「哲学用語としての科学」は世間には通用する。
ただ、哲学とか科学とか興味ない人達の世間でだけど。
「哲学用語としての科学」というのは哲学してる人達が使う「科学」という概念ということだろう。
では“哲学してる人達が使う「科学」”ってなんじゃらほい?となる。
哲学がヘーゲルで終わるとあるので哲学は観念論の立場だと考えることができる。
観念論的な科学。りんごが木から落ちるのは重力によるものだがこの重力とは天地創造の主が創った
仕組みなのだ、とするような科学ということになるだろうか。
ただこの晒されている「哲学用語としての科学」という表現は自然科学的なものよりは社会科学的な
意味に近く、また定理や法則という概念で考えてしまったために
「アタマの中でする科学」=「哲学用語としての科学」という表現になってしまったのだろう。
至って何でもない、一言二言の指摘で済むところをわざわざ連投までして騒ぎ立てることは誰かの
言うとおり恥の上塗りでしかない。一度鏡で書き込んでる自分の表情を見てみると良い。
知識も論理能力も、正しく使わなければそれは自分を卑しくする毒にもなる。
梅雨でした。