少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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89B (BLACK BELT)
>>82
見習い拳士さんからこのような返答が来ること(だけ)によって揚げ足が取られるとは,
私は思わない。誤解があるかもしれないので言っておくと,>>74>>78に書いたような
考え方を使えばBである私の特別さを明確に語ることができる,などと言いたいわけ
ではなく,ただ,「読み替え」というのは結局何のことなのか,「読み替え」が起こる
から独在性について語り得ないという理由は何なのか,「読み替え」に関する議論は
新しいほうの本に出てくる「特定の人物から開けている世界」などといった議論と
どうつながるのか,といったあたりに個人的には疑問があったので,それを書こうと
思っただけ。

疑問点を言い直すと,1つには,「現にBである私からのみ開けている世界」という
表現は,つまり,世界がBである私からのみ開けているということを表す表現であって,
見習い拳士さん,永井,その他の他人にも直接当てはまるようなことを表している表現では
ないのではないか。そうすると,この表現で言えていないこととは何なのか。というのが,
単純な疑問としてよくわからない。
もちろん,誰でも同じような表現を使うことはできて,実際に見習い拳士さんや永井(!)は
同じような表現を使っている。そうである以上,Bである私の言いたいことは表現できて
いないのだろうか,という疑問は湧く。しかし,実際に同じような表現を使う他人がいる
からといって,現に世界がBである私からのみ開けているという現実が変わるわけはないし,
「現にBである私からのみ開けている世界」という表現の意味が急に変化するということ
もないのではないか。そうすると,言いたいことが言えていないらしいとしても,具体的に
どういう理由で言えていないことになるのか。多分『転校生とブラック・ジャック』p140で
論じられているところかと思うんだけど,よくはわからない。