少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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74B (BLACK BELT)
>>69
ついでに,独我論が普遍的な独我論に読み替えられるという点に関しては,個人的には
素朴な疑問がある。「私だけが特別だ」というようなことを単に言ったら,他人が
それを読み替えて「いや,私にとっては私が特別だ」とか「それは誰にでも共通の特別さを
言っているに過ぎない」とか反応することが考えられるけど,「現にBである私だけが
特別だ」とか「この世界は現にBである私からのみ開けている」と,固有名詞を含めて
表現したら,少なくともそれが読み替えられることはなくなるんじゃないか。
もちろん,誰にとっても同じ種類のことが成り立つ(らしい)ので,実は私の特別さなど
というものはないのではないか,という問題は残ると思うけど,「読み替え」というのは,
少なくとも問題を表す表現としては不適切なんじゃないだろうか。他人(例えばA)が
「いや,この世界はAからのみ開けている」と言ったとしても,その発言は単に間違って
いるだけだ。なぜならこの世界は現にBからのみ開けているから。Aから開けている世界を
想定すれば,Aの発言は正しいことになる(逆にBである私の発言は間違い)けど,
それはあくまで可能世界の話であって,Bから開けているこの現実世界では,Bである
私の発言のみが正しい。このように考えて,まずいことがあるんだろうか。
まとめて言うと,他人と私が共通にいる世界というものを何となく想定して,そこで何となく
「私」という言葉を使うと,読み替えというものが起こるように思われるけど,特定の人物
からのみ開けている世界という考え方を使った上,現にBである私からのみ開けている世界
の中で私の特別さを言えば,少なくとも,その世界の中で私の発言が読み替えられるという
ことは防げるんじゃないか。
まあ,そんなことが防げたからといって特に意味があるのか,と聞かれたら,
現時点ではっきり言うことはできないけど。