少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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601カオル(級拳士)
>>597 Bさん
>>というような感じの思考の痕跡を、わたしなりに「まとめた」のが一連の書き込みでした。
>なら、やっぱり<独在性>と『嘔吐』を結び付けているんじゃないのかなぁ。
>だって、はっきりとそう言っている訳だから。

「もし結びつけるのなら〜べつの人なの?」までは即興で表現したものです。
いつもこんな感じで「ああでもないこうでもない」って考えてます、ってことの実演!
で、おなじようにして「私的および私的言語」について考えたことを「まとめた」のが
一連のわたしの議論(前スレ含む)ということなのです。

>>でもやっぱり何が悪いのかまちがっているのかぜんぜんわからないのです。
>何でそう思えるのか、よくわからないなぁ。

わたしは自分が考えたことについて「論を書き込む」、それをきっとだれかが読んで
くれていて、好機に出会えれば「その論」について具体的な意見なり指摘がもらえる。
それによってわたしはさらに考えることができ、まちがっていればそれに気づくことも
できる。そうやって哲学することができるのです。そのために哲板に書き込むのです。

だから、このような具体的な議論とは関係のない書き込みで、肝心のレスが流れて
しまうことが、とっても残念で悔しいです。でも、あなたの気持ちも大切です。

あなたの立場(永井の独我論を理解してしまうあなたの独我論を理解してしまう立場)
になってみた気になって議論してもいいです。永井の考え方には反するのでしょうけど、
永井の超肯定的な信者として。でも、その議論を有意義にするための条件があります。
Bさんに永井哲学の否定論者になってもらうことです。そうでなければ、わたしの論の
どこが永井哲学を否定しているのかがわからないからです。Bさんを納得させられたら
少なくともわたしが‘無理やり’に永井の論を否定しているのではないことがわかって
もらえると思うからです。どうでしょうか?