。忠敏さんの晩年の頃に転会が中野区立体育館で稽古していた。以上は当時の新聞記事からも事実。
柳生耕一氏以外にも数名、当時の転会会員が柳生会には存在している。
忠敏さんご他界後しばらく経ってから、「転会の稽古場」であった中野区立体育館から、何故転会が出て行って、そこがそっくりそのまま東京柳生会の稽古場になってしまったのか。
その事実が何故柳生会では明確にされていないのか。
さて、やっと寝れそうだ。
254 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/28(日) 02:59:41 ID:7btsi/QgO
他流派のやましいところをこうしてみると、人間同士の確執などで分裂していくのがわかりますな。
巌長氏が「息子を宗家にする。皆助けて流儀を盛り立ててくれ」とか言わなかったんでしょうね。
示現流や念流のように一つにまとまっていないから、こうしてネットで議論になるのですよ。
255 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/28(日) 03:05:46 ID:LJyRdw610
東京の柳生会は新陰流全体の公的な集まりであったのに対して、転会は大渡辺氏が創始した
個人道場的な色合いが強いんじゃないかな?それが世襲化しただけなのでは?
下条さんや大坪さんのところのように会としては世襲継承せずに許しだけで継承して行った
ところもあるようだし。
宗家はそう言う私的な稽古機関の中で最も中心的な集まりじゃいかんの?
渡辺忠敏(父)先生は内伝印可後もずっと厳長先生、延春先生の柳生会を
補佐なさっておりましたので分かれてはいないですね。
転会は渡辺の息子さんが作った個人主催の稽古サークルですから。
月1で宗家をお迎えして講義を受ける一門主催の柳生会とは
もともと目的が違います。
また宗家、一門の許しなく渡辺名の伝位発行や独自会派活動をしていれば
ふつうなら破門されます。
そのことは当時から延春先生および
東京、尾張の厳周、厳長門下全員ご存知でしたが、
破門どころか一門、柳生家ご家族も皆協力されていましたよ。
で、結局M会を乗っ取ろうとしたんだけどな。
再開後の東京柳生会なんて、もともとは講義だけ。
誰のおかげで稽古もできるようになったのか。
何も知らない延春さんは、M会の存在を知り、渡辺父子を破門にしようとしましたが、お母さんに怒られてやめました。
それでも、柳生会幹事と一緒に、渡辺父子に謝らせようとしましたが、東京の厳長先生の高弟に、渡辺さんは厳長先生の指示でやっているのに文句があるのかと怒られて、協力してやっていくことになりました。
結果的には、M会乗っ取りを半分ぐらいは成功できたのだろうから、めでたしめでたし!と。
>257
乗っ取ろうというよりも、>256とかを見ると柳生家としては弟子たちのの自主練習会と思っていたんじゃない。
親父死んでいろいろ引継ぎとか、仕事の関係で東京に出れないけど、
うんうんみんなしっかり頑張って練習してくれているな、渡辺さん音頭をとって有り難い、
大坪さんの弟子とかもまとまってしっかり練習してくれているな。
親父もいい弟子持ったと草葉の陰で喜んでいるぜ。
こっちもなるべく東京に出れるように頑張るよ。待っててくれよな!
……と思ったら、渡辺のオヤッさん死んで、あれれれれ?自主練習会じゃなかったの?
そんなノリじゃない。
それは、大前提として厳長師生前に、きちんと延春さんが宗家継承
してればの話ね。 ぶっちゃけその大本に疑問付ついちゃってるからな・・・
春風館辺りが柳生のお膝元で厳周伝だとか何とかある事ない事言って
我こそ本流みたいな態度取ってられる理由を、考えてみなよ。
渡辺(父)さん他界後も、延春氏はM会に稽古参加してるよ。
それに、最初に自主練習会だと思ってたなら、渡辺父子を破門にしようとはしないでしょ。
>258-259
それは言いすぎ。言い過ぎはお互いに良くない。
行き違いもあってこうなってしまったが
あくまでも宗家をたてて支えるのが忠敏先生のご遺志。
また新陰流を広く現代に弘流するのが
厳長先生から現代の連也厳包たれと「包」の道号を
いただいた忠成(忠包転心)先生の役目だろう。
どちらも先師からの役目を果たしている。
それでいいじゃないか。
結局はさぁ、今みたいになった原因は、柳生厳長と渡辺忠敏にあると思うよ。
YもMも、双方言い分はあるだろうし、多分根本的に見方が違うから、相容れないと思う。それは仕方ないんだろう。
その理由が分かってしまう人が、厳長先生他界後なら、渡辺忠敏さんだっただろうね。
厳長さんは、荒武者過ぎて、後のことをキッチリしておかなかった。
忠敏さんは、温厚でお人好し過ぎて、誤解や勘違いを招く要因になった。
武道家ってのは、自分の勝手な信念に基づいてやっていくからさ、周りの人や後々の人はそれに振り回される結果になるんだよ。
でもお二人はあの世で仲良くやっていらっしゃるでしょうから、それでいいのかもしれませんが。
ただ関東にあるからなだけだと思うがねえ、Mシンパが多いのは。
>256
いい加減なことをさらっと書きなさんな。
Mで独自活動しだした頃、自称内伝印可wの時系列を思い出してください。
そして間違いは訂正して下さい。
じゃないとMのものは息をするように嘘をつく、と思われますよ。
.>QaC3A20WO
急に威勢が良くて結構と思います。
そんなかんじでMのマイナス宣伝をお続け下さい。
終わった話を蒸し返すほど発狂してるんじゃなければね。
なるほどねぇ
>266は、>256をMシンパの書き込みのように見せることで、Mの印象を悪くさせようという、得意の(?)印象操作に出たわけかw
でも、ちょっと無理があるよね。256はMシンパには思えないよ。
それか、これ以上Mシンパを熱狂させて、どんどん昔のことをバラされるのを防ぐ策でしょうか。
逆に昔のことをもっと知りたいとかねw
こう書くと、「Mではどういう話になっているのか、ちょっと知りたかったのです。所詮くだらない妄想でしょうが。」
みたいなレスが返ってきそうだねw
まぁ愉快だからいいけどね。
さて、次はどうするのでしょう。
…と、こんな感じの反応でよろしいでしょうかw
あっ、違うか!
不利になったら、逆にそれを利用して、悪意を撒き散らす集団として、したてあげたいわけだw
印象操作で!
面白いね!
そうですか、あなたがそう見えないのならいいんじゃないですか?
そう言う会派内で言っていることを言いふらしているのが逆宣伝だと言っているのですが、
また斜め上ですね。面白いと思いますので、もっとお続け下さい。
もっと知りたいも何も、同じ内容の焼きまわしになんと言ったらいいのやら、と言ったところですね。
これでMに入りたい、Y最悪!とか思う人は、ぜひぜひMに入るのがふさわしいと存じます。
でなければ、客観的に資料で裏付けられることで、
妄想分を少なくした書き込みが良いと思います。
会派内でしか通じないことを言いふらすのは同種の人間にしか通じません。
ま、あなたのように、自分の認識と合わないものは「何も知らない」「その程度の理解しかないかわいそう」
反論が通じないと「屁理屈に疲れました」
で、書き込むのは似たようなことの繰り返し。
あなた自身で言うように、悪意のある書き込みしかしてないでしょう。
仕立てるも何も、ご自分でそう言うところを見ると、意図してやってるのでしょう。
止めないので、お続け下さい。
それからあきらかに>256は時系列を誤っているのですが、あなたは訂正しないので?
シンパ云々は見ているのに肝心の内容は読んでられないのでしょうか。
少し補足。>256さんの誤り、と言うの言い過ぎました。すいません。
s41年、忠敏氏の内伝相伝、同じ年には延春先生印可相伝ですので、
まあどちらにしても伝書発行権は独立しない限り得られません、というのを言いたかったのに、
少し読み違えてました。
そう言う意味では268にもあらぬ言いがかりを(その意味でだけは)かけてしまったので謝罪したい。
という訳でなくなるs47まで柳生会にも参加して、補佐もしたかもしれない、
当時柳生家、厳長先生弟子からも協力を受けたと言うのは矛盾しないと思います。
しかしそれは独自活動とみなされなかったからだと思われ、
実際に息子さんが独自活動し始めてから別になったんではないかと思います。
なので根本的には結局は256さんの言ってること(伝位等の発行も公認された)というのには反対ですし、
忠敏氏はそもそもすぐに亡くなっておりますし、宗家も当時はMに顔を出していた(と言われている)ので
どちらにせよそのような独自と言われるような活動はする暇も理由も無いと思います。
そして息子さんの破門云々の話としては柳生宗家の立場からは入門自体確認できないことなので、破門も何も無いかとw
それとも、厳長先生に入門してます?いや、常識的にはその時代の入門であっても
先代亡き後なら後代の名前で相伝されるものと思いますが。
271 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 00:22:04 ID:2As3vvfx0
延春さんは、忠敏さんの書物を一生懸命読んで独自の遣い方を開発した。
剣道高段者の意見に左右されながら。だから剣道っぽいのが好きな人はYへ行けばいい。
今の渡辺さんは、厳長さんと忠敏さんに教わったが、全て教わる前に両者亡くなられたので、
苦労しながら復元させている。つまり新陰は途絶えてしまっている。
どちらかと言うと、渡辺さんの方が稽古してるので信じられるところは多いかと思うが、
好きな方へ行けばいい。勿論両方選ばない道もある。新陰に価値を見出せる人のみが
やるんだろう。今の時代そんな人は少ないだろうが。
こりゃあ面白い。
剣の技が全然出来ない人たちが、伝承とかについて文句言ってんのね。
あんなに型が多ければ、伝承問題より、仕事持ちなら充分な稽古は無理でしょ。馬鹿みたいな議論ですね。
>>272 型の数とかは問題じゃない。馬鹿みたいに型の数が多い合気道や大東流は
繁盛してる。門弟数じゃ新陰流を圧倒してるしな。自流の技を魅力的に見せて
門弟や一般の人達の支持を得るというのも大切な事だ思う。
合気系武術はその辺が上手い。新陰流も見習ったらどうかとおもう。
勝手に破門にしようとしただけだから、入門した記録なんか当然無いんだろうな。延春氏に入門はしていないし。
厳長先生時代の、一門の人間に含まれるのは確かだが。忠敏氏は厳周師時代からの。
延春氏がMに顔を出していた時期(忠敏氏の生前も死後も)にも、Mは伝位を出しているよ。勿論延春氏名でではない。
Yにもその当時に小転まで授与されている人間が耕一氏他数名いるでしょう。
そこら辺の事実が伏されている時点で、疑問に思えないかい?
それと、独自活動になってからとかなる前ではなく、最初から独自活動でしょ。ただ延春氏を迎えたか、全く別でやったかの違い。基本的には最初から独自活動。
分かり易く言うと、自分が参加していた時期を、自分の物のように言い、その後勝手に独立したとか言ってた人がいたんじゃないか?
で、本当に自分のものにしようとして、中野の稽古場と会員数名を結果的には自分のものにできたわけだが。
>271のソースを面白そうだから聞いてみたい
個人的に前から気になってるんだけど、
よく、”東京柳生会”とまるで柳生会の地方支部みたいに書かれる事が多いけど
そもそも柳生会って東京で結成された東京の会じゃなかったの?
他にも、例えば名古屋で活動してた柳生会とかあったのなら、
そういう話をもっと聞きたいのに、何故か名古屋側の活動に関しては
ほとんど話題に上らないんだよな・・・・ 柳生会の人は知らないの?
>270
わざわざ謝罪ありがとうございます。
「時系列的には」問題ないんじゃないかと思い、スルーしておりました。
ただ、延春氏の東京柳生会では、忠敏氏は補佐という形では参加はしていないと思われます。
何故ならば、名古屋からの同行者がいたからです。
>277
厳長師のご他界後、延春氏が稽古を指導していたのが、名古屋柳生会。最初は制剛流が主だったようですけどね。
大学関係で教えられてたそうですね。
東京関係の話しか出ないのはMに関わり有るのが東京だけだからでしょう。
東京以外の地域でも柳生会として伝習の場としたのは延春先生からと言うのもありますね。
金剛館を閉められた関係で、厳長先生独自で道場を設けるのは不可能でした。
>278
>ただ、延春氏の東京柳生会では、忠敏氏は補佐という形では参加はしていないと思われます。
>何故ならば、名古屋からの同行者がいたからです。
ほう、同行者とは誰でしょうか。
まあ補佐云々は私の意見では無いので知りませんがw
あと、出来たら信頼のおけるソースは無いでしょうか。
>280
『こころの兵法』お持ちでしたら読んでください。
持って無いですので書き込んでください。
出版物がソースなら、わかる範囲でその人物の背景もお願いします。
それはこういう所に書き込んでしまってよいものなのでしょうかね??
実名を挙げて。
古書で探せば購入できるはずですので、ご自分で購入して読んでいただくのがよろしいかと思われます。
『こころの兵法』は、そんなに高い値段はついていないはずですし。
名古屋柳生会の方です。
とだけ書いておきます。
あくまでも延春氏の同行者です。
ん?引用なら問題ないですよ。
まあそんなに興味あるわけでも無いので良いですがw
と言いますか、その人物がいると補佐が出来ないんですか?という流れで訊いただけなので、
あなたが出さなくても良いと考えるなら問題も無いでしょう。
その代わりあなた自身の発言に証明が出来ないだけですね。
先代の補佐をした人間が延春氏の補佐をするとは限らんでしょ。
せっかく連れてきてるのにねw
広い意味の補佐(協力)はしたと言えるかもしれんが、厳長師時代のような補佐役はしていないでしょうね。
それと、べつにここで同行者が誰かとかそんなこと実証できなくてもいいですよ。本買ってください。あなたの先輩方が写ってますから。
『こころの兵法』には、何故か制剛流の伝位が書いてありますよ。なんでここで制剛流の伝位が出てくるの?ってところでw
『こころの兵法』では、
厳長の死の直前、延春は十五代の印可を許され
とある。厳長師が亡くなったのはS42.12、ホームページなどだと、延春氏の道統継承はS41と書いてある。
いくらなんでも1年前などを死の直前とは言わないよな…。
288 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 06:32:08 ID:iagPmlCFO
逝去一年前というのは、正確には「最晩年」と表記するべきなのが正しい日本語で、死の直前という、いかにも次代を担うことを急迫に告げられたような感じを読者に持たせる文章になっている。
Y生会さん、はっきりいって情報操作じゃないの。
>288
むしろ、現在公にしているS41年てのがどうかと思う。
「死の直前」もいかがなものかと思うが、この記載はだいぶ古い物だから、その後になって、S41年に変更した(早めた)のではないかと思えてしまうのだが。
死の直前に何らかの相続をしたのを、新陰流の道統を継承したものと勘違いしていたとか…。後々、直前ではやや無理があるかと判断し、S41年に変更したとか。
そもそも、
十五代の印可を許され
って…これは、許されなくても十五代にはなるんじゃないだろうか?自動的に。
しかし名門柳生家なので、そんな簡単にはいかないのかもしれないが。
それよりも、この
「十五代の印可を許された」
は、尾張柳生家の道統を継承した。
ということで、柳生利方のように、尾張柳生家の継承者が、必ずしも剣の宗を合わせて継いでいるとは限らない。
延春氏が道統継承したのは、あくまでも尾張柳生家の道統のみだったのでは…。
291 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 08:19:33 ID:iagPmlCFO
世襲の古武道流儀で「先代から次の代を許されました」という発表をしている人は聞いたことがないのですが。
わざわざそのような表現をすること自体が疑問。
実はそういうことはなかったから、あえて次代継承を強調しているという心理があるのではないか。
本来は当たり前のことならわざわざ改めて言う必要もないでしょう。
292 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 08:29:37 ID:iagPmlCFO
竹内流、関口流、示現流、念流(現在の宗家は婿養子)小野派などの世襲流儀は「父から次代を継承しましたことを発表いたします」と外部に言っていない。
何で当然のことを文章にしなければならないのでしょうか。
周囲が認めていれば言う必要も生じないでしょう。
どういうことですかね。
>>292 竹内は、いつも武道大会で後継者や一族郎党が誰かという発表があるけど、
発表しないってどこのソース?
柳生厳長師は、道統継承式を執り行って、記念武道会とか開いたり
一門として記録に残る行事やってるのね。
これは今の、柳生耕一さんだってそうでしょ? 継承式みたいなの
開いてやってるでしょ? 無論、今の柳生会の高弟幹部も集まって。
延春さんだってS41年といったら十分映像だって写真だって記録を
残せる時代だった筈だよ。
>4YSw5DwuO
直前云々のはなしは、別に一年前でもいいと思いますが。
忠敏さんの内伝も直前と言っていいんじゃないですか?
あなたのレスでわかることは、亡くなる一年前(実際にはもっと短いでしょう)は
直前じゃないとあなたが思ってるってそれだけでしょう。
また、この本はYで企画出版したものでは無いと思いますので
著者も名古屋の聞屋さんですし、編集意図を言われてもそちらに訊いて下さいとしかw
または、太刀伝のときのようなあなたの曲解の可能性もあります。
勘違い云々のほうは忠敏さんに言われていることでもいえることですね。
>294
病床の厳長先生を引っ張り出せと言いたいのでしょうか。
また、その論は他の誰を指名しても同じことですよ。
つまり、誰を継承者と考えていたとしても、誰とも継承式をして無いでしょう?
他人に継承させたければ、なおさら元気なうちに根回しをして、
堂々と継承式を行わなければならなかったでしょう。
尾張公が相手ならまた別の話かもしれませんが。
まあ他人の家の事情を無関係な人間がとやかく言うのはちと卑しいですね。
直前か1年前かどうかなど、どうでもいいんですよ。私が疑問に思ったのは、むしろ、その後に書いたことですから。
それと、
>亡くなる1年前(実際にはもっと短いでしょう)
これは、延春氏の道統継承時期が、公にしているS41年というのが本当であれば、絶対にありませんがね。厳長師のご他界はS42.12ですから、実際には1年前〜2年前となりますからね。
せっかくなのでこの本から引用しましょう。
厳長が四十二年十二月に死ぬと、東京柳生会の人たちも、地元名古屋の同好者も、今度こそ柳生の剣もおしまいかと悲観の渕に立たされたが、厳長の死の直前、延春は十五代の印可を許され〜
ちょっとおかしな文章な気はするが、延春氏の道統継承がS41年なら、厳長師が亡くなるまで、最低でも約1年の期間はあったわけだ。
病床とはいえ、1年の間に、高弟たちに手紙で知らせるぐらいはできたでしょう。
しかし、東京の人たちも、名古屋の人たちも、延春氏の道統継承について、厳長師の生前には何も聞いてなく、それを聞かされたのは厳長師の死後。というわけだ。
昭和41年に道統継承(?)していたにも関わらず。
正確には、現在柳生会のホームページでは、
S41年に柳生会を継承
と書いてあります(宗家紹介の頁)。
当時に「柳生会」という名称を使っていたのは、東京柳生会だけでしょうし、東京柳生会についてはS44年10月とハッキリ書いてありますから(柳生会についての頁)、S41年に何を継承したのかは不明瞭ではあります。
こちらも何月まで書いてもらいたい気もしますが。
柳生会のホームページで分かることは、厳長師の死後、東京柳生会を継承(再開)したことと、S41年に何か(柳生会??)を継承したというだけです。
何でそのレスをされるのか良くわからないのですが、
直前はどうでもいいのですね?
ではその辺りのソースでわかることは
・延春先生の印可相伝は厳長先生の亡くなる1年以上前である。
・それは門下に明らかにされていなかった。
これぐらいでしょう。その記者が筆を走らせすぎただけかもしれませんが。
そしてこれを仮に事実だとして知れるのは
厳長先生がこの方面では隙の多い人物だったと言うだけですね。
本人はまだ死なないと思っていたのかもしれないですが。
公式HPの年表にはあなたが望む情報がなくてはいけないのでしょうか?
紹介文や年表でそこまで妄想できるとは脱帽ですが、
重ねて言いますが他人の家の事情を無関係の人間がとやかく言うのは卑しいですね。
あと、東京柳生会より名古屋での開始のほうが先ですね、道眼によると。
300 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 18:24:33 ID:4YSw5DwuO
たしかに、東京柳生会再開より前に、名古屋では名古屋柳生会として活動をしています。当初は抜刀術が主で。
S41年の柳生会継承というのを、その時点では「柳生会」と称していなくても、便宜上「柳生会」としてるだけで、名古屋での指導を厳長師に代わって開始した時期だとしても、先ほどの引用通りならば、
名古屋の人たちでさえ、道統継承を聞かされていなかったということになります。
実際にその時期に指導を受けていた人たちが、それを聞かされていないなどということが有り得るのでしょうか??
それより…会員なのに、道眼等に頼らないとそこら辺のことも分からないんですか??
ご本人に生前に聞いたとか、耕一氏に延春氏からの伝聞として聞いたとか、耕一氏が実際にご存知なことならばそれこそご本人に聞くとか、そういうのはないんですね。
301 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 18:47:43 ID:iagPmlCFO
厳長氏が病床で後継者については言わなかったのかね?習った人たちは見舞いくらい行っているでしょう。話の前後から不自然であるし、継承の話は厳長氏死後に湧いた話のような気がしますが。
厳長宗家の家押、印鑑捺印の継承状などはあるのですか?
そうなんです。
おかしな点ばかりなんです。
ハッキリしてるのは、延春氏は厳長師のご子息だという、この一点のみなんです。
門下の大物所中、唯一しっかり協力してくれて立ててくれた所(M)に対して、あろうことか横暴な態度を取り、しまいにゃ裏切った(乗っ取り)のは、延春氏のミスだよね。
まぁ自分が一番でやっていきたい人には、目ざとい存在だったのかもしれないが。
304 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 21:40:17 ID:AkQb5SFx0
もうSでもいいから、Y、M以外の話無いの?
S風館とは?
売り出し中の赤羽根氏て何者??
厳周伝て??
の3本でどうぞ!!
>304
>57辺りからずっと読んでみな?Sのことも出てきてるよ
そこら辺でも、Y関係に対してちょっとでも否定的なレスがあると、299らしき人が出てきてるよね。
>58とか>75とか、とにかく柳生さん以外のことは悪く書く人いるからねw
書いてることの正否は別としてね。
>58も>75も書いてあることには同意だけど。
308 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/29(月) 23:13:09 ID:4YSw5DwuO
>92とか>104とか、一生懸命、このスレでの情報が自分の信じてることと違う方向に行かないように努力してたようですね。
ご苦労様でした>299
>230
299
>これまでも同じ書き込みを続けている〜
それはご自分がまさしくそう。
>知識が深い
意外とそうでもなかった。
だから、同じ人が書いてるのに一貫性がないw
どうせ印象操作したいなら、もう少しお勉強してください。
あんた怖ぇな!
ま、お互い良い年末をな!!
ちょっとやりすぎたかなとは思ってます…。
299さん良い年末を〜
312 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 03:19:48 ID:DrwsiDYe0
>>299 お前、なんでそんなに延春を信奉してるの?
道統継承がインチキくさいって、誰でもわかるだろ。
先代の死の1年以上前に継承して、継承式やってないなんておかしいだろ?
先代の死後突然継承したとか言い出すから、みんなビックリしたんだよ。
延春は武道論ぶちまけるのは好きだったが、プライドだけ高い口先の人間だったんだよ。
宗家だから崇拝したいのかもしれんが、ちょっと無理があるね。
313 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 03:30:29 ID:lJigJRlMO
テレビで放映されていた先代宗家と池永さんとの型演武は全然凄くないね。 金春流の能も紹介されてた番組。
双方無駄な力が入りまくりじゃないの。
上半身が固すぎる。
香取、タイ捨、示現などのほうがよく稽古されているとわかる良い動きですよ。
>312
あまり>299をいじめないであげてください。
たしかに勘に障るレスの仕方や、アホらしい返し方してくることも多いので、見てると頭に来るのはわかりますが。
異常な信奉者てのは必ずいるもんですよ。彼の場合、延春氏との付き合いが特別長かったとか、親しかったという感じはしないですが、彼なりの正義感みたいのでやっているのでしょうし、色々と調べたりしてるようですし。
あーだこーだと屁理屈かまして、結果は何も変わらないかもしれませんが、さらに色々調べていただきましょう。
あっそれと、厳長師が入院したりで稽古に出れなくなってきたのは、ちょうどS41年あたりのはずです。
入院していれば、継承式というものはできてなくてもおかしくないかもしれませんが、
式はなくても、継承をしたなら、ご他界から1年以上前であれば、当然高弟たちには連絡ぐらいしてるでしょうしね。
>307のように、ほぼ同意できることも多々あるんですが、
>104などで書いている
あのレベルじゃ〜
って…それはそれとして、ご自分はどれぐらいできるのかな?と。
また、彼の場合はY以外は全て無条件で「あのレベルじゃ」になります。
いや、さすがに継承式くらいは出席するだろ・・
次の宗家への継承って一門にとっての最高行事にして、先代にとっても
尤も重要な仕事の筈。
正伝新陰流における代々の印可相伝のくだりを見ても
厳長師が、次代への道統相伝という事に対して、極めて重大に考えて
いた事は見ての通りだと思うけどな・・・
それを、枕下で身内だけに内々で・・・ なんていい加減な相伝するとは
到底思えないよ。 有り得ないと思うよ。
>>317ほかのみなさん。
まあまあ、病気は本人の予測と違う経過をたどる事多いから。
病気療養中でも一門集めてセレモニーせよ、できたはずだろは
ちょっと厳しい要求の可能性もあるんじゃないかな?
たとえば、本人、やばいかもと思いながらも、
やばいの認識の程度が「現役復帰不可」で「死ぬかもしれん」ではなく、
退院したら門人に伝えて継承式(お披露目)して引退のつもりが現実死んじゃったっていうのはありえる話。
自分の周りでも本人親戚死ぬつもり全然ないのに出てこれなかった人も良いいるし(泣
あと、相伝自体は基本的には、他の相伝者や後見人を承認として内々でだったり、
たった二人っきりで他には教えないことも多いみたい、
だからこそ、大坪・渡辺さんなど本当に相伝や印可受けたの?という話が出てくるわけで…
承継式は対外的なお披露目・告知、やるところもあるしやらないところもあるから、決定打にならないよ。
318続
ただ、柳生新陰ということでは、柳生家の男子への承継は当然で、それ以外は例外。
例外の方が承継のお披露目・告知する必要は高いので、延春先生が承継していないと、
誰も承継していないという「事故」発生があったのだろうなと想像できるね。
その事故の処理が問題で、
柳生家で「柳生新陰流の道統の承継」=「柳生『家』の問題」って頭なら、
柳生家内で処理して対外的には今あるように発表した可能性もある。
門人それも東京などの出張先の門人不在の処理で納得しずらいが、
尾張柳生家にとっては「柳生家=柳生新陰流」と不可一体。
領地も江戸に持ってかれた彼らとっては、柳生流の道統=「一所」として命を懸け、
400年間、お家の至上命題として柳生流の存続
(これすなわち柳生家の存続でもあるのだろうが)に代々が一生を捧げている。
そーいう一族だと考えれば、内々の処理もしょうがないかな?
