少林寺が弱いといわれるのは仕方ない第38章

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575カオル(級拳士)
>Bさん
>永井均の土俵でオリジナリティを主張するカオル、というこの構図が
><独在性>を巡る問題系の多くの部分を暗に映し出しているのかもしれないなぁ。

そうやってわたしを見下すことのどこに価値があるのかわかりませんが、
そのように思いたいならば、そのようにしたいなら、そうすればいいです。

ところで、Bさんは永井を被害者あつかいしてないでしょうか?
永井はアカデミーの構成員であり、カオルのように「だれでも知識人」の世の中にあって、
その実質はともかく、真正の知識人として、哲学ではその頂点近くに立つ権力者です。
本人にその気があってもなくても、そのような立場にある人間の言説の力は大きく、
事実、日本の著名なアカデミーの哲学者で、永井を意識していない者はいないと思います。
むしろ、さわらぬ神に祟りなし、ではありませんが、まるで腫れ物にさわるようにして
永井を大事にあつかっているのが日本のアカデミアの風景です。永井はガキ大将なんです。

永井に毒されて、わたしにたいする感受性まで、永井の思う通りのようで、さみしいです。

>さて、カオルの議論を精緻に追うのが困難なのは、カオルにとって常に<独在性>の問題が
>死んで表れるからだ。生きていない。いつも、どこからか解答をつれてこようとする。

わたしの議論を精緻に追うことと、わたしの議論があなたにどのようにうつるかとは
別の問題です。たんに「カオルとは議論する気にならない」というだけなのでしょ?

>その新しい境地にずっと以前から住んでいましたという風な口をきく人物とは
>どのような人物なのか、と正直思う。

新しい境地がどのようなものなのか、わたしにはわからないから、
もしかしたらその人物は、わたしではないかもしれませんよ。