少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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648見習い拳士
あ、>公共言語はある感覚を引き起こす状況を指示するだけ「に」留まる。だった。訂正。
>>647
>たとえば「痛い!」って言うとき「どこが?」と訊かれる。
>「お腹が!」って言うと「なんで?何食った?」と訊かれる。
のような他人達とのやり取りは重要じゃないと思う。そういう機能主義的な考えは
ちょっと的を外している。118さんの批判は大森荘蔵には当てはまるかも知れないけど。

>感覚そのものがブラックボックスになってるんだと思う。
というのは「<感覚>そのものは言葉に出来ない」ということでしかない。
でもこれは或る意味で当たり前だ。それなら文字通り
「語りえぬ事柄には沈黙しなければならない」のではないか。

>そもそも公共言語には箱なんか必要ない。
と言ったってこれが無かったら人々の一致が無くなってしまう。いや逆か。
人々の一致があるからこんな哲学的議論が出来るんだから。(だから箱は必要ではない
どころか最初から前提されているんだ。)