彼らにしてみれば、なぜ出張稽古先の一代か二代しか付き合いのない
どこの馬の骨とも知れんよそもん連中に、セキシュウサイからの族の大事を図らんといかんのか、
ぐらいの発想でもしょうがないんじゃないかな…
ぶっちゃけ相伝などといってもそれで不思議なパワーが授与されるわけではない。
400年間の一門の門人全員のすべての秘訣・工夫を承継できるわけでもなし、
酒を新しい器に移すときは全て移せるわけではないのだから、継げないところもある。
相伝としては、上泉から柳生三代ぐらいの目録に載っている勢法の概要と口伝を教わってれば、一先ず十分。
後は本人の努力でしょ。
そうじゃないとレンヤの口伝書を開かないと太刀の使い方とかの見解の統一が取れないという事態が起こるはずない。
道統承継云々はしょせん名前だけの事で、他には名称の使用権や営業権が付随する程度。
門人の俺らには納得いかないところもあるけど、練習するなとまで行っていないようだし。
そう熱くなるなよ…
なんなんですかね。
病状が悪化したから息子には継承の件は言えなかった、柳生家以外に詳しく語る必要もないという論理ですか。
それは我田引水で開き直りのようなものではないですか。
立場上、ご都合主義で勝手に判断するなよ。
だれがそんな論理を認めるというのかね。 おかしいと、色々な人がこのスレでも言っているでしょうが。
こんなところでいくら騒いでも結論は出ないけどね。
疑問符をつけるところまでだよ。
耕一氏が、延春氏の道統継承を信じているなら、そこまででしょ。
322 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 12:03:03 ID:ZMzoOAbLO
仮に信じてなくても、
継承してません。
とは言わないだろうけどなw
自分は偽継承の継承してしまっていることになるからね。
323 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 13:59:05 ID:3Cfg+mhR0
>>315 だから延春は、S41年に継承したと言ったんだよ。
彼なりに考えての発言。
渡辺(父)は温厚な人だったから、息子が継ぐのが1番良かろうと
いうことでガタガタ言わなかった。つまり宗家は継いだが、技は継承されていないんだよ。
まあ、今時新陰流やるなんてマイナーだから、技なんてどうでもいいだろうがね。
一木さんも亡くなっちゃったし、当時を知る人はどんどん減り、今の宗家を見て
「これが正統新陰流か!」と信じ込む輩が生まれるだけだね。
そして、疑問を投げかけると299のような奴が出てきて、
「証拠を出せ!」とほざきまくる。
>323
それって、正確には宗家も継いでないってことだよね。自称ってことじゃん。
325 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 14:15:43 ID:lJigJRlMO
299は狂信者のような感じで恐いですよね。
よくそこまで自分の稽古をしている団体にこだわれるものだ。
継承していなかったら、趣味の世界なのに何かまずいことでもあるんですかね。はっきりいえば、宗家といっても世間からみたら元銀行員の道楽でしょう。
宗家自身は困るだろうけどな。
299は単に、自分は正統な新陰流をやっているというプライドみたいなのが無くなるから困るんじゃないか?
327 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/30(火) 18:49:41 ID:ptCaedXG0
新陰流は来年の2月に日本武道館でやる古武道大会に出るのか?
328 :
299:2008/12/30(火) 19:18:32 ID:AuFwgXk20
>324
あなたのは疑問と言いながら結論出してるでしょう。
いくら主張しても客観的事実は変わらないですよ。
それかあなた自身が言う通り、証拠を出せばいいのです。
でなければ悪口言ってるのはあなたですよね。
>JigJRlMO
レッテル貼りご苦労様です。
あなたのような非実践者ではまあ解らないでしょうね。
>ZMzoOAbLO
居ないと威勢いいですね、本当に。
やりすぎたと言われるほどのレスしてるつもりなんですか、こりゃどうもすいません。
別にプライドなどで稽古しているわけでは無いですので良いですよ。
あなたは渡辺さんに正統性が無いと困るんでしょうね。
あると言う証左が自称なのはMでしょう。
それと、あなたはいちいちそのようなことを年代、月単位で忠成さんから聞いたので?
そんなことを普通に話すほどあなたちにとって必要な話題なんですか…
普通は資料見せてもらうなどして確認するものじゃ無いですか?
宗家を煩わすなら他のことしますよ。稽古とかw私にとってさして重要なことじゃないので。
また一貫していないと仰せですが、勘違いは訂正しておりますし、自分のレスで無いものは知りません。
そして資料で補える以上の発言はしておりませんよ。
>326はレス番を指定しておりますので、明らかにレス相手に対する誹謗ですね。
この程度のレベルとか言って反論しない人は要するにその程度の人なんでしょう。
相手を口汚く罵る様になったあなたはもはや相手ではありませんので、スルーしますね。
329 :
299:2008/12/30(火) 19:20:22 ID:AuFwgXk20
>324じゃなくて>323でした。
>328
いても威勢良くしてあげてもいいですけどねw
「あの程度」に反論しない人たちは、武道とは技の良し悪しとは、本来このようなところで論争して決めることではない。という、ごくごく当たり前のことが分かっているからだと思いますよ。
それか、あなたのような人に教えてあげる義理はない。
といったところではないでしょうか?
これでよろしいですか?異常者さんw
>328
それと、先に
頭大丈夫ですか?
等、相手を口汚く罵るのに近いことをしてたのはあなたの方ですよ。
熱狂的な名古屋のY会会員さんでしたっけ?w
あなたの真似して「w」付けてみてるんですが、こんなの付けて自分は(Yは)、余裕がある、上から見ているとでも、このスレを見てる人たちに思わせたいのでしょうかね?
どっちも見苦しいぞお二人さん。
いいかげんにせんか。
>332
ゴメンナサイ。
>328も以前よりレスがおとなしくなっちゃったので、こちらも本当にこれぐらいでやめときますわ。
最後にいいすか。
>328
>私にとってさして重要なことではない
なら、最初から全部スルーすればいい。
それを、掲示板は他の人も見てるんで〜とか、やたら第三者の印象まで考えて、しっかり反論してきてましたね。
また、私は>323ではないですが、やっぱりあなた
証拠を出せ
と言ってしまいましたね。証拠が無いことの証拠を出すてのは、なかなか難しいでしょうね。
そちらに証拠が無いわけですから。
あー疲れた
さようなら
こんなことだろうと思いました。
>331で私の付けたレスに対しての話にはレスしてあげましょう。
>216のことですね。それならば>213-214が先でしょう。
あたま大丈夫ですかw
>331
考えすぎでしょう。あなたのように、そのようなことを気にしなくても
上から目線の人が不思議なことを言いますね。
>334
重要で無いから2chなんですよw
証拠も何も、私は資料から知りえること、
並びに類推できることしか発言しておりませんし、
ちゃんとわかるように書いておりますよ。
なので、それ以上の事を言うあなたやその他の人も
証拠が必要でしょう、と言っているのです。
大体あなたはスレ相手しか読まないと思っておいでで?
違うでしょう。そうでなかったら、ちゃんと宣言してレスを落とした相手に連投して
異常者とか書いたりしないでしょう。
大体、>174辺りもあなたでしょう?
つまり、これくらい前には既に意見が違うものに反論できなくなったら哀れとか言ってる訳ですね。
いい加減スレの流れもあっての発言にというものも読みましょう。
それと、
>「あの程度」に反論しない人たちは、武道とは技の良し悪しとは、
>本来このようなところで論争して決めることではない。
>という、ごくごく当たり前のことが分かっているからだと思いますよ。
これはあなたには該当しないでしょうね。でなければオフ会に出ますか?
武道板でこういう事を言うのは結局そう言う意味にしかなりませんが。
まあ私もいろいろ都合があるのでゆっくり打ち合わせしましょうやw
>174は、その通り私だよ。
疲れちゃったしアホらしくなっちゃってさ、あぁ書いた。あなたみたいにそこまで熱く議論したいとか思わないしね。
>自分たちのこと言われてるのを〜
は、どう見てもそうでしょ。実際にあなたの受け取り方が理解できないというレスがありましたよね。
感覚ズレてるのはあなたの方だよ。
頭大丈夫ですか?
それと、私は技の具体的なことに関しては、ほとんど触れていませんが。
会いたいなら、あなたが連絡先を書けばいいでしょ。古武道やる奴らなんて、屁理屈ばかりで闘えないようなのが多いからね。
あなたのレスは、いかにも権威や肩書き重視の頭デッカチな古武道教習者だよ。
疲れるんだよ。
あと、暇だったからさ、異常者ぐらい書いとけばまた現れるかなと思ったわけ。
さすがにこの表現にはちょっと抵抗はあったがね。
で、実際現れたら、やっぱり疲れるわ。
>213-214
を見る限り、俺の頭は大丈夫だと思うよ。
>338
それは意外ですね。お悔やみ申し上げます。
>336
だから、それはリアルタイムで書いている通り、
誤読と、更に言えば思い込みの産物ですね。
で、相手のせいにしていないで思うところを書けば宜しいでしょう。
まず相手が悪い、哀れ、と言うのではお話になりませんな。
>会いたいなら、あなたが連絡先を書けばいいでしょ。古武道やる奴らなんて、屁理屈ばかりで闘えないようなのが多いからね。
>あなたのレスは、いかにも権威や肩書き重視の頭デッカチな古武道教習者だよ。
>疲れるんだよ。
レッテル貼りキター!
冗談は兎も角、会いたい?馬鹿なことを言いなさんなw
あなたにそのような価値があるわけ無いじゃないですか。
オフ会と言ったのはよその人間もいるので公平だと思うからですよ。
議論は疲れる、オフには出ない、どんなチキンですかw
まあいいでしょう、よく言われるように試合で決着をつけようと思っただけで、
いやなら仕方ないですね。
このようなことで疲れるものではどうしようもありません。
言っておきますが、技を優劣では語っていないはずですよ。
きちんと読めないのでしょうか?
さあ、もう非実践者の相手は必要なさそうですので、
少なくともあなた相手には自分の過去レスへのものでも反応しません。
>339
はいはい。さようなら。
342 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/31(水) 00:42:37 ID:o3lBiP/fO
こういう古武道やる奴らって、たしかに屁理屈多い!!
体育会系や精神論が良いと思ってるわけじゃないけど、社会常識的な観点であまりにも酷い人に、
「屁理屈言ってんじゃねーよ!」
て蹴り入れちゃいけないのかね?
あと顔に出る奴多いけど、
「何だその面は?!文句あんなら言ってみろ!」
って怒鳴っちゃいけないのかね?
そういう中で、人間付き合いや上下関係を学んでいく部分もあるんじゃなかろうか。
しかし、武道やる人間てのは、いい年した連中が、信じられないぐらいそういうことができてないし、平気で自分勝手なこと言ったりやったりする。ハッキリ言われなきゃ何もわからないバカばかり。
「お前よく今まで生きてこれたよなぁ!」
と、言っちゃいかんのかね?
武道団体なんて、ほとんどは社会常識の足りない人たちが集まる施設にしかすぎんだろ。
武道を学ぶ人間て、よりによって日本人が大切にしてきた常識や美を持ち合わせてない日本人なんじゃないだろうか?そういう人が日本の伝統を守っていけるの?
343 :
342:2008/12/31(水) 00:45:01 ID:o3lBiP/fO
しかも、いざとなったら本当に戦える奴、本気で相手ぶっとばす覚悟の持てる奴ってどれぐらいいるんだろう??
それができなそうな奴が、偉そうなこと言ってたり、たかが竹刀振り回して精神論みたいのでアホみたいに強がってたり。
稽古はあくまでも鍛練を重ね技を磨くために行うものだと思うけど、
竹刀のように安全なものでなく、相手が凶器持ってて何でもありで、ちゃんと戦えるの??何してでも相手ぶっとばさなきゃ、下手したら自分が死んじゃうんだよ。
武道やる奴らなんて、たいていはそんなもんだろ?
それか、戦えそうでも常識無い奴ら。
戦えなくてもいいけど、常識は持ち合わせてほしい。
武道なんかやってる奴で、ろくな奴はあまり見たことないぞ。
常識持ち合わせてても、変な個性強すぎの奴とか。
普通の人は武道なんてやらないんだろうね。
急にどうしました?
近いうちに武器系のオフがあればいいのですが、
あいにく予定が合うか分からないので悲しいところです。
まあ兎も角そう言うオフ会に、機会があったら行って見たらどうですか?
私もぼちぼち顔出したりしますが、結構古流の人が来ますし
飛びぬけて強い方も居りますね。
345 :
342:2008/12/31(水) 01:14:55 ID:o3lBiP/fO
>344
マニアは嫌いです。
東京?関西?どっち?
>>345 嫌いならなんでこんなとこ覗いて書き込んでんの?
348 :
345:2008/12/31(水) 01:31:49 ID:o3lBiP/fO
>347
本気で鍛錬を重ね技を身につけ磨いていこうとする人が果たしてどれだけいるかと思うと嫌になる。
それでちょっと書いてみた。
マニアは嫌い。けどここはやっぱりマニア多いの??
本気でやったらそれもマニアなんだけどね。
>346
私は東海なんでwどっちでもぉkです。
342宛ならごめんw
>348
自分で確認しないと分からないでしょ?
オフが手軽で良いと思います。
本当は冷やかしでも見学に行けばいいのですが。
>>348 本気で兵法に取り組んでいるのは少数だね。
ここに来てるのはど変態のマニアかずぶの素人のどちらかだと思います。
351 :
348:2008/12/31(水) 02:07:30 ID:o3lBiP/fO
>349
>350
ありがとうございました。
>>349さん
機会が有ったら関東オフでお会いしましょう。
古流関連スレはのきなみ冬休みに入ったみたいでつね
>352
そのときはよろしくです!
355 :
名無しさん@一本勝ち:2008/12/31(水) 22:44:17 ID:Wa54g3Rv0
転会で修練したら、実戦で勝てますか?使えるんですか?剣道のうまい奴に
勝てるの?教えてくれ何方か。個々のケースでなく一般論で。
どうせ習うなら使えないと。
356 :
sage:2008/12/31(水) 23:22:11 ID:6YUITpVK0
少なくともy会で習っても勝てませんよ。
名前欄にsage入れてるやつに言われてもな〜w
358 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 01:05:43 ID:iTHmJ8rJ0
>>339 あんたがY会なら、戦わない方がよいよ。
強いつもりでいるかもしれないが、実戦で使える練習してないだろ?
延春のでっち上げ型で勝てるほど、外の世界は甘くないんだよ。
仲間内で稽古するだけで、武道がどうとか能書き垂れてる方が無難だよ。
で、客観的事実って何?
お前が限定された資料を勝手に解釈して類推することだけが客観的事実なの?
広く事実を求めて、外の人の声にも謙虚な姿勢で耳を傾けて、総合的に公平に
推論したのか?どう考えるのが最も合理的な考え方なのか、固定観念に囚われない様に
いつも疑問を持って、検証し続けているのか?
俺は今の渡辺が言うことが全て正しいとも言っていない。
で、お前さんが客観的事実と言うのなら、延春が先代から道統継承した証拠を出せ。
宗家だから継承したに決まっているとか、そういうのは、なしにしてくれよ。
先代が病気だったから継承式出来なかったとか、先代が隙だらけで、こっそり本人に話しただけだったとか、
門人たちは柳生家以外の人間だから話す必要がなかったとか、そういうのも、やめてくれよ。
あくまで客観的事実だから、誰がどう見ても疑いのない証拠な。
>>358 仲間内以外でどう稽古すんの?
辻斬りでもやるのか?
360 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 01:31:42 ID:bok0TP900
柳生家は巌長さんやその先代もいちいち継承式なんてのを対外的にやっているの?
厳周師の頃はまだ江戸時代だから伝統的な制度に従ってただろうけど、
厳長師の頃には、大正年間で拠点が東京に移って民営化されて
顔も広くなっていたから、そういう式典を開くようになったんでしょう。
358は、336や338とは別人だがね。
>>358 339に証拠を出せと言っても、証拠の有る無しは別として、耕一氏じゃないとそんなもん出せないだろ。
339なんかにそんなこと言っても無意味。
364 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 06:35:01 ID:y52csb75O
大体の世襲の古武道流儀では、次代に宗家の継承をしるした継承状を書きますから、これが巌長、延春と継承された書状を出さないかぎりは証明にはなりません。
諸賞流、水鴎流他、今の世襲宗家は継承状ありますからね。
365 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 08:49:58 ID:F/bO+i5eO
>>364 あろうがなかろうが、きみには関係ないだろうに。
366 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 08:57:40 ID:tMpSJr5w0
>大体の世襲の古武道流儀では、次代に宗家の継承をしるした継承状を書きますから
>>364 そもそも、昔の古武道は宗家だの言わなかった点について。
他流派のことが、別の流派には当てはまらないことについて。
そもそも、水王流が怪しい件について。
367 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 09:17:14 ID:y52csb75O
他流を怪しいという以前に、あなたがたY会新陰が疑われているの。
延春さんお客さんがくるたびに「この人は機動隊の剣道何段ですよ」「この女性は剣道何段です」。
なんでそんなことをいちいち言わなきゃいかんのよ。技を見ても感動が無い。
ヘルニア持ちだった、でぶの池永さんとか技下手だったじゃないの。
368 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 09:26:58 ID:tMpSJr5w0
>>367 大丈夫か、お前?新年早々、何か悪い者にでもとり憑かれてるんだろ、かわいそうにな。
お客さんに、いきなり「新陰流とは・・・」と語りだす方が軽々しいわ。
ヘルニア持ち?技見て感動がない?ハァ?
それと、新陰流と何がどう関係あるんだ?感動するも何も、お前の腐った目で見たって意味がなかろう。
369 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 09:39:45 ID:y52csb75O
何を感情的になっているのかな。
色々な古武道関係者にそう思われている以上、払拭は出来ないのよ。
継承についても、証拠物というのはあるのかね。
370 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 10:25:21 ID:y52csb75O
「高弟たちは柳生家の人間ではないから、継承については話をする必要がなかった」。
こんなことは他の流儀ではありえないよ。
高弟たちに連絡して、満場一致で次代が決まるのよ。納得出来ない人は新たに独立してしまう。 何おかしなことを言ってんのかね。
371 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 11:44:05 ID:bok0TP900
基本的に家伝の流儀は息子が継ぐのが普通。ただし息子がちゃんと学んでいれば。
満場一致で次代が決まるなんてのは妄想もいいとこだよ。
ただ延春さんは親父さんから逃げ回っていたからと言う話は古武道の世界では有名な
話だったからね。
372 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:22:34 ID:y52csb75O
先代が息子を次代にすると高弟たちに言えば鶴の一声ですよ。
巌長氏がきちんとそれを行ったのかということ。
病床だったというが、口も聞けない、字も書けなかったのか。
脳溢血、心筋梗塞で意識不明とかといわないようにね。
そんな話は発表されたことはないでしょう。
373 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:31:32 ID:tMpSJr5w0
ID:y52csb75O
ころばし会のヤツか。年明け早々、私怨に満ちた卑しい書き込みだな。
374 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:37:03 ID:y52csb75O
日本で一番有名な流儀といえるから聞いているだけです。
新陰って、各団体で意見対立のようなことをしているのですか。
常識的に考えて、おかしなことについて疑問を書いているだけですよ。
375 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:41:46 ID:tMpSJr5w0
>常識的に考えて
お前の古武道における常識ってなんだよ?教えてくれよ。
宗家を襲名するのに、弟子達に向かってイチイチ「おっす、オラきょうから宗家!」って
宣言しなきゃいけねえのかよ?
免状発行する側が、なんでされる側に「すんません、襲名していいっすか?」
って断る必要があるんだよ?
株式会社じゃねえんだからよ、取締役会で選任されるとかじゃねえんだよ。
しかも、そもそも江戸時代に宗家ってあったのかよ?宗家ってなんだよ?
教えてくれよ、お前の常識ってヤツでよ。
376 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:48:08 ID:y52csb75O
宗家制度は江戸時代にはないでしょう。
明治、大正もないですね。高弟達に次の後継者を伝えないなんてありえないでしょう。
延春さんより先輩もいたんじゃないですか?
そういう人に言わなかったのならおかしいのです。
377 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 12:49:23 ID:jjy6HnF4O
>>373 そいつは一傳流の小平くんといって佐川スレなどの古流スレや中拳スレに出没している奴だよ。
毎日一日中カキコして構ってくれる人を探している「カオナシ」だから相手すると大変だぞ。
378 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 13:04:09 ID:bok0TP900
親子であろうが師弟であろうが「伝授」がきちんと行われているかどうかと言う
事が重要なのでは?
379 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 13:05:05 ID:y52csb75O
ゆうひかんに行っていた人から、ずいぶん疑問が浮かぶ話も聞いたけどね。
380 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 13:10:25 ID:GroygyS6O
>>377 >>373はアルケのアホだろ。
ガスパニックで素人のボディブローで悶絶した太極拳野郎。
中拳、古流スレ全般で揚げ足とりばかりしてる。
昔、剣道雑誌で雄飛館の特集やってて、新陰流学びたくて板橋の道場入門を
真剣に考えてた少年時代の俺w
まあ、実際には後年、合気道の先生から別の先生紹介してもらって
そっちに行く事になったけど。
382 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 15:46:55 ID:dW3ENDNzO
383 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 15:56:39 ID:tMpSJr5w0
ID:GroygyS6O
誰でも歩けにしたがる大橋
384 :
釈迦:2009/01/01(木) 16:24:40 ID:dW3ENDNzO
385 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/01(木) 16:36:18 ID:y52csb75O
柳生連也、十兵衛、宮本武蔵、塚原ト伝のことなどを考えたり話題にしても仕方がないと思うのですよね。大昔の人のことしか話題ないんですか。
昔の剣豪に関する本とか読んでいるわけですね。
近代に卓越した使い手がいない流派だから、そういう本を読むのですよ。
厳周先生は他流試合に来たやつに勝って門弟にしてるよ。
宗家の二代前は凄かったということですか。
5、6才から一日八時間くらい稽古して、鳥飼いされてんだから当たり前でしょう。 今生きてる人はそんな稽古出来ないんだから、意味がないんですよ。
それは個人の稽古量の問題で、流派の技法とは関係無いですね。
まあ、武道をやった事無い人に言っても無駄かもしれないけど
そういうことですアンチさん。
>358
今までしたレスと同じことを書き込む気はありません。
遡って読んでも解らない人にまでもう一度レスする気は無いですよ。
自分がそれほど強いとは思いませんが、それなりに勝てますねえ。
戦わない方が良いと言われましても、既に経験済みですし、
それなりに通じますねえ。理合い通りであれば100%勝ちます。
ちょっと聞きたいが、>389は剣道経験者?
あと、経験済みなのはいいが、相手は何をやってる人だった?
答えたくなければ答えてくれなくてもいいが、差し支えがなければ教えてくださいな。
理合通りなら100%勝ちます
↑こんなやつが大好きなのが伝統武術だな
393 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 00:58:12 ID:VTuJLWAs0
371の言う通り、延春さんは親父さんから逃げ回っていた。
だから、親父さんは息子を後継者に指名しなかったんだよ。
子供の頃に教わろうが、終戦後教わろうが、後継者になるほどは
教わっていないんだから。それで何で突然宗家になろうと思ったのかね?
394 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 08:17:15 ID:VirqVIrTO
〉〉389
理合とおりにそれなりに勝てるのだったら、スポーツチャンバラの世界大会に出場して優勝してくださいよ。
今のスポチャンの竹刀は袋竹刀より少し重いくらいです。扱えないとは言わせませんよ。
あとは全日本剣道選手権で優勝をおねがいします。
打突部位限定だが、太刀が見えれば勝てますよね(笑)。
395 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 08:44:42 ID:LSauLw5l0
>>394 出たよ出た。アンカーすらまともに付けることのできないのに、妄想ぶちまける
キチガイが。
396 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 10:09:53 ID:VirqVIrTO
>>395 本人が理合の通りに勝てると言っているじゃないですか。
古流剣術は剣道の大学生に比べて四分の一くらいしか稽古していないでしょ。
それでも実力がついた気になってしまう人も多いでしょうね。
袋竹刀で稽古しているんだから、それ持ってどんどん武者修業してください(笑)。
延春先生が厳長先生から逃げ回っていた…親子間のことですからしょせん他人には実際のお二人のことは分かりません。
まあ、延春先生にしてみれば、ガキの頃から怖いオッサン連中(尾張柳生の高弟たち)にしごかれて、
戦後は戦争行って、ヘロヘロになって帰って見れば、道場焼けてるし、イデオロギー180度転換。
軍関係は叩かれるし、軍国主義を助長したと武道関係も禁止令が出される。
そんな中で海軍とかと関係(下条も大坪も海軍士官)があり叩かれそうな「新陰を〜!」とかいわれたら、
表立って活動したくないし、逃げたくもなるはな。
今ならともかく今でもそうだが当時ではより一層それで食っていけるか怪しいし、
特に教員なら軍国思想とかいって隙を見せれば
公職追放令(1952年廃止)に引っかかって左派勢力によって職を失いかねんし。
延春先生がそういう態度を見せていたのも理解できるわ。
そういう社会情勢も少しは配慮して考えろや。
当時の高弟も延春宗家で少なくとも表面上はよしとして、
それで40年近くやっているのだから。
事実として、延春先生が21世の宗家・家元でいいじゃないか。
そこにこんなところで文句を言って何かいいことあるのかね?
まったく。
新陰流自体は大日本武徳会に参加していなかったと思ったが、そこは例示列挙なので突っ込まないようにW
(参考)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%81%B7%E8%BF%BD%E6%94%BE 公職追放令
1946年(昭和21年)に勅令形式で公布・施行された
「就職禁止、退官、退職等ニ関スル件」(公職追放令、昭和21年勅令第109号)などにより、
戦争犯罪人、戦争協力者、大日本武徳会、大政翼賛会、護国同志会関係者がその職場を追われた。
この勅令は翌年の「公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令」(昭和22年勅令第1号)で改正され、公職の範囲が広げられて戦前・戦中の有力企業や軍需産業の幹部なども対象になった。その結果、1948年5月までに20万人以上が追放される結果となった。
延春氏の継承に対して、当時、どの高弟からも異論は出なかった。
という書き込みをよく見るけど、普通、そう簡単に異論なんて出さないだろ??
