少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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624カオル(級拳士)
それでもわたしもときどき疑うことがあります。(Bさん、ごめんなさい)
永井の思考パターン、あるいは永井のそういう誘導にのって、そのフィルターを
とおしてわたしを批判しているのかもしれないと……それは誠実とはいえないから。

永井がニーチェやウィトゲンシュタインが好きなのは、おそらくかれらの神さまに
たいする誠実さをかいまみたからに他ならない、とわたしは思っています。
ほんとうの自分に誠実になるということは、だから他人に誠実になるということは、
そういうことだと思うからです。

永井の哲学は、あるいは余計な物言いも、この世的な倫理や道徳からは逸脱している
と思います。けれども、最終的なその誠実さにおいては適っているのだと思います。
わたしは、この世的な倫理や道徳を斥けないので、大切なものとしているから、
そこら辺のところが、どうも噛み合わないのかもしれないですね。

議論をするにあたっての前提、わたしの人格からくる態度や姿勢をみるにつけ
議論しようとする気持ちが失せてしまうのは、仕方ないような気がします。
わたしは自分も相手も傷つく議論をしてきたし、そういうことを知っているから。

でもそういうところを覚悟した議論でないなら哲学における議論とは言えない、
とも思っているのです。よかったら議論に参加してみませんか。わたしの論への
質問でも批判でもいいし、新たな問題提起でも、永井をあまり知らないなら素朴な
質問でも結構ですので。よろしくお願いします。(^.^)