少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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147B (BLACK BELT)
>>144
そのように順を追って書いてもらえれば,だいたいの趣旨は理解できるが,細かいところは
やはりよくわからない。(というか,言わせてもらえば,>>144に書かれている範囲のことに
限って言えば,僕がそのくらいのことを全く考慮せずに議論をしているのだと思われていた
のなら,心外だ。例えば,「僕が書いているような議論そのものが他人に理解されてしまう,
というところに問題があることは,承知している」といったことを,もっと早くに明示して
おけばよかったかもしれない)
しかし,細かい疑問点ばかり書くのも煩雑だし,細かいところそのものよりは,気分とか
基本的姿勢の違いが問題なのかもしれないので,それに関することを書いてみる。

まず,気分の問題として,というか,「読み替え」とか何とかの問題をとりあえず置いて
おくとした場合には,以下のような文章は,そのとおりだなあ,と思わないだろうか。
(全くそのように思わない人なら,そもそもこういう議論に全く関わらないはずだとは
思うけど,念のため)
「まったく虚心坦懐に,事態をあるがままに捉えることができるならば,独我論ないしはそれに
類する世界の捉えかたは,端的な事実そのものの素直な受容であって,哲学者の作り出した
屁理屈でも深遠な形而上学でもない。なぜなら,私とは他に同じ種類のものが存在しない
まったく独自な存在者であり,全ての他のものはただその私に立ち現れるにすぎない〔中略〕
からである。」(『<私>の存在の比類なさ』p65)

次に,もし,このような文章が,事実として私にしか当てはまらないことが判明したとしたら,
(びっくりするだろうが,それは置くとして)なんだ,素直な捉え方はそのまま事実として
正しかったのか,ということになるのではないか。また,このような文章が,もし,他人には
当てはまらず私にしか当てはまらないと言えたとしたら,それは,素直な捉え方をそのまま
言葉で表現できたのであって,それはそれでいい,ということになるのではないか。

続く