仮にも厳長師のご子息だからね。
え?と思っても、そんな簡単には「異議あり」なんて言わないでしょ。
>>390の
継承に対して
てのは、
継承していると本人が言ったことに対して
です。
すみません、アンカーミスりました。
390ではなく
>>399でした。
柳生家当主が柳生流を継ぐ事に異論のあるわけがない。
当時の高弟は名古屋、東京も皆協力的だったと思うよ。
そうなるのが当然だと思う。
ただいきなり「父の跡を継いだ」と言って宗家となっても無理。
例えが悪いかもしれないが和泉元彌は
父から和泉流一子相伝を受け宗家襲名公演しているけど
和泉流や能楽協会からは修行不足として宗家認定されていない。
後見人付での宗家襲名なら何の問題も無かったと思うのだが・・・
403 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 13:56:38 ID:VirqVIrTO
宗家の団体は、流史に則らない他の団体の位階は認めない、当会とは関係ないと発表しているみたいですね。
404 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 14:38:49 ID:VTuJLWAs0
>>397 >延春先生が厳長先生から逃げ回っていた…親子間のことですからしょせん他人には実際のお二人のことは分かりません。
わかっているんだよ。勝手にわからないとか言うなよ。
>延春先生がそういう態度を見せていたのも理解できるわ。
>そういう社会情勢も少しは配慮して考えろや。
その前から逃げ回ってるんだよ。
「怖いオッサン連中(尾張柳生の高弟たち)」じゃなくて、
父親から逃げてたんだよ。
>事実として、延春先生が21世の宗家・家元でいいじゃないか。
先代が指名してないのに、勝手に継承したと言って宗家になったことが問題なんだよ。
事実をうやむやにするな。
延春は子供の頃から新陰よりも野球が好きだったんだ。
竹刀よりもバットを振っていたんだから。
>>403 柳生会とは関係ないと言う事でしょう。
剣道段位で言うなら剣連と武徳みたいな例えでしょうか。
もし宗家の許可なく目録発行したらとっくに破門です。
でも現在の目録、伝位発行については
柳生先生自身もご存知でしたし、
当時から双方で話し合いが行われていますから
それはそれで問題無いと思います。
406 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 14:55:31 ID:VirqVIrTO
あの文章では、他の目録伝位はにせもの、私たちが唯一正統という雰囲気がうかがえる。
たとえば、柳生会とは違う会で流史に則っていない位階は正しくないと。
人が違えば免許や段位発行のやり方が異なるのはあたりまえでしょう。
昔のやり方から外れていたら駄目というのは行きすぎだと思いますね。
407 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/02(金) 15:15:12 ID:Cy4i6qcZ0
こんなところで、宗家継承がどうのと言っても、結論出ないし、出してもしょうがないので、そろそろ別の話題にしませんか??
神戸金七さんて、旧姓は服部さんだよね。いつ頃神戸姓にしたんだろ?また、なんで変えたんだろ?
「神戸」て、たしか柳生の方にある地名だよね?柳生に変えるのには抵抗あったからせめて神戸にしたのかな?それともその地に何か縁でもあっのでしょうか?
何かご存知の方いらっしゃいますか?
神戸さんは何歳頃、柳生道場に入門したんだろ。
大正時代には既に柳生家は東京に来てたから、それ以前の入門という
事になるのだろうか?
春風館は、柳生東京時代に名古屋の道場預かっていたのは神戸さんだと
言ってるけど、 まあ・・・この人も謎だらけの人だわな。
たしかに、神戸氏の経歴は、疑問あるよな。
柳生家の伝書は写させてもらったんだろうけど、それ以外に、
そんなのあり得るのか?
としか思えない物が、S風館に保管されているらしいが、どう考えても偽造でしょ?
神戸氏や鹿島氏て、勝手に離れて自分たちで門人取ってた人たちなんだよね?
どこまで信用できるんだろか??
赤羽根氏の商売に利用されてるのか??
しかも、S館て、神戸氏は厳周師の弟子だというのは以前から言っていたが、以前は江戸遣いだとか言ってなかったっけ?
いつから厳周伝だとか言い出したんだ??
大坪氏はたしかに江戸柳生の研究をしていたようだが、神戸氏って、厳周、厳長両師に師事して、戦後勝手に離れて門人取ってただけでしょ??
なんでそういう人はやたらと江戸だの一世代前の人の教えだなどと言い出すんだ?
厳長師は間違いなく厳周師の後継者だろ??厳長さんも色々あるようだが…。
それと、神戸氏は厳周師が引退後名古屋に帰って、その厳周師のもとで主に修行したんじゃないか?そうじゃないと柳生家が東京に行っていた時期を考えたら、つじつまが合わない気がするが。
でも、それだとその時代の宗家は厳長先生という事になるし
厳長先生からの印可だった筈だし、厳長伝と言わないといけないと思うが・・
そもそも、厳周師は老齢で77歳で引退された方だから、年齢的に見て
どこまで実際に竹刀執って直接指導してたかやっぱり疑問だしな。
神戸氏は東京に行ってたことはあるのかな?
名古屋にずっといたなら、やはり引退して名古屋に帰った厳周師に習ったのが主でない限り、あまり厳周師に教わる時期はなかったんじゃなかろうか。
その後、厳周師が亡くなられてからは、当然厳長師に師事してるはずだし、離れるのは戦後だよね?てことは、厳周伝なんてのはやっぱりおかしいよな?
>>412 古武道振興会などには加藤先生が神戸先生から尾張貫流をついで宗家として参加されていること、
また、『日本の古武道』では尾張貫流の項目で柳生新陰を「外のもの太刀」として練習しているとしていること
(加藤先生がそういわないとああいう書き方にはならん)
これらの事を考えると、勝手に「出た」というよりも、
道場としては、神戸先生は、もともと本伝・表芸として尾張貫流を教えていた。
そして、尾張貫流の成立に影響も与えたとされる新陰を自分も学んで稽古しているので、
併伝・外伝・裏芸として教授していたと考えるのがいいんじゃない。
本伝・表芸云々の表現は適当です
>>413 印可といっても、ただ目録もらっただけなんじゃないか?
S館では厳周師から目録を授与されたと言ってるが、実際には厳長師からの目録だというのは以前から言われてること。
厳周師時代からの門弟で、厳長師時代には名古屋の門人中最古参あたりになるんだろうけど。
どうでもいいが、愛洲移香から伝わるなんとかとか、絶対に有り得ないと思うが、そんなのわざわざ作るなよな。
>>415 なるほど!それなら納得です。
ただ、その割には最近は、だいぶ新陰をクローズアップしてるようだが(厳周伝だ、江戸時代の武士そのままだとか)、あれはS館というより赤羽根氏の行動なのかな?
それと、尾張貫流の宗家なのかどうかは知らんが、新陰も、厳周師までを何代で数え、その続きの数字で神戸氏、加藤氏と何世で数え、まるで宗家のようにしているが…。
こういう世界は言った者勝ちだというのがよく分かる……。
それにしても新陰流て乱れてますな。
黒いんだよ、単純に。
尾張貫流は他にも宗家がいるんだよな・・・・確か
愛知のどっかの大学の学長さんだった筈だが、名前は忘れた。
>390
剣道の経験は学生時代の授業しか無いですねw
>391
いろいろですよ。剣道経験のある人もいれば居合の人も古流剣術の人もいます。
それほど数こなしてるわけでも無いですが。
>392
あなたの在籍会派では理合い通りの働きでも勝つかどうかわからないので?
極ありふれた話に過ぎないのですがね、言葉にすれば。
>394
あなたにはレスしたくないのですがw
まあお答えしましょう。
まず、レスをきちんと読めとしか言いようが無いのですがね。
理合い通りなら、ですよ。これで分からないなら本当に素人さんなんでしょうね。
試合する意義も稽古する意味も解らないらしいので。
また、スポチャンにはスポチャンで有利な理合いが、剣道には剣道のそれがありますよね。
このような発言をするあなたは本当に底が浅いと思います。
そして>396、これはなんでしょうか、相手が古流なら勝てても意味が無いてことでしょうか。
古武道を貶めて何が言いたいのでしょうか。
私に言わせれば、稽古時間が長いなどは、
そのような時間が取れるに越したことは無いとは言え、
要はやってることを理解して無いので数をこなして自己満足してるだけですね。
それともあなたの稽古は大学生の剣道以下なので?
>422
あなたも真剣にとりくんでおられるのでしょうけど、
>それともあなたの稽古は大学生の剣道以下なので?
この発言は、真面目にとりくんでる大学生に失礼だと思われます。
だからレスをちゃんと読んでくださいと言っているのですが、
○○以下ですか?と言う質問に○○に失礼と答えると言うのは
○○をあなたは下に見ていると言うことですよね。
私はそれよりあなたが劣っているのですか、と訊いただけなんですが。
それと、.>396は失礼に当たらないのですか?
>>417 ぶっちゃけ、槍術では、お話のネタにもならんというか…
普通の一般人に貫流といっても、「何それ?」だと思う。
最近流行の身体論を持ってきても商業出版のラインには載ることない。
そうすると剣の情報しか出てこないから自然とそこがクローズアップされているのだと思う。
勿論、赤羽根氏が槍ではなく柳生新陰を習いたくて春風館に行っていることもあろうが。
たぶん他の人も入門するときは柳生新陰目当てだから、そういう門人が増えれば
道場的にもそこがどんどん強調されちゃうと思う。
ただ、クローズアップといっても、
行われているのは結局赤羽根氏一人が
歯科大学!の紀要に論文(研究発表?)書いたり(哲学か思想史あたりの教授wとして、きっと研究費貰っているんだろうな…うらやましいZO!)、
剣について本一冊とDVD一本、軍学についての本一冊(他、私家出版一部上記論文とかぶる)
を出しただけともいえる。
>>409 1902(M35) 神戸(8歳)、厳周に入門。
今、手持ちの資料で年表作ってみた。アップしていい?<ALL
暫定版年表
/* */内は2ちゃんでのみ確認の情報。
n.d. 神戸、厳周から師範印可受ける。(『真鋭』日本古武道振興会発行、S55)
n.d. 神戸、戦後、名古屋守山にて春風館設立。
n.d. 下條の生没年。入門時期。
1845(弘化02) 厳周(三五郎)生。
1862(文久03) 厳周(19歳・数え年?)尾州師範に就任。
1864(元治01) 厳周(21歳・数え年?)、19世・13代印可相伝。
1889(M22) 厳蕃没(73歳)
1891(M24) 厳長(金治)生。
1894(M27) 神戸(旧姓服部)金七生。渡辺忠敏生。
1902(M35) 神戸(8歳)、厳周に入門。
1906(M39) 大坪元治(号指方)生。
1913(T02) 厳周(69歳)宮内庁済寧館世話掛就任。
房義(台湾銀行総裁)東京牛込若松町に碧榕館建立。
この頃、大坪(8歳=1914〜15)碧榕館に入門、厳周指導。
神戸、名古屋で代稽古開始?(赤羽根「厳周…長男・厳長と
上京。留守の間は神戸金七が門人の指導に当たった」)。
1917(T06) 渡辺忠敏、碧榕館に入門、厳周指導。
1919(T08) 延春(号厳道)生。
1920(T09) 大坪(15歳)尾張柳生の入門帖に署名。
1921(T10) 済寧館廃止。
1922(T11) 厳長(31歳)20世・14代継ぐ。厳周(77歳)隠居。
同年、碧榕館鎌倉円覚寺に寄贈?、碧榕館閉鎖?。
1924(T13) 武藤正雄生。
1928(S03) 厳長、東京に金剛館設立(口伝聞書はS02)。鶴山晃瑞生。
1929(S04) 厳長、近衛師団師範就任。
1930(S05) 厳長、厳周労病看護のため金剛館引き払い、名古屋に帰る。
1931(S06) 厳周弟子下条小三郎、新宿にて檪山館設立。
[赤羽根は同年厳周名古屋に帰るとする。]
1932(S07) 厳周没(88歳)。大坪(27歳)、檪山館師範就任。
1941(S16) 渡辺忠成生。
1945(S20) 名古屋大空襲、名古屋道場及び柳生邸消失。
1946(S21) 渡辺忠成(6歳)、渡辺忠敏より新陰の指導受ける。
1951(S26) 大坪(46歳)、厳長より[控宗家として(大坪→鶴山→赤羽根伝聞)]師範印可受ける。
1952(S27) 耕一(延春の姉・厳長娘の孫)生。梶塚靖司生。
1955(S30) 厳長、東京柳生会設立。神戸、柳生にて指導開始?
(二蓋笠会Webページママ「昭和三十年から昭和四十年頃に芳徳寺をおとずれ、
先代の定芳和尚と親しく話等を交され、ぜひ地元柳生にその流れを定着
させたいと希望され、和尚もぜひ柳生に住んでお願いしたいと住居もさ
がしていたが(諸事情により定住は出来ませんでした)、
それでも二ヶ月に一回くらい御子息二人を連れられて三日ほど
泊まられてご指導を頂いた」)。
1957(S32) 厳長『正伝新陰流』出版。
渡辺忠敏、S32-41厳長の補佐役を勤める。
1958(S33) 渡辺忠敏、「目録」印可受ける。
1959(S34) 加藤伊三男、名古屋市宗円町に春風館設立(DVD版の裏表紙)
1965(S40) 大坪、正木坂剣禅道場設立、同師範就任。
この頃(正確な年月日不明)、武藤、大坪に教えを受け始める。
1966(S41) 名古屋柳生会設立。延春(47歳)、21世・15代継ぐ。
渡辺忠敏「内伝」印可受ける、厳長の補佐役勤め終わる。
1967(S42) 厳長没(78歳、太刀伝等76歳)。今村嘉雄編『史料柳生新陰流』(2巻)発行。
1969(S44) /*1月*/忠成、新陰流兵法転会設立。忠敏ら『新陰流兵法太刀傳』発行。
梶塚靖司、武藤又は大坪から新陰の修行を開始する(荒木堂Webページママ
[武藤正雄宗家が大坪指方先生に師事、柳生新陰流兵法を教授するに伴い、
大坪指方伝柳生新陰流兵法の稽古を開始])。
10月延春、東京柳生会再開。
1971(S46) 大坪、東京教育大学武道学科の講師就任。
この頃、鶴山、大坪の指導を受け始める。
1972(S47) 渡辺忠敏没(75歳)。
1月芳徳寺橋本定芳没
(二蓋笠会Webページママ「畑峯三郎師範は、
「新陰流を学ぶのであれば、神戸先生に学ぶように」という
橋本定芳老師の生前の言葉に従って名古屋まで通い、江
戸柳生の技を現代に伝えられた神戸金七先生に目録を授けられ」る。)。
畑峯三郎、京都府相楽郡南山城村高尾の製茶工場にて、
柳生新陰流大和派道場設立(会員4名)(現、二蓋笠会)。
1973(S48) 神戸『柳生の芸能』脱稿。
1974(S49) 渡辺忠成、忠敏遺稿『柳生流兵法口伝聞書』発行。
1975(S50) 畑峯三郎、毎年春分・秋分に柳生芳徳禅寺及び
正木坂道場にて法事と昇段審査会を開始。
1976(S51) 加藤、神戸から「唯一人大事」として印可。
1977(S52) 渡辺忠成、『増補改訂新陰流兵法太刀伝』発行。
1980(S55) 神戸没(87歳)。
1981(S56) 鶴山、大坪より「柳生流天狗抄奥伝免許」(柳生流兵法修行簿)を受ける。
1984(S59) 鶴山、大坪より「柳生新陰流実技相伝」を受ける。
1985(S60) 鶴山、大坪より「師範印可」を受ける
[はじめて書帖免許を書く(赤羽根)]。
1988(S63) 鶴山没。
1989(H01) 延春、厳長『正伝新陰流』復刻。
1990(H02) 『新陰流関係資料』(3巻)発行(筑波大学)。
1992(H04) 大坪没(86歳)
1996(H08) 延春『柳生新陰流道眼』出版。
2001(H13) 武藤没( 歳)、梶塚継ぐ。
2002(H14) 耕一、名古屋へ転居し新陰流兵法の稽古に専念。
2006(H18) 耕一(/* 旧姓石田 */、号厳信)、22世・16代継ぐ。
2007(H19) 延春没(88歳)。赤羽根龍夫『柳生新陰流を学ぶ』出版。
2008(H20) 赤羽根龍夫『柳生新陰流を学ぶ』(DVD版)出版。
畑峯三郎没、畑峯博継ぐ。
補注:世と代
厳長によれば「印可相伝を他姓に相承の仁がうけ継いだのを世といい、
嫡流(血統)の一子相伝を代という。系譜に載せてある代が、
但馬入道石舟斎宗厳の道統図であり、正統図と区別してある。」
434 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/05(月) 11:55:33 ID:aBVnG6yk0
内容:
2ちゃんらしからぬこの情報。素晴らしい。
ところで鶴山伝って今でもやってんのかね。
合気道しかやってないと思ってたけど。
435 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/05(月) 12:34:20 ID:/m03IchlO
誰が後継者かは制度上のことで、書き込まれた表に名前がある方々はちゃんと習っているわけでしょう。
詐欺や捏造でもやってない限りは、剣術家として認められるということじゃないかね。
おかしいな。 俺の資料だと、神戸さんの柳生道場入門は
明治43年という事になってる。
それ以前には、杉山保次郎という人から一刀流を学んでいたという
経歴が載ってるのだが・・・・
437 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/05(月) 14:00:38 ID:mR5xVMQM0
厳長さんって長男だっけ?
>>436 俺の持ってる資料もそれだ。明治43年。
明治43年に入門した人間が、大正2年からの柳生家が東京に行ってる間の留守を預かり門人の指導をすることができるのだろうか。
それよりも、明からに経歴詐称があるってことだよな。
440 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/05(月) 14:46:33 ID:mR5xVMQM0
上の年表は労作で大作だとは思うけど、結構穴があるかもしれないね。
441 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/05(月) 15:17:40 ID:0fdsYAEzO
俺の資料だとS37年頃、柳生会定例会の会場が
目黒に変更されたとあるのだが、そうすると厳長先生の柳生会が
休止したのは何時なんだ?
443 :
年表の人:2009/01/05(月) 22:12:31 ID:OGBKUcNa0
>>436,
>>439 神戸さんの入門の件
今回作成のソースは、神奈川歯科大の紀要所収のネット公開している『柳生の芸能』赤羽根前書き。
8歳のとき厳周に入門とのことで27+8で35年としております。
M43…できればソース教えてください。
>>440 手持ちの資料で作ったからね(笑
たたき台ぐらいにはなると思います。
空襲後、東京柳生会設立前に道眼では恐らく名古屋に「柳生会」発足
しているようだが、年代特定できなかったし…
444 :
年表の人:2009/01/05(月) 22:21:11 ID:OGBKUcNa0
>>442 忠敏さんが厳長先生が存命中の東京柳生会の面倒をすべて
見たと考えてS41が妥当ではないか?
先生の体調不良による出席困難による自然休止だと思う。
>>443 「尾張藩伝 貫流鎗術について」という記事には
明治四十三年 新陰流 柳生厳周に師事
とあるようなのでこれかな?
ただ、この部分のコピーしか持ってないのでどんな本に収録されてたのかは不明。
>>445 >>436 ちなみに明治三十七年頃より、小野派一刀流を学ぶとなっているけど杉山保次郎からという記述は無かったと思うので多分違う資料かな?
447 :
年表の人:2009/01/05(月) 23:43:51 ID:OGBKUcNa0
>>445 ありがとうございます。
当時の風習がどうなっているのか分からないですが、
M43ちょうど神戸15-6で大坪が入門帖に署名した年齢に近い。
8歳ぐらいから習い始めて、武士の元服がちょうどそのかぞえ15歳なので、
そこで正式に入門(入門帖に署名・証文提出)などした可能性もあります。
したがって、両論併記で。
ただ、厳周が東京に出ている間の代稽古、T02当初からならば年齢19で、
芸能の師範としてはそれぐらいの若先生も多いので、一応OKですが、
M43に習い始めたのならば、3-4年での代稽古は、他に門人いるだろうから
さすがにないですね。
>>434 たしか折笠って人がやってるんじゃなかったっけ??
年表に鶴山氏まで出てくるとは思わなかった。
たしか鶴山氏は、S45年頃、一時期M会に入会してるんだよね。
また、鶴山氏が電電公社だかの合気杖道部内に新陰流研究グループを作って、そこを指導してた大坪氏に頼まれて、渡辺父子がそこの指導にもあたってたと見た記憶がある。
折笠さんて方は、そこ出身の方でしょ。
>>443 厳長師時代に、「名古屋柳生会」という団体はあったのでしょうか??
当然、名古屋で稽古はしてたでしょうけど、柳生会という名前のある団体(会)にしたのは延春氏からでは??
いわゆる新陰流一門なだけだったと思うんですよね。
東京の柳生会は、門外の人なども参加し、厳長師時代から行っていたものだけど、そういう場(会)であって、団体名ではないような。
正式名称は「柳生会東京月例会」でしたっけ?
名古屋ではそういうことはやっていなかったでしょうし、厳長師時代に名古屋柳生会という名称は無かったのでは??
S26年の厳長師から大坪氏への、控宗家として師範印可てのは、例のあれだよね?
神戸氏の師範印可、大坪氏から鶴山氏への師範印可てのは、これらは要は「目録」なんじゃなかろうか?(神戸氏のはいつ頃なのか、また厳周からか厳長からか微妙なところだけど)
昔は目録は師範ということだったのかもしれないが、目録てのは他にもいただろうし、目録より上があるわけだし。
何よりも、柳生家から神戸氏や大坪氏に師範印可なるものを出すとは思えないし。
二蓋笠会だったか、ホームページで「目録皆伝」だか、皆伝より目録が上だったか忘れたけど、そんな伝位が書いてあったけど、普通は目録よりも、免許とか皆伝の方が上だよね。師範てのは、普通はこのクラスなんじゃ??
新陰流の場合、『正伝新陰流』にも
「内伝(皆伝)」
て記載があったけど、柳生家じゃなければ、この「内伝」を最高位としてやってきたんだよね。
目録より上が無いとか、目録皆伝とか、変だよね??
目録後にならないとやらないことが当然あるわけで(奥義之太刀等。前の方のレスにもあったけど、これを目録でやるようにしたのは厳長師で、それ以前は内伝になってからだっけ)、師範印可てのは、やっぱりこのクラスじゃなければ、おかしいような…。
けど、目録てのはある意味じゃ師範みたいなものかもしれないけど、いずれにしても柳生家がそんなに「師範印可」なんて出すかね。
下条氏だって、明治年間最高位の人で門弟筆頭ではあっても、師範印可を受けたなんて本人は言ってたのかね?
下条氏は厳長師と喧嘩別れするまでは、厳長師のもとでやってたわけだし。
正確には、柳生家と尾張徳川家以外の人は内伝が最高位か。
てか、代々の後継者だけが「皆伝」なのかね?それとも柳生家や尾張徳川家なら、後継者以外の人も皆伝になったんだろうか??
下条氏が大坪氏に師範印可出して、その流れで大坪氏から鶴山氏に師範印可てのは分かるけど、それと柳生家が出すのは全然違う気がする…。
>>448 道眼によると、道場(稽古場)が消失した後、名古屋の高弟・有志らによって、
定期的に集まって稽古をする「柳生会」(カギカッコつき)が
発足した旨の記述があります。
名称については、わざわざ名前をつけたのかを含め不明。
>>453 前の方のレスに出てきてる『こころの兵法』には、
「名古屋柳生会はまだ正式発足もしていないが〜」
という記載があるんですよね…。
戦後しばらくの頃からあって、それをそのまま引き継いだのであれば、さすがにもうそんなのどうでもよさそうな気もしますけど…。
道眼以外に、厳長師時代に名古屋に「柳生会」というものがあったことが書いてある物ってありましたっけ??
そんなにこだわってるわけじゃないんですけどね。
道場が消失した後しばらくは、たしか神戸氏か鹿島氏の道場で厳長師は稽古を行っていたんでしたよね?
>>454に補足。
「名古屋の柳生会そのものが発会披露もしていない非公式なものだけに」
という記述でした。
名古屋の柳生会の結成時期は書いてありませんが、神戸氏や鹿島氏は絡んでいないようです。
名古屋柳生会結成の原動力になったメンバーは、剣道七段とか、剣舞の会主宰者とかのようですが、新陰がどれぐらいだったのかは不明。戦前からの人もいれば、戦後になって始めた人もいるようです。
時期的には、早くても、神戸氏などがいなくなってからかと思いますが、文章を見る限り、厳長師時代には思えないんですよ。厳長師のやり方では発展しない、厳長師亡き後、名古屋に柳生の剣を残さなければいけない等の理由で発足させたような感じの文章です。
>>443 ソースは、「日本伝承武芸流派読本」という15年くらい前に刊行された読本系の本。
ただし、中身は書き下ろしじゃなく、「日本の古武道」「日本武道全集」なんかの名前が
参考本として載ってるので、この辺りからの引用だと思われる。
実際に書いてある箇所をそのまま抜粋します。
>神戸金七は明治27年1月18日、名古屋市中生まれ、十六歳より槍術を学んだ。
>はじめ空元流の山本正身、さらに風伝流の広瀬貞則、田辺流の確氷荘司重房など
>に学び、 佐藤政五郎より貫流、福富八郎遊槍より風伝流の伝を得た。
>明治37年ごろからは杉山保次郎に小野派一刀流を学び、同40年に目録を得た。
>また、明治43年には柳生厳周に師事し、新陰流剣槍を学んだ。
>同じころ、神戸は森本哲三郎より天神真楊流の柔術を、そして竹林派湯本鍵三からは
>弓術を学んでいる。
>こうして多くの流派に学んだ神戸は、春風館道場を設立し、昭和55年4月12日に亡くなる
>まで、多くの門人に貫流槍術を伝え、今日に続く流派の発展につくした。
>>455続き
そもそも、戦後になって入門した人などが発会の原動力になっていて、戦前の人でも神戸氏などの古い人は絡んでいない。
戦後に入門した人などが、ご本人たちも強調している「サムライ厳長」に対して、名古屋柳生会を発足させましょう!なんて言えただろうか??厳長師時代からあるとすれば、厳長師抜きの自主練習会なんじゃないか??
厳長師が絡んでるとしても、東京の柳生会の方が先に思えるけどね。
「厳長師他界後」
ではなく、
「戦後の状況の中で」
尾張柳生存続のために名古屋柳生会を非公式にだが発足させた
とも受け取れるので、
どっちでもいいんだけどね。
>>457 神戸氏色々やってるのね。
色々やるのはいいが、そういう人が、
純粋な
「江戸時代からの、厳周師の」
新陰流になるとは思えんが…。
>>456,457
ありがとう。
それ自分も持っていたが、引越しに際して破棄してしまいました
463 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/06(火) 21:01:24 ID:reh6/2360
>>460 新陰流なんてのは、数ヶ月で相伝できる代物だろ。
教える気があれば、江戸時代からの、厳周伝の新陰流になるだろう。
独学延春伝じゃぁ見て覚えろしかいえねえだろうがな。
>新陰流なんてのは、数ヶ月で相伝できる代物だろ。
天才現る
全伝を数ヶ月?
