少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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606B (BLACK BELT)
>だから、このような具体的な議論とは関係のない書き込みで、肝心のレスが流れて
>しまうことが、とっても残念で悔しいです。

それもそうだろうなぁ。じゃあ、邪魔しないからどうぞ。
でも、友人としておせっかいをやくなら、しっかり自分の足元を明らかにして議論することと
テーマを明確にすることは大切だと思う。そうじゃないとレスをする人は大変だと思うよ。

それとあえて苦言を呈するなら、
永井均の私的言語論においては、公共言語を成立させるための私的言語という箇所が、
世界内存在としての「私」が、世界を開くものとしての<私>と捉えなおされることと
大いに関係しているのだから、公共言語を成立させるものとして私的言語を簡単に認めてしまうと
問題はほとんど問い終わってしまう。(>>563の3段落目など)
またそういう類比関係を見逃したまま、「生活形式」だとか「コト分け」だとかを
論じても得るものは少ないと言わざるをえないだろう。
また、カオルはよく、「ズレの運動」として<私>が「私」に変わると言うけれど
それは明らかに間違い。<私>は<<私>>に転落する。「私」というのは
たまたまこの私が持っている属性であって、<独在性>は(本来)そんなものとは無関係。
世界に唯一ほかの人と全く違うあり方をしてるこの私が、いないはずの同格の者たちの中に
取り込まれることを<私>が転落すると表現する。そして転落した先は<<単独性>>。
<<単独性>>に転落することによって、同格のものたちの中で、単独の存在としての
オリジナリティを許される、ここにズレの運動の問題がある。
カオルはここをよくわかっていないから、人生哲学として永井均を読み解く余地があると勘違いしている。

「ああ、そうですね、私が間違っていました」と言ってごらん。
そしたらきっとほかの人もカオルの言ってることを聞いてくれると思うから。
だって、いつも私は悪くない、私は間違っていない、何で私の書いていることを読んでくれないの
って言ってくるでしょ。カオルはそういう人と議論が出来ると思うかい?