空手の奥義・六

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590名無しさん@一本勝ち
丸川譲二氏の語る本部朝基 (秘伝古流武術 季刊 Vol.6 1991年)

 丸川氏は朝基の東京指導時代の高弟であり、
現在では数少ない、朝基の素顔を知る一人である。
氏に朝基の技と人間性を語るエピソードをお聞きした。
591名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:07:52 ID:sfH2CCwa0
「私と師匠の出会いは昭和七年のことでしたね。ふとしたことから、
友人の紹介で朝基先生に会いました。日暮里の『泡盛屋』という
小さな店だったんですが、六畳間の真中にドテラを着て、ドカッと
座っている男がいるんですね。

これが目付きが異様に鋭くて、腕も足も丸太ん棒のように太いんですな。
随分と大きい男だなと感じましたね。その男がね、こちらをジロッと睨んで

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 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>   小さいヤツは唐手をやっても無駄だ。
  ヽヽ___ノ 


って言うんですね。さすがにムカッときましたよ。
 で、その日はそのまま引き上げまして、日を改めて今度は当時じゃ
最高級だったタラバガニの缶詰を持っていったんですね。そうしましたら
”唐手は別にして君は何に興味がある”って聞くんですね。私はシャモと
闘犬に興味があると答えましたら、”その闘犬というのを見せてくれ”と
言うんですね。自分の家の庭で闘犬をやりましたよ」

このことがことが縁となって丸川氏は唐手を学び始める。一方、朝基も
丸川氏の家に時々宿泊をした。そんなときは、朝基の凄まじさをまざまざ
と見せつけられた。例えば、庭の大きな石をみては「お前のところのは
良い石があるな」といってヒョイヒョイ持ち上げる。また、モチの木をみて
「いい木だな」といっては、その葉を手刀で折ってしまう。「ひでえ力のある
オッサンだな」というのが丸川氏の感想だったようだ。
592名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:15:46 ID:sfH2CCwa0
昭和8年、周囲の人たちの協力により朝基は小石川の江差町に「大道館」
(昭和16年まで存在。但し、14年からは牛込に移転)という道場を
建てる。稽古時間は朝の九時から夜十時まで。丸川氏は毎日稽古に通った。

当時、朝基の名はかなり有名であり、道場生もかなり集まったようである。
だが朝基はただ見ているだけであり、自分の稽古も人前では絶対やらなかった。

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 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>   武術は人に教えるものじゃない。教えたりしたら弱くなる
  ヽヽ___ノ 

というのが口癖であった。
丸川氏はこう語っている。「師匠は決して教えない人じゃなかったんですよ。
ただ、かなりできる人を教える人だったんですね。素人を教えるのは嫌だったようです」

「師匠の合戦はすごかったですね。あるとき本牧の屋台で寿司を食っていたんですが、
柔道着をぶら下げた奴等が5〜6人こっちにチョッカイをだしてきたんですよ。最初は
知らん顔していましたが、そのうちの1人が、よしゃいいのに師匠につっかかっていった
んですね。そうしましたら”丸川よく見ておけよ。こういうもんだよ”と言って、あっという間
でしたね。3人ばかりを倒してしまいました」
593名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:20:59 ID:sfH2CCwa0
他にもイレズミをした男がすれ違いざまにぶつかってきたとき、飛び上がって
正拳突きを叩きこんだとか、日本刀をもって暴れている男と対し、下駄で刀を
受けて倒したとかの話もある。倒し方はすべてストレート一本。一本拳をつか
って捻りこむようにして入っていった。一発でほとんどの相手は倒れた。

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 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>   ”武術は試みだよ、殺すんじゃないよ”
  ヽヽ___ノ 

ってのが、師匠の口癖でしたね。武術は実戦を通じて学ぶってことですね。
それから合戦するときの心構えといいますか、必ず逃げ道を確保しておけと
言っていましたね。”武道家が何故やられないと思う。パッとやってスッと退く
からだよ。だから一発で倒せ。グダグダ長引かせているから、刺されたりする
わけだ”とか”三つ突かれて避けられなければこっちの負けだよ”なんてことも
言ってましたね」

