>いずれにせよ言語とは「私の言語」でも「私的言語」でもありえないんじゃないのかな?
この発言はあらゆる私的な言語を否定しているのだから、結果的にここで言われる言語とは
公共言語ということになる。
>それでも、この言語が成立するためには本来的には語りえない「私的言語」が必要なはずだ
言語には外部がない。
>>36に書いてあるような「言語以前」の場に私的言語が来るべきであると私は思っている。
そしてそれを
>>19で書いた。
いわゆる「言語以前」が単純な「言語以前」だと言語は習得できないし、使用不可能だろう。
なぜなら、「黒板消し」を指して「こ・く・ば・ん・け・し」と教えてやっても
その指が「黒板消し」なのか、そこにある黒板消しひとつだけが「黒板消し」なのか
指し示された状態が「黒板消し」なのか理解できないからだ。
少なくとも何らかの意味で「言語以前」は言語的でなければならない。
(この類の話を永井均もしていたはずだ)