少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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620カオル(級拳士)

>余計な感情が、議論を込み入らせているのでしょう。
>そうではないと言われますが、自覚してなくても行動に表れてしまうことありますよね。
そうではない、と言ってもそのように受け取られてしまうことにたいして
いくら言い訳しても、それは言い訳なのだから、正当性はそちらにあるのです。
だからこそ、具体的な議論をもとめるのです。そうでなければ、そう思うのは
そちらの勝手なのですものね。でも、永井の人格批判はできるだけやめようと
思います。(永井にも余計な皮肉や揶揄や誘導や差別はやめてほしいですね)
でも、それとわたしの議論の内容とは一切関係ありません。哲学の議論において
そんな致命的な過ちはおかしません。

>とは言うものの、カオルさんの哲学的才能とその議論の品質は評価できますが。
才能は天与のもの、それを評価してもらっても仕方がないです。
議論の品質は努力によるもの、評価してもらえてうれしいです。
けれども、わたしは自分に才能があるとは思っていないですし、
議論の品質が高いと思うこともないので、すべてはけっきょく
だれか様のお陰と思って感謝するしかないようです。そしてあなたにありがとう。