少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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47見習い拳士
>>46
しかし「痛い」の箱の中に入っているその「痒い」って何だい?これは誰が言うのか。
私が「痛い!」と言いながら痒さを感じている、というのは自分自身に正直になったのなら
「痒い!」と言うはずで、113で書いた様にBさんが想定しているような事態というのは
その人が自分の感覚を偽る場合か、「痛い!」と普通言うような場面で「痒い!」と言うように
躾られた人以外にはあり得ない。そうじゃなきゃ「本当は<痒さ>を感じている」なんて言えないはずだ。

Bさんの言う箱の中に入っている「痒い」は言語に出来ない。「痒い」もまた言語(ゲーム)だから
これは新たな箱に過ぎない。マトリョーシカというロシアの民芸品があるがあんな風に
いつまででも「箱」が出てきてしまう。確かに箱の中身はある。ところがそれを引っ張り出した途端、
即ちそれを言語化した途端、またしてもそれは中に箱を持つ箱として現れる。

箱の中身が問題にならない、とウィトゲンシュタインは言っているんじゃない。
箱の中身を問題にすることがどうしても出来ない、ということが言いたいんだ。
ウィトゲンシュタインは自分の事を仮想の論敵に「あなたは仮面を被った行動主義者ではないか」
と言わせているがこの論敵には彼が断念しているものが分っていない。だから結論にだけ飛びついて
誤解してしまう。