少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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628B (BLACK BELT)
ここまでいろいろと書いてきて何なのだけど、私もおそらく永井均も、こういう色分けに意味があるとは
思っていない。あえて言うなら、むしろ永井均は対立するこの二つの理論に架橋しようと
しているともいえるし、また、こういう理論であらゆるものをはっきりと色分けできると考えていない。
簡単に言えば、根元が違う。だってわれわれの問題は語りえない領域にあるのだから、
はっきりと色分けできると言う立場とは結局、相容れない。

それに本当に問題なのは、基体理論や束理論などの専門的?知識を持っているだけで、
専門的だから正しそうといった印象を与えてしまうことだ。裏返せば、何かの知識を知らないだけで
間違っていると判定されたり、してしまうことこそが最大の問題だといえる。
そうなると哲学は一気にクイズ化するからだ。強迫的教養主義が成立する。
少なくとも私はそんなものに興味はない。
ただ、私は私の問題を問うし、それにかかわる限りの知識を少しずつ集めるだけだろう。

(ちなみにここに書いてある知識はほとんどうろ覚えだからあまり信用しないほうがいいと思うよ)