少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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576カオル(級拳士)

>まず、永井均に必要最低限の敬意を払うべきじゃないだろうか。

永井のどこに敬意を払えば良いのでしょうか?
永井の他の哲学者にたいしての人格批判、ダメ哲学者の烙印、イヤミ、皮肉、揶揄……等々、
その薄汚い行為をやめたら考えてみます。

けれど、大切なのは議論の内容だと思います。
永井は恥ずかしくて言えないのだろうけど──どうして私は、この私なのか──は、
言いかえると、私が生まれてきたことの、存在していることの、意味とはなにか?
と、問うているのでしょうから、その少年のような素直さはかわいい、と思いますよ。

>見下している相手が何を言っても間違っている気がすることはよくあることで、
>往々にして痛い目を見てから、自分の間違いに気づく。

いえいえ、ほとんどまちがっていない、と思っています。
わたしのなかで、もっともっと美しい理論にしたいだけです。
とは言っても「行儀のいい奴は基本的な存在じゃない」みたいなことを
ラッセルが言ってたような……〈私〉も行儀が悪いけど、私たちの世界も
不条理、二律背反、逆説に満ちていて行儀が悪い、サルトルの『嘔吐』に
出てくるマロニエの木のように気味の悪い姿が世界の真実かもしれませんね。
昨年はサルトル生誕100年記念で再版が目白押しでした。今なら読み放題です!
『嘔吐』は小説としてもおススメです!(もしよかったら)