少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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584カオル(級拳士)
だから、永井の著作を読みそこから示唆を得たり、刺激を受けたり、
啓発されたり…ということが永井の言説にたいして向けられている
かぎり、あるいはテクストを引用して「公」の問題として批判している
かぎり、そのこと自体がすでに独在性の問題について何もわかって
いないことの証明でもあるのです。( → Bさんのカオル批判 )

けれど、はじめから批判を許さないような想定が、この「公」の場で
許されても良いのでしょうか? たしかにこの問題が自分の問題に
なったのなら、自分と永井の論を比較検討することは無意味です。
なぜなら、比べることのできない問題だからです。

どんなに批判されようと、批判されえない神は、しかし人間によって
その批判する人間を断罪する。わたしは地獄ゆきでかまわないです。
哲学徒としてその覚悟はあります。(でもわたしはあなたに謝ります)