少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

このエントリーをはてなブックマークに追加
595カオル(級拳士)
(訂正)
>>592 Bさん
>自分は悪くないと言いたい時、一歩踏みとどまって
>本当にそうかと問うことは大事だと思う。

自分の何かがきっと悪いのでしょう、だから人格批判されるのでしょう。
それが哲学とは関係のないことは承知で友情から指摘してくれているのでしょう。
わたしはあなたを信頼しているから、だから自分がまちがっていると思ってしまう。
でも何が悪いのかわからないから、だから自分の思ったことを書いてみるのです。
そうすると、また人格も論の内容もまとめてダメだと言われてしまう。
でもやっぱり何が悪いのかまちがっているのかぜんぜんわからないのです。

哲学のいいところは具体的な議論によって何が悪いのかまちがっているのか
自分の力で確かめられることです。もちろん教えてくれるのは議論相手です。
わたしが自分や人間や世界を信じられなくなっても、そのようなことは哲学の
前提であって、そこからはじめることがちっとも障害にならないことの感激は
今でもこれからも忘れないでしょう。だから生きることと哲学は同義なのです。

わたしの願いは、Bさんがわたしの論にたいして、この部分の説明をもう少し、
ここの意味がわからないな、これは赫々云々なのでまちがっているよ……と、
具体的に指摘してもらい、それについて考えてみる、つまり議論がしたいです。

忙しいですよね。だから、週に一回くらいのゆっくりペースでどうでしょうか?

アリストテレスがいうには、「人生の目的は幸福だから幸福をもとめるけれど、
人の幸福とは余暇にあるのだから、余暇のある生活において真理の探究を
すること(観想的生活)こそが、もっとも幸福な人生である」…なんてムリ(笑)