少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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50見習い拳士
>>48
>でもわれわれの問題はその外部にあるのだ。
でもその<外部>ってどこなの?自分“だけ”は外部に立てるということだろうか。
その外部は立ってしまった瞬間<内部>に変わらざるを得ないのに。
その時には自分“だけ”はその外部に立てる、或いは見ることが出来るということは
断念せざるを得ないはずだ。
独我論を自分だけが主張できる、と考えるのと全く類比的で、これは余りにも楽観的過ぎる。
実際自分以外の人も独我論を主張できてしまうんだから。

僕の事を単なるレッテル貼りだと思わないで、この問題を哲学的に考える事だけに集中して欲しい。
これは何度も尋ねたんだけど永井氏の「独我論が普遍的な独我論に読み替えられる」
という議論はBさんはもちろん理解してるよね?それならどうしてそれが言えないかが分るはず
なんだけど。これまた何度も言うようにこれはそのまま甲虫の比喩と全く同型の議論なのだから
独我論の話が理解できれば甲虫の話も同じように理解すれば誤解のしようがないはずなんだ。