少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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91見習い拳士
>>90
>しかし,実際に同じような表現を使う他人がいる からといって,
>現に世界がBである私からのみ開けているという現実が変わるわけはないし,
>「現にBである私からのみ開けている世界」という表現の意味が急に変化するということ
>もないのではないか。

もう耳タコかもしれないが、これに対してしかし,実際に同じような表現を使う他人がいる
からといって,現に世界が勝手批評である私からのみ開けているという現実が変わるわけはないし,
「現に勝手批評である私からのみ開けている世界」という表現の意味が急に変化するということ
もないのではないか。

「特定の人物から開けている世界」というのは肉体的・性格的な特徴を持った普通の個人
のことを言っている限りではまさしく正しい表現で確かにこの世界はこの私から開けている。
でも哲学者はもちろんこんなつまらない意味で最初の表現を使ったんじゃない。
独在性というのはこれ“以上”のことを言おうとしている。でもそれは常に失敗する。

これは個人的な推測だが可能世界の話は最初から独在性の問題感覚を破壊するものだと思う。
>>90の4つの可能世界などというものは“無い”。上で書いたように単なる個人として考えれば
Bも永井も勝手批評もそれぞれ自分の好きな事を主張できるということでしかない。
(このつまらなさ・平凡さが哲学者には耐えられない。といって独在性のような言語の限界を超えた事を
言おうとしても空回りしてしまう。)