付録の試合勢法だけで200本以上有るのに・・・
466 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/06(火) 22:13:45 ID:uPKF05tPO
まあ、次の型はなんだっけなと頭で考えてやることにはなるんだけどね。 仕事してたら、いくら稽古してもスラスラ考えないでたくさんの技を出来るようにならない。
試合勢法は、正直増やしすぎ。
先生にはいえないが、平時の武術専門家によく見られる性癖というか傾向、
暇に飽かした技法の細分化及びその分類・体系化、の現われだと思う。
もちろん、武術専門家として、長く弟子を手元に置く・早く免許を与えないための
カリキュラムの肥大化といった穿った見方から、
平時においては稽古しなきゃ殺されるという切迫性がないため、弟子が飽きて
一つの型を徹底的に分解したり変化の練習をしたりといった練りこみをしない
ことから、親切に一々わざわざ型として取り出して指し示したり、商い用に工夫した
といってもいいけど。
逆にそういう切迫性を知っていた軍人上がりの大坪の系統が表太刀を特に重視して、
試合勢法を練習せずその時間を表太刀の修練に集中しているのが対比として面白い。
>>467 わかります。
一つの勢法の応用として、示せばよいモノを
わざわざ一つの形にしているから、無駄に勢法が増えてしまっていますからね。
>>463 数ヶ月〜は置いといて
それだけ色々やってると、無意識の内に他の物が混入して、純粋な厳周師の教えそのものにはならないと思うが。
独学は論外だが。
470 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/07(水) 16:41:12 ID:+ZXLe/9PO
試合勢法の手数がなぜ多いかは作った本人が解説してる。
一見無駄な物でも意味が解れば技は飛躍する。
理解できない(やった事がない)人がいくら屁理屈言っても意味ないと思いますよ。
もう少し意味を考えましょう。
471 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/07(水) 17:06:24 ID:J7MLGjDb0
>一見無駄な物でも意味が解れば技は飛躍する。
数が多ければ、稽古してない事は明確だろ。
飛躍とかなんとかいってるが、稽古なんてしてねえよ。
そんな沢山、稽古なんて出来ねぇだろう。
そういうあんたも試合勢法の稽古を毎日やってるのかい?
「試合勢法」の目的を理解しろということだよ。
そのための試合勢法じゃないか。
473 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/07(水) 18:22:39 ID:91vSrrvMO
>>471 お前が時間なくて出来ないだけで、作られた当時は新陰に専念出来る前提で
作られたとは考えられないのか。
長岡桃嶺自身は、”博文約礼”要するに
広く色んな事を学んで、その中で本質を見極めて最終的には自分のものに
していくという事を説いて、試合勢法の意義を説明してるね。
まあ、現代では全てを網羅して稽古するのは難しいだろうけど、
それでも、八勢をベースに展開する大まかな部分の試合勢法くらいは
現代でも十分稽古は出来るだろうと思うし、
それに、長岡桃嶺自身、あくまで外伝として、創案した稽古案を
提案してるに過ぎないものだろうから、無理してやらなくちゃ
いけない訳じゃないと思うが・・・
まあ、全部覚える事はないだろうけどね。
だけど数が多いから深い稽古ができないと思うのは間違い。
試合勢法はわざと間口を広くしてあるし
あえて無駄な技も入れてある。
そして自由とは何か?懸待とは?転とは?中墨は?と、
常に新陰の本質のテーマへと向かい合うように構成されている。
数が多かろうが少なかろうが形がどうだろうが稽古は一つだよ。
形にとらわれる事を一番嫌っていたのが桃嶺先生だしな。
467だけど
>親切に一々わざわざ型として取り出して指し示したり、
>商い用に工夫したといってもいいけど。
商い用に→飽きないように
の誤変換です。
個人的には、試合勢法は、とり揚げ遣いほどではないけど、
あれ自体はどうでもいいちゃどうでもいいと思っています。
若いときにはああいうのも時間かけて体力を消費するもの
いいと思うし、バンバンやるのは楽しい。
また、学ぶ上での一応の参考にはなると思っています。
歴史的に見ても、戦国時代の上泉はどちらかというと、
技法を抽出・精選する方向性を打ち出していると思うが、
長岡桃嶺の時代、幕藩体制が確立し、社会構造が固定化した中で、
芸能が精緻化する、抽象的に「これはこう変化すればこうなる、
ああ変化すればこうなる」と一々分類していくのも、
社会情勢の変化に伴う変化で面白い。
ただ、こういう古武道とかいうと、継承されてきた技法を
「欠けることなく(一先ず)<継承する(習う)>」ことを
目的化する人がいて、習った技の多さを誇って、技を使えること、
稽古・工夫が軽視されそうで嫌ですが。
>>476 >長岡桃嶺の時代、幕藩体制が確立...
ごめん、これおかしいというより、大嘘だ。
確認したら、長岡房成生まれたのが宝暦12年1762年で、
死んだのが嘉永2年1849年。By太刀伝
厳周さんが生まれてから死んでるよ。<年表補完お願い。
478 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/07(水) 22:25:11 ID:J7MLGjDb0
おまいら武士の稽古時間の少なさを知ってるのか?
現代人みたいにのんびり稽古してる奴なんて誰もいねぇよ。
現代人でのんびり出来るのか金持ちとNEETくらいだ。
>>478 侍なんて殆ど城の中でうろうろしているだけだったのに?
武士道なんて、武士の存在を無理やり理由付けしてるとも言われとる
城勤と一口に言っても役方番士の区別はつけよう。
先手組など現在の機動隊レベル
稽古十分な武士は居た。
>現代人でのんびり出来るのか金持ちとNEETくらいだ。
極端な意見だがある意味正しい。
部屋住みで武道の達人は多い。
483 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/08(木) 02:07:25 ID:TLlW1+Mc0
>480 うろうろしてればいいのに。(お役目で忙しい)
好き好んで稽古するわけないだろう。
稽古の時間なんてなかったに等しい。
武士のやる気の無さを知らんのか?
教える方も、教わる方も、相当やる気ないぞ。
>482 勿論、機動隊のレベルの低さを知ってて書いてるんだよな。
484 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/08(木) 06:25:58 ID:KgNEFNWrO
>>483 国許か、江戸勤か、上士か、卒士か、幕府お抱えか、藩お抱えか。
大きく分けたって武士はこれくらいは分けられる。
なんでもかんでもいっしょくたにするんじゃないよ。
「春秋日記」読んでない口だな。
確かに御家人の中にはテキトーなヤツらも居ったろうよ。
日新館のカリキュラム見直して見ろよ。何人の武士が何の為に何回も落第したのか。
機動隊がレベル低いって?
たとえ竹刀でも0.8〜0.03秒の見切りが出来る人に口が裂けても言えんな。
武士にも色々あるからね。時代でも違うし立場でも違う。
元禄期に尾張藩の武士が書いた日記、「鸚鵡籠中記」によれば、
城勤めは月に10日程度。後はどうやって暇を潰すか苦労してたらしい。
釣りをやったり、色々武術を習ってみたり。賭け事も流行ってたそうな。
城勤めもしくじらない限りは酒を喰らいながらでもOKだったようだ。
その代わりしくじったら、最悪切腹、よくて閉門蟄居という極端な世界。
486 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/08(木) 16:59:48 ID:TLlW1+Mc0
>>機動隊がレベル低いって?
>>たとえ竹刀でも0.8〜0.03秒の見切りが出来る人に口が裂けても言えんな。
そんな見切り芸ができたって、勝てないのが現実。
試合にでれば、一発で証明できるだろ。
そもそも見切ろうとしてる時点で弱いんだよ。
0.0001の見切りになったって一緒だ。
皆は夢を見すぎ。
数年本気で稽古した農民に負けたのが、武士の実力。これが現実。
487 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/08(木) 17:05:05 ID:MFtVZ3tY0
>>482 >先手組など現在の機動隊レベル
大道塾や日本拳法に試合に出てくる機動隊員が
弱いとはとても思えないがなw
一般人は彼らには絶対勝てないw
>>486 0.03だと人間の神経伝達速度を超えた反応だな。
まぁ先読みして動くからそういう風に見えるだけ。
>>487 ああ、勝てないだろうね。御馬先は直属の精兵旗本だからな。
役目がら武芸に優れ、召し取りに向かうと拷問や狼藉を
平気で行ったので町人、百姓から恐れられていた。
>数年本気で稽古した農民
それは総代役の百姓の事か?
具体例を出してくれないと意味がわからない。
38口径リボルバーで立てこもったヤクザが、お偉いさんが自分の懐に
入れる為に水増し請求して造られた防弾(笑)チョッキを着た隊員を
殉職させたって程度のお粗末なレベルなのにえらく高い評価が
されてるんだね。
>>490 そういうあなたは拳銃の事を随分過小評価されておられる
>>491 38口径の銃弾が貫通するようでは警察官が使用する
防弾(笑)チョッキとして不十分なのは確かだ。
493 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/09(金) 05:08:51 ID:LM/muwAB0
>489 幕末は農民が戦場に参加してるだろ。
そして上級武士の実力は、農民以下だった。
そんなもんだ。
494 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/09(金) 07:18:20 ID:b0Ubmz2JO
>>493 一事が万事に扱うなよ。
そんなこと言ったら、
戦国時代の武将は弱かった。なぜなら明智光秀は農民に竹槍で刺されたから。
って言うようなもんだよ?
>>492 貫通してない。
チョッキ自体にあって無いだけ。
どこに貫通したというソースが?
>493
警視抜刀隊って知ってる?
農兵は人数が多くて近代武器を使う主力だったと言う話さ。
武士階級は絶対数が少なく現場では指揮に回るから個人で戦う機会が少ないしね。
>>494 「大坂城を建てたのは?」
「大工さん!」
みたいな話だな
498 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/10(土) 18:04:23 ID:+4aR2mew0
>496 抜刀態の実態を知ってるのか?
たいした活躍も出来なかった、時代錯誤の集まりだろ。
大工!と言えば、造った物が普通は分かるんだ。
無知の奴には、分からんだろうが・・・
499 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/10(土) 18:20:49 ID:XnsZQ/eX0
現代軍でもゲリラ戦部隊は有るね。
コマンド部隊はふつうにゲリラ戦だと思うが?
大坪先生は名前がしばしば出てくるけどネットで探しても人物像が分からない。
誰か詳しい経歴知っていますか?
下の記事は読んだことがないのですが、この号に詳しく経歴載っていますか?
ttp://www.geocities.jp/nihonden/report.html 日本伝三大技法と合気の階梯 (月刊秘伝 連載終了)
「平成18年8月号」(7月14日発売)
特別編 菅沢恒元師 自らの師を語る −
我が合気の源流、そして武の道統「合気の階梯」が7月号にて終結を
迎えた。菅沢師範の想いは、師より自分の中に伝え遺された”合気の階梯”
を書として遺したい、という事にあったという。
今回は連載の総決算として、菅沢師範にとっての師にあたる鶴山晃瑞師範、
そして柳生新陰流の大坪指方師範の武術、人物像を繙き、今を偽らしめて
いる”武の道統”を探ってみたい。
>>504 その情報知りません。
ただ、古武道振興会などの初期のパンフレットの写真を剣道の歴史についての本か「日本の武道」かで見たことがある。
そこには大坪元治が下條などと一緒に演武者として名前が挙がっていました。
関係ないが、「日本の古武道」の貫流の項を見ると神戸さんは、
本来の後継者である師匠のご子息が早くお亡くなりになったため、
宗家として登録したとの記事を見て、尾張貫流の宗家が二人いる…
という話の由来を見た気がしました。
また、春風館の資料でよく見る大太刀は新陰は新陰でも貫流経由の
疋田系列のものと書いてあったので、他のところでも明示してよと笑った。
まるで柳生の大太刀が春風館にだけ残っているといった印象を赤羽根『新陰流…』
をよんで受けていたのでw
広島ってなんでまだやってんの?
馬鹿弟子の誕生をリアルタイムで見ているということか・・・
>>505 >春風館の資料でよく見る大太刀は新陰は新陰でも貫流経由の
>疋田系列のもの
これは嘘だよねw
春風館のは大太刀で柳生の燕飛やってるだけだよねw
疋田はまだ残ってるけど全然違うもんね。
ところでさる人から聞いた話だと、大坪さんが入門した時に指導していたのは先代の渡辺さんだったそうだよ。
それもあって転会にはよく遊びにきていたらしい。
>>507 九州の疋田のワザは、伝書も型も愛洲陰流まんまだな。
柳生のとは全然違う。
509 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/24(土) 10:53:43 ID:1ya8lu1w0
age
ぼんくら宗家は剣道家が入門するのを取材でいちいち説明しておりました。
だから剣道のような技になるんですよwww。
511 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/24(土) 14:19:43 ID:YqtqyQ4/0
>伝書も型も愛洲陰流まんまだな
お前、愛洲陰流見たことあるのかよ?
どこで誰の演武を見たんだ?
>>511あー、書き方が悪かった。
愛洲と疋田の伝書は一緒。
疋田の伝書と柳生の伝書は違う。
疋田の絵目録と、疋田の型は、門外漢が見ても一致するから、愛洲陰流と疋田陰流は
ほぼ同じだろうと思う。こっちは私見。
その疋田の絵目録ってのは疋田豊五郎自身が残したものなの?
いや、オレが見たのは上野伝。
綺麗な絵目録と、棒人間のやつ。
型の方は熊本のやつ。
槍の伝書(写)は、確か鳥取か島根の奴
>510
急にどうされました?良いじゃん剣道家w
彼らは苦労するだろうけどいいことだと思いますよ。
>512
某図書館所蔵の愛洲伝書類(新當流云々の表題含む)は見たこと無いのですが、
あなたの見た愛洲流伝書はどのようのものですか?途中で疋田が入らないやつですよね?
新陰流と愛洲陰流は当然一致しないと思います。
なので疋田系と愛洲陰流の伝書は一致しないと思うのですが、どうなんでしょうね。
トンボ絵伝書の猿飛なんかは柳生の燕飛の内容を知っていれば
絵目録としては一致しているのが解るですが、今の伝承では
絵目録とは一致しているが柳生のものとは違うのですね。
実に興味深いです。機会が有ればぜひ見に行きたいものです。
>ところでさる人から聞いた話だと、大坪さんが入門した時に
>指導していたのは先代の渡辺さんだったそうだよ。
>それもあって転会にはよく遊びにきていたらしい。
大坪先生と渡辺先生は12歳ほど渡辺先生が年長で、実質的
入門時期は大坪先生の方が早いが、門人帖ではたぶん渡辺先生
が先。
頭の出来具合(年齢)や他流でのキャリア的にも渡辺先生の
方が成長早いはずだから、渡辺先生が稽古をつけるという形
は確かに自然ですね。
渡辺先生はかわいい弟分、大坪先生からは頼れる兄貴分として
仲良くやっていたのでしょうね。
年齢という事で年表を見ていたのですが。大坪の控宗家、
話の真偽はともかく年齢的には厳長神戸渡辺は3歳しか
違わないから、年齢的にもしものときの控え・世話役というと、
このメンバーでは大坪しかいないんだね。
控宗家依頼されたという時点で、大坪46で神戸渡辺58、厳長定年退職w
の60+1。みんな同じ年齢で死ぬとしたら、神戸渡辺は直ぐ死んじゃう。
逆に延春を見ると大坪より13ほど年少で、延春33でちょっとまだ若いし
いわれるように延春の修行が完成していないならば、延春の修行が完成
するまでの数年から10年程度「つなぎ」として大坪は実に都合がいい。
う〜ん、こうやって年表見ていくと意外と控宗家というのは
本当にあったのかも…
本当にあって書面があるなら柳生会とかが子孫の方なりから借りてきて
公開してくてもらいたね。
>>512, 512
俺は天正年間に発行された愛洲陰流の絵目録(国立博物館蔵)と、慶長年間に疋田豊五郎が発行した絵目録両方見た事あるけど一緒ではないぞ。
ただ柳生の伝書に比べると、疋田の方が愛洲陰流に近いのは確かかも。
>>516 >大坪さんが入門した時に指導していたのは先代の渡辺さんだった
これちょっと言葉足らずだった。
渡辺さんは当時少年部の指導をしていたそうです。
>>517 そういわれてみると確かにそうかも。
やはり文章に残しておくというのは大事だなぁ。
>>518 どこの国立図書館か教えてくださいますか?
近くにいく機会があれば見に行きたい。
神戸渡辺下条ならどちらも直接の厳周、厳長門下だから
後見役はありうると思うが
大坪さんは下条先生個人の弟子なので
柳生家門下からは離れている感じもするな。
>>520 大坪さんは金持ってたみたいだから多分スポンサー的な存在になってたんじゃないかな?
それでそういう話があったのかもしれないけど、結局証拠が何も無いからねぇ。
>>520 個人弟子というのがどの程度の意味・ニュアンスか分かりませんが、
大坪さんは、入門碧榕館・厳周で免許厳長だから立派な柳生家門下でしょ。
途中で確かに下條の檪山館に身を寄せたようだが、檪山館は金剛館が
閉鎖された翌年開館。金剛館門下生の引き受け先として、一門の長老的
人物+社会的地位・軍の人脈を持った下条が作ったと考えるのが自然。
そもそも、よく下条と厳長が仲悪いとの「風評」も本当かどうか怪しいし、
下条の弟子であるということを柳生家門下から離れたとイコールで
結べるのか再考が必要じゃないか?
仮に仲が悪いのが本当でも、大坪は立場的に下条と対立できないこと
ぐら厳長も分かっていたでしょ。
下条は自分も軍の佐官で結構な地位にいるし、合気道とかの武道絡みで
明らかなお友達は竹下勇など大将閣下など。軍人の大坪がその派閥に
睨まれたらやばいのは明らか。
>>523 新陰流絡みではなく、お寺のホームページだからね。多少の誤解や、文章中の誤りはあるだろうね。
それだけのことなんじゃない?
厳長師と下条氏が喧嘩別れして、その後大坪氏は下条氏に付いて教わったとしても、大坪氏本人が厳長師と関係が悪くなければ、柳生一門として大坪氏と厳長師は関係を続けていたんじゃないかな?下条氏は破門されたわけでもないだろうし。
結局その後、厳長師と大坪氏との関係も、縁が切れたようになったみたいだけど。
>>524 >厳長師と下条氏が喧嘩別れして、
そこがそもそも事実かも>523は聞きたいのではないか。
俺はちなみに聞いたことがない。
読んだことがあるのは、ここと名前が出ている記事なら赤羽根くらいかな?
厳長さんと下条さんが仲悪かったとか、厳長さんと神戸さんが仲悪かった話って良く出てくるけど、結局ソースはどこなんだろうね?
ちなみに厳長さんと神戸さんが演武してる写真持ってるよ。
流れ無視で質問だけれど。
新陰流には柳生の新米宗家以外に宗家いないの?
別に柳生家が独占って訳じゃないんだろ?
意味不明なネタはスルーだな。
どこかに柳生家のものより確かな流祖直伝の伝書と、それに基づいた業を
伝承してる人がいるのなら、その人が宗家かもな。
>>528 >>529 あれ?
新陰流の人的には新陰流の宗家は柳生家だけ?
上泉伊勢守の高弟って柳生だけじゃなかったと
思ったんだが。
明治以降の武術だけど、大東流でもいくつも流派が
できてるのに新陰流は柳生一本だけなの?
過去ログを読むこともしないのか。
柳生家の新陰流は柳生が宗家。
それだけの話。
いや、柳生会のHPでは尾張徳川も新陰流宗家(?)になってる。
将軍指南の江戸柳生では
優秀な弟子なら柳生の名を与えたり
あるいは別流名を与えたりしているね。
当時の主従関係での宗家は柳生家の御当主が
世襲でなっていたというだけの話だろう。
江戸時代の上泉家は新陰流の宗家とは言ってないし。
よく言われているように、上泉は「柳生流」と称して結構ですと
いわれた。これが上泉流(仮称)ではなく柳生流の新陰流(柳生新陰)
なのか、新陰流ではなく柳生流なのかは分かりませんが、正式には
あくまでも柳生家は石舟斎の新陰流の家元で、広義の疋田丸目小笠原など
まで含む新陰流全体の家元ではない。これはみんなの認めるところ。
ただ、宗矩公が将軍家指南と諸大名も取り締まる惣目付(大目付)として
生前没後余りにもネームバリューが高かく、また弟子を諸大名の指南家と
して送り込んだため新陰流といえば柳生流、柳生新陰流=新陰流との評価
が世に広まっただけ。柳生家が新陰全体の宗家・家元であったことはない。
尾張柳生家は明治以降、江戸柳生家及び旧柳生藩士の使い手が諸事情
兵法から撤退したことから、そのネームバリューに「俺様が正統として」
のっかているだけ。ある意味ね。
尾張徳川については、初代尾張公などの気質や徳川宗家への微妙な妬心
(自分の上にいる徳川宗家の学ぶ剣の正統な後継者は自分と思うのは
気持ちがいいだろうね)から相伝を望んだといった事情もあるかも
しれないが、交互に相伝皆伝を出し合うことを伝統としたのは、
尾張柳生家の兵法家としての卓見だろ。
初代以降「伝統」として交互に尾張公自体を相伝者としたのは、
封建制特有の先例維持・伝統主義もあろうが、尾張柳生としては、
柳生新陰ひいては尾張柳生家自体を尾張徳川家と結びつけて、
切られる(他の師範家と入れ替えられる)ことを防止する策と思うよ。
尾張柳生の伝える新陰は、尾張徳川家の権威の源、家康より終わりを
授けられた初代尾張公や代々の尾張公が師として尾張柳生家に伝えた
ものであるから、それに対する批判は師匠である尾張公への批判に
なると押さえつける事ができるから。
大会などでは世間の認識に合わせて柳生の名を冠することもしているが、
柳生内部では、柳生新陰流と称さずに、新陰流とのみ称して伝えてきたし、
自らも正式名称は新陰流であるとしている。
それでいいんじゃないの。他の新陰流系統は自ら名乗りを変えてしまってるわけだし、
新陰流の正統と称しても誰も文句言えないだろ。三学、九箇、燕飛を他では伝えてないのだから。
>>534 猿飛目録に関しては、柳生も微妙じゃね。
テレコになってるし。
>>534 熊本の疋田も新陰流としか言ってなかったよ。
燕飛に関しては本当はあきらかに、石舟斎が七太刀の一緒に削除したよね。
截相目録に記載されてないし、何より後世、連也斎と如流斎が上泉孫四郎から
学び直してる事からも明らか。
ホームページの柳生耕一師範プロフィールに、元は渡辺忠敏師の弟子だった事は書いてないんだね。
>537
小転も奪刀法も削除したんですね、わかります!
>538
事実じゃないからじゃね?
Y会は宗家。M会は師範家。みたいにお互い認めたらええやんけ。
>>537 その論法は無理がある。その論法ならば江戸柳生は習いに行っていないから、ない筈。
という事になる。
ただ、↓こういう説もあるのは確か。
「林先生は、『柳生新陰流』を、大坪指方という方から直々に習ったのだそうで、
この方は、そちらの方面では大変に高名な方なのだそうで、当時の稽古風景が、
ビデオで撮影されています。 (^_^)v
その中で大坪氏が語っていますが何でも、本当は技の数も『7つ』あった
のだそうです。
しかし、呼吸の方が、たいへんに辛い事から、技の数を一つ減らして、
この組手は現在の形になったのですって。」
ttp://hawayu.net/hawayu/hawayu_50.html
>>540 いや事実だよ。
なんせ一緒にやってた人から聞いたんだからw
そもそも当時は双方仲良かった訳だしw
渡辺忠敏師が亡くなってから柳生会行ったみたいだよ。
>>538,540,543
一緒にに転会が用意した練習場で練習した。
そこで世話役であったり、事実上、師範の代わり、厳長の師範代
として渡辺が指導していた。
という事はあるだろうが、それと渡辺の「弟子」であったかは別の問題。
渡辺が自分の門人帖に署名させたり、自分に起証文を入れさせたりして
いたのならば別ですが、そうではない限り、普通は弟子とは言わない。
耕一氏は転会に入会して新陰流を始めた人だから、当然その時には厳長先生は他界後だし、転会に入門したわけだから弟子で間違いないでしょう。
だからといって、そんなことをプロフィールには載せないでしょう。
忠敏師他界後も、しばらくは転会にいたみたいだよ。
別に隠す事でもないのにねぇ・・
たぶん東京に住んでて、厳長が死んで転会できたとき耕一が15-17ぐらい
だから、お母ちゃんとしては、他に習わせるところもないし、
「お兄ちゃんの弟子の忠敏さん、ちょっと手ほどきしてね。
(家の息子の指南役を命ずるわ、光栄に思いなさい!W)」「御意!!」
「耕一さん、昔だったら元服よ。柳生の血を引いているのだから、
しっかり習いなさい!」
ってな感じだったのかもね。
まあ一々書くほどのことでもないのは確かだね。
でも、耕一さんはいつぐらいから学んだのかね?
時代的にご両親も学ばれている可能性もあるから、
その辺の修行暦は興味がある。
548 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/31(土) 00:17:59 ID:EihBZalE0
耕一氏がM会に入門して新陰流を始めたのは、S46年。
これは本人も言ってるから、間違いなし。但しM会入門とは言ってないようだね。
延春の講道に出て、M会の稽古に出てたようだ。
延春もM会の稽古に参加している。
つまり、延春は教えられるレベルに至っていなかったのである。
野球に明け暮れていたから。しかし定年間近となり、新陰で食って生きたくなったそうだ。
転会の人って、そこまで必死になる理由ってなんなのだろう。
550 :
名無しさん@一本勝ち:2009/01/31(土) 00:26:48 ID:09re0sOK0
貫流の少年部の練習では
防具をつけて竹刀で雷刀をやってるね。
>延春もM会の稽古に参加している。
>つまり、延春は教えられるレベルに至っていなかったのである。
「つまり」で繋がらないでしょ…論理が飛躍しすぎだよ。
わざわざ名古屋から東京に出てきたんだから、東京にいる新陰流の門人
と稽古して帰るのは当然でしょ…。
どうして、そこまで自分らのグループや柳生家そして新陰流の品位を
貶めたいのかね。
相伝を受けているならばきにせず春風館みたいに堂々と「世」を
名乗ればいいだけだろうに…。
>542
林って林邦史郎かよw
このHP意外で燕飛は呼吸3回なんて聞いた事無いんだけど。
気合は3箇所でかけるから、それまで一息でやってたら続くわけ無いんだけどね?
大坪氏の研究が長岡先生より優れているとは思えないし。
影目録や柳生神秘抄その他、柳生の燕飛が目録、解説等書かれている資料は
尾張系、江戸系両方でそれなりにあるんだけど、7本は見たこと無いよ。
ビデオで言ってるそうだから、根拠となる発言はあるんだろうが、
内容自体はこのHPの奴の勘違いじゃね?
浦波をうらはって読む奴だからね。
>548
忠敏さんが生きてる間は今言うほどの垣根がなかったのでしょう。
で、講道はするのに教えられないって、何のジョークですか?