他武道が絡んだ話も当然多い。朝基はどんな武道に対しても
「やってみなきゃわからん」と言いながら、必ず手合わせをした。

「京都の武徳殿に行ったときですね。柔道着の有段者が五十人ばかりズラーっと
並んでいるわけですよ。ごっつい連中がね。まあ、是非とも手合わせを願いたいと
言われまして、その中から三十人ばかり選びまして、対戦したんですよ。実戦じゃない
から当てることはありませんでしたが、誰一人として師匠を投げることは出来ませんで
したね。銃剣術とやったこともあります。師匠はもちろん銃剣術なんてやったことはなか
ったんですが、すべて制しましたね。

 それからこんなこともありました。今の合気道、当時は植芝柔術と言っていた
んですが、そこへ師匠と私で行ったんですよ。こちらとしては何やるわけでもなか
ったんですが、師匠が見えたら稽古をパッとやめちゃいましたね」
594名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:28:13 ID:sfH2CCwa0
プロボクサーのピストン堀口とスパーリングをした話も有名である。

「師匠が堀口に言うんですね。”あなたの命は保証しますから、どこからでも
打ってきなさい”って。ピストン堀口といえば、ボクサーとしては有名な方でし
たからね。我々としても少々肝を冷やしましたよ。でも、なんのことはない。
パンチは全部受け止めちゃいましたね」

実戦でも他武道に対してもことごとく勝った、朝基のその強さの秘訣は
どこにあったのだろうか。

「関係あるかどうかは分かりませんが、師匠は目が異常に良かったですね。
我々に見えないような小さな星でも全部見えてしまいましたからね。それから
武術に対する考え方がちょっと変わってましたね。

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 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  
  | |@_,.--、_,>   ”武術は強い弱いじゃない。いかに公式を知っているかだ”
  ヽヽ___ノ 

って言うんですね。公式とは対処の仕方とでも言ったらいいんでしょうかね、
それだけじゃ言い切れない面もありますが・・・。

 例えば柔道家につかまれたときは唐手で一体どう捌くのか。剣道、銃剣道
が相手になったときは唐手としてどうするのか。そういうことをしっかりと分か
っていることが大切だということでしょうね。あとは経験次第だと言ってましたよ」

相手の背が高ければ巻き込むようにして中に入り、拳のスピードが速ければ、
腕を鍛えてガツンと受けるなど、相手による対処の仕方なども教えてくれた。
また、稽古上の心得にも特異なものがあったという。
595名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:38:07 ID:sfH2CCwa0
「師匠は良く、

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 ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
  | |  (・)。(・)|  ”十回やったら八回は負けておけよ。二回勝ったら満足しておけ。
  | |@_,.--、_,>   ただ、勝つときにはしっかりと急所を狙って、その狙い通りにいくようにしろ”
  ヽヽ___ノ 

ということを言っていました。そんなことを言う理由はいくつかあったと思います。
手の内を知られないようにとのこともそうでしょうが、実戦ということを考えていた
んだと思います。良く道場では威勢がいいけど、いざ実戦になるとからっきしだめ
という人がいますが、それを戒めたんじゃないかと思います。

朝基は非常にさっぱりした気性の人で、お金に執着がまるっきりなかった。
持っているお金は全て使い果たした。大阪時代から一緒に暮らしていたお妾
さんが、これは車代、これは食事代と必要な分だけお金を渡したそうである。

 当然お金は貯まらないし、商売っ気のあるようは人ではない。大阪へ一家
揃って出ることになったのも、上之屋で始めた客馬車商売に失敗したからと
いうことである。

「師匠はね、武術を必要とはしない人だったんですよ。と、言いますか、
唐手を教えていたのも金がないから仕方なくやっていたような感じでし
たね。裕福ならば盆栽でもいじっていたような人ですよ。ああいう師匠は
食えませんね。運のない人だったんですな」

丸川氏の拳にはいまだにすごい拳ダコがある。時々は巻藁を突くこともある。
氏は現在七十八歳である。大学へはあまり通わず、本部大学道場へ通ったような
ものであるという。「卒業できたかどうかは分かりませんがね」と最後につけ加えた。

(取材・文/ 高原守)
596名無しさん@一本勝ち:2008/04/08(火) 01:51:58 ID:sfH2CCwa0
補足。

>「師匠は決して教えない人じゃなかったんですよ。
>ただ、かなりできる人を教える人だったんですね。素人を教えるのは嫌だったようです」

「師匠は決して教えない人じゃなかったんですよ。質問があれば教えもしました。
ただ、かなりできる人を教える人だったんですね。素人を教えるのは嫌だったようです」