少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第39章

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126B (BLACK BELT)
124続き
>「読み替え」はいつも・既に起こっている事だからそれを眼で確認できるわけがない。
>それが共通の言語(ゲーム)を使っているということなんだから。

「E君が言っていることが,ひとに理解されるどころか,E君が言っている
そのときすでに「同じ種類のこと」でしかないんだ。」
(『転校生とブラック・ジャック』p144)
というような議論があって,上で引用した見習い拳士さんの指摘は,このあたりの
議論に関わると思われる。もしこのように言えるとすれば,確かに独在性は
言えてないことになると思われるが,しかし,このように言えるとする理由は
今のところよくわからない。
あと,これは細かいことだけど,上のように言えるとすると,つまり僕が
独在性について何か言うとき,すでに同じ種類のことしか言っていないこと
になる。すると,逆に言うと,実際に他人に読み替えられるとか,他人が同じ
種類のことを言い出すとかいうことは関係なく(せいぜい,きっかけにすぎず),
僕と言葉との関係(?)だけでもって,独在性について言おうとしても失敗
するということになる。すると,やはり,「読み替え」の説明にはならない
んじゃないか。(この点はあまり自信はないけど)