少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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616カオル(級拳士)

まちがっている、とわたしが思うことについて、まちがっている、と言っています。
まちがっていると言っていることのその内容がまちがっているとあなたが思うのなら、
そこからがあなたとわたしの議論のはじまりではないでしょうか。議論大歓迎です!

>一流以下学者(やその卵)にありがちなオリジナリティに対するコンプレックスが感じられます。

私的言語がありえない、と言うときのその意味で、本質的にオリジナルは神以外存在しない、
と思っています。

またたとえば、量子力学がニュートン力学を否定するものであると考えるとき、そこに断絶が
生まれて、ニュートン力学にたいして量子力学はオリジナルな原理になるというのは、はたして
本当でしょうか。ニュートン力学が否定(客観性の否定)されると、カント哲学は否定されてしまう
のでしょうか。わたしの見ていない十五夜の満月は、存在しないことになってしまうのでしょうか。
そんなことはなくて、ニュートン力学の否定は量子力学みずからの否定になってしまうのです。
なぜなら、わたしたちの連綿たる歴史の否定はみずからの誕生の否定に他ならないからです。

>永井の議論と直接関係のない知識が流用されすぎです。

関係がないと思うのは、あなたであってわたしではないです。
たしかに今しているこのようなお話しは永井の議論とは関係ないし、
ましてや哲学ではありませんから、厳しいことを言うなら板ちがいです。

わたしの論にたいしての具体的な批判がなされないためにこうなってしまう。
だから、あなたがわたしの論で永井の議論と直接関係がありそうだ、と思う
ところについて批判してくれたらとてもうれしいです。よろしくお願いします。