10 :
見習い拳士:
>Bさん
>感覚の定義はプラクティスに還元される
というのがまずいやり方だと思う。感覚は定義されたりしない。ついでに「還元」という言葉も良くない。
感覚は「痛い」「痒い」と言われる(或いは叫ばれる)ものだ。これをもう一度哲学的に掘り返してきて
客観化しようとするといかにも感覚そのものがブラックボックスででもあるかのような
外見を呈するんだ。
646で「じゃあ自分の場合は?」と書いたけど、この場合には感覚がブラックボックスだなんて
考えが起こることはあり得ない。「痛い!」じゃなくても「あっ!」とか「うっ!」でも
いいけどこれは感覚と同化してしまっているんだ。人はこのことを「感覚」と呼んで
またも痛みの状況を客観化するわけだけど。
ウィトゲンシュタインの甲虫の例えも明らかにこの構造の事を語ってるのに
これを永井氏は何度も何度も批判している。自分だって同じことしてるのになあ。