少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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69見習い拳士
>>65
>ウィトゲンシュタインは守ろうとしたものを守れていません。
これは正しい。もちろん気持ちとしては他の人が入って来れないようにしたかったはずだけど
この部屋にはそもそも鍵が付けられないから。それから永井氏がウィトゲンシュタインより
一歩進んでいるというのは間違いだ。哲学は(いわゆる思想と違って)進歩ということが無い。
哲学は如何に進まないかを競っているようなところがあるから。こういう進歩史観ほど哲学にそぐわないもの
はないと思う。(これはBさんが口を滑らせただけだろう)

>>67
これは何度も何度も書いているが実在の箱に実在の中身がある、というイメージがそもそもの間違い。
もしこれが本当なら永井氏、Bさんの見解は非の打ち所無く正しい。
でも「箱」は目に見える文字としての言語、音声としての言語、或いはジェスチュアであり
「箱の中身」は言葉に出来ない(この文脈では)<感覚>の“比喩”なんだ。そう読まないと
「哲学探究」全体の主旨から外れてしまう。この例が誤解を招きやすいのはその通りだけどこれが
ウィトゲンシュタインが言いたい事の結論としての“比喩”である、ということは理解するべきだろう。

>>68
これは言語化の波という話よりも、より根源的な議論で既に述べた生活形式の一致の問題だろう。