>>547 江戸時代か明治ならまだしも、昭和だからねぇ。血の繋がりがあればみんなが稽古するというわけではないでしょうね。
しかも血の繋がりがあるとはいえ、女系でしょ?名字も違うし。
たしか耕一氏は石舟斎の血を引いてるのを知ったのは大きくなってからで、東京で新陰流をやってる会があるから始めた。と、だいぶ以前雑誌に載ってたな。
>>548の「つまり」はたしかにおかしい。
>>551 春風館のあれは、どう考えてもおかしいと思うよ。
代は代、世は世で別物でしょ。
それを無理矢理くっつけてるだけとしか。
>>553 確かに昭和だけど、あの「柳生」さんだからね(笑
戦前教育受けた世代は自分らと世界観がちがいそう(笑
柳生と女性だけど、赤羽根かなんかが柳生家の女性の剣士が
いるとどっかで書いていたので、たしなむ程度はしていた可能性がある。
557 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/03(火) 12:21:28 ID:CPGwadCN0
ここは新陰オタの巣窟でつか?
558 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/03(火) 12:32:43 ID:9dtVVglc0
伊賀柳生ってないの?
>>557 当たり前すぎて答える気にもならんでござるよ!
560 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/03(火) 13:45:54 ID:ZlD+F1kc0
転ばし会って、何であんなにたくさんポンポン支部ができるの?
>>560 金儲けしてることと関係あるんじゃない?
古参がいない事と関係あるのか?
>>557 最近のお題は、
「先生には表立って聞けない明治以降、特に第二次世界大戦後における
柳生新陰流の拡大と分裂の経緯、及び、21世紀の新陰流の道統のあり方」
ですW
564 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/04(水) 19:34:06 ID:XaWkckOt0
「新陰流六十年回顧録」渡辺忠成著
これを読めば全てがわかる。
たー坊は宗主とか言っちゃってるのが・・・
>>564 転会以外の人でも買えますか。
高山、転会、アマゾンでも書名自体ヒットしないし
ぐぐっても、下の情報は紀伊国屋、boople.comででるが、
入手不可になっているのですが。
渡辺忠成(1941ー)
出版社:シンカゲリユウヘイホウマロバシカイ
判型:B6 発行年月:2008年11月
価格:3,675円(税込)
>>565 その名称、尊称は、余りにもイタイので…
一応同門のよしみで見えない振りしようよ…恥ずかしいし…
宗家という古武道振興会などで使用されている用語
についてもちょっと勉強した一般修行者やときには宗家自身が、
歴史的裏付けない、ほとんどのと宗家は唯の道場主だろと批判
というか、ちょっと勘違い違いというか良くない名称だなって
視線向けられているのにね…
567 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/04(水) 23:48:09 ID:fu9LTSiNO
高山にあるよ。
証言者は皆冥界。
我が夜の春を謳歌してますうー。
宗家と名乗れない人の自称
宗師、宗範、宗主
いっそのこと、宗帝、宗王、宗皇、宗将とか名乗った方が気宇壮大で楽しいと思うんだが
そもそも武術で宗家って無かったしなw
>>568 新陰流では、「正伝 新陰流」でも「代々の宗師」等、「宗師」という単語を使ってて、むしろ「宗家」の方が変かもしれないよ。実質的な意味ではわかるけど。
実際に尾張徳川家と尾張柳生家で相伝してきたわけだし。
まあ、本当の宗家は上泉家になるんだろうけど
柳生家は尾張徳川家と交互に家元役をやってるから
御家流としての宗家みたいなもんだろ。
それとは別に師範家、師家がある。尾張だと補佐家だな。
渡辺さんや神戸さん、下条さんはこれにあたると思う。
江戸柳生だと木村、大野、村田だな。
当時は柳生の名前をもらったり流名をもらったらしい。
上泉伊勢守の時代には宗家なんてものはなかっただろうね。
石舟斎以降、柳生家の柳生流になって、さらに江戸時代になって柳生流の「宗家」って感じになったんだろうね。
だけど上泉伊勢守から続く新陰流の道統は尾張徳川家と交互に相伝したりしてたから、世と代で区別してたんだろうね。
>>571 宗家についてはそんな感じだろうけど、長岡家のような「補佐家」と、単なる高弟とは、また別物だと思うよ。長岡家って親戚でしょ?
ほぼ宗家の代わりを務めるぐらいの格というか、よほどの信用が無い限り、補佐家には当たらないと思う。少なくとも尾張は。
制剛流の長岡家は柳生の名はもらったけど血縁なのか?
大野や村田も柳生の名は貰ってるがどうなんだ?
房吉は厳春の兄弟じゃなかったっけ??
それと、だいぶ前のレスにある名古屋柳生会の結成時期は、非公式にだけど厳長師生前でしょ?だけど東京の方が「柳生会」は先なんじゃないかね??
名古屋は公に「柳生会」として結成したとかじゃないから、いつだかよくわからないみたいな理由なんじゃないかな??戦後なのは確実だろうけど。
厳長師時代、東京がメインだったのは間違いなさそうだよね。
過去の話題持ち出してすいません。
576 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/06(金) 22:55:26 ID:2fhAVKHM0
>>575 柳生会と称していたか、わざわざ発足会見たいのを開いて開催していたか
は不明ですが、厳長及び柳生門下の稽古会、練習会という意味では、
名古屋の方が先ではないでしょうか。
東京柳生会の発足は戦後10年後なので、GHQの武道禁止令があったとは
いえ名古屋にいた厳長が稽古していないとは思えないので。
577 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/06(金) 23:06:02 ID:2fhAVKHM0
厳長1891-1967で、1913-22ぐらいまで宮内庁済寧館世話係の厳周
の補助と碧榕館指導で約10年東京で活動。1928-1930まで金剛館と
近衛師団の師範でそのご看護のため名古屋。1955-66ごろまで
東京柳生会。
で、東京での活動は併せて23年ぐらいだし、東京柳生会
については、通いっぽいので、東京で暮らしているのは13,4年
程度ではない?
78歳まで生きているので遅めに20から現役と見ても半分に満たない。
客観的にはメインとはいえないのでないかな。
>>576 はい。そういう意味では、名古屋の方が先だと思います。
「柳生会」としては、名古屋が曖昧な感じがあるので、どちらか分からないですが、正式な「柳生会」としてなら、やはり東京が先なのではないかと思います。
当時の東京の柳生会は伝書等を勉強する会だったそうだよ。
稽古は故渡辺氏のところでやってたみたい。
ただ当時はまだ転会とは言ってなかったんじゃないかな?
ちなみにター坊は当時厳長さんマンセーで親父の言う事はあまり聞かなかったらしいねw
>>575 史料柳生新陰流の家系図で確認したよ。
房吉は厳春の兄弟で、その子の厳光のときに、
柳生姓に復帰しています。
房義(台湾銀行総裁)東京牛込若松町に碧榕館建立←は厳光の孫
>>577 1923-1927は東京にいなかったんだっけ??
たしか厳長さんが道統を継承したのは32歳だから、ちょうどこの時期だよね。その頃も東京にいたんじゃない?
そうすると、東京での活動年数はもうちょっと増えると思うけど。
名古屋に戻ってから、東京の柳生会開始までの間には第二次大戦もあるし、東京で活動してた頃の門弟たちも東京の柳生会には参加してるから、東京メインでもおかしくないんじゃない?
たしかに月1回の通いだけど、名古屋はその頃にはもう、かつての人たちがほとんどいなくなってるでしょ(神戸氏等)。
>>579 ソースを知りたい
>>581 >ソースを知りたい
故渡辺氏の弟子だった人に聞きました。
>>580 自分で書いといてなんなのですが、長岡家はもともと伊勢国の出らしい…。
房吉てのは、長岡家に養子に入ったのか、長岡姓なだけで別の長岡家なのか…。
いずれにしても、後に柳生姓に戻ってるね。長岡家は房吉より前からあるしね。
>>582 弟子なんていたのかな?てことは元M会会員てこと?
それなら厳長師時代のことは、話で聞くことはあっても、実際には見ていないということになるし、何よりも、厳長師生前のまだM会が無い時期に、「故渡辺氏のところ」などという所があるのかね??
渡辺氏は、下条氏のように別れてやってたわけじゃなく厳長師の補佐役でしょ?
>>577 『正伝 新陰流』によると、厳周の看病のために名古屋に帰るまでの在京の道業は18ヶ年とのことで、やはりその間はずっと東京に住んでたみたいだよ。
>>585 じゃあ、元M会会員の、Y会会員が言ってるの?(笑)
耕一氏の新陰流の稽古開始はM会でしょ。
>583に補足。長岡家は、詳細はイマイチ分からないらしい。子孫もいないみたいだし。
てことは、房吉って人は何だろう??
>>583 長岡桃嶺が生まれる前、長岡家に子がいないので弟の房吉が養子に出され、
その後、桃嶺が生まれたので柳生姓にもどったんです。
あ、M会に入会して新陰流を始めて、ほんの短期間だけ忠敏さんに教わって、忠敏さん他界後も長年M会にいたにも関わらず、自分は忠敏さんの弟子だみたいなこと言ってる人もいるみたいだよね。
この世界はそういう人多そうだよね。
>>581,584
道眼では、碧榕館の移転時期が不明なのですが、碧榕館の移転=金剛館建設
でよかったのですかね? これならばミッシングはないのですが。
<ご存知の方いらっしゃいますか?
あと年表訂正を一件
1913(T02) ...房義(台湾銀行総裁)東京牛込若松町に碧榕館建立
これですが、以下に修正よろしくお願いします
房義・一義(台湾銀行総裁)親子が東京牛込若松町に碧榕館建立。
591 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 15:34:05 ID:GoJq+Mez0
「新陰流60年回顧録」渡辺忠成著より
「新陰流では代々後継者となる者に対するエリート教育として「燕飛」から学習することになっていた。しかし延春氏は参学の取り上げ使いから学習を始めたと雑誌で語っていたので、エリート教育はされなかったようだ。」
592 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 15:41:19 ID:GoJq+Mez0
「私の最初の稽古が燕飛であったところをみると、エリート教育を受けた最後の人物ということになる」
593 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 15:57:54 ID:GoJq+Mez0
「延春氏は自分の伝習していないかたや勢法については彼等(剣道家)に相談し、捏造していった。・・・その捏造したものは全て剣道以下のものになっている」
594 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 16:09:13 ID:GoJq+Mez0
「流名呼称にしても「柳生新陰流」とし、あくまで流名が「新陰流」であることにこだわり、「『柳生新陰流』という流儀はありません」と言っていた厳長先生の教えに全く反した行動をとっている。これでは・・・祖先に対しても大なる冒涜を成したと言えよう」
>>594 延春さんの著書に柳生新陰流は俗称って書いてあるじゃん。
596 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 16:17:16 ID:GoJq+Mez0
「延春氏は、二十一世を自称した時から仮面の人生を歩き出したようである。仮面の人生の中、耕一氏を養子とし、柳生新陰流二十二世を名乗らせ、肩の荷をおろした気分で他界されたのであろうが、柳生新陰流をして世人を、又、門人達を欺いた罪は重い。」
597 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 16:24:30 ID:GoJq+Mez0
「柳生延春氏の大変困った癖は、己を権威付けるために、他者を悪く言う(偽りをいう)ことであった」
>>595 俗称でも、厳長先生はその俗称を大変嫌っていたという意味なんだろうな。
>>597 引用多すぎ。
そんな部分より、「神話時代」の方が面白いじゃん。
>>598 ていうか、厳長さんの正伝新陰流にも、その俗称についての件が書いてあるじゃん。
使い分けてるってさ。
>>600 だから自分達でそう名乗っちゃいかんということなんじゃないの??
柳生新陰流という呼称で呼ばれる事がけっこう浸透しちゃってるけど、
例えていえば、大山極真流とか植芝合気道 とかって言うのと同じくらい
違和感ある呼び方ではあるんだよね。 誰もそんな呼び方しないからね。
伊勢守の新陰流の道統の、正統な後継者は柳生(石舟斎)であり、柳生新陰流としてしまうと、他の伊勢守の門弟から出た流派や、その分流などと同格になってしまうから。
というのもあるんだろうね。
>>590 移転したんだっけ??
若松町の後はどこ??
金剛館は同じ場所だよね?
>>601 そうじゃないよ。
世の中、第三者が小説やらで柳生新陰流という名称が広まってるから、新陰流と
言ってもピンと来ない人たちが居る。
だから、俗称として柳生新陰流と名乗ることがあるってことでしょ。
>>603 でも正当だと言ってるので柳生だけだよね?
戦前の疋田系の和田師範のインタビューで、自分の流派名はあくまで新陰流だということを強調してたな。
>>606 だからこそ、>603のようになるんじゃない?
>>605 やむを得ずってことでしょ?だから肩書きや著書名ではあくまでも「新陰流」としてるんじゃない?
>>593 まぁ剣道家が剣術や柔道家が古流柔術というパターンたまにあるけどまずダメだよね。
剣道や柔道が悪いって言ってるんじゃなくて、着ている物が似ているだけでやってる事が全く違うという事が、現代武道やってる人にはあまり分からないみたいで。
しかもなぜか剣道柔道の理屈でやろうとする。
ていうか、今の柳生会にもの申したいなら2ちゃんではなく、正式に申し込めばいいんじゃないの?
裁判なり起こせばいいんだよ。
匿名だからって妄想交えて中傷と取られたら、ややこしいことになるよ。
>>604 碧榕館の移転→建物が鎌倉円覚寺に贈与
どうもその後同処に金剛館が建造されたようです。
念のため道眼の該当箇所を引用すると
「大正11年5月、厳周は77歳にて退隠し、金治厳長に道統を譲った。
『碧榕館』は鎌倉円覚寺に寄贈され、現在も居士林として遣っている。
昭和3年、厳長は東京の同処に私財を投じて新たに『金剛館』を建設し
道業を続けた。」(19ページ)こんな感じ。
寄贈のところについては厳周引退を機にしたのか(T11)、
S3直前なのか分かりません。
>>591 それツリのために創作ではなく、マジ渡辺「新陰流60年回顧録」引用ですか。
マジならば渡辺先生は、内容の正誤を検証しよう云々に入る前に、正気を保っ
ているのか疑問を覚えるのですが、全うな人間の書く事ではないでしょ。
もっと客観的に書かないと、ただ死んだ人を貶める怪文書にしか見えない。
弟子連中も校正を入れているだろうに、道着に着替えるときついでに
社会常識も脱いじゃう人たちですか??
そんな内容を、文書で残すなんて、脳味噌大丈夫なのかな、
すげえ不安になっちゃう……
確かに
>>591が創作釣り針じゃなかったらター坊正気失ってるよねw
図書館で予約して読んでみよう。
>>612 ありがとう。
経営を柳生基夫氏から厳長さんが引き継いで、その後金剛館に変わったてのは見たのおぼえてるんだけど。
>>597 せっかくだから、597の続きも引用してみたら??
616 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/07(土) 23:52:38 ID:Sl/93M8TO
後は購入してくだされ。
>>600 「正伝・新陰流」にそんな記載あったっけ?
618 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/08(日) 00:36:32 ID:5UFchjMe0
>>609 あんた、素人のようだが、
608の言うことは正しいよ。
流れを読んでないと、
>>618みたいに勘違い発言が出る。
>618
そうかね?私が見た所はきちんと区別してやってることが多いが。
609の意図は知らないが、
ただぽんの学芸会の芝居みたいな演武がいいなら何にも言わんさ。
>591-592
あくまで引用に対して言わせて貰うが、
古武道のエリート教育なんてものがあるんだろうか?
最初に習う時点ではそいつがどこまでやるかなんてわかりゃしないじゃ無いか。
長岡先生当時の「古法」でも、一番最初に習うわけじゃないようだが。
まあ取り上げの時点で教習するようだから似たようなものだが、
それはつまり入門したら誰でもそうなのであって、エリート教育とは言えんだろう。
>593
こう言うこと書いてるのはなんだろう、剣道を格別に蔑視する理由があるんだろうか。
ただポンの弟子にも剣道家いるだろう?昔雑誌でもうすぐ皆伝です〜なんてのを読んだ気がするが、
そういう連中は誰も気にしないのかね。
まぁでも道着が似てるだけで、剣道と新陰流はまったくの別物だよ。
え?誰かが同じものだとか言ってるの?
引用
「東京柳生会が最初は講義だけといった感じで合気道養神館をお借りした。
やがて転会会員も参加するようになり、大道場を借りて稽古をするようになった。
この稽古がしばしば予定時間を大きく超えてしまうので、集合した合気道の門下生が柳生会の稽古終了を待つことになる。当然塩田剛三館長も待ちながら見学することになる。
これを延春氏は、合気道に歴史がないから、塩田館長も興味深く見ていたなどと臆面もなく門人に語るのだった。」
引用
「柳生会へ入会していた一木豊氏は、当時合気会の理事をしていた関係で、延春氏の合気道に対する悪口には大変閉口して、晩年の植芝吉祥丸氏に会ってもらうことによって、延春氏の口を封じたと聞いている。」
引用
「私の父親が、厳長先生の墓参に延春氏宅を訪問した時のことを、渡辺は泣いてわびに来たなどと門人達に話したという。
また、平成元年十月十五日に、塚原卜伝生誕五百年祭があり、招待を受け転会も参加した。演武大会に先立ち、演武参加者一同が鹿島神宮に昇殿参拝した時、鹿島新当流の方から私に演武者代表で玉串奉テンをと言われた。
隣に柳生延春氏が居たので、柳生の当主が見えているがと言うと、鹿島新当流の方は、招きもしないのに勝手に来たのだからと取り合わない。
やむを得ず私が代表として玉串奉テンを行い、演武大会でも先に演武を行った。」(続く)
引用続き
「すると柳生会は、先に演武した新陰流は分家筋です、本家本元の演武を見て下さいと、司会にアナウンスさせた。
こういうことは、名古屋の熱田神宮での古武道大会でも、新陰流洗心会の演武に対し、新陰流には居合はありません(そのこと自体は本当であったが)といつもアナウンスさせていたと聞いていたから、私は又かと思って聞き流した。
しかし、これが新当流の方を怒らせてしまった。勝手な越権行為であると。」
仮に本当の事だとしても、本人も他界してるのにあまり
言わない方がいい事もあるよね・・・・ マジでこんな事書いてんの?
引用
「昭和四十五年七月から昭和四十八年十月までの間の、中野区立体育館で稽古を続けた期間を、古い会員の人達は、転会の「神話時代」と言っていた。
(略)
中野区立体育館での稽古開始の昭和四十五年七月に期せずして起こった騒動が、柳生延春氏による渡辺父子破門騒ぎであった。
(略)
父親は、延春氏の母親に破門状が届いた旨手紙を書いた。これを知った初音様(※延春氏の母親、厳長師の奥様)は激怒され、「破門を取り消さなければ親子の縁を切る」とまで延春氏にせまり、破門取り消しと共に丁重な詫び状を寄せられた。
同時に延春氏からも取り消しの手紙が届いた。」
引用
「一件落着と思っていると、驚いたことに柳生会幹事の、古田常二氏より、弁明のために出頭せよと言ってきた。
古田氏は、厳長先生時代より柳生会幹事を勤め、合気道養神会常務理事として柳生会の会場等のお世話にもなっていた。
しかし一門の人間ではなく、今回のような問題には、無関係の立場にあるはずだった。
仕方なく、翌八月の新柳生会例会の前に時間を都合して話し合うことになった。
(略)
合気道養神館の会議室で行われた話し合いは、約一時間に及んだ。
出席者は、柳生延春氏、古田常二氏、父親、私及び父親の道友林一也氏の五名。
(略)
延春氏は「私の知らないところで活動されては、私の立場がない」と言う。
父親は黙して語らなかった。
私は、神戸金七氏や大坪指方氏がそれぞれ別々に活動しているのはどう考えるのか、その問題は解決しているのかと反論した。
延春氏は、大坪氏の件は知らないが、神戸氏については話し合いがついており、先日出向いて指導をしてきたところだと言う。」(続く)
まあこんな恨みつらみに溢れた、一方通行な本の引用なんかにゃ興味も無いが。
中野体育館の団体利用って予約制じゃん?何で使わんの?
引用続き
「結局、このやりとりを黙って聞いていた林一也氏の一喝で一同口を閉ざした。
(略)
林氏の一喝は、延春氏と父親に向けられたものだった。
(略)
厳長先生に言われたことを忠実に守って弘流活動を成さんとする渡辺さんに何の文句があるのか。
渡辺さんも渡辺さんだ。
(略)
黙っているからこのようなことになったのだ
林氏の言った内容を受けて延春氏も、先に知らせてくれていれば何等問題にしないで済んだのにと発言し、一件落着となった。」
引用
「余談になるが、この時の神戸金七氏の所へ行って指導したという延春氏の発言は、勢いにまかせて言ってしまったことだった。後年、N氏と共に、名古屋の神戸金七氏を訪問した折りこの話をした。
すると神戸氏は怒って、誰があんな若造に指導を頼むものか、彼は挨拶に来て教えを乞うたのであると、激しい口調で述べたのでそれと知った訳である。」
引用
「昭和四十五年九月から、第四日曜日の稽古日に、柳生延春氏も参加するようになった。
東京柳生会定例会の後、石田耕一氏(後に延春氏の養子となった)宅に宿泊し、稽古後名古屋へ帰るといった日程が、翌年の正月を除き、昭和四十七年三月まで続いた。
石田耕一氏が転会に入会したのは、昭和四十六年五月である。
この間、大東流合気柔術師範の鶴山晃端氏の入会(昭和四十五年十二月)や、昭和四十五年九月からの火曜日の夜間稽古開始と共に、柳生心眼流体術十世の武藤正雄氏の稽古参加があった。両氏共、転会の稽古場において延春氏に会うことはなかった。」
引用
「延春氏の若い同行者の素行が変わってきた。
まだ小転になりたて位の者が威張りくさった態度で指導したり、直門風を吹かせて暴言を吐くようになった。
転会会員の反発を買うことが続出したが、父親が何も言わない以上、私も何も言わずにいた。
やがて、彼等が来る時には稽古を休む者も出て来る始末となった。
しかし、それ以上に私が困ったのは、父親が転会会員に対して、柳生会定例会へ参加するよう奨励したことである。」
(続く)
引用続き
「これは、延春氏の収入を憂いた父親の心情から出たことであった。
旧柳生会と異なり、世話人の中で、機密費を使える人は、石田和外氏のみとなっていた。
旧柳生会の千円の会費は弁当代であったが、新柳生会では弁当は出なくなっており、会費は同じ千円であったが、全て延春氏の収入になることになっていたからである。
これが社交場としての柳生会を、上部団体であるかの如き誤解を与えてしまった。
そして、B氏を中心とする、延春氏の同行者達は一層増長し、何かと転会会員を切崩しにかかり、ついには、私を追放しようとして、連判状を作るといった事件にまで発展するようになった。」
引用
「会員からの質問に対して、彼(延春氏)は、名古屋在住の神戸金七氏のことは、全く剣が乱れきってだめだと言い、
大坪指方氏について聞かれると、「あんなやつは、立合ったら即一刀両段だ」とか答えており、U氏のひんしゅくを買ったりしていた。
U氏によると、「大坪指方氏の方が延春氏より実力は上だが、それよりも流儀の先達を悪しざまにいう延春氏の人格下劣さが問題だ」といって、徐々に酒席には参加しなくなった。
大坪氏は、厳長先生の百ヵ日法要にも参加しているし、中野での転会の稽古時にも、たびたび顔を合わせている。
又、延春氏は私が参加しているにもかかわらず、父親が不参加の時等、父親のことを「渡辺さんもまだまだ未熟だ」と話し、自分が最高だと悦に入っていることが多々あった。」
引用
「私は、目録伝授を受けると同時に、伝位伝授権も父親から許され、当初は私が伝授を行っていたが、昭和四十六年からは全て父親名で伝授を行うことにした。
それは、父親の指導活動に対して、交通費の実費位しか会からは出せなかったので、少しでも小遣銭にでもなればと思ったからである。
しかも、父親は自分の意志では一人も伝授しなかった。
全て私の推薦メモ通りの伝授であった。
私が推薦して拒否されたのは唯一人、会員ではないが稽古に参加していた武藤正雄氏のみであった。彼は大坪指方氏の門人ということになっていたためである。」
素人の発言で申し訳ありませんが、引用されている文章は
話が余りにも一方的過ぎると思います。当時の事を知ってる他の方の
意見を聴くなどしてから、客観的に判断した方がいいかと。
どうも扇動の様な感じがします。
引用
「昭和四十七年十二月二十二日に父親が死去した。その直後に延春氏の母親初音様も他界された。
そのようなことから、翌昭和四十八年二月、私も東京柳生会へしばらく振りに参加し、延春氏に挨拶し、香典返しを互いに交換した。
(略)
父の死と初音様の御逝去を期に、昭和四十七年四月以降中止していた延春氏の転会への稽古参加が復活した。
(略)
Y氏より話を聞いた時、激動した私は、延春氏に対して、抗議と絶縁の手紙を書いたが、思い直して投函はしなかった。
又、連判状に署名した者達を追放することも考えたが、それも流儀内の争いを招くのみで、流祖に申し訳が立たないと考え、彼等を私の門人帳上の破門とし、会の解散を宣言し、中野体育館を去ることにした。
新たな転会は、私以下十五名で翌十一月に発足した。
中野区立体育館の稽古場と、多くの会員を私から奪った柳生会派は、後に東京柳生会となって盛大を誇ったのであるから、さぞかし満足であろう。
東京柳生会の稽古場となった、中野体育館の利用責任者には、これ以降数年間勝手にY氏の名前が使われていた。」
640 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/08(日) 03:30:08 ID:joxq8PMJO
とりあえず過去レスに絡みそうな部分を、さらに部分的に引用してみました。
アルファベットで書いてある名前は、本文中では実名が出てますが、一応伏せておきました。
他にも色々書いてあるし、略した所など、あとは購入するなりして読んでみてください。
扇動する気はありません。
レスにあったので、引用しただけです。
結構疲れた。
また、引用されている文章は以前からこのスレでも
妙に攻撃的な文章で書かれていたレスの内容と類似
していると思います。何をか言わんや。
この様なことを当人が亡くなってから、2ちゃんねるに
まで素性を隠して書き込む。本まで書き言って回る
その意図は何なのかが、知りたい。
>>639 前に引用してた人に続いて、そういう部分(このスレの最近の話題に合うような)だけ引用してしまいました。
>>642 たしかに、読み返してみると、そういう部分だけ引用すると扇動的ですね(汗)
646 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/08(日) 13:07:37 ID:HusGAUXkO
引用部分に創作は無いです。回顧録に登場する他の師範方の神戸、加藤等に対しても、延春先生の場合と同じように十分扇動的な内容だとおもひました。
というか、この本自体が扇動目的の、政治的意図で書かれたのは明白でしょw
赤羽根と同レベルの代物じゃんw
>646
そうなの?
上の引用じゃあ自己擁護に使ってるのに?
荒木堂やSなんて小さな団体にまで何の恨みがあるんだw
引用しただけだから当然創作は無いですよ(笑)
荒木堂って武藤氏の所だっけ??武藤氏のことはそんなには書いてなかったと思うよ。
引用で出てきた部分のは、M会の門人じゃないから渡辺さんからは伝授しなかったってだけでしょ。
他の部分はともかくとして、引用の中ではかなり省略しちゃったんだけど、M会が中野体育館から出て行くきっかけについては、その通りなら、前スレだかに書いてあった「乗っ取り」てのは事実といえば事実だよね。
スレの流れから、この頃のことを引用するのが一番かなと思ったんだけど、前に引用してた人の続きから打ってしまったんで、後半はバテました。
その他、厳長先生時代のことや、大坪氏、神戸氏のことも出てきてます。
読んでると、「自己擁護」というより、「暴露本」的な感じです。
あと、>639の「激動」は「激怒」の誤りでした。
せっかくなんであと2ヶ所ほど引用してみます。
>>637の続き
「この伝位伝授とそれに伴う伝授謝礼が名古屋柳生会の者達の攻撃の的となった。
勝手に伝位を出しているばかりか、金儲けをしていると言って、A氏を使って批判させた。
ところが、この伝授謝礼金の基準を定めたのはA氏とのことで、Y氏は「自分で決めて押しつけておきながら、とんでもない奴だ」と後日私に話してくれた。
ついにA氏は父親に向かって、この件に関し、柳生先生が大変怒っていると伝えたため、めったに怒ることのない父親が、「お前の門人にはろくな者がいない。お前が解決しろ」と私に言ってきた。」
ごめん、>637と今のの間に
「私はその時「天狗抄」を推薦したのであるが、後日武藤氏に聞いた所、すでに大坪指方氏より「目録」を伝授されていたとのことであった。」
が、抜けてました。
大坪氏系統については、悪いことは書いてない感じです。
もう一ヶ所は、>639で省略した部分を引用しようと思いましたが、たしか前スレに書いてあったのが、多分この引用なんだと思いますし、打つの結構大変なんで、ここまでにします。
引用先が信用できるとは限らないのが味噌。
それって「引用元」じゃない?
「引用先」は2ちゃんじゃない?
逆かな?
>648
>646を受けての書き込みなので他意はないよ。
>M会が中野体育館から出て行くきっかけについては、その通りなら、前スレだかに書いてあった「乗っ取り」てのは事実といえば事実だよね。
これが理解できないんだよな。
いや、ここ予約制なんだから、取れば使えるんじゃねぇの?
このスレの連中も真面目だな。
構って欲しい奴の柳生会ネタなんか放置すりゃいいんだよ。
そうすりゃ飽きて他のスレへ行くから。
回顧録が第一部で、第二部として「武道論考」が収録されています。ページ数はこっちの方が多いです。
個人的には第二部の方が面白かったですね。
>>654 あっ、そうでしたか。失礼しました。
曜日や時間は違っても、同じ場所で新陰流が2団体あるとなんか変(?)だからなのかな?
たしかに、あまりそういうケースは聞かないような気はする。
空手や合気道や太極拳ならよくあることだけど。
658 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/08(日) 18:45:39 ID:joxq8PMJO
>>654 すいません、「他意はないよ」は654のレスのことですね(汗)
とりあえず一通り本読みました。まぁ面白かったですよ。
第二部は制度的なことや色々書いてあって、良かったです。
>658
その制度的なものもホントのことなのかねぇ
制度は一部だけど、技のことも書いてあったよ。
とにかく分かったことは、今柳生会が使っている日曜日と火曜日の中野体育館の枠は、もともと転会の稽古場で、延春氏なども参加してて、耕一氏などが当時転会にいたという、このスレに書かれてあることは、まず間違いないだろうね。具体的な年月等も書かれてるし。
あとは知らん。ご自分で読んでくだされ。
あっ、大坪氏の控宗家(?)のことも書いてあったよ。
引用と感想を書いただけなんで、それ以上つっこまれても分かりません。
回顧録の引用感謝です。
感想としては、相互の不理解・誤解が、最初のステップの踏み間違えが
根本にあるように感じました。「はじめから言っといてくれたなら…」て
やつですが…
また、渡辺父と子の微妙な温度差も観取できた。
親父さんは子供への情と、厳長・柳生家への思いで苦しまれた
のだろうなと思うと、かわいそうだなぁと同情します。
自分の大好きな先生の息子と、自分の愛息が目の前で醜い争いを
してたら、情けないやら、先師に申し訳ない、合わせる顔がないやら
色々あっただろうな。
当たり前ですが親子二代の交わりは、子供の間に交流がない場合は、
上手くいかないもんですね。
ただ、内容自体については、悪口引いてみればある程度の事実は
教えてくれるなと思いました。
Thanks、Again!!
>>655 そりゃ、ここはY会やM会、A堂、S館といった括りを除いた、
友愛で結ばれた最も広い意味での柳生新陰流門人の社交場ですからw
『友愛』…ねw。
そのうち石工組合のお友達でも紹介してくれるのかな?
そんな台詞は、りそな銀行を潰した奴等に言ったら。
回顧録の引用を読んでいて思ったが、会員ではなくても武藤氏を推薦する
あたり忠成氏はそれなりに公平ではあったのだね…
しかし、大坪氏は道場を持っていなかったようなのでしょうがないが弟子
の稽古相手が足りなければ、自分の先輩のところに出稽古させたり、
Y会とM会がなか悪くなる以前とはいえ、今から見ると天真爛漫というか、
神戸渡辺大坪の三兄弟wの末っ子の強みが全開ですか…
神戸氏の大坪氏と同席しているとき、大坪氏の変わりに試合したという
エピソード(赤羽根が紹介している)も見方を変えれば、先に自分がやって
大坪氏に傷がつかないようにしたとも読めるし、何気に可愛がられていたの
かな?
回顧録読むと一方的主観が多い気もするが、
まあ、確執が有ったのは息子2人だけで
あとは耕一先生含めそれなりにうまくやってた感じだな。
戦後バラバラになった厳長一門が食うや食わずで集まって
東京柳生会を起動させていく様子はちょっとした現代武道史だと思う。
陰ながら支えた柳生、渡辺の2人の母と武道バカの2人の父。
厳長先生と渡辺父さんが泣きながら別れるシーンがなんとも印象的だった。
668 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/08(日) 23:36:56 ID:deeg9MIM0
生き証人がどんどん死んでいくから、
今のうちに書いておこうという意図なんだろうな、渡辺さんは。
宗家という理由だけで、延春さんが正当化されるのが許せんのだろうよ。
今の時代、当時の事情を知る人はほとんどいないんだから。
まぁ今の時代宗家だからって正しく伝承してる確証はないからな。
俺は古流の柔やってるけど、宗家はもうほとんど柔道w
宗家自身も柔道家で歴史にも興味が無くて、自分とこの流儀なのに形はほんとにカタチだけだと思ってるよw
とは言っても表向きは宗家だから立ててるけどね。
渡辺さんの気持ちは分かるけど、だからといって宗家があるのに宗主はダメだよな。
事情を知らない者から見たらただのインチキに見えちゃうからなぁw
>>661 そうおっしゃっていただけると嬉しいです。
ありがとうございます!!
あっ、でも引用は肝心な(?)部分を省略したのと、スレの主だった話題やその流れで延春氏絡みの部分しか引用しなかったので、本見るともっと詳しく色々なことが書いてありますよ。
で、肝心の、延春さん道統継承に関する真相については?
引用の感じからすると、きちんと道統継承してるようにも見えるし、
その一方で、なぜ立派な新宗家がいるのに、神戸渡辺大坪、重鎮たちが皆、
新宗家に対して非協力的なのか・・
渡辺さんにしても、積極的に・・じゃなく、明らかに厳長師への恩義で
仕方なく・・って感じだよね。
>>672 >その一方で、なぜ立派な新宗家がいるのに、神戸渡辺大坪、重鎮たちが皆、
>新宗家に対して非協力的なのか・・
重鎮たちが非協力的だったんじゃなくて、延春さんが煙たがったんジャマイカ?
だからみんな協力しなくなったと。
引用とはいえ、そこまで書くとさすがに荒れるかと思い、そういう部分は省略しました。
ほんと、古流系ってクダランことに妄想ふくらませて語るよな。
少しは、現代格闘技のように発展的な展開にならんのかね。
>荒れるかと思い
皆まで言わずともその一言で察しがついちゃう気が・・
ま、詳細はいずれ自分で確認しますわ。
>672
各師範とも、自分が「教えてやった」的な感情があったと思うね。
彼らは明治維新後の入門だから、武道と社会のありようが現代ほど明確じゃない過渡期な訳で、
自分は武道で食って生きたいし、宗門との距離感が微妙な時期だったんじゃないかな?
江戸時代は武道に専念しても(藩が認めれば)給料もらえたわけで、
その頃と同じとは行かない空気があったのじゃないかと思う。
>673
煙たがったぐらいで協力しなくなるってどんだけちっちゃいんだよw
>>677 >煙たがったぐらいで協力しなくなるってどんだけちっちゃいんだよw
煙たがりの度合いによるだろうなw
>669
そのへんの理由も書いてあった。
厳長目録衆の林一也氏が一喝する
>>631のこの部分。
>厳長先生に言われたことを忠実に守って
>弘流活動を成さんとする渡辺さんに・・・
ふつうなら
>>628の段階で破門されて終わりだと思うよ。
でもその後延春氏も耕一氏も一緒に稽古しているから
渡辺さんについては黙認だったんじゃないのかな?
事実この経緯かはわからんがwこの林さんもおかしいな。
どう正しくやってるかは問題じゃなくて、連絡があったかどうかが問題だろ?
この場面ではただぽんが他者を言い訳に使っているが、
ここは忠敏さんが連絡が遅れました、ごめんなさいで万事上手くいくところじゃん。
連絡の有無のみが問題なら、破門までの騒ぎにはならないでしょ。
結局は活動自体が論点になるわけだ。
その活動は、厳長先生に言われたからやってるわけで、問題無し。
ということでしょ。
それに対して、「なんだ、そういうことなら早く言ってよ」てことだろ。
ん?だから連絡で良いじゃん?
宗家の代替わりで若先生が知らないことを教えたり連絡したりするのは
古い弟子の責任じゃね?
そもそも厳長さんが延春さんに言っておけってんだよw
全部引用してたらキリが無いんで、読んでみてください。
685 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 02:05:20 ID:1QwZ39Ff0
何で延春に連絡しないといけないんだ?
延春は大して稽古してないし、厳長さんに後継者として
指名もされていない。厳長さんが東京柳生会に行く時も、
交通費を工面したのは渡辺さん。教師の延春は蚊帳の外。
問題にされてない存在。厳長さんに言われた通り、新陰流を
絶やさないように転会を始めて稽古をした。だから延春は、
渡辺さんの書いたものを読み、転会で稽古もした。しかし、
春の坂道が放送されて入門者が激増し、延春の目の色が変わった。
そして転会切り崩しが始まった。で、多くの会員と場所を奪い東京柳生会は
繁栄していくのであった。しかし技の伝授が不十分であったため延春は、
剣道家と相談して捏造をしていった。そして今の柳生会の、あの使い方が
存在する。そして素人がそれを見て、「あれが有名な柳生新陰流か!」
「柳生連也もああいう遣い方をしていたのか!」と思うのである。
>>685みたいな私怨交じりの長文は読む気も失せるな。
延春さん関係の部分ばかりだとそんな感じだけど、厳長先生時代のことや、厳長先生のこと、大坪指方氏のことなんかは、他の書物では書かれないようなことが具体的に書いてあって、結構面白かったし、新陰流の近年のマイナーな歴史としても勉強にはなったよ。
てか
>>685は延春さんに私怨があるのか??(笑)
回顧録に私怨があるとしても、「怨」があるなら、それには理由があるってことだよな。
散々手助けして、立てて、我慢したにも関わらず、乗っ取ろうとしたばかりか、稽古もたいしてしてないで何も知らないし分からないくせに新陰流を変にして、そのくせ自分は宗家だ、自分が正しい。
みたいな感じかな?
大体こういうのは、後援会とか幹事会とかが介入して火種が出来るんだよな・・ しかも、養神館の理事が
絡んでんだろ?
あそこは、元々合気会から塩田さん担ぎ上げて引き抜いた時もそうだけどロクな事しやがらないんだ。
昨今の養神館分裂騒動にも理事会の介入が相当あったみたいな話だし、ほんと揉め事のきっかけばかり
作るんだ。
>>688の
>何も知らないし分からないくせに
は、
何も知らないし分からないから
が適当だったな。
結局延春さんはちゃんと習ってなかったから自信が無かったんだろう。
そこの権威付けのために新陰流始めた剣道家と養新館の連中に担ぎ上げられて型もめちゃめちゃになった。
幸一さんと一緒にやっていた人から聞いたけど、転会に居たころは一番上手かったらしいよ。
それが柳生会行ったらすっかり変わっちゃったって・・
テキトーなこと書いて楽しんでる奴はスルーしてね。
>>689 古流に現代武道家の高段者が絡むとろくな事が無い。
うちの流派は現役の現代武道家の入門はお断りしている。
>692
了解。
でもまあ、引用見た限りでも、ただぽんは全然我慢して無いようなw
我慢してるのはひたすら親父さんだよな。
まあいいんじゃね?今は団体の代表として会員増やしまくってるんだろ?
良かったじゃん、型変え放題だし、上から言う奴も居ないしなw
>693
>689はそういうレスじゃないと思うんだが。
だいたい武道に政治みたいなもの持ち出してくる奴は
所属関係なしに居るもんだぜ。ただぽんとかw
695 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 14:23:21 ID:PUU4zyCBO
古流と現代武道(剣道)がうまく融合してるのは一剣会と日本剣道協会だけだね。
696 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 14:35:26 ID:vQgecqzZ0
剣道協会のDVDを見た感想だが・・・。
確かに、剣道→組討 と言う流れは面白いし、実践的だと思うが、
果たして一緒にする意味があるのかと思った。組討部分は日拳との違いが
よく分からんし、剣をすぐ放り投げて組討になるってのも、本当に実践なのか、と思った。
本当なら、お互い斬られて重傷で、組討どころじゃないと思うのだが。
まあ、あくまでシュミレーションということなら、あれでいいけどね。
で、居合(夢想神伝流)の方は、はっきり言って下手だった。
力みまくって動きがすごく硬い。
『新陰流六十年回顧録』から、
延春氏に関係するような部分を、何ヶ所か引用してみます。
「昭和四十二年暮に柳生厳長先生は御他界された。
厳長先生御他界後、私の父親は急に気力・体力が衰えて寝込むことが多くなった。
翌昭和四十三年春に、合気道養神館の会議室をお借りして、厳長先生の百か日法要が行われた後に、
父親は広島県尾道市内の病院に入院した。
その父親から、連日のように手紙が来たのである。
これは、当時病床にあった父が新陰流を後世に伝えていく活動の出来る者について苦慮した結果であった。
いくら考えても私の他に思いつかず、全てを捨てて新陰流の弘流と顕彰に立ち上がれという、
厳命というよりは、むしろ哀願に近いものであった。」
「父親が私に新陰流活動を促したことと、柳生延春氏との関係に不可解めいたことがある。
それは、延春氏自身、日本経済新聞紙上や、ホームページ等で、新陰流第二十一世を継承していると記し、
その継承時を昭和四十一年としていることである。
今後の展開に関連するので述べておくと、昭和四十三年、厳長先生の百か日法要時、
延春氏は新陰流第二十一世を継承したと発言し、一門人士皆これを疑ったと聞いている。
氏が継承したという昭和四十一年には、まだ厳長先生も御存命であり、
当然そのような事実があれば、厳長先生もしくは厳長先生の奥様から何等かの連絡があるはずである。
しかし、在京の一門人士誰一人としてそのような連絡は受けていない。
ましてや、門人筆頭の父親に何の知らせもないなどということはありえない。
もし延春氏の言うとおり継承が事実だとすれば、父親は延春氏の二十一世継承の発言を聞いたにもかかわらず、
それを無視して私に新陰流弘流活動を促し続けたことになる。」
「弁明を要請してきた内務官僚出身の古田常二氏と柳生延春氏との間で
どのような話し合いがあったのかは分からない。
―略―
師の御子息であり、生まれた時から知っている延春氏が、
一門には何の話もなく、新東京柳生会を発足し、早々に二十一世を宣言してしまったので、
昔気質の父としては面と向かって真実を話すのも忍びないと思ったのであろう。」
>>699 >いくら考えても私の他に思いつかず、全てを捨てて新陰流の弘流と顕彰に立ち上がれという、
>厳命というよりは、むしろ哀願に近いものであった。
当時はやる気無かったくせによく言うなw
こんな棒振り面倒くさいとか言ってたらしーのにw
大坪氏の部分を、一部引用します。
「柳生厳長先生は、大坪指方氏と疎遠になる直前の昭和二十六年八月に、重大なる過失を犯した。
これが世間一般のみならず、大坪指方氏自身をも誤解させる原因となった。
この厳長先生の犯した重大なミスとは、同年同月付で、
柳生厳春が世子殿下(後の徳川治行)宛に進上した印可相伝書の下書きに、添状を付けて大坪氏に渡したことである。
その写しを私は持っているが、その添状を読めば何のことはない。
新陰流未曽有の危機あるに際し、良く弘流に努めよ、それにはまずは子息にこれを伝えて新陰流の存続を図れ、
といった内容であって、本来的な印可相伝の添状の内容ではない。」
「大坪氏も当初は、日本刀を売り捌いた謝礼として、
古文書をいただいたとしか思っていなかったという。
しかし、このことを知っていた人物がいた。
それは、名古屋市在住の神戸金七氏である。
後日この神戸氏から「君の所へは重大なる印可相伝書が行っている。これこそ皆伝印可書である」
と言われ、すっかり大坪氏はその気になってしまったのである。」
「厳長先生と疎遠になった大坪氏は、神戸氏の所へ度々出向くようになったとのことで、
氏の神戸氏参りは、私の父親との再会まで続いたとのことである。
神戸氏も又、時を同じくして厳長先生とは疎遠となっていたために、喜んで大坪氏を迎えていたようである。
しかし、いつも大坪氏に同行していた武藤正雄氏によれば、
神戸氏及びその門人の加藤氏の言動については、疑わしく信頼出来ないものがあったとのことで、
私の父親との再会を機会に、神戸氏参りを取り止めにすることにしたとのことである。」
渡辺忠敏氏の、「転会他で指導」の「他」は、ここのことなんだな。
>>633の続きがこれです。
「この二人の入会及び稽古参加の動機は、鶴山氏を師範とする、旧電電公社の「合気杖道部」内に設置された
「新陰流研究グループ」を指導していた大坪指方氏から頼まれて、
父親が同年五月よりその指導の任に当たっていたことによる。
―略―
この「新陰流研究グループ」は、毎週木曜日の夜間に電電公社の墨田体育館で、
昭和四十六年十二月まで稽古を続けた。
私も月一回位であったが、父親を補佐した。
現在鶴山氏の大東流の後継者といって活動している折笠合気氏も、このメンバーの一人であった。」
やはり渡辺さんの所にみんな集まってきた感じじゃない?
延春氏とその一派は、そうは思っていなかったのかもしれないけど。
渡辺忠敏さんの他界後、転会と延春氏の別離があって、
その後はまたみんなバラバラになって、今のようになったんじゃない?
名古屋の神戸さんだけは、転会が中野で稽古していた頃も、付き合いはなさそうだけど。
>>705 確かに加藤さんってちょっと怪しいかもなぁ。
むかーしやった古武道の番組で加藤さん出てたけど、尾張貫流に伝わる門外不出の伝書ですとかい言って開いてた巻物は、よくよく見たら疋田の剣のトンボ絵の目録だったしw
>>706 いやそんなことないよ。
親がやっている事って息子は若い頃は大体嫌がるじゃんw
>>708 渡辺忠敏さんは謙虚だったから人望があったんだろうね。
まぁそのせいで誤解もあったかもしれないけど。
711 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 15:12:22 ID:PUU4zyCBO
>>696 でも、型と試合が両立してるって所は、新陰流や他の古流よりはまだましだと思うんですけどね。
居合はたしかに硬いですね。
居合なら一剣会の方が柔らかいかなと思います。
>>710 まぁたしかにそうだろうね。
延春さんもまさしくそれだよな。
誤解って何??
>>702 もう引用するの面倒臭いから引用はしないけど、
会発足前は、もっと気楽に考えてたようなことは書いてあるよ。
714 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 18:54:23 ID:YiVDTJOjO
延春氏のことを勢法捏造といっているが、渡辺の勢法改竄・捏造件数のほうがはるかに多い、とおもわれ。
>>714 それだと変だね。
そんな人を厳長師が息子の後見役に任命するのか?
今の渡辺さんの事だと思われ
太刀伝って渡辺父さんの本でしょ?
それとは型が違うの?
718 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 23:11:51 ID:/g5oIC7u0
延春は完全に捏造、別物にした。
渡辺は変えたりいろいろやってるようだが、根本から別方向に
行ってる訳ではないから、まだまし。工夫と言えば聞こえは良いが、
親父さんから全てを伝授されてるわけじゃないのに、皆伝とか作って
伝授してるから苦労してるんだろ。
719 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/10(火) 23:17:10 ID:C+gG1XIs0
渡辺さん、回顧録なんか出したんだ。
皆さん引用ご苦労さん。
でも、あんなの誰が信用するの?
回顧録じゃなくて、柳生会批判本じゃん。
転会の会員と何も知らない人だけは信用するかな。
まるで歴史を模造する韓国のようだ。
よく人のことをあれだけ悪く書けるものだと反って感心するわ。
当事者が存命中に出すならともかく、死んじゃってからならナンとでも言えるよね。
まさに死人に口無し。
渡辺さんの人間性が疑われるね。
それとも本性が出たのかな
見苦しいね。
どうのこうの言わないで、自分の会のことだけやっていたほうがいいんじゃないの。
で、転会を改変といい、柳生会を捏造としている
>>718はどこの人なの?
721 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 00:06:43 ID:rfLu4Nc20
>719 まぁ事実だから仕方ないだろうな。
人間性が疑れるのは、延春のほうだろう。
あれは厳長氏を知ってれば別物。
名前が一緒なだけだな。
>>721 で、あんたはどこの人なの?
春風館?w
723 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 00:34:42 ID:xNylsi0+O
人間性が駄目なのは忠坊のほうだろう。
忠敏氏を知ってればまったく別もの。
名前が一緒なだけだろう。
くだらない会話だな
少なくとも歴史を捏造というか隠してたのは柳生会の方だと思うぞ。
何故延春氏は「転会の稽古」に参加してたことや、その他もろもろを隠してたんだ??
あたかも延春氏の所から離れていって会を作ったように柳生会の人たちは思ってたようだけど、明らかにそうではないだろ。
それと、柳生会の昔の映像(まだ延春氏が黒髪の頃)と近年とでは、やってること違うぞ。十太刀や花車など。
具体的にどこがどう違うのか宜しく。
.
>>726 具体的に違う点を挙げても「技の理解が進んだ」などの
言い訳はいくらでもできる点に注意。
>697
そうかよ、悪かったなw
荒らしに近い書き込みも多いのに、よりによって私のことだとは、
一体あんた何読んでんだw
それかあれか?ただぽんがお気に召さんかw
愛称じゃん、気にすんなw
>725
ことさら言うことじゃないと思うがな。
>あたかも延春氏の所から離れていって会を作ったように柳生会の人たちは思ってたようだけど、明らかにそうではないだろ。
存在しないミスリードを指摘しても意味は無いと思うぞ。
本がどう書かれてるかは知らんが、事実かわからんことを前提に話は出来ないだろ?
>それと、柳生会の昔の映像(まだ延春氏が黒髪の頃)と近年とでは、やってること違うぞ。十太刀や花車など。
そりゃ振興会の映画の事を言ってるんだろうが、まず違うことを言い立てるより、
違いを説明したほうが早いぞ。
まあ気をつけろ、あんたの認識力をさらすことになるからなw
>>723 忠敏氏は昭和47年に亡くなられたわけだが
あなたは一緒に稽古したことが有るのかね?
>>728 ご指摘ありがとう。
参考にします。
一つ聞きたいが、あなたの書いていることは、伝聞のようだが、出元は元転会の現柳生会の人なのかね?
あ、スマン。
>730の「元転会」はいらんね。古い話が絡んでるんでそうなのかなと思ってしまったが、読み返してみたらこれは必要なさそうだ。
>692は、>694だけではないよ。
>691の意味がわからないんだよな。とくに後半。
>>728 >ことさら言うことじゃない
そりゃその通りだけど、結果的に門人たちに誤解させちゃまずいでしょ。
たしかに荒らしみたいの多いけどさ、頑張ってね!
733 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 14:29:23 ID:LgAInyAh0
延春は実力ないのに自身を権威付けしようとした。
武道家にあるまじき行為だ。武道論をお説教するのが
好きだったようだが、素人を騙すのが限界。だから
門人は延春マンセーの集団になった。「オレが」という
意識が強くなると武道は駄目だよ。それはただポンにも言えるが。
>>719 なぜただポンが嘘を言ってると言えるんだ?
どの点を捏造してるのか、真実を教えて欲しいね。
延春さんも色々言われたもんだが
今の人は他のとこに比べても相当やばいレベルじゃないか?
正直、身内としてどうなの
735 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 15:11:20 ID:mZLiXFXr0
>(渡辺)親父さんから全てを伝授されてるわけじゃないのに、皆伝とか作って伝授してるから苦労してるんだろ。
その通りだとおもいます。
知らないことを知っているというと、嘘の上に嘘を重ねて行くことになる。
素直に分からないと言ったほうがすっきりすると思うけど。
それを知ってる古い門人は見るに見かねて皆去っていくんだろうね。
純粋に知りたいだけなんだが、
>>735の根拠は何なのでしょうか??
737 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 15:37:50 ID:mZLiXFXr0
これは習っていないとかいってたものが、何故か今の転会には全てが揃っている。
自分の創作ではなく、伝授されたものとしてね。
>>737 なるほど、では、「これは習っていないとかいってた」というのは、どなたから聞いたのでしょうか??
もしその具体的な太刀名もご存知なら、よろしければそれも教えてほしい。
わざと「習っていない」という可能性も場合によってはあるかもしれないが、それは置いといて、上に書いたことを知りたいですね。
>>736 根拠なんて無いと思いますよ。
さすがに忠敏氏を否定はできないから、忠成氏を延春氏のように書くことで、
せめて忠成氏でも否定したいのでしょう。
それかただの荒らしみたいなものでしょう。
>>736 古参が一人も残っていないのが全て物語っているような・・
確かに、忠成さんの時代に入ってからそれまでやって無かったような
稽古を始めたりとかはあったと思うよ。
ただそれは伝授されてないとか失伝とかっていうものじゃなくて、
逆に、現代の方が我こそ正統という事を主張せんが為にヘンにコンプリート指向
になってるだけなんだと思うよ。
>>741 それはあるかもしれませんね。
>>740 回顧録によると、中野体育館で稽古していた頃からの人で今も活動しているのは1人らしい。
中野体育館から出ていって新転会を開始した時の人数は、「私以下15名」とある。
「私」を含めて15名だから、門人は14名、
約35年前だから、1/14でも少なくはないのではないでしょうか?
743 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 18:00:06 ID:LgAInyAh0
宗家でも宗主でも何でもいいが、
嘘はいかんよ、嘘は。
自分がトップになろうとする時嘘を言うから問題になる。
延春嫌い一人の為に、引っかき回されてるなw
745 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/11(水) 19:32:43 ID:mZLiXFXr0
「柳生延春氏の大変困った癖は、己を権威付けるために、他者を悪く言う(偽りをいう)ことであった」
これを書いた本人のことである、ということか。
こういうドロドロの骨肉の争いは身内でやるのが定石だからね
どこぞの会に所属してるおバカちゃんが、必死で延春叩きをして自分の所を正統としておきたいのだろう。
他人叩きは、自信のなさの現れって精神分析者が言ってたし。
映像見ると厳長さんと延春さんの形は全然違うようにみえるなw
749 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 00:59:32 ID:FndY/IwE0
>>748 当然だ。
このスレ読めば納得いくだろ。
744(又は747)は、Y会か?
>>741-742 そのへんを抜粋するとたぶんこの事だろうな
最高伝位(当時)
40年代 −小転(中野時代)
50年代初期−天狗抄、奥
50年代後期−目録、仮
平成3〜5年−内伝、皆伝
これだけ伝位が違えば使い方も稽古内容もかなり違ったと思われ。
>730-732
はて、何か伝聞書いたっけ?誰かのと勘違いしてね?
691は私は知らんぞ。
>そりゃその通りだけど、結果的に門人たちに誤解させちゃまずいでしょ。
せめて媒体を限定して欲しいが、書いてあるから勘違いするってのなら理解も出来るが、
書いてないことを誤解する人間が居るのかね?
なんかよくわからんが、頑張るのか?
>749
厳長さんはどうか知らんが、今どの会派も似て無いじゃんw
中でも転は一番かけ離れてると思うぞ。
752 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 09:24:24 ID:61/xydeP0
柳生ブランド・正統ブランドに拘るひとは宗家のところ、
技に拘るひとは転会、ということになるのかな。
神戸系や大坪系は転会の小型版って感じがするけど。
たぶん転会が異質なのは使い方が江戸使いだからだよ。
754 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 15:02:44 ID:g/frjiVK0
>>752 神戸系や大坪系は転会と全然似てないぞ。
>752
無茶言うなw
つうか、転のどこに技があるのか教えてくれ。
なんかね、打太刀が芝居みたいに体勢崩して表情まで負けた顔すんのよ。
宗家さん、神部さん、大坪さんそれぞれ技がちゃんとあるのが解るんだが、
転のは良くわからん。笑えるんだが、技は感じられん。
>753
こらこら、内伝(=連也口伝)やってるがなw
お互いの動きまでケチつけるようになったら、もうお終いだあさ。
もうこの辺でやめとき
758 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 17:54:06 ID:lUCXB4pN0
>755
見る眼がないんだな。
ある程度実力がないと見えないもんだよ。
現宗家のもですか
新陰流に興味あって覗いた通りすがり者だけど
・・・・驚いた。
こんなにドロドロしてたの!?
てっきり柳生宗家を中心に
どの団体も協力してるもんだと思ってたわ
現実には、普通に稽古してる人たちは、ここに書いてあるようにドロドロしてるということはほとんどないと思いますよ。
部外者が色々書き込んでるのも多いと思いますし。
延春さんに会った事ないので渡辺本の真偽のほどは分からないけど、延春さんが生きているうちに幸一さんに代をちゃんと譲ったのは良い事したよね。
後は幸一さんが昔の同期だった人達と連絡取り合って技を磨いて、柳生会にのさばる箔付けしたいだけの古流が分かってない剣道合気道爺共を追い出してくれれば柳生も安泰になると思うんだが・・
763 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 22:23:32 ID:YWDFIJ+/O
M会が芝居じみてるのは忠坊の悪い癖のせいでしょう。
なにかするときに顔に力が入ってしまうのです。気がもろに上がりぱなし。
それを会員が皆真似するので、おかしなことになってしまうのです。
マロバシとはほど遠い世界ですね。
たしかにこのスレは、何だかわけわからんのと、叩きがほとんどだな。
ま、新陰スレに限ったことじゃないんだろうけど。
>>764 本当にちゃんとやってる人達はそもそも武道板なんか見てないからねw
俺も新陰流の事についてググってたらたまたまこの板見つけちゃったけど、普段は全く見てないからなぁ。
本当のことはネットには転がってない。
アンチになるのって、大体、そこの脱落者ってパターン。
767 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/12(木) 23:28:41 ID:YWDFIJ+/O
技の話のほうが、人格中傷の合戦よりもなんぼかましや。
>>767 技の話でも技の中傷合戦じゃ変わらん罠w
それに、例え基本的な事でも技術内容に関する事を他人にベラベラ
しゃべるのは良くない事だと思う。
仮に、自分達にとっては当たり前の事でも、それを知らない人間にとっては
秘伝なのだから。
770 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/13(金) 00:36:54 ID:GmwIwP3tO
くだらねえ
そんなこと価値だと思ってるから腐っていくんだよ。
要するに気に入らない人は、その対象のところへ出向いて試合でもすれば
いいんじゃないかな。
772 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/13(金) 01:31:51 ID:HSHbHXIn0
ネットだから出てくる真実がある。
それを見抜けるかは個人の力量。
>>755 やってみるとわかる。
勿論わざと崩れる輩もいるが。
合気の崩しと同じで、見てわかるものではない。
見栄えの良い技は、実は大したことないものだ。
773 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/13(金) 01:33:31 ID:Q1r6KIgZ0
>箔付けしたいだけの古流が分かってない剣道合気道爺共
まったくだ(俺は他流だけどw
>756
演武だからわざとやるならなおさらマイナス評価するよ、私は。
>758>772
本当にそうなら別に言うことも無いが。
私が見たところに限定するなら、見るからにわざとらしかったけどねw
わざわざこらえて崩れてやることねえだろうっつうか。
そういう風に見えるのよ。こんなの見る目とかなくても解るだろw
確かに転の勢法は見栄え悪いと思うが、そんな事言って無いぞ。
合気道を例えに出すのは感心せんなw
あんなの最悪掛けなくても投げられちゃうだろw
見栄えが悪いと自分で思ってる奴はよくそういう事言うけどな、
地味で解り辛いのが良いってことでも無いし、
勿論派手に崩れた演技するのも余計悪いと思うぜ。
一番駄目なのはな、意見が違うと「見る目が無い」、こういう事言うのが最悪だねw
俺の感想だとY会やS館の方が見栄え悪いんだけど。
人によって見方は違うもんだな。
>762
>後は幸一さんが昔の同期だった人達と連絡取り合って技を磨いて、柳生会にのさばる箔付けしたいだけの古流が分かってない剣道合気道爺共を追い出してくれれば柳生も安泰になると思うんだが・・
要するに本の真偽はわからんのに、宗家さんの周囲は剣道家と合気道の人間に壟断されてて
だから今の門人ではなく転の知り合いと連絡を取り合えって言ってんの?
まず事実確認した方が良いんじゃねえの?
ネットの噂話信じてるよりなw
道場で剣道やってますって古武道団体がどんだけあるか知ってて言ってんのか?
合気道と古流剣術やってるやつなんて良く見かけるんだが、私が見た彼らは夢か幻なのか?
古流がわかって無いってなんなんだw
いっちょ説明してみてくれんか。
道場で剣道やってる古武道団体が沢山あるって、
団体によっては古武道の現代剣道化へつながってきてて、あまり喜ばしいことではないんじゃないのか?
そりゃおめえその団体の問題だよ。そういう変化も含めて古流儀だろ?
それともなにか、古流っていう決った何かがあるのかい?
まあ古流っていうぐらいだから古くなきゃ困るがw
相手が初心者の場合、崩しの誘導を教えるためにわざと崩れる事は有るね。
中にはそれが演劇になっちゃってる人もいるけどw
まあ、上手い下手は別として効くかどうかはじっさいかけてもらわないと解らないだろう。
形どおりなら意外と効いたよ。
>>778 >そういう変化も含めて古流儀
そうなのか?
この場合の変化ってのは、基が無くなる変化のことだよな?
基がなくなって現代剣道化したら、古くないから困るんじゃのいのか?w
782 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/13(金) 15:17:32 ID:70UzcgZu0
>781 それが柳生会だろ。
783 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/13(金) 15:20:29 ID:4+Ki9L0qO
違うよ夢想点心流ですよ。もう少し勉強したほうがいいと思うよ
というか、柳生会にもの申してる人。そろそろ自分の所属を名乗られたら?
転会を叩かせる為の餌かもな。
黒○信者復活の悪寒
黒星信者復活ですか・・・
キノ萌えのキモオタが跋扈するというのもおぞましいですね。
789 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 01:44:55 ID:YidmfDoQ0
新陰流と黒田は関係ないものだってことが、なぜわからんのだ?
黒田は変えすぎなんだよ、延春の比ではない。
>>789 なんで関係ないの?
変え過ぎというけど向こうの方が古いままやってる可能性だってあるだろ?
居合の形のやつは全然違うと思うがw
791 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 02:42:26 ID:7aZh4FId0
その可能性はない
改心流に初代の頃からの伝書なりが残ってるなら
現代の改心流と創流当時の太刀名や動きを比較出来るかもね。
改心流って犬を仮想的にした流派だろ?
そんなんと新陰流を比べんなよww
相手が、狼族伝説の八犬士だったら中々侮れないぞ
変えたのは黒田氏ではなく、駒川改心でしょうに・・
居合術自体は、そもそも新陰流とは全く関係なくて弊伝してる
だけだからなぁ
黒田さんのひいじいさんが形を追加したりしてるから、改変は当然有ったろうな。
まあ、改心流6本じたい捕手の付録みたいなもんだし
居合も十手も新陰では無い
>捕手の付録
へぇ。
>>789,790
黒田さんと「柳生」新陰流は関係ないといったほうがよくね?
もちろん、柳生新陰流は俗称ではありますが、話や流儀を限定し議論
を整理するためには便利なツールだ。
こだわる人はこだわるが、柳生新陰流という呼称はもっと積極的効用
を評価し用いるべきだよ。
少なくとも柳生新陰流といってりゃ黒田信者は関係ねーといえるし、
黒田信者も納得するだろ。
799 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 12:49:47 ID:kKfVVgUq0
「新陰流60年回顧録」渡辺忠成著より引用
「神戸氏は、厳長先生が生存中は「裏宗家」を僭称していた。厳長先生他界後は、「柳生新陰流十二代」を堂々と名乗っている。従って神戸氏の後継者である加藤伊三男氏も又、「柳生新陰流十三代」宗家を名乗っている。」
800 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 12:50:57 ID:kKfVVgUq0
「流名も流名であるが、新陰流には「裏宗家」等の名称もなく、又、そのような制度もない。また、第何代宗家という呼称もないのであるから、これ等は完全な創作ないしは詐称というべきだろう。」
801 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 12:57:55 ID:kKfVVgUq0
「何を根拠に第何代を名乗っているのか疑問であったが、ある時、九鬼神流の田中普門氏から、「彼等は初代を柳生連也だと言っていますよ」と聞かされて、呆れて言葉も出なかった」
802 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 13:10:10 ID:kKfVVgUq0
「神戸氏は又、自分は厳周先生の門人であり、厳長氏は兄弟弟子であると語っていたそうである。己の受けた最終伝位の授与者が終生その師である。それを自己の権威付けのために師と同格であるとする品性には、言葉もない。」
803 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/14(土) 13:21:04 ID:kKfVVgUq0
これから出かけるので、ここまでにてゴメン。
十三代って、尾張貫流十三代の間違いでは?
確か、貫流宗家としてはそう名乗ってると思ったが・・・
ただ、伝系辿っても、初代・津田之丞まで13人もいないのは不思議では
あったがw
805 :
790:2009/02/14(土) 23:26:48 ID:mWuUq59D0
>>791 黒田って鉄っちゃんの話かw
てっきり黒田藩の黒田かと思ったよ。
そっちの黒田なら全然違うだろうねw
806 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/15(日) 01:41:24 ID:hPALDn/J0
>>798 いや、黒田(鉄)と新陰流が関係ないのだよ。
796も言ってるように、変え過ぎなんだよ。
黒田の改変は駒川の比ではないであろう。
807 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/15(日) 02:33:18 ID:uEXiC4dM0
黒田さんのところは新陰流じゃなくて駒川改心流なんだから違って当然。
1時期名乗りを新陰流として隠れていた時代はあったらしいが、駒川改心流は
駒川改心流なんだから別流儀でしょうよ。
たださ新陰流(尾張)も駒川改心流も流祖から一点一画も変えず加えず失われずに
来たとは到底思えないよ。
それでどうした
黒鉄スレへいけ
黒田さん、違う、違うと騒いだり、噛み付くなよ。
駒川改心流=新陰流又は上泉の新陰流とは黒田信者もいっていないだろ、
尾張柳生だって尾張柳生新陰流=上泉の新陰流そのものとはいっていないし。
「駒川改心流さんも遠祖に上泉を頂くのです、うちもそうです、
ご親戚といえばご親戚ですね〜」
用語だって、「へ〜、そちらではその言葉をそのように使うのですか、
うちではこういう意味で使っていますよ。やっぱり色々違うもんですね〜」
って流せば済む話だろ。
お互い自分のやっている事に自信があれば、他がどういっているか気に
することないだろうが…
810 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/15(日) 13:13:44 ID:bN95vh6AO
しかし渡辺さん、いいたい放題だな。
上泉道統印可の流派なら参学(法定)、燕飛などがあるはずだと思うが?
疋田、柳生、タイ捨、直心には当然有るし示現流にも痕跡はあるよね。
新陰流やってる人は、直心だとか改心だとかと同列にされるだけで
げんなりしてると思うよw
>>811 タイ捨と示現流に三学あったっけ?w
燕飛はあるけど。
駒川改心流には、そのどちらも無いね。
示現流に三学とつながりあるなんて話は初耳なわけだが。
>>815 示現流はタイ捨流と競り合った時期があって、タイ捨流の技に
対する返し技を組太刀として採用していたはず。
それを言ってるんじゃない?
>>812 遠祖にゃ上泉がくるのは事実だからしょうがない。
それなのに、同列扱いするなと、憤慨したり、うんざりするやつは、
視野狭窄の新陰マンセー、正確には、「うちだけが本物!!」
柳生マンセーが過ぎるだろw
まあ、今の世の中流派間での試合もないし、自分だけの内に篭りがち
だからしょうがないが、他流侮るなかれだよ。
あんま視野狭窄していると、柔術・中国武術など奪刀法
の演武の横で、「無刀どりは石舟斎が発明した、柳生新陰
だけのそれ以前いはなかった、画期的な技法です…」と
コメントしたり本に書いちゃうようなバカになっちゃうよ。
>>817 無刀捕なんて合気道の演武で普通にやってるなw
>>817は、なんでそこまで飛躍させてまで柳生を叩きたいのだろう。
820 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/16(月) 06:37:11 ID:gYCSsoMN0
示現流の流祖ははじめタイ捨流をやっていた時期があるじゃん。
上泉門下や影響を受けた流派には
新陰道統の「痕跡が有る」と言う話が、いつの間にか
「三学が有る」にすり替えられてるなw
掘り下げると何かかまずい事でも有るのかな?
中国地方の忍者のデファクトスタンダードだった上泉流の忍術とか
江戸時代メジャーだった上泉流軍学もほぼ完全に失伝してて残念無念
ざんねんながら上泉流軍配は小笠原流軍学だから
新陰流兵法とは関係無い。
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < オラオラオラ! 新陰流にたてつくんじゃねーべ >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
ガッガッガッ
ドチドチ!
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_
デケデケ | |
ドコドコ < オラオラオラ! 徹底的にやったるべ! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
=≡= ∧_∧ ☆
♪ / 〃(・∀・ #) / シャンシャン
♪ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋ゞ
|| γ ⌒ヽヽコ ノ ||
|| ΣΣ .|:::|∪〓 || ♪
./|\人 _.ノノ _||_. /|\
ガッガッガッ
ドチドチ!
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デケデケ | |
ドコドコ < オラオラオラ! 徹底的にやるべ〜! >
☆ ドムドム |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _|
☆ ダダダダ! ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
ドシャーン! ヽ オラオラッ!! ♪
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>>819 叩きたいって…自意識過剰でしょ。
>>822 個人的には、新陰流(柳生流?)の槍や馬上での剣の使い方の失伝のほうが
残念無念っす。
宗矩の伝書(外の物のやつ)で、「当流の」槍との記述あるやつとか、
家光が馬上で袋しないを使って試合の練習をしていたとの話があるから
馬上での心得などもあったはずなので。
福岡県に住んでいるだけど、北九州の折尾あたりに 疋田 姓が多い
疋田陰流を習えたりする?
>>828 今、疋田習うなら、熊本だなぁ
大石新影流なら習えるけど。
>>827 尾張柳生での槍、薙刀、居合とか「剣術以外の武芸」は
穴沢流や棒庵流、制剛流とかの他流じゃね?
まあ、「外之物」と書いてる段階で兵法以外の物、
江戸柳生流独自の武芸の事だろうな。
828の者ですが 829さん、情報ありがとうございます。
熊本県古武道会加盟の流派に、肥後新陰流(ひご・しんかげりゅう)
剣術として、疋田豊五郎からの系列で新陰流が伝わっていました。
熊本県古武道会のHPを見たら、稽古場所も載っていましたので
いつか見学に行ってみたいと思います。
>>827、830
自分は当時の「外の物」の用法が、
@他流の物
A表看板(剣)以外、その他の物
どちらか分からないのですが、日本武道全集の6巻目、
史料柳生新陰流上巻の宗矩の伝書を見ると、当流の鑓の仕様まで
書いてあるし、それなりに研究されているようですね。
まあ、当時としては合戦は勿論鑓が主体ですし、試合でも剣対剣
オンリーではないので研究は当然といえば当然ですが。
しかし、新陰流の理論で長物を解説しており、参考になるが、
疋田みたいに型が残ってないのは残念ですし、不思議ではありますね。
よくよく考えたら当時の流派で対鑓用の方が残ってない方が少数派だと
思うので。
上泉本人も合戦では槍の使い手として知られていたし、石舟斎も神道流
だし宝蔵院とも交流しているから、かなり突っ込んで研究しているはず
なので、ホントに残念。
ただ、こういうことみんなで言っていると、「実は…」と言う人が出て
きそうで怖いw
>>831 剣道の人達がやっているので古流を期待していくとちょっとアレかも・・
九州の古流は軒並み、剣連の息が掛かってるからな。
示現流くらいか?純血守ってるのは。
835 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 00:30:18 ID:aJo5tW2S0
実は私は日本拳法を習っています。
金春流から導入した西江水という技に興味がありまして
日本拳法に応用したのですが西江水とはどういう技なのか、
柳生宗矩も石舟斎から教えられなかったという西江水を
誰か私に伝授してくれませんか?
>>835 「技」というのとはちょっと違うような・・・・
>>834 福岡の新影流は剣道の息はかかってないみたい。
元々全部組太刀だったのを先先代が居合いに変えちゃったのあるから微妙な形主あるけどw
先代がやってた組太刀の型を見た事あるけど意外にも新陰流の匂いがかなりするのが興味深い。
熊本は剣道柔道の影響がかなり強そう。
>>835 自分の先生達が大事にしていたものを、こんなところでちょいと教えてと
いわれてほいほい教えることは先生を裏切るようなもんで、少なくとも
自分にゃできんよ…
>>839 君がその何とか言う物を会得してるならともかく
妄想だか聞きかじり程度のものなら教えてあげても
誰を裏切ることにもならんさww
841 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 03:38:53 ID:ygDN+jnu0
>832 延春が厳長先生になにもならってないってのが失伝具合でよく分かるな。
本当に残念だと思うね。
842 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 08:45:43 ID:iXV1UOEMO
>>841 では、厳長さんが外の物までシッカリやってた証拠は?
延春さんが、厳長さんから習ってない証拠は?
で、あなたが所属してる団体はどこ?
まずそこからだな。
843 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 09:19:28 ID:SS4sHdLzO
剣道柔道を目の仇にして、
古流に魔法の業でもあるかのように語る者に
まともな修業者はほとんどいない。
剣道柔道と関係あるだけで
古流の価値がなくなるかのように語る者は、
古流にとっても害をなす者が多い。
844 :
sage:2009/02/18(水) 12:23:57 ID:n6MRYEjH0
>843
ここにまともな修行者なんぞいませんよ(笑
新陰or古流otakuの巣窟だからね。
延春先生が厳長先生に習ってないとか
それは渡辺と加藤が自分の仲間にそう言って
洗脳しているだけ。早く気づけよw住人ども。
延春先生が逃げ回っていてというのは稽古ではなく
普段の生活が異常に厳しいから外へ出て行って
父の目の届かぬ所で遊ぼうとしていただけです。
帰ってきたら稽古が待ってるからそれは逃げられない。
家が道場なんだから。
擁護の振りして煽ってるだけかよw
>普段の生活が異常に厳しいから外へ出て行って
父の目の届かぬ所で遊ぼうとしていただけです
これは人としてどうかと。
そういえば俺も家業手伝わずに良く遊んだけど、今は家業継いでるなw
848 :
sage:2009/02/18(水) 15:09:18 ID:n6MRYEjH0
>845
そうか?
あまりにも恐しい父なら
そうなるだろう。家にいるときは
常にくつろぐ事の出来ない環境って
想像してみれ。
他人と身内の接し方が同じとは限らない。
まつだりゅーちの本だとちょっとあれな感じだったが
852 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 17:03:49 ID:/Dmtxy500
>>842 やたら証拠出せといいたがるあたり、Y会か?
延春さんが、厳長さんからしっかり習っていた証拠はあるのか?
所属してる団体を言う必要もあるのか?M会だと言いたいのか?
>>844 新陰流が好きじゃなかったのに稽古が厳しかったから、逃げていたんだよ。
無理やり稽古やらせても、本人にやる気がなかったらものにならんだろ?
だから厳長さんは跡を継がせる気にならなかったんだよ。早く気づけよ。
で、あんたはどこの人なの?
>>832 たしか柳生、丸目、西、宝蔵院の目録に槍は無いだろ。
御前演武も剣術だし。
工夫のためのレクチャーは受けたと思うが
まあそのへんが外之物である理由だろうね。
>>854 そうですねその辺が外の物たる由縁でしょうかね。
あと、ひょっとしたら誤解を受けたかもしれないが、
少数派というのは新陰流の中で柳生流がという意味ではなく
当時の武道の流派全般の中でという意味です。
自分は新陰流、特に柳生新陰流は、諸流派と較べると
ちょっと不思議なぐらい剣術に特化して、目録などのつくりが
きれいと思っています。
たとえば、
江戸中期以降の諸流派、天然理心、直心影、北辰一刀流
といった処でも、柔・長刀・棒といったのを併伝して
いるのに、それが見受けられなかったり。
普通巻物というと、闇夜での注意事項や蚊帳で寝ている
ときに襲われたときの心得などが○○の伝といった形で
あるのに、その手のある意味くだらない心得が目録に
載っていなかったり。
自分は、こういうのは他のところとの比較で面白い
なあと思ってた。
だから、宗矩一連の外の物の伝書(玉成集とか)を
薦められて、はじめて勉強したとき、「なんだある
じゃん!」と実はちょっと感動した。先生に話したら
「蚊帳の伝」は一刀斎の説話まで引いて教えといた
だろと笑われたけど。
江戸中期以降ならその手の技は外伝だね。
ところで江戸中期以降の直心影に薙刀が有るの?
究理、兵法目録には無いみたいだけど
857 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 23:05:38 ID:xCDN3k6z0
だから、西江水って何なのか教えてちょーだいよ!
門外不出の秘伝なので、漏洩する訳にはいきません。
先師に対する冒涜になります。
859 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/18(水) 23:22:27 ID:xCDN3k6z0
NHKの歴史特集で西江水を紹介してたんですよね。
金春流の能も紹介してましたねぇ〜。
柳生十兵衛は、父親は石舟斎から全部学んでないから
江戸から柳生に帰って正木坂道場で古参の弟子から
新陰流の奥義を学んだってNHKで言ってました。
ドラマ・鹿男あえおによしでは、長岡先生の家として
正木坂道場が出てきたのですよ。
西江水という秘剣はどんな剣なんでしょうねぇ〜。
僕が知りたいのは雪男の正体、ネッシーの正体、幽霊の正体。
それに西江水です。
>>856 ごめん。直心影の長刀は、明治以降だね。
比較的分業が進んだはずの江戸中期以降でも併伝が多いのに、
戦国末の新陰が併伝していないのは不思議。という事で。
>>843 古流に魔法の技がある訳じゃなくて、剣道柔道とは違うという事。
まず立ち方歩き方からして違う。
それを分からずに両方やっている人でまともな修行者はほとんどいない。
>>860 併伝はふつうにしていたと思う。
ただ、使う流派がそれぞれ違ったりしてるので
この場合併伝というより併習だろうね。
たとえば宮本武蔵は手裏剣の流祖で家伝は十手だし
五輪書にも槍、薙刀の心得も書いてあるけど
二天一流の形は剣術で整理独立しているよね。
分業されててもそれほど不思議とは思えないけどね。
863 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 06:48:58 ID:7vnrOY+i0
864 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 06:54:04 ID:7vnrOY+i0
巌長さん自身本来は流派を継ぐ立場ではなかったからね。
兄貴が死んだから急遽流派を継ぐ羽目になったんだし。
865 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 08:10:05 ID:j1leGoX+O
>>859 雪男は着ぐるみ。
ネッシーは近年、捏造と発覚。
幽霊はプラズマ。
西江水は健康水。
866 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 08:25:58 ID:Cc0DTdfwO
>>685 雪女は本物であることが政府から発表された。
オカルト信者は他所でやれ。
アメリカのラジオ放送で火星人が攻めてきましたという与太話を
真に受けるような愚か者と同レベルが今でもいる。
形を変えて、現在はアセンションやスピリチュアルだったかw
馬鹿な大衆とは実に操りやすいものだな。
869 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 22:23:55 ID:mATr9/lj0
あの〜。
ようするに西江水っていうのは
どういう技術なんですか?
870 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 22:37:39 ID:CwvfeQfH0
技術っていうか
刀持った殺気立ってる集団に取り囲まれても
コタツに入ってワイドショー見ながら煎餅かじるおばちゃんのような心持ちを
保てればおkって教え
871 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/19(木) 22:43:38 ID:CwvfeQfH0
おkというのはその場を切り抜けられることを保証するという意味ではありません
>>870 なんだそりゃ?
穏やかな気持ちで最期を受け入れろってこと?
転じて、それを活人剣と呼ぶ
おまいら、わかっててからかってるだろw
876 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/20(金) 00:44:17 ID:FvHutJuK0
あの〜。
ようするに西江水っていうのは
どういう技術なんですか?
意地悪しないで教えて下さい。
私は掘北真希似の美女なんですよ。
ウッフ〜ン!
それは、連也先師に対する挑発と受け取ってよろしいな?
>>876 西江水(せいごうすい)→性豪水のこと。
ようは超超超モチツケってことだよw
別に煽りでも何でもなく心を静めて落ち着けってこと。
それが高いレベルでできれば相手の形に表れる以前の気配は全部キャッチできて
逆にこちらの気配は相手にキャッチされずに動けるって話。
できるかどうかは別としてね。
一刀流とかよそにもこの類の話はあるよ。
西江水
武士道とは死ぬことと見つけたり・・・
強敵に出会ったとき、安らかに死ぬための教えです。
882 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/20(金) 12:29:41 ID:8yPKFxas0
西江水は揚子江の事だ。
後は想像にまかせる
ちゃくとひっとる
変換1:着とヒット流
変換2:着斗ヒット流
変換3:茶句斗ヒット流
俺のIMEは「ヒット流」にこだわりがあるようだ。
まぁ、西江水は石火の機にて候というわけだよ
西江水って
少し前傾させた姿勢
って解説してた人がいたような・・・?
885 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/20(金) 22:10:35 ID:P+6gWWpi0
西江水を効かせるって書いてる人もいるざます。
西江水とは、どういう身体操作なのか白状するざますよ!
はぁ〜〜? 聞こえんなぁ〜〜
なんか、いくつか前のスレで斬釘截鉄は鉄をも斬るとか言ってた奴を思い出したw
888 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/20(金) 23:37:28 ID:P+6gWWpi0
だから、早く西江水の身体操作法を教えなさい!
でないと、お風呂に入って寝ちゃいますよ!
>>888 揚子江の川の流れのように途切れず連綿と
技を繰り出すことだよ。
これでいいか?
890 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/21(土) 00:32:57 ID:mNe/EtNH0
西江水って秘剣じゃないの?
891 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/21(土) 01:13:15 ID:0xKGow5Z0
いや。違うな。
揚子江の川の流れのように途切れず連綿と
ピュッピュッと垂れ流す性豪垂の事だ。
わかったか。
>885
そういう身体の使い方を覚えることだな。
892 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/21(土) 20:17:11 ID:0X7PPby50
西江水は金春流の歩法を参考にした秘伝です。
西江水言えば
柳生三厳の「月の抄」には
此西江水之習ニ、亡父ノ用ト、老父ノ用ニ替リタル差別アリ。
亡父ノ用ハ、ケツヲスボムル也。是西江水ト号ス。
老父ノ用ニハ、ケツヲハル也。これ西江水ト号ス。
とありますが、
どういう意味ですか?
どなたか分る方がいれば、ご教授下さい。
>>893 そこまで書いてあって分からないならそういう事を習っていないという事でしょう。
古流なら他流にもほぼ同じようなのあるし、中国の伝統武術にもある。
ちなみに文章だけでは説明無理なんで、良い師匠を捜しなさい。
>>893 此西江水の習いに、亡父の用と、老父の用ニ替りたる差別あり。
亡父の用には、ケツをすぼむるなり。是西江水と号す
老父の用には、ケツを張る也。これ西江水と号す。
どういう状況でこれを書いたのか知らんが、ケツのことが気になって
しかたないみたいだな。
新陰流的にもケツを張るかすぼめるかすれば西江水なんじゃないの?
すぼめるはともかく、張るって何よ??
896 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/22(日) 00:19:11 ID:sM1FnSlN0
以前、転会のHPに西江水の説明と写真が載っていたような・・・。
897 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/22(日) 00:48:02 ID:gYxftIFp0
ケツを張るってそりゃお前あれだろ。
脱肛するほどにケツの穴を押し出すんだろうよ。
すぼめるのは簡単なようで実はこれがまた難しいんだ。
ケツの穴が直腸ブラックホールに吸い込まれるくらいに
スボメ押し込むんだからな!
気をつけろ〜、下手すりゃ手術台だぜ!!
898 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 04:33:32 ID:csJqiFAB0
西江水って何?
どういう技?
899 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 05:35:24 ID:QALRW5RgO
素朴な疑問なんですが、柳生厳周、厳長先生は、延春先生とまったく同じ型をやっていたんでしょうか?
あまりにも洗練されていて、剣道とは違う古流剣術の雰囲気がないと感じます。脚を斬る動作以外、ほかの動作は雰囲気が剣道とそんなに変わらないですが、刀差していた幕末もあの通りの技だったんでしょうか???
900 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 06:02:05 ID:csJqiFAB0
力関係としては剣道>古流だから
技は改変しているでしょう。
悟りを得たくて得たくてしょうがなくて、長年、自分の全てをそれに費やしている居士が、
師匠に「どうしたら悟りが得られるんでしょうか」と真剣に問うた。
血を吐くようなこの質問に、その師匠はこれもまた真剣に、
「揚子江をひと呑みに出来たら教えてやる」と答えた。
この途方もない答えを前にして、戸惑ったり、疑ったり、迷ったり、尻込みしていたら、
悟りは得られなかっただろう。また、うまく切り返して答えてやろうとか、受け流してやろうとか
していたら、これも悟りとは遠く離れていたであろう。
この途方もない師の答えに豁然と大悟できた居士は、本当に揚子江を一飲みに
する姿勢だったに違いない。天地自然と互角に立ち会えるほどの気勢があれば、
いかなることにも動ぜず、憶せず、決然と行動できるだろう。
宗矩曰く
「西江水 心を定め、たんぶと水に入て、敵をのんで以て不動という心なり」
902 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 12:28:50 ID:3R9oVhYu0
あ〜あ〜。
マジレスしてやんの。言っちゃったのね・・。
ついでだから、もう少し詳しく言うと
悟りを得たくて得たくてしょうがなくて、長年、自分の全てをそれに費やしている居士が
ある禅宗に「この世に絶対的なもの―何にも捉われる事が無い何にも
関係することの無い絶対境とはいかなるものか?」と問うた。
するとその禅宗は「汝が揚子江の水を一口に飲み干すことが出来たら
私は汝のその問いに答えよう」と。
つまり絶対何にも捉われることのない、全く何にも関係することのない
モノという難問を更に上回って一刀両段にした境地こそが
西水江という教えで、これヘキガンロクという禅の書物に出てくる
言葉。姿勢や太刀、動きのことではなく境地そのものの教えです。
まあ、簡単に言うと「立つな、座るな、寝るな」「さあ、どうする?」
というような無茶苦茶な質問に即座に考えることも無く答えたその
無心の境地が凄いじゃんって言うことだ。
というのは全部嘘で、西江水とは実は柳生家に伝わる秘伝の銘酒。
これをグイと呷れば悩みも迷いも全て雲散霧消し、ハイになって恐れを抱かなくなるのです。
アレは美味いよなw
>899
疑問に質問で答えるのは悪いが、
脚切と他の箇所の切は違って見えるのかな?
まあ厳周先生の写真を見る限りではさして違いの無い遣い方をしていたはず。
あと、よくある古武道の演武が洗練されていないとするなら、
それは稽古不足や、習ったときにお爺さん先生がよぼよぼでそれを真似るしかなかったとか、
そんなところじゃないかw
906 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 23:35:35 ID:OfX47A+40
西江水を知りたくて能ばかり舞って沢庵禅師に叱られた柳生宗矩ってバカじゃんw
>>906 一代で大名に成り上がったんだからお前よりは頭いいと思うよw
そのつっこみはどうだろうか
909 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/23(月) 23:57:56 ID:UmEBnU+hO
柳生家の伝来の教えでは、動きに際して踵が上がることを禁じていた。
これができているかいないかが技量を見定める重要なポイントとなる。
西江水とも関連してくる。
さていかがでしょう。
素人の単純な疑問なんですが
実際にその歩行で戦えるのですか?
911 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 00:12:49 ID:lzWR+3K40
現代の日本人はつま先に重心を乗せる西洋式歩行だから
つま先をあげて踵をつけてすり足で歩く
日本古来の歩行ができません。
能でも古流剣術でも、このすり足が基本です。
すり足と言ってもつま先重心のすり足とは異なる物です。
剣道経験者が試合稽古をやると大抵かかとが上がってしまいます。
あと、雑巾絞りの手の内も。
最初に付いた癖は中々抜けませんね。
913 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 00:41:34 ID:xvtEGeAQ0
居合などやってる人達は、べた足基本だが、少し踵が上がる時もある。
しかし爪先は上げない。足の裏が見えるのはみっともないから。
しかし新陰流やってる人達は、足の裏平気で見せている。
914 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 00:50:48 ID:50biHGNJ0
よう知らんけど、強けりゃええんでないの。
みっともあろうがなかろうが。
915 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 01:09:26 ID:lzWR+3K40
君のような大雑把な神経は日本人的ではない。
なこたない
918 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 02:44:32 ID:qtqnzLkHO
柳生厳長も、往時の日本人が踵が上がることを抑えて歩けなくなっていることを、最も歎いた人であった。
>>911 能は、紙一枚浮かせてるぞ。
すり足じゃない。
920 :
sage:2009/02/24(火) 12:25:16 ID:wz/XUbA30
踵が上がるのは度合いの事だろう。
全く上がらないというのは逆におかしいと思うよ。
様は土踏まずに重心を常に置くように歩く稽古を
したらよいのでは?所謂二軸とかナンバとか呼ばれる
歩き方がそれだし。
>>910 姿勢も含めて出来ていればむしろこの歩法じゃないと無理。
>>913 俺のとこの新陰流はつま先上げるけど剣道のようには踵は上げない。
もちろん少しは上がる時もある。
どこの新陰流の話?
922 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 21:51:52 ID:xkSDxo2C0
君達、いい加減に西江水はどんな技か教えなさい。
私はキョンジュに帰らなくてはいけないのだ!
>>919 いや、分かって言ってると思うけど、摺り足って言っても、
ほんとに摺っているわけじゃないから。
そして、それは君以外も全員知ってると思うし
>>911もそう意味で
言っていると思うよ。
今の剣道とかの用語での摺り足は知らんけどね。
924 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/24(火) 23:42:14 ID:UXbNAznw0
>>921 YもMも、つま先上げて足底ペロ〜ンと見せてやってるわけよ。
居合やってる人が見たら、ダメだしするんじゃない?
>>924 そもそも居合がおかしんだがw
本当に江戸時代に今のような居合あったのかね?
大道芸以外で。
だいたい立ってやる形まで居合っておかしいと思わんのかね?w
とかる柔の江戸時代の伝書だと座ってやる形を居合というぞw
居合の歩法にも踵から入るのが有るよ。
流派によって違うんじゃね?
能とか舞楽も足裏見せるし見栄えは関係ないと思う。
とりあえず、秘伝やら武板やらで聞きかじった知識を語ってみたい
だけなんじゃないの?w
>>925 イアイが主に居合と書かれるようになったのは、
座っても稽古できる体系が整備されてから。
イアイという文字列はもともとは発声法だったりする。
古歌に「一郎さんのまきばで〜 イーアイイーアイオー」ともあるぐらいだからな
>>929 発声法がそのまま武術をあらわしてるのは、
剣術をとかいて「ヤットウ」と読むのと一緒。
931 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/25(水) 12:03:42 ID:PQXL53zQ0
グズグズ言わずに西江水の技術を公開しなさい!
>>932 柳生に限っては居相のほうが書かれてる頻度が高い。
位相は、林崎系の伝書でも割と古い表記。
イー、アイとかイー、エイと発声するのは林崎系
934 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/26(木) 00:46:23 ID:oHBg7ljK0
西江水の技術を公開しなさい!
936 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/26(木) 09:51:23 ID:+9RsnRWH0
『昔咄』
金春流に一足一見といふ大事の秘密あり。
これを柏崎の能にかずけて、二まわり半の伝といふ。
この事を故ありて 金春家より柳生家へかたりしかば、
ことのほか懇望にて、
柳生家の一大事 西江水とかけあひぬ。
>>934 このスレでもちゃんと回答が書かれてるというのに。
見えない奴には見えないが、見える人には、
裸のねーちゃんが大股開いていらっしゃ〜いと言ってるのに
等しいぐらい回答されてる。
938 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/26(木) 13:37:57 ID:uxacX09L0
奥義・極意・秘伝と呼ばれるものすべてが
“必殺の「型」”だと思っているんでしょう。
見える見えない以前の認識の問題かと・・・。
必殺の形なんて無いのにねw
南斗水鳥拳奥義「飛翔白麗」
奥義=技は北斗の拳の影響かと思われますw
>>940 それ以前から、秘伝の巻物を盗み出して奥義を会得、とかは講談モノでよくあったんじゃね
>>941 そうかも。どちらにしても奥義を技とか型と捉えるのは
きっとサブカルからだと思うんだよなぁ。
943 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/26(木) 21:17:14 ID:uxacX09L0
そういうことってさ、どんな芸事でもそうだけど
きちんと稽古してれば
自ずと気が付きそうなもんだが・・・
944 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/26(木) 21:20:28 ID:Z5Sg0vxmO
945 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 00:09:59 ID:jytRaQ/Z0
西江水は精神を語っているのではなく、れっきとした技術です。
136 :1:2008/12/21(日) 22:37:39.26 ID:7W68QYHh0
そして、四月も中旬に差し掛かろうとしていたある日のこと。
その日の早朝、石舟斎は不意に目が覚めた。
____
/ \ …よっこらしょ…今日は、少し体が動くお…。
/ ⌒ 三 ⌒ \ まだ陽は明けておらぬの…。
/ヽ-((◎)-(◎))-/\
| | (((__人__))) | | 厠へ行きたいけど、於鍋を起こすのも悪いお。
\ / 体も動くし、一人で行くかのう…。
/ \
|┃三 ガラッ
|┃ ____
|┃/⌒三⌒\
|┃‐(◎)―(◎)\ えっへっへ
――‐.|┃:(((__人__))):/\
|┃| |r┬-| | |⌒)
|┃ `ー'ォ //
(⌒ヽ・ ^^^ ・ ̄ /
|┃ノ /
|┃ <
|┃ (::)(::) ヽ
|┃/ u > )
|┃ (__)
138 :1:2008/12/21(日) 22:38:09.52 ID:7W68QYHh0
_____
r⌒ヽ、 . / /三\\ て
/ \ \. / -(◎)-(◎)\そ
_/ / ヽ /ヽ (((__人__)))/\ やれやれ、こう薄暗いと、
〈__/ . | | | |r┬-| | | 足元も良く見えんお………(ツルッ)…あっっ!?
/ .\ i⌒\_」 /
./ / ⌒ヽ, _.ヽ .\ /
.__ r / |/ー、\ \
."ヽ | i, ノ .\^ i
.| ヽ./ ヽ、_../ / . ヽ、__ノ
.i / // ./
.ヽ、_./ ./ /
./ /
.ノ.^/ つるっ
|_/ て
そ
____
/ \
/ ⌒ 三 ⌒ \ って、ほっ…!!
/ ヽ-((◎)-(◎))-\
| | (((__人__))) | |
/ ∩ノ ⊃ / ∩ノ ⊃
( \ / _ノ \/ _ノ
.\ “ / . \ “ /
\ / /\/
\ \
\ \ \
> > >
/ / / スタッ
て(____)(__)て
146 :1:2008/12/21(日) 22:41:31.71 ID:7W68QYHh0
____
/ \
/ ⌒ 三 ⌒\ ふむ、転びそうになったが、転ばんかったお…。
/ヽ -((◎)−(◎)-\ 不意の際にも、体勢を崩さず保てる術…。
| | (((__人__))) | .| ))
/ ∩ノ ⊃ / 「浮身の法」…とでも名づけるかお。
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
149 :1:2008/12/21(日) 22:42:42.06 ID:7W68QYHh0
〃⌒ヽ _ __ _
| >' ゙´ ―=ニ二"'- 、
/\ ヾ __ r─v⌒Y⌒ヾ‐、 このエピソードは、厠に出た石舟斎が、暗い廊下で転びそうになった時、
/ //^\\二ニ廴f⌒Y⌒ミx⌒Y) 我にも思わぬ形で体勢を立て直せたので、
. / // \_二廴{r=((辷ソ))ニコ} これを「浮き身の法」あるいは「西江水」と称した、というのが
. |/イノ ヘヾィ|ト、彡|レ' ソ ベースなのだけど、実際のところ、本当かどうかは不明なのかしら。
. i/| '⌒ ゙‐-|ト、ニィ||r'
|!| x==ァx、 i」 i!i!i」 最も、「西江水」については、
. rヘ 仆r為リ X气ミx i!i!/ 十兵衛三厳がその著作の中で触れているのだけど、
. X_l. ゞミン トr為リ ,iレ'} 実際、具体的にどんな内容なのかはよくわからないのよ。
. (( ヘ 、_ '_ `''‐''´厶ク ただ、心得については「尻を張れ」「尻をすぼめろ」とか
. 辷⊇>x、.ry ∠廴)) 書いていたりするので、技法としては確かに存在していたみたいかしら。
. >'´⌒{>//zxz‐‐ュ≦ミ三⊇ (だから、剣を取って直接教えることは出来なくとも、
. Y´ ,/)' ^,ニ⊃コ} ̄`\⊇ 口頭で伝える事はしたのかもしれない)
. { x'^^^ス ,二)./ \
. > / 幺 幺x‐ュ,)〈 〉 なんにせよ、死に際にまた新たな奥義を悟った、というのは、
. / ^ 幺 幺・i」 .ノ〉八_r=、 / 石舟斎の剣豪らしさを伝えるいいエピソードだと思うのかしらー。
. { 〉〉 〉〉-<´/ 「i|iト、v、
. \ 乃 乃|i」》/ .|」i」x、幺
消費ごめん。
でも、西江水これが一番分かりやすくね?
出典「やる夫で学ぶ柳生一族」(笑
951 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 07:44:44 ID:t5pxExlT0
西江水の技術は現代に伝わっていない。
失伝したんだろ。
952 :
sage:2009/02/27(金) 12:16:33 ID:o2Se9O8S0
性豪垂は溜めて迸らせる技だってば。
>>951 他流でもあるから失伝は無いわな。
出来るかどうかは別として。
勘違いして腰を反っちゃう人がいるけどね・・・
954 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 19:08:49 ID:B1OaLQKp0
955 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 19:29:57 ID:2ZFCa5L5O
腰が反るのは悪くない。
吊り腰の教えを知らんのか。
それが勘違い。
反っているように見えるけど反っている訳ではない。
勘違いしてる人が多い。
957 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 20:26:43 ID:T2JkFIhw0
>>954 西江水というものを伝承してるとこに入門すればいいんじゃね?
きっと教えてくれると思うぞ。いつになるかわからんけどw
どの技術もそうだけど、それが一つであり全てでもある。
型に流れる技術は独立したものではない関係性の中に存在する。
そこだけ抜き出してどうする?
人間にとって心臓は大切だが、それだけの人間なんていない。
958 :
957:2009/02/27(金) 20:29:57 ID:T2JkFIhw0
ごめん。
師曰く・・・ね。
959 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/27(金) 21:48:02 ID:fXiO8ezh0
心臓ってさ、どうやって動いているか知ってる?
電気信号で動いてるんだよね、自発的に。
>>959 ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
961 :
名無しさん@一本勝ち:2009/02/28(土) 14:34:45 ID:PNmvjrxsO
踵が不用意に上がるY会とM会。
西江水が無いことは明らか。
>>961 こういう事言う奴が一番出来ていない事は明らか。
技術の中身はおいておいて
どの団体も吊り腰とか西江水なんかを伝承してるの?
>961
ずっとずるずる付けっぱなしなのはもっと違うと思うがw
つうか、あんたの言うちゃんと出来てる会派はどこかね?
推薦を頼む。
>963
用語や中身が一定して無いが
似たような教えはだいたいのところにはあるね。
966 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 02:06:25 ID:OkFgnQ6a0
言葉遊びだよね。
言われた事も出来ないようじゃ意味無いだろうし。
>966
それも言葉遊びだなw
あんたのところと違うと言うだけなら、重きを置くところが違うだけだろう。
お舅みたく文句だけいってんなw
968 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 14:41:27 ID:WAGy4Ku40
M会は西江水の教えを誤った。
曲解してお辞儀をするように、身体をくの字に曲げてしまった。
新陰流の理想をゴミ以下にしてしまった。
恐ろしい事やのう。
969 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 15:17:50 ID:2P2OtUw70
Y会は西江水の教えを捏造した。
先代の宗家が習ってない事を、適当に剣道から想像した。
そして、とても古流とは思えない、姿形にしてしまった。
悲しい事やのう。
970 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 16:58:12 ID:wcUBzOYVO
Y会のは効果も無いが無害。
M会のはやればやるほど、弱くなる。
へたをすれば身体を壊すぞ。
よって有害指定にします。
つまり、春風館が一番良いってことか
972 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 22:03:20 ID:wcUBzOYVO
そういう問題ではない。
身体を歪めるようなとんでもないことを、新陰流の秘伝として伝えるな、ということ。
真面目に新陰流にとりくむ弟子ほど酷いめにあうことになる。
そうなったら取り返ししがつかなくなる。
973 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 22:15:12 ID:wcUBzOYVO
流祖は新陰流という、人間を高度化する原理を見出だしたはずだ。それを新陰流を名のりながら流儀を変質させるばかりか、人間の身体を壊すようなことにつかうな!
ってことだよ。
>>972 >>973 新陰流なんて失伝した流派のことなんか忘れて
素直に剣道やれよってことだなww
お辞儀をするように、身体をくの字に曲げるっていうのは、
刀を打ち込む際の姿勢がそうなっているのでしょうか?
へたをすれば身体を壊すということは、不必要なまでに
前屈をしているとか?
>>975 意味も無く前傾姿勢をとるのは何をやるにせよ良いことじゃない。
古武道っぽいという理由だけでそれをやってるなら阿呆というしかない。
YもMもSも同じ穴のムジナw
978 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 23:22:39 ID:OkFgnQ6a0
壊した人が続出してるの?
ごめん、あんまり聞いたことなくてさ。
言われてみれば、剣の持ち方も右手が前だけで不均衡だよね。
逆遣いもあるけどさ。
稽古の頻度はかなり低いと言わざるを得ない。
身体が捻じれる可能性もあるし、片手だけ肥大したりするかも。
こりゃ身体に悪いわな。
左右均等に稽古すべきだよ。
>意味も無く前傾姿勢をとるのは何をやるにせよ良いことじゃない。
そうそう。
逆に意味があれば何でもいいのだ。
身体が悪くなってもよくなっても、どっちでもな。
意味とは、もちろん制敵ってことだよな。
おれ間違ってるか?
ああいう腰構えなら体術系にふつうに有るだろ。
前屈というより養神館の立ち姿に似ているようにも見える。
合気道は打点が高いからあのままだけど
足や背を斬り合うならあのぐらいになるんじゃねーかな?
そこで颯爽と黒田鉄山が登場するわけか!
981 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/01(日) 23:59:38 ID:wcUBzOYVO
黒田の爺さんは鉄公のような腑抜けな姿勢をしていない。
中心軸を自ら崩して成り立つ武術は特殊な流儀。制敵のために特化したものといえよう。
黒田某も本やらDVDやら出した以上は自流の優位性を証明する
必要があるよな。あの古武道風の姿勢で現代剣道に対抗できるのか?
現代剣道を批判してたよな。批判するなら証明すべきだ。
駒川改心流の門弟が剣道の大会でどれほどの成績を上げられるのか。
ぶっちゃけ、秘伝、秘伝といいながら西江水の教えは、月之抄や
厠の話(ほんとかどうか怪しいが)などを交えて身体面での話、
心の持ちようとしての話(そもそもの由来の揚子江を飲み込む
ようなというやつ)を、面白く雑談気味に教えてもらったので、
昔は秘伝だったよぐらいの感覚しかない。高校生だったので先生
が気を使ってくれてたのかもしれないが(汗
それ自体は、技でもなんでもない。
ただ、その心法・身法が遣うとき常に利用されているので重要だと
思うけどね。
しかし、西江水が、何で、技と誤解を受けているのだろうか?
検索しても、主に心持の話がヒットするんだけど…
ひょっとして、どっかのゲームや漫画に「秘剣!西江水!!」
とかででているのかな?
>>982 なんでわざわざ剣道の試合する必要があるの?
全く別の物なのに。
>>984 現代剣道より優れてるんなら剣道と試合すりりゃいいじゃないか。
黒田鉄○氏より前の代なら防具付けて試合稽古してたそうじゃないか。
出来ない理由はあるまい?
986 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 01:33:33 ID:TkBwXkwJO
弱い矢嶋新一
987 :
sage:2009/03/02(月) 12:33:23 ID:JJUSZMjM0
剣道と古流が別物だと思っている方がどうかしているぞ。
確かに剣道の多くはスポーツ化してしまってそれを
そのまま受け入れている人やそれが武道だと勘違いしている
者が高段者でも多くいると聞くが、一部の剣道家では
武道として剣道をやっている先生がいるよ。そういう先生の
話を聞くと古流も剣道も同じだと分かる。
ただ型だけで試合稽古をしていなければ幾ら同じだといっても
勝てるわけが無い。要は古流も型稽古と試合稽古をするべきであると
いう結論です。
西江水が技だと思っているのはやっぱ小説などの影響では?
吊腰などと言うのは誰かさんが作り出した造語です。
弓腰・馬腰という言葉はあるよ。
988 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 12:49:54 ID:dapATw5bO
鉄山師範は防具稽古をやる時間がないと雑誌で発表していたから、他人が口を挟む問題ではない。
私を含め、あんたらよりは黒田師範は剣の技術は上でしょう。 幼稚園からやらされて、稽古中断したのは大学受験のときだけで、仕事も家伝武術に合わせて今は武術で生活しているのだから。 本流だ分派だと差別してもどうにもなりませんよ。
989 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 13:05:04 ID:dapATw5bO
黒田さんは週一、二回くらい剣道着袴をはいて稽古している人とは違うと思いますね。
稽古日誌なんか、この日からこの日まで居合五千回など、接骨院廃業して働かないで稽古してんだから、週一道場稽古なんて環境の人に、論ずる資格はないと思いますよ。
こういう極端な話しに振る奴って大抵、未経験のオタクが多いよな。
各論が出来るだけの経験が無いから、有名人の話しやVS的な話しか持ってこれない。
991 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:02:42 ID:TkBwXkwJO
>弱い矢嶋新一
992 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:11:13 ID:TkBwXkwJO
インチキ矢嶋新一
993 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:12:03 ID:TkBwXkwJO
弱い矢嶋新一
994 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:18:03 ID:TkBwXkwJO
カスの矢嶋新一
995 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:19:20 ID:TkBwXkwJO
インチキ矢嶋新一
996 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:41:05 ID:TkBwXkwJO
弱い矢嶋新一
997 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 15:41:25 ID:TkBwXkwJO
インチキ矢嶋新一
998 :
名無しさん@一本勝ち:2009/03/02(月) 16:12:27 ID:TkBwXkwJO
カスの矢嶋新一
999 :
カキウチ最強:2009/03/02(月) 16:12:51 ID:TkBwXkwJO
カキウチ最強
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カキウチ